異世界に転移したらユグドラシルだった件 作:フロストランタン
「お前は……!」
部屋の扉を開けて姿を現した男を、蒼の薔薇は驚きを持って迎えた。直接顔を合わせるのは初めてのことだが、巌を思わせるガガーラン以上に武骨な体躯を持つ男は、王国内で────特に裏社会では────有名な男であった。
「ゼロ!」
部屋は瞬時に異様な緊迫感に包まれる。最高位冒険者である蒼の薔薇の面々にとっても、それほどに危険な相手であった。
ゼロ。〝闘鬼〟の2つ名を持つ、犯罪結社八本指の警備部門の長であり、自身を頂点とした〝六腕〟という精鋭集団を結成している男だ。
六腕は一人一人がアダマンタイト級冒険者に匹敵する実力者と言われており、中には人外の存在までもが構成員と噂される、実質王国の裏社会最強の武力集団だ。
その六腕の中でも、ゼロは一線を隔す実力者だった。己の肉体を武器にも防具にもする
そして、そんな八本指の幹部であるゼロが接触してくる理由など、決して良いものであるはずがない。
「……どうやら自己紹介の必要は無さそうだな」
感情を見せず淡々と言葉を吐いたゼロに、ラキュースは渋面を浮かべる。安易に素性も知れない相手の呼び出しに乗ってしまった事を悔いるべきか、それとも、メンバー全員が揃っていることを幸運と思うべきか。
しかし更にラキュース達にとって予想外の衝撃が、ゼロの後ろに続いて姿を現した男によって齎される。それは、此処に直接現れる事など決してありえないはずの人物だった。
「レ、レエブン侯……!」
エリアス・ブラント・デイル・レエブン。
随所に煌びやかな宝石をあしらい、王への謁見にもそのまま臨めるような見事なダブレットを完璧に着こなすその男こそ、王国六大貴族の中でも最大の権勢を持つ大貴族である。
名実ともに絵に描いたような上位貴族ではあるが、正直、余り良い噂を耳にしない。貴族派閥の筆頭でありながら、利益を求めて王派閥と貴族派閥の間を行き来しする〝蝙蝠のような男〟というのが、専らの噂である。
痩身長駆で肌の血色は悪く、後ろへ撫で付けた髪は、四十手前という実年齢以上に老けて老獪な印象を見る者に与える。怜悧な知性を覗かせる鋭い切れ長の目は、まるで蛇を思わせる。
彼がこの場に、しかも八本指を連れて現れた理由は何か。ラキュースは最悪の事態を想像する。
もしも、王国随一の大貴族と八本指とが手を結んだとすれば、これは非常に由々しき事態である。巨大な犯罪組織だけでなく、王国随一の権力者を敵に回す事になるのだから。ラナーは王女とはいえ、権力の中枢とは遠いところにいる。本腰を入れた大貴族を相手に、まともに対抗出来る力など皆無といえよう。
(どこまで掌握されているのかは……考えるまでもないわね)
レエブン侯自らがこうして姿を見せるということは、既に自分達の優位は揺るぎないという確信があるのだろう。ラナーと蒼の薔薇の繋がりや動向についても、既に掌握済みと考えるべきだ。
「蒼の薔薇の皆さん、誤解を招くような接触手段を取ってしまい申し訳ありません。ですが、此方も事情がありまして。ひとまず私はあなた方の敵ではないと認識頂きたい」
レエブン侯は淡々とラキュースに告げた。敵意に近い不審感を露にされても、眉一つ動かさない度胸は流石と言わざるを得ないが、彼の言葉を信用して良いかは別の話だ。ラキュースは隠しきれない動揺を浮かべつつも、様々な展開を想定し始める。
(たとえ今戦闘になっても、数的有利は此方にある)
ゼロは一筋縄ではいかないだろうが、このメンバーなら倒すことも難しくはないだろう。しかし、大貴族であるレエブンと明確に敵対する事になる。それはラキュース達だけの問題ではなく、所属する王都の冒険者組合やラナーにも、今後何らかの形で大きな不都合が生じる可能性が高いということだ。
「俺は八本指を抜けて、この人の下に付く」
「……!?」
ゼロの言葉にラキュースは眉を動かした。裏社会に生きてきた人間が、無事に組織を抜ける事はまずあり得ないからだ。何故なら、足抜けや逃亡は裏切りを意味し、そういった者には組織からの苛烈な報復が待っているからだ。それは部門の長であろうとも、例外ではない。
如何にゼロが〝個〟として強くとも、単独で巨大な犯罪組織を敵に回せるはずがない。組織は大きく王国中に根を張り巡らせている。一時的には逃げられたとしても、いつかは逃げ切れなくなるものだ。
(けれど、レエブン侯が味方なら……)
組織に対抗し得る強力な後ろ楯を得られたとすれば、鞍替えを考えてもおかしくはないのではないだろうか。それは同時に、レエブン侯は八本指に敵対する腹づもりがある、ということになる。だが、組織を抜ける側も、また犯罪者を迎え入れる側も、相当な覚悟と確かな勝算がなければ出来る事ではない。
「……」
「組織に嫌気が差したと言うわけではない。持ちつ持たれつ、上手くやって来たつもりだ。だが……泥舟と共に沈む義理はない」
淡々と語るゼロの眼には、どこか怯えのようなものが見えた気がした。仮にも犯罪組織の長がする目ではない。何がそうさせるのかも気になるが、それ以上に、泥舟、つまり八本指が潰れることが既に確定しているかのような発言は聞き流せない。
昨晩の蒼の薔薇の襲撃は殆んど空振りに近い。襲撃するはずだった麻薬の栽培施設を潰すという目的は果たされたが、現在把握できている施設は全体からすれば氷山の一角に過ぎない。たった数ヶ所潰れたところで、組織を壊滅に追いやるには到底至らないだろう。
だからこそ、襲撃施設から情報を入手するつもりだったのが、何の情報も持ち帰れないという結果に終わったのだ。巨大過ぎて組織の全容が見えない現状では、ラキュースは八本指に何が起こっているか、全く見えない。
(本当、なのかしら……?)
ゼロの言葉を信用するならば、八本指に何かが起きたか、或いはこれから起きようとしているのかも知れない。が、レエブン侯も実は八本指に与しており、ゼロの言った情報がブラフだという可能性も捨てきれない。
「八本指を辞めるのが本当だとして、俺達の敵じゃねぇとは限らねぇよな?」
ラキュースに答えたゼロに対し、今度はガガーランが獰猛な獣のような形相で訊ねる。しかし、ここで後ろから声が掛かった。
「よせよ、ツアレ嬢が卒倒してしまっただろ?」
「えっ……」
振り返ると、蒼白のツアレの肩を抱き支えたアズスが不満そうな顔を……しているが、後ろから支える手は、気を失って力なく体制を崩したツアレの、胸に近い微妙な位置に触れていた。
(こんのエロ親父……っ!)
わざとだと看破したラキュースの目が瞬時につり上がる。まだレエブン侯達を信用したわけではないが、しかしこのまま彼等と睨み合いを続けても埒が開かない。
というか、叔父をこのまま放置すれば、その手が更にあからさまな所へ移動し、あまつさえ揉みしだき始めるかも知れない。それだけは阻止しなければ、色々と失ってしまう。
(昔はもっとマトモだったのに……いや、違うわね)
ラキュースが幼い頃は、冒険者として活躍するアズスは憧れの叔父だった。しかし、ラキュースが冒険者として名を上げ始めると、真実は別のところにあると知ってしまったのだ。あの日の衝撃は忘れもしない。
とある依頼を成功させた折り、アズスの助言に助けられたこともあって、挨拶に彼の部屋を訪れた事があった。その時アズスはラキュースを半裸で出迎え、部屋の奥にはあられもない格好をした、明らかに
あまりの事に固まったラキュースを、アズスは強引に部屋へと引っ張り込み、姪の目の前で、出すところを出した女性の柔肌をまさぐる手が止まることはなかった。
帰り道、ラキュースは名状しがたい喪失感にうちひしがれながら帰った。それまでは巧妙に猫を被っていただけで、そこで見た姿こそが叔父の本性だったのだ。出来れば見たくなかった。気付きたくなどなかった。幼心に抱いていた叔父の英雄像が、木っ端微塵に崩れ去った事は言うまでもない。
「こちらとしては、出来れば争いは避けたいところなのですが」
レエブン侯の声で我に返ったラキュースは即断した。
「んんっ……レエブン侯、お話を窺いますのでどうぞお掛け下さい。誰か、叔父さんの代わりに彼女を何処かへ寝かせて来てくれる?」
「確かそっちの扉の奥の部屋にベッドがあったぞ」
「じゃあ私が運んで……」
「ティアはドアを開けて」
名乗りを上げようとしたティアに、ラキュースはドアを開けるように指示を出す。性的嗜好を考えればコイツもツアレに近付けるのは危ない。意識がないのをいい事に、色々としでかしそうなのだ。
「ガガーラン、ツアレさんをお願い」
「おう」
一種の使命感に燃えたラキュースの、有無を言わさぬ雰囲気に、レエブン侯が眉を僅かに動かしたが、それには気づかないフリをしてやり過ごす。心の中では長い溜め息を吐きながら。
アズスの言葉通り、部屋の奥にある扉を開けると、飾り気のない簡素なベッドが見えた。招かれた家のベッドの位置を何故把握しているのかと問い詰めたくなるが、それをグッと我慢する。
ツアレを抱き上げた大女が、ドアを潜って部屋の奥へと消えていく。
「ところで、
「途中までは彼も同行していたのですが、何やら急にやることが出来たとかで…。我々で話を進めておいて欲しいそうです」
アズスの質問にレエブン侯が困ったように眉尻を下げて答える。誰かは分からないが、本来ならもう一人此処へ来る予定だったようだ。そしてどうやら、叔父が待ち望んでいたのはその人物らしい。
「まさか……奴か?」
「ふふん、流石に察しがいいな」
イビルアイの独り言にアズスがそう答えると、気になったティナが問い詰めようとする。
「イビルアイの知り合い?誰?」
「……それよりも、今はこの男の話を聞くべきだろう」
イビルアイはそう言って話をはぐらかした。そちらも興味をそそられるのだが、しかし彼女の言うとおり、今はレエブン侯から依頼の話を聞く事を優先すべきかも知れない。侯は忙しい立場であるはずだ。彼がここに居られる時間は限られているだろう。
「イビルアイの話は後でゆっくり聞くとして、先にレエブン侯のお話を聞きましょう」
「感謝します。まず最初にお願いしたいのは、依頼を受けない場合……ここで知ったことは誰にも、ラナー殿下にもご内密に願います」
「…ええ。勿論です」
冒険者として守秘義務を守る事は当然ではあるが、レエブン侯はそれを念押しするほどに何かを警戒しているようだ。ラナーに情報を流したくないのは、信用していないという意味なのか、それとも、巻き込まないための配慮と取るべきなのだろうか。
後者であれば有り難いが、相手は生き馬の目を抜くような貴族社会を長年生き抜いてきた男だ。そうそう簡単に心の内を読ませてはくれない。
海千山千の猛者を相手取り、そこで培われた百戦錬磨の話術や手練手管を有する彼の手腕にかかれば、ラキュースとてただの小娘に過ぎないだろう。しかし、ここまできて話を聞く以外の選択肢はない。
「……承知しました。ただし、依頼をお承けするかどうかは、お話を伺ってから判断させていただいても?」
「構いませんとも」
ラキュースの問いに、レエブン侯はすぐさま諾と頷いた。
ロ・レンテ城。ラナーの私室では、遣いから戻ったクライムが、帰り道で起こった事を報告していた。
「よかった……。あなたが城内で孤立してしまって、訓練相手にも困っている事は知っていたのだけど、私ではなんの力にもなれなかったし……」
「そんな、ラナー様がお気にされるような事では……!」
「ううん、本当の事だもの。ごめんなさいね、何も出来なくて……」
寂しげな表情を浮かべるラナー。本来なら、こんな心配をする必要などないはずの事だ。ラナーが自分のためにこれ程心を砕いてくれるのは嬉しい反面、その表情を自分の不甲斐なさが曇らせているという事実が悔しくもある。
クライムにとって、同じ兵士達の中で孤立したり、行儀見習いにメイドをやっている貴族令嬢達に白い目を向けられるのは、辛い事ではない。誰も味方がいなくとも、誰に認められなくとも、主人の為に全霊を尽くすのみと覚悟を決めているからだ。
だが、そんな状況をラナーが苦慮していたと知り、何故もっとうまくやれなかったのかと後悔の念に駆られる。決して彼女に責任などない。
「いいえ!これは全て私の不徳が致すところです。ですから、ラナー様は何も……」
「謝らないで、クライム。私が何も出来ない癖に、勝手に気を揉んでいただけなんですから」
「ラナー様…」
「でも、本当によかった。クライムの頑張りをちゃんと見てくれる人が居たのね。本当に、本当に嬉しい……」
クライムの事を我が事のように喜んでくれるラナー。クライムは思わず目が熱くなる。
自身の才能のなさは分かっている。朝誰よりも早く訓練所で剣を降り、直接指導を受ける相手も、稽古相手もいないのを、自分なりに必死に工夫してこれまで鍛えてきたが、それでも他人が易々と越えられる段差程度がクライムにとっては見上げるような絶壁に思える事が幾度もあった。それでも腐らず、諦めず剣を振り続けた。
ラナーが言うように、その努力を彼が認めてくれたのだろうか。お願いしたのは自分だが、ああもアッサリと頷いてくれるとは思ってもみなかった。信じられない幸運だ。
「そうだわ、クライム、一度私もその方にお会い出来ないかしら?クライムがお世話になるのだし、この国の為に行動して下さっているんだもの、そのお礼もしたいわ」
「あ……は、はい。では今度お会いしたときに、お話ししてみます」
「ええ、お願いね」
主人は嬉しそうに笑顔を浮かべる。やはり、沈んだ表情よりも、笑顔でいてもらいたいものだ。この笑顔を守れるなら、地獄の穴にだって喜んで飛び込める。しかし、ラナーが彼と会いたがっている事に、不安のようなものを感じてしまう。
「……」
今思い出してみても、相当魅力的な人物だ。実力も然ることながら、まるで芸術のような外貌、洗練された所作……どれをとってもクライムが男として敵う要素は見当たらなかった。彼がほんの一言、言葉を交わしただけの婦人や、男性でさえ、彼に心奪われた様子だったのだ。
「どうしたの? クライム」
「…はっ?」
何を考えているんだ。クライムは自分を叱咤した。こうして今お仕え出来ているだけでも有り難い幸福なのに、そんな感情を抱くなど、あってはならない。モヤモヤした気持ちを押し込めて、今度こそ返事を返す。
「い、いえ…何でもありません」
「そう?何だか浮かない表情だったように見えたのだけれど……」
その場をどうにか誤魔化し、クライムは退室したが、その後も暫く一人悶々とした気持ちを抱えて過ごすことになった。
クライムが退室していった後、ラナーは一人自室で恍惚とした笑みを浮かべていた。
「あぁ、クライムったら本当にかわいいんだから。あんな顔されたらもう……うふふ」
飼い主の友人に対して嫉妬し寂しがる子犬のような愛くるしい表情を、ラナーは辛抱たまらんと言わんばかりに噛み締める。そこには〝黄金〟と称される姫がするとは思えない、もうひとつの顔があった。
「……クライムと出会ったのは偶然? それとも……いずれにしても、機会は得られたわね」
思わぬ幸運にラナーは機嫌を良くしつつ、考えを巡らせる。上手く事を運べれば、それまで手の届かなかった夢が、現実味を帯びてくる。この好機は絶対に逃すわけにはいかない。
しかし、情報が少ない現段階では、相手から何を要求されるかは不明だ。悪魔の血が流れるという伝説の通りならば、嗜好も悪魔に似通っているかもしれない。魂など替えの利かないものを対価に要求される可能性もあり得る。それでも最悪なのは、見向きもされず、交渉にさえ至れない事だ。
あらゆる可能性を想定し、準備を整えなければ。どのような持て成しをするか。どんな表情で臨むか。どのような会話の流れにするか。細部にまで神経を尖らせ、少しでも成功の可能性を上げられるように努める。鏡に向かって表情の確認まで行ったところで、そろそろメイドを呼ぶ予定の時間だ。
「今日の当番は……」
日替わりのメイドの担当を思い出し、表情を失う。あれは表面は取り繕っているが、裏でクライムの事を見下し、馬鹿にしている。
(……あの女も殺す。私のクライムを馬鹿にする者は、みんな殺す……!)
ストン、と表情の抜け落ちた顔を再びマッサージするように手で弄くりながら、メイドに見せるいつもの表情を作り直す。
「うん、これでよし……!」
表情を確認し、鈴を手に持つ。これは二つ一対になっており、片方を鳴らすと、メイドが待機している別室のもう一つが鳴る仕組みだ。
即座に処理方法を決めたラナーは、鈴を鳴らす。やがて現れたメイドに、ラナーは純心そうな顔を向ける。心の内に秘めた、冷たい殺意を覆い隠して。
誰にでも裏の顔というのはあるものですね。
ラキュースが仲間から「鬼」と呼ばれるようになったのは、アズスの裏の顔が一因ではないか、という気がしています。