犬兄弟の真ん中に転生しました   作:ぷしけ

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第十四話

白昼の流星雨を見た翌日の晩。

あの怪現象の正体を突きとめるため、私と犬夜叉は、武蔵の国にやって来ていた。

そこで髪の毛を操る鬼――逆髪の結羅と遭遇した。

肉体の損壊をものともしない魂移しの鬼術と、不可視の髪を操る戦闘方法は少々厄介だったが、私たち姉弟の銀髪に目が眩んだのが運の尽き。

犬夜叉の放った風の傷によって、塵一つ残さず消し飛ぶことになったのである。

あとに残ったのは、無数の犠牲者たちの髑髏と……小さな水晶のような石片。

(この妖気は、あの時の……?)

つまんで月明かりにかざしていると、弟の腕の中で、少女があっと声を上げた。

「そ、それ、返して……!」

「ん? ――ああ、あなたのなの? はいどうぞ」

こちらに向けて伸ばされた手に、七色に光る欠片を渡してやる。

「え……?」

何故か少女は呆気にとられた顔を見せた。

「え~っと、その、あなたたち、四魂のカケラを狙って来た妖怪じゃないの?」

「おいコラ、女。おれたちが妖怪だからってバカにすんじゃねえよ」

犬夜叉が尊大に胸を張る。

「人のモンを取るのはドロボーだろ。そんなみっともねえ真似するかってんだ」

――んなドヤ顔して言うほどのことでもないと思うけど。

「まあ、たしかにその通りね。私たちはただ、昨日見た謎の光が何なのか知りたくて来たの」

私は少女に微笑みかけて言った。

「その“四魂のカケラ”とやらがあなたの物だというのなら、少し、話を聞かせてもらえる?」

 

なんか、どっかで聞いたような気がしないこともないのだが……

 

 

 

第十四話 原作知識を失っていました

 

 

 

囲炉裏にくべられた炭が、パチパチと小さな音を立てている。

上座に座っているのは、少女に案内される道中で合流した、この家の主である隻眼の老巫女だ。

その右隣にセーラー服の少女が座り、私は囲炉裏を挟んで老巫女の向かいに座っている。

犬夜叉は屋内に染み付いた薬草の臭いを嫌って、戸口に背を凭れて立っている。

弟より嗅覚が鋭い私が我慢してるのに情けない奴……などとからかう余裕は、今の私には無かった。

 

「なるほど……それで四魂の玉は今、バラバラになって飛び散っていると」

(――私のドジ! バカ! 大マヌケ! スカポンタン……!!)

平静を装って受け答えをしながら、心の中で自身を罵倒するのに大忙しだったのである。

 

(なんで四魂の玉のこと、まるっと忘れてんのよ!? 原作の最重要アイテムじゃん!!)

 

我ながら信じがたいことだが、少女からことのあらましを聞くまで、完全に頭から抜け落ちていたのである。

たしかに、だいぶ前から前世の記憶が薄れてきていたが、まさか何を忘れているかすら自覚できないほど記憶が摩耗していたとは。

(こうじゃないよね? よくわかんないけど、物語の始まりって、絶対こんな流れじゃなかったよね!?)

話を聞く限り、この数日間、少女と老巫女は息つく間もない大冒険を演じていたようだ。

……主人公が立ち会うべき序盤のイベントを単行本一巻分くらいすっぽかしてしまった気がする。

(もっと早くここに来ていれば……)

四魂の玉が妖怪に奪われた時に、私と犬夜叉がいれば、戦いの中で玉が砕け散るなんて事態は防げたかもしれない。

否、それよりも前。四魂の玉を自分たちが探し出してどこかに封印するなり異界に捨てるなりできていれば、桔梗とかいう、この老巫女の姉が無残に死ぬこともなかっただろう。

――なにもかも、私が忘れていたばっかりに。

 

「……して、そなたらはもしや、噂に聞く“神殺しの化け犬”ではないか?」

 

(私が、ちゃんと覚えてさえいれば……)

「姉貴? おい、聞いてんのか?」

「え?」

自分の迂闊さに歯噛みしていると、弟に眼前でひらひらと手を振って見せられた。

「ああ、うん。聞いてるよ。私たちがえーと……“噛み殺しのバカ犬”か、でしょう?」

「ダメだ聞いてねえ。おいババア、もう一回言ってくれ」

「……“神殺しの化け犬”は、わしらのような巫女や神官の間で、昔から噂されておる妖怪の姉弟じゃよ。今から百年以上前、伝説の蓬莱島が邪な神に襲われたとき、島の守り巫女を救い、邪な神を討ち滅ぼしたがゆえにそう呼ばれておる。悪しきものを倒し、人を助ける良き妖怪の姉弟――そなたらを見て、その伝承を思い出したのよ」

――あの蓬莱島の戦いからもうそんなに経つのか。随分と噂話に尾ヒレがつくわけだ。

「正確には、元神獣ね。蓬莱島にやってきた時点で、一方的に生贄を求めるだけの妖怪になってたし、倒したのも、その守り巫女と島の住人に力を貸してもらってのこと」

「おお……! では、やはりそなたらが……」

「すごい妖怪さんたちなのね!」

「……」

大袈裟な言い伝えを否定したつもりだったのだが、老巫女と少女は逆に目を輝かせた。

「フン、おれたちは気に入らねえ奴をぶっ飛ばしただけでい」

その視線を受けて、犬夜叉が眉間にしわを寄せて不機嫌に言う。ストレートに賞賛されたり、感謝されたりすると仏頂面になる照れ屋なのだ。

普段なら私がそんな弟のフォローをするのだが、原作知識をドブに捨てた悔恨と自責の真っ只中にいる現状では、私自身も居心地が悪い。

基本的に弱きを助け強きを挫く方針なので人間の味方っぽく思うかもしれませんが、こっちから相手に喧嘩を売ることもあるし、退治して名を上げようとした人間にとことん恐怖を与えて心をへし折ったこともあります――と言うべきか否か悩んでいると、少女が真剣な眼差しで膝を進めてきた。

 

「あのっ! お願いします、四魂のカケラを元どおり集めるために、力を貸してください!」

「――」

 

かごめ、と老巫女が小さく呼びかけるのを無視して、少女は切々と訴える。

「あたしだけじゃ、妖怪と戦ってカケラを取り戻すなんてできない。楓ばあちゃんはお年寄りだし、この村を守らなきゃいけない。あなたたちが良い妖怪なら、どうか、力を貸してほしいの」

お願いします、ともう一度言って、深々と頭を下げる。

その華奢な体を見下ろして、私は答えに窮していた。

もはや登場人物の名前すら思い出せないが、このかごめという少女は、ほぼ間違いなく物語のヒロインだろう。

タイムスリップして四魂の玉をこの時代に持ち込んだという展開や、かつてその玉を守っていた巫女の生まれ変わりという設定は、いかにもストーリーの中心となるに相応しい。

そんな人物が、事態の解決のために行動するのは物語の流れとして当然だ。

そう、物語としては。しかし――

 

「やめておけ、かごめ」

黙りこくる私をどう受け取ったのか、老巫女が硬い声を発する。

「その者たちは妖怪。いかに格が高かろうと、いや、格が高いからこそ、見返りもなしに人に従いはせぬ。まして、四魂の玉は妖怪の妖力を高め凶暴化させる呪いの宝玉。カケラを集めるうちに、この者たちがその力に取り憑かれるようなことがあれば、それこそ災いとなろう」

「あ゛ぁ?」

それは長きにわたり妖怪と戦い村を守ってきた者らしい、的確な意見だったが、この場においては失言だった。

なりゆきを見守っていた犬夜叉が、剣呑な声を上げる。

「ババア、あんまり舐めた口きくんじゃねえぞ。妙な玉なんぞに頼って妖力を増したって、そんなの本当の強さじゃねえだろうが。おれと姉貴が、んなモンに取り憑かれるかよ!」

妖怪になりたいとも、人間になりたいとも望むことなく、半妖として強く生きると決意した弟にとっては、度し難い侮辱に感じられただろう。尊大に腕組みして、憎々しげに毒づく。

「だいたい、四魂の玉ってのはそれほどご大層なもんなのか? こんなババアとマヌケ女の言うお宝なんてアテにならねえぜ」

「な、なによ、失礼ね! あたしはともかく、楓ばあちゃんはとっても強い巫女なのよ!」

見かけより気の強いタイプだったらしい。少女が気色ばんで応戦する。

「そのつよーい巫女とてめえのせいで玉が砕けちまったんだろ? どっちもマヌケじゃねえか」

(違う、私のせいだ……)

泥仕合になりそうな二人を仲裁するために立ち上がりながら、私はいまだに慚愧の念を持て余していた。

私が、四魂の玉のことを忘れていたせいで。

私が、悲劇を防ぐチャンスを逃したせいで。

この世に災いの種がばら蒔かれたのは、私のせいなのだ。

 

――せめて、この先に起こる出来事を思い出したい。

(これから、どんなふうに話が進んでいくんだったっけ? 登場する敵は……四魂の玉を安全に処理する方法は……)

弟を宥めながら、意識を自らの記憶に没入させ――次の瞬間、脳天を衝撃が貫いた。

 

「……ぁぐっ……!」

痛い。頭が、割れるように、痛い。

砂嵐のようなノイズが聴覚を侵し、グニャグニャと視界が歪む。

まともに立っていることもできず、床に手をついて激痛に耐えた。

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫か、姉貴!!」

少年の声と少女の声が重なった。

目線を上げると、さっきまで睨み合っていた二人が心配げにこちらを覗き込んでいる。

「……」

「……」

同じような行動をとったのが気恥ずかしかったのか、弟と少女は一瞬顔を見合わせて、すぐ目をそらした。

(……カワイイ……)

意識が目の前の光景に向くと同時に、少しずつ痛みが引いていった。

それを悟られないよう顔を伏せて、わざと苦しげな声を搾り出す。

「……あなたたちが仲直りしてくれたら、良くなる」

「わ、わかった! そういうことなら――って妙な小芝居してんじゃねえクソ姉貴!」

「あはは、バレた?」

朗らかに言って上体を起こすと、最初から私の演技だと思ったらしい犬夜叉は憤慨するが、先程まで少女との間に漂っていた険悪な空気は消えていた。

騙されたと怒る弟に謝罪しつつ、まだ頭の芯に残る鈍痛の理由に思考を巡らせる。

妖怪の肉体は痛みに強い。けれどあの頭痛は、今生で初めて味わうレベルの痛みだった。

そんなものが外部から攻撃を受けたわけでもなんでもなく、唐突に訪れるというのは明らかに異常である。

考えられる原因は――私がこの先の物語を思い出そうとしたことだ。

(これが、代償ってヤツなのかな……)

私は『犬夜叉(げんさく)』よりも犬夜叉(おとうと)を選んだ。

本来の物語において、弟が孤独に過ごしたはずの年月を、姉として共に歩んだ。

そのことを悪いとはまったく思わない。

けれど、己の一存で物語の流れを変えておきながら、今になって“原作知識”を利用しようとする――それはあまりにムシの良い話だ。

原作崩壊の代償として、それを引き起こした転生者は原作知識を奪われる。そんなことがあってもおかしくない気がする。

そもそも前世の記憶など、新たに生まれ変わった時点で失われるのが道理なのだ。

悲劇を回避できなかったからといって、“もとから無いはずのもの”を惜しむのは無いものねだりに他ならない。

 

「……落ち着いたところで、話を戻しましょう。私は別に、見返り無しに協力するのが嫌だなんて思ってない。ただ、気になることがあったの」

私は少女に向き直って言った。

「あなたが四魂の玉を取り戻したいと思うのは――自分が、玉を守っていた巫女の生まれ変わりだから?」

「え……?」

質問の意図を計りかねてか、少女が戸惑ったように大きな目を瞬かせる。

「生きるものの魂は全て輪廻転生する。でも、今生の生は前世の続きでもやり直しでもない。あなたが前世の巫女の使命を全うしようとしているのなら、それは賛成できない。四魂の玉に関して何の責任を感じる必要もないのに、危険な旅に身を投じて何かあったら、あなたの家族が悲しむでしょう」

少女が着ているのはセーラー服……つまりはまだ中学生か高校生ということだ。(最初に見たときは随分変わった着物だなどと思ってしまったが)

マンガやアニメの世界で、十代の少年少女が命を賭けて戦うなんて珍しくもない。

しかしここは、ページをめくったり早送りして未来を見通すことなど出来ず、もし無理に未来を知ろうとすれば耐え難い頭痛に悶絶する世界――つまりは、現実である。

彼女の行動が如何に“物語の登場人物”として至当であっても、前世で両親を残して死んだ転生者である自分は、現実的に考えて、是とすることができなかったのだ。

 

「……あなたの言ってることは、良くわかるわ」

 

暫しの沈黙を挟んで、少女はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あたしが、桔梗の生まれ変わりだって話は、正直なところピンと来ないの。家は神社だけど、魂だの幽霊だのっていうオカルトな話は全然信じてなかったし」

だから妖怪が実在するなんてびっくりしちゃった、と肩をすくめて、続ける。

「でも、この時代の人たちは、妖怪や野盗に脅かされて、それでも一生懸命生きてる。そんな人たちが、四魂の欠片のせいで逆髪の結羅みたいな妖怪に殺されるのを、自分には関係ないなんて思えない。あたしが頑張れば死ななくていい人たちが死なずに済むなら、頑張りたい。……それは、前世の使命とかじゃない、あたしの意思よ」

自分の心の内を確かめるように一言一言発するその口調はたどたどしく……けれども真実の響きがあった。

「あなたの意思、か。だったら、私に止める権利はないね」

現実の世界には、主人公補正もご都合展開も無い。それでも道を切り拓けるのは、彼女のように自らの勇気と信念で前に進む者なのだ。

「巫女殿」

「な、なんじゃ」

たいそう不思議なものを見るような面持ちで私と少女のやりとりを眺めていた老巫女が、呼びかけに肩を跳ねさせた。

「あなたは四魂の欠片が私たちに悪影響を及ぼすのを警戒していたけれど、この子からは強い霊力が感じられる。私と弟が戦って集めたカケラを彼女が持っていれば、邪気は浄化されて、呪いを生むことはないと思うんだけど、どう?」

「……うむ。たしかにそのとおりじゃ。……すまぬ、そなた達を見くびっておった。誇り高く聡明な神殺しの化け犬よ」

老いた顔を畏敬の表情に改め、隻眼の巫女が平伏する。

「おい。なんか勝手に協力する流れになってねえか?」

……わりといいカンジに話が纏まったと思ったのだが。納得してない者が約一名。

「何か問題がある? 犬夜叉」

「おれたちに何の得があるんだよ」

振り返れば、弟が頬をふくらませて私を見下ろしている。

犬夜叉とて無辜の人々が殺されるのを良しとする性格ではない。こんな風に文句を言うのは単に、先ほどの少女との諍いを根に持って拗ねているだけなのだろう。

(しつこい男はモテないぞ……)

そう思って、ふと悪戯心が湧いた。

首を傾けて、少女の可憐な顔を覗き込む。

「じゃあ、力を貸すかわりに、弟のお嫁さんになってくれる?」

「え、えええっ!?」

「イキナリなに言ってやがるバカ姉貴!」

少女は目をパチクリさせてたじろぎ、犬夜叉は牙を剥いてくってかかってきた。

どちらもほんのり頬が赤くなっている。……いけないとわかっちゃいるけど、純情な少年少女をからかうのは楽しいなあ。

微笑みとともに弟に問う。

「犬夜叉は、彼女が心配ではないの?」

「……ッ」

うー、と唸りながら睨みつけていた犬夜叉が沈黙する。

落ち着き無く視線をさ迷わせた挙句、不貞腐れたようにそっぽを向き、

「……けっ、その四魂の欠片とかを狙ってくる連中に、ちったあ歯ごたえのある奴がいるといいけどな」

そんな素直でない承諾の仕方をした。

「決まりだね。出発は明日の朝ってことでいいかな?」

私のセクハラ発言に呆然としていた少女は、そう水を向けられて我に帰ったらしい。

「手伝って……くれるの?」

頷くと、ぱあっと笑みを浮かべる。

見る者の心を明るくさせる、花が咲くような笑顔だった。

「ありがとう! あたし、日暮かごめっていうの。ええと、あなたは……」

「私は月華。こっちの口の悪いのが、弟の犬夜叉」

握手しながら、もう片方の手で弟を指差す。

かごめは、犬夜叉にも手を差し出した。

「あなたたちが力を貸してくれて嬉しいわ。これからよろしくね、犬夜叉」

「お、おう」

犬夜叉は少女の可愛らしい笑顔と小さな手にドギマギしながら、不器用に握り返す。

「……あー、おい、あのな」

「なあに?」

「……言っとくけど、嫁にはならなくていいからな」

「~~っ! こっちからお断りよ、あんたなんかっ!」

「んだとぉ!?」

少年と少女は、そのままぎゃいぎゃいと口喧嘩に発展してしまった。

 

(照れ隠しが下手すぎる……)

天井を仰いで嘆息する私に、老巫女が呆れた調子で問いかける。

「おぬしはともかく、あの二人は本当に大丈夫かの?」

「……たぶん」

喧嘩するほどなんとやら。彼らが早く打ち解けられることを願って、私はあえて止めないことにした。

 

明日から、三人の旅が始まる。

ヒーローでもヒロインでも異分子でもない、先の見えない現実の世界に生きる者として、各々の意志で前へ進み、力を尽くすのだ。

(頑張ろう……これまでもそうして来たんだし)

本来の物語を捨てて、己の心のままに生きてきた。……その結果犠牲になったものについて私が正しく理解するのは、まだ先の話である。

 


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