異世界に転移したらユグドラシルだった件   作:フロストランタン

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精神支配される前のシャルティアのお話です。


#69 悪夢(ナイトメア)

 時間は少し遡る────

 

 夜道を行く馬車の中ではセバスとソリュシャン、シャルティアが座っていた。

 

「あー、イライラするでありんす……っ」

 

 馬車の中で、すこぶる機嫌が悪そうに爪を研ぐシャルティア。彼女の機嫌を斜めにさせている原因はリムルである。鬼事(鬼ごっこ)で圧倒的な実力を示した三人。その中でも、ナザリックを貶すような傲岸不遜な態度を取りながら、最高の美の結晶たるアインズが気を許し、信頼を寄せる謎の()リムル。アインズの正妻の座を狙うシャルティアにとって、極めて面白くない存在である。

 

 アルベドも交えて、あの()とはいずれ三つ巴で正妻を争う事になるだろう、とか考えていたりするが、そんな事は実際には有り得ない。全くもってあり得ないのだが、リムルの本性を知らないシャルティアは対抗心をメラメラと燃やしているのだ。

 

 既に馬車の中はピリピリとした空気が漂っており、ソリュシャンはシャルティアがいつ爆発するかと気を揉んでいた。

 

 そもそも何故こんな状況なのかと言えば、現在情報収集の任務に赴いているのである。現在ソリュシャンは世間知らずでワガママな帝国の大商人の令嬢役、その執事役をセバスが演じ、人間の町に潜入しているのだ。

 

 ソリュシャンが美貌と傍若無人な態度で周りの目を引き、セバスが役立つ見込みのありそうな者と表で繋がるコネクションを構築する切っ掛けを作っていく。

 

 そして裏ではシャルティアが悪意を持って近付いてくる悪党共を、叩いて殴ってじゃんけんぽんして、有用な者を見つけたら従えて裏社会にコネクションを作っていく。武技の使い手が居れば交渉を持ち掛け、ナザリックに拐って来る(招待する)事にもなっている。

 

 因みに無能で使い道もないと判断された悪党については生死を問われていない。殺されても当然というくらいの罪を犯した犯罪者なら、死んだり行方不明になったところで然して気に留める者は居ないのだ。

 

 シャルティアはその任務を絶好のチャンスだと喜んで引き受けた。自分の強さを底上げするヒントがあるかもしれないからだ。他の誰より早く武技を習得することができれば、アインズ様にお褒めいただける。そしてリムルより自分の方が有能であると示すのだ。

 

 シャルティアのその気合いの入れようは、普段侍らせている吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)を連れて来なかった事にも表れていた。色にうつつを抜かしている暇はないという気概は立派だが、そのせいでソリュシャン達がいない間ずっと一人馬車で留守番するハメになり、余計にイライラを募らせたりしているのだが。

 

 そのイライラも、もうすぐ発散する事ができる。既に餌に群がる小悪党は釣り針にかかりつつあった。喉元深くまで針を飲み込むまで、あとわずか。

 

 先程から馬車内の空気をピリつかせているシャルティアの気分をほぐそうと、セバスが世間話でも振るように質問を投げ掛ける。

 

「以前からお聞きしてみたかったのですが、シャルティア様はアウラ様と仲がよろしくない様子。何か理由があるのでしょうか?」

 

「……そうでありんすねぇ」

 

 必要でもないのに爪の手入れをするほど暇を持て余していたシャルティアは、鑢をインベントリにしまい込みながらゆっくりと口を開く。

 

「本気では嫌ってはいないんす。それぞれの創造主から仲が悪いと設定されたからじゃれているだけよ。そもそも、私の創造主であるペロロンチーノ様と、あのチビの創造主ぶくぶく茶釜様は、ご姉弟(きょうだい)でありんすえ?」

 

「おお、そうでしたか。教えていただき、ありがとうございます。そう言えば、ぶくぶく茶釜様は"せいゆう"なる、声を使う演者のようなご職業だとか……大層多くの方を魅了しておられたと聞き及んでおります」

 

 セバスはいつだったか、ギルドメンバーが話題にしていた声優という職業について、正解に近い解釈をしていた。しかしシャルティアもまた本人の語った言葉を元に自分の見解を展開する。

 

「違うと思いんす。ぶくぶく茶釜様は、声を吹き込むことで命を与えると仰っていんした。詰まるところ"せいゆう"とは生命創造系の職業でありんす。ペロロンチーノ様は使()()()()()使()()()()()()()()()()と仰っていんしたが……その職務はきっと途轍もない負担(ペナルティ)があると思いんす」

 

「成る程、大変勉強になりました。ペロロンチーノ様はぶくぶく茶釜様のご負担を普段から憂慮しておられたのですね。仲睦まじいことです」

 

 セバスが美しい姉弟愛ににっこりと微笑む。生命創造系とは随分と夢のある話だが、実際にはその声で世の男性諸氏の()()()()の無駄射ち記録を量産していたとは、二人は夢にも思うまい。弟の彼にとっては使うどころかむしろ萎えるらしいので、使()()()()という点は間違っていないのだが。

 

 二人がそんな勘違いだらけの話を交わしていると、馬車がガタリと揺れて、急に止まる。

 

「ようやくでありんすか」

 

 シャルティアは待ってましたと口角を吊り上げる。御者に雇い入れたザックという男は見た目通り下衆な小悪党で、夜だというのに移動を強行するソリュシャンをお嬢様は格好のカモだと、野盗の仲間にこの馬車を襲わせる算段をしていた。そして生意気なお嬢様の身体を楽しみたい等と言っていたことまで、アサシンの職業(クラス)を持つソリュシャンには全て筒抜けなのである。

 

「あのザックという御者はソリュシャンにいただいても?」

 

「ん~?まぁ、いいでありんしょう」

 

「ありがとうございます、シャルティア様」

 

 光を灯さない濁った瞳で、ドロリと溶けるような不自然で恐ろしい笑顔を浮かべ、邪悪な本性を垣間見せるソリュシャン。彼女もまたナザリックのご多分に洩れず悪の粘体である。相手が楽しみたいというのだから、こちらもこちらでじっくりと楽しませていただこうというわけだ。

 

 彼女はその体に人間をまるごと飲み込み、体内で生成する酸によって徐々に溶かして、生きたまま絶望に喘ぎ苦しみながらドロドロになっていく様を悦ぶ、邪悪な性格である。本当は無垢な者が絶望に喘ぐ姿が最高にソソるのだが、慈悲深い主人アインズは悪人に限って殺害を許すというものであったため、一番のご馳走は我慢している。

 

「シャルティア様、くれぐれも血の狂乱にはお気をつけください」

 

「分かっていんす。うまく抑え込んでみせるわ」

 

《血の狂乱》とは吸血鬼(ヴァンパイア)である彼女が持つペナルティの一つで、血液を浴びることで身体能力にバフがかかるかわりに、敵味方の区別がつかなくなる程に理性が低下してしまうという難点がある。階層守護者の中でも"単騎戦最強"を誇る彼女がそうなってしまえば大惨事は免れない為、セバスはそれを危惧していた。

 

 馬車のドアが外側から乱暴に開かれると、下卑た男達の顔が周囲を取り囲んでいるのが見える。彼らは、シャルティアの顔を見るなりアタリだと小さく感嘆の声を上げた。自分達の手で地獄の扉を開けてしまったとも知らず。

 

 シャルティアの細い白魚のような可憐な指によって先頭の男の首は刎ね飛ばされ、それを契機として始まった恐怖の殺戮ショーに、盗賊たちは為す術もなく蹂躙されてその命を散らしていった。

 

 アジトの情報を聞き出す為に残っていた一人も、最後には首を落とされて絶命した。ソリュシャンは盗賊達の手引きをしていたザックを繁みへと連れ込んでいったが、程なく愉悦に歪んだ笑顔を浮かべ、開いた胸元を整えながら戻ってきた。今は体の中に取り込んでお楽しみ中らしい。

 

「ではシャルティア様、我々はこれで」

 

「ええ、またナザリックで」

 

 セバスとソリュシャンは再び馬車に乗り、去っていった。ここからは二手に別れて行動する手筈である。

 

 早速情報を得た盗賊のアジトへと足を運んだシャルティアは、ふんすと鼻を鳴らして正面から近付いていく。

 

「もし、ソコの」

 

「あ?なんだぁ、嬢ちゃん?」

 

(うおっ極上のべっぴんじゃねぇか)

 

(まだ顔立ちは幼いのに、このたわわな乳!た、堪らんぜ……)

 

 こんな夜に、しかも盗賊が根城にしている洞窟に、黒い夜会用ドレス(ボールガウン)を着込んだ可憐な少女が歩み寄ってくる。そんな事普通に考えればあり得ない。罠や囮を警戒するのが普通なのだが、シャルティアの持つ美貌とたわわな偽物の胸に目を奪われた見張りの男二人は考えるのを止め、ゴクリと喉を鳴らす。自分達の運命も知らず、もしかしたら良い思いができるかも……という下心がムクムクと鎌首をもたげていた。

 

「一応聞くでありんすが、こなたに武技の使い手はおりんせんかえ?」

 

「は?武技?」

 

 いきなり何を聞かれるかと思えば、武技の使い手が居ないかという少女の問いに、キョトンとして顔を見合せる二人。そして、少女が何を考えているのかわからないが、ここに来たのが運の尽きというやつだと、互いに目配せをしてニヤリと笑った。

 

「ああ、いるとも。俺等は使えねーけど、この中にな。良かったら案内してやるぜ?」

 

「そう、ご苦労。でも良いわ。自分で行くから」

 

 男たちはシャルティアの言葉を最後まで聞くことはなかった。既に首を切り飛ばされて絶命していたからだ。首の断面から異様な勢いで飛び出した血潮が、中空で丸い球を形成する。

 

 シャルティアの持つブラッドドリンカーのクラススキル〈鮮血の貯蔵庫(ブラッド・プール)〉。殺害した相手の血液を溜めておき、魔法の強化スキルの消費MPを代替するなど様々な用途に使えるのだが、他にもメリットがある。

 

 こうする事で返り血を直に浴びずにいられるため、血の狂乱を起こさずに済むのだ。ナザリックでは一部にアホの子扱いされているシャルティアとて、何も考えていないわけでは無かった。

 

「♪~」

 

 周辺ではソコソコ名の知れた盗賊団らしいので少し期待していたが、期待通り武技の使い手がいると聞いたシャルティアは鼻唄混じりに中へと入り込んだ。

 

 〈警報(アラーム)〉の魔法が掛けてあったらしく、シャルティアの侵入に気付いた盗賊団は、血を抜かれ干物のように成り果てた仲間の姿を確認し、応戦を始めた。しかし、誰も彼女を傷付けることすら叶わず、絶望的な実力差の前に逃げ惑い、洞窟内はあちこちに断末魔の悲鳴が響く地獄絵図と化し始めた。

 

 盗賊団の用心棒として雇われていたブレイン・アングラウスは、状況報告を聞いて顔に喜色を浮かべた。相手はたった一人の女だと言っていたが、強者には違いない。これまでに磨いてきた剣の腕を試すには絶好の機会と言えた。

 

 彼は以前行われた王国の御前試合にてガゼフ・ストロノーフに敗北、才能があると自惚れていた鼻っ柱を見事に折られて以降、強さを貪欲に求めて戦いに身を投じ続けた。そして血反吐を吐くような鍛練の末に、遂に自分のオリジナル武技を編み出すに至っている。

 

「お前らは奥に引っ込んでろ。俺がいく」

 

 未だ見ぬ強者に胸を高鳴らせつつ、意気揚々と迎撃に向かうブレイン。そして程なく二人が合間見える。

 

「……吸血鬼(ヴァンパイア)か」

 

 ブレインは少女のような可憐な容姿には目を奪われることなく、シャルティアの正体をひと目で見抜いた。赤い瞳と白蝋のような真っ白な肌、口から覗く尖った歯。それらはまさに吸血鬼の特徴そのものなのだから、気付かない方がおかしいのだが、他の盗賊たちは彼女の顔貌の美しさにばかり目が行って、見落としていたのだ。

 

 自分の正体を見抜いた相手に、シャルティアもやっと少しはマシやつが出てきたと内心安堵していた。弱い人間を玩具として弄ぶのは楽しいかと言われればかなり楽しいが、雑魚過ぎて使えないやつばかりでは任務の方が達成できないと少しばかり焦り始めていたのだ。

 

「ぬしは武技を使えるんでありんすかぇ?」

 

「さぁて、どうだろうな?」

 

 ブレインは勝機を見いだそうと目の前のシャルティアを観察する。吸血鬼が驚異的な身体能力と回復力、魅了の魔眼など厄介な能力を持つことはブレインも知っている。本来ならば、正面からまともに挑むべき相手ではないだろう。しかし目の前の吸血鬼はその能力に驕り油断しているようだ。ならば、そこに付け入る隙はあるはずだ。

 

(絶対強者を気取るモンスターめ。人間を侮って油断してやがるな。だがそれが命取りだと教えてやろう。本気を出される前に決着(ケリ)を着けさせてもらうが、悪く思うなよ)

 

 ブレインは刀を鞘に納めたまま深く腰を落とし構える。

 

(武技〈領域〉と〈瞬閃〉を更に昇華させた〈神閃〉。見せてやるぜ、秘剣"虎落笛(もがりぶえ)"を。お前の命と引き換えにな!)

 

 〈領域〉によって半径3メートル以内の全てを知覚し、死角を全て潰す。〈神閃〉は知覚不能な一瞬の刹那に刀を振り抜く超高速の武技。これを組み合わせ、間合いに入った全てを切り刻む、剣の結界とも言うべき空間の形成こそが、ブレインの修行の成果であり真髄である。全ては打倒ガゼフ・ストロノーフの為に磨き、築きあげてきた。

 

 シャルティアは余裕のある笑みを浮かべつつも、男を冷静に観察していた。武器はコキュートスが愛用する斬神刀皇と同系統の物。等級こそ大きく劣り、威圧感も全く比べるべくもないが、脆弱な人間ではこんなものだろうか。

 

 お目当ての武技を使えるかどうか確認しておきたいが、見せる気があるのかどうか。腹芸が得意ではないシャルティアには、言葉のやり取りだけでは判断がつかなかった。

 

(ま、少し追い込んでやれば使う気になるでありんしょう……潰してしまわないように、攻撃はまだよした方がいいでありんしょうか?)

 

「武技を使えるなら早く使う事ね。死んでしまう前に」

 

「ご忠告どうも。……ブレイン・アングラウスだ」

 

「ふぅん……?」

 

「……そっちの名前は?」

 

「ああ、名前が聞きたかったんでありんすね。ま、良いでありんしょう」

 

 武人の精神を持つコキュートスならばその礼に応えてすぐに名乗ったであろうが、そんなものを持ち合わせていないシャルティアは名前を訪ねられてようやく、そういうことかと理解する。

 

 すぐに死んでしまう弱者に名乗る意味があるのか甚だ疑問ではあったが、初めて武技を披露してくれるかも知れない相手だから一応名乗っておくか、という程度の感覚である。

 

「んん、妾、わた、私……。よし……!私の名はシャルティア・ブラッドフォールン。楽しませてくんなましな?」

 

「そうか、ありがとよ」

 

 スカートを摘まんで貴族の令嬢の如く優雅に名乗ったシャルティアに対し、ブレインは礼を述べる。まさか本当に名乗ってくれる事を期待はしていなかった。

 

「では、開始しんす♪」

 

 可憐な笑みのまま、ゆっくりと歩み出すシャルティア。ブレインはその足が自身の領域に入る瞬間を待ち構える。

 

(あと、二歩……一歩……今だ!)

 

 ブレインの抜き放った剣が刹那の瞬間にシャルティアの首筋目掛けて迫り、その細い首を切り落とす。そう思った瞬間であった。

 

(なん、だと……?)

 

 止まった。何故?……指だ。シャルティアのか細い親指と中指が、ブレインの刀をそっと摘まんでいる。たった指二本で、絶対の自信をもって放った一撃が難なく止められ、押しても引いてもびくともしない。ブレインにとっては悪夢のような光景だった。これまでに積み上げてきた修行の成果は何だったのか。強くなれた気がしていたのに。ブレインの自信はあっさりと足下からぐらつき、崩壊する。

 

「バ、バケモノめ……っ」

 

 戦慄しながら喘ぐように絞り出したブレインの言葉に、シャルティアは喜色を浮かべ、可憐な笑みで答える。

 

「ようやく理解して頂けんしたかえ?私は残酷で冷酷で非道で、そいで可憐なバケモノでありんす♪」

 

 圧倒的過ぎる。これ程の差があるだなんて思ってもいなかった。ブレインの心を絶望の二字が占め始め、全身震えだす。と、シャルティアが刀に鑑定魔法をかける。

 

「……やっぱりナマクラでありんすね」

 

「えっ……?」

 

 ガッカリしたようなシャルティアの表情に言葉が返せない。これでも大金をはたいてやっと手に入れた、最高級の名刀なのだ。それをあっさりとナマクラ呼ばわりするとは。細い指からは想像も出来ない程の膂力だけでなく、魔法まで使って見せる吸血鬼の少女は、完全に自分の常識の埒外にいる化物であることは間違いない。

 

「これじゃあせっかくこれから武技とやらを使ってくれたとしても、役に立つかどうかもわかりんせんね……うーん……」

 

 ブレインの動揺を無視して、なにやら思案顔をしている吸血鬼の少女。先程ブレインが武技を使用したことにさえ気付いていない様子だ。

 

「はは、は……そうか、使っていない様に見えたか」

 

「え……?あっ、そそんなわけないでありんしょう?さっきも使っていてくれたんでありんすよね?でもあんなショボいのじゃなくて、もっと他に凄いのをという意味で……おんや?」

 

「ショボ、い……う……」

 

 涙を滲ませて泣き笑いするブレインの顔を見てぎょっとしたのか、それとも気付いていなかった事を誤魔化したいだけのか、シャルティアは白々しくも慰めの言葉をかけるが、何の慰めにもなっていないどころか、傷口に塩を塗り込める行為であった。研鑽に研鑽を重ねて編み出した最高の一刀をショボいの一言で済ませ、あまつさえ気を使うような素振りを見せられる。死に物狂いで努力を重ねた者にとって、これ以上の屈辱はない。

 

「う、うううううぅっ!チクショウ、チクショウ……っ!うああああっ」

 

 刀を手放しその場に泣き崩れるブレインに、呆気にとられるシャルティア。せっかく慰めてやってるのに意味がわからない。彼女には決して悪気は無いのだ。

 

「あ、安心しておくんなまし、武技が使えさえすれば、()()()()のお役に立てるはずでありんすから……」

 

「あら、あら、これは愉快な事になっていますのね」

 

「!?」

 

 シャルティアの目の前に突如姿を現した何か。

 何もないはずの所に色を帯びて浮かび上がるかのように現れたそれは肩の出た黒いドレスを身に纏い、宵闇のような漆黒の髪をツインテールに纏めた若い女だった。長い前髪から覗いた右目は朱い光を宿している。

 

「だ、誰だお前は?」

 

 シャルティアは最初ブレインの仲間かと思ったが、ブレインの態度を見ると彼も知らないらしい。

 

「そうですわね……蜃気楼(ミラージュ)、とでも呼んでくださいまし」

 

 口元に手を当て少し考えてから、育ちの良い令嬢のように流麗かつ丁寧な口調で柔和な微笑みを見せる。普通ならば見惚れてしまうような美しさを備えた女性だが、ブレインは何故だか彼女を目にした時から悪寒を感じていた。

 

 その正体は何か分からないが、彼女を見ていると何故だか恐ろしいもの、まるで悪夢を見ているような気がしてしまうのだ。

 

「ミラージュ……わかりんした。今度は私の番でありんすね。私はシャルティア・ブラッドフォールン。武技の使い手を──」

 

「き、ひ……きひひっ……きひひひひひひ!」

 

 シャルティアは先程のやり取りで人間は名前を知りたがるものだと学んだため、彼女に対しても名乗ったのだが、シャルティアの名を聞いた途端、女の様子が豹変した。

 

 上品で柔和な雰囲気から一転、ゾッとするような狂気的な笑い声を上げて爛々と朱い目を輝かせる。ブレインは女の急変ぶりに底知れない恐怖を感じた。

 

「ああ、ああ、あなたがそうでしたのね。永遠とも思える時間を待ちましたわ、待ち焦がれましたわ!!」

 

 狂気を宿した瞳で狂喜する女の髪色がみるみるうちに変化し、真っ赤に燃える夕陽のような朱に染まる。彼女が足を踏み鳴らしたかと思うと、その足元から禍々しい黒い影のようなものが拡がり始めた。

 

「うおっ!ひっ!?」

 

 ブレインが影に触れた途端、底無しの沼に飲み込まれるように身体が沈み始める。それを見たシャルティアは咄嗟に飛行(フライ)で空中へと浮かび上がることで難を逃れた。

 

「い、嫌だ、嫌だぁぁぁ!ああっ、た助けっ……」

 

 ジタバタともがくブレインは遂に頭まで影に飲み込まれ、最後に突き上げた手が必死に何かにすがろうとしながらも、何も掴めないまま完全に沈んでいった。

 

「これは……タレントとかいうやつ!?」

 

 武技は主に物理系の特殊技術(スキル)のようなものだと聞いていたシャルティアは、魔法のような効果を持つ()()生まれながらの異能(タレント)だと推測した。

 

 と、突然背後に気配を感じて振り返ったシャルティアが見たのは、なんとミラージュだった。

 

(馬鹿な!?たった今目の前に──)

 

 背後を取られるどころか、移動した事にさえ気付かなかった。慌てて距離を取りながら魔法を詠唱する。

 

「〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!」

 

 瞬間、岩をも蒸発させる圧倒的な熱の奔流が吹き荒れる。第九位階に位置するその魔法は単体を対象とする炎系で最高火力を誇る。彼女はその熱に飲まれ、一瞬で骨まで燃え尽きて灰になった。

 

 一瞬ヒヤリとはしたが、終わってみればこんなもの。そう思い、燃え滓となった彼女に背を向けると────

 

「…え?」

 

 振り返った先には、たった今灰になった筈のミラージュが立っていた。混乱しかけた頭で後ろを振り返れば、そこには所々黒く煤けた姿の()()()()がいた。彼女は移動したのでもなんでもない。

 

「今さっき灰になったはず……何故生きている!」

 

「けほっ、けほっ……いきなり魔法をぶつけるだなんて、ヒドイですわ、熱かったですわ!」

 

「あらあら、そんなに警戒しなくても取って食べたり致しませんのに」

 

 同じ顔をした()()()ミラージュは、同じ声でそれぞれに泣きそうな顔で抗議と、焦りを見せたシャルティアを嘲笑うような笑みで言葉を紡いだ。つい今しがた人間を影に飲み込んでおいてよく言うと思いながら、シャルティアはそれには触れるのは止めておいた。

 

()()でありんしたか」

 

 シャルティアも自分と瓜二つの存在を生み出す特殊技術(スキル)を所持しているが、被造物(コンストラクト)を生み出すそれとは違い、色も声も持つ二人を見て、自分のそれとは別物──瓜二つの別人──双子と推測した。

 

「さぁて、それはどうですかしら?」

 

 思わせ振りな態度ではぐらかすミラージュに、シャルティアは苛立ちを感じ始める。自分の方が実力では勝っているはずなのに、相手にペースを狂わされ翻弄されかかっている。まだどうやって灰になった筈の女が無事に済んだのか、そのタネも明かせていない。

 

「せっかくのドレスが台無しですわ。わたくし、怒っていますのよ」

 

「ああ、そちらの()()()()の言葉なら気にしないでくださいまし。それよりわたくしと遊んで下さいませんこと?」

 

 前後から同時に勝手な言葉を投げかけられ、イライラはあっという間に臨界を迎えた。元々深く考えるよりも勘を頼りに動くタイプのシャルティアである。交渉は自分には似合わないと開き直る事にした。

 

「チィィィッ、めんどくせぇ!!」

 

 二人の間に立っていたシャルティアは、その場で瞬時に武装を変更した。

 

 鮮血のように赤い伝説級(レジェンド)の全身鎧に身を包み、手には神話(ゴッズ)級の槍"スポイトランス"を握り締める。本気も本気、全力戦闘の武装である。

 

 一対一ならば苦戦する程の相手ではない。強いとは言っても、恐らくプレアデスよりは、という程度に感じられる。が、それを二人同時に相手取るとなると、流石に武装なしでは無傷とは行かないかも知れない。この二人だけでなく、他にもまだ仲間が居る可能性も考慮に入れ、思い付く限り最善の手段を取る事にしたのだ。

 

 一人を速攻で叩き潰して、もう一人がその場で情報を吐くなら良し、吐かないなら痛め付けてナザリックの拷問官に引き渡す。彼女()は何らかの貴重な情報を持っていそうだ。その予想は概ね正しかった。ある部分を除いては。

 

 シャルティアが特殊技術(スキル)をありったけ込めて清浄投擲槍を創り、MPも消費して必中の効果を上乗せする。

 

「喰らえぇぇ!!」

 

 その手から放たれた神聖属性の槍は、必中効果も相まって凶悪なまでの疾さと威力でミラージュの一人を貫く。大きな孔を開けられた肉体は、派手に血飛沫を上げて地に倒れ伏した。今度こそ手応えあり。シャルティアは勝利を確信した。

 

「んなっ!?」

 

 もう一人を振り返ろうとしたその時、急激に身体が思い通りに動かなくなる。そして目の前ではゆっくりと倒れたミラージュが不自然な動きで体を起こし、撒き散らされた血が戻っていく。まるで時間が逆行するかのように。いや、それは比喩等ではない。しかも……

 

(私まで時間を逆行させられている!?)

 

 自由が利かないと思ったら、自分の動きまで逆からなぞるように戻される。遂には投げつけた清浄投擲槍さえもシャルティアの元へと戻ってきたところで、再び時間が正常に動き出し始めた。

 

 同時に、地に広がっていた影が無数に枝分かれして垂直に伸び上がり、徐々に人型を(かたど)り始めていく。そして──

 

「きっひひひ」

「きひひ……」

「きひひひ」

「きひひひひひひっ」

「さあ、お楽しみはこれからですわ」

 

 流石のシャルティアも驚愕に目を見開く。そこには同じ顔、同じ姿をした無数の────

 

「コイツ、なんなんでありんすかっ!?」

 

 洞窟内を埋め尽くさんばかりに()()したミラージュ。余りにもデタラメな光景に気を取られていると、シャルティアの足下から無数の手が伸び、足に、腕に、肩に頭に絡み付き、動きを封じられる。

 

「さあ、さあ、早く抜け出さなくては、詰んでしまいますわよ?きひひっ」

 

 ミラージュは口を三日月の様に歪ませ、狂気を宿した瞳を輝かせながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 人間(ブレイン)を影に飲み込み、魔法も、清浄投擲槍さえもシャルティアごと時間を逆行して無効化された。清浄投擲槍は強力な特殊技術(スキル)であるため使用回数に制限があるが、相手の能力がそうであるとも限らない。特殊技術(スキル)ではなくタレントによるものであった場合、そのような制限があるかどうかすら不明なのだ。

 

 シャルティア自身の特殊技術(スキル)使用回数も時間の逆行と共に回復しているようだ。しかし、無策で特殊技術(スキル)によるゴリ押しをしようとしても、相手の能力に回数制限がなければ同じことの繰り返しになるだろう。その間にどんどん人数を増やされたら、ますます状況は不利になっていく事は目に見えていた。

 

 それにしても、視界いっぱいに広がる狂気に満ちた顔、顔、顔。シャルティアをして背筋に冷たいものを流れさせる光景は、まるで白昼夢──いや、悪夢のようである。

 

(……くっ、守護者最強の私が完全に押さえ込まれるだなんて……?)

 

 シャルティアは拘束に対する無効化能力も獲得しているにも関わらず、まともに身動きが出来ない。恐らく抜け出した瞬間に新たな別の腕が絡め取る事で、断続的に動きを封じられているのだろう。

 

(まずい、このままでは……)

 

 シャルティアの脳裏に敗北の二字が過ったその時、無事に帰ってきてくれとのアインズの言葉が鮮烈に甦る。そうだ、御方が帰りを待ってくださっている。このままこんなところでやられてたまるものか。シャルティアは纏わりつく無数の腕を必死に振り払おうとするが、数が多すぎて、払っても払ってもきりがない。

 

「う……がああああっ!!〈不浄衝撃盾〉!〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉!」

 

 手の内を晒してしまうのは危険ではあるが、衝撃を発生させる特殊技術(スキル)でまとめて拘束する腕を振り払い、シャルティアはその一瞬の隙を逃さず転移した。

 

あの女(リムル)が言っていた通りだった!あんなデタラメな化け物が本当に居るだなんて……っ!)

 

「クソがッ!……撤退だ!とにかくアインズ様にご報告を──」

 

 ろくに成果をあげられないままのシャルティアは、目から血を吹き出しそうな程の屈辱に歯噛みしながら、撤退を決断した。

 

 いつの間にか洞窟に近付いていた複数の人間にまみえるが、今はゆっくりと構っている余裕はない。「推定吸血鬼(ヴァンパイア)!」と大声で叫ばれると同時、連中に〈力場爆裂(フォース・エクスプロージョン)〉を叩き込む。人間達は抵抗する間もなく、周囲に爆散した。

 

(これで目撃者は居ないハズ。……あの女を除けば)

 

 直接ナザリックに転移するのは追跡される可能性もあるため、一旦森へと逃げ込み、追っ手を撒いてから転移した方が良いだろう。まさかそんな慎重な撤退行動を自分が取る日が来るとは思っていなかったが、追っ手はまだ見えず、どうやら無事に帰還出来そうな事に安堵する。

 

 しかし逃げた先で不幸な遭遇が待っている事を、シャルティアはこの時まだ知らなかった。

 

 

 

 

 

「やれやれ……ようやく見つけたぞ」

 

 洞窟内に残っていた彼女に背後から男の声がかけられ、ミラージュはその声に慌てる素振りもなくゆっくりと振り返った。

 

「招かれざる客が来てしまいましたわね……。わたくし、今少し疲れていますの。貴方のお相手はまた今度に致しますわ」

 

「……逃がすと思うか?」

 

「あらあら、わたくしを一度でも捕まえられた事がありまして?それに、エ・ランテルで面白いことが起きそうですわよ」

 

 そう言って不適に笑みを浮かべたミラージュの姿が透け始め、あっという間に完全に見えなくなる。不可視化ではなく、儚い蜃気楼の如く忽然と姿を消してしまったのだ。最初からそこには誰も居なかったかのように。

 

「チッ……まあいい。誰と戦って(あそんで)いたか知らんが、それなりに力を消耗したなら暫くは大人しくしているだろう。……エ・ランテルか……」

 

 残された男は一人納得するように呟きを溢す。そして面倒くさそうに溜め息を一つ吐くと、洞窟を後にした。




シャルティアはこの後、原作と同じように謎の武装集団に出会ってしまいます。
蜃気楼(ミラージュ)はオリジナルキャラです。とある人物にそっくりな顔をしています。その正体はまだ不明です。

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