馬鹿は何時だって周りのことを気にしています。
そう見えないかもしれませんが、馬鹿なりに気を使っているのです。
うん、きっとそうだろうって話。
昔を思い出すことがある。とても昔、もう微かにしか覚えていないはずなのに、不意に目の前に浮かんでくる過去。
今じゃない、かつて。自分が『自分になる』前の姿と記憶が目の前に浮かんでは消えていく。
平凡な人生、退屈だなんて思っていた日々。でも、それがどれだけ大切で愛おしかったかを今でははっきりと自覚している。
失って初めて大切なものに気づくから、だから今度は絶対に離さないようにして、そして絶対に無くさないようにしていたもの。
「ん?」
「あ、起きた」
「ん?」
後ろから聞こえた声に首を回して視線を向けると、呆れたような宰相殿が立っていた。
「あ、おはよう、アイリス。今、何日?」
その問いに、彼女は深々と溜息をついた。どうしてなのだろう、間違ったことは聞いていないはず。
「起きてすぐに時間じゃなく日付を聞くのは、貴方くらいよ、ルリア」
呆れたように告げられた言葉に、ルリア・レールザード・エーテルは軽く頬を染めて後頭部に手をまわした。
「えへへ、褒められちゃった」
「褒めてないわよ」
鋭く突っ込みを入れる宰相殿に、彼女は小さく舌を出して『うん、知っている』とだけ告げたのでした。
パシャパシャと水音が盛大になる。私室兼執務室兼、研究室の一角に備えつけられた洗面台に水をためて、盛大に顔を洗ってみる。
はねる水が服につくのも気にしない、床に飛び散った水滴は後でバッタ達が掃除してくれるだろう。
「それで、どうなっているの?」
横からタオルが差し出され、ルリアは『ありがと』と告げてタオルを掴んだ。
「ん~~八割型完了かな? 超空間ホールって案外、安定させるのに時間がかかるみたい」
「ワープゲートのように空間を圧縮するのではなく、遠距離の二つの地点を同一空間として固定するって、誰のアイディアだったかしら?」
突拍子もない科学技術の話を、呆れたように告げるアイリス。何度も聞いているのだが、どうしても『え、そんなこと科学的に可能なの? 魔法的に実行するのではなく?』と聞き返してしまう。
「まあ、理論的に難しいわけじゃないからね。今の帝国の科学技術なら、簡単簡単」
笑顔で気楽に告げるルリアは、タオルを片手に持ったまま使っていなくて。顔から滴り落ちる水滴が服を濡らして、体のラインを浮かび上がらせているのだが、本人は気にした様子もない。
「・・・・・・透けているわよ?」
「うん、知っている。でも、気にしないから」
自分の身だしなみに気を使わないのは、皇妃の中でもルリアくらいなものだ。誰もがテラと結婚して公式行事に出るようになってから、薄い化粧や服装に気を使っているのに。
あのクルルでさえ、公式行事の衣裳は選んでいるのに、ルリアにはそれがない。一時期、『ジャージで十分』とかいってそのまま参加しようとして、大混乱になったが。
主に、あの馬鹿が『え、いいの。じゃ俺も』といってジャージに着替えようとしたから。
スタイルはいいのに、とアイリスは残念そうな顔で彼女を見つめた。
実際、ルリアのスタイルは皇妃達の中でもトップクラスに完璧。身長もそれなり、可もなく不可もなく。高すぎず低すぎず。スリーサイズもモデルが羨むくらいの数値を叩きだし、一時期は芸能界関係の人たちから『是非!』と追いかけ回されたくらいだ。
世の中で言う残念美人とは彼女のことだろう、とアイリスは思っているのだが、世間一般からしてみれば皇妃達全員が何処か残念な部分があって、『黙っていれば美人なんだよ。黙っていれば』といわれているのを彼女は知らない。
宰相殿が余計なことを考えている間に、ルリアは濡れた服をそのままにして上から白衣を羽織る。
何時も彼女はこの格好、白いミニスカワンピースに白衣。靴下なんて履かない、足元はサンダルのみ。
一年通してその格好なのは、滅多に政庁から出ないためか、それとも単純に彼女の性格がズボラなのか、色々なところで物議をもたらしている問題に対して、当人は答えることなくいつもと変わらない笑顔でいる。
「で、そんなことでアイリスはここに来たの?」
「話のついでに寄っただけよ。技術局の予算案、この数字はちょっと無理よ」
「ええ~~?」
突きだされた書類に対して、ルリアが眉根を寄せて抗議をする。両手を上げて子供っぽく怒る仕草は、とても十八歳のモデル顔負けな女性がする仕草ではないのだが。
「横暴だ、不正だ、訴えてやる」
「裁判関係で私に勝てるとでも?」
「う・・・・」
科学技術の分野において、ルリアは天才といわれている。様々な知識や技術を持って不可能を可能にしてきた彼女は、技術局の変態実験暴走どもからかなりの尊敬を集めている。
けれど、だ。だからといって、アイリスに勝てるかということ、誰もが『否』と答える。
伊達に宰相を務めているわけでも、皇妃達のまとめ役をやっているわけでもない。彼女に口で勝てる相手がいるとしたら、それはきっと。
「組み直す、解りました」
「よろしい。まあ、ちょっとは助けてあげるから。ね」
差し出された書類とは別の書類を、アイリスは渡してくる。
内容は、前年比から三割増しの予算案。見事にまとめられた内容に、ルリアは一瞬で笑顔になってアイリスに飛びついた。
「大好きお姉様!」
「そっちの趣味はないから」
「私もないよ。ありがと、なんだかんだってアイリスは助けてくれるから、大好き」
「はいはい。じゃ、これにサインして。後は私が各方面は説得するから」
「は~~い」
上機嫌に返事をしながら、ルリアはスラスラとサインを書いたのでした。
アイリスが帰った後、ルリアは一人、イスに座って部屋の天井を見上げていた。
昔のことを、夢に見ていた。まだ自分が、『自分』になる前のこと。
ルリア、という名前を聞いた時、真っ先に浮かんだのが『グランブルー』。スマフォのゲームのヒロインかと嘆いたのだが、世界がまったく違っていて。
でも、召喚魔法の実験台にされかけて。当時は、一人で歩けないくらいに衰弱して、色々と嫌な思いもして。純潔、失ってなかっただけで、いくらかマシだったと思い返せる日々だった。
周り中の悲鳴と、怨みの慟哭の中で過ごした、あの頃。
二度目の人生なんていらない、転生なんて望んでない。心の中で叫んで泣いて、現実を見ないように蓋をしていた自分が、今こうして自分の好きに生きていられるのは、あの人のおかげだ。
「テラ」
「ん、どうした?」
「・・・・・いっつも思うんだけど、どっから入ったの?」
いないはずの人の名前を呼んで、返事をされるなんて恐怖でしかないはずなのに、ルリアは返事が来たことに『嬉しく思っている自分』に呆れてしまう。
「妻の呼び声に答えない夫はいない」
真顔で答える彼は、何処までも本気でふざけているわけがなくて。
「答えになってないけど」
「まあ、いいじゃん、俺が会いたくなったから忍び込んだ」
「ああ、そう」
笑顔で答えるテラに、『これは本当のことを話さないな』とルリアは諦めて話題を変えることにした。
「テラ、大好きだよ」
「知ってる。俺も大好きだよ」
「うん、知ってる」
「ならいいよ」
そう答えて、テラの姿は消えていた。
大好き、簡単に言えることで薄っぺらいような印象を前は持っていたのに、今となってはとても大きくて暖かくて、凄く頑張ろうって気持にさせてくれる魔法の言葉だ。
「よっし、がんばろ」
気合を入れて片手を上げたルリアの背後で、扉が勢いよく開いた。
「馬鹿夫は何処?!」
「へ? 今さっき、そこにいたけど、どうしたの?」
鬼も逃げ出すようあ形相で入ってきたアイリスに、さすがのルリアも少しだけ腰が引けていた。
「あの馬鹿夫・・・・・・技術局の倉庫の空間拡張をかけたうえで百倍の資材を放りこんだのよ!」
「うわぁ~お」
それはまた、やらかしたな。ルリアはそう答え、乾いた笑みを浮かべた。
浮かべるしかなかった、といえる。その後に続くアイリスの怒声と罵詈雑言を適当に受け流すために。
その後、一週間ほどで戻ってきた皇帝は、何時もの通りに政庁の屋上から吊るされたのでした。
ルリア・レールザード・エーテル。
年齢は十八歳。
エメラルド色の髪が毛先に行くにつれ、青に変化する特殊な髪と、青色の瞳。
テラ曰く、天壌を吹き渡る風のような髪と、大地から見上げた空色の瞳。
実は転生者。前の自分のことはうっすらと覚えているだけで、ほとんど残っていないのだが、時に夢として思い出すらしい。
元々、違法科学技術研究所に囚われていたところを、テラに救い出される。もう怖いのは嫌だと嘆いていたら、『じゃ、俺の妻になればいいじゃん』と意味不明なプロポーズに即答。
現在、魔法といった適正が低いため魔法戦とかできないのだが、科学技術関連は帝国を支えるくらいの貢献をしている。
皇妃としては自由に研究して、自由に技術局と暴走して、そして予算関係でアイリスに土下座したりする、自分らしい生活をしている。
ちなみに、特許関係は彼女の領分。
彼女の抱える『蒼穹騎士団』は研究分野に秀でている、というわけではなく何故か『速度・瞬時展開優先』の亜光速遊撃部隊となっている。
スピード狂ともいえるため、攻撃力がおろそかになっているのは内緒の話。
馬鹿に救われたお姫様は、馬鹿の理屈でなんだか助かった気分になって
そして、馬鹿のお嫁さんになりましたとさ。
めでたしめでたし。
なんていうわけないじゃん、的な話。