【完結】四肢人類の悩み   作:佐藤東沙

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05話 全ての教育は洗脳である、って誰が言ったんだっけ

「現在の哺乳類・鳥類・爬虫類・両生類の体制は六本肢です」

 

 教壇に立つ角人の教師が授業を行っている。内容は生物のようだが、彼女は生物の教師ではない。にも拘らず、彼女が教鞭を取っているのには理由がある。

 

「その起源は魚類にあると考えられています。胸ビレ、前腹ビレ、後腹ビレが肢になったと考えられているからです」

 

 胸ビレ形成遺伝子が突然変異によって重複して腹ビレになり、それが再度重複して腹ビレが二対に増え、ヒレが計三対になった、と古生物学では言われている。

 

「尤も古代には、四本肢の両生類もいましたが、子孫を残すことなく絶滅しました。貧弱な肢で身体を支えるには、四本より六本の方が有利だったのでしょう」

 

 そして六本肢両生類は肢の数をそのままに、爬虫類、哺乳類型爬虫類、恐竜、鳥類、哺乳類、猿人等の祖先となった。

 

「さて、進化の末に生まれた人類は大体、以下の四つの形態に分類できます」

 

 そう言って教師は、黒板にチョークで簡単な図と説明を書いていく。

 

〇『翼人/竜人型』

 上肢(腕)・下肢(脚)を持ち、中肢(四肢生物には存在しない肢)が背中に回り、翼になっている型。

 

〇『長耳人/角人/牧神人型』

 上肢・下肢を持ち、中肢が退化し痕跡のみになっている型。

 (牧神人とは、角人の脚がヤギそっくりになっている形態の事)

 

〇『人馬/人虎(絶滅)型』

 上肢が腕で、中肢と下肢の四本が脚となって身体を支えている型。

 (人虎は優れた狩りの腕を持っていたが、獲物を捕りつくして自らも滅んだ、とされている)

 

〇『人魚型』

 上肢が腕で、中肢が腰ヒレ、下肢が膝下で融合し、尾ビレになっている型。

 (類似種として、一生を完全に水中で送れるケタピテクスという種が存在した。

  だがエコーロケーション能力を持たなかったため、鯨類との生存競争に負けて絶滅した)

 

「この見た目の違いが、過去多くの争いや差別を生み出しました」

 

 それはそれは凄まじいものであり、現在に至っても無くなったとは到底言えない。だからこそ『形態差別罪』などというものが存在するのだ。

 

「ですがもし、四本肢の両生類が生き残って主流となり、そして人類に進化したとしたらどうなっていたでしょう」

 

 その辺りを描いたのが、ジョルジュ・ガブリエル・ヴェルズ(仏)著の『四肢人類の世界』である。驚くべき事に、単なるSF小説でありながら、聖書や聖典すらも超えるベストセラーとなった。

 

「せいぜい髪や肌の色が違う程度の違いしかない四肢人類の間には、深刻な争いや差別は発生しないでしょう。あまり発展しない文明の下で、野山で獣を狩り小さな畑を耕す、そんな穏やかな日々が続いていた事でしょう」

 

 ヴェルズは四肢人類の世界をそのように想像し、描写した。彼は『四肢人類はほぼ単一の形態しか持たない』、『多形態を持たないため、形態間の分業・協同が不可能であり、従って文明が発展する事もない』と考え、大規模な争いや発展のない社会だとしたのだ。

 

「それが良いコトかどうかは分かりません。安定した進歩のない世界を喜ぶ人もいれば、苦痛でしかない人もいるでしょう」

 

 ヴェルズの想像が正しいかどうかは、この世界の人間には分からない。『四肢人類の世界』は論文ではなく、あくまでSF小説であるからだ。

 

 だが人口に膾炙しているため、仮に四肢人類の世界が存在するならば()()なのだろうというのは、ほとんど世界的な共通認識になっている。

 

「もっとも四肢人類の世界は、ありえたかもしれない空想の楽園。現実の我々の世界は、一歩誤れば容易く地獄になり得る世界です。劣等諸国のような争いの世界か、調和のとれた穏やかな世界か。いずれになるかは、我々の平等と団結にかかっています」

 

 ちなみに『発展途上国』ではなく『劣等諸国』と言っているが、これは平等の理念に反するものでは全くない。というか発展途上国という言葉そのものがない。『平等』とは『形態間平等』であり、『国家間平等』ではないのだ。

 

 従って、形態間平等の理念が息づいておらず、差別が蔓延している国や、それが原因で内戦から抜け出せない国を劣等国と見下すのは、一切問題ないという事になる。むしろそういった国は、『形態間平等』に反する以上、軽蔑や敵視されても当然だ、と思われているフシすらある。

 

 とは言えどんなものであれ、国是に反する国の存在など認めがたいのは当然だ。この程度で済んでいる辺り、穏健であるとすら言えるのかもしれない。

 

「ゆえに平等は、時に人権や生命よりも重いのです」

 

 まあ劣等諸国と言い放った口で、その台詞にどれ程の説得力が宿るかはまた別の話ではあるが。自分の言動に一切矛盾や疑問を感じていない辺り、この世界の闇が垣間見える。

 

「では最後に国歌斉唱を。委員長」

 

「起立!」

 

 君が代ではない、平等を旨とする歌詞の国歌が歌われる。この世界でも君が代の元となった短歌そのものは存在するのだが、国歌にはなっていないのだ。

 

「先生」

 

「中々いい授業でしたよ」

 

 退出する教師を、教室の外で見学していた男二人が呼び止め、彼女はそれに礼を返す。男の服装は、片方はスーツ、もう片方は軍服だ。こういった授業には、憲兵や公安、軍人が見学に来ることがあるのだ。

 

 生物の授業なのに、生物教師ではない彼女が出張って来たのはつまりそういう事である。要するに生物学に絡めた思想教育だ。

 

 日本は世界に先駆け形態間平等を打ち出した国であるため、こういった授業が度々行われる。迂闊な事を言うと、形態差別罪でそのまま逮捕されたりするので、教師側も結構命懸けである。

 

 市民、平等は義務です。

 平等ではない市民は存在しません。

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 昼休み。人影もまばらになった教室で、いつもの四人組が、机を突き合わせて弁当を広げていた。君原の弁当を覗き込んだ皐月が不思議そうに言う。

 

「やっぱり姫って、体格からすると小食よね」

 

「そ、そうかな? これでも前より増やしてもらったんだけど」

 

 上半身は一見華奢だが下半身が下半身であり、筋力も相応なので、維持にはカロリーを食うと思われる。単純計算でも他形態の三倍は必要なはずだ、体重はそれくらいなのだから。

 

 また参考として、体高が147cm未満の馬であるポニーは、一度の食事に1.5~2㎏近くの干し草やふすま*1、大麦を食べるそうだ。もちろん体格次第だが。

 

「前はお菓子持ち込んで、それで委員長に注意されてたもんな」

 

「まー健康的でいいんじゃない。糖質の摂り過ぎは良くないよ」

 

 肉は植物より消化効率がいいので、馬ほどの量は不要だろう。とは言え人馬の巨体から鑑みるのなら、運動部の男子高校生よりも大食であっても全くおかしくはない。が、そんな量には到底見えない。生命の神秘である。

 

「それもそうね、ケツが拭けなくなるよりかはいいわよね」

 

「まだその話覚えてたの~!?」

 

「そりゃ、まあ、ねえ」

 

「食べてる時に尾籠な話はやめてよ……」

 

「びろう?」

 

「品がないってこと」

 

「ごめんついね」

 

「食ったら出るんだから別にいいだろ」

 

「そういうところだよ希」

 

 なんかもう大雑把としか言いようがない事を(のたま)う獄楽に、名楽が胡乱(うろん)な目を向けた。期せずして元凶になった皐月は沈黙を保ち、君原は苦笑するばかりだ。

 

「話題変えよう話題」

 

「そ、そうだね」

 

「つってもいきなりんな事言われてもなぁ……何かあんのか?」

 

「んー…………さっきの授業の話とか?」

 

「またカタそーな話を……」

 

「四肢人類の世界、だよね。……あやちゃんみたいな感じの人がいっぱいいる世界なのかな」

 

 その言葉に、六つの目が一斉に皐月の方を向く。皐月は複雑な思いを抱きつつも、それを表に出す事なく口を開いた。

 

「…………多分ね」

 

「オイオイ、コイツがたくさんいる世界とか地獄よりヒデェじゃねーかよ」

 

「喧嘩売ってんの?」

 

「外見の話だから、菖蒲みたいな性格の人間ばっかって訳じゃないだろ」

 

「羌子、それフォローのつもり?」

 

 無自覚な言葉の矢が皐月に突き刺さる。常日頃の信頼関係が顔を覗かせる、微笑ましい一幕と言えよう。

 

「で、でも、四肢人類の世界なんてホントにあるのかな」

 

「どーだろーね、結局はIF(もしも)の話だから……でも四肢の両生類が存在してたのはれっきとした事実だから、それが進化して人間になってたら、まあありえない話じゃないと思うよ」

 

「そうなんか?」

 

「お前さっきの授業寝てたろ……。六肢生物は突然変異によって生まれたんだから、それがなかったら四肢生物が繁栄してたのはほぼ間違いないし、それが人間にまで進化する可能性だって否定できない、ってコト」

 

「先生は『四肢人類の世界は、進歩のない穏やかな社会』になるだろうって言ってたけど、そうなるのかな」

 

「ありえないわ」

 

 皐月がきっぱりと言い切る。自分で思ったよりも重い声が出ていたらしく、六つの目が再度驚いたように彼女を見た。

 

「どーしたんだ、何か顔が硬いぞ」

 

「……そう? 気のせいじゃない?」

 

「……ま、そういう意見もあるね。四肢だろうが六肢だろうが人間は人間で、なら発展しないはずもなく、戦争も起きないはずもない、ってのはたまに聞く反論だよ」

 

 名楽が皐月の纏う空気に頓着せずに、『四肢人類の世界』への有名な反論を述べる。彼女は聡い子だ、おそらく雰囲気の変質に気づいてはいても触れない事を選んだのだろう。その聡さが皐月にはありがたくもあり、煩わしくもあった。

 

「そうなの? じゃあ『四肢人類の世界』は間違ってるのかな」

 

「その反論への反論としては、『四肢人類の世界』はあくまでフィクションで、その社会に進歩がない事を証明する論文じゃないからそもそも的外れだとか」

 

 そこで一旦言葉を切った名楽はペットボトルのお茶を一口含み、再び話し始めた。

 

「四肢人類に複数形態が存在しないだろうというのは確度の高い推測であり、ならば形態間での協同が不可能な彼らは、やはり大きく発展する事はないはずだ、ってのがあるね」

 

「えーと……つまりどーゆーこった?」

 

「そだね……例えば『狩り』なら、聴覚に優れる竜人や長耳人が獲物を見つけつつ周辺を警戒、走力に優れる人馬が勢子をやって」

 

「せこって何だ?」

 

「獲物を追っかけて、待ち伏せをしてる仲間の前に追い立てる役のこと。で、短距離の瞬発力に優れる牧神人や人馬が獲物を仕留める。これが形態間での分業と協同」

 

「なるほどなー。四肢人類だと形態そのものがないから、そういう狩りが出来ない、って事か」

 

 さらっと理解している辺り、獄楽はやはり頭は悪くはない。悪いのは勉強の習慣がついてない事である。

 

「そゆこと。狩りはするだろうけど、効率は悪くなるだろね。一事が万事そういう社会である以上、発展は難しいはずだ、ってのがさっきの反論の内容」

 

「うーん、どっちも正しそうに聞こえるけど……ねえ、あやちゃんはどう思う?」

 

「……私? そうね――――」

 

 一つ深呼吸をして心を鎮める。一拍の後、彼女の雰囲気は常のものに戻っていた。相変わらず目は死んでいたが。

 

「一言で言うなら、『的外れ』ってとこかしら」

 

「的外れ?」

 

「ってーと?」

 

「文明の本質は『余剰』よ。発展するもしないも、それが存在するかにかかっているわ。ヴェルズもさっきの反論をした誰かもそれを分かってないから、頓珍漢な事を言い出すのよ」

 

「……ごめん最初から説明して」

 

 全く分かってなさそうな顔で説明を要求したのは獄楽であった。ただ他の二人も似たような顔をしているので、三人の総意であるとも言える。

 

「んー……まず前提として、住んでいる場所で『人間』の能力そのものは変わらない。これはいいわね?」

 

 つまり居住場所がアラスカだろうがイギリスだろうがウクライナだろうがエジプトだろうがオーストラリアだろうが、『人間』の能力が変わる事はない、という意味だ。『平等』の理念にも反しておらず、分かりやすいそれを理解した三つの頭が縦に振られた。

 

「にも拘わらず、『文明』が生まれる地域は限られている」

 

「四大文明ってヤツか?」

 

「別にそこだけじゃないけどね。四大文明が有名ってだけで。話を戻すけど。大きな文明が生まれるのは決まって大河の近くで、極端に暑くも寒くもなく、土地が豊かで食べられる穀物が存在する場所」

 

 ついでに言うなら、流行り病が少ない場所という条件もある。病気で人口が減りまくってしまえば、当然文明は生まれない。

 

「これは偶然じゃないわ」

 

「ひょっとして、農耕の話か?」

 

「その通りよ羌子。そういう場所では、自然発生的に農耕が生まれやすい。一度農耕を始めれば、狩猟とは比べ物にならない程の食料を得て、しかもそれを長期間保存しておく事が出来る。そうなれば、食料を求めてあくせく働く必要が薄れる」

 

「ほうほう」

 

「薄れれば時間的な余裕が生まれ、生まれた余裕で何かを始める事が出来る」

 

「何かって何だ?」

 

「何でもいいのよ。例えば農作業の時期を知るための天文学、便利で強力な武器を作るための鍛冶、増えた食料を管理するための数学、人を管理するための法律。それらを長期保存するための文字の発明、なんてのもあるわね。近くに大河があるのだから、船で遠くに行ったり物を運ぶ事も十分可能。そうやって遠隔地との繋がりも生まれ、発展していく」

 

 そこで彼女は水筒のお茶を一口飲んだ。

 

「そしてこれら全てをひっくるめたものを文明と呼ぶ。つまり余剰こそが文明を作るということ」

 

「おおー」

 

「極北に住むイヌイットや乾燥した大地に住むアボリジニは、劣っているから文明を築けなかったのか、知能が足りないから昔と変わらぬ暮らしをしていたのか」

 

「ええっと、全然そんな事はないけど、生きるので精いっぱいで、文明を築ける程の余剰が生まれなかったって事かな?」

 

「そういう事。厳しい土地で生き残っている事そのものが、彼らの有能さを示している。そうじゃなかったら、とっくの昔に凍死か餓死で全滅してるからね」

 

「なるほど……でもよ菖蒲」

 

「何?」

 

「さっき羌子が言ってた、形態間での協同の話はどうなんだ? ほら、四肢人類は単一の形態しかないだろうから、何をするにしても効率が悪くなるだろう、ってヤツ」

 

「…………いや、そこは本質じゃない。そうだな菖蒲?」

 

 顎に手を当て考え込んでいた名楽が、皐月にその細目を向ける。彼女はそれに、頷きで応えた。

 

「キョーコ、説明」

 

「お前少しは自分で考えろよ……まあいいけどさ。確かに四肢人類は六肢人類に比べて効率が悪い。でも農耕を始めれば、その程度の差なんて吹っ飛ぶほどの食料が得られる」

 

 食料が増えれば余剰も増えるし、人口を増やす事も出来る。区々たる効率の差などあってなきが如しだ。人口が文明の発展にどれほど寄与するか、言うまでもないだろう。戦いも文明も数だよ兄貴、という訳である。

 

「そうすると、多少効率が悪くても、文明は発展する……?」

 

「そういう事。だから『四肢人類の世界』もその反論の反論も的外れ。文明が発展する以上戦争は存在するし、地形その他の条件が同じなら、歴史だってある程度似たようなものになるでしょうね」

 

 それは彼女の頭の中にしかない『前世』のように。記憶の中のあちらもこちらも大して変わらず、やはり戦争は起こっていた。結局のところ、四肢でも六肢でも人間は人間であり、その本質は変わらないという事なのであろう。

 

 そもそも人間以外の野生生物も、同種で縄張り争いを行う事は珍しくない。縄張りとは基本的にエサを確保するためのもので、同種はそれが完全に被る。被ったからといって分け合えば、必要量のエサを摂れずに揃って仲良く餓死する。エサの量が無限でない以上、ライバルを排除して自らの生存圏を確保するしかない。

 

 野生の世界で共産主義は成り立たない。まあ人間世界でだって成り立たなかったがそこはそれ。人間だって野生生物の一種であるからして、何もおかしなところはない。

 

 そして野生動物である以上、人間も縄張り争いは行うし、それは何ら特別な事ではない。ただちょっと規模が大きく、うっかり世界を滅ぼせる域になってしまっただけである。滅んだら縄張りもクソもないので、大規模な戦争は自重する方向へと進んでいる、という訳だ。誰だって放射線まみれの瓦礫の上で暮らしたくはあるまい。

 

「そーゆーモンかね」

 

「そーゆーモンよ、人間なんてね」

 

 だから彼女の胸に今(わだかま)る、鉛のようなモヤモヤした何かは、彼女個人の拘りだ。それは彼女自身が処理するしかないが、処理できるかどうかは彼女にも分からない。こればかりは性分だ、分かっていればもう少し気楽に生きる事も出来ただろう。

 

「と言っても、実はヴェルズはその辺の事は分かっててあの小説を書いた可能性もあるのよね」

 

「おおっと、いきなりちゃぶ台をひっくり返してきたね」

 

「なんでそう思うの?」

 

「だってヴェルズは趣味人じゃなくて小説家だもの、売れる小説を書けなきゃ話にならないわ」

 

 これが趣味の産物なら、どんな内容であっても問題ない。潜在的に人に見せたいという願望が潜んでいたとしても、好き放題に書いても構わない。そもそも人に見せる事を前提にしていないし、積極的に見せようともしていないからだ。

 

 その良い例が枕草子や徒然草だろう。清少納言も卜部兼好も、自分の文章が人に見られるかもしれないとは思っていても、まさか未来の教科書に載り、日本人なら誰でも知る程になるとは思っていなかったはずだ。

 

 だが彼ら彼女らはそれでも構わないし、逆に全く知名度ゼロで終わっても構わない。いくら名文であっても、趣味とはそういうものだからだ。

 

 一方で小説家、それもプロの小説家にそれは許されない。彼らはとにかく、売れるものを書かなければならない。自分自身のみならず、関連会社の浮沈までかかっている以上、まずは売れねば話にならない。

 

 もちろん好き放題に書いてはいけないという意味ではない。そう書いたっていいのだ、売れさえすれば。

 

「いきなり生臭い話になったなオイ」

 

「小説家といっても資本主義の(ともがら)、ならば売れる以上の正義はないって事ね。実際世界的ベストセラーになったんだし、ヴェルズ自身の思想はどうあれ、小説家としては白眉としか言いようがないわ」

 

 仮に『四肢人類の世界でも六肢人類の世界と大して変わらない』という内容だったとしたら、そこまで売れる事はなかったであろう。小説として出版できていたかすらも怪しい。

 

 してみると小説家とは、科学的事実(リアル)ではなく、大衆的真実(ファンタジー)を売るものなのかもしれない。科学的なファンタジー(サイエンス・フィクション)を書いたヴェルズが売れたのも納得だ。

 

「はくびって何だ?」

 

「秀逸、周りに比べて頭一つ優れている、って意味だ。……なあ希、お前マジで勉強した方が良いぞ。頭が悪いって訳じゃあないんだから」

 

「えー、メンドくせーよ。大体俺は羌子ほど頭良くねーし」

 

「んな事ねーよ。…………おい小守(こもり)、今までの話聞いてたろ。どこまで理解できた?」

 

 名楽がたまたま近くの席にいた、筋骨隆々アメフト少年小守(こもり)(まこと)に声をかける。彼は頭の後ろに手をやりながら、少々恥ずかしそうに彼女に答えた。

 

「あー、その、だな……恥ずかしながら、半分くらいしか……」

 

「見たか希、これが本当のアホだ。コイツのクソアホさには小学校の頃から手を焼かされたもんだ。それに比べりゃあお前はまだ間に合う。少なくとも分からん事をすぐに聞けるのは得難い美徳だ」

 

「うぉい、そりゃねーぜ羌子ぉ!」

 

「うるせえ、せめて偏差値10上げてから出直してこい! 198点って何だ198点って、勉強舐めてんのか!」

 

「お前までそれ言うのか!? 反省してんだぜこれでもよぉ!」

 

「二人とも仲が良いんだね」

 

「違う!」

 

「違ぇよ!」

 

 まるで熟年夫婦の如き息の合い方だ。まあ名楽は小守の趣味ではないので、よほどの事がなければくっついたりはしないだろうが。

 

「菖蒲、お前からも何か――――うぉぅ!?」

 

「どうした羌子――――おぉぅ!?」

 

 皐月に話を振ろうとした名楽と、それにつられて彼女の方を向いた小守が揃ってのけぞる。普段の十割増しで目にハイライトが無くなっている皐月を見つけて。

 

「半分……半分て……」

 

 虚ろな目に顔にかかる黒く長い髪、呟かれる呪詛の如き独り言。下手に顔が整っている事もあり、足のない幽霊も裸足で逃げ出さんばかりの不気味さだ。

 

「ど、どうした菖蒲!? コイツのアホがうつったか!?」

 

「人を病原菌みてーに言うんじゃねーよ!」

 

「ああ羌子……半分しか理解できなかったって、私そんなに説明下手なのかしら……」

 

 どうやら説明が半分しか理解できなかったと言われたことで凹んでいたらしい。存外繊細なところがある女だ、目は死んでる癖に。

 

「い、いや、そんな事ないよ、分かりやすかったよ! 悪いのはこのアホだから!」

 

「そ、そうだぞ皐月、俺の頭が悪いのが悪いんだ!」

 

「いーわよ別に、慰めてくれなくても……。説明は、七歳の子供にも分かるように、が鉄則なのに……」

 

 さらっと小守を七歳児以下だと言っているが、言っている事は間違ってはいない。説明とは小難しい言葉を並べたてる事ではない、それは人を煙に巻こうとしているだけだ。誰でも分かる平易な言葉で理解させる事を説明という。

 

「姫」

 

「なぁに希ちゃん?」

 

「俺、頑張って勉強するわ」

 

「うん、私も協力するね」

 

 人の振り見て我が振り直せを地で行く展開であった。

 

*1
小麦の皮部分




 前半の授業シーンが、規約の「原作の大幅コピー」に引っかからないか心配。
 でもあれがないと、話の繋がりが分からなくなるからなあ……。
 後半は原作にないシーンだから大丈夫だとは思うけど。

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