何時も騒ぎを起こす中心人物がいないと、不安なんて起きないはずなのですが、残念ながら不在は『安定』ではないのが、馬鹿の凄さ。
彼が目の前にいない、管理下に置かれていないことは。
即ち?
「あ、俺ちょっと提督やることになったから、しばらく帰れない」
「はい?」
ある日の朝、珍しく執務室に入ってきたテラの発言は、アイリスを五分ほど固めたという。
「ちょっと待って! テラ! 提督って何?! 帝国軍に提督って役職はないでしょう?!」
ハッとして復帰して叫んだところで、相手は目の前にいなかった。
その後、アイリスは帝国軍すべてに片っ端から通信を入れて、『皇帝陛下が行ったら拘束しておくこと』と伝えたのでした。
意外な話を聞いた時、人の反応は二つに分かれるらしい。
唖然として止まるか、反射的に反論するか。
彼女の場合、後者だったが。
「・・・・」
「そういうわけよ、エミリア?」
「あ、うん、解った。大丈夫」
申し訳なさそうに答えるアイリスに、彼女は慌てて首を振った。
今日は珍しく報告書が作れたから持ってきただけで、彼に会いに来たわけじゃないのだが。
「ごめんなさいね、せっかく、貴方が出てきたのに」
「大丈夫だよ。報告書、置いておくね」
「ありがとう。貴方くらい結界系の技能があれば、私ももう少しフォローできたんでしょうけど」
嘘偽りなく労いをかけてくる相手に対して、思うことは一つだけ。
『貴方の能力値で他の技能を望むのは、どうなのかな』と。
「一応、主星と帝都の防護結界は六重展開。転移して来れないようにしてあるから」
「ありがとう。どの程度、防げるかしら?」
「S級テレポーターでも無理なくらいはあるよ」
自信を持って構築した。アインズにも手伝ってもらって、完璧にほぼ近いものを構築したはずなのだが。
「テラには無関係みたいだけど」
「あの馬鹿夫」
何故か、テラは素通りする。ルリでさえ抵抗を受けて、解除に時間がかかるというのに。
結界、防壁、妨害、何それ美味しいのっていう風に素通りするのがテラだ。実際に今までもどれほど苦労して組み上げた妨害だろうと、『やっほ』と一声で素通りしていった。
もう意味が解らないとは、メテオラと深雪が項垂れた時の発言だったか。
「とにかく、ありがとう。これで主星の防壁は完璧ね。今まで騎士団が警戒していたけど、もう下げてもいいわね?」
「うん、後は帝国軍が警戒すればいいと思うけど。魔法的なものが来た時は私たちが動くしかないよ」
「そちらは大丈夫よ。私とセラムがいれば最低限の防衛はできるから。いざという時はバトラーとジャンヌ、アインズの三人が動くから」
『ええぇ』という顔をするエミリアに、アイリスは『念のためよ』と伝える。
あの三人が動くと、もう容赦の欠片もなく周辺一帯が灰燼になるので、できれば後のことを考えると動かしたくない。
「お仕事が終わりなら、私は戻るけど、いいかな?」
「ええ、ありがとう。少し町並みを歩いてみない?」
躊躇いがちに提案するアイリスに、エミリアは小さく微笑んでから首を振った。
「また後で、行ってみるね。ありがとう」
「いいえ、いいのよ」
一礼して退出する彼女を見送り、アイリスは小さく息を吐く。
最初に会った時から彼女は、クルルとは別の意味での引きこもりだ。
『ヴァルハラ』の最奥、その中でも特殊な領域に入ったまま外に出てこない。こういった用事を頼めば外に出てくるので、外の世界が怖いというわけではないのだろうが。
彼女が何故、外の世界を拒んで、外の世界と関わりを持たないようにしているのか、それはアイリスもセラムも知らない。
ただテラは知っているようだが、彼が無理強いしていないならば自分達が無理に連れだすのは違っているのだろう。
「本当、私達はお互いのことを深く知らない」
呆れてしまう。同じ人を好きになり、同じ妻という立場にいながらも、お互いがお互いのことを深く知らない。
戦い方、好み、生い立ち、すべてを知っているのはテラくらいで、他は一部や半分くらいしか知らない。
それは自分も同じか。アイリスは小さく呆れながらイスに座る。自分だってセラム達に秘密にしていることの一つや二つはある。
セラムも―アセイラムも秘密はあるだろう。雪菜もメテオラもクトリもユイも深雪もクルルも。
特に『能力値』については、誰もが他の人に知らせることはない。切り札については匂わせることさえない。
お互いにけん制しているわけじゃなく、お互いに『迷惑かけたくない』と思って言わないだけ。家族なんだから迷惑くらいとアイリスは思うのだが、自分も他の妻達に秘密を打ち明けていないから。
「まったくもう」
自己嫌悪を吐きだし、アイリスは気持ちを切り替える。
こうしている間にも帝国は回っている。自分一人の気持ちで止めるわけにいかないから、気持ちを切り替えて。
後でテラに八当たりをしよう。小さく心に決めて、宰相は次の案件に取り掛かった。
ある種族とある種族が出会い、子をもうけたとして。その子はどちらの種族にも成れるものだろうか。
答えは否だ。どっちつかずのコウモリになって、どちらの種族からも疎まれて終わる。
自分がそうだったから。
政庁の廊下を歩き、窓から町並みを見下ろす。
ジョーカー銀河帝国の主星の帝都。豪華絢爛な町並みではなく、何処にでもあるような、そんな普通の街が広がる場所を見つめながら、エミリアは振り切るように顔を背ける。
自分がいていいのか、あるいは自分はいてはいけないのか。
不純物、必要ない者。散々に言われたことが脳裏をよぎって、『安心できる町並み』を見ないように足を進めてしまう。
誰もが否定なんてしない、誰もが嫌うことはない。だというのに、自分の心はここにいてはいけないと叫ぶ。
「もう、嫌になるよね」
我が事ながら呆れてしまうほどの自己否定。小さい頃から言われたことは、そう簡単に消えることはないらしい。
チクチクと痛む心は、何時も自分を責め立てる。誰からも言われないのに、昔のことを思い出しては勝手に引きこもって。
「はぁ」
「あれ、エミリア」
声をかけられ振り返れば、そこにいたのはいつかと同じ笑顔のテラ。
「あ、出かけたんじゃなかったの?」
「また出かける。ちょっと忘れ物、というか顔を見にきた?」
「私?」
えっと自分を指差した彼女に、テラは大きく頷いて抱きついてきた。
「え、ええ?! あ、あのね、テラ、ここ政庁の」
「ん~~え、夫が妻を抱きしめるのにTPOっているの?」
「一応は公私混同しないって意味で必要じゃないかな?」
「そっか、でもさ、俺がここの皇帝。俺がルール」
意外だと思った。普段の彼ならば、こんな『暴君の言い分』なんて使わないのに、今日はどうしたのだろうか。
「だからさ、エミリアのことを嫌うやつはいないし、君を虐める奴もいない。俺たちがいるからさ」
そっと囁くように耳元で告げられた言葉に、やっと彼がどうしてこんなことを言ったのか理解した。
見られていたわけじゃない。でも顔色から察したのだろう。自分がまた自己嫌悪で悩んでいることを。
最初に会ったときと同じ。一緒にいたいと告げた時に、でもと言ってしまったこと。自分の嫌な部分を並べ立てて、こんな奴だからと泣きながら告げたこと、そして『うん、だからなんだ?』と真顔で返した彼。
一つの種族でも素晴らしい、それが二つの種族ならば二倍は素晴らしい。君みたいな人に優しくできる子を嫌うなんて、そんなのは『世界にケンカを売っているようなもの』と大げさに語ってくれた。
嬉しくて、心が温かくなって、そのままテラと一緒にいると決めた。
あの時と変わらず、彼は沈んでいきそうな自分をあっとう間に救いあげてしまう。
「よっし、いい笑顔。可愛いよ、エミリア」
「はう」
で、最後に再び鎮めようとするのだが、この人は本当に性質が悪い。
「じゃ出かけてくるね、帝国はよろしく」
「あ、うん、解った。奥さんだから、夫の帰る『家』は必ず守るよ」
「よろしく」
笑顔で手を振って去っていくテラに、エミリアは小さく手を振り返す。
まったくあの人は、人たらしで優しくて、どうしょうもないスケコマシで。
結局、馬鹿って言葉になる、本当に困った人だ。
エミリア・アークドライブ・エーテル
年齢22歳。
銀色の髪に紫色の瞳。
テラ曰く、『陽のあたる新雪の髪に菫色の瞳』。
葵と同じ色合いだと誰もが言うのだが、テラは頑として譲らず『葵は俺と同じ色合いだけど、エミリアは華のように優雅だ』、と最後に必ず告げる。
結界や防壁系の能力値が高く、探査系技能に対しての欺瞞もかなり高レベルで行える。
彼女が『隠す』と決めると、大半の人たちが探知できずに終わるらしい。
『ノーフェイス騎士団』も、エミリアの能力値に近い編成で行われており、人知れず影のように動き回り、誰にも察知されずに行動完了してしまう。
ハーフエルフなため迫害を受けた経験が多く、極度の人見知り。妻達には普通に話すが、それ以外ではほとんど顔さえ合わせずにいる。
一日のすべてを『ヴァルハラ』の専用領域にて過ごし、滅多に外に出ることはない。妻達の中の引きこもりのトップ、二番目がクルル。
そのため帝国の役職を持っていることは少ないが、監査・内偵の部門は彼女の指揮下にあり、通常は別のトップが取り仕切っている。
どうやら馬鹿は不在のようで。
何処で何をしているかは、馬鹿のことなので誰も知らず。
さてさて、次はどんな騒動を起こすことやら。