犬兄弟の真ん中に転生しました   作:ぷしけ

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第十六話

陽の光が眩しい春の川辺に、張り詰めた空気が満ちていた。

原因は、三間ほど離れて向き合う二人の剣士。

半妖の弟が構えるは鉄砕牙。

妖怪の姉が構えるは顕心牙。

 

この刀々斎が鍛え上げた、いずれ劣らぬ名刀である。

 

「――始めッ!」

合図と同時に、両者が砂利を蹴散らして突進する。

一瞬で距離を縮め激突する姉弟。

そのまま、目にも止まらぬ剣技を繰り出す。

鉄砕牙の分厚く巨大な刃に対し、顕心牙は一合で折れないのが不思議に映る細く華奢な刃だ。

しかし、所有者の牙から鍛えられた妖刀は、本人の妖力を間断なく循環させ、可視化された妖気が純白の花びらのように刃を取り巻いている。

外見の優美さに反して、鉄砕牙と並ぶ強度を誇るのだ。

「おらぁッ!」

気魄の乗った犬夜叉の打ち込み。

それを月華は精妙な剣捌きで受け流す。

「シッ――」

鋭い呼気とともに繰り出させる月華の横薙ぎ。

それを犬夜叉は堅牢な防御で受け止める。

寸止めという縛りがありながら、刃と刃の応酬は息もつかせぬ迫力である。

 

獣のように荒々しい犬夜叉の剣と、鳥のように軽やかな月華の剣。

それはどこまでも対照的でありながら見事に噛み合った、剣戟の音色を伴奏に繰り広げられる美しい剣舞だった。

 

(……まったく、親父殿に見せられねえのが残念だぜ)

 

 

 

第十六話 近況を報告しました

 

 

 

「そこまで!」

老妖怪の声と共に、動きを止める。

私の顕心牙は弟の胸を突く寸前、弟の鉄砕牙は私の胴を断つ寸前の姿勢で静止した。

これまで数え切れないほど繰り返した手合わせ……今回は相討ちである。

 

――パチパチパチパチ。

「すごいすごい、カッコイイ……!」

かごめがはしゃいだ声を上げながら拍手する。

「……けっ」

弟よ、どうでもよさそうなフリをしてるが本当は嬉しいんでしょう? 犬耳がぱたぱた動いているぞ。

 

「如何ですか? 刀々斎殿」

「ふん、どうやら真面目にやってるみてえだな。いいぜ、研いでやる」

「ったく、研ぐ前に毎回手合わせして腕前を見せろなんて、ふざけたジジイだぜ」

「まあまあ。いっつも私達のところまで出向いてもらってるんだから」

私達の刀の生みの親である刀鍛冶の刀々斎。屋敷を捨てて旅立って以来、北は蝦夷から南は琉球まで、出張研師サービスお世話になってます。

琉球のシーサーは可愛かった。……蝦夷のヒグマは下手な妖怪より怖かった。

「ほんとによお。たまにそっちから訪ねてきた時にゃ、アレ作れコレ作れと無理難題ふっかけやがって。も少し年寄りを労われってんだ」

刀々斎はぶつくさと恨み言を零す。愚痴が多くなるのは老化現象ですぞ。

……鉄砕牙のバージョンアップについては、確かに無茶ぶりだったとは思うけど、絶対必要だし。

「新しいことに挑戦しないと頭が錆びるってもんでしょ。大事な刀鍛冶殿のボケ防止に協力したつもりなんですけど?」

顕心牙を受け取りながら、老妖怪はジトッとした眼差しで私を睨んだ。

「おめえも随分と口が悪くなったよなあ。昔はお淑やかな姫さんだったのに、バカ兄弟の弟とつるむようになってから、すっかり放蕩娘じゃねえか」

「犬夜叉ほど悪くないです」

いつからだったろう、姉貴なんて可愛げのない呼び方をするようになったのは。……妖狼族の連中と衝突した頃か?

あのガラの悪い狼妖怪、また会ったらイジメてやる。

(……そうだ、バカ兄弟で思い出した)

「犬夜叉、念珠貸して。今のうちに“報告”を聞いておきましょう」

「おー」

岩の上に胡座をかいた犬夜叉が、首飾りの留め具を外して寄越す。

いつ四魂の欠片の気配を追って走ることになるか分からないのだ、刀々斎が刀を鍛え直すのを待っている時間を有効に使おう。

「斉天と紅邪鬼と……これが狼野干か」

「おまえが舌先三寸で丸め込んだ連中だな」

念珠の珠を選り出す私の呟きに、老妖怪が人聞きの悪いことを言う。

「殺生丸には天生牙を、犬夜叉には鉄砕牙を与えよ……それが父上の遺言だと言ったのは刀々斎殿でしょう。私は父上の遺志を守るため協力してくれと頼んだだけです」

「それを断った連中に限って、他の妖怪に殺されたり、人間に退治されたりしてるって噂があるんだが?」

「へえ、そんな噂が」

運が悪かったんだろうなあ、気の毒に。

「人間には“情けは人の為ならず”って言葉があるそうですよ。他者を助けない者は他者から助けられもしない――つまり私の頼みを断った者たちは、そういうことだったんでしょう」

三つの珠を地面に置き、術式を起動させる。

暗紫の珠が放つ光の向こうに、大柄な男の妖怪と、細身の男の妖怪、それに顔の大きな狼妖怪の姿が浮かび上がった。

 

『月華様、犬夜叉様』

『ご健勝のご様子、お慶び申し上げます』

『ご無沙汰いたしております、月華殿』

 

「り、立体映像!? 犬夜叉の首輪って、そんな道具だったの!?」

河原にレジャーシートを広げていた少女が、目を丸くする。

「りった……? こいつは宝仙鬼って奴に作らせた遠話の念珠だ。対になる赤い珠を持ってる奴のところに繋がるようになってんだぜ」

「なんでえ月華、宝仙鬼にも妙な仕事押し付けてんのか」

「いいえ、話を聞いた二代目が喜んで作ってくれましたよ?」

呆れた口調の老妖怪に肩を竦めて返す。

ここは携帯電話もパソコンもない時代だ。

離れた場所にいる者と迅速に連絡が取れるような道具が欲しいと考えたときに私が頼ったのが、父上の古い知り合いである宝仙鬼である。

妖怪の墓場なんて異世界に通じる宝玉を作れるのだから、現世にいる者同士の声を繋げる宝玉ぐらいお茶の子さいさいだろう、という強引な依頼だったが、宝仙鬼の息子である二代目が私のアイディアを面白がって、四苦八苦しながらも希望通りの電話ならぬ“遠話”の念珠を作ってくれた。

 

蜃気楼のようにかすかに揺らぐ大男の映像――斉天が畏まった様子で言上する。

『仰せのとおり、殺生丸様の消息を探っておりますが未だ杳として掴めませず……申し訳ございません』

『この紅邪鬼の配下からも、目新しい報せは入っておりませぬ』

「そう……」

彼らは、かつて父に仕えていた妖怪である。

 

殺生丸と犬夜叉の争いの後に私が考えたのは、味方を作ることだ。

 

兄は必ず再戦を挑んで来るだろう。しかし、それがいつかは分からない。

前世の記憶でも、災害よろしく忘れた頃にやって来ていた御仁であることに加えて、鉄砕牙取得イベントが、原作で全く描写されていない過去の時代に前倒しになったために、再登場のタイミングがまったく予測できなくなってしまったのだ。

犬夜叉を鍛えるのに並行して、殺生丸の来襲を未然に察知できる備えがあれば、戦いを有利に進められる――そのために必要としたのが、各地から情報を伝えてくれる味方である。

闘牙王の異名で畏れられた父には生前、一族の者以外にも多くの配下がいた。

長の息子である殺生丸と敵対した挙句左腕を斬り落とした(やったのは弟だが、止めなかった私も同罪だろう)私達が頼れるとすれば、そういった外様の遺臣だ。

私は、父の死と共に散り散りになった彼らに接触し、ごく少数ではあるが助力を得られることになったのである。“闘牙王の娘”の肩書き万歳。

そして親愛なる兄上の動向を伝えてもらうため、こうやって定期的に連絡を取っているのだが……結果はこの通り芳しくない。

「やっぱり、殺生丸の野郎はこの国にいねえのか?」

犬夜叉が難しい顔で問う。

最後に会ってから気づけばもう二百年。

いくら私達があっちこっち飛び回っていたとはいえ、同じ日ノ本にいて一度もエンカウントしないというのは有り得ないだろう。

『は。以前の噂通り、大陸に渡ったきりと考えたほうがよろしいかと』

狼野干が遠慮がちに発言する。

この妖怪は斉天や紅邪鬼のようにずっと父の配下だったわけではないが、闘牙王に世話になった恩と、私の初陣に従った縁で協力してくれている。

……豹猫族との戦に参戦した妖怪軍団の間では、何故か私がえらく活躍したと思われているのも僥倖だった。少々後ろめたいが、それに助けられているのであえて訂正しない。

「あんなのに押し掛けられた大陸の妖怪はとんだ災難だな」

殺生丸対策会議を横目に槌を振るっていた刀々斎が、口から吐く火を止めて呟いた。――大陸妖怪は、元寇の時に蒙古軍と一緒に侵攻してきた前科があるから同情はしないが、同感である。

「……さっきから話してる殺生丸って、何者なの?」

「そんなに強い妖怪なのか?」

「なんだ、知らねえのか? こいつらの兄貴だよ」

かごめと七宝がおそるおそる問いかけるのに、刀々斎が答える。

「……月華さんと犬夜叉の……」

「……うわぁ……」

なんか納得いかない、その反応。

「けっ! あんな奴、兄貴だと思ったことねえよ」

「犬夜叉は、そいつと仲が悪いのか?」

「おう、左腕ぶった斬ってやったぜ」

「う、腕を!? 妖怪の兄弟ゲンカって……」

弟よ、も少し事情を説明しないとかごめが引いてるぞ。

「兄上は、犬夜叉の鉄砕牙を狙ってるの。自分には同じ父上の形見の天生牙があるんだけどね。それと、自分自身の刀も、ですよね刀々斎殿」

「あー……」

老妖怪は、私にそれらの情報を吐かされた時のことを思い出したのか、渋い顔で頷く。

いや、私達当事者なんだから知る権利ありますよね? むしろそっちから積極的に開示してくれないと困るんですよ、私達の父親のことなんだから。

――前世の自分の意識ってだいぶ薄くなったけど、鉄砕牙関連の闘牙王の思惑の分かりにくさには、読者としてヤキモキさせられた覚えがあるのだ。

娘に転生して他人事じゃなくなると、尚更である。

というわけで、私は刀々斎に尋問……もとい、教えを請うた後、協力者たちにもその内容を周知していた。

 

闘牙王が決して殺生丸をないがしろにしたわけではないこと。

形見の牙などに囚われず、父を超える大妖怪となってほしいと願っていたこと。

 

『爆砕牙……殺生丸様の中にあるあの方御自身の刀のことですか』

『月華様と犬夜叉様は、兄君が鉄砕牙への執着を断ち切るのを待つおつもりなのですよね』

『殺生丸殿が真の大妖怪として独り立ちなさる時が待ち遠しいですな』

――まあその結果、自分がこんな風に生暖かく見守られてるなんて兄上は夢にも思わないだろうなあ、あっはっは。

 

「え~と、ようするにお兄さんって“困ったちゃん”なの?」

「うん、その通り」

「いやそんな言葉で片付けていい相手じゃねえだろ!」

くわーん、と調子っ外れな鎚音を響かせて刀々斎が突っ込む。

「まったく……冥加の奴が“月華様と殺生丸様の会話には二度と立会いたくない”って言ってた理由がよくわかるぜ」

なるほど。それであの蚤妖怪は、刀々斎の住処に居座っているのか。

今にも殺生丸が空から襲ってくるのではないか、という表情でキョロキョロと周囲を窺う老妖怪を、犬夜叉が呆れた風に見下ろす。

「情けねえなジジイ。殺生丸はいねえって聞いたばっかだろ」

「うるせえ。いつ戻ってくるか分かんねえだろうが」

『配下の者たちに、海を渡って探らせますか?』

紅邪鬼の提案に、私は一考して頭を振った。

「大陸は広い。手がかりもなしに探してもどうにもならないでしょう。それよりも、四魂の玉の噂は知ってる?」

『はい。数十年前に消滅したはずの玉がつい先日再び現れ、四散したとか』

「知っているなら話は早い。四魂の欠片を手に入れたと思しき妖怪の情報を集めて、私に伝えて。斉天と狼野干も同様に」

殺生丸が私達の前に現れる兆候がないこの現状では、四魂の欠片の方が優先すべき懸案事項である。

海の向こうに人員を割くより、欠片の手がかりを探ってもらった方が合理的だろう。

『承知致しました』

『お任せ下さい』

『必ず月華殿に吉報を』

揃って恭しく頭を下げる三体の妖怪。

そのまま通信を切りかけて、ふと思いついて続ける。

「ただし、決して無理はしないこと。あなた達は私が頼りにする数少ない存在なのだから、無事に情報を持ち帰ることを考えて。これは配下の者にも徹底させなさい」

『……ははぁっ! 仰せの通りに!』

『そのお言葉、あだや疎かには致しませぬ!』

『肝に銘じまする! ――闘牙女王』

彼らは、なぜか感動したような面持ちで幾度も頷いてみせた。

(……苦労して作った協力者なのに、死んで数が減ったら勿体無いもんね)

特に斉天と紅邪鬼は、父の遺臣の中でも忠義に篤いのは良いのだが、ああでも言っておかないと、敵わない相手に馬鹿正直に真正面から挑んだ挙句、返り討ちにされて武器だけ奪われたりしそうな気がしてならないのだ。何故かはわからないが。

 

「月華さん、慕われてるわね~」

「なるほど、アレが舌先三寸というものじゃな」

役目を終えた珠を回収する私の背後で、そんな会話が聞こえた。

 

「――にしても、殺生丸の奴、拍子抜けさせてくれるよな。おれはもっと早くに仕返しに来ると思ってたのによ」

念珠を着け直した弟が、つまらなそうに言う。

「油断大敵だよ、犬夜叉」

まあ私もそう思ったから、急ピッチで爆流破まで会得させたわけだが。

純粋な剣の腕前とて、間違っても力任せに振り回すだけだの、名刀も丸太と同じだのと揶揄されるような代物ではない(おかげでそんじょそこらの妖怪は瞬殺できるようになってしまった)。

もし殺生丸が、所詮は半妖と侮って挑んで来たなら、その慢心をついて返り討ちにできるだろう。

しかし、この二百年まったく音沙汰が無いだけに、私の中ではむしろ警戒心が募っている。

「……もし兄上が刀々斎殿のところに来たら、刀を打ってあげてほしいな。私や犬夜叉に攻撃しようとしたらハライタおこす呪いとかつけたやつ」

「だからなんでお前は、そういう余計なことばっか思いつくんだよ」

最後の仕上げに取り掛かった刀鍛冶が、私の言葉に非難の眼差しを向ける。

「だって、犬夜叉が負けるとは思わないけど、勝負の世界に絶対は無いし」

ハライタの呪い云々は冗談だが、危ない橋を渡らずに済むならそれが一番である。

――殺生丸が認めようが認めまいが、鉄砕牙の継承者は犬夜叉だ。兄の心の成長だかなんだかに、こちらが命懸けで付き合う義理は無い。

「大事なのはこちらが兄上に危害を及ぼされないことだもの。刀への執着も犬夜叉への憎しみも捨てた悟りの境地に兄上がたどり着けるかどうかなんて、私はどーでもいいよ」

「殺生丸が爆砕牙を手にできなくても知らねえってか。……はあ~、斉天たちには散々耳触りの良いこと抜かしといてソレかよ」

「なにごとも本音と建前を使い分けるのは当然です」

澄まして応じる私に、老妖怪は煙混じりの溜め息を吐きつつ首を捻った。

「てめえのその性格、本当に誰に似たんだか。親父殿でもねえし、奥方とも違うよな」

「――そうかもね」

僅かに、視線が下を向く。

 

私の性格。

それは前世から持ち越されたものだ。

――もし魂の輪廻転生を司る機関(あの世の命数管理局)があるのなら、それはしょっちゅう不祥事を起こす杜撰な組織に違いない。だからきっと、私の記憶をリセットし損ねたのだ。

もはや前世の両親の顔も名前も思い出せず、原作知識すら限りなく希薄。

けれどかつて人間であったという意識が残っている以上、私が今生の父母に似ていないと言われるのは当然だろう。

(仕方ないことだけど……ちょっと寂しいね)

 

「……関係ねえよ」

「え?」

隣に立った弟が、怒ったような口調で言った。

「誰に似てるかなんて、関係ねえ。姉貴は、頼りになる姉貴だ」

言葉とともに、ばしっと手のひらで私の背中を叩いてそっぽを向く。

(この乱暴者め……)

まったく、わかりづらいフォローの仕方だ。

でも。

「……うん」

笑って胸を張る。

「私は天上天下に並ぶ者のないお姉さまだもの。誰にも似てないのは当たり前だよね」

「そこまで言ってねえよ、アホ姉貴」

 

「――ふん、相変わらず姉弟の仲だけは良いみてえだな」

私たちのやりとりを眺めていた刀々斎が、槌を置いて立ち上がる。

「ほら、終わったぜ。次は鉄砕牙だ」

私の手に戻った顕心牙の刀身は、陽光を反射して鮮やかに煌いた。

「ベラベラくっちゃべってた割にはきっちり仕上げてんな、ジジイ」

「おう。……月華は親父殿の子供の中で、一番ズル賢くて変な奴だがよ、その姉心は本物だからな」

「――ふふ。私も、他のことはともかく、刀々斎殿の鍜冶の腕前は本物だと思っていますよ」

 

微笑んで一礼すると、老妖怪は「やっぱりてめえが一番性格悪いぜ」と深い溜息を吐いた。

 




父上の公式名称は「犬夜叉の父」とされていることから、この作品において、闘牙王は本名ではなく一族の長ないし一族内で最強の者に受け継がれる尊称と設定しました。
ゲド戦記とかクリスタルドラゴンの、真名と通り名を使い分けてる文化が好きなんです……

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