「鉄砕牙を、妖力が無くても使えるようにしろ、だあ~?」
人の立ち入れない、絶えず黒煙が噴き上がる山の中にある工房。
そこでおれが引き合わされた、鉄砕牙の生みの親だという刀鍛冶の妖怪――刀々斎は、姉の言葉を胡乱げに反復した。
「そうです。半妖には月に一度、妖力を失って人間になる時がある。その時のために、鉄砕牙を改良したい」
月華の訴えに対する老妖怪の反応は、捗々しくない。
「使い手の妖力に応じて力を発揮するのが妖刀ってもんだぜ? そんな都合の良い作り替えができるかよ」
その言い分はもっともだと思う。
少し前に、ようやくおれは鉄砕牙を使いこなせるようになった。
さらに性能を上げたいという心遣いは嬉しいが、やはり無理のある要求ではないか――と、隣に座る姉の表情を窺う。
案に相違して、月華は諦めていないようだった。
「本当に出来ませんか?」
落ち着きはらって問い返す。
「もともと鉄砕牙には、敵を斬ることでその妖力を吸い取り、自分の技にする能力があるでしょう。だったら、“持ち手の妖力を吸い取って蓄え、必要な時に解放する”なんて能力を付加するのも不可能ではないと思うのですが」
「――ほ」
刀々斎が、驚いたようにぎょろりとした目を瞬かせる。
「姉上、頭いいな!」
おれも鉄砕牙の能力については教えられていたが、そこからそんな発想には至らなかった。
期待を込めて刀鍛冶を見つめると、その肩口から冥加が顔を覗かせた。
「月華様、犬夜叉様。わしは賛成できませんなあ、父君の刀にそのような手を加えるなど……」
「何言ってるの、今の持ち主は犬夜叉でしょう。犬夜叉の使い勝手が良いようにするのは当然じゃない」
冥加は、月華の冷たい視線に怯みつつも食い下がる。
「鉄砕牙は強力な武器です。だからこそお館様は、妖怪が触れれば結界に拒まれ、人間が手にすれば無価値な錆び刀のままとすることで、悪しき者に使われぬようにしたのです。月華様がおっしゃったような改良を施せば、人間による鉄砕牙の悪用が可能となりますぞ!」
「それは犬夜叉が鉄砕牙を奪われるようなヘマをやらかせばの話でしょ。そもそも、妖力が消えたら使えないってのが、犬夜叉の守り刀として片手落ち。人間の姿の時に、可愛い男の子をちょっとずつ切り刻んで殺すのが趣味の変態に襲われたら、どうやって戦うの」
「姉上、なんでそんな特殊すぎる状況想定してんだよ……」
姉の頭の柔らかさというか、想像力が豊かな点は見習いたいと思うが、時々斜め上なコトを言い出すのは理解できない。
「改良した方がいいですよね、刀々斎殿!」
「今のままにすべきじゃろう、刀々斎!」
刀鍛冶は二人から詰め寄られて頭を抱える。
「う゛~む、どちらももっともな意見。鉄砕牙の可能性を広げてみたい気もするが……使い手の犬夜叉が頼りないからな~」
「――なんだと、ジジイ」
冥加も刀々斎も、月華の案に反対する理由は、おれの未熟さなのか。
「バカにするな! おれは鉄砕牙を他の奴に奪われるほど弱くねえし、これからもっともっと強くなるんだ! てめえみたいな石頭の老いぼれと違ってな!」
「石頭の、老いぼれだとお?」
刀々斎の眉間にぐっとシワが寄った。
「このガキ、口の利き方がなってねえな。勘違いすんなよ、たしかにわしは親父殿の頼みで鉄砕牙を打ち出したがな、てめえらの注文を聞いてやるかは別の話だぜ」
鼻息も荒くおれたちに背を向ける刀鍛冶。
「気分が悪ぃ、とっとと帰れ!」
(……しまった……)
完全にへそを曲げた様子でカンカンと槌を打ち鳴らす老妖怪の後ろ姿を睨みながら、おれは内心で歯噛みした。
刀々斎という刀鍛冶は好き嫌いが激しく、自分が気に入った者でなければ刀を打たないと、事前に教えられていたのに。
せっかくの姉の考えが受け入れられないことに短気を起こした結果、刀鍛冶の機嫌を損ねたのでは本末転倒ではないか。
「わりぃ、姉上……」
言いかけて、おれは月華の表情に戸惑った。
姉は一瞬困ったような顔をしたあと――小さく笑みを浮かべたのだ。
「帰りましょう、犬夜叉」
すっくと立ち上がると、工房の出入り口に向かって歩き出す。
「え!? あの、月華様、よろしいのですか……?」
鉄砕牙の扱いについて意見を異にしていても、喧嘩別れは望んでいないのだろう、おろおろと追いすがる蚤妖怪。
月華は穏やかな、それでいて沈痛な様子で答える。
「ええ、もう良いの。――よくよく考えてみたら、鉄砕牙を改良するなんてやっぱり無理だよ。いくら刀々斎殿でも出来ない相談だ」
“無理”“出来ない”をことさら強調した喋り方だった。
姉に促されて腰を上げたものの、本当にこのまま帰って良いのかとまごついていたおれの視界の隅で、刀々斎が槌を振り上げた体勢のままピタリと静止する。
「…………」
おれを見遣る月華の眼差し。その目付きは……手合わせで技を仕掛けようとしている時と、同じだ。
「……あー、そうだよな、“わしの可愛い鉄砕牙”なーんてぬかしてるけど、すげえのは父上の牙で、刀鍛冶の腕じゃねえもんな~」
――刀々斎が、槌を一層固く握り締める。
「うん、犬夜叉の言うとおりだよ。だからあれこれ理由つけて断ろうとしてるのに、私ときたら気が付かなくて」
――刀々斎が、わなわなと肩を震わせる。
「こんなジジイに頼ったこっちが馬鹿だったな。他を当たろうぜ、姉上」
――刀々斎が、頭に青筋を浮かべる。
「もっといい刀鍛冶を探さないとね。――刀々斎殿、無茶なお願いをして困らせてしまって、ごめんなさい」
心底申し訳なさそうな声色で、月華は老妖怪を振り返って頭を下げる。
そして――
「だああああぁーーーっ!!」
刀々斎が、絶叫した。
「このクソガキども……! 黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって! 犬夜叉、てめえの牙をよこせ!」
文字通り頭から湯気を出しながら、こちらに向き直って仁王立ちする刀鍛冶。
「貯蔵した妖力を使って変化する刀だな!? いいぜ、お望み通りに打ち直してやらあ! この刀々斎の腕をナメんじゃねえ!!」
肩を怒らせて宣言する老妖怪の剣幕もどこ吹く風とばかりに、月華は不安げな表情で首を傾げる。
「……大丈夫なんですか? 冥加の心配も考慮に入れると、変化の条件は犬夜叉の言霊とかにする必要がありますけど、難しくありません?」
「問題ねえ!」
「普段と同じ形の鉄砕牙だと、人間の力じゃ扱いづらいでしょうから、一般的な刀の大きさにしてその分切れ味を鋭くして欲しいんです」
「任せとけ!」
「どのくらいで完成します? 百年後とか言われても困るんですが」
「三日だ!」
「もちろん、お代はいりませんよね?」
「当然だ!」
月華の口元が緩やかに弧を描く。
そのしてやったりの微笑を見たおれは、姉の手管に感心しつつも思わずにいられなかった……“姉上って、一歩間違えたらロクでもねえ悪党になるんじゃないか?”と。
第十八話 朔の日が来ました 中
「雑魚どもを相手にしてもキリがねえ。どこかに親玉がいるはずだ、そいつを見つけ出して倒すぞ!」
狐火の明かりを頼りに、おれ達は暗い廊下を走る。
時折襲いかかってくる蜘蛛は、鉄砕牙の一閃で豆腐よりあっけなく両断できた。
人間が打つ刀剣は、その出来栄えによって“最上大業物”“大業物”“良業物”“業物”と順位付けされる。
ウソかホントかわからないが、最も優れた刀は一度に七つの人体を斬ったという。
刀々斎のジジイが鍛冶師魂を暴発させて作ったこの形態の鉄砕牙は、そんな最上大業物にも匹敵する切れ味だ。
……おれの妖力を刀身に定着させるために牙を引っこ抜かれたり、その結果、元の親父の牙と均衡が取れずバカみたいに重くなるという問題が生じたことを差し引いても、充分におつりが来る性能である(一時重くなった鉄砕牙も、竜骨精との戦いを経て手になじむようになった)。
「犬夜叉、誰かこっちに来るぞ!」
七宝に促されて視線を前方に投じれば、切迫した一人分の足音と、ゆらめく手燭の灯火。
「なずなちゃん、無事だったのね!」
「う、うん。――犬夜叉? 人間に化けた……?」
息を切らせて駆け寄ってきた女は、おれの姿を認めて驚いたように瞬く。
「あー、細かいことは気にすんな。死にたくなきゃ、とっととこの寺から逃げろ」
「いやだ、和尚様をおいていけない! まだ生きてるんだ、助けて」
「――この寺はあの坊主が守ってるんじゃなかったのか? 結界はどうした?」
こちらの問いに、なずなは苛立たしげに首を振る。
「わかんないよ、そんなの! 助けて……お願いだから……っ」
最後の言葉は涙声だった。
「……坊主は今、どこにいるんだよ」
広大な本堂の四方八方に、蜘蛛の糸が張り巡らされている。
その中心で、僧衣の老人が宙吊りになっていた。
「おい、坊主」
呼びかけに、力なく項垂れていた僧が身じろぎする。
「犬夜叉……どの……? 来て……くだされたのか……?」
「和尚さん!」
「和尚様!」
なずなが伸ばされた皺だらけの手を取ろうと踏み出すのを――おれは片手で制した。
「助けて欲しけりゃ、てめえがこっちに来な、坊主」
「無理じゃ……もはやわしの法力では蜘蛛頭をおさえきれぬ」
「ふーん。だったらなんでてめえ、まだ生きてんだ?」
「――――」
妖怪にとって、霊力や法力を持った人間というのは己を滅しうる脅威である反面、常人よりも滋養のある好餌なのだ。
このような状況になったら、真っ先に食い殺されていなければおかしい。
『……くくく……』
おれの問いに僧は――僧の姿をしていたものは、嗤った。
老人の肉体が、墨染の衣を突き破って変形する。
「お……和尚様!?」
蜘蛛の巣の体をした妖怪が、ついにその正体を現した。
「やっぱりてめえが蜘蛛頭の親玉だったのか」
『くくく……。四魂の欠片を持つ半妖がうろついているという噂を聞いての、おぬしが来るのを待っとったよ。それもよりによって血の妖力を失ったときに、わが手中にとびこんでくるとはの』
「けっ。妖力なんぞなくたって、てめえみてえな老いぼれ妖怪、体力でぶっ倒してやらあ!」
『愚か者!』
妖怪の言葉に答えるように、本堂の暗がりから複数の影が立ち上がる。
鎧を着込み刀を携えた人間の、本来は頭がある部分で八つの目玉が赤く光っていた。
「――蜘蛛頭に襲われた人間の、“体のほう”かよ」
『その通り。小僧、なかなかに良い刀を持っているようだが、所詮一人でこの数を相手にはできまい』
「い、犬夜叉……」
かごめが震える声で呼びかける。
「大丈夫だ。結界から出るんじゃねえぞ」
鞘を抜いて背後のかごめの手に押し付けると、半透明の障壁が現れ、女二人と子狐一匹を囲んだ。
自らの優位を疑いもしない蜘蛛頭の親玉は、その様子を無駄な抵抗とばかりにうすら笑いで見下ろしている。
――バカ野郎が。
「おれと鉄砕牙の二百年、とっくり拝ませてやるぜ!」
わらわらと向かってくる人型の蜘蛛頭。その数、十。
おそらく落ち武者か野盗か、犠牲者の中でも戦闘力のある者の肉体を精鋭部隊として利用しているのだろうが――
(ハナシにならねえな)
戦力の多寡、体格の優劣……。あらゆる条件に対応して、勝利をたぐり寄せるべく培われた技術であるから剣
大上段に振り下ろされた刃を躱して、その両腕を断つ。
体勢を崩してよろめいたところを蹴飛ばせば、後続を巻き添えにあえなく転倒した。
両側から襲い来た二体の内、まず首を刎ねんとする左からの横薙ぎを、速度が乗る前に切っ先をぶつけて逸らし、その勢いのまま身体を捻って右の敵を切り伏せる。
左の敵は、逸らされた刃を取り直すよりも早く頭部を一突きにして沈黙させた。
その身体を引っつかみ、背後から忍び寄って来ていた槍持ちの盾とし、穂先を封じたところで仕留める。
『ば……馬鹿な……人間はこの暗さではろくに動けぬはず……!』
瞬く間に兵の数が半減したという事実を受け入れられず、狼狽えた声を上げる蜘蛛頭。
たしかに、朔の夜はいつも月のない夜の闇の深さに驚かされる。
爪も牙も、嗅覚すら失われる心もとなさは、どれほど年月を重ねようと変わらない。
――だが。
――そんなことは剣を執る上で、何の問題にもなりはしない。
こちらから更に踏み込んで、残りの兵隊を屠っていく。
周囲に散らばる粘性の糸。その間隙を過たず選んで足場を確保する。
虫ケラが操る朽ちかけた死体は、おれとは逆に仲間の吐き出した糸に足を取られてその機動力を大きく落としていた。
目に依らず、耳に依らず、鼻に依らず――ただ肉体の命ずるままに剣を振るう。
無念無想。明鏡止水。
月華いわく、それは人間があらゆる武において最終目標とする境地であり、二百年の時を研鑽に費やしたおれの剣は、すでにそれに近い域にあるらしい。
……「早い話が考えるより先に体が動くってことだな!」と言うと、姉からは「理屈をあっさり超えちゃえるバカってコワいわー」と
風の傷を教えるためだとかほざいて、おれを目隠し状態でどつき回した奴の言うことか、畜生。
最後の一体が頽れた。
「――さて、くそ坊主。冥土の土産にその身で味わいな」
血振るいして取るは中段・霞構え。
「これが、ただの人間のジジイが妖怪を倒してきた剣だ!!」
『ぐ、ぐおおおっ!』
蜘蛛の巣状の巨体を支える足を破壊する。憤怒の表情で床に叩きつけられた頭部に鉄砕牙を突き立てたのだが――
「やったあ!」
「すごいぞ犬夜叉!」
「いや、まだだ……!」
快哉を叫ぶかごめと七宝をたしなめ、気配を探る。
刃が届く寸前で、蜘蛛頭の顔が消えた。
どうやら、こいつの頭は縦横に広がる身体を自在に移動できるらしい。
『……なずな……』
予想通り、上方から声が響いた。
最初に会った時と同じ、穏やかで優しい和尚の声だった。
『なずな……助けておくれ……』
「! 何を……! あたしを騙していたんだろう、妖怪!」
『お前にだけはわかってほしい……わしは、法力がおよばず、妖怪に体を乗っ取られてしもうた……』
「――っ」
「なずな、聞くんじゃねえ!」
『犬夜叉どの……許してくだされ、わしが蜘蛛頭を抑えきれなかったばかりに……』
…………。
『なずな……お前がこの寺で暮らすようになって、わしは、嬉しかったのだ……お前を本当の娘か孫のように思っておる。だからお前は……お前だけは信じておくれ……』
悲しみに満ちた、すすり泣くような声。
半ば無意識の行動だろう、耳を塞いでいたなずなの手が離れ、声のする方に向かって伸ばされる。
「! 待て、なずな――」
しくじった。
堂の中心近くまで入り込んだせいで、廊下に立つかごめ達との距離が遠い。
自分が割って入るより先に、なずなの指は鞘の結界を抜け――垂れ下がっていた蜘蛛の糸に触れる。
「なずなちゃんっ!」
まさしく獲物を絡め取る蜘蛛の素早さで、糸はなずなの体を捕らえて吊り上げてしまった。
『こうもあっさり騙されてくれるとは、かわゆいやつよ……』
なずなを鷲掴みにした腕の横に、嘲笑を浮かべた顔が現れる。
『さあ小僧。この娘の命が惜しくば、四魂の欠片を寄越せ』
「ひ、卑怯じゃぞ!」
『何とでも言うが良い。この娘が毒で体内からじわじわと溶けていくのを見たいならな』
「くっ……犬夜叉! あたしに構わず、斬って。こんな奴に利用されるくらいなら、その方がマシだ!」
なずなが蜘蛛頭の体に爪を立ててもがきながら、悲愴な表情で懇願する。
「んなわけにいくかよ。……かごめ、すまねえが、四魂の欠片を出してくれ」
「う、うん……」
かごめが取り出した小瓶の中の煌きに、蜘蛛頭は欲に濡れた眼差しを向ける。
『くくく……これで五百年は寿命が伸びるわい』
「――おい、最後にひとつだけ教えろ。さっきの坊主の言葉は本当なのか? この寺の和尚は、てめえに乗っ取られて、操られてるのか?」
おれの質問に、四魂の欠片の輝きに魅せられたまま妖怪が答える。
『最初から和尚なぞおらぬわ。すべては、四魂の欠片を持つという半妖をおびき出すため。蜘蛛頭を山に放ち、妖怪の噂を聞きつけてそやつらが来るのを待っておったのよ』
「そうかよ。――聞こえたか、姉貴ッ!!」
張り上げた声の余韻も消えぬ間に、天井から瓦礫が降り注ぐ。
『な、なにぃ!?』
驚いて上空を振り仰いだ蜘蛛頭は、次の瞬間さらなる困惑に見舞われることになる。
囚えていたはずの娘が、いない。
――音すら置き去りにする剣閃が、妖怪の腕ごと人質を奪っていったのだ。
土埃が立ち込める中、自らが突き破った屋根の残骸を踏み、娘を抱えた白銀の女妖怪。
「残念だったなくそ坊主。てめえの寿命もここまでだ」
鉄砕牙(朔の日Ver)
人間状態の犬夜叉が使えるよう、犬夜叉の牙を加えて改良された鉄砕牙。
犬夜叉が帯刀することで、ごくわずかずつ妖力を吸収し蓄えることができる。
蓄えた妖力を解放し日本刀形態に変化する条件は犬夜叉の言霊。
半妖時のように大技を放つことはできないが、かつて只人の身でありながら妖怪とも渡り合ってきた人間の老人の剣技を修めた犬夜叉との相性は抜群に良い。
刀々斎の熱い職人魂の結晶である。
……後編とか言っときながらまだ中編です。すみません。