犬兄弟の真ん中に転生しました   作:ぷしけ

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第八話

白刃が月光に煌く。

月を貫かんとばかりに真上に高く掲げた構えから、刀を振り下ろす。

澄んだ風切り音が、夜の庭に響く。

何度も、何度も。

百回から先は数えるのを諦めたその挙動は、けれど一切速度を落とすことも、姿勢を乱すこともない。

それはまるでこの世にいない誰かの、声無き声を聴こうとするような、姿なき姿を見ようとするようなひたむきさに満ちている。

わしこと冥加は、月華様のそんなお姿を庭石の上でずっと眺めていた。

 

お館様の御子たちのなかで、月華様はわしにとって最もつかみどころのない方であった。

ずっと屋敷の奥深くで過ごしていたかと思えば、父君の死後は地上に降り、豹猫族との争いには自ら望んで参戦したという。

その戦いぶりを見て、殺生丸様に次ぐ実力の持ち主ともてはやす者もいたともっぱらの噂だが、わしから言わせてもらえば、本人はそういった覇道を進む勇猛さとは無縁の雰囲気であった。

殺生丸様のように妖怪すら慄かせる冷たさはなく――かといってお館様のように人間にも情をかける暖かさも感じられない。

そこにいるのにそこにいない、蜃気楼のようにあやふやな空気をまとう、人形めいた無表情の姫君。

まるで他者との関わりそのものを避けているよう、というのが過去何回か血を吸わせてもらった時にわしが抱いた印象だった。

(しかし……それが、変わられた……)

自分の思い違いでなければ、今日、何かが変化した。

犬夜叉様がこの方を“姉上”と呼んだその時から。

 

 

 

第八話 子育てに悩みました

 

 

 

「それにしても、驚きました。まさか、貴女様が犬夜叉様を受け入れなさるとは……」

「――――」

夜風になぶられた髪を整えるために、月華様が刀を振るう手を止める。その背に思い切って声をかけてみた。

犬夜叉様の傷の手当、十六夜様の埋葬、食事の支度、犬夜叉様を住まわせる部屋の準備……等々、日中なにかと用事を見つけては動き回っていた月華様と言葉を交わす機会を窺っていたら、こんな夜更けになってしまったのだ。

ちらりとこちらを見遣る眼差しには、やはり温度が感じられない。快も不快も浮かんでいない。

危険を察知し回避する能力については他の追随を許さぬと自負するわしをして、やはりこの方の表情――というか感情は読み取るのが至難の業であった。

修練の邪魔をして機嫌を損ねるのは避けたいが、今日の月華様の行動は、言及せずに済ますにはあまりに意外すぎたのだ。

妖怪どもを一掃し弟君を助け出したところまでは、単なる気まぐれと片付けることもできたかも知れない。

事実そのあと――犬夜叉様が目を覚ます寸前まで――月華様は確かに犬夜叉様を放り出す心算でいた。

あの場では冷たい仕打ちと憤ったものの、落ち着いて考えてみれば、殺そうとしなかっただけでも驚くべきことだ。

犬夜叉様は、月華様にとっては、父君が己が母ではなく人間の女との間にもうけた半妖。

ましてお館様は、犬夜叉様と、その母である十六夜様を救うために深手をおして戦い、そして死んだのだ。

姉としての情よりも、嫌悪や憎悪がまさる間柄ではあるまいか。

(少なくとも、殺生丸様なら絶対にありえぬ……)

これまでの自分が知る、何にも干渉しようとしない虚無的な月華様と、今朝目の当たりにした、半妖の異母弟に手を差し伸べる月華様。

その二つがどうにも結びつかず、思考の消化不良に陥ってしまったのを解消したくて話しかけたは良いものの、

「――――」

月華様は無言のまま視線を前方に戻すと、修練を再開してしまった。

突き。袈裟懸け。胴薙ぎ。逆袈裟。

流麗な型稽古と見て取れたが、本人の見解は違ったらしい。

ふぅ、と不満気な吐息とともに切っ先が下ろされる。

「……冥加」

「は、はいっ!?」

やはり煩く感じられたのか、と慄いていると、ゆっくりと月華様がこちらに向き直り、

 

「私は……犬夜叉をどう育てたら良いのかな」

 

そんなことを口にした。

 

「は……はぁ?」

戸惑っているうちに、わしには期待できぬと思ったのか、頭上の月を振り仰ぎ、半ば独り言のように続ける。

「私は犬夜叉に、自由に生きて欲しい」

月明かりに照らされた端正な顔は、やはり表情に乏しい。けれどその眼差しには、自嘲めいた色があった。

 

「今まで私は、自分がこの世に生まれてきたことが、何かの――いや、ロクでもない間違いだと思ってた」

 

「…………」

わしはその告白に呆気にとられた。

にわかには信じがたい言葉、けれどもわしの勘が告げている。

名だたる大妖怪の息女として生を受け、自身も類まれな美貌と妖力を備えた化け犬の姫の――これが、偽らざる本心なのだと。

「この世界の者たちには、決まった役割があって、みんなその役割に従って生きている……なのに私にはそれがない。自分ひとりだけ白紙の台本を渡されて、舞台の上で途方に暮れてる気分だった。せめて舞台の邪魔にならないように、なるべく余計なことはせずに過ごさなきゃいけないって思って生きてきた」

一体何がこの方にそんな考えを抱かせるのか、まったく見当もつかない。

それでもどうにか反論する。

「月華様……そのような考えは間違っています。わしは貴女様から見れば何もできないちっぽけな妖怪でしょうが、それでもわしは自分が吸いたいと思った相手の血を吸いますし、自分が死にたくないと思うから、精一杯逃げております。役割に従ってなどいない、生きたいように生きております」

うん、と頷いて月華様がこちらに視線を戻す。

「そう、間違ってた。みんな持ってるのは、白紙の台本。この世の誰も、あらかじめ決められた役割なんてない。自分の意思で、一度きりの自分の生を生きている。もちろん犬夜叉も」

その双眸に自嘲の色は消え、かわりに挑むような烈しさが浮かぶ。

「犬夜叉には、“こう在らねばならない”も“こう振舞わねばならない”もない。全部、あの子自身が決めればいい。あの子が心から望んだことなら、たとえ父上から受け継いだ妖力を捨てて人間になっても、私がまったく想像もできない女性と恋仲になっても、私は肯定する」

「恋仲……それは少々、気が早すぎませんか?」

「そ、そう?」

なにやら話の腰を折る形になってしまい心苦しいが、幸い月華様は怒らなかった。

気まずそうに咳払いをして続ける。

「まあとにかく、私は犬夜叉が幸せに生きてくれたらそれでいい。でも、そのために私にできることってなんだと思う? ただ守って、甘やかすだけじゃ、あの子は自分の意思で進む道を決められな……っ!?」

唐突に言葉を切って、月華様が小さく飛び退いた。

「犬夜叉!?」

「犬夜叉様!?」

ふたり揃って、月華様の足元にしゃがみこみ、その刀を興味津々といった様子で眺めている子供に呼びかける。

お互い会話に夢中になっていたせいで、犬夜叉様が庭に出てきたことに気づけなかったらしい。

「……まだ起きてたの」

「うん、眠れなくて」

首をすくめて答えると、犬夜叉様はまたその美しい刀身に見入る。

「姉上は、この刀であの妖怪たちを斬ったんだよね」

「まあね」

「……おれにも、戦い方を教えて欲しい」

立ち上がり、犬夜叉様は月華様にたどたどしく訴える。

「おれは、強くなりたい。敵に襲われて逃げ回るだけなんて嫌だ。姉上みたいに強くなりたい!」

「私みたいに……? それはちょっと目標が低すぎると思うけど」

「月華様、月華様」

妙なところで妙な引っかかり方をする姉君に呼びかけて、軌道修正をはかる。

「犬夜叉様に戦い方を教えるのは、良いことだと思います。先ほど貴女様は、犬夜叉様に幸福に生きて欲しいと仰せでしたが、それにはやはり、犬夜叉様がご自身で道を切り拓く力を得ることが肝要かと」

犬夜叉様は半妖。

この先、月華様が庇護下に置いてくださるとしても、苦労することは多いだろう。

その不利を撥ね退けるのは、やはり本人の強さなのだ。

「――そうか、うん、たしかに。私も剣の修行をしてなかったら、犬夜叉を助けたいと思っても、助けられなかったものね」

月華様のまとう空気が、僅かに柔らかくなった。

……わしの勘違いでなければ、月華様は犬夜叉様が絡むと、常よりほんの少し感情がわかりやすくなる。

 

「わかった、私に教えられることは全部教える。でも、今日はもう遅いから、早く寝なさい。稽古は明日から」

「やだ。まだ眠くない」

犬夜叉様は頑固に首を振る。

「……?」

当惑は、月華様とわし、両方のものだった。

本人の言に反して、犬耳は眠たげに若干垂れている。

妖怪の襲撃、異母姉との邂逅――昨夜から今まで、幼い犬夜叉様にとっては激動の一日。相当に疲れているはずなのだが……

(――ああ!)

そこまで考えて、ようやく合点がいった。

小さな手が、すがるように月華様の着物の袖を握っている、その理由。

「月華様……この冥加、僭越ながらもう一つ意見具申を」

耳朶に飛び乗って、月華様にだけ聞こえるように囁く。

「えー、その、これは月華様が不愉快でなければの話で……そもそも月華様はさほど長い時間休息を必要としないのは承知しておりますが……」

「何? 前置きはいいから」

「――せめて今宵だけでも、犬夜叉様とご一緒の部屋でお休みいただくわけにはいきませんか」

「……? ……あ」

何を言われているかわからない、という一拍の間を置いて、軽く開いた口から声が漏れた。

それから、至極当たり前のことに気づかなかった自分に恥じ入るように、爪の先で頬を掻く。

「なるほど、ほんとに私は気が早かった。……ありがとう、冥加」

ぽつりとそう言うと、月華様は腰をかがめて、弟君と視線を合わせた。

「じゃあ、刀の持ち方だけ教えるから、それが終わったら一緒に戻りましょう。……あなたがちゃんと寝てるか、部屋で見張ってるから」

「……! うん、わかった!」

ぎこちなく弟の頭を撫でる月華様の手。

その手を犬夜叉様は、心底嬉しそうに受け入れている。

 

――流れる雲が、月に照らされて白く輝く。

その様は、いつかの天翔ける犬の大将を彷彿とさせた。

(お館様……見ておられますか……?)

真剣な顔つきで刀を握る弟君の姿は伸びやかな若木のようであり、その腕を支えてやる姉姫の姿は雪解けを迎えて漸く咲いた花のようであった。

強く優しい異母姉との出会い。

それは犬夜叉様にとってのみ幸運な出会いなのだと今まで思っていた。

 

(ですが、きっとこの出会いは、月華様と犬夜叉様……お二人にとっての幸福につながる……そんな気がします……)

 

 

 




あまり話が進みませんでした……。
次回はもう少し進展する予定なのでご容赦を。
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