城の地下室いっぱいに、巨大なカエルの卵がひしめいている。
卵の中に囚われているのは、みな若い娘だ。
「チッ、気色の悪ぃ眺めだな」
「月華さん、これはなんなの?」
私と別ルートで城内を探っていた犬夜叉達が、背後から声をかけてきた。
「蝦蟇の妖術……人間の魂を熟成させて喰らうためのもの。そっちの首尾は?」
「うむ、無事に露姫様を見つけ出したぞ!」
振り返りながら問うと、傍らに美しい姫を伴った若い侍が力強く頷く。
武蔵の国を出て、四魂の欠片の手がかりを探す途中で偶然知り合った信長(尾張のうつけとは無関係)という男だ。
殿が物の怪に憑かれている、という噂のある城に嫁いだ姫を救い出すために、私達にくっついて来たのである。
「それで、おれにコイツらの世話を押し付けた甲斐はあったのか? 姉貴」
私が城に巣食う妖怪の正体を突き止めるまで静かに行動しろ、と言い含められていた弟が、焦れたように尋ねる。
「うん。九十九の蝦蟇が、四魂の欠片から得た妖力で、殿の体を乗っ取ったんでしょう」
「そんな……! では、殿はもう……?」
不安げに立ちつくしていた姫が、私の言葉に涙を滲ませた。
「いや、九十九の蝦蟇自体はたいして強くないし、まだ殿の心は残ってると思う」
「な、ならばどうか殿を助けてやってくれ! わしは……人が死ぬのは嫌なんじゃ!」
「信長くん……」
「信長……」
「この戦乱の世に、甘いことを言うと笑われるかもしらんが……それでもわしは……」
「――お涙頂戴はそのへんにしときな。来たぜ」
犬夜叉の視線の先。地下室の扉の向こうから湿った足音が近づいてくる。
どうやら敵も私達の存在に気づいたらしい。
『ぐひっ、くせ者~。喰ろうてやる~』
現れたのは、上質な直垂を着込んだ、包帯まみれの異形だった。
弛んだ包帯の隙間から、ギョロギョロしたカエルの目玉が不気味に睨みつけてくる。
かごめ達を庇う形で、弟が前に進み出る。
「……殿サマの体から蝦蟇を追い出す方法、わかってんのか?」
「当然。でもちょっと手間がかかるから、時間を稼げる?」
「ったりめーだ」
『追い出すだと~? ば~か、その前に殺してやる~!』
嘲笑とともに、九十九の蝦蟇の口から長い舌が飛び出した。
それは槍のごとく真っ直ぐに、空気を切り裂きながら犬夜叉に迫り――
「おれをハエかなんかと勘違いしてんのか?」
『ぐひっ!?』
眉ひとつ動かさず、最小限の動作で刺突を躱した少年の手に掴み取られた。
犬夜叉は舌を掴んだまま大きく腕を振り、蝦蟇妖怪を床に叩きつける。
「かごめ、何か火を起こす道具はある?」
「……へ? 火?」
一瞬で決着した勝負にポカンとしていた少女が聞き返す。
「所詮は蛙だからね。熱を浴びせれば苦しんで殿の体から飛び出すよ」
情報を制する者は戦を制す。敵の正体がわかれば、そこから弱点を推測するのも容易いことだ。
「えーと、火、火……」
「ウキキッ」
かごめがリュックを探っていると、信長の連れていた子猿が手燭を差し出してきた。
「あら、ありがとう日吉丸。うん、これにヘアスプレーを使えば……」
「早くしろよ、かごめ。――オラッ、どうだっこのっ殿様ガエルっ!」
『ぐひぃっ! イタッ! やめっ! すみませっ! ぐひいぃぃ~っ!』
九十九の蝦蟇が、床と言わず壁と言わず、ビタンビタンと何度も打ち付けられながら哀れな悲鳴を上げる。
……なんか田舎の男子小学生みたいだぞ、弟よ。
第十五話 子狐を拾いました
「ねー月華さん、お昼はどっか景色の綺麗なとこで食べましょうよ」
「そうだね、河原か花畑がいいな」
「メシなんざどこで食ったって同じだろー」
「も~、同じじゃないわよ。デリカシーが無いんだからっ」
私の隣で自転車を押しながら歩いていた少女が、先頭を行く犬夜叉の背中を睨む。
かごめが持ってきた大きなリュックサックを肩に引っ掛けた弟は、振り返らないまま「でりかしー?」と首を傾げた。
女の子の荷物を持ってやる程度の気遣いは出来るのが救いだが、もう少し弟は情緒というものを理解するべきだろう……そんなことを考えながらカラスの飛び交う戦場跡を眺めていると、急に周囲が薄暗くなった。
『きさまら……四魂の玉を持っているな……』
「なにい!?」
「妖怪……!」
声と共に、空中に青白い炎が生じる。
(これは……狐火……?)
刀の柄に手を掛けながら見守っていると、炎は渦を巻きながら拡大していく。
そして――
『よこせ~~』
間抜けな顔をした桃色の風船が現れた。
「えっ、七宝ちゃんのお父さん……四魂のかけら持ってたの!?」
突如現れた風船もどきの正体は子ダヌキ――ではなく子ギツネの変化だった。
四魂の欠片を奪って逃げようとした子狐妖怪を犬夜叉が拳で制圧し事情を聞いたところ、雷獣の兄弟に殺された父の仇を討つのが目的だという。
雷獣兄弟・飛天満天は、私達と同じく、欠片を持っている妖怪を倒して回っているらしい。
「なんにしてもそいつらを倒せば、いっぺんに何個も四魂のかけらをとれるってわけか」
「へっ、笑わせんな。お前なんぞが勝てる相手じゃないわい」
機嫌よく言う犬夜叉に、七宝は顔をしかめて返した。
「お前半妖じゃろ。人間の匂いがまざっとる」
下等な半妖のくせに、おらたち妖怪のケンカにしゃしゃり出てくんじゃねえ――そう吐き捨てて、子狐はそっぽを向いてしまった。
「――――」
下等な半妖……ねえ。
……。
…………。
………………。
「七宝ちゃん、そういう言い方は……ひぃっ!?」
子狐をたしなめようとした少女が、言葉の途中で顔を青ざめさせて悲鳴を漏らした。
「ふえっ!?」
自転車の荷台に座っていた子狐が、尻尾を倍の大きさに逆立てて少女の肩に縋りついた。
周囲のカラスが、ギャアギャアとけたたましく鳴きながら一羽残らず飛び去っていった。
――弟が、「またかよ」とぼやいて溜め息を零した。
「七宝……だっけ? 半妖という名称には、人と妖怪の間に生まれた存在という以上の意味はないよ。あなたが半妖についてどれだけ知ってるのかわからないけど、下等だなんてひどい誤解だと思うなあ……」
「あ……あぅ……」
にっこりと微笑みかけると、七宝は陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせていた。
「あ、あの、月華さん……? 子供の言うことだから、そんなに怒らなくてもいい……ような……」
かごめが、閻魔大王の前に引き出された罪人のような面持ちで話しかける。
「ん? 別に怒ってなんかいないよ? 誰がなんて言おうと、犬夜叉が、私の、自慢の弟であることに変わりはないもの」
「いや思いっきり怒って……いえなんでもないデス……」
「す、すすす、スミマセン……」
七宝は完全にかごめの背中に隠れてしまった。逆立った尻尾だけが、少女の体からはみ出してブルブルと震えている。意外と人見知りな子だったんだろうか?
「……おい、姉貴」
――パチン!
「ん?」
不意に弟が、私の鼻先で両手を打ち合わせて乾いた音を立てた。
犬なのに猫騙しとはこれ如何に……と私が目を瞬かせているうちに、少年はかごめの背から子狐を引き剥がして、その顔を覗き込む。
「七宝、てめえは雷獣兄弟の住処を知ってんのか?」
「え? そ、そうじゃ。ここから西にある岩山が……」
「わかった。とっとと行こうぜ」
それだけ言うと、再びかごめに七宝を押し付けて歩き出す。私の襟首を掴んで引っ張りながら。
「ちょっと犬夜叉。まだ何の作戦も考えてないのに――」
「歩きながら考えろ。それとその妖気……つうか殺気を消さねえと、雷獣だろうが鬼だろうが逃げ出すぜ」
「あや、いつの間に」
普段から最大限妖力を隠して過ごしているのに、その制御が緩んでいた。どうしてだろう?
「――し、死ぬかと思った……」
「犬夜叉って、実はスゴいのね……」
後ろ向きのまま犬夜叉に引きずられて行く私を見つめながら、少女と子狐は感心したような呟きを漏らしていた。
雷獣が棲むという岩山の上空は、重苦しい雷雲が立ち篭め、ひっきりなしに雷鳴が轟く魔境だった。
「犬夜叉、カミナリ苦手でしょ。怖くない?」
「ばぁか。姉貴もだろ」
軽口を叩きつつも、周囲への警戒は怠らない。
ここは既に雷獣の縄張り。その中で私は妖気を、全力の三分の一程度だけ解放する。
四魂の欠片の力で彼らがどれほど妖力を増しているかは未知数だが、恐らく無視されるほど弱くも、警戒されるほど強くも無い気配のはずだ。
ややあって、かごめが緊迫した声を上げた。
「――二人共! 四魂のかけらの気配、空から来るわ!!」
かごめの警告から半瞬後、雲の中から稲妻が真っ直ぐ地表に駆け下りてきた。
私と犬夜叉は、左右に跳んで回避する。
耳障りな爆音とともに地面が砕け、疎らに生えていた草木が燃え盛る。
「ふっ、よけたか……。おれ達のシマを荒らすたあ、命が惜しくないらしいな?」
姿を見せたのは、長い髪を三つ編みにした人型の妖怪と、黒雲に乗ったトカゲめいた顔の妖怪――前者が兄の飛天、後者が弟の満天らしいが、全然似ていない。
「ん~? おめー、こないだの化け狐の小せがれか」
満天の方が、かごめの胸に抱かれた子狐を見咎め、意地悪そうに目を細めて立ち上がる。
その腰に巻かれているものに気づいて、七宝があっと小さく叫んだ。
「おめーのおやじの毛皮、あったけ~ぞお~」
「……」
ひゃひゃひゃ、と笑って腰巻――七宝の父親だというそれを叩いてみせる。
「よくも……よくもおとうを……!」
涙を浮かべて雷獣兄弟を睨みつける七宝。
そのまま彼らに飛びかかって行きかねない子狐を、犬夜叉が片手で制している。
「――てめーら、胸くそ悪いな」
「あん?」
独り言めいた弟の呟きに、飛天が反応する。
「お前ら、犬の妖怪か? 子ギツネの仇討ちを手伝ってやるなんざ、犬ってのは随分甘っちょろいんだな」
「けっ、誰がそんなこと言った。おれ達が用があるのは四魂のかけらでい!」
飛天の嘲弄を斬って捨てると、犬夜叉は私に向き直る。
「姉貴、どっちがどっちを殺る?」
その質問に、私は笑って頭を振った。
「つまんないこと訊かないでよ。――こんな連中、二人で戦うまでもない。私は後ろで、弟の勇姿を拝ませてもらうよ」
かごめと七宝を守る役も必要だし、などと余計なことは言わない。
「な――」
「にい~っ!」
雷獣兄弟、二人でセリフを分け合うなんて仲いいな。
「……それもそうだな。おし、まとめてかかってきやがれ、雷獣野郎!」
私の言葉の意味を吟味する僅かな間を置いて、弟が雷獣兄弟と対峙する。まだ鉄砕牙は抜いていない。
「ふっ……おい満天、手ぇ出すんじゃねえぞ! こいつはおれの獲物だ!」
雷獣の兄が、獰猛な笑みを浮かべて宣言する。
当然だろう。ここまで舐めきったことを言われて“はいそうですか”と素直に二人がかりでの戦いなど選択できるわけがない。
一対一で圧倒し、嬲り殺しにしなければ気が済まない――そんな怒りに囚われているのだろう、愚かにも。
「おれの雷撃刃、たっぷり味わいな――ッ!!」
怒号をあげながら、飛天は隼の如き急降下で一息に間合いを詰める。
雷電を纏った刃が閃き、犬夜叉の足元を大きく粉砕する。
そして。
飛天の顔を、赤い線が彩った。
「ひゃ~っひゃひゃひゃ、がんばれ飛天あん……ちゃん……?」
「――ふん、四魂のかけらを使ってこの程度かい」
鮮血を吹き出して頽れる飛天には、犬夜叉の言葉などもはや聞こえていないだろう。
己が敗北した、という事実すら理解できなかったかもしれない。
「い、今……何があったの……?」
かごめが呆然と問いかけるが、さして複雑なことではない。
飛天の初撃が、足場を崩すのみで肉体を傷つける意図が無いのを読み取った犬夜叉は、回避も防御もせず、即座に抜刀。
振り切った得物を飛天が構えなおす間も与えず、唐竹割りで仕留めたのである。――まさしく、紫電一閃だ。
飛天の雷撃刃は、確かに強力な武器だった。
あの刃が体に触れていたら、あるいは火鼠の衣の防御も貫通して犬夜叉にダメージを与えていたかもしれない。
けれども、相手に屈辱を与えるために初手での決着を見送った飛天と、一撃必殺の気構えで臨んだ犬夜叉とでは、この結果は必定であった。
――戦いの心得その一。殺すと決めたなら、遊ぶことなく殺すべし。ちゃんと覚えていてくれて嬉しい限りだ。
「さてと」
「ひ、ひいぃ~~っ!」
血振るいしつつ犬夜叉が視線を向けると、恐慌を来たした雷獣の弟は、乗っていた黒雲を制御できず霧散させてしまった。
ずん、と重たい音を立てて満天は尻餅をつく。
腰が抜けたらしく、座ったままズルズルと後退するが、逃げきれないと悟ったのだろう。
「――すいませんでしたぁっ!!!」
見事な
「四魂のかけらは差し上げます! ですからどうか、命だけは……!」
「けっ、他の妖怪を殺して、七宝の親父の毛皮を剥いだ奴が命乞いか」
ペコペコと頭を擦り付けて詫びる雷獣を見下ろして、犬夜叉は心底不快げに眉根を寄せる。
「あ、あの化けギツネのことは謝るっ! そ、それにおれだって大事なあんちゃんを殺されたんだから、これでおあいこじゃないか! そうだろ!?」
「はぁ!? あんた、なに勝手なこと言って……!!」
「子ギツネ、悪かった! 親父のことは謝る! 毛皮も返す! だから許してくれ!」
憤慨するかごめの腕の中の子狐に毛皮を差し出し、満天は涙ながらに訴えた。
「なあ、こんなに謝ってるのに、お前はおれを許さないのか? 命乞いする相手を、親父の仇だからって――この犬妖怪たちに頼んで、殺させるのか?」
「……っ……」
その言葉に、今までひたすら憎しみを込めて満天を睨んでいた七宝の眼差しが揺らいだ。
――七宝の心情は、何となくわかる。
彼は初めから、己の手で父の仇を討つために行動していた。
四魂の欠片すら、自分が使って強くなるのではなく、雷獣兄弟をおびき出すために利用しようとしたぐらいだ。
その熱意は、直接対峙して圧倒的な力の差を目の当たりにした後でも、簡単に潰えるものではないのだろう。
兄・飛天はなしくずし的に犬夜叉が倒してしまったが、続いて直接の仇である満天を私や犬夜叉が手に掛けたところで、七宝の気は晴れまい。
加えて、まだ幼く純粋な七宝は、泣いて命乞いする相手を殺すということにも罪悪感を抱きつつある。
(……よくない流れだな)
犬科の習性か、生来のお人好しな性格故か――犬夜叉は降参して腹を見せている相手を殺すことができないのだ。
現に今も、雷獣の手前勝手な言い分に怒りを露わにしながら、その首に鉄砕牙を振り下ろそうとはしない。
「う~ん、満天の言うことも、一理あるかな」
泣訴する満天に、反論するかごめ、戸惑う七宝、怒る犬夜叉――という混沌とした状況に、私の声は場違いなほどのどかに響いた。
全員が言葉を呑んで私に注目する。
「考えてみれば、四魂のかけらを持ってる妖怪を殺すっていうのは、私たちもやってることだし、そもそも妖怪の喧嘩は基本的にどちらかが死ぬまでやるんだから、それを非難するのはお門違いだよね」
「月華さんは、七宝ちゃんのお父さんが殺されたのは仕方ないことだって言うの……!?」
私が満天の肩を持つような発言をしたのが信じられないのだろう、かごめが泣きそうな顔で問う。
「そうは言ってない。自分が殺される側になった時に命乞いするような覚悟のない輩に、戦う資格はないと思うし、父親の毛皮を剥いだ挙句、それを子供に見せびらかすなんて真似は虫酸が走る。でも、これは七宝と雷獣の問題だから、満天の命をどうするかは、七宝が決めないと」
「……お、おらは……」
「な、なあ七宝、もう二度と悪さをしないと誓う。いや、これから先、ずっとお前の子分になるよ! だから……」
風向きが変わったのを察知して、満天は媚びた声音で言い募る。まったくセコい。
「――悪さをしない? じゃあ、もう合戦場を襲って、人間を両軍とも全滅させるなんて真似もしないって約束してくれるの?」
「え”っ……」
「なんのことだ? 姉貴」
犬夜叉が怪訝そうな顔を向ける。
「気づかなかった? ここに来る途中で見かけた合戦場の死体、あれは大部分が妖怪に殺されていた。そして残ってた臭いは雷獣のもの」
「あ、あれは、飛天あんちゃんがやろうって」
「あなたが、やったんでしょう?」
「……ハイ……」
「いや別に、何が何でも人間を殺すのがダメって言ってるわけじゃないよ? 生きるためには、他の生き物を食べなきゃいけないんだし、鳥や獣は良くて人間だけその対象から除外するのは不公平な気もするから」
私達一族のような大妖怪なら、心臓が精製する妖力のみをエネルギーとして生きることも可能だが、そんなのは妖怪全体の中のひと握りだ。
ほとんどの妖怪が、外部から糧を得る必要があり、妖怪もまたこの世に存在する命である以上、捕食目的の狩りは食物連鎖といえる。
「でもあなた達がやったのは、ただ愉しむための狩りでしょう? 食べるために、あんなにたくさん殺す必要はないものね」
「ソウデス……」
真綿で首を絞められているような表情で、満天が項垂れる。
「七宝、やっぱりコイツぶっ殺そうぜ。……おれがやるから」
「いや、やめてくれ、犬夜叉」
七宝は涙に濡れた瞳に強い光をたたえて、雷獣を見据える。
「……満天。月華の言うとおり、お前が二度と悪さをせんと約束するなら、命は助けてやる。じゃが、もしもこの先、妖怪でも人間でも、無駄に命を奪うなら、絶対に許さん。そのときは今度こそおらがお前を殺す」
「七宝ちゃん……」
「あ、ああ! わかったぜ七宝、ありが――」
「じゃあ、誓いの証にその髪の毛をもらおうか」
「い”っ……!?」
喜色満面で頷いていた満天の表情が凍りつく。
「お互い、口約束だけで信用できるわけないじゃない。あなたの髪を媒介にして誓約の妖術を結べば、破ったときすぐに分かるし、逆にもし七宝の気が変わっても、あなたが大人しくしている限り殺すことはできない。……どうしたの? たかが髪の毛で命が保証されるなら安いものでしょう?」
「……っ……」
ある意味、犬夜叉に鉄砕牙を突きつけられたときよりも悲愴な様子で、満天が自分の頭頂に手を伸ばす。
「い、一本だけでいいよな……?」
「一本抜くも全部抜くも同じでしょ」
「同じじゃねえよ! ――イテッ!」
私の爪が、満天の首をごく薄く切り裂く。
「嫌ならこの場で死んでもらっても構わないけど?」
「わ、わかった、わかったよ!……うっうっ……おれの髪……」
ぶるぶると手を震わせながら、抜き取った三本の毛と四魂の欠片を寄越す。四魂の欠片は惜しくないのか。
「チッ、これで終わりかよ」
「うん、満天が約束を守るなら、ね」
憤懣遣る方無い風情ながらも、犬夜叉が鉄砕牙を鞘に収め、満天に背を向ける。
――その瞬間、満天の口から雷撃が迸った。
「い、犬夜叉ーーっ!」
悲鳴を上げるかごめと七宝を抱えて、雷の奔流から逃れる。
目も眩む閃光が収まったあと、弟が立っていた周囲の地面は、深々と抉られ、一部は熱で融解していた。
「ひゃ……ひゃひゃひゃ……ひゃーひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」
その惨状を前にして、さっきまで殊勝にひれ伏していた雷獣は、狂ったように呵呵大笑する。
「ま、満天、てめぇ……っ」
「卑怯者! よくもだましたわね!!」
「けへっ、ばーか。だまされる方が悪いんだよ!」
かごめの糾弾に一切恥じることなく言ってのけると、怨念に燃える眼差しでこちらに歩み寄ってきた。
「女ども……てめえらは煮溶かして毛生え薬にしてやる。クソギツネは頭巾だ。てめえのオヤジもバカだが、毛皮だけは立派だったからなあ!」
「おとうをバカにするな、このつるっぱげ野郎!!」
毒づいて、子狐はかごめを守るように両腕を広げ威嚇する。
「つるっぱげだとぉ!? 誰のせいだと思ってやがる! 髪の怨み、思い知れ!!」
「――兄貴の仇じゃなくて、髪の仇なのかよ。飛天の野郎も浮かばれねえな」
「まあ、だいたい予想はついてたけどね」
「えっ!?」
「あっ!?」
「ひゃっ!?」
満天の背後から現れた人影に、少女と子狐と雷獣が、三者三様の驚きの声を上げる。
焼け焦げ一つない犬夜叉が、そこに立っていた。
――戦いの心得その二。敵の息の根を確実に止めるまでは、油断するべからず。
鉄砕牙を納める鞘は、見事に雷獣の妖力を封じ、弟を守っていたのだ。
「ようやくシッポを出したな雷獣野郎。これで遠慮なくたたっ斬れるぜ」
相手を追い詰め、怒らせたあとにわざと隙を見せて相手が裏切るように仕向ける……我ながらじつに性格の悪いやり口だが、ハメられた当人も騙される方が悪いと言ってるので良しとしよう。
犬夜叉が、今度こそ一切の慈悲のない刃を満天に向ける。
「くっ……クソがあ!!」
満天はなおも悪あがきの雷撃を犬夜叉に放とうとするが――口から漏れたのは、ほんのささやかな火花のみだった。
「あ”……? なんだ、これ……雷撃が……体が、おかしい……」
たじろぐ雷獣の体を、私が刻んだ爪傷を中心に、極小の稲妻が奔る。
「――これで今度こそ終わりだ、満天」
相手の体に傷をつけることで、敵の妖力に干渉し自爆させる“妖力暴走”。
昔は顕心牙を媒介にしなければ使えなかったが、長年の修行の成果で、刀を抜かなくてもできるようになったし、発動のタイミングもある程度コントロールできるようになったのだ。……地味な技とか言うな。
徐々にその数を増していく稲妻に覆われて、雷獣の表情は窺えない。それでも、その顔を見据えて手向けの言葉を送る。
「あなたは、自分で救われる機会を捨てた。敵を許す度量も、正面から挑む度胸もない子狐以下の畜生……オマエは犬夜叉や七宝が手を汚す価値すらない。自らの雷で死んでいけ」
空間そのものを引き裂くような雷鳴が響く。
完全に制御を失った満天の妖力は、その全てを雷撃のエネルギーへと転じ、肉体を消し炭にした。
……雲が晴れてゆく。
この一帯を支配していた雷獣が死んだことで雷雲が消えた山の向こうに、沈みゆく夕日が見えた。
「ったく、ほんっとに姉貴の戦い方はひねくれてるよなあ」
わざとらしく犬夜叉が鉄砕牙の鞘で肩を叩きながらぼやく。
「あたしもビックリしちゃったわよ。まさか全部作戦だったなんて」
「ごめんね、かごめ。……それから七宝、辛い思いをさせてしまって、ごめんなさい」
満天を油断させるために、七宝に苦しい決断を強いてしまったのは、さすがに私も悪いと思っているのである。
七宝は静かに首を振った。
「そのことは良いんじゃ。……おらこそすまんかった、月華。おとうのことで、おらもよくわかった。自分の親兄弟を悪く言われたら、怒るのは当たり前じゃ」
「七宝……」
その頭を、私はゆっくりと撫でる。
「あなたはいい子だね。別に私は怒ってなかったけど」
「そこはどうあっても認めんのかい! ……あ」
「お父さんの毛皮が……」
私達の見守る中で、満天から取り返した狐の毛皮にポツポツと青い炎が生じる。
炎は毛皮を燃やし尽くし――大きな一匹の狐の姿を形作った。
「……さよならじゃ、おとう……」
化け狐の魂は、我が子を励ますようにその小さな体に寄り添うと、やがて夕闇の空へ昇り、消えていった。