速水龍一で始める『はじめの一歩』。   作:高任斎
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ようやく、ヴォルグのとのスパーです。
先に言っておきます。
強さ云々は、『速水の主観』です。
そして、勝負のあやを生む、相性を忘れてはいけません。


14:狼の牙。

 3連休の初日。

 ヴォルグとのスパーリングの日。

 

 ……俺の目覚ましが優秀すぎる。

 

 デンプシーロールにカウンターを入れたのに、止まらないって反則だろ……。

 もう1発カウンターを入れたが、体勢を崩されてそれが限界。

 規則正しいリズムでぶっ飛ばされた。

 

 原作のデンプシー対策って、間違ってるんじゃないだろうか。

 まあ、間違っているのは夢の中の幕之内なんだろうけど。

 

 

 ため息をつき、朝食の準備をする。

 ボクサーの体脂肪率は総じて低い。

 栄養補給をせずに、ロードワークに出るのは危険だ。

 

 筋肉の収縮運動には細胞の電荷物質のやり取りというか……まあ、暖機運転のための最初のエネルギー源が必要になる。

 その基本は、炭水化物というか、糖であり、グルコース。

 炭水化物が身体の中で加水分解されると、グルコースができる。

 

 そして、心臓は筋肉の塊だ。

 暖機運転の段階でのガス欠は、心臓麻痺の可能性がはね上がる。

 痩せている人間は、目が覚めたら、ジュースを一口、あるいは飴玉をなめるのでもいい。

 それだけで、かなり危険は避けられる。

 

 人の身体は、思っているよりも丈夫だが、考えているよりも繊細だ。

 奇跡のようなバランスで、人の命は成り立っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちはー」

 

 あちこちから挨拶が返ってくる。

 3連休の初日に、せっせとジムで汗を流しやがって……ほかにやること無いのかね。

 

 これが、ブーメランか……。

 

 まあ、仕方がない。

 プロボクサーは、生活のための仕事と、ボクシングという仕事のダブルワークに加え、否応なしに生活としての雑事が食い込んでくる。

 

 ……正直、趣味に費やす時間は、ないよなぁ。

 

 強いて言うなら、試合のあとの休養が自由な時間、か。

 

 色恋関係も、難しいと言わざるを得ない。

『恋愛』を望む女性は、相手の男性にも同じだけの『恋愛』を望む傾向がある。

 自分が費やしたのと同等の、『手間隙』をこちらにも求める。

 

 それはまあ、女性に限った話でもないか。

 苦労に対してのリターンを求める気持ち……それは多かれ少なかれ、誰もが持っている。

 

 もしかすると、『努力は報われる』系の教育を施すこの国の人間は、その傾向が強くなるのかもしれない。

 

 とまあ、仕事を『2つ』抱えているボクサーに、そういう女性の相手は正直きつい。

 往々にして、若い女性はそうなりがちで……基本的に、ボクサーは若い。

 

 プロのボクサーはわりと姉さん女房が多い気がする。

 仕事をしている自立した女性を相手に、お互いの生活を尊重する感じの……まあ、プロボクサーもピンキリだから、これも独断と偏見になるが。

 結婚するからボクシングを引退するなんてことも聞くし、就職を機に引退するという話も聞く。

 

 ボクサーの仕事として、基本的に接客業はアウトだ。

 雇用主がいくら理解があっても、客が嫌がる、あるいはぎょっとする可能性がある時点でどうしようもない。

 ボクサーであることを明かして就職面接にのぞむと、敬遠される職種は多い。

 実態はどうあれ、少なくはない人が、それを『暴力』の気配として受け取るからだ。

 

 マイナスの可能性は、面接において当然不利になる。

 

 俺の職場の社長は、音羽ジムの後援者だ。

 若い頃、ファンになったボクサーが音羽ジムに所属していた関係らしい。

 当時の音羽ジムの会長は、今の会長の伯父さんだったらしいが、人脈は受け継がれている。

 もちろん、代替わりを機に失われた人脈もあるのだろうが、新たに生み出される人脈もあるわけだ。

 後援者にも交友関係が存在するわけで、何らかの形で助力を願うことだってある。

 そうして、ジムを後援する人とのつながりができていく。

 そのつながりが、俺の就職だったり、アパートを借りるときに力を発揮することになる。

 

 人とのつながりは財産だ。

 当然だが、それはしがらみとなってデメリットをもたらすこともある。

 

 俺もまた、昔ほど自由ではいられない。

 とはいえ、真面目にボクシングに取り組み、仕事もきちんとやってれば、大きなひずみは生じない。

 もちろん、職場でもジムでも、俺への陰口が完全に消えることはない。

 これはある意味、仕方の無いことだろう。

 

 ジムでいえば、俺は会長に目をかけられて、ひいきされている状態といえる。

 当然、それを面白く思わない人間はいる。

 というか、それが自然だ。

 職場では、仕事に対して腰掛け状態と見られても仕方ない。

『ボクサーだから』という言い訳は、甘えになる。

 ほかの人と同じだけの仕事をしても、色眼鏡で見られる。

 周囲より仕事ができれば、生意気だと思われることもある。

 

 人はひとりひとり、立場と価値観が違う。

 何らかの形で、反発は生まれるものだ。

 

 味方と敵対と中立の割合が、1対1対1になるのが正常な人間関係であり、普通のバランスであるというのは誰の言葉だったか……。

 逆に考えれば、7割、8割の人間に支持される状態は、どこか歪んでいるといえる。

 自分が何かを偽っているか、敵対者が常軌を逸しているか。

 

 まあ、俺がやろうとしていることは、勝ち続けることで、ある種の『歪み』を生み出すことだ。

 熱狂は、熱に狂うと書く。

 

 もしかすると、俺に足りないものは……正常ではない『何か』なのかもしれないな。

 

 

 

 基礎訓練。

 フットワーク。

 休日ということで、念入りにこなしていく。

 

 

「コ、コニチハ」

 

 ヴォルグだ。

 振り返り、挨拶を返す。

 ヴォルグが俺を見て微笑む。

 

 ……ん?

 

 ジムの中を見渡した。

 

 挨拶に挨拶を返す。

 それが、ない。

 

 近くの、練習生2人を捕まえた。

 

「ジムに入るときは挨拶。挨拶されたら、挨拶を返すって、一番最初に教えられることだよな?ん?んん?」

 

 目を逸らされたので、ちょいと物陰へ連れていく。

 体育会系とか、そういう問題じゃない。

 

 

 

 

 

 頭を抱えた。

 なんというか、あの2人の主張を一言でいうと。

 

『だって、あいつのせいで速水さんは、階級を変える羽目になったんですよね?』

 

 別にヴォルグのせいじゃないんだが、さすがに練習生にディープな事情を話すのもはばかられる。

 しかし、この空気はまずい。

 

 たぶん、あの2人の俺云々はおいといて、よそ者って意識がメインだろう。

 俺だって、音羽ジムに来て半年から1年ほどは、妙な目で見られ続けたしな。

 会長がいるときといないときで、露骨に空気が変わったっけ。

 

 リングの上ならまだしも、普段のこの空気は、ヴォルグにとってよろしくない気がする。

 俺は、ヴォルグを利用すると決めている。

 だからこそ、放ってはおけない。

 

 

 

 とりあえず、俺も練習生全員に顔を利かせられるわけではないので、できる範囲から。

 

「「「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」」」

 

「み、ミニャ ザブート……(私は、〇〇です)」

「ミニャ ざ、ザブート……」

「ミニャ ザブート……」

 

「コニチハ。私、ヴォルグ・ザンギエフ、デス」

 

 まあ、この手の空気というか、雰囲気は一朝一夕ではどうにもならない。

 ただ、言葉を交わせば情もわく……と思いたい。

 それを目にすれば、周囲も少しずつ変わっていく……と思いたい。

 

 しかし、拙いながらも、日本語をしゃべってるよなあ。

 来日して2週間ほどなのに、ヴォルグって相当頭が良くないか?

 

 まあ、そうでなきゃ世界一にはなれないか。

 

 

 俺は、ヴォルグを連れてジムにいるひとりひとりに、挨拶して回った。

 古株の連中の一部には、俺という存在を煙たがっているのもいるのだが、こちらから挨拶して回るのを無碍にもできまい。

 どんな形でも、顔をつなぐと言うのは大事だ。

 特に、この国では。

 

 

 

 

 

 ……2、3、5、7、1、6、4、5、2……。

 

 2つ前の数字を足していき、合計が10を超えたときは、1の位の数字と10の位の数字を足す。

 それを頭の中で延々と繰り返しながら、答えの数字に対応したパンチをサンドバッグに打ち込んでいく。

 もちろん、マスクはつけたままだ。

 

 合計が10を超えるときに、わずかに動きが停滞する。

 思考の工程が増えるからだ。

 

 

 画面に映る矢印と同じ方向を指差す。

 画面に映る矢印と、反対の方向を指差す。

 

 これにかかる時間を計測すると、後者のほうが多く時間がかかる。

 

 前者と後者の違いは、『矢印が指している方角の反対の方向を判断する』という部分。

 つまり、矢印の認識、方向の認識……という工程に、新たにひとつ工程が加わることを意味する。

 その分、時間がかかるのだ。

 

 釣りのゲームで、魚が泳ぐのと逆の方向に竿を倒すというシステムがあるが、あれをイメージするとわかり易いかもしれない。

 あれが苦手な人は、視点変更でキャラクターを逆方向から見るとゲームをクリアしやすくなる。

 魚が泳いだ方向にレバーを倒す……逆の方角から見ているから、竿は逆の方向に倒れる。

 つまり、思考の工程をひとつ減らせる分だけ、早く行動に移せる。

 

 スポーツのセオリーは、パターン化することによって思考の工程を減らし、判断を早くするために生まれる。

 まあ、それとは別に、思考速度を高める訓練によって、判断までの時間が短縮できると思いたい。

 これがうまくいくかどうかはわからない。

 自分を実験体にして、試行錯誤するしかない。

 

 少なくとも、思考することで酸素消費量を増やし、心肺に負担をかける効果はある。

 

 

 そんな俺を、ラムダが見ていた。

 旧ソ連の、トップ指導者のひとり……といっても、俺が知るのは情報としてだけ。

 正直、ラムダには、ヴォルグ以上に興味を持っている。

 

 

 常識は時代とともに移り変わる。

 たとえば、乳酸は筋肉の疲労物質だと長い間信じられていた。

 しかし、実際は疲労状態を緩和する働きを持つものだと発表されたのは、前世では21世紀になってから。

 筋肉が疲労することによって乳酸がたまることから誤解され、乳酸を調べることによってその長年の誤解が解けた……とされているが、実際は少し違う。

 

 乳酸の働きそのものについては、それ以前から何度も発表はされていた。

 それがいろんな理由で認められずにいたのが、ようやく認められたというか、公になったのが21世紀になってからというだけ。

 

 そもそも、乳酸菌は有機体が生命維持の過程で行う新陳代謝において『乳酸』を産む菌類の総称だ。

 筋肉の疲労物質とされていた乳酸を発生させる乳酸菌飲料を『身体にいい』と売り出されたのが、いつだったかを考えてみればいい。

 21世紀になるよりもずっと前のことだ。

 

 世間の常識の全てがそうとは言わないが、ある種の儚さはイメージできるだろう。

 ドーピングが話題になってから、筋力トレーニングの理論が出回り始めたのも同じだ。

 あれも、海外の理論とはずいぶんと違うものだが、日本ではあれが常識として語られ続けた。

 情報は、選択され、タイミングを選んでばらまかれることが良くわかる一例だ。

 

 

 俺がラムダに興味を持っているのは、まさにそこに理由がある。

 国家の威信をかけたスポーツ選手の指導者には、かなり新鮮な情報や理論が入ってきてたはずだ。

 少なくとも、日本の一般人レベルよりも遅れているとは思えない。

 経験則も馬鹿にはできない。

 自分を実験して確かめるよりも、多くの人間を見て、育てた人間の経験は宝石のように貴重だ。

 理論と情報、そして経験をすり合わせていけば、正解に近いところにたどり着ける。

 

 まあ、そのためにも……。

 ヴォルグとのスパーで、いいところ、あるいは悪いところを見せたい。

 良くも悪くも指導者は、素材を目にすれば手を伸ばしたくなる生き物だと俺は思う。

 一言や二言のアドバイスでもいい。

 

 それがもらえるなら……。

 もらえたらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グローブは12オンス。

 座布団と称される16オンスより軽いが、試合用よりは重くてクッションが効いている。

 俺もヴォルグも、ヘッドギア着用。

 予定は3R。

 

 あくまでも、主役はヴォルグだ。

 俺は、スパーリングパートナー。

 2人に話しかけた。

 

『ラムダさん、ヴォルグ。リクエストはあるか?一応、インファイトからアウトボクシングまで、一通りこなせるつもりなんだが』

『ノー、速水。君の実力を知らない状態では、注文も何も無い。まずは、好きなようにファイトしてくれていい』

 

 そう答えたのはラムダ。

 

 そうか。

 好きなように、ね。

 

 それは……何をされても対応できるってことか。

 実力の裏づけのある自信だな。

 

 プロと違って、アマチュアは大会期間中に、毎日のように試合をする。

 計量も、試合のある日は毎日行う。

 試合前の対策に時間はかけられず、無名の相手や新星のごとく現れた選手なんかは、そもそも情報が手に入らない。

 それら全てに対応し、一度も負けることなく勝ち続けてきたのが、ヴォルグという存在だ。

 アマチュアにはアマチュアの、プロよりも厳しい部分がある。

 

 原作知識はともかく、ヴォルグのデータは無いに等しい。

 ヴォルグ(狼)の名から、上下のコンビネーションが白い牙と名づけられて恐れられていたこと、ぐらいか。

 

 まあ、自分の目で見て、あるいは味わって、確かめるしかない。

 条件は、同じ。

 

 息を吸い、吐く。

 心拍数は、高めか。

 

 軽く、グローブをあわせ……距離をとる。

 

 ヴォルグの構えを確認。

 重心は後ろ足。

 

 左の3連打から入った。

 右を飛ばして、距離をとる。

 

 ヴォルグに驚きは無い。

 なんでもないように対応された。

 

 ヴォルグの左。

 右が空気を切り裂く。

 

 挨拶は交わした。

 ……いくか。

 出し惜しみは無しだ。

 

 トップギア。

 

 ステップを踏みながら、小刻みな連打を叩きつけていく。

 手を出させる暇を与えない。

 ただし、パンチの質は軽い。

 

 これにどう対応するかで、ヴォルグの性格を知る。

 ボクサーとしての性格。

 

 

 俺を見ている。

 少なくとも、見られてはいる、か。

 

 この程度なら、あわてる必要は無い。

 それでも、確認はする、と。

 

 相手の戦力の分析から入る、理論派タイプか。

 そして、こちらの戦力を見ながら、自分の戦力は見せない。

 情報戦にたとえるなら、俺が圧倒されている。

 

 10秒。

 20秒。

 俺の、見せかけの攻勢。

 

 情報をさらけ出しながら、『攻めている』以外のポイントは奪えない。

 まあ、そろそろだろ。

 

 ヴォルグの前足。

 あるかなきかの動き。

 

 そこで、ジャブを変えた。

 タイミングをずらす。

 そして、ガードの隙間を狙う。

 

 ヴォルグのスウェー。

 それに、肩を入れて届かせた。

 

 オープニングヒット。

 リングの周囲で声があがる。

 

 ただし、ヴォルグも、ラムダも、特に反応は無い。

 

 ようやく、ヴォルグが足を使い出す。

 何気ないステップ。

 右に左に。

 軽くフェイントをかけながら、近づいてくる。

 

 腕、肩、目線。

 ボクシングが始まる。

 

 

 左の差し合い。

 いや、打たされている。

 少しずつ、少しずつ、俺の対応する時間を削られていく。

 

 ガードのタイミング。

 そして、パンチを出すタイミング。

 間合い。

 はっきりとはわからない何か。

 

 技術戦では、俺のレベルが劣る。

 それがわかるだけ、マシか。

 

 ヴォルグの何気ない左。

 ガードした手に、威力を感じる。

 幕之内や千堂とは違う種類の、強打者。

 パンチの威力そのものではなく、力を相手に伝えるのが上手い。

 

 

 カウンターは、相手の勢いを利用するというより、相手が衝撃を逃がせないパンチを打つと表現したほうが正しい。

 前足に重心が乗っているとき、後ろ足に重心がかかっているとき、姿勢の違いなどで、どの方向からの、どういうパンチが効くかが変わってくる。

 

 相手の顔にパンチを入れたら、相手が大きくのけぞる。

 見た目は派手だが、のけぞるという動きで威力を拡散されているともいえる。

 

 こちらに向かって前かがみに前進してきたときに、顔にパンチを入れる。

 大きくのけぞることはないかもしれない。

 しかし、ダメージそのものはこちらの方が大きくなる。

 

 

 背筋が寒くなる。

 俺の動きだけじゃない。

 重心移動と姿勢を予測して、効果的なパンチを出してくる意味。

 

 既に、ボクサーとして丸裸の状態ってことだ。

 

 じわじわと、圧力をかけられる。

 少しずつ、俺の逃げ道がふさがれていく。

 

 完全にふさがれる前に、踏み込んだ。

 

 右のボディを打ちたい気持ちをぐっとこらえ、アッパーから入る。

 ヴォルグが覚えたはずのリズム。

 それを変える。

 

 反撃の気配を感じ、距離をとる。

 

 ヴォルグの手が止まったところを、再び踏み込む。

 今度は素直にボディを打つ。

 ガードがさがる。

 

 ならば、上を……。

 

 一瞬、視界が消える。

 

 あれ?

 どこを見てるんだ、俺……。

 

 わけのわからないまま、ガード。

 腕に衝撃が来た。

 防いだ。

 

 痛みの認識。

 膝に力が入らない。

 

 もらった?

 いつ?

 何を?

 

 視界。

 ガードの隙間。

 思考。

 

 たぶん、もらったのは左のアッパー。

 ボディのガードではなくて、アッパーを打つ準備。

 

 踏み込んできたヴォルグに、左を叩きつけた。

 続けて右の連打。

 距離。

 そして、一息。

 

 はは、すげえや。

 

 まっすぐは向かってこない。

 俺の逃げ道をふさぐように。

 あるいは、俺の反応を確かめるように。

 軽やかなステップと、小さな動きでこちらをけん制してくる。

 

 強い。

 俺相手のスパーに限れば、明らかに伊達英二より強い。

 

 余計なことを考えるな。

 今は、目の前に集中。

 

 応戦する。

 しかし、追い込まれていく。

 

 ちょっとした動き。

 何気ないモーション。

 見る人が見ればわかる、テクニックの数々。

 

 意地でも、3R続ける。

 

 細かいパンチ。

 それを、ガードの隙間に。

 あるいは、ガードの上から。

 

 ダメージが抜けた。

 

 ぐっと、前足に力を入れた。

 ヴォルグに、それを見せた。

 

 そこで、いきなりギアを落とす。

 はじめて、ヴォルグの表情が変わった。

 誘われたのがわかったのだろう。

 

 ヴォルグの右をすかして、左フックを横っ面に引っ掛けた。

 欲張らず、ロープ際から脱出。

 

 また一息……つかせてくれない、か。

 

 ヴォルグの左。

 敢えて、俺は左を返さない。

 待ちの姿勢。

 

 フェイント。

 駆け引き。

 伊達英二のそれとは違うやりとり。

 

 経験の不足を実感する。

 

 俺は、こういうボクシングを、ほとんどしてこなかった。

 いや。

 そういう相手が、ほとんどいなかった。

 

 たぶん、ヴォルグは、こういうボクシングを数え切れないぐらいしてきた。

 そして、全てに勝利を収めてきた。

 

 ヴォルグの戦場。

 それが、楽しい。

 

 また、左フックを引っ掛けた。

 俺が出し抜いたのではなく、ヴォルグのブランクのせいだということがわかる。

 万全ではない。

 俺以上に、ヴォルグは万全じゃない。

 

 右の連打で突き放す。

 ヴォルグのパンチが割り込んでくる。

 

 

 あっという間に、1Rが終わった。

 

 たぶん、俺は笑っていたのだろう。

 音羽会長が、『楽しんでこい』と言ってくれた。

 

 

 

 ヴォルグのエンジンがかかってきたように思える。

 

 近づいてきたヴォルグをひきつけ、いきなり右。

 ガードさせて左フック。

 とめられた。

 

 きちんと修正してきた。

 

 ボディへのパンチを叩き落す。

 俺のアッパーが避けられる。

 接近戦。

 接近戦でありながら、押し引きがある。

 連打の合間に、半呼吸あけて、こちらの反撃を誘う。

 当然、カウンターの準備がある。

 

 近づき。

 離れ。

 打ち合い。

 

 めまぐるしく、状況が入れ替わる。

 身体だけじゃなく、意識もトップギア。

 

 はは、俺のやってきた練習は……ぬるいなあ。

 

 同時に思う。

 

 なあ、ヴォルグ。

 俺は、お前の練習相手に足りているか?

 

 

 

 2Rを終えた。

 

 楽しい。

 そして、感謝。

 スポンサーへの感謝。

 

 ヴォルグを、この国につれてきてくれたこと。

 

 

 3Rの合図とともに、飛び出していく。

 

 

 ヴォルグの速度、タイミングに慣れてきた。

 気のせいかもしれないが。

 

 予定は3R。

 終わる前に、一矢報いたい。

 

 しかし、ヴォルグの動きがいい。

 最初からトップギアの俺は、そろそろまずい。

 というか、経験不足のボクシングで消耗した、か。

 

 

 身長も、リーチもほぼ同じ。

 それでも、ヴォルグの距離と俺の距離は少しだけ違う。

 

 ストレートからアッパーまで。

 全てにおいてレベルが高い。

 

 ただ、アッパーが強い。

 左も、右も。

 

 俺の細かい連打の合間に割り込んでくる、このパンチが厄介だ。

 それでも、何度も見れば多少は慣れてくる。

 

 ヴォルグの左アッパー。

 それを、右手で押さえて、左フック。

 

 ……そのつもり、だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……やられた。

 

 すっかり、忘れていた。

 上下のコンビネーション、ホワイトファングのことを。

 いや、コンビネーションじゃないんだな、あれは。

 

 あくまでも、状況に応じたパンチの組み合わせ。

 

 ボクシングのワンツーは、左ジャブからの右ストレートの、基本的なコンビネーションパンチだ。

 しかし、最初からワンツーを打とうとするのは、相手の事を無視しているといえる。

 ワンツーの、ワンとツーの間に、『相手の状態』『どのパンチが有効か』などの判断をくだして、ツーを打つかどうか、あるいは別のパンチにつなげるかを決める。

 

 つまり、ヴォルグは、あの時の俺に有効だと判断して、右の打ち下ろしをもってきた。

 

 見事なぐらい、俺の死角から、意識の外から、耳を……いわゆる耳の裏、三半規管につながる部分を打ち抜かれた。

 まあ、耳の裏と呼ばれてはいるが、ある意味硬い頭を殴りつけるわけだ。

 威力があればあるほど、拳の保護という意味で、多用はできない。

 

 12オンスのグローブと、ヘッドギアを通してなお、この威力か。

 

 

『……リュウ。大丈夫?』

『ああ、なんとか……最後のは、右のストレート?』

『フックです。スイング気味の』

『そうか』

 

 立ってみる。

 ふらつく。

 

 まあ……ヴォルグの練習にはならないか。

 3Rの途中だが、ここで打ち切ろう。

 

 俺がそう言うと、ラムダが頷いた。

 

『すみませんでした、ラムダさん。ヴォルグのパートナーとしては不足でしたか?』

『いや、そんなことはない。速水、君はクレバーで勇敢なボクサーだったよ……ただ、あの時カウンターを狙ったのは不注意だったな』

 

 苦笑するしかない。

 あの時、狙ってしまった。

 

 正確に言うと、ヴォルグに誘われた。

 左フックの成功の記憶が、俺にあの選択をさせた。

 おそらく、それも読まれた。 

 

『何か、アドバイスをいただけますか?』

『……ヴォルグとのスパーは、君に経験を与えるだろう。ただ……』

『厳しい言葉への覚悟はできてますよ』

 

 ラムダが俺を見つめ……言った。

 

『今日見た限りでは、君のボクシングには圧力が足りない……ヴォルグにのびのびとボクシングをさせた』

『……怖さが足りない?』

『ノー。怖さではなく、圧力だよ……相手の精神を削っていく何か、だ。それは、速さだったり、パンチの威力だったり、あるいは……相手を陥れる戦略だったりするが、ね』

『難しいですね』

『ヴォルグが相手なら、とは言っておくよ』

 

 怖さではなく、圧力、か。

 ボクシングは、集中力の削りあい。

 今日の俺のボクシングでは、ヴォルグの集中力を削ることができなかった。

 もしくは、不十分。

 

 色々やろうとしすぎたか。

 あるいは、真正面からいきすぎた。

 

 まあ、ヴォルグとのボクシングを楽しんだ部分は確かにある。

 純粋な勝負をしてなかったか。

 

 

 

 なんにせよ、きれいにダウンをもらった。

 練習を中断し、休憩する。

 

 それにしても、だ。

 原作では、幕之内があれに勝つのか。

 

 

 ……ちょっと想像できないんだが。

 

 

 幕之内のことはともかく、あれが世界のレベル。

 

 俺に足りないのは、『何か』ではない。

 足りないのは、実力だ。

 

 月並みな言葉が、頭に浮かぶ。

 

 世界は広い、と。

 

 

 

 ほろ苦い気持ちを抱えて、俺はヴォルグとの最初のスパーを終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なお、音羽会長とラムダ、そして俺とヴォルグを交えて話し合った。

 休日は、ヴォルグとのスパー。

 余裕があれば、平日にも一度。

 

 週に一度か二度のペースで、俺はヴォルグのスパーリングパートナーをつとめることになった。

 




大まかな状況説明も終わりました。
たぶん、文字数も安定してくると思います。

くどいようですが、もう一度。
強さ云々は、『速水の主観』です。

第二部を、ヴォルグの来日からではなく、疲労のピーク状態の伊達との『約半年振り』のスパーから再開したことをお忘れなく。

……どっちが勝つかわからない方が、ドキドキワクワクできますよね?

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