異世界に転移したらユグドラシルだった件 作:フロストランタン
「…………」
アインズの執務室。大きな机の前に腰掛けたアインズは、肘を机について両手を組み合わせ、口元を隠すような姿勢で押し黙っている。
如何にも支配者然とした厳粛な雰囲気を纏い、深い思案に耽っているように見える主人の邪魔をしないよう、今日の「アインズ様当番」となった一般メイドのフォアイルは、気合いの入った表情のまま身じろぎひとつせず部屋の隅に控えている。
アインズに提案された休日制度に対して一般メイド達は一致団結し、「どうか至高の御方のために働くという生き甲斐を取り上げないで下さい」と直談判していた。
結果として休日制度は取り入れられることになったが、その代わりに丸1日〝至高の御方付き〟として身の回りのお世話や雑用をこなす仕事を、当番制で行う事が決まったのだ。
当番の前日は休日とし、1日体を休めて英気を養い、翌日の当番を万全の状態で迎える。一般メイド達からの評判は上々で、皆二人の御方の当番が回ってくる日を指折り数えては楽しみにしている。
365日毎日勤務というブラック過ぎるメイド達の職場環境を良くしようというアインズの計画は、どうにか20日に一回程度のペースで休日を取らせるところまで成功していた。およそ三週間に1日のペースだが、休日ゼロという状況と比すれば、大きな進歩と言えよう。
(まだまだブラック過ぎだけどな……せめて週1日に増やせる妙案はないか……)
「ふむ……」
静謐な空気が漂う執務室で、アインズは何度目かになる溜め息をつきたい衝動を、それとはわからないよう誤魔化しながら声を発した。
アインズは今、頭を抱えて床を転げ回りたい程に悩んでいた。
シャルティアへの聞き取りはリムルとディアブロも同席し、その後に彼らの考察も交えて話し合い、貴重な情報や意見を得ることができた。それらの情報をを踏まえた上でナザリックの今後の方針をどうするべきか、一人悩んでいるのだ。
既にぶくぶく茶釜がナザリックに帰還してから、数日が経過している。その間
リムルはシャルティアの聞き取りが終わったあと、何かを思い出したように再び外出すると言い出した。
現在バハルス帝国の皇帝の居城に招かれていると聞いたときには、どうやったら数日でそんなコネが作れるのかと驚いた。経緯を訊ねれば、ヒナタが闘技場で一躍有名になり、彼女の実力に目をつけた皇帝から、直々に兵士の教育を頼まれたのだという。
ヒナタがその依頼を受け、その間リムルとミリムは帝国の学園に生徒として通う事になったという。おおかた学園青春物の雰囲気を満喫しようという目論みなのだろう。人が悩んでいるときにいい気なものだが、止める気にはならなかった。ミリムを一人で学園の生徒として通わせることには一抹どころではない不安を感じる。
(アイツら……本当に大丈夫なんだろうな?)
二人ともその気になれば大国をも1日とかからず灰塵と化す事ができる〝魔王〟なのだ。
中でもミリムの二つ名は〝
(最低でも学校一つくらいなら一瞬だぞ?)
彼女をその気にさせてしまったら学校どころか帝都まるごと、秒とかからず消し飛ぶことだろう。幸いなことに皇帝は頭の切れる男らしいので、客として招いた相手にそうそうおかしな奴を近付けさせはしないと思いたい。
(二人の正体を知ったら皇帝はどんな反応をするか……辛労でハゲたりしてな……。『賢さは時に幸福を逃がす』とはソフォクレスだったか?)
中途半端に賢い者は、他の人が知らずに過ごしている「知らなきゃよかった」と思うような不幸の種を発見してしまいがちだと教わった気がする。二人の〝魔王〟という巨大な核弾頭を城に招いていただなんて知ったら、優秀でイケメンだとかいう皇帝はどんな顔をするだろうか。
(まぁ、リムルが止めてくれることを祈るしかないな。……頼むからナザリックは巻き込まないでくれよ)
ミリムの相手はリムルに丸投げし、余計な心配事は思考の外に追いやる。今考えなければならないことに頭を切り替えなければ。
(茶釜さんがナザリックに来てくれて、ナザリックの皆も彼女を受け入れてくれた。それは喜ばしい事なんだけど……今後この世界の人間達とはどう接していくべきか。それが今後の課題の一つだな。リムルのように共存共栄を目指すべきか?でもなぁ……)
皆ギルドメンバーが人間だと知って尚、アインズに忠誠を捧げてくれている。アインズが望めば、それを実現せんと行動してくれることだろう。
だがそれ故に、もしアインズが舵切りを誤った場合、皆を
リムルもかつて自分の甘い采配のせいで、人間に部下を殺されしまった事があると言っていた。ナザリックの大切な部下達を、友人の子供のような存在をそんな目に遭わせてしまうかも知れないと思うと、自分が支配者をやっていていいのだろうかと不安になる。
この世界に於いて、異形の集団である『アインズ・ウール・ゴウン』が人間種と共存を目指す事は、決して生易しい道のりではないだろう。ユグドラシル時代にも、たかがゲームとはいえ、異形種プレイヤーを毛嫌いする人間種プレイヤーは多かったのだ。
カルネ村や陽光聖典とはたまたま友好的?な関係を築く事が出来たが、他の人間達もそうとは限らない。特にスレイン法国の掲げる理念は、ナザリックとは相容れないように思えた。
相手の出方によっては対話も選択肢に入れるべきだろうか。もし敵対されても簡単に負けるとは思わないが、プレイヤーの影が見え隠れするのがどうも気にかかる。シャルティアが会った他にも世界級アイテム所持者が居ないとも限らない。
(ついこの間まで平のサラリーマンだったんだぞ?いきなり上手く回していけるわけが……。いや、しっかりしろ!責任者は俺なんだ!皆が俺の決断を待ってる。俺が決めなきゃ……)
アインズは投げ出してしまいそうになる自分を叱咤し、気合いを入れ直す。方向性さえ決まれば、その方向に向かうための様々な知恵や手練手管は部下達に頼りながらやっていけるだろうが、方針策定は他ならぬ最高責任者のアインズが決めなければならない。これだけは誰にも任せるわけにはいかないのだ。
この方針の如何によって、ナザリックの未来像は大きく左右されるのだ。無い頭でも振り絞って、精一杯考え抜かなければ、信じてついてきてくれる彼らに面目が立たない。
(でもどうしよう、俺個人としては現地人とは仲良くしたいというほどでもないんだよなぁ。ナザリックさえ無事で平穏に過ごせれば、その他はそんなに重要じゃないっていうか……)
生死反転によって肉体は人に戻る事が出来るようになったものの、現地人に対して親近感が持てるようになったかと問われれば、それを肯定する事には首を傾げたくなる。
もちろんガゼフ・ストロノーフのような、個人レベルで好感を抱いた例はある。しかしもっと多くの、人間国家だとか人間種族だとかいう大きな括りとして見た場合、まるでピンと来なくなってしまう。
死の支配者として転移した事は、肉体だけでなく精神にも影響があった事は明白。そのせいで以前よりも人間への関心が薄くなっているのかも知れない。
(……いや、元々リアルでサラリーマンとして暮らしていた頃からそんなだった気もするな。ギルドの仲間に対する親愛の情が薄れたようには感じないが、顔も知らない、話したこともない人が死んでも、他人事としか思わない。ただ、彼女は……)
自分はどちらかと言えばドライな人間なのだろう。知りもしない他人の不幸に胸を痛めるような良心は持ち合わせていない。だがぶくぶく茶釜はどうだろうか。
気さくで自分よりずっと人情家に思える彼女は、現地の人間とも仲良くしたいかも知れないし、人間同士で全く交流が無くては、もの寂しいと感じるかも知れない。
そう考えると、出来るだけ周辺とも穏便に、できれば異形だけでなく人間とも共存していけた方が望ましいだろうとは思う。
折角
(一つずつ考えていこう。まずは安全を確保して、平穏に暮らせる環境は必要だよな)
この世界はリアルとは違い美しい自然に溢れる世界だ。しかし、人間の生存を脅かす存在も多数存在している。ナザリックに籠っていれば安全かもしれないが、ずっとそのままで居られるとは思えない。
(狭い世界に籠っていては駄目だ。茶釜さんには不自由とか窮屈な思いはさせたくない。出来る限り要望を聞いて叶えていかないとな。衣食住には困らないだろうから良いとして、交友関係とかは重要だな。カルネ村の住人なら受け入れてくれるかな。あとは……恋愛や結婚とかか……?やっぱり相手は人間、がいいよなぁ……)
例の御曹司との事は何も聞いてはいないが、やはり彼女も相手に何らかの期待があったから誘いに応じたはずだとアインズは考えていた。彼女が自分の気を引こうとしていた事など気づきもしていない。
ナザリック地下大墳墓の配下で人間は一人だけ居るが、それは女性。彼女が同性愛者でなければ結婚とかそういった相手にはなり得ない。アインズ自身も半分アンデッドのようなもので、生死反転した状態でも人間と言えるかどうか。
(いや、なにさりげなく自分を選択肢に入れてるんだよっ!?俺が茶釜さんと結婚なんて、考えるだけ無駄……結婚か……)
自分とは縁遠い。そんな未知の事柄をどうやって支援すればよいのか。もし彼女が現地人の誰かと結婚するなんて言い出したら、心から祝福出来るだろうか。あの時のように、友人として背中を押してあげられるのか。自問しては懊悩する。
(……こればかりは、その時になってみないと分からないな……。待てよ、しょうもない男だったら止めるのも友人としての務めか?……そうだよな、うん)
決して嫉妬心からではなく、友人の幸せを願うがゆえに止めるだけだ。そう自己弁護するが、自分の中の理性とは違う部分が何かを訴えている気がする。
(もし茶釜さんがその相手と幸せになってくれればそれで……それで……俺は……)
何とも名状しがたい痛みが、アインズの胸の奥をジワジワと焦がす。ありもしない余計な期待を抱くのも、つまらない嫉妬をするのも、ただ不毛なだけだと思っていたはずなのに。
「ふ……」
アインズは自分の女々しい考えを嘲笑う。
(どうしろって言うんだよ。俺なんかじゃ、とても釣り合わないだろ)
手を伸ばしても決して届くことのない、夜空の星達と同じだ。誰もが憧れ好感を抱く人気声優と、冴えない小卒のサラリーマンでは釣り合うはずがない。アインズは溢れかけた想いに蓋をして、無理矢理に思考を切り替える。
(さて、結婚はさておき、現地人との関係だな。懸念材料と言えば……)
「スレイン法国……だな」
アインズの胸中にジワリと仄暗い感情が沸き上がる。シャルティアから聞いた精神支配を仕掛けて来た連中の特徴をニグンに伝えて確認したところ、恐らく法国の特殊部隊の一つ『漆黒聖典』ではないかという答えが返ってきていた。
何があったのか具体的には語らなかったが、アインズの不穏な反応を見て察したのだろう、ニグンは地面に頭を擦り付けるように平伏し、人類を見捨てないで欲しいと懇願してきた。
身勝手な話だ。これまで散々他種族を排斥し、殺してきただろうに。それが掌を返すように異形である自分達に救いを求めすり寄って来ようとする。それほどまでに人間は弱いのか。だがニグンに応えはしていない。方針が定まらないうちは法国への対応もどうなるかわからないからだ。
精神支配の件は、客観的に考えればシャルティアにも瑕疵はあったように思う。だがそれでもシャルティアの苦しみを思えば、奴等を簡単に許す気にはなれなかった。何らかの形で実行犯には報いを受けてもらわなければ気が済まない。
だが懸念すべき事はそれだけではない。王国の北側に隣接する『アーグランド評議国』には、
アーグランド評議国とスレイン法国とは互いに不干渉を貫いているものの、決して友好的とは言えないとニグンから聞いていた。法国は評議国を刺激しないように気を遣っているものの、何かの切っ掛けで戦端が開かれるかも知れないのだ。もし両国の間に戦端が開かれれば、間に挟まれた王国、そしてナザリックの立地を考えると、対岸の火事で済むとは思えない。
アインズが法国だけでなく評議国を警戒するのには理由がある。ドラゴンという種族はユグドラシルに於いてもかなり優遇された種族であり、ワールドエネミーにも選ばれているのだ。プレイヤーが選択することは出来ない種族だが、もし選べたとしたら〝公式チート〟と認定される事請け合いだった。
そんなドラゴンの長達が複数居るという評議国の実力は、恐らくプレイヤーを除けば現地最強の勢力だろう。五百年前に現れた八欲王と呼ばれるプレイヤーとおぼしき存在と、当時の竜王達は熾烈な闘争を繰り広げたという。
アインズは八欲王の正体には心当たりがあった。ユグドラシルのギルドランクが『アインズ・ウール・ゴウン』よりも上位のギルドだ。八欲王が天空に浮かぶ城を拠点にしていた事から、そうではないかという想像でしかないが、可能性は高い。
そんなプレイヤー達と渡り合った竜王達がナザリックの敵に回った場合、極めて厄介と言わざるを得ないだろう。相手の実力も腹の底も知れないうちに安心など出来るはずもなかった。
ぶくぶく茶釜の事を思えば、さっさと法国との落とし所を模索し、周辺国家と友好を築く努力をすべきかもしれない。だが、ナザリックがプレイヤーが作った法国や人間に肩入れしていると評議国側が認識した場合、どのようなスタンスを取ってくるのか。敵対という可能性、或いは最悪法国ともこじれて両面戦となりはしないだろうか。
もうしばらくの間、このまま冒険者モモンとして人間社会の中に紛れ、情報を集めることに時間をかけるべきかもしれない。しかしそれにも問題が無いわけではなかった。
例のミラージュとか言う女だ。見た目がぶくぶく茶釜と瓜二つな理由は不明だが、少なくともシャルティアと渡り合えるような存在が王国内で確認された以上、警戒しないわけにはいかない。敵か味方か、後ろ楯となる勢力の有無も判然とせず、個人単位で見た場合に現在最も危険な個と言える。彼女にもし出くわしてしまったときの対処も決めておかなければならない。
(考えていた以上に、潜んでいた危険が多かったな。呑気に冒険者やってる場合じゃなかったか……?いや、でもなぁ……)
無数の地雷が埋まった大地を何も知らずに闊歩していたかのような迂闊さに、今更ながら背筋が寒くなる思いがする。
しかし、情報が欠如していたあの時点で他に情報収集する良い手立ては思い浮かばなかったし、実際悪くはなかったはずだ。ナーベラルも少しだけ人間に対する侮蔑の色が薄れたようにも思えるし、一部の現地民とコネクションだって築く事が出来た。
(もう暫くの間はモモンとして冒険者の仕事をこなしつつ、地道な情報収集を続けるべきか。アインズ・ウール・ゴウンとしては……)
エ・ランテルの冒険者達はアインズをどう思っただろうか。アインズが残りの報酬を渡しに組合を訪れた時には、居合わせた冒険者達は誰も話し掛けてこようとはせず、遠巻きに遠慮がちな視線を感じた。
(多分あれ、怖がられてたよな。パンドラが圧迫面接みたいな事もやっちゃったし、無理もないか……)
もちろん、冒険者組合長のアインザックや魔術師組合のラケシルなど、一部の者達は笑顔で接してくれたが、やはりモモンとして接する時とは何か違った気がする。モモンの時には兜越しにちゃんと目が合った気がした受付嬢も、アインズとは全く視線を合わせてくれなかった。
(まさかアインズになっても女性に避けられるとは……。
モモンの名声はうなぎ登りだが、アインズの評価は……気にはなるが聞きたくない気もする。ユグドラシル仲間と共に築き上げた名は主に悪名だったが、この世界でも悪名が轟いてしまうのだろうか……。いや、それならまだマシかも知れない。
リアルでも異性に避けられる事が多かった自分がその名を名乗っているせいで、アインズ・ウール・ゴウンの評判が「モテないオッサン」なんて変なものになったら、ギルドのメンバーに申し訳が立たない。
過去のトラウマ達が生々しく脳裏に甦りながら、急き立ててくるようだ。
(くっ……何か手を打たないと……でもどうすればいいんだ?たっちさんがいればなぁ……)
勝ち組でリア充の友人を思い浮かべつつ、少しはモテる人物を取り繕ってみようかと思ったが、具体的に何をどうすればモテる男を演じられるのか、モテた経験のない自分にはさっぱりわからない。そもそもどうして避けられてきたのか、理由さえ分からないのだ。
(顔、か……?顔なのか?いや、立ち振舞い?)
自分ではなかなかこういうことには気付けないので誰かに意見を聞きたいところだ。だがしかし────
(そんなの一体誰に聞けばいいんだ……?)
ナザリックのシモベに聞いたところで、返ってくる応えなど想像がついてしまう。一応控えているフォアイルに聞いてみようかと一瞬考えたが、女性にそんなことを訊くのはセクハラになるのではと気付き、思いとどまる。
(じゃあやっぱりセバスやデミウルゴスか?アイツらなら如何にもモテそうだし────)
アインズの思考がおかしな方向に行き始めたその時、執務室の扉がノックされ、フォアイルが扉へと向かう。
「アインズ様、ぶくぶく茶釜様がおみえです」
「もうそんな時間か……また後でゆっくり考えるとしよう」
アインズは一旦悩むのをやめて立ち上がり、来訪したぶくぶく茶釜を出迎えた。モコモコしたファーのついたフード付きコートに身を包み、手にはミトンを嵌め込んでいる。ユグドラシルでアウラとマーレを着せ替え人形にしていただけあって、様々な衣装を大量に溜め込んでいるようだ。
特に寒くもない室内だというのに、まるで雪山にでも登るのかという出で立ちの彼女。だが、彼女の選択は正しい。これから行くのは人間では耐えられない寒さなのだから。
「防寒対策は大丈夫そうですね。じゃあ、行きましょうか」
(あっ、な、なんか出そう……。あ………あっあっあっ、待って、モンちゃん、まだ心の準備がっ!)
「さぁ茶釜さん、ここからが本番ですよ。……アルベドよ」
「はい」
緊張に身を固くしたぶくぶく茶釜を尻目に、アインズは医療用メスを要求する時の外科医のように冷静な態度で手を出し、アルベドから
そしてそれとほぼ同時に────
ゴシャッ
いや、ゴパァッ だろうか。
飛んできた何かが、勢いよく壁にブチ当たって粉々に砕け散る。飛んできたその方向には、黒い喪服のような装いの女が立っていた。
奥で椅子にかけて無言で揺りかごを揺すっていた女が、突然揺りかごに寝かされていた
「私の子わたしのこわたしのこわたしのこぉ!お前お前お前お前お前おまええぇ!私のこどもこどもこどもを拐ったなさらったなさらったなあああぁぁ!!」
狂乱した喪服の女が顔を覆う長い黒髪を振り乱しながら、とんでもない歩幅になるような走り方で、疾風の如く迫る。
(オギャアアァァ!!?)
猛烈な勢いで迫る喪服女。まるでホラー映画のワンシーンだ。長い前髪から覗く女の顔には唇も皮膚もなく、ぶくぶく茶釜の感覚からすれば衝撃の顔貌であった。
「ほら、お前の子供はここだぞ」
間近に迫った女が鋏を振り上げたその時、瞼のない剥き出しの瞳が、アインズに差し出された
「お、おおおおお」
先程までの怒りと殺意に満ちたような空気が霧散し、女の雰囲気が変わる。彼女はゆっくりと差し出されたカリカチュアを受け取り、愛おしげに胸に抱き締めた。もう二度と我が子を離さない。そんな愛情が溢れる、感動的な母の抱擁…………のハズなのだが、抱き締めているのはあくまでも
「マー……レ?」
アウラが黙りこくっている弟の様子を確かめようと後ろを振り替えり、心配げな眼差しが一瞬でジト目に変わる。
ぶくぶく茶釜は生まれたての小鹿のように膝をガクガクと
そんな彼女にガッチリとしがみつかれたマーレは、頬を上気させながら恍惚の表情を浮かべていた。
「マーレェ!」
「ふぇ?あ、お姉ちゃん……」
眉を吊り上げて窘めるアウラの声に、マーレも夢見心地から正気に戻り。そして姉の小言を受ける。守護者がそんな気を抜いてどうするの、と叱るアウラに、相変わらず頭が上がらない。
まぁまぁ、と手振りでぶくぶく茶釜が割って入り、アウラも矛を納める。
主人の弱々しいところを目の当たりにしても、しかし彼女の被造物であり守護者の二人はとても嬉しそうに満面の笑顔を浮かべる。
至高の御方が弱くとも関係ない。二人にとって、彼女の傍に居られるだけで幸せなのだ。ほんの些細な事でも役に立てる事が、嬉しくて仕方ないようだ。
彼女らの微笑ましい光景を眺め、どうやら心配は無さそうだとアインズも笑みを溢した。
「アインズ様、ぶくぶく茶釜様、ようこそ御越しくださいました」
人形を揺り篭へと寝かせた女が声をかけてくる。
「元気そうだな、ニグレド」
そう、喪服の女の名はニグレド。タブラ・スマラグディナが作成したNPCの一人で、設定上ではアルベドの姉である。
探知系に特化した最高水準の
(タブラさん、濃ゆい人だったからなぁ……ていうかコレの為にどんだけ課金したんだ?)
悪い人ではないし、話せば賢く真面な人なのだが、突っ込んだことを聞いて掘り下げていくと何処までも濃ゆく深みのある、凝り性な人間性を思い出していた。
ニグレドの部屋には、タブラ・スマラグディナの手によって、
態々大量課金してまで自動湧きしないモンスターをこんなにも配置するこだわりようはロールプレイに重きを置くプレイヤーならではと言える。お陰で腐肉赤子達の鳴き声が
そんな中にあってもアインズは平静な態度を崩さない。一見ホラー耐性は強いように見えるが、それはゲーム時代に一度体験しているからで、現在密かに発動させている精神鎮静化のお陰でもある。そうでなければ悲鳴を上げてしまったかも知れない。
「姉さん、その、ぶくぶく茶釜様はこういった雰囲気は苦手とされているそうで……」
「まぁ、それは申し訳ありません。ですが、これだけは……」
申し訳なさそうな声で謝るニグレド。ぶくぶく茶釜には申し訳なく思いつつも、タブラ・スマラグディナに定められた事を反故にする事には抵抗があるようだ。
気にしないでとぶくぶく茶釜は手を振って答えたが、その表情は思い切りひきつっていた。ニグレドが長い前髪をかき分けて、隠れていた顔を見せる。顔が隠れたままでは失礼だとの考えだろうが、今のぶくぶく茶釜には刺激が強かったようだ。肩をビクッっとさせて驚いていた。
「しかしその、なんだな。やはり姉妹だな。よく似ている」
「えっ?そ、そうでしょうか?」
(突進してくるときの鬼気迫るような感じがホントそっくりだよ……)
アインズがちょっと失礼な事を考えている事には気付かず、少し戸惑うような仕草を見せるアルベド。ニグレドは優しい微笑みを浮かべてそんな妹を見ていた。とはいっても彼女に顔の皮膚はないので表情筋の動きからの予想だが。
(モンちゃんはこういうの平気なんだ……。でも………モンちゃんの美的感覚って一体……?)
ニグレドは確かに一つ一つのパーツをとって見れば綺麗なのだが、顔に皮が張っていないし唇もない。真珠のような歯も、煌めく瞳も眼球が剥き出しなので、全体の印象としてはグロテスクで怖い。涼しい顔をしたアインズをちょっとカッコいいと思いつつ、同時にアルベドと似ていると言う彼の美的感覚はどうなっているのかと心配になった。
(ふふ、茶釜さんも何だかんだでやっぱり女の子なんだな……。まぁ、俺も初見の時は思いっきり悲鳴を上げちゃったんだけど……)
ユグドラシル時代、新しいキャラクターを作成したと案内され、一緒に居たメンバーと共に悲鳴を上げながら攻撃をしかけたのは懐かしい思い出だ。その辺りの事はニグレドも覚えているんだろうか。少しの気恥ずかしさと、申し訳ない気持ちが交錯する。
「あー、ぶくぶく茶釜さんとこうして会うのは初めてだったな。彼女は見ての通り人間の姿そのままなのだが、嫌悪を感じたり、自分より弱い者に仕える事を不服に思ったりはしないのか?」
「とんでも御座いません。御方々がどのような種族であるかとか、強いかどうかということは私の忠誠に影響しませんわ。むしろ……このような事を考えるのは不敬かもしれませんが、ぶくぶく茶釜様のような可愛らしいお方でしたら大歓迎です」
親指を立て、嬉しそうな声で答えるニグレド。親しみを持ちやすいようにと茶目っ気を少し出してくれたのだろうか。あのホラー映画のようなやり取りを除けば、普段は真面なのだ。
〝ギャップ萌え〟の要素を強く押し出したのがアルベドなら、その姉ニグレドはホラー愛好家というタブラ・スマラグディナの側面を体現した存在と言えよう。
そんな彼女はナザリックでは珍しく善寄りのカルマの持ち主で、しかも子供好き。メイド長のペストーニャと合わせて〝ナザリックの良心〟と言えよう。ぶくぶく茶釜が子供かは置いておいて、人間だからといって抵抗を感じることは無いようだ。
「マーレ様とアウラ様も、また是非遊びにいらしてくださいね」
ニグレドの表情はわかりづらいが、にこやかな笑顔を浮かべているであろう事は声色からもわかる。
「うん。また来るね」
「あ、はい……」
ニグレドに笑顔で答えるアウラと、その姉に追従するマーレ。ぶくぶく茶釜も俯き加減で親指を立てつつ、目は泳ぎまくっていた。
(茶釜さん、全然大丈夫じゃなさそうだけど……。必要なときはまた俺も付き添うようにするか)
アインズはニグレドに一つ依頼をしながら、そんなことを思っていた。
「さて、では私はいくとしよう。……茶釜さん、少し早いですが、食事にしましょうか」
アインズの提案に、彼女は目を輝かせて頷いた。
現在ぶくぶく茶釜はナザリック地下大墳墓の各所を巡り、シモベ達に挨拶をしているところだ。既に彼女が帰還を果たしてから1週間程経過している。ナザリック地下大墳墓は広大で、まだまだ回りきれていないところは多い。
(茶釜さんは平気なのか。普段から慣れてるのかな……)
彼女にはアウラとマーレ、二人が傍に居られないときはアルベドが必ず付き添うようにしている。更には〝至高の御方付き〟の一般メイド、廊下を歩く際には儀仗兵まで一緒について回るのだ。
彼女が歩くとその後ろはまるで大名行列と化してしまう状態だった。アインズも転移して間もない頃に経験したそれであるが、一日で根を上げた。
彼女の精神的負担を考えれば、ナザリック内ではあまり大人数にならないようにしたかったが、流石にそうすると儀仗兵の出番がまるでない。仕事が全くないのも可哀想なので、一先ずは彼らのさせたいようにさせて様子を見ようと思っていたのだが、ぶくぶく茶釜が気にするようなそぶりは見受けられない。一般人の自分とは違い、彼女ほどの人気声優にもなれば、SPみたいなのがついて回る事にも馴れているということなのか。
(俺なんかとはものが違うなぁ。……俺も頑張らなきゃ!)
自分もまたナザリックのシモベ達が仕えるに相応しい支配者になるべく、支配者らしい振る舞いや所作について研鑽しているが、まだまだ及第点とは言えないだろう。
アインズが握りこぶしを作って内心で決意を新たにしているその背中に、ぶくぶく茶釜から熱を帯びた視線を向けられていたのだが、それには全く気付いてはいなかった。
アレコレ悩むアインズ様ですが、結局まだ方針は打ち出せていません。
学園生活はまたいずれ書けたらと思っていますが、まずは新章に入っていこうと思います。