犬兄弟の真ん中に転生しました   作:ぷしけ

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第十九話

――「あの娘の身近に、妖怪がいるはず。気づかないフリをしておびき出して」

 

私は弟にそう伝えていた。

 

なずなと話しながら、私の嗅覚は彼女から妖怪の臭いを捉えた。

彼女の言葉通り、結界に守られた寺で過ごしているのなら有り得ない、微かだが長期間に渡って染み付いた――そんな臭いだった。

しかし、本人に嘘をついている素振りは微塵もない。

寺の和尚以外に、なずなと日常的に接する者もいないと言う。

 

以上のことから私の頭に浮かんだのは、「その和尚サマとやら、怪しくね?」というものである。

 

考えられる可能性は三つ。

 

 ①妖怪が和尚に化けている

 ②和尚は人間だが、妖怪に体を乗っ取られている

 ③和尚は人間だが、妖術によって操られている

 

そう仮説を立てて、ではどう対処するべきかをまた考える。

①の場合は簡単である。和尚を倒せばそれで終わりだ。

しかし、②③であったらそうはいかない。九十九の蝦蟇の時と同様に、操られている者を妖怪の支配から解放しなければ、迂闊に攻撃ができない。

 

なずなに協力を仰げれば良かったが、彼女の妖怪に対する恐怖心は根強く、今日出会ったばかりの妖怪と、日頃から世話になっている和尚とどちらを信じるかは明白である。

まして「和尚≒蜘蛛頭の親玉」の仮説は、妖怪の臭いという、人間には認識不能な情報から組み立てた私の推測に過ぎないのだ。

そんな言い分を受け入れろという方が無理な相談だろう。

 

また往々にして、蜘蛛の妖怪には、罠を張って獲物を待ち構える、用心深い性質のモノが多いのだ。

下手になずなに事情を話せば、彼女に信じてもらえないばかりか、敵に警戒されて討伐難易度が上がりかねない。

 

結論。

――何も知らずに罠にかかったフリをして、敵を罠にかける。

 

今夜が朔の日で、犬夜叉が人間になってしまうというのも、むしろ都合が良い。

わざわざ妖力を失う日に、敵の本拠地にやって来る馬鹿な半妖がいるなどとは誰も思うまい。

弟たちが、何も知らずに蜘蛛の巣に飛び込んだ愚かな獲物を演じれば、敵は油断してその正体を明らかにするだろう。

私はこの山を離れたように見せかけた後、密かに寺に近づき、いつでも犬夜叉たちを援護できるように備える。

 

それが、今回の作戦であった。

 

 

 

第十九話 朔の日が来ました 後

 

 

 

『き、貴様、いったい……!?』

「年をとると頭の巡りも悪くなるもの? オマエの敵に決まってるでしょう」

まあ私も二百年という時間の中で、原作知識を摩耗させちゃったのだから言えた義理じゃないか。

もしこの蜘蛛頭が原作にも登場した敵で、どうやって倒したかを私が覚えていたなら、こんな迂遠な方針を取らずにすんだだろう。

何ひとつ予備知識が無いがゆえに、情報をかき集め、思いつく限りの可能性を考慮して動かなければならなかったのだ。

まったく、現実は非情である。

犬夜叉に指示を出す際も、周囲で蜘蛛頭が見張っていた場合に備えて、不自然にならないよう気をつけていたのだが、無用の心配だった。

連中に大した知能はなく、妖力を抑えていれば、寺の屋根に陣取っていても気付かれなかった。

楽で良かったといえば良かったのだが、和尚の正体も何の捻りもない①が正解とあっては、この程度の敵に手間をかけ過ぎた気がする。

「ようやくお出ましかよ、姉貴」

弟もそう思ったのだろうか、人間の体で随分と大立ち回りをして、心なしか疲れた声だ。

いまだに事態を呑み込めていない様子の蜘蛛頭から視線を外して、労いの言葉をかける。

「おつかれ、犬夜叉。師匠譲りの剣技、見事だった――なずなを人質にとられなければもっと良かったけど」

「……ふ、ふん! 姉貴に見せ場を作ってやったんでいっ。自分の出番がねえと姉貴はいじけるからな!」

ソ、ソンナコトナイヨー?

確かに屋根の上で待機状態のまま夜明けを迎えるのは虚しいが、罪もない人間を危険に晒さずに済むのが一番だ。

(でも、まあ……)

「あなたがそう言うなら、幕引きは私がやらせてもらいましょうか」

「嬉しそうだな」

弟の呟きは聞き流し、顕心牙を抜く。

『……ま――』

もはやいかなる虚偽も韜晦も述べる暇を与えない。

待て、と蜘蛛頭の口が動くよりも先に、私は刃を振り下ろした。

 

轟音と突風が堂内を揺るがす。

 

舞い上がる粉塵が晴れた後には、本堂の壁が一つ完全に消失し、遠く薄墨色の山々が夜明けを待っているのが見えた。

(……ちょっと力が入りすぎた)

蜘蛛頭の親玉を消滅させた余波で、壁まで吹き飛ばしてしまったらしい。

――あと、私の記憶が確かなら、あの壁の前には仏像があったような。…………まっ仕方ないか!

「あの、助けてくれてありがとう……月華、さま」

「うん。あなたが無事で良かった」

可憐な乙女の命が助かったのだ、仏様も喜んでいることだろう。めでたしめでたし! 何も問題ない!

脳内で無理矢理まとめる私に、ほんのりと頬を染めたなずなが抱きついてきた。

 

「は~、四魂の欠片も持ってねえ老いぼれ妖怪相手に、とんだ道草だぜ」

私にとどめを譲った犬夜叉が、黒髪を掻き上げながら大袈裟にため息をつく。

「じゃが、犬夜叉は人間になっても強いのう! な、かごめ」

「……うん、そうね、すごかったわ」

はしゃいだ様子で同意を求める子狐に、かごめが頷く。

(ん? ……んん?)

「――犬夜叉」

ちょいちょい、と手招きして、少女達から死角になる折れた柱の陰に移動する。

「なんだか、かごめの元気が無いみたいだけど、何かあった?」

かごめは、いつも明るくて快活な少女だ。

それだけに、先ほどの彼女の沈んだ表情が気になったのだが、弟は怪訝そうに眉根を寄せた。

「別に、何もねえぞ? 蜘蛛頭はおれと七宝で全部倒したし、怪我もしてねえ」

「本当に? あなたが怒らせるようなこと言ったりとかも?」

「ねえよ」

弟に心当たりはないようだが、女心に疎く無神経な輩の言うことなので、姉としては心配である。……いや、“彼氏いない歴=年齢(前世+現世)”なんてしょっぱい記録を更新中の私に心配されたくないだろうけど。

「……犬夜叉、月華さん。どうかしたの?」

声をひそめて不毛な問答をしていると、かごめが遠慮がちに声をかけてきた。

その眼差しは、やっぱりどこか悲しげだ。

「あー、うん。大したことじゃないよ。……私がなずなを麓の村まで送っていくから、七宝、狐火で道を照らしてくれない?」

「おう、任せておけ!」

七宝は得意げに頷いて、かごめの肩から飛び降りる。

「日の出までには戻るから、犬夜叉とかごめは、ここで待ってて」

笑顔でそう言ってから、弟にだけ聞こえる声量で囁く。

「私達が戻るまで、かごめのこと、気遣ってあげなさいよ。原因が分からないなら、ちゃんと話を聞いて」

「なんでおれが。そういうのは女たらしの姉貴の方が得意だろ」

「誰が女たらしだ。――これは犬夜叉に任せるべき問題だと、私の嗅覚が告げてる」

「ワケ分かんねえよ」

犬夜叉はまたもや深いため息をついた。

 

 

(あー、もう、あたしったら……バカみたい……)

月華さん達がいなくなった堂の片隅で、あたしは膝を抱えて座っていた。

憂鬱な気分で、今日の出来事を思い出す。

 

月華さんが犬夜叉に抱きついたのは、敵に気取られずに作戦を伝えるためだった。

犬夜叉が無愛想に振る舞っていたのは、敵の襲撃を警戒していたからだった。

どちらも思いは同じ。

あたし達を守りながら、危険な妖怪を確実に葬ることを目的とした行動。

(ふたりとも……ずっと真剣だったのに)

それに少しも気づかず、姉弟の仲の良さにもやもや――ヤキモチなんか焼いて、あたし、バカみたい。

 

「おい、かごめ」

「! な、何よ……」

いつの間にか、犬夜叉が隣に腰を下ろして、あたしの顔を覗き込んでいた。

「お前、なんか怒ってんのか?」

「え……別に、そんなことないけど……」

「んじゃ、どっか痛えとこあるか?」

「ないわよ」

あたしは犬夜叉から目をそらした。

普段はデリカシーが無くて、七宝ちゃんと同レベルで口喧嘩するような子供っぽい奴なのに、真摯な表情でまっすぐあたしを見つめてくるのが、ひどく落ち着かない。

「……」

半壊した堂の惨状を無意味に眺めるあたしの横で、犬夜叉が何か考えている気配がする――と思いきや、少年の手に頭を掴まれた。

「きゃ!? ちょっと、何――」

「うるせえ」

人間の姿でも相変わらずの馬鹿力に引っ張られて、上体が横に倒れる。

 

そして――あたしの頭が、胡座をかいた犬夜叉の腿に乗せられた。

 

「……あの……ホントに何……?」

「ああ?」

困惑して問いかけるあたしを、犬夜叉は“分かりきったことを訊くな”と言いたげな表情で見下ろしていた。

「怒ってもねえし、痛いところもねえってことは、疲れてんだろ。休みてえなら、膝貸してやる」

得意げに説明して鼻を鳴らす。……やっぱり犬夜叉は犬夜叉だわ。

「膝枕は結構よ、疲れてるわけじゃないもの」

「何ぃ!?」

スカートの裾を直しながら体を起こすと、犬夜叉は完璧な推理を否定された名探偵のごとき驚愕の声を上げる。

「――あたしは何もしてないのに、疲れるわけないでしょ」

犬夜叉は妖力を失っても、長年磨き抜いた剣技で戦った。

七宝ちゃんは狐火で犬夜叉を援護した。

月華さんは周到に計画を立て、蜘蛛頭を倒した。

なずなちゃんだって、妖怪に人質にされて怖かっただろうに、勇気を見せた。

……何も出来ず、おろおろするばかりだったのは、あたしだけだ。

(せめて弓矢は肌身離さず持っておけば良かった、なんて今更後悔しても遅いよね……)

自己嫌悪に、思わず吐息が漏れる。それを聞きとがめ、犬夜叉はますます怪訝そうな顔になった。

「さっきから変だぞ、お前。理由があるなら言えよ」

「……言いたくない」

言えるわけがない。

的外れな嫉妬をしていた自分が恥ずかしいなんて。

みんな頑張っていたのに、何も役に立てなかった自分が恥ずかしいなんて。

……月華さんと犬夜叉の絆を羨ましく思ってる自分が恥ずかしいなんて。

 

怒ると怖いけど、賢くて面倒見の良い月華さん。

普段は乱暴だけど、真っ直ぐで頼もしい犬夜叉。

この姉弟に出会えなかったら、恐ろしい妖怪が跋扈する戦国の世で、四魂の欠片を集める旅はどれほど困難になっていただろう。

あたしにとって、ふたりは心強い仲間だ。

――でも、ふたりにとってのあたしは?

(あたしは四魂の欠片の気配を感じられて、妖怪の持つ四魂の欠片を見ることができて……)

ただそれだけだ。

その能力だって、姉弟にとってそれほど大きな価値は無い。

彼らが欠片探しに協力してくれるのは、四魂の玉が欲しいからではなく、それがもたらす災いを防ぎたいからだ。

もしあたしの力がなくても、月華さんの配下がもたらす情報があれば、欠片を見つけるのも不可能ではないだろう。

そう考えれば、ふたりにとってのあたしはオマケ……どころか守らなければいけない足手まといだ。

 

月華さんと犬夜叉のように、お互いを信じて頼り合う関係になんてなれっこない。

 

「…………っ」

考えていると情けなさに涙が出そうになって、慌てて自分の膝頭に顔を押し付ける。

犬夜叉はそんなあたしを見てどう思ったのか、

「――姉貴はおれが質問すれば、なんでも答えてくれるぜ」

静かな声でそう言った。

(よ、よりによって……!)

このタイミングで月華さんを引き合いに出すなんて、ほんっとにデリカシーがないわコイツ!

寂しさ、悲しさが裏返って怒りに転化する。

「あっそ! いいお姉さんよね、あんたがお姉ちゃんっ子なのがわかるわ」

(ああもう! あたしってばサイテー!)

口に出してしまってから後悔した。

犬夜叉は悪くない。あたしが姉弟の絆を勝手に僻んでいるだけなのに。

短気で怒りっぽい彼のことだ、すぐに怒鳴り返してくる……と思ったのだけれど、なかなか反撃の言葉が聞こえない。

そっと顔を上げて隣を窺う。

怒気など微塵も無い、灰色の双眸が毅然と見返してきた。

 

「一度だけ、どうしても我慢できずに姉貴に訊いちまったことがある――おれを恨んでねえのかって」

 

「へ……?」

予想外のフレーズに、間の抜けた声が出る。

月華さんが、犬夜叉の無鉄砲な行動を叱ったり、生意気な言葉に怒ったりする場面は何度か見てきた。

けれど、彼女が犬夜叉を“恨む”なんて、どう頑張っても想像できない。

「……おれと姉貴の親父は、お袋と、赤ん坊だったおれを助けるために命を落とした。おれが姉貴から、親父を奪っちまったんだ」

「――」

ひどく衝撃的な告白だった。

半妖である犬夜叉に、弟として屈託なく接する月華さんのような妖怪は少数派なんだとぼんやりと察してはいた。

けれどそれは、人間も尊重する価値観の彼女にとっては当たり前のことなんだろうとも思っていた。

「月華さんは、なんて答えたの……?」

どうにかそれだけ問う。

犬夜叉は小さく笑った。――あたしを安心させようとするように。

「“恨んでない”……そう言ってくれた。嘘じゃなく、本心からな。でも、こうも言った。“父上と、もっとたくさん話をしたかった”ってな。おれは親父の顔も知らねえから、そういうのはよくわかんねえが」

犬夜叉の口から語られるのは、あたしの知らない姉弟の物語だった。

あたしが出会った時から、月華さんと犬夜叉は仲の良い姉弟。

でも、初めからそれが“当たり前”だったわけじゃないんだ。

「今でも、親父のことを思い出してる時の姉貴は、やっぱりちょっと寂しそうだ。だからアイツはなんでも話してくれるんだろうよ。下らねえことや嫌味ったらしいこともしょっちゅう言うけどな。――で、あー、つまり、なにが言いてえかっつうと」

ここに来て、スピーチ力が限界を迎えたらしい。頭を掻きむしり、懸命に言葉を紡ぐ。

「お前も、文句があんならはっきり言ってくれ。話ができるのは、生きて一緒に居られてこそだろ」

「……」

その言葉は、不思議なほどにすんなりとあたしの心に落ちてきた。

 

ここは五百年前の時代。

本来なら決してあたしと犬夜叉達は出会うはずがなかった。

こうして隣り合って座り、言葉を交わしているのは、一つの奇跡だ。

 

「おれはバカだから言われなきゃわかんねえし……その、おれは……かごめの笑顔が好きだからよ」

 

最後は、先程までの落ち着いた話しぶりから一転、顔を逸らしてボソボソと歯切れ悪くなった。

「……ふふっ」

その横顔が、犬耳も無いのに、叱られた子犬のように見えて、思わず笑ってしまう。

「おいコラ、おれは真面目な話してんだぞ」

「ご、ごめん。でも、笑いたいんだもん」

声を出して笑うたびに、胸に蟠っていたものが溶けて流れていく気がした。

「けっ。まー元気になったならいいけどよ」

犬夜叉はホッとしたのを隠すように、不機嫌な表情を貼りつける。

「ありがとう、犬夜叉。……ねえ、良かったら昔の話、聞かせてくれない? 月華さんと犬夜叉のこと、もっと知りたいの」

「ふうん? だったら、俺と姉貴が初めてあった時の話でもするか。今思い出すと、あん時の姉貴はすっげえ困ってて――」

「うんうん」

(……ああ、ホントにあたしはバカだった)

 

今の犬夜叉と月華さんの関係は、彼らの努力の積み重ねの結果だ。

時に訊きにくいことも訊き、答えにくいことにも答える――そんなふたりだからこそ、今の深い絆で結ばれた姉弟になった。

そこに至る過程を想像すらせず、結果だけを見て羨ましがるなんて、勉強もせずにテストで百点をとりたがるようなものだ。

 

あたしはこれまで、ふたりの強さに甘えていた。

 

彼らのことを理解したいなら、そのための行動を。

彼らの信頼を得たいなら、そのための行動を。

 

五百年の時を超えて出会えた奇跡の価値を噛み締めて、彼らにとってのあたしも心強い仲間になれるよう頑張ろう。

 

――まずは、弓の練習かしら?

 

 


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