犬兄弟の真ん中に転生しました   作:ぷしけ

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第十話

あの日、コンビニに突っ込んできた車によって死亡したはずの私は、不可解な状況に困惑していた。

 

豪奢な調度品に囲まれた純和風の広い部屋に私は寝かされている。

体はろくに動かず、せいぜい無意味に手足をばたつかせるのが関の山。

口を開けば、出てくるのは「あー」だの「うー」だのといった喃語ばかり。

端的に言えば、赤ん坊になっていた。

 

……これは夢なのだろうか。

内臓破裂だか出血多量だかで死にかけた脳が見せている最期の夢。

それなら別に良い。

人生の最後の娯楽にしては退屈な夢だが、そもそも退屈な人生を歩んできた私の脳に愉快な創作を期待するのは贅沢というもの。

気がかりなのは、この夢を随分長い間見続けていることだ。

夢の中での経過時間など当てにならない、とは思う。

ここでの数日は、現実の世界で酸素の供給を経たれた脳が機能を停止するまでの数秒間なのかも知れない。

けれども。

私は最悪の展開を想像する。

――自分は死に損なって、昏睡状態にでもなっているんじゃなかろうか、と。

死ぬのなら、まだ良い。

両親の懐にはそれなりの額の生命保険と損害賠償金が入るはずだ。

それが、何をやっても平均以下の娘にできるせめてもの親孝行だと思えば、理不尽な死も許容できる。

……だが、中途半端に生き残り、父母の手を煩わすばかりの金食い虫になっているとしたら、いったいどう詫びれば良いのか。

暗澹たる気分になっていると、御簾の向こうから声が聞こえた。

 

「どうぞ、殺生丸様。ちょうど妹姫様もお目覚めです」

私の世話をしている女性に促されて入って来たのは――少女と見紛うほどに美しい顔立ちでありながら、気高く凛々しい佇まいの少年だった。

絹糸を思わせる白銀の髪と、輝く月の如き黄金の瞳。その圧倒的な存在感に目を奪われる。

「ほら、月華様、兄上様が会いに来てくださいましたよ」

(私の……兄上?)

女官に抱き上げられながら、その言葉を心の中で反芻する。

つい先日まで、五感から伝わる情報を上手く処理できずにいた私にとって、この少年は初めて認識する肉親だ。

殺生丸。変わった名前なのに、なんだか懐かしい気がする。

額と頬に紋様のあるその顔も、どこかで見たように思う。

(そんなふうに感じるのは……私のお兄さんだから?)

「……月華」

静かな声が、この世界での私の名を呼ぶ。

その声が、私の心に一つの希望を灯す。そんな都合の良い奇跡は無い、と今まで考えないようにしてきた可能性。

――これは現実で、私は別人として生まれ変わったんじゃないか。

(もし、そうだとしたら)

私は、自分の兄だという少年に向けて手を伸ばす。

もう一度、名前を呼んで欲しい。

兄として、(わたし)の手を握って欲しい。

そうしたら……自分はこの世界を現実だと信じられる。

逆縁にあわせた前世の両親にはもはや償いようもないが、その分も今生の家族を大切にして、精一杯生きて――

 

「お前は弱いな」

 

そんな思いは。

少年の、石ころでも見るような眼差しと、失望しきった声音にかき消された。

 

「殺生丸様?」

「つまらん、もう良い」

 

さも時間を無駄にしたという風に言い捨てると、少年はそのまま私に一瞥もくれずに踵を返す。

…………兄が背を向けて去っていく。

掴みかけた希望が、消えていく。

 

(……ああ)

これが夢か現実かなんて、どうでもいいことだった。

 

夢であれ現実であれ――私という存在が、誰からも必要とされない、何の役にも立たない存在であることに変わりはないのだから。

 

 

 

第十話 兄上に遭いました

 

 

 

「あ、月華様……」

早朝。廊下に出ると、庭先を眺めていた冥加が驚いたようにピョンと跳ねた。

縁側から、靄の立ち込める庭にいた弟に声をかける。

「おはよう、犬夜叉」

「……おう」

犬夜叉はほんの少し気まずそうに応えた。

父上の墓から帰還して以来数日、犬夜叉は朝方、一人で鍛錬を行っている。

鉄砕牙は、父の骸に封印されていた時と同じ錆び刀のままだ。

(自分から呼んだんだから、素直に変化してくれればいいのに……)

などと内心で愚痴っても、どうにもならない。

元来気の短い少年は、姉に隠れてボロ刀を振り続ける行為に我慢の限界を迎えていたのだろう、私が縁側に腰を下ろすのを黙って見つめている。

私もまた、そんな弟の行動に気づかないフリをしきれなくなったが故にこうして姿を現したのだが。

(さて、どうすればいいかな)

鉄砕牙を使いこなす方法はわかっている。

――人間を慈しみ、守る心を持つこと。

しかし、今それを犬夜叉に口頭で教えたところで意味はないだろう。

感情というのは他者に強制されるものではなく自然に生じるものなのだし……そもそも、私たちの周囲にヒトはいない。

「……犬夜叉に、人間のトモダチが出来ればいいのにな」

「はあ?」

弟は遠慮なく怪訝そうな声を上げた。

「なんでおれが人間と仲良くしなきゃならねえんだよ。あんな、妖怪と見りゃ逃げ出すしか能のない腰抜けどもと」

そう言う犬夜叉の顔が不機嫌なのは、鉄砕牙に関する助言を期待していたのに脈絡のないことを言われたからだけではあるまい。

私も、弟が人間たちからどういう扱いを受けていたかは知っている。

しかし。

「たしかに、人間は自分達と違うものを排除する。でもそれは、この世界で弱い者が生き抜くための手段。だから、強い者はそれを許してあげないと」

「…………」

危険なもの、異質なものを避ける――その判断ができない生物は、よほど運が良くない限り天敵に捕食されて終わるのだから。

とはいえ、その“正しい判断”が、犬夜叉に人間と絆を結ばせる最大の障害になるのだから苦々しい思いは禁じえないが。

(あ、そうか!)

 

「名案を思いついた。犬夜叉、私を退治して!」

「何言ってんだ? 姉上」

「何を言っているのですか? 月華様」

弟と家来に、同時にツッコまれた。

 

「いや、だからさ、私が人間を襲うから、犬夜叉がそれを助ければ、あなたが危険な妖怪じゃないって手っ取り早く人間に理解させて、仲良くなれるでしょ」

そうすれば犬夜叉に人を慈しむ心が芽生え、鉄砕牙を扱えるようになる。ナイスアイディアだ――と思ったのだけれど。

「それ、ヤラセとか詐欺って言うんじゃねえか? 相手を騙して仲良くなったって、そんな関係ニセモノだろ。おれは嫌だ」

「……ごもっとも」

わりと真っ当に反論された。

「だいたい、んなことしてその後どうすんだよ、姉上が悪者になっちまうじゃねえか」

「うーん、たしかに。嘘をつき通すなら私は犬夜叉から離れなきゃいけないけど……まだあなたには教えなきゃいけないことが沢山あるものね」

今はまだ、絵本の青鬼のようにひっそり姿を消す訳にはいかない。

「そういう問題じゃねえよ……あー、もういい。それより鉄砕牙だ! ロクに切れねえ刀持ってたってしょうがねえ、これなら床の間の飾りにでもした方がマシだぜ」

弟にとって、それは単なる腹立ち紛れの戯言だったのだろうが。

 

「ダメ! 鉄砕牙はちゃんと身につけてないと!」

「いけません、犬夜叉様! 鉄砕牙を手放しては!」

私と家来は、同時に叫んで顔を見合わせた。

 

「月華様……まさかご存知なのですか? 鉄砕牙のもうひとつの役目を」

「――ああ、それはもちろん」

全く知らない。

正確には“犬夜叉は鉄砕牙を持っていなくてはならない”という意識はあるが……その理由を思い出せない。

「よく知ってるよ。でも説明するの面倒だし、冥加から教えてあげてくれない?」

「そ、それはなりません! 犬夜叉様のことじゃ、秘密を知ったら刀なんぞに頼るより、変化した己の爪と牙で闘おうとするに決まって……」

「あっそうそう! それだ、思い出した!」

脳に詰まっていた栓が外れた心地で膝を打つ。

「え゛?」

「二人とも、何の話してんだ?」

「犬夜叉、あのね……」

カマをかけられたことに気づいて呆然とする蚤妖怪を尻目に、私は弟に説明を始めた。

 

「――つまり、鉄砕牙はおれに流れてる妖怪の血が暴走して、理性のない化け物になっちまうのを防ぐ守り刀ってことか」

「うん。だから今はまだ扱えないとしても、ちゃんと持っていて」

思ったより飲み込みが早くて助かった、と失礼な感想は胸中に秘めて首肯した。

「ああ……バラしてしもうた……」

私の隣で冥加が大袈裟に嘆息する。

「何よ。道具の機能を把握するのは、使い手の権利であり責務でしょう」

どうせなら鉄砕牙に取扱説明書でも括りつけておいて欲しいくらいである。長編物語の後付け設定よろしく情報を小出しにされても、ユーザーが迷惑するだけだ。

「それに犬夜叉は、自分の心が喰われる危険性を知ってまだ変化しようとするほどバカじゃないもの」

ね?と弟に同意を促して――私は少年の深刻な表情に戸惑った。

「おれにはやっぱり……無理なのか?」

「……?」

俯いて刀を握る犬夜叉の手に、力が篭る。

「半妖のおれは、父上の刀に守ってもらうだけで、使いこなせないのか? 姉上みたいに強くなれないのか?」

「……プッ」

「なっ、なにが可笑しいんだよ!」

「ごめんごめん、だって――犬夜叉は私なんかよりずっと強いのに、そんなこと言うから」

「へ……?」

「じゃあ、ちょっと昔の話をしようか。犬夜叉と会う前の、私の話」

腿の上に頬杖をついて、視線を下方に移す。

頼れる姉を気取ってきた私としては、かなり恥ずかしい。

けれど、犬夜叉を鍛え導くはずだった父は既に亡く、父の心を推し量れるほどの関わりを持てずじまいの私が弟に伝えられるのは、自分の言葉だけだ。

「私はね、昔……何もかも諦めて生きてたの」

犬夜叉が小さく息を呑む気配がした。

「自分には何も出来ないって最初から諦めて、何かをしたいって願いさえ持たない。私はそんな、弱っちい情けない奴だった」

「……どうしてだよ」

弟にとっては予想だにしない告白だったのだろう、半ば呆然と問うてくる。

「う~ん、生まれつき? まあそんなワケで、ずっと虚しい毎日を過ごして――そんな自分が大嫌いだった」

だから犬夜叉は、私みたいになってはいけない。

この先どんな道を進むにせよ、自分に誇りを持って生きて欲しい。

「初めて会った時のこと、覚えてる? あなたは妖怪に追い詰められて、でもその目は諦めていなかった。心は敵に屈していなかった。もし私があなたくらいの年頃に同じ目に遭ってたら、多分逃げることすらせず、死んでラクになろうとしたんじゃないかな」

言葉を切って、顔を上げる。

「犬夜叉、あなたの心には牙がある。絶望的な状況であっても諦めず敵に食らいつく、決して折れない牙を、あなたは心に持っている……私はそう思う」

「心に、牙……」

呟いて、犬夜叉は自分の胸元に手を置いた。

「肉体の強さは、時間をかけて正しい修行を続ければ得られる。でも心の強さはそうはいかない」

その稀有な強さを持っているのが、犬夜叉だ。

“努力は報われる”だの“正義は勝つ”だのといった都合の良い法則のない、無慈悲な現実の世界に並んで立てば、その在り方に畏敬の念すら抱く。

「犬夜叉のこと、私はいつもすごいって思ってる。だから焦らなくても、あなたは必ず強くなれるし、鉄砕牙も使いこなせるように……」

「~~っ、うるせえ! もういい、わかった!」

「うる……!?」

黒歴史まで開陳して励ましてやったのにうるさいとは何だこのクソガキ――と怒ろうとして、少年の頬が真っ赤になっているのに気づいてやめた。

犬夜叉はそのまま私に背を向けて、我武者羅に素振りを始める。

(……やれやれ)

反抗的な態度に腹の立つことも多いが、こういうわかり易い反応をするせいで憎めないのだ、この弟は。

「いやあ、さすが月華様。貴女様なら犬夜叉様を正しく導いて下さると信じておりましたぞ」

「ウソおっしゃい」

したり顔で頷く蚤妖怪を指先で潰すと、朝餉の支度のために立ち上がった。

犬夜叉は相変わらず力任せに刀を振り回している。

あれでは修練になるまいが、それを指摘してもますます恥ずかしがるだろう。

(落ち着くまで、一人にしておくか)

ちょうど食材が尽きていたことだし、朝食を済ませたら隣の山まで鹿を獲りに行こう。

青草をたっぷり食んだこの季節の鹿肉はたいそう美味だ……などと呑気なことを考えていた私は、数時間後、この判断を心底後悔した。

 

弟を育てることのみに尽力したこの数年間で私は――兄のことをすっかり忘れていたのである。

 

 

眼前に、月華の立ち姿を思い浮かべる。

中段に構えて、おれが斬りかかるのを待っている。

「――ッ」

袈裟懸けに斬り下して――躱される。

鳩尾を狙った突き――防がれる。

おれが、斬られる。

(……くそっ)

姉を仮想敵に据えた形稽古を続けて、気がつけば太陽はやや傾き始めていた。

納刀して、未だ追いつけない師匠たる異母姉に思いを馳せる。

月華は、強い。

技の練度も、疾さも、いや、それ以上に――

(心が強いのは、姉上だろ……)

 

半妖とは、人間からは忌まれ、妖怪からは蔑まれる存在だ。

そのことは、物心ついてからの数年間で嫌というほど思い知った。

だからこそ、一緒に暮らそうとする異母姉の提案には戸惑った。

おれは半妖だ、それでも良いのか――そう問うおれに、月華は、こう答えたのだ。

 

「それが、何なの?」と。

 

今でも鮮明に思い出せる、あの声。

静かな声だった。

優しい声だった。

――世界に叛逆するような声だった。

 

おれは自分の居場所を手に入れる力が欲しかった。

本物の妖怪になれたらそれが叶うのに、と思っていた。

 

しかしそれは、人間でもない、妖怪でもない半妖に居場所はない――そんな世界の理を受け入れ、諦めた考えではなかったか?

 

姉は違った。

“半妖の存在を否定する世界”の中で自己を否定していたのがおれだとすれば、あの時の月華は、世界の方を否定したのだ。

そんな姉が、昔は弱かったなどと聞かされても悪い冗談としか思えない。

(でも……)

本人が言うように、かつて弱かった月華が、おれの知る今の強い月華になったというのなら――

(おれも強くなると信じられる。強くなって、姉上と……)

「い、犬夜叉様! 犬夜叉様~~!!」

夢想は、泡を食った呼び声に断ち切られた。

姉に潰された後、風に乗ってどこかに飛んでいってしまっていた蚤妖怪がピンピンと跳ね寄ってくる。

「んだよ、冥加じじい」

「説明している暇はありません! 今すぐお逃げください!」

「ああ?」

かつてなく慌てた様子の冥加に眉根を寄せた次の瞬間――地響きとともに、大気が震えた。

「これは……結界が破られたのか!?」

この屋敷を中心とした一帯は、姉によって結界が施され、外敵の侵入を阻んでいる。

それが破られたということは即ち――月華と同等かそれ以上の妖怪の襲撃。

「……!!」

さして苦労することもなく、侵入者の姿は確認できた。

小山ほどもある鬼が、木々をなぎ倒し、湖水を波立たせて迫ってくる。

しかし、結界を容易く無効化するほどの妖力を発しているのは鬼ではなく……その肩に優雅に腰掛け、こちらを睥睨する男だ。

 

「――貴様が犬夜叉か」

 

その声と視線に込められた感情は、おれにとって馴染み深いもの――嫌悪と侮蔑に満ちている。

金色の眼差しが、腰に差した鉄砕牙に這い、一際剣呑さを増して眇められた。

全身の毛が逆立つような強烈な妖気を帯びたまま、男がゆるりと立ち上がる。

「――ッ!」

刹那、五感を超えた直感が、体を背後に跳躍させた。

「ふん……多少は鍛えられていると見える」

一瞬前までおれがいた場所に降り立った白銀の妖怪が、つまらなそうに言う。

あとわずかでも飛びすさるのが遅かったら、完全に間合いを奪われていた。

「ってめえ、いったい何なんだ!? 何しに来やがった!」

背筋を伝う冷たい汗から意識を引き剥がして怒鳴るおれの耳元で、冥加が“あー!”だの“わー!”だの叫ぶ。

「犬夜叉様、殺生丸様に逆らってはなりません! 殺されてしまいます! あのその、殺生丸様、本日はどのようなご用件で……」

「知れたこと。あの気の触れた女に、申し開きくらいはさせてやろうと思ったが……どうやら不在のようだな」

「冥加じじい、こんな奴にペコペコしてんじゃねえっ!」

気の触れた女、というのが何者をさしているのか不明だが、この妖怪の目的がなんであれ、姉と暮らす場所を無遠慮に踏み荒らされるのは我慢ならない。

「てめえが何様だか知らねえが、ここは姉上の領地だぞ! 勝手に入ってくるな!」

その時、男の足元から緑色の小さな妖怪――あまりにも矮小で今まで認識できずにいた――が顔を出してせせら笑った。

「物知らずの半妖が大きな口を叩くでないわ! よく聞け、こちらにおわす殺生丸様と月華様は血を分けた御兄妹よ。兄が妹を訪ねて何が悪い!」

「黙れ、邪見」

「え!? は、はいスミマセン……」

“虎の威を借る狐”という表現がぴったりの小妖怪は、見る間にしゅんとなって後ろに下がる。

それを視界に入れることすらないまま、殺生丸と呼ばれた妖怪は冷淡に吐き捨てた。

 

「人間などという卑しき生き物を母に持つ半妖……一族の恥さらし者を引き取った挙句、鉄砕牙を与えた愚かな女を、もはや妹とは思わん」

 

「――――」

月華の兄。

それはつまり、自分にとっても異母兄ということだろう。言われてみれば、たしかに妖気の質も、匂いも、姉とよく似ている。

しかし、姉に出会った時に抱いたような親しみや喜びは微塵も感じない。

今のおれにあるのは、腸が煮えくりかえるような怒りだけだ。

「姉上は、愚かなんかじゃねえ……!」

“あなたは私の弟だ”と言って微笑みかけてくれた月華。

勉学を怠けると口やかましく怒るし、鍛錬では容赦なく痛めつけてくる――けれどいつもおれと真っ直ぐに向き合ってくれている月華。

それを貶められるのは、自分が蔑まれるよりずっと許しがたい。

「今すぐ取り消せ! 姉上は頭が良くて、強くて」

「半妖風情があやつを語る言葉に、何の価値もないわ」

肩をいからせて捲し立てるおれに、殺生丸は傲岸に言い放つ。

「……だったら黙らせてみやがれ、クソ野郎!」

「――ほう?」

金の双眸に、嘲笑が滲んだ。

「よかろう。……鉄砕牙は貴様ごときが持つ刀ではない」

冷たい殺意を漲らせて、殺生丸が爪を鳴らす。

冥加が何か叫んでいる気がするが、聞こえない。

こちらも爪を構え、姉の怒りがぬるま湯に思える脅威に向かって一歩踏み出し――耳を聾する轟音にたたらを踏んだ。

 

殺生丸の連れてきた大鬼が、粉砕されている。

内側から稲妻で灼き尽くされたかのごとく炭化した肉片を爆ぜ散らすその向こうに、よく見知った姿。

「姉上……」

「…………」

殺生丸が、首を巡らして月華を睨み据える。

その視線は、おれに向けたのと変わらぬ敵意に満ちているようで――蟷螂の斧を振る半妖に対する嘲りは失せ、別のものを含んでいるように感じられた。

しかし、そのことについて深く考えるよりも先に、けたたましい笑い声におれは当惑した。

 

「あぁーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 

それは今まで聞いたことのない、姉の哄笑だった。

 

 

Q. 人生相談です。 外出から戻ったら、異母弟と実兄が父の遺産相続でモメて一触即発状態になってたんですが、こんな時どうしたらいいでしょうか?

――A. 笑えばいいと思うよ。

 

「あっはははははっ!」

 

内心の焦りを隠してゆっくりと歩を進める。

人前でこんなふうに大口を開けて笑うことなど、今生はおろか前世でも無かったように思う。

うまく笑えているか不安だったが、どうにか全員の注意を惹きつけたまま、犬夜叉と殺生丸を遮る位置に立った。

「――月華、何が可笑しい」

冷ややかな兄の問い。私は笑う。まだ笑う。

「ははっ、何がもなにも……」

私は嗤いながら――言葉(バクダン)を投げつけた。

 

「急に結界を破って押しかけて来たかと思えば、たかが刀一本のことで、弟相手に大人気なくみっともなく目くじら立てておられるなんて――兄上、あなたがそんなにケチなお方だったとはちっとも存じませんでした! あの世で父上もさぞ呆れてらっしゃるでしょう! おっかしくて仕方ありませんわ、あーっはっはっはっはっ!」

 

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

地獄絵図であった。

「は……? えっ……?」

なおも腹を抱えて笑い続ける私に、邪見は言葉もなく、目と口を大きく開いたまま硬直している。

「げ、げ、げ、月華様……!」

冥加は逃げることすら忘れて、犬夜叉の頭上で青くなって身を震わせている。

「…………」

弟は、従者二人に比べると肝が据わっているらしく、険しい顔つきで私と兄とを見比べている。

 

殺生丸は――能面の如き無表情。

しかして、その殺気は凄まじい重圧となって周囲を満たす。

 

「……ようもほざいた。それが貴様の本心か」

 

灼熱の嚇怒を孕んで凍りついた声音。

殺生丸の妖気が渦を巻く。

見開かれた双眸は、禍々しい血の色に染まっている。

 

「この殺生丸を愚弄した罪、その命で贖うが良い――月華!!」

 

巨大な化け犬へと変化を始める兄の姿。

(あー、あんな大きな口で噛まれたらバラバラになっちゃうかもな……)

だが、これでいい。

これで完全に殺生丸の矛先は私に向いた。

まだ鉄砕牙を使えない幼い犬夜叉では勝ち目がない。

犬夜叉が眼中にない今の状態ならば――自分でも、時間稼ぎくらいはできるはずだ。

「はー……さて犬夜叉、私は兄上と遊んでるから、あなたはちょっと離れてなさい。急いで、なるべく遠くまで」

恐怖と興奮が混ざり合って、本当に可笑しくなってきた。

演技抜きの笑いの発作に耐えながら、犬夜叉の肩に手をかけ、逃げるように促し――

 

「いやだ」

「え?」

 

断られた。

 

「姉上、おれを逃がして一人で戦うつもりなんだろ!? そんなのダメだ!」

「バ、バカ、なに言ってるの、ここにいたらあなたまで殺され――」

言い終わる前に、変化を終えた兄の前足が、二人まとめて叩き潰さんとばかりに振り下ろされる。

咄嗟に犬夜叉を抱えて屋敷の屋根に跳躍するも、今度は巨大な顎がその屋根を齧りとる。

「お願いだから逃げて! 私のことはいいから!」

「いいワケないだろうが!!」

犬夜叉は懇願する私の手を振り払い、牙を向いて迫り来る殺生丸と対峙した。

爪から滴る毒は地面を灼き、濃密な妖気は霧となって空を覆う。

それら一切に怖じることなく、犬夜叉が鉄砕牙に手をかける。

「姉上は、殺させねえ……!」

巌のごとき意志を滾らせる、弟の声。

 

ドクン――と。

 

私はたしかに、鉄砕牙が脈打つ音を聞いた。

 




十話で過去編が終わると言ったな、あれは嘘だorz
キリが悪いですが11(ワンワン)ってことでご勘弁を。

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