気になったことはありませんか
ぼくはありません
2つの円筒が重なり合って分離する。焼きごてでかき回されたような脳味噌で認識できるのはそれまでだった。
色はもはや色として認識されておらず、X軸とY軸とZ軸の正負の一部に等しかった。起伏には富んでいる。そういった意味での彩りにこと欠くことはなかった。
疲れ目だろうか。そう思って目を瞑る。光源はディスプレイと蛍光灯のみだ。必然的に上側の明度が上がる。ヘモグロビンと僅かなメラニンに赤色以外のスペクトルが吸収され網膜に紅。今朝から今までの像がしつこく自己主張をして、四角だけが見える。視覚だけに。つまりディスプレイだ。そういえば今朝からディスプレイしか見ていない。
立ち上がって、イヤホンを取る。ボイスロイドとダークソウルの入り交じる動画を連続再生していたせいで耳が痛い。外すと無音が襲ってきて、急に大気圧が増したかのようで、痛みは増した。振幅がないはずの音波にかようなエネルギーがあるとは、世界の将来が担保されているな、と、素っ頓狂なことを思いつき、立ちくらみに崩折れる。ごうんごうんと脳が鳴り、視神経に致命的なノイズが混じっていた。生きている五感は嗅覚、味覚、触覚のみで、そもそも情報量の八割を占めるらしい視覚が潰れている時点で碌でもないのだが、もし第六感を思考能力に据えたらばそれも失われていた。そこには床に臥せる血と骨を側で包んだ生ものが落ちていた。まるで己を見下ろしているような錯覚に陥るのはこの浮遊感のせいだ。心臓の音が小さくなっていき、視界の霧が晴れ、耳鳴りは去った。高周波はまだ残っている。いわゆる口笛はなぜ遠くまで聞こえるの理論であり、それが間違いだと気づけるほどの論理思考を取り戻していた。
冷蔵庫を開けた。淡い橙のライトに照らされたペットボトル、卵。他には何もない。閉める。あれ、何をしに来たのだろう。開ける。橙のペットボトルと卵。冷気が漏れ出している。電気代も馬鹿にならないから、閉める。何をしようとしていたんだっけ。胃に聞いても芳しい答えは帰ってこない。徒労だった。開ける。ペットボトルは冷たかった。キャップ下の賞味期限は三ヶ月前に切れていた。いつのだよ、これ。ゴミ箱に入れる。飲みかけだった。足元が冷たいので冷蔵庫を閉めた。
椅子に座ってみた。なにがしたいのか。人生の命題がここで明らかになるなんてロマンチックの対偶はあるはずもなく、あって欲しくなかった。ロマンチシズムを持っているといえば嘘になるが、ボロボロの風体を成り立たせるファクターとしてロマンチストが好ましいことをぼくは知っている。メガネが汚れていた。外す。ぼやける。つける。くっきり。レンズの汚れは誤差だ。もしかすると、汚れているのは水晶体のほうかもしれない。あるいは頭。だったら嫌だなあ、と思いつつディスプレイを眺めていたら爆発に巻き込まれた。ぼくの目から光線が発射されたのだ。ああ、これ高かったのになあ。燃える部屋の中でつぶやき、まばたきをして起きた。
短編の夢を見たのは暑いからだろう。部屋の温度計は30度を示している。部屋に温度計はないのだが、こう言えばそこに存在できる。ぼくの思考はその実、君の思考で、君の思考を弄くる権限の一部はぼくが持っているのだ。もし君がこれを見てくれればぼくは君の脳内の隅っこ番地に居住権を獲得する。押し入り強盗だ。
結局表現とはそういうものだろう。少なくとも、長年消費しかしてこなかったぼくのなんちゃって哲学に依ればそうなのだ。これにオチはない。願わくば、寝てほしい。ぼくがそうであったように、寝て、起きて、昨日の自分っぽい他人が書き散らした文を見て困惑した気持ちを抱いて寝てほしい。ここで君が寝てくれたのなら晴れて起承転結の結の欠が埋められる。
これぞ本当の寝落ち、なんちゃって。
タッチの差で世界の赴くままの変革が淘汰される