犬兄弟の真ん中に転生しました   作:ぷしけ

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第十七話

 

――――「人間は、無力ではない」。

 

おれに本格的に稽古をつけはじめる前の晩、姉はそう言った。

 

「妖怪のように長い寿命も、強い力もない……でもね、人間は進歩し続ける生き物なの」

 

足りない力を補うために便利な道具を発明し、その知識や技術を次世代に伝えて発展していく。

それが個では妖怪に及ばなくても、けっして滅びることのないヒトという種の強さなのだと。

 

縁側で並んで夜空を見上げながら、月華は焦がれるようにその手を天に差し伸ばす。

 

「雲のさらに上、あの星たちが浮かんでいるのは、無限に広がる真空の海。千年の時を生きる妖怪も、あそこまでは行けない」

 

でも、と続けるその声音には揺るぎない確信があった。

 

「百年生きられない人間は……五百年後に、星の海を渡る船を作り出すことができる」

 

姉が学んだ剣術も、そんな人間の師匠から受け継いだものだという。

 

「剣術は、人がその弱さを克服するために編み出し、連綿と受け継いできた戦いの業。――心して修めなさい、犬夜叉」

 

それが、ある朔の夜の出来事だった。

 

 

 

第十七話 朔の日が来ました 前

 

 

 

「わーっ。気持ち良いーっ」

渓流を下る小舟の上で、あたしは初夏の爽やかな風を感じていた。

「くおら、かごめ。遊びに来てんじゃねーんだぞ」

「う゛え゛~~」

「七宝っ、妖怪のくせに舟酔いしてんじゃねえっ」

「はいはい、この辺りには四魂の欠片の気配はない模様でーす」

「じゃ、のんびり川下りを楽しめるね」

あたしと月華さんの言葉に、犬夜叉が顔を顰める。

「ったく、どいつもこいつもたるんでやがる……ん?」

舟の先頭に陣取る犬夜叉が何かに気づいて立ち上がったのに続いて、あたしもそれが視界に入った。

左右の渓谷をつなぐ、白い糸束。

「クモの糸? こんな長いのが?」

「妖怪だよ。ほら、あそこ」

七宝ちゃんの背をさすっていた月華さんが、崖の上を指差す。

「あっ! 危ない……!」

そこでは今まさに、人影が何かに襲われて足を滑らせていた。

 

「きゃああああ!!」

悲鳴を上げながら真っ逆さまに墜落する、丈の短い着物を着た少女。

それを月華さんが空中で受け止める。

「ナイスキャッチ!」

少女をお姫様抱っこして川岸に着地したその姿は、女の子なのにカッコイイ。

感心して眺めていたのだけど……助けられた少女は、月華さんのヒトと異なる姿を認識し、恐慌を来たした。

「は、はなせ妖怪ーっ!!」

悲鳴に近い怒声とともに、手を振り上げる。

 

それに対して月華さんは、

 

「あ、うん」

 

少女を抱いていた手を離した。

 

――どぱーん。

渾身の平手打ちを躱された少女は、バランスを崩して水中に転がり落ちる。

 

「……姉貴ィ……」

「イジメっ子じゃのう……」

「だって“はなせ”って言われたから」

一切悪びれた素振りもなく、朗らかに微笑む白銀の女妖怪。

……今更だけど、月華さんってSなのかしら?

 

 

夏とは言えまだ冷たい川に落とされた少女はかなり不機嫌だったけど、怪我の手当をしながらどうにか話を聞くことができた。

少女を襲った妖怪は、蜘蛛頭と言うらしい。

「死体の頭に巣食って、人を襲ってまわってる。もう何人も喰われてるよ」

「……ねえ、犬夜叉、月華さん。助けてあげましょうよ」

「んー、蜘蛛の妖怪、か……」

「けっ、まーた人助けかよ」

月華さんは顎に手を当てて対策を考えはじめる。犬夜叉も口では不満そうにしているが、素通りする気はないらしい。

「もう少し、蜘蛛頭について教えてくれる? 大丈夫、このひとたち、すっごく強いのよ。だから――」

「いいよ。余計なことしなくて」

少女は頑なに首を振って、姉弟を睨みつけた。

「そいつら、妖怪だろ。妖怪の世話になるなんてまっぴらだからね」

「そ、そんな……」

月華さんと犬夜叉は、無闇に人を襲って殺したりしない。(さっきの月華さんの行動はアレだけど)妖怪だから、と一括りに拒絶しないで欲しかった。

どう説明したらわかってもらえるだろうか、と悩んでいると、月華さんが少女の隣に腰を下ろした。

「な……なにさ」

「いや、ずいぶん嫌われたようだから、仲直りしたいと思って」

にわかに緊張して距離を取ろうとする少女。

構わず月華さんは――その肩を抱いて、身体を密着させた。

 

(えっ、ええ~~っ?)

この行動は少女にとっても予想外過ぎたのだろう、彼女を突き飛ばすこともできずに硬直している。

「な、仲直りなんてするもんかっ、あたしは妖怪なんか、だだだ、大っ嫌いなんだ……から……」

先程までの刺々しい態度から一変、罠にかかった小鳥のように震える声を搾り出す。

……たぶん、あの子が妖怪に拒否反応を示すのは、怖いからなのよね。

そんな少女に、月華さんはますます楽しげに語りかけた。

「ふふ、それは良い心構えね。――だって大抵の妖怪は、あなたみたいに可愛くて美味しそうな娘が大好きだもの」

至近距離で少女を見つめて微笑む月華さんの顔は、地上に舞い降りた天女のように美しい。それでいて、縦に裂けた瞳孔を持つ金の瞳は、獲物を狙う肉食獣を思わせた。

鋭い爪の生えた月華さんの指が、少女の頬を撫でる。優美に、残忍に。

「ぁ……ぅ……」

少女はもはや言葉もなく、ただ口をパクパクさせている。

その顔色は、赤くなったり青くなったり大忙しだ。

 

「……おら、気のせいかドキドキしてきた……」

「あ、あんまり見ちゃダメよ七宝ちゃん」

なぜかあたしも、さっきから二人の背景(バック)に咲き乱れる百合の花が見えて困っているのだ。

 

「あなたの名前は?」

「……な、なずな……ですっ……」

「そう、なずな。あなたはあんな妖怪がうろつく山の近くに住んで、大丈夫なの?」

「お、和尚様が……結界を張ってくれてるから……」

「和尚? あなたの周りに、ほかの人間は?」

「いない……おとうが、殺されて、和尚様が、あたしを寺に住まわせてくれて……」

 

少女――なずなは、恐怖と、たぶんそれ以外のアヤシイ感情に囚われて金縛り状態だ。

月華さんから目を逸らすこともできず、夢うつつのようなふわふわした口調で、素直に質問に答えている。

ふうん、と何か考え込む表情になった――と思いきや、月華さんはあっさりとなずなを解放した。

同時に、二人を取り巻いていた、目のやり場に困るような危うい雰囲気が霧消する。

「犬夜叉、彼女を送ってあげて」

「お、おう」

すっかりいつもの姉の顔に戻って指示を出す月華さん。

「かごめと七宝も、もうすぐ日が暮れるし、妖怪退治は明日にして今夜は寺に泊めてもらいなさい。――いいでしょう?」

最後の問いは、未だ呆然とへたり込んでいる少女へのものだ。

蠱惑的な流し目を向けられて、なずなは反射的に頷く。

「じゃ、そういうことで。私は急用を思い出したから、朝まで別行動させてもらうね」

「え?」

「はあ!?」

唐突な月華さんの言葉に、あたし以上に驚きの声を上げたのは犬夜叉だ。

「何か文句あるの? 犬夜叉」

「あるに決まってるだろ! 今日は――」

しかし抗議する犬夜叉の言葉は、不意に遮られた。

 

月華さんが、正面から犬夜叉に抱きついたからだ。

 

「ごめんね。寂しいだろうけど我慢して」

「…………」

爪先立ちになり、両腕を弟の首に巻きつけて優しく囁く月華さん。

そこになずなに寄り添っていた時のような妖しげな雰囲気は無い。無いけど……

(ちょっと、仲、良すぎじゃない……?)

犬夜叉も、姉の行動に驚いた表情を見せつつも大人しく抱擁を受け入れ、月華さんが二言三言何か耳打ちするのを黙って聞いている。

もし犬夜叉が、あたしの弟の草太くらいの年頃だったなら、健全な姉弟のスキンシップかもしれない。

けれど彼は既に、姉より頭一つ背の高い十代半ばの少年だ。

――知らない人が今の彼らを見たら、恋人同士と思うだろう。

ややあって、月華さんはするりと身を離した。

「それじゃ、またね」

「ああ、わかった」

犬夜叉は、対岸の森へと跳躍する月華さんと、視線を交わして頷き合う。

あたしはそれを黙って見送った。

(なんだろう。なんかモヤモヤする……)

 

 

「あのなずなとかいう奴、口は悪いが料理は美味かったのう」

夕食の膳を平らげた七宝ちゃんは、リュックに背をもたれさせて満足げに言う。

なずなに案内されて訪れた寺の和尚さんは、快くあたし達を迎えてくれた。のだけれど……

「親切な和尚さんで良かったわね。ねー犬夜叉」

「…………」

「なんじゃ犬夜叉、ムスっとして」

「うっせーな」

犬夜叉は、開け放した障子の先に広がる薄暮の庭を睨んだまま振り返りもしない。

この寺に入ってから……いや、月華さんと別れてから、極端に口数が少なくなっているのだ。

(なによ。月華さんには絶対そんな態度とらないくせに)

モヤモヤする。モヤモヤする。

「お姉ちゃんがいないから寂しいんでしょ。甘えん坊よねー」

つい、そんなことを口にしてしまった。

「ああ? そんなんじゃねーよ」

流石に無視できなかったらしい犬夜叉が、顔を顰めてこちらを向く。

「どーだか。あんた、いつも月華さんにベッタリじゃない」

(ああもう! あたしったら何言ってるんだろ、これじゃまるで……)

自分でもどうしてこんなに苛立っているのか分からない。

気まずくなって目を伏せると、立ち上がった犬夜叉があたしの横にやって来た。

「――かごめ、動くんじゃねえ」

 

カチリ、と鉄砕牙に添えられた手が鍔を鳴らす。

 

「いっ!? ちょ、ちょっと、そんなに怒らなくても――」

「バカ、後ろだ!」

「え?」

戸惑うあたしの顔の横を通過する刃。

その錆びた刀身が、今まさにあたしに飛びかかろうとしていたモノを貫いた。

 

――猫ほどの大きさの蜘蛛の体に、人間の頭部を持った妖怪が、黄土色の体液を滴らせながら痙攣している。

 

「く、蜘蛛頭じゃ! ひいぃっ、うじゃうじゃおる!!」

「きゃ……!」

蒼白になってあたしにしがみつく七宝ちゃんの指差す先、天井の一角で蜘蛛の大群がひしめいていた。

「くそっ、中から来やがったのかよ!」

犬夜叉は舌打ちしながら、あまりに気持ちの悪い光景に固まったあたしの腕を掴んで立たせる。

「かごめ、四魂の欠片を取られねえように気をつけろ! 七宝、おめーも妖怪だろ、ビビってんじゃねえ!」

「わわ、わかっとるわいっ、狐火!」

こちらに吐きかけられた大量の糸が、一瞬で燃え上がる。直接体当たりを仕掛けてきた数匹は、犬夜叉が難なく叩き落とした。

「こいつら、糸さえ燃しちまえば大したことねえな」

「おらの狐火があれば勝てる!」

「そ、そうね」

頷きながら、ふと違和感を感じた。

(鉄砕牙が……変化しない……?)

蜘蛛頭を貫いた時も、今も、犬夜叉の手の中で鉄砕牙は錆び刀のままだ。

いったいどうして、と戸惑っていると、犬夜叉が小さく溜息を吐いた。

「――ったく、時間切れかよ。姉貴の野郎……」

「え……!?」

 

いつの間にか陽はすっかり落ち、室内は宵闇に包まれている。

七宝ちゃんの狐火が照らす光の中で、犬夜叉の髪が白銀から黒へと変わった。

「……なにジロジロ見てんだよ」

いつもの金色ではなく、灰色の瞳があたし達を睨む。

「犬耳が消えとるっ」

犬夜叉の頭に飛び乗って、わさわさと髪に手を突っ込む七宝ちゃん。

「どういうことなの!? その姿まるで人間……」

「……半妖にはな、体内に流れる妖力が消えて、人間になっちまう時があるんだよ。おれの場合は、朔の日がそうだ」

「なんと……。おい犬夜叉、そんな弱味をおらたちにバラしてよかったのか?」

「秘密と言え秘密と。一緒に旅してるのに隠し通せるもんじゃねえし、言いふらされたくはねえけど、お前もかごめも、んなことしねえだろ」

「……! その通りじゃ、おらは仲間を裏切ったりはせん!」

「犬夜叉……」

ぶっきらぼうで、乱暴な言動ばかりだけど、あたし達のこと信用してくれてたんだ……嬉しい。

 

「――ってちょっと待って。それはそれとして、あたし達今大ピンチじゃない!?」

「ああっ、蜘蛛頭のことを忘れとったーっ!」

 

狐火を警戒してか、蜘蛛頭は縁側に避難したあたし達から一定の距離をとっているものの、その数はじわじわと増えている。

「どどどどうするんじゃ犬夜叉! 月華もおらんのに、無能な人間になりさがってしもうて……!」

涙目で食ってかかる七宝ちゃんに対して、犬夜叉は、「はっ」と呆れたように失笑する。

「わかってねえな、七宝」

今の犬夜叉には、爪も牙もない。平時の彼と同等の戦力である月華さんもいない。

どう考えても絶望的な状況。

にもかかわらず、犬夜叉は不敵に笑ってみせた。

 

「人間は、無能じゃねえよ」

 

鉄砕牙を正眼に構える。

「――頼むぜ、鉄砕牙」

その言霊に呼応するように、仄かな金色の光が刀身を包んだ。

「あ……?」

光が消えたあとに現れたのは、普段の巨大な獣の牙でもなければ、さっきまでのボロボロの錆び刀でもない。

寒気がするほどに鋭利な光沢を放つ、瑕一つない白刃。

 

世界一とも謳われる日本刀の輝きが、そこにあった。

 




後編も早めに投稿できるよう頑張ります。

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