「それ、捨ててしまうのかい?」
突然、背後からそんな声が聞こえた。振り返ると、声の主は知らない初老の男だった。
「えぇ、まぁ……」
困惑しつつ答える。俺が忘れているだけで、実は会ったことのある人なのではないかと思ってその男をよく見たが、やはり見覚えがない。
「俺にはもう必要ないものですから」
第2週の水曜日、資源ごみの日。天気は生憎の雨模様だったが、出来るだけこれを早く手放したくて、わざわざ雨の中捨てに来たのだ。
「本当にそうだろうか?」
男は俺の目を見ながらそう言ってきた。
「……そうですよ、たぶん」
俺は目を逸らしながらそう答えた。
「そうか、ではこれは私が預かるとしよう」
そう言って、男は俺が捨てたそいつを拾い上げた。
「……勝手にしてください」
俺は吐き捨てるようにそう言った。そして背を向けて立ち去ろうとした。するとその背中に男が声をかけた。
「ところで、ついでに君も預かってもいいかな?」
「……は?」
何を言ってるのか分からず、思わず俺は男の顔を凝視した。
「おっと、名乗るのが遅れたね、失礼失礼。私はこういう物だが」
男は内ポケットから名刺を取り出して、俺に差し出した。受け取ったその名刺には、『アイドルプロダクション社長』という肩書きが書いてあった。
「話だけでもどうかな、元バンドマンくん?」
男は、俺の捨てたギターを片手にそう言った。
俺が音楽を始めたのは、高校の時だ。バイト代を注ぎ込んで、初めてのギターを買った。
俺は人付き合いが苦手で、音楽だけが友達だった。休み時間はいつも、1人で音楽を聴いて過ごしていた。そんな俺が、自分でも音楽をやりたいと思うのは自然なことだった。
高校を卒業してからは、バイトで生計を立てながら、時々ライブハウスで演奏するようになった。人気は出なかったが、ただギターを弾くのが楽しかったから、苦ではなかった。
そんな生活を何年か続けた。同期のバンドは何組かメジャーへ行き、何組かは解散していった。俺の人気は相変わらず出ないままだった。
そして気付けば、俺もギターを置こうとしていた。いくら自分のやりたい事と言っても、評価されないままでは熱量を維持するのは難しい。音楽に掛ける熱量が、現実に対する不安に押し負け始めたのだ。
珍しい話じゃない。不相応な夢を見て音楽をやった人間が、芽が出ずに楽器を置く。ただそれだけの話だ。俺も例に漏れず、そうやって誰にも惜しまれることもなく、音楽から離れる筈だった。
筈だったのだ。
「ホントに来ちゃったよ……」
俺は着慣れないスーツに身を固め、オフィス街の一角に佇むビルの前に立っていた。
あの日、俺に声をかけた男、社長は、俺にアイドルのプロデューサーをしないかと誘ってきた。なんでも新しく音楽を中心とした部門を設立し、そこで働いてくれる音楽知識のある人間を探していたらしい。その時に偶々ギターを捨てようとしていた俺が目に留まり、スカウトしたとのことだった。
『音楽知識があるって言っても、売れなかった人間ですよ?』
と俺は言ったのだが、
『売れた売れなかったなんていうのは、結果に過ぎない。それよりも、私は己の感覚を信じている。ティンと来たんだよ、君を見て』
などと言われたのだ。
実際、音楽を辞めようとしてはいたが、新しい仕事の当てがあった訳ではない。
それになにより。
心の奥底では、まだ音楽と関わっていたい、そう思っていた。
その結果、俺はこの誘いに乗ることを決めたのだった。
「ここか……」
名刺に書かれた住所に従って辿り着いたのは、真新しいビルだった。音楽部門はオフィスも新設で、他の部門とは別の建物らしい。
エレベーターで目的のフロアまで移動する。エレベーターを降り廊下を歩くと、目当てのドアに辿り着いた。
このドアの向こうに、俺の新しい世界が広がっている。
俺は高鳴る鼓動を抑えつつ、その扉を開いた。
「あなたが新しいプロデューサーさんですね? 私は事務員をしています、千川ちひろです」
俺を出迎えた黄緑色の服を着た女性はそう名乗った。
まずはこの部署や仕事内容について簡単な説明を受ける。
「……というような感じです。そして、プロデューサーさんに担当してもらうアイドルの子なんですが……」
そう言ってちひろさんは、1枚のファイルを俺に手渡した。
「多田李衣菜ちゃん、17歳。今回の新部署設立に合わせて、社長がスカウトしてきた新人です」
「なるほど、俺と同じような枠なんですね」
「そうです! 詳しいことはファイルの中の資料にまとめてあるので、読んでおいてください」
「わかりました」
まとめられた資料に目を通す。
多田李衣菜、17歳の高校2年生。身長152cm、体重41kg。3サイズは上から80-55-81。6月30日生まれの蟹座。血液型はA型。出身は東京都。趣味は音楽鑑賞。
とりあえず目に付いた情報はこんなところか。
「李衣菜ちゃんも今日事務所に顔を出すように言ってあるので、そろそろ来るんじゃないですか?」
ちょうどそのタイミングで、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「あ、噂をすればですね。はい、どうぞー」
「失礼します」
部屋へと入ってきた少女は、首にヘッドフォンをかけ、少し気怠げにしていた。
それが俺と、多田李衣菜の出会いだった。
「初めに1つ確認しておきたいことがある」
李衣菜と机を挟んで向かい合う。俺は李衣菜の目を見て言った。
「どんなアイドルになりたい?」
これだけは、どうしても確認しておきたかった。新人である俺に出来ることなんて限られているが、最低限そこだけは合わせておきたかった。
「ロックなアイドル目指してます!」
彼女はハッキリと言い切った。その瞳は、キラキラと輝いていた。
「ロックなアイドル……か」
その言葉を少し転がす。
ロックに全てを賭けていた身としては、それが簡単でないことは分かっている。
ただ。
「悪くない。……乗った」
彼女の瞳に、もう一度夢を見てもいいかな、と思った。
「100人中99人に笑われても、1人を感動させるのがロックってものだ」
俺は悪戯っぽく笑って言った。
「いいじゃん、99人に笑われても1人を感動させるアイドル。やろうぜ」
彼女は一瞬驚いた様な顔をして、また笑顔になった。
「……はいっ! ありがとうございます!」
こうして、俺と李衣菜のアイドル活動が始まった。
「プロデューサー! どういうことですか!」
李衣菜が怒鳴り込んで来た。
今日は宣材に使う写真の撮影をしにスタジオに来ている。
彼女の手には撮影で着る予定の衣装が握られている。
「クールでロックなアイドルに、この衣装は違くないですか?!」
「まぁ、聞けよ」
彼女を諌めるように話す。正直、こういう反応は予想していた。
「確かに、ロックと言えばクールでカッコいいイメージがあるのは分かる」
「じゃあなんで……」
「けどな、それがロックの全部じゃないだろ?」
「ロックの……」
「キュートでかわいいのもそう、パッションで熱いのもまたロックだ。そういうのを切り捨てるのは、ちょっと勿体無いと思わないか?」
「……確かに……」
「李衣菜は、まだ走り始めたばかりだ。やれることは、全部やろう」
俺の言葉を聞いて、李衣菜に笑顔が戻った。納得してくれたみたいだ。
「わかりました! これ、着て来ます!」
そう言って、笑顔で着替えに向かった。
その後の撮影で、素晴らしい写真が何枚も取れたのは言うまでもない。
「プロデューサー! ギターやってたってホントですか?!」
事務所に着くなり、突然李衣菜に迫られた。
「まぁ一応やってたけど……誰から聞いたんだ?」
「ちひろさんが教えてくれました! 事務所でギターを練習してたら、『プロデューサーさんに教えてもらったらどうですか?』って」
「チッヒめ……」
ちひろさんを睨むと、知らんぷりをされた。
「なんで教えてくれなかったんですかそんな大事なこと!」
「敢えて教えない、それもまたロックだからだ」
「な、なるほど……って誤魔化されませんよ! 教えてください、ギター!」
誤魔化そうとしたが、彼女もそこまで簡単には騙されてくれなかった。
「教えられないことはないが……俺あんまり上手くないぞ」
「大丈夫です! 私の方が下手なので!」
結局、彼女に押し切られるままに、ギターを教えることになった。
「でもなんで、ギターやめちゃったんですか?」
「……売れなかったからだよ」
「……じゃあ、プロデューサーさん、私の為に曲を作ってくださいよ! それならいいですよね?!」
「……考えとくよ」
その時は、まさかそんな事は起きないだろうと思っていた。
しかしその時は、思いの外早く訪れた。
「李衣菜のデビューソングを俺が……ですか?」
「そうだ。音楽部門としても、自社で作ることでブランドイメージを高めたい。それに、彼女のことを1番近くで見てきた君以外に、彼女の為の曲を作る適任者がいるかね?」
「……俺は売れなかったから音楽を辞めたんですよ」
「それはその時の君だろう? 今の君が、自分のアイドルの為に作る曲は、きっと別物だ。私はそれを信じているよ」
社長にそう言われて、俺は納得するしかなかった。
「ホントですか?! 最っ高にロックじゃないですかそれ!」
「……いいのか? 他のちゃんとしたプロの人に任せなくて」
李衣菜にも聞いたが、彼女も賛成してくれた。しかし本当に、俺なんかでいいのだろうか。
「当たり前じゃないですか! 私の事、1番よく知ってるプロデューサーが作ってくれる曲ですよ? 絶っ対、名曲です! というか、名曲にしてみせます!」
彼女の言葉を聞いて、迷いは無くなった。
ロックなアイドル、多田李衣菜。彼女にふさわしい曲を作り上げよう。それこそが俺の使命なのだから。
「どうだ、緊張してるか?」
「……はい、やっぱり少し……」
今日は彼女の記念すべきデビューライブだ。俺が彼女の為に作った曲の、初披露ということになる。
やはりいくら彼女でも、本番前の楽屋のこの空気には緊張するようだ。
「上手く歌うんじゃなくて、心を込めて歌うんだ。そうすればきっと、大丈夫だ」
「……それ、歌詞にもあった……」
「結局ロックに1番大事なのって、気持ち、心だからさ」
俺は彼女の震える小さな手を取った。
「多少間違ったっていい、心を込めよう。そうすれば、その1人をちゃんと感動させられる」
「……はいっ! ロックにキメてきます!」
彼女はその手を握り返した。手の震えはもう止まっていた。
舞台袖から、ステージに立つ彼女を見守る。
本来なら陽の目を見る筈のなかった俺の曲を、彼女が表舞台で歌にしている。そしてそれで、誰かを感動させている。
それこそが俺の求めたロックだった。
『I love you,because you are you……』
舞台が歓声に包まれる。
彼女はきっと、この先何度もこうやって感動を与えていくのだろう。込めた想いは、確実に人を動かす。
それこそが、ロックアイドル、多田李衣菜なのだ。