犬兄弟の真ん中に転生しました   作:ぷしけ

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第九話

轟々と流れる水の音を聴きながら、谷の際を疾走する。

渓流を挟んだ反対側に目を向ければ、新緑の木々の狭間に閃めく鮮やかな緋色。

私と同じ速度で駆ける犬夜叉の、その息遣いを感じ取る。

弟の呼吸が変化して――跳躍。

応じて、こちらも虚空に身を躍らせる。

 

「でやぁーー!」

「ハアァ――!」

 

激突は、峡谷のほぼ中央。

互いが手にする、妖力を込めた特殊な木刀が高らかな衝突音を一つ響かせる。

そのまま双方の位置を入れ替えて、切り立った断崖を足場にまた跳躍。

白く泡立つ急流を眼下に、幾度も×字の軌道を描き、剣戟の音色を散らす。

五度目の打ち合い――と見せかけて空中で反転。

「っ!」

間合いを外された犬夜叉の瞳が揺らぐのを余裕を持って眺めながら、がら空きの脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。

勢いよく潅木の茂みに突っ込んだ犬夜叉に向かって声を張る。

「だいぶ速くなったけど、まだ振りが大きすぎる! それじゃ見切ってくれと言ってるようなものよ」

「……ちくしょう!」

毒づく声に、ぐるる、と唸る音が混じる。……ホントに犬みたいだな。

 

 

 

第九話 弟を鍛えました

 

 

 

犬夜叉とともに暮らし始めてからの日々は、それまでの澱んだ水底に沈んでいるかのような停滞した年月から一転、飛ぶように過ぎた。

出会った時まだほんの子供だった弟は、随分背が伸びて、もはや少年と表現するのがふさわしい。

(一人じゃ寂しくて寝られない甘えん坊だった頃が懐かしいよ……)

犬夜叉に請われて、私が師匠から薫陶を受けた剣術を中心に戦い方を教えるようになって早八年。

最近ではこうして実戦に近い形での手合わせを行っている。

(さあ、次はどう出るかな?)

谷間に張り出した枝から飛び降りて、川の流れを分断している岩に着地。

落下の勢いを殺し、バランスを保つために膝を曲げ、背をかがめるその一瞬――私の頭上に影が差す。

蹴飛ばされた衝撃から早くも立ち直った犬夜叉だ。

奇襲のタイミングとしてはこれ以上ない絶妙さを褒めてやりたいのだが――

「行くぜ姉上! 散魂鉄爪――!」

「なんでそこで声をかける!?」

音の出処から正確に位置関係を把握し、私は振り返ることなく犬夜叉の腕を木刀で絡め取るようにして投げ飛ばした。

 

私は、人を指導するという慣れない行為に戸惑いながらも、教わった技を余さず犬夜叉に伝えた。

弟もまた、持ち前の負けん気の強さでその全てを習得していった。

それは非常に喜ばしいのだが、いざ実戦を想定した稽古を始めて、わたしは仰天することになる。

 

コイツ真っ向勝負しかできねえ、と。

 

太刀筋はバカ正直で先読みが容易く、おまけにこちらのフェイントにはすぐに引っかかる。

私がやるように、敵を怒らせる言葉をかけて隙を作る、といった搦手も使えない(よく悪態はつくが、それは単に言いたいから言っているだけである)。

むしろ犬夜叉の方が、挑発されると熱くなってますます攻撃が愚直になる、という悪循環だ。

初めのうちはなんとか矯正できないものか、と悩んだものの、結局のところ、犬夜叉と私は性質がまったく違うのだと結論づけた(さじをなげた)

(それならそれで、やりようはあるしね……)

 

「……負けるかぁ――!」

放り投げられた犬夜叉は、その勢いを利用して空中で後背転を繰り返し、岩壁を蹴って私に肉薄する。

そのまま、猛然と打ち込み、斬りかかる。

それらすべてを受け流すものの、木刀を握る手にはビリビリと痺れるような衝撃か伝わってくる。

速度(スピード)技巧(テクニック)で弟に遅れを取るつもりはないが――膂力(パワー)持久力(スタミナ)では、将来的に犬夜叉は私を凌ぐだろう。

自分の戦い方がそもそもあまり長期戦向きでない、というのもあるが、どんなに軽くあしらわれようと倦むことなく向かってくる犬夜叉の闘志が、力を生んでいるのだ。

加えて、理詰めで戦いの運び方を練る私と違って、犬夜叉には野生の勘ともいうべき、本能的な戦いのセンスがある――ような気がする。

だから私は犬夜叉に、“私のような戦い方”ではなく、“私のような敵との戦い方”を教えることにした。

 

先読みしようとも躱しきれない威力の攻撃を繰り出せるように。

挑発に乗って熱くなるなら、その激情を技の精度に変換できるように。

 

……物語であったなら、主人公は毎回苦戦してギリギリで逆転したほうが盛り上がるだろう。

けれど現実の世界で、弟にそんな火事場の馬鹿力的な不確実なものに命運を委ねる真似はさせない。

 

――そのために、ひたすら体に覚えさせる(ぶちのめす)

 

「それにしても、大きくなったね犬夜叉。もうすぐ背丈は追い越されるかも」

「……こんな、状態で、言うんじゃねえ……!」

犬夜叉の足首を片手で掴んでぶら下げながら感慨に浸っていると、逆さまの弟の顔が私を睨みつける。

ふーふーと荒い息遣い。

かなりのダメージを蓄積していながら、その目に宿る闘争心は微塵も衰えていない。結構なことだ。

「今日という今日は、一本とってやるから、覚悟しやがれ……!」

「最近毎日聞いてるなあ、そのセリフ」

「今日は本当だ! おれに負けて泣きベソかくんじゃねーぞ!!」

「……ふふ、わかってる。でも――」

「?」

言葉を切って、犬夜叉を掴んだまま岩から岩へ飛び移り、滝の上まで移動する。

「休憩と水分補給は、こまめにしなさい」

「ぶわっ!?」

どぼーん、と派手な水飛沫を散らして、犬夜叉は滝壺に沈んでいった。

(息子を鍛えるのは本来、オトンの役目だよねえ……)

優しい姉でありたいのに、このように心を鬼にして接さなければならないのは辛いことだ。

模擬戦闘を行うようになってから、弟の言葉遣いはとみに乱暴になったが、これも自然な成長というやつだろう。

それを咎めたりはしない。私は寛大な姉だから。

川面に映る私の口角がかすかに上がって見えたのは、もちろん水流のせいである。

 

小休止の後は、より山の奥深くに移動した。

地面にはあらかじめ、私の血で作った結界がいくつも仕込まれている。

「! しまっ――!」

私を追ってその一つに引っかかった犬夜叉の足元で、赤黒い光が立ち上り、短い文章を形成する。

――『七かける七は何か』

「ご、五十二! ……ぎゃんっ!」

結界がその径を狭めて、犬夜叉を締め上げた。

「ちがう、四十九。掛け算くらいできないと将来恥をかくんだから、きちんと覚えなさい」

「だからって、なんで修行の最中にやるんだよ!?」

「あなたが机に向かうと、いくらも経たないうちに船を漕ぎ始めるからでしょうがっ」

言い返して、さらに犬夜叉を結界の地点に誘導すべく時に追撃し、時に逃走する。

 

そんなことを繰り返して、どれほど時間が過ぎただろうか。

(――父上、ホントに子育ては大変です。ぜひ父上にも体験してほしかった……)

今は亡き父に思いを馳せて空を仰ぐと、すでに青空ではなく夕暮れの色。

あの後も何度も私と斬り結び、その合間に結界に痛めつけられた犬夜叉であったが、

「ねえ、今日はこのくらいにして帰らない?」

「ふざけんな、まだまだっ!」

(なんで私より元気なんだろう……)

姉の威信にかけて表面に疲労は出さないが、持久力に関しては既に負けているのかもしれない。

私はなんとなく、図体が大きくなった自覚のない大型犬の子犬にじゃれつかれている気分になった。

このあと更に夕餉の支度をしなければならないことを思って、内心でげんなりする。

私たちの一族は、二次性徴期の前半くらいまでは人間並の速度で成長するが、その後の外見変化は非常に緩やかになり、摂取する食物もごく僅かで済むようになる。

自分と違って犬夜叉は、まさに今が育ち盛り食べ盛りだ。

(帰り道でなにか獲物が見つかるといいんだけど……って、私はオカンか?)

――戦いの最中に、そんな雑念に囚われたのがいけなかった。

「お? 隙あり!」

「うわっ!」

犬夜叉が至近距離から大上段で振りかぶって来る。

対して私は、木刀を片手でだらりと下げた状態であった。

咄嗟に空いている左手を閃かせ――次の瞬間、火鼠の衣より濃い赤色が舞う。

(あ……ヤバ……!!)

犬夜叉を鍛えるようになってから、殴る蹴るの攻撃は珍しくない。

けれど、血を流させたのは初めてだった。

その血の臭いが、初めて顔を合わせた時の幼い弟の姿を想起させて、心臓がギュッと縮み上がる。

「くぅ……っ!」

犬夜叉は私の爪で切り裂かれた腕を押さえてゴロゴロと転がると、そのまま蹲ってしまった。

「ご、ごめん犬夜叉! 大丈――」

ぶ、と続けようとして近付いたその時、

 

「飛刃血爪!!」

 

――視覚情報の処理が追いつかない。

血の刃。

跳ね起きる少年。

斜め下から迫り来る木刀。

 

「――――ッ!」

 

乾いた音がこだまする。

それは、私の木刀が犬夜叉の斬り上げを防ぎきれず折れ飛んだ音。

弟の持つ得物は、その切っ先を私の首筋に当てて静止した。

 

「……やった……」

 

犬夜叉が呆然と呟く。

それから、湧き上がる喜びを抑えきれないとばかりに身を震わせた。

「やった! やったぜ! どうだよ、見たか姉う、え゛……!?」

小躍りせんばかりに浮かれていた弟が、不意に言葉を詰まらせる。

続けて、すざっと音を立てて私から距離をとった。――まるで、世にも恐ろしいモノを見たかのような表情で。

はて、どうしたのだろう?

私は弟と出会って以来、よく笑うようになった自覚がある。

 

その中でも今、自分はとびっきりの、満面の笑みを浮かべているというのに。

 

「ふ、ふふふ……見事ね、犬夜叉。不意をついたとはいえ、私から一本取るほど成長してたなんて驚いた。不意をついたとはいえ」

大事なことなので二回言いました。

「……えーと、姉上、怒ってんのか……?」

犬夜叉は冷や汗をだらだらと流しながら、おかしな質問をする。

心なしか犬耳も、後ろに倒れて毛が逆立っているようだ。

「何言ってるの、褒めてるのに。流血に油断した敵の隙を突いた目くらましからの攻撃……素晴らしい策じゃない。心配した私がちょーっとバカみたいだけど。うふふふふふふ」

「や、やっぱり怒ってんじゃねーか!」

後ずさった背中が木にぶつかり、弟の顔がいっそう青くなる。

「怒ってなんかいないよ? むしろもっと気合を入れてあなたを鍛えないといけなかったって反省してる。――さあ、まだまだ元気が有り余ってるみたいだし、今日はとことんやりましょう」

「ちょ、待て、それ、顕心がぁぁぁ――――ッ!!」

 

夕焼けが、空を真っ赤に染め上げていた。

 

 

屋敷までの帰り道を、弟をおぶって歩く。

「まったく、気絶するまでやるなんて、犬夜叉はほんとに負けず嫌いなんだから」

「……っ……それは、姉上だろ……」

ようやく意識が戻ったらしい弟が、恨みがましい声を漏らす。心当たりは一切ない。

「もう降ろせよっ、自分で歩ける!」

無理矢理体を引き剥がすと、腕組みしてそっぽを向いてしまった。

少し前まではしょっちゅうおんぶや抱っこをせがんできたのに、寂しい。

(もう少し、子供のままでいてくれてもいいのにな……)

そんなことを思いながら歩みを再開するが――数歩も行かないうちに背後から弟のうめき声が聞こえて来た。

慌てて振り返ると、犬夜叉が地面に片膝をついて俯いている。

「ちょっと、やっぱりまだ動けないんじゃ……」

「違う! 目が――」

「目?」

私は犬夜叉の顔を覗き込んで首を傾げた。

顕心牙(念の為に言っておくが全て峰打ち)で攻撃したのはすべて胴体で、眼球を狙うような危険なことはしていない。

にもかかわらず、犬夜叉は顔を顰めて目を押さえている。――右の目を。

 

ピシリ、と。

見えない何かが割れるような音がした。

 

「ん?」

「え?」

 

さっきまで目を押さえていた犬夜叉の手の中に、黒い宝玉。

(……え、待って待って、これって……!?)

ろくに驚く暇さえなく、私たちは黒真珠から溢れ出す光に呑み込まれた。

 

 

――骸骨の鳥に乗ってふたり、白い霧に覆われた世界を眺めている。

「……姉上、ここはどこなんだ?」

「あの世とこの世の境。妖怪の墓場」

「……なんでイキナリこんなところに来てるんだ?」

「父上の骸に収められた刀を取れってことなんだと思う」

「……刀?」

「ひと振りで百匹の妖怪をなぎ倒す牙の剣、鉄砕牙」

「ちょっと待て、色々と」

「ごめん、私も急展開過ぎて質問に答えるので精一杯だった」

あまり頭の良くない会話を交わしながら、骸骨鳥が父の骸の中に運んでくれるのを待つ。

今この場に第三者がいたなら、姉弟揃って無の表情になっているのを見たことだろう。

 

(もうたどり着いちゃったよ、鉄砕牙……)

巨大な肋骨に囲まれた空間で、心中に呟く。

「本当にこんなオンボロ刀が父上の形見なのかよ」

弟は、台座から引き抜いた錆び刀に懐疑の眼差しを向けていた。

「失礼なこと言わないの。本来の姿は巨大な牙で、ものすごい力を持ってるんだから」

「姉上は見たことあんのか? それ」

「…………」

無い。

屋敷に引きこもっていた私が知る父の武勇は、全て人づてに伝え聞いたものだ。

(……無駄な時間を過ごしたなあ、私って)

益体もない後悔を抱く自分に腹を立てながら、台座の隅に置かれていた黒塗りの鞘を犬夜叉へ乱暴に突き出す。

「ほら、これに納めて。早く帰りましょう」

「あ、誤魔化しやがった」

――最近本当に生意気だ、この弟。

一言注意してやろう、と口を開きかけて、

 

「――――」

(父上……?)

 

鉄砕牙を腰に差す犬夜叉の姿に、最後に会った日の父の姿が重なった。

 

「? どうしたんだよ、ぼーっとして」

固まってしまった私に、弟が怪訝そうに問いかける。

「……父上のこと、思い出して……」

半分惚けたまま返すと、犬夜叉が目を輝かせた。

「おれ、父上に似てるか!?」

「いや全然。父上はもっと背が高いし、堂々として落ち着いた雰囲気だった。まあ強いて言えば眉のあたりが似てなくもないかなって程度……あれ? どうかした?」

「別に。訊いた俺がバカだったぜ」

台座の飾りに手をついて脱力した弟が、じとりと横目で睨みつけてくる。なにか期待を裏切ってしまったらしい。

「……うん、全然似てない。なのにあなたがそうやって鉄砕牙を差してるのを見たら、父上を思い出した」

不思議なもので、父の骸を目にしたときよりも、弟を眺めている今この瞬間にこそ、父への慕情が胸に満ちていく。

「――だから、やっぱり鉄砕牙は、あなたが持つべきものなんだと思う」

「……! そ、そうか……」

先ほどの不機嫌さはどこへやら、満更でもなさそうな表情で鉄砕牙の柄を撫でる。

帯刀したせいか、弟が急に大人っぽく見えた。

犬夜叉が子供でなくなる寂しさを、成長を実感する喜びが打ち消して、自然と笑みが浮かぶ。

「よしっ、次からはこの鉄砕牙と、姉上の顕心牙で勝負だ。――今度はあんなセコい手使わなくても一本とってやるから、その時は、その顔で笑えよな」

「私はいつだってこんな顔でしょう?」

「ウソつけ……」

呆れたように肩を落とす犬夜叉を見つめて、私はまだ笑顔だった。

たぶん、そんな日はそう遠くない。

なんだかんだ言ったが、犬夜叉の強さ――私の集中が切れるまで喰らいついた粘りと、私の防御を突破した力は本物だったのだから。

 

きっとそれが黒真珠の封印が解けた理由。犬夜叉が鉄砕牙を手にするにふさわしい技量を得た証。

そういうことなんだろう。

 

……。

…………。

………………まさか私が鉄砕牙で対抗しなきゃならないヤベー奴認定されたとかじゃない、よね?

 




次回、災害警報発令

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