異世界に転移したらユグドラシルだった件   作:フロストランタン

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久しぶりすぎて色々忘れてしまってます。


#89 暗躍する二人

 某日、某所────

 

 固く冷たい壁に囲まれた、窓一つない地下の一室。出入り口のドアは厳重に閂がかけられるようになっており、中からは音が漏れ出ない密室を作り出すことが出来る。

 

 殺風景な室内には不似合いな高級ベッドが一つだけ設えられており、部屋をあてがわれた従業員達は、指名を待ちながら一日の大半をその中で過ごす。指名が入ると、客と二人きり、外部からの干渉が一切及ばない状況で閉じ込められる。

 

 部屋の中で何が起きようと────たとえ断末魔の悲鳴が響こうとも────事前に定められた時間が経過するまで、外部から一切干渉されることはない。強姦も殺人も、客の望むままだ。そう、そこは八本指が経営する、文字通り()()()()()()非合法の娼館だった。

 

 従業員は皆、借金のカタにされたり、誘拐されるなどして奴隷に堕ちた者達。もし客が従業員を殺めても罪に問われることはなく、金銭を多めに支払うだけで済まされる。まるで酒場で壊れたテーブルの弁償と言わんばかりの軽さである。

 

 奴隷売買を禁止する法が成立したことで、表立った奴隷の調達が難しくなったため、その分弁償代は高騰しているものの、かといって奴隷を丁寧に扱おうとする者は皆無。彼等、彼女等はあくまでも()()であって、人間として扱われることはなかった。

 

 しかしこの時、未だかつてない異常な事態が起きていた。規定の時間はまだ十分に余っているはずで、唯一の出入り口であるドアは厳重に封鎖されたままだ。

 

 ところがその閉鎖された密室内に、つい先程までは居なかったはずの人影が、静かに佇んでいた。そのかわりに、先程まで奴隷の女にのしかかっていた男性客は忽然と姿を消していた。

 

「……楽になりたいですか?」

 

 問いを投げ掛けられたのは、ベッドに横たわったまま茫然とする奴隷の女。それまで誰の助けもなく、必死の抵抗も哀願も通じず、容赦なく振り下ろされる拳を顔面で受け続けるしかなかった、そんな憐れな女だ。

 

 見下ろす人影は、大人になる少し手前の少女に見える。長く艶やかな黒髪をまっすぐに下ろし、黒いドレスを身に纏う少女は、幼い顔貌とは裏腹に大人びた微笑を浮かべている。

 

 楽になる────その言葉の指すところは、恐らく死による苦痛からの解放だろう。悲惨としか言い様のない彼女の境遇からすれば、いっそ今死んだ方が幸せなのかもしれない。それ以上恐怖も、苦痛も、恥辱も味わう心配が無くなるのだから。

 

 問いに対して反応すら見せることのない奴隷の女の手足は、枯れ枝のように痩せ細っており、身体は腹だけが歪に膨れている。顔も身体も痣だらけで、歯はなく、腫れ上がった目蓋の下に覗く眼球は濁り切っていた。

 

 生気が全く感じられない虚ろな瞳には、光も希望さえも宿していない事が窺える。スラムに踞る浮浪者でも、まだ幾分マシな面構えをしていよう。

 

 奴隷の女が言葉を返すことはない。そんな余裕などない。ほんの今しがたまで、顔面を容赦なく殴打されていたのだから。

 

 指一本動かすこと叶わず、乱暴に破られた薄絹の下で弛緩しきった股間から、注ぎ込まれた男の体液が音もなく逆流し、静かにシーツを汚していた。

 

 その見窄らしく惨めな姿を、妖しい輝きを灯した緋色の瞳は、じっと静かに見下ろしていた。

 

 奴隷の女が受けてきた非道な仕打ちは、無論昨日今日始まったものではない。彼女にとっては数年という歳月に渡り繰り返されてきた日常だ。

 

 その間、救いの手を差し伸べようとした者は誰一人居なかった。

 

 数年に渡る暴力と凌辱の日々。それは一人の若い娘を、生きているのが不思議な程に心身ともに弱らせた。耐えていればいつか誰かが助けてくれる、家族の元へと帰れると、無理やり自分に言い聞かせた。誰もがそうするように。

 

 しかし、根拠もなく自分を慰めるだけの希望など持ち続けられるはずもなく、とっくに風化し色を失っている。今はただただ、続く苦痛の日々が終わる事だけを願うようになっていた。

 

 奴隷の女は言葉もなくただ虚ろな視線を、何処へともなく向ける。再び問いは投げ掛けられた。

 

「……生きてここを出られると言ったら、この手を取る気はありまして?」

 

「……」

 

「では……」

 

 助かりたいなら手を取れという。会話をしているようで、独り言を言っているだけのようでもある。この時、女は焦点すら定まっていない。反応など期待すべくも無いが、そんな相手の様子などお構い無しと言わんばかりに、少女の自信ありげな態度は崩れない。

 

 今更救いの手など延ばされたところで、何のかもが余りに遅すぎた。この場にいれば誰もがそう判断するだろう。しかしそれでも、少女は何かを確信しているのか、差し出したその手を下げることなく、じっと待ち続けた。

 

 か細い呼吸音さえ響くような静寂のなか、どれだけの時間が経過しただろうか。数十秒か、それとも数分か。長い静寂の中、女の指先が微かに動いた。弱々しく震えながら、それでも確かに、ゆっくりと腕が持ち上がり始める。

 

 その眼は相変わらず焦点は何処にも合っておらず、生気も宿してなどいない。しかし魂の奥底に刻まれた本能とでも言うべきか、生きようとする生命の活動が、ただ肉体を突き動かしているようであった。

 

 しかし、あとほんの少しで互いの手が触れ合うというところで女の手は、力なく垂れ下がった。身も心も既に限界を超え、疲弊し切っていた女に起こせた奇跡はそこまでであった。

 

「……仕方ありませんわね。特別サービス、ですわ」

 

 究極能力(アルティメットスキル)■■之王(■■エル)

 

『▲▲の書』(Book of ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲)『上巻』(First Volume)

 

 少女が胸の前に伸ばした掌の上に、光を帯びた一冊の分厚い本が顕現する。開かれた本は、ひとりでに頁がパラパラと捲れていき、ある頁でピタリと止まった。

 

「……ツアレニーニャ・ベイロン。人間。20歳。LV2。職業(クラス)────奴隷(スレイブ)────」

 

 開かれた頁を、どこか無機質さを残した音声で読み上げていく。と、部屋に僅かな震動が走る。

 

「やれやれですわね……」

 

 彼女はムッとしたような声音で呟く。何処か離れた場所で、大きな衝撃が発生したのだろう。そしてそれは次第に大きく、強くなっていく。

 

「────〈改変(リライト)〉」

 

 そうして彼女が頁に手を触れると書物は眩い光を放ち、室内を満たし始める。ほんの数秒にも満たない時間。その後に光が終熄を迎えるとほぼ同時に、分厚い扉が粉々に破壊された。

 

「……また会ったな」

 

 破壊された扉の向こうには、男が立っていた。どこで付けてきたのか、黒い外套の所々に血飛沫が付着している。

 

「あら、珍しい。反り血を浴びるだなんて、何年ぶりですの? 随分慌てていらしたのね。そんなにわたくしが恋しかったのかしら?」

 

「あぁ……逢えない日々はまさに、一日千秋の思いだったとも」

 

「あらあら、まあまあ……」

 

 返ってきた口説くようなセリフに、少女は頬に手を当てて嬉しそうに声を弾ませた。そして目を細め、妖艶な笑みと共に、こう切り返した。

 

気障(キザ)なナルシストは嫌われますわよ?」

 

 挑発的な言葉に男の方はピクリと眉を動かす。しかしそれだけで怒りを示す事はない。

 

「はぁ……。で? 今度は何に付き合わされるんだ?」

 

「そ・れ・は……秘密ですわ♪」

 

 少女は唇の前で指を立てて可愛らしく答えるが、男の方は「はいはい」と言わんばかりに肩を竦めてかぶりを振った。

 

「……むぅ、反応が悪いですわね……。まぁいいでしょう、ではわたくしはこれで……ごきげんよう」

 

 少女は唇を尖らせ、不満げな表情を浮かべていたが、別れの言葉を告げながら、その姿が徐々に透過し、完全に消えてなくなった。

 

「相変わらず自由過ぎる……()()()()()()()()るハズなんだがな……ん?」

 

 

 

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