速水龍一で始める『はじめの一歩』。   作:高任斎
<< 前の話 次の話 >>

22 / 34
ちょっと実験。
主人公目線の試合観戦だと、こんな感じかなと。


21:眩しい光の下で。

 俺の試合が終わった後も、トーナメントの決勝は続く。

 

 控え室へと続く通路の奥。

 

 鴨川会長と篠田さん。

 そして、木村さん。

 

「音羽の。まずはおめでとうと言っておくぞい」

「ありがとうございます、鴨川さん」

 

 鴨川会長の祝福の言葉に、音羽会長が軽く頭を下げる。

 

「……次を勝たなきゃ意味が無いですから」

「言いおる……まぁ、こちらはそうも言えん」

 

 

「木村さん。会場は、そこそこ暖まってますよ」

「どうせ、お前の女性ファンはぞろぞろと帰ってるってオチだろ?」

 

 肩をすくめ……そして、笑った。

 硬い笑顔。

 

「さっさと取材を終わらせてきな……もたもたしてると、俺と間柴の試合に間に合わないぜ」

「倒しちゃいますか」

「……だと、いいんだがな」

 

 表情が引き締まる。

 緊張は隠せない。

 

 それでも……なにか、勝算を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合後の取材は、それほど時間がかからなかった。

 

 対戦相手の和田の印象。

 フィニッシュを決めたパンチ。

 そして、チャンピオンカーニバルへの抱負。

 

 お決まりと言えばお決まりの質問だが、仕方が無い。 

 今日はA級トーナメントの決勝。

 取材対象は多いし、次の試合も控えている。

 

 次の日に記事を載せるスポーツ新聞の記者はともかく、専門誌の記者なんかは、細かい取材は後日と割り切っているだろう。

 

 それに、新聞記事の場合……ほとんどは結果のみ。

 紙面に余裕があれば、1試合が写真つきの記事に、そしてもう1試合、簡潔な試合内容を添えた記事になる。

 

 この、写真つきで取り上げられる選手が……まあ、スポンサーやテレビ局が絡んでいることが多くなる。

 というか、ほとんどだ。

 新聞もまた、広告料が収入源のひとつであるから……そういう選手を記事にすることで、円滑な関係を構築する助けとなりうる。

 

 とはいえ、スポーツ新聞は多くの人に……その目をひくための紙面作りが欠かせない。

 良くも悪くも、ボクシングは、この国、この時代のメジャーなスポーツではない。

 メジャーなスポーツ関連の大きな出来事があれば、今日のA級トーナメント決勝の試合の記事は、すべてが結果のみになるだろう。

 スポーツ新聞も、取材した内容が記事として選ばれることよりも、選ばれずに見送られることのほうが多い。

 

 記者としても、自分が取材したネタが選ばれないのはつらいだろう。

 だからこそ、編集長に選ばれるようなネタを手に入れようと、汗を流すわけだ。

 人目をひけそうな題材。

 読み手が驚くような何か。

 

 誠実な言葉よりも、暴言のほうが記事になる。

 そういう部分はある。

 

 新人王戦の時のあれも、その一環と思えば……まあ。

 

 

 もちろん、ボクシング記事の掲載率が高いスポーツ新聞と、そうでないスポーツ新聞があり、そういう部分で新聞の独自色が生まれたりもする。

 

 ただ、この時代はやはり野球が強い。

 どうしても、各スポーツ新聞のメインは、プロ野球関連の記事になりやすい。

 

 この前提が崩れるのが、プロ野球のオフシーズン。

 そして今は11月。

 

 野球のネタが減少しても、スポーツ新聞は紙面を埋めなければならない。

 そのために、これまで見送られていたメジャーとはいえないスポーツの記事の掲載率が高くなってくる。

 

 ボクシングの新人王戦とA級トーナメントの決勝、そしてチャンピオンカーニバル。

 それらがすべて、プロ野球のオフシーズンに集中しているのは、偶然ではあるまい。

 

 晩秋から冬季にかけて、色んな競技のイベントが行われているのも、一種の住み分けだろうと思う。

 いきなりではなく、時間をかけて少しずつそうなった。

 

 前世において、いわゆる夏季オリンピックの時期が8月に固定というか、固執するようになったのも、世界のスポーツビジネスの事情だ。

 売れ線のコンテンツを、同時期に開催するのは損失になる。

 日本ではなく、世界の事情が優先される。

 いや、世界の中で、発言力が大きい地域の声が優先される。

 

 この世界でも、その傾向は見えている。

 戦後復興のシンボルになった東京オリンピックが10月開催だったが、ソウルオリンピックは9月。

 バルセロナは、7月末から8月初頭にかけて。

 選手の健康を危惧する声を、ビジネスという都合がねじ伏せる。

 

 

 ……ボクシングという業界の発言力。

 それが、この国では弱いのが現状。

 

 人がボクシングに注目する。

 人がボクシングの情報を求める。

 そうした下地が生まれて、はじめて、地殻変動が起きる。

 

 選手個人をとりあげ、露出を増やす方式では……騒がれたとしても、一過性のものに終わってしまう。

 世界王者になって、年に3試合をこなす。

 それでは、ボクシングという情報の継続性が無い。

 

 継続的な情報が、習慣性をもたらす。

 

『そういえば、あれはどうなったのか?』

『あの選手、今はどうしてるの?』

 

 ひとりひとりのこういう積み重ねがうねりになり、ベクトルが生まれる。

 

『野球は毎日できるのに、ボクシングはどうしてできないの?』

 

 この言葉、スポーツの視点ならば素人だ。

 しかし、ビジネスの視点なら……何よりもビジネスを成立させるための『継続性』を重視した言葉。

 

 結局、人はそれぞれ見ているものが違う。

 必要なものが違って見える。

 

 

 ボクシング業界内部の発言力。

 スポーツ業界における、ボクシングの発言力。

 この国における、ボクシングの発言力。

 

 ボクシングを盛り上げるのに必要なのは、この3つだ。

 それを手に入れてようやく、お互いの利益を考えた話し合いができる。

 

 

 ……ぐらいのことは、俺にもわかっている。

 

 ただ、ボクサーとして歩む道とは異なる。

 俺にできるのは、他者から見た利用価値を高めること。

 ボクサーとしての商品価値。

 

 知名度を高める手段がマスコミ頼みの状況が少々恨めしい。

 

 

 

 そんなことを思いながら、ホールの2階へ。

 

 多少ロングだが、リングを見下ろす視点。

 動きや位置取りに関しては、ここが一番良くわかる。

 

 既に試合は始まっていた。

 

「……」

 

 ロープ際。

 滅多打ちに近い。

 

 

 フリッカージャブ。

 腰の上のあたりから、顔にめがけて放つパンチ。

 

 通常のジャブが、肩口から一直線に飛んでくるのに対して、フリッカーは下から上へと向かってくる。

 前者は初動が読みにくい。

 後者は、初動そのものはわかりやすくても、軌道が独特で……要するに、慣れていないから戸惑うとも言える。

 

 肘を曲げ、リズムを取るように揺れる左腕。

 実は、あれが肝だ。

 

 人の目は、ひとつのものに集中すればするほど、その視界が狭くなる。

 

 剣道の竹刀の先端に集中すると、たやすく動きを見失うことに似ている。

 素人は、竹刀の動きを理解していないからなおさらだ。

 

 フリッカーを脅威に思う。

 よく見て、はずそうと思う。

 そうした思いが、ますますフリッカーの軌道を見失わせる。

 

 慣れていない軌道を、予測して思い描くことはできない。

 

 その目に、顔に、身体に。

 多くのパンチを浴び、文字通り身体でその軌道を学習したとき、自分の視界は下方向に向いている。

 視界の外から飛んでくるのは、打ちおろしの右だ。

 間柴の身長の高さが、リーチの長さがそれを助長する。

 

 ただ、このフリッカーだが……それほど便利なパンチでもない。

 もしそうなら、みんながこれを使う。

 使い手を選ぶパンチ……ではあるが、これは肉体的特長だけの話ではない。

 

 拳、手首、肘、そして肩。

 これらが一直線になり、なおかつパンチの角度が一致したときに、その威力は正しく伝わる。

 

 肩口からまっすぐ打ち出すパンチに比べ、下から上へ、それも左右に揺らしながら放つフリッカー。

 このパンチのヒットポイントは、普通のパンチに比べて、きわめて狭い。

 

 優れた距離感覚。

 そして、使いこなす器用さ。

 

 最低でもこの2つ……それを持たないものが使ったとしても、手打ちで芯をはずしまくる、できそこないのパンチになる。

 逆に言えば、間柴はボクサーとして高い能力を持っている証明とも言える。

 

 

 間柴への対応のひとつとしては、左手ではなく全体を見ること。

 いわゆる周辺視。

 

 パンチを見るのではなく、パンチを打ってくる挙動を見る。

 少なくとも、相手に当てようとしてパンチを放つのだから、その瞬間が読めれば、対応はしやすくなる。

 

 あるいは、ヒットポイントが極めて狭いことを逆手に取る。

 フリッカーが威力を発揮する距離は狭い。

 前に出る。

 それだけで、芯がずれる。

 威力は半減どころか、フリッカーを打つ手首や肘に負担がかかって怪我の危険性が増す……フリッカーの使い手が増えないのは、これが大きな原因でもある。

 

 ただ、ヒットポイントをずらすと、皮膚を擦るような角度で当たるため、目にもらうと腫れやすい。

 

 3つ目。

 宮田がやったように、間柴に対して半身で構える。

 ボクシングの攻撃は、上半身前面のみに許されている。

 間柴から見て的が小さくなるだけでなく、パンチの角度が制限される。

 ただ、半身の状態から攻撃に転じる手段の有無が、この対策の肝といえる。

 

 まあ、そのまま肩から突っ込めば、間柴は右の打ちおろしが使いづらくなる……角度的に、後頭部や背中への反則パンチになるからだ。

 

 4つ目。

 フリッカーで痛めつけ、とどめに右の打ちおろし。

 間柴の必勝パターン。

 

 

 ……とどめに来るパンチが決まっている。

 

 なんとなくだが、木村さんはこれを選ぶような気がする。

 間柴のほうから、近づいてきてくれる。

 来るパンチも決まっている。

 

 そこを、右のカウンター。

 

 木村さんが間柴に対して比較的有利に戦えるのは、接近戦の距離だ。

 これは、いかに間柴の懐にもぐりこむかが重要になる。

 しかし、原作でもそうだったが……木村さんには一撃で勝負を決める武器が無い。

 原作のタイトルマッチと違い、これは連戦となるA級賞金トーナメント。

 対間柴を想定して新しい技を身につける時間は無かったはずだ。

 

 

 フリッカーをかいくぐって接近戦でコツコツと積み上げていくリスク。

 ただ一撃に全てをこめるリスク。

 

 間柴は、対戦相手をのんでかかる傾向が強い。

 木村さんと手を合わせて。

 無防備に打たれる木村さんを見て。

 さっさと勝負を決めに来る可能性は……ある。

 

 問題は。

 試合で初めて見る右の打ちおろしのタイミングに合わせられるかどうか。

 

 そして。

 

 

 そのときに。

 

 

 その、余力があるかどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間柴が決めにいった。

 振りかぶる。

 

 木村さんの右。

 

 おそらく。

 この試合、最初の右。

 

 歓声。

 

 

 

 俺は、目を閉じた。

 

 

 

 木村さんのパンチは届いた。

 ただ、勝利には届かなかった、か。

 

 

 初見のタイミング。

 それまでのダメージ。

 間柴の、いつもと同じ右の打ちおろし。

 木村さんの、低い姿勢から迎え撃つ右ストレート。

 

 さまざまな要素が絡み合った結果だ。

 

 

 ほぼ同時。

 

 間柴は大きくぐらつき。

 木村さんは倒れた。 

 

 

 原作とは違う舞台で。

 原作とは違う状況で。

 

 なのに、結末は……似てしまうのか。

 

 いや、健闘したと見る客はいないんだろうな。

 倒れる前の、最後の一矢。

 

 たぶん、そう評価されるんだろう。

 

 ただ。

 リングを照らす光の下で。

 間柴だけはじっと、倒れた木村さんを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 A級トーナメント決勝の2日目。

 

 初日は7試合。

 今日は、表彰式があるからか、6試合。

 

 13試合で、全13階級の優勝者が決まる。

 

 

 

 

 ヴォルグの試合前。

 

 音羽ジムの主宰の興行ならともかく、さすがにほかの選手もいる控え室に入っていくのははばかられた。

 

 なので、入り口で待つ。

 

 

『ヴォルグ』

『はい、コーチ』

 

 出てきた。

 すぐに気づかれる。

 

『行ってくるよ、リュウ』

『ああ……必要ないかもしれないけど、幸運を』

 

 ヴォルグではなく、ラムダが微笑んだ。

 珍しい。

 

 そのまま見送る。

 

 通路を抜け、リングへ向かう。

 光の下へ。

 

 

 

 と、俺も戻るか。

 

 

 

 

 ボクシングは、各国の代表が出場できるなんてことはない。

 世界各地のオリンピック予選で、それなりの成績を残したものだけが出場できる。

 階級によって違ってくるのだが、出場者は20人を越えるぐらい。

 

 階級の数は10個ほどあるが、日本人が出場できる階級は、3~4名。

 そして大抵、1~2回戦で負けて返ってくる。

 もちろん、政治的なボイコットなどが絡むと、変わってくる。

 

 もちろん、ルールやグローブの大きさなどが違うので、アマの実績がそのままプロで通用しないケースもあるが……多くは、プロでの実績に直結すると言われている。

 

 

 オリンピック出場は確実と言われた冴木。

 その相手は、世界アマ王者のヴォルグ。

 

 全振りでヴォルグを応援といいたいところだが。

 心の中で、冴木にもエールを。

 

 ……ほんの少しだけ。

 

 

 

 

 静かな立ち上がり。

 

 冴木の独特な構え。

 上半身を柔らかく使うために、ほぼノーガード。

 足のスタンスは、前後ではなく左右。

 

 野球の守備というより、俺には、テニスのレシーバーに近いと思える。

 

 いつもの冴木だ。

 手を出さず、相手に手を出させようとする。

 それを避けて、リズムを作っていく。

 テンションを上げていく。

 

 

 2階から見ると、両者の間合いが良くわかる。

 冴木がいまひとつ踏み込めていない。

 

 ヴォルグの高速のコンビネーション。

 あれを、エンジンが暖まっていない状態で避けられるか?

 

 ヴォルグがじっと見ているのがわかる。

 けん制のジャブすら放たない。

 冴木の左右の動きを、小さく、回るように正面に置く。

 

 地味だが、その場で回転する細かいステップは難しい。

 

 ヴォルグの前進。

 冴木の後退。

 

 冴木が回る。

 ヴォルグが小さく回る。

 

 1分過ぎ、試合が動いた。

 

 冴木が仕掛けた。

 間柴とは違うタイプのフリッカー。

 ダメージではなく、相手を幻惑するような軌道。

 

 連打。

 

 1発顔をかすめた。

 ヴォルグが距離をとり、ホールが沸いた。

 

 冴木の速度が上がる。

 エンジンが暖まってきたか。

 

 速度が上がるほど、ステップは細かく。

 そうしないと、方向を変えられない。

 

 ホールが沸く。

 

 しかし、俺の目には別のものが見えている。

 おそらくは、冴木も。

 

 

 ヴォルグの左。

 この試合初めてのパンチ。

 冴木の反応は速い。

 

 冴木のジャブがヴォルグを捕らえた。

 

 しかしそれだけだ。

 

 ヴォルグの左。

 避ける冴木。

 

 

 1Rが終わった。

 

 ……次のRだな。

 

 

 2R。

 

 冴木が動く。

 動かされている。

 

 ヴォルグの動きへの対応。

 冴木の判断は悪くない。

 いや、ベストに近いだろう。

 

 しかし、流れの中で、選択肢が削られていく。

  

 ここからは、冴木の表情は確認できない。

 おそらく、厳しい表情をしているのではないか。

 

 2階から見下ろすリング。

 それが、チェス盤のように思えた。

 

 

 ヴォルグの右が冴木の腹をとらえた。

 それだけを見ると、冴木が自分から飛び込んでいったように思えるだろう。

 

 距離をとろうとする。

 しかし、ヴォルグは甘くない。

 繊細に、正確に。

 そして、ラフにいく。

 

 あの強引さは見習いたい。

 

 何とか逃げようとする冴木の左。

 その二の腕に、ヴォルグの右フックが当たる。

 

 冴木の身体が大きく泳いだ。

 

 ……今の、狙ったのか?

 

 

 左のアッパー。

 頭の動きでかわした……そこに。

 

 一閃。

 ヴォルグの右フック。

 

 上下のパンチ。

 そこに、当然のように左右のフックが混ざる。

 

 そのとき、その瞬間に。

 選んで放つパンチ。

 それが、ヴォルグのコンビネーション。

 

 そこから3発。

 パンチをまとめられて、冴木が沈んだ。

 

 

 

 

 ……自分の足で歩いてリングを降りたから無事だろうと思う。

 

 

 

 

 

 控え室に向かったが、既に記者連中が集まっていた。

 その後ろから、背伸びして顔を出し、手を振っておく。

 

 ヴォルグが浮かべた微笑み。

 その笑みに、少し安心する。

 

 

 幸運ではなく幸福を、か。

 誰の言葉だったかなあ。

 

 伊達とのタイトルマッチの結果によって、ヴォルグの人生は大きく変わるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 またホールの2階に戻る。

 

 ライト級の決勝。

 

 

 意外なものを目にすることになった。

 

 青木さんのアウトボクシング。

 距離をとり、左を突く。

 

 たぶん、これだけを見れば、変則のインファイターとは誰も信じない。

 

 まあ、一番面食らったのは対戦相手だろう。

 おそらく、接近しての打ち合いになると思っていたに違いない。

 

 リズムが狂って空回りしているのがわかる。

 

 突進。

 大振りのパンチ。

 

 それをひらりとかわし、丁寧に左を突く。

 この繰り返し。

 

 2Rの終盤、ようやく相手が立ち直りを見せ始めた。

 

 

 3R、試合が動く。

 

 開始早々、青木さんのインファイト。

 相手の心理状態を読むのが巧い。

 常に先手を取って振り回している。

 

 相手のリズムが、またガタガタになっていく。

 

 かと思えば、また距離をとってアウトボクシングに戻る。

 

 ホールが沸いている。

 どこか、笑いを含んだ盛り上がり方。

 

 

 見ていて楽しい試合だ。

 それと同時に、危惧を抱いた。

 

『軽い調整のみ』

 

 木村さんの言葉。

 

 判定狙い……と思わせつつ、短期決着が本命ではないのか?

 

 相手を振り回し、大いに消耗させた。

 その先の戦略。

 

 

 

 そして4R。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リングの上に、カエルが跳んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ……この試合、完璧に青木さんがコントロールした。

 あるいは、作戦がはまったと言うべきか。

 

 なのに。

 

 ホールに飛び交う、歓声と、笑いと、ヤジ。

 

 こう、言葉で表現しにくい、独特の盛り上がり。

 

 俺には無理だ。

 それがわかる。

 

 

 

 何とか立ち上がった相手。

 冷静に、丁寧に。

 青木さんはしとめて見せた。

 

 2匹目のカエルは必要としなかった。

 

 

 

 リングの上で、青木さんが何度も両手を突き上げる。

 

 そして、声援と、笑いと、ヤジが飛ぶ。

 

 

 俺としては、そんな周囲の評価に思うところがないわけでもないが。

 

 ……そういうキャラなんだと思おう。

 

 

 

 鴨川ジム所属の青木勝は、A級賞金トーナメントのライト級を制した。

 

 勝った青木さんと、敗れた木村さん。

 リングの上の勝負のように、2人の明暗は分かれた。

 

 それでもきっと。

 木村さんは優勝した青木さんをうらやみ、そして祝福するんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 A級賞金トーナメントは終了した。

 

 ひそかに期待していたが、MVPはヴォルグが獲った。

 

 ……たぶん、裏の事情とか深く考えないほうがいい。

 素直に、ヴォルグを祝福しておこう。

 

 

 

 表彰式を終え、ホールを出ると……まあ、遅い時間だ。

 

「リュウ」

「どうした、ヴォルグ」

「この国の夜は、明るいね」

「あぁ……」

 

 言葉を探す。

 

『田舎に行けば、夜は真っ暗だぞ……建物はあっても、夜の9時には真っ暗だったりするからな』

『……僕のいた村みたいに、電気もない?』

『いや、電気はあるけどな』

 

 ……レベルが違う、か。

 

 

「リュウは、ボクシングが好きですか?」

「……色々だなあ」

「イロイロ?」

「いいなと思うときがある。嫌だなと思うときもある。ただ、やめようと思ったことは無いかな」

 

 どんなスポーツも、いつかはやめなければいけないときが来る。

 やめたくなくても、続けられなくなることもある。

 ケガで。

 能力で。

 金銭的事情で。

 理由は、さまざまだ。

 

 あらためて、ヴォルグを見る。

 

『俺が子供の頃に目指していたのはプロ野球の選手だったよ。ただ、俺には向いてなかった』

 

 俺の記憶。

 そして、速水龍一という存在。

 

 スポーツの世界で名を残したいという自己顕示欲か。

 

 まあ、きっかけなんて……そんなもんだろうと思う。

 

『ヴォルグは、学校の運動能力テストでリストアップされたって言ってたか?』

『ええ……その後、細かい検査を受けて、どの競技が僕に向いているかを説明されて、選べといわれました』

 

 自由、か。

 狭い自由。

 限られた選択。

 

『国家の代表になれば、母親の生活が楽になる……そう思いました。だから、最も適正が高いとされた競技、ボクシングを選んだ……』

 

 日本人の感覚で言うと正直重い理由だ。

 

 ただ、『親に強制された』と言い換えたら、幾分マイルドになるか。

 学校の成績がよければ、『医者か弁護士を目指せ』って強要される話を何度も聞いたしな。

 

 母親のため……か。

 

 人の気持ちは、感情は、色々なものが混ざり合って構成されていると俺は思う。

 

 白黒をつけるなんて言葉があるが、特別な状況で使われるようなイメージがある。

 限られた状況。

 ほかにどうしようもない時。

 

 人は、白と黒の中間、灰色の存在。

 その濃淡が、個人を形成する。

 何かにこだわると、その黒が、白が強く表に出てくる。

 

 ヴォルグが日本にやってきて、もう半年か。

 

 故郷に残してきた母親。

 ヴォルグにとって、その存在は大きい。

 この、異国の地における半年という時間が、その存在をさらに大きくするのだろう。

 

 

『……大事な気持ちは、ひとつじゃなくてもいいと思うぜ』

『どういう意味?』

 

 成長する身体。

 サンドバッグの感触。

 強くなるのがわかる。

 巧くなるのを実感する。

 

『昨日までできなかったことができるようになった……そういう、小さな喜びはあったんじゃないかってな』

『そう……だね』

『母親のために始めた……それはそれで持っておきな。ただ、ボクシングをする過程で得たもの……それも抱えて進んでいけばいい。俺はそうしてる』

 

 俺は、ずっと変わらない気持ちはないと思っている。

 人は変わっていく。

 留まらず、流れていく。

 

 ラムダが言ったように、『今の』自分と向き合うべきだ。

 

『ちなみに、俺の母親はボクシングが嫌いなんだ』

『そうなんですか?』

『俺が怪我をするのが嫌なんだそうだ……でも、相手はどうなってもいいって言うんだぜ?勝手だろ』

 

 ヴォルグが笑う。

 

『ヴォルグの母親も、そうなんじゃないか?暴力が嫌いなんじゃなく、自分の息子のヴォルグが傷つくことが嫌いで、それを恐れている……』

『……』

『母親って、そういうものらしい……俺は母親じゃないし、女でもないから良くわからないけど』

 

 まあ、高校のとき……妹には、『野蛮人』って言われたけどな。(震え声)

 思春期特有のアレだ、たぶん。

 人と殴りあうスポーツ……信じられないって感じか。

 

 そのくせ、去年帰省した時は、俺にお年玉を要求してきやがった。

 

 母親と妹は、同じ家族でもきっと違うカテゴリーの生物だと思う。

 

『まあ、なんだ……どうせボクシングをやるなら、無傷で相手を倒せばいいのさ。ヴォルグが、元気で、怪我をせずにがんばっている……それが一番なんじゃないかなぁ』

 

 一般論。

 あるいは、逃げ。

 

 それでも、俺にはほかに言える言葉が見つからない。

 

 人それぞれだ。

 10人いれば10人の事情があり、その10人に連なる人間は何倍もいる。

 

 どこかで割り切るか、全てを抱えて進む覚悟を決めるか。

 たぶん、答えなんて無い。

 

 

 ボクサーがリングの上に持っていけるものはそう多くない。

 体力。

 技術。

 自分の身体の中に収まるもの。

 

 ただ、心は、気持ちは……いくらでも持っていけるかもしれない。

 

 豊かとはいえないが、ジムでの交流。

 俺とのやりとり。

 

 それらがほんの少しでも、ヴォルグの支えになっていればいいんだが。

 

 

 

 チャンピオンカーニバルは、年明けの1月から始まる。

 

 まだ日程は不明だが、早ければ2ヵ月後。

 遅ければ5ヵ月後。

 

 俺は真田と。

 ヴォルグは伊達と。

 

 おそらく、伊達とヴォルグの試合は最注目のひとつになるだろう。

 チャンピオンカーニバルの最初か、中盤の目玉。

 

 3月にはいるとプロ野球の話題が増え、相対的にボクシングの記事に割り振られる紙面は減るからだ。

 

 チャンピオンカーニバルは、日本プロボクシング協会の主催する興行だ。

 注目の選手、注目のカードは、やはり話題になりやすい時期を選びたがる。

 

 もちろん、選手の体調や試合相手の調整もあるので、一概には言えないが。

 

 俺も、できれば早い時期がいい。

 注目されるされないじゃなく、試合が早ければ、その分だけ次の動きを早くできる。

 

 2ヵ月後と5ヵ月後だと、3ヶ月も違う。

 3ヶ月あれば、1試合こなせる。

 

 防衛戦か。

 あるいは、東洋への足がかりか。

 

 まあ、まずは真田に勝つ。

 全ての話はそれからだ。

 




……木村さんのファンの人にはごめんなさい。
原作とはタイトルマッチの順番が入れ替わったと思ってもらえれば。

というわけで、第二部『A級賞金トーナメント編』の終了です。
裏道は……例のドリームマッチはともかく、ちょっと考え中です。

第三部開始まで、またちょっと時間をあけます。
というか、今月はネカフェに寄れる機会が少なそうなので。
再開予定は9月。
第三部は『チャンピオンカーニバル編』で、ちょい短めになりそう。



感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。