マグスがロビンと話す内に、失くした物を取り戻すお話。
マグス主人公で、捏造設定多めです。

※執筆時は設定資料集発売前でした。

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maus

「依頼? 何の事かね」

 

 分かっていた筈なんだ。

 

「アレで鼠が全部駆除出来たかも、定かじゃない」

 

 この息と、この笛と、この指を持った時点で、運命は決していた。

 

「まだ分からないか?」

 

 それでも、それでもボクは、どうしても笛が吹きたかった。

 ただ単純に、上手いとか下手だとか、好きとか嫌いとか、そういう評価が欲しかっただけなのに。

 

「お前みたいな危険な奴に、渡す金なんてない」

 

 …………。

 

「聞こえなかったか? もう一度――」

「いいや、いいや。よぉく聞こえたさ。よくよく聞いたさ」

 

 嗚呼、どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 ボクの音楽に対するプライドは、

 

 

「お前たちには愛想が尽きた」

 

「――全て奪い去ってやる」

 

 唄口に吹きこんだ息が、笛の中を下っていく。奏でられた音は、酷く歪で、悪意に満ちていた。

 名もない少年の純心は、存外容易く破られたのだ。

 

 ~♪

 

 *

 

【maus】

 

 *

 

 木漏れ日の中に、音が溶けていく。夏終わりの淡い光に、澄んだ高音が吸われていく。

 人気のない森は静かで、小鳥の囀りやそよ風が囁きが聞こえたりはすれど、笛口に息を吹きこむ音が掻き消されず残る程である。一人、ゆるゆると趣味に興じるには打ってつけの環境だろう。

 苔むした倒木を椅子にして、彼は笛を吹き続けていた。緑と紫をツートンカラーにした道化服を着た男だ。人の背丈ほどもある笛を、組んだ膝の上に乗っけて、忙しなく指を動かしているのである。

 

 ~♪ ~♪♪

 

 テンポの良い行進曲だ。等間隔に鳴る軽い音の合間に、甲高い音符や、響くような重低音を、巧みに入れこんでいく。例えるなら、白と黒で彩られた盤面に、バランスよく黄色や赤を差していくような作業。

 彼はこの工程が好きだった。既に出来上がっている譜面を、自らの演奏技術をもって向かい討つというのも、たしかに面白くはあるのだが。こうやって即興で、曲の完成度を高めていくのもなかなかオツなものだ。目に見えて、いや、耳に聞こえて、音色が良くなっていくのが分かるし――

 

『いや』

 

 首を振る。

 

『本当に、これが良い音楽なのかなんて、ボクにだって分かっちゃいない』

 

 指と口を止める理由は、それだけで十分だった。

 演奏家としてのプライドで、どうにかそれらしくメロディーラインを〆ると、吹きこみ口から唇を離した。長い笛を腹のところで寝かせて、ため息の一つでも漏らそうとしたその時である。

 右斜め後ろから、拍手の音。

 

「お見事でした」

 

 彼が振り返った先に居たのは、緑の装飾で着飾った狩人だった。長く伸びる金糸髪の合間から、先端の尖った長い耳が見えている。

 半身振り向いた体勢で、芝居かかって礼など一つ。右手を胸元に、左手を遠くへ。舞台の上に立つ道化師のマネをしてみせた。

 

「おや、ロビン・シャーウッド様。いやはや、お恥ずかしい物を聞かせてしまいました」

「そう固くなさらず。私も偶然通りかかっただけですから」

 

 狩人も仰々しい礼に応え、帽子を取って会釈などする。

 

「……それにしても」

 

 挨拶を済ませ顔を上げたロビンは、長い睫毛をぱちぱちとさせた。

 

「貴方が仮面を取っている姿は、初めて見ました」

「向こうでは死んでも外さないと自負しておりますので。……ああ、もちろん、冗談だよ?」

 

 口調をラフに、にんまり口角を上げた彼。その容姿を簡潔に表すならば、紫髪の……美青年である。金メッシュのアクセントの下、透き通るスカイブルーの瞳でゆるやかな弧を描いた。

 マグス・クラウン――キャストである彼は専ら、金色の仮面とみょうちくりんな帽子で、自らの素顔を隠していた。

 

「しかし、ボクの演奏によく耳を傾ける気になったね。普通、いくらか警戒すると思うんだけど」

「警戒、ですか?」

「知っての通り、ボクの原典は『ハーメルンの笛吹き男』だ。踊らされてもしらないよ?」

 

 容姿に似合わず小首など傾げてみせるロビンに、彼はにまにまとした笑顔を崩さず言う。色合いも相まって、チェシャーの猫の様だ。猫背になって膝のところに頬杖をついている辺り、ますますそれらしい。人によっては、苛立たしさを煽られるだろう。

 だが、今この猫モドキの前に居たのは、アリス以上の世間知らずだった。

 

「……実は私、ダンスは余り得意でなくて」

 

 真面目な顔で、曰く。

 

「お城に伺うこともあるので、練習したいとは思っていたんですよね。フォークダンス辺りから慣らしていってもらえれば、どうにかなるんじゃないかと」

「…………」

 

 今度は彼の方が瞳をぱちくりさせる番だった。

 くつくつ、小さな鍋が沸くような笑い声。

 

「いやぁ、ほんと素直だね、キミは。バカ正直っていうの?」

「私、何か面白いことを言ったでしょうか?」

「そうだね。正直道化師のボクより面白いかも」

 

 きょとんとした一人なんて放って、すっかり笑い転げる一人。けれども、最後には「ふぅ」と息を吐いて笑いを止めた。

 

「いやはや、休暇に会ったのがキミで良かったよ。ボク、キミみたいなのが好きだからさ」

 

 軽口といっしょにウインクなんて飛ばしてみる。

 

 ――本当は、ただ人間が嫌いなだけだってのに。何を言っているんだろう。

 

 *

 

 それはなんてことはない、生まれついての才能だった。ボクの笛の音には、物の琴線に触れる何かがあった。人間も動物も、果ては無機物だって、笛の音で揺さぶることが出来たんだ。

 この時点で、ボクの演奏家としての人生は閉ざされたと言っていいだろう。だって、そうだ。幾らボクが巧みな演奏をしてみせたところで、『魔法の力で素敵だと思わされているだけ』と言われたらどうだ? 生憎とボクの周りには、ボクの魔法を看破できる人間は居なかった。ボクですら、最初この魔法の存在に気付いていなかったくらいだ。

 

 自分で言うのもどうかと思うが、ボクは魔法を抜きにしても音楽の才能があった。

 ボクは楽器と会話をすることが出来た――というのは大袈裟な比喩なんだけど――とにかく、コイツは高音が得意だとか、これくらいの強さで息を吹き込んでやれば良いとか、そういう見極めをする力を持ち合わせていた。その上で、見極めの通りに演奏できる技術があれば、これはもう天性の才能と言っていいだろう。

 音楽の才能がボクを愛したのと同じように、ボク自身音楽を愛していた。楽器が最大のポテンシャルを発揮した時の音を、譜面に従って一つの曲に紡いでいく時のあの快楽! 例えば満天の星空も、星々の色が点でバラバラの極彩色だったらどうだろう? 例えば百本の花束も、バラとユリとガーベラが全部大輪で突っ込まれていたら見栄えが悪いに決まってる。ボクは美しいものを、より美しくしてやることに夢中だったんだ。

 ……もちろん、単に作品を作り上げるだけじゃなし、演奏を人に評価してもらいたいという欲も人並みにあった。思えばこれが、ボクの音楽にケチをつけた全てだったかもしれない。

 

 

 ボクの生まれはそう恵まれたものじゃあなかったが、決して悪いものでもなかった。戦争が白熱しているとかならともかく、音楽は地域や時代を問わず受け入れられやすいものだ。それこそ、都市で演奏家として名を知られた暁には、謝肉祭やら競技会やらに引っ張りダコ。生活には困らない。

 

「**、次の祭りの時も頼んだよ」

「任せておいてよ。必ず盛り上げてみせるからさ」

 

 今笑顔で依頼を承諾しているのが当時のボク。名前は――まぁ、ここで語らなくてもいいだろう。魔法の存在が発覚してからはボクを名前で呼ぶ人は居なかったし、キャストとして呼び出された時にもボクの名前はなかった。

 ただ一つ言えるのは、この頃のボクは『ハーメルンの笛吹き男』でも『魔術師』でも『道化師』でもない、演奏が上手いだけの少年だったんだ。

 その化けの皮が剥がれたのは、祭りの見世物として連れてこられていた猛獣が逃げ出した時だった。ライオンだったか、オオカミだったか、よく覚えてはない。ボクの名前と同じだ。そんなことは大したことじゃない。重要なのは、あの場でボクが何をしたのか。

 

「おい、早く撃ち殺せ!」

「駄目だ、こんな人混みじゃ――」

 

 舗装された道の上、逃げる人の靴の音と、爪が石畳を引っ掻く音が混ざり合っていた。千切れた鎖をじゃりじゃりと鳴らしながら走っていた獣は、逃げ遅れていた人間に襲い掛かろうと、大きく踏み込み跳躍する。

 その時、ボクは二階のバルコニーのところで楽譜をめくっていた。だから、獣の注意を引いたところで、全く危険じゃなかった。寧ろ、何もしないことの罪悪感の方がよっぽど恐ろしく思えたんだ。

 

 咄嗟に吹き鳴らした笛の音は、

 

 ~♪♪

 

猛獣だけじゃない、全ての動物をボクの下に惹きつけた。

 思わず楽器から唇を離したボクの目の前にあったのは、建物の前に座る鎖付きの獣と、バルコニーの手摺りに並んで留まる鳩の群れ。唖然としている人間たちの合間を縫って、犬が大通りを走ってくる。

 

 

 人為的な感動を、人は決して許しはしなかった。

 普通の人間の演奏も、ともすれば人為的な感動に違いないのに、音符ではなく魔法で脳髄を揺すぶるのは駄目らしい。恐らく、親近感に欠けるからだろう。

 得体の知れぬ芸術作品を集める人間が居たら、そいつはきっと変人だ。

 

 *

 

「やっぱり此処でしたか」

 

 仮面を被り笛の手入れをしていた道化師は、その言葉に笛の音で応えた。風が一瞬駆け抜けたような、高い音。

 木漏れ日は金髪に、葉の緑は纏う衣服に。木々の合間から、それこそ溶け出すように現れたロビンに、彼はやはり仰々しく礼をした。

 

「おやおや、わざわざ訪ねて来て頂けるとは。全く、光栄の極み」

「今日は普段と変わらない恰好なんですね?」

「此処に来るとしたらキミだと思ってね。それなら、正装で出迎えた方がいいかと思ったんだ」

 

 仮面を眼鏡の如くくいっとさせて、帽子を引っ張って形を整える仕草は、衣装に違わぬ道化らしいものだった。両手から離れた笛が転がっていきそうになったのを、足首のところで止めて、『優しく』蹴り上げるところまでがセットである。

 ロビンは「困りました」と頬を掻いた。

 

「気を遣わせるつもりはなかったんですが」

「何、キミが気にする必要はそれこそミジンコ程も――失敬、微塵もない。それにボクはこの仮面と帽子を気に入ってるんだよ」

 

 立てた人差し指を、ちっちっと振る。

 

「これだけ顔を隠しておけば、ほら、ボクでもキミのお仲間みたいに見えるだろう?」

 

 ロビンにはその言葉の意味が今一つ分からなかったらしく、なんとも言えない顔をしていた。仕方なしに巨大な笛を宙に投げてキャッチして見せたが、やはり複雑そうな顔をしていた。『音楽をやる人間が楽器を手荒に扱っている』という行為自体が駄目だったのかもしれないと、彼は少し反省する。道化らしい思考だと自賛もしておいた。

 こほん。気を取り直すように、ロビンは咳払いをする。

 

「それにしても、どうしてこんなところで演奏を? 私が来ることは予想していたとのことですし、人に見られたくないという訳ではないのでしょう?」

「簡単なことさ。キミには聞かれてもいいんだ」

 

 言って、彼は耳のところを覆っている布を引っ張ってみせた。長く、伸ばすように。

 不思議そうに小首を傾げたロビンだったが、ハッと気付くところがあって、自分の長い耳を指さしてみせた。ぺちんと布が元通りに戻る音といっしょに、道化師は深々頷く。

 

「キミは人間じゃないからね。正直、キミとなら是非とも友だちになりたいくらいだよ」

「……もしかして、人間が嫌いなんですか?」

「そうだよ」

 

 その一言は、酷くあっさりと口から出た。

 

「だからボクとしては、あまり人間の顔は見せたくないんだ」

 

 *

 

 ボクに演奏の依頼が来ることは、もうなくなっていた。それどころか、ボクが楽器を持っただけで皆一様に警戒した。猛獣を一瞬で手懐ける力だ、暴力を振るわれなかっただけマシかもしれない。いや、単に仕返しされると思ったのかな。笑えないねぇ。

 それでもボクは、笛を吹くことをやめられなかった。演奏家としての道を諦められなかった。もっと素晴らしい演奏をすれば、皆感動して見直してくれるんじゃないかとか、そういう馬鹿げた空想をしては、

 

「ひッ」

「……失礼」

 

譜面を手に取った瞬間に上がった悲鳴に、現実を突きつけられた。

 ボクが逃げるように街を出たのは、全く、可笑しいことではなかっただろう。当時は情勢もそれなりに安定していたから、旅芸人を名乗って放浪していく分にはどうにでもなった。いや、寧ろそれしか、ボクが音楽と共に生きていく道はなかったんだ。

 

 

 本格的に人間に嫌気がさしたのは、きっとこの辺りだろう。

 

 

 ボクの音色は旅先でも評価された。元居た街でもそれなりに大きな仕事を任されていたくらいだ、旅芸人には惜しいくらいの才だっただろう。

 けれども、ボクの名前を聞いたが最後、

 

「道理で素晴らしい演奏だと思った。今のも魔法でどうにかしたんだろう? 大したもんだね」

 

 最も好意的な回答でも、この始末だった。

 

 意思を操る魔法を使えるなら、別にこんなことを繰り返す必要はないんじゃないかと考える人も居るだろう。『彼に一切の非はない』『彼の音楽は、魔法なんてなくても評価に値するものだ』と、そう刷り込むことは確かに簡単だった。

 ボクがそれをしなかった理由は、決して罪悪感からではない。もっと単純なこと……遠回しに『不当に評価を得ている』と言われたことに、酷く腹が立ったからだ。魔法の存在に可能性を摘み取られたからこそ、魔法なんて使わずに、魔法なんて理由にさせずに、誰かを感動させてやりたい。これはボクの演奏家としてのプライドの問題だった。

 この時点である程度折れて、人の目なんて気にせず笛を吹き続けていれば、この先の未来はもう少しマシなものになっていたに違いない。

 

 

 旅の合間、森の中でただ只管に笛を吹いた。魔法なんてものを演奏に織り交ぜてやるつもりはなかったから、純粋に自分の息と指で音を奏でた。人の心を揺らすには既存の音楽じゃ駄目だと考えた結果、譜面はただの参考書に成り下がった。転調部分のレパートリーを増やしたい時とかに、ぺらぺらとする感じだ。

 ボクには音楽の才能があった。やろうと思えば、自分の笛と演奏に最も合った楽譜を作り出すくらい、造作もない。人間付き合いをする必要がなくなって、音楽と向き合える時間も増えたから、音を編む作業はとんとん拍子で進んだ。

 

 唯一の問題は、

 

「……これで、いいのかな」

 

曲が出来上がった時には、『これが良い作品なのか』一切の判断がつかなくなっていたことだ。

 魔法で出来た音楽だと言われ続けた所為で、どれが良いものでどれが駄目なのか、ボク自身すっかり分からなくなっていた。第二節の音の高低のラインは我ながら美しいと感じたし、転調部分は演奏技術を必要とされる分、一瞬心を浚われるような、そんな感覚を味わえるのではないかと思っている。ボクが持ち得る知識と技術を余すことなく詰め込んだ、間違いなく最高の曲だ。

 だからこそ、不安が張り付いてくる。

 

「これも駄目だったら、ボクはどうすれば」

 

 がしがしと髪を掻きあげる、その腕が震えていた。

 これすらも『魔法』の一言で片付けられてしまうようなら、今度こそ自分の演奏家としての心は折れると、そういう確信があった。夢すら見れないところまで堕ちてしまったら、ボクはこの先どうやって生きていけばいいのだろう?

 悪い考えから逃げるように、再び笛に唇をつけた時だ。

 

「チュゥ」

 

 ボクは自分の足元に、一匹のネズミが居ることに気付いた。

 

 *

 

 ~♪ ~♪♪♪

 

「……ちょっといいかい、ロビン・シャーウッド君」

「はい、なんでしょうか」

「なんでもキミは、動物と話が出来るそうじゃないか」

 

 倒木の上、並んで座る二人。演奏を中途半端に切り上げた道化師は、頭上の枝を指さした。ロビンがその先に目をやると、シジュウカラが一匹、こちらを見下ろしていることに気付く。

 ぽん、と手の平を拳で打つ音。

 

「分かりました、彼女が貴方の演奏をどう思ってるか知りたいんですね。任せて下さ――」

「いいや。あの子を追い払って欲しいんだ」

 

 立ち上がろうとしたロビンを、食い気味の言葉が縫い付けた。

 再び倒木に座りなおしたロビンは、演奏を開始しようとしている横顔を、何か言いたげに見つめた。視線の先の道化師は、全く気にせず唄口に唇をつけたところだ。流石の狩人も痺れを切らしたのか、ついに言葉を口に出す。

 

「たしか、人間が嫌いなんですよね?」

「そうだとも」

「動物も嫌いなんですか?」

「……キミ、称号ってヤツは知っているかな? ほら、テイルマスターが図書館からもらっているアレだ」

 

 笛をペンと同じ持ち方で掲げようとして、見事に失敗して見せながら、彼は語る。

 今日も彼は、帽子と仮面ですっかり頭を隠していた。

 

「あの中には『ネズミ駆除業者』なんて物もあるんだよ。現にボクは街を埋め尽くす程のネズミを、まとめて川に誘い込んだことがある。そんなヤツが、どうして動物が好きだと思うんだい?」

 

 肩を竦めて、「ん? どうなの、そこ? んん?」とばかりに、真面目に考え込んでいる頬をつつく道化師。控えめに言っておちょくっていた。……それくらいしなければ、話をそらしたことに気付いてしまうと、そういう懸念もあったのだろうが。

 頬を凹ませられた人は、少し迷惑そうに眉を顰めたが、やがてぽつりと呟いた。

 

「でも、動物が好きじゃない人が、鳥のことを咄嗟に『あの子』なんて形容するでしょうか。そもそも、貴方は動物のことを嫌いだとは一言も言っていない」

「あー、うん、そこは……ほら、道化師だからさ。きっと場を引っ搔き回すのが、癖になっているんだ」

 

 言葉で返答する代わりに、ロビンは高く口笛を吹く。枝に留まっていた小鳥は、すんなりとロビンの元までやってきて、長い耳に身を寄せた。

 

「やっぱり、その主張は可笑しいですよ」

「どうしてだい?」

「貴方が本当に動物が嫌いなら、お得意の曲を使って追い払えばいい。でも、この子の様子を見るに、貴方がその手の演奏を行ったことはなさそうだ」

 

 小鳥の首のところを指で掻いてやりながら、視線は道化師の仮面へと寄せた。小首を傾げた。

 

「どうして、そんな嘘をつくんです?」

「……言っただろう。ロビン・シャーウッド」

 

 その時、彼はどんな感情を抱いていたのだろうか。道化という役柄の癖に、眼前の世間知らずに心中を看破されてしまった彼は。思わず仮面にかけてしまった手を、どうにか押し留めた。

 

 笑う。

 

「ボクはマグス・クラウン、半分は道化師だ。キミみたいな英雄とは違うんだよ」

 

 無意味に得意げを気取る。

 人は不快になった時、大抵苛立つ自分自身に目を向ける。苛立つ原因となった人に嫌悪感は抱いても、その人を詳しく見ることはしない。道化の口調で居れば、大抵の人の目は誤魔化せた。だから今回も、その癖が前に出たのだ。

 

「気まぐれに嘘だってつくさ。人間のマネしてね」

 

 *

 

「……またかい、キミ」

 

 尻尾を摘ままれて、ボクの目の前でぶらぶら揺れているネズミ。じたばたと手足を動かしているのを見て、ため息を一つ地面に下ろしてやった。地に足をつけたネズミは、慌てふためいて森の奥に走っていく。

 とはいえ、また数分も経てば何もなかったような顔をして戻ってくるだろう。競り上がってきたため息を、頭を振って飲みこんだ。

 

 若いネズミらしかった。どうにも子ネズミ気分が抜けていないようで、あろうことか人間であるボクの周りをちょろちょろしている。最初は食べこぼしたパンクズに釣られているのかと思って、森の外で食事を済ませるようにしてみたが、成果はなかった。

 物は試しと、パンを一切れ放り投げて、食いついたのを見届けたところで違う場所に移動したりもしたが……これについては餌付けもいいところだ、結果は言うまでもないだろう。

 いっそ蹴りつけてやろうかとも考えたが、それはそれで罪悪感を煽られて駄目だった。というにも、こいつは食料袋なんかには、まったく興味がないようなのだ。

 

 ~♪~♪ ~~♪

 

 ネズミを一旦追い返したところで、練習を再開する。聞こえてくる笛の音を、演奏しながら整理する。この音は隣り合わせない方が良いだとか、ここは敢えて同じメロディーを繰り返してみるのはどうだろうかとか、そんなことを考えていると――

 

「チュウ」

 

音符以外の音が、また足元から聞こえてくる。今度はよじ登ろうとはしていないようなので、気にせず笛を吹き続けた。

 

 この茶色の薄っぺらいネズミは、どういう訳かボクの演奏のファンになったらしかった。

 ボクは動物と会話なんて出来ないから、実際のところどうなのかは分からない。食料袋の意味が分からないほど鼻が悪くて、だからパブロフの犬みたいに――この時代には、まだ存在しない言葉だが――笛の音と食料を結び付けてしまっただけなのかもしれない。

 それでも、演奏を始める度にこっちにやってきて、偶に膝やら肩までよじ登ってくる姿を見ると、なんとなく『そうだといいな』という気になってきた。ネズミなんてそう綺麗なものでもないし、何より集中できないから、登ってくる度に下ろしてはいるけど。

 

 

 陶酔する。指が動く動く。

 指の動きが一瞬でも遅かったり、吹きこむ息の量が少しでも多ければ、たちまち歪んでしまうような一節。楽譜の最難関を音符と共に駆ける興奮は、例えそれが練習であっても、奏者を魅了してしまうものだ。

 吹き切ったら最後、その一瞬、ここは森の中ではなく教会か広場か王城の舞台の上になる。

 

「どうだったかい、ネズミ君! 今のはなかなか自信があったんだけど」

 

 思わず感動のままに、唯一の聴衆であるネズミに話しかける。

 ……大声に驚いたネズミが、茂みの中に逃げていく後ろ姿が見えた。

 

 *

 

 彼がハッと顔を上げると、見慣れた金髪が風に揺れるのが見えた。

 キャストとして呼び出されたのは幾らか前のこと。森に引き篭もって一人笛を吹くようになったのは、そこから少し経ってから。その折に発生したイベントは、以来毎日続いていた。

 彼はこめかみの代わりに、こめかみの部分を覆う布を掻いた。

 

「おっと、悪いね。演奏に夢中で気付かなかったよ」

「いえ、貴方の演奏が聴きたくて来た訳ですから、気にしないで下さい。……それよりも」

 

 ロビンが指差した先は、ちょうど道化師の背後だった。振り返る。

 彼が腰掛けている倒木の陰。昼食のサンドイッチを入れた袋に、キツネが顔を突っ込んでいた。まさしく頭隠して尻隠さず、キツネ特有のふとましい尻尾が、機嫌よく揺れている。

 腐っても野生の獣である。二人がじっと見つめていると、キツネはその視線に気付いたらしい。一瞬ぴたりと動きを止めた後、袋を被ったまま森の奥へと走っていってしまった。

 

「大変だ。ちょっと返してもらってきます!」

「いや、大丈夫だよ。食事なんて、ボクたちにとっては最低限でいいんだからさ」

 

 倒木を飛び越えようと足をかけた人の、その膝を掴んだ。

 道化師の衣装で、肩を竦める。

 

「こんな形で呼び出された時は、そりゃあ驚いたけど。便利だよねぇ、この体。全身インクで、多少のことじゃあ死なない。生きていくのに楽だ」

 

 膝に触れていた手が、ロビンの体が一瞬強張ったのを感じた。

 

「すまない、気に障ったかな?」

「おかまいなく。その……私は貴方とは違う考えを持っているので」

「ふーん」

 

 眉尻を下げて困った顔をしている人に、一度座るよう、道化がかったジェスチャーで促した。より一層困り顔に拍車が掛かったような気がしたが、ともかく隣に座らせることには成功する。

 暫くの間、ぴろぴろと簡単な演奏を――戦地で立ち止まった時にやっているアレだ。考え事をしている時なんかにも、つい手癖でやってしまう――していた彼だったが、最後にはこんな風に口火を切った。

 

「急にこんなことを言うのも、なんだけど。ボクはキミとお近付きになれるとは、思ってなかったんだよ」

「えっ?」

 

 思い掛けない内容だったのだろう、気の抜けた声が漏れる。

 再びぴろぴろと音を鳴らしておいてから、言葉を続けた。

 

「ボクはどちらかと言えば、ヴィラン寄りだからね。キミみたいな『いかにもヒーロー』ってタイプとは、相容れないんじゃないかと思ってさ」

「……正直なところ、貴方のやったことは、私には理解できません」

 

 ぴろぴろ。無言の沈黙を、笛で誤魔化す。

 

「嘘をつかれて、裏切られて、怒る気持ちはもちろん分かるんです。けれど、あんな仕返しの仕方は、正義ではありません」

「さすが正義の味方だ。厳しいねぇ」

 

 ははは、と軽薄な笑い。先程までちょこちょこと鳴らしていた演奏を、完全に止めた。

 瞳が、嫌らしく歪んでいた。奥歯の歯軋りが言葉をつかえさせていたが、舌先を使ってどうにか道化の調子に戻す。

 

「試しに聞いてみようかな、ヒーロー。もしもキミが同じ状況に陥ったら、どういう対処をする?」

「……」

「前提として、キミに味方をする者は一切ない。街の人はみんな『金貨を渡さない』で意見を一致させている。お上に泣きつくってことも出来ない。あとは、何を付け足そうか……」

「そういえば、貴方は、」

 

 外に出ようとした言葉が、飲みこまれた音。一拍置いて、回答が出る。

 

「……そう、ですね。私だったら、金貨を受け取るのを諦めて立ち去るでしょう」

 

 彼は、冷ややかな目を向けた。

 結局こいつも『人間様』の味方でしかないのか。道化師には似つかわしくない邪悪が漏れそうになったその時、

 

「でも、暴言に晒されたのが自分ではない誰かだったなら、違う形で報復はしたと思います」

 

 その一言は、魔法のようだった。今まで抱いていた黒い物が一瞬で消え失せて、後にはきょとんとした間抜けが残る。

 穏やかな横顔は、呪文を紡ぎ続けた。

 

「だって、最初に悪いことをしたのは街の人々じゃないですか。その悪しき行いは、正されねばなりません。弱者だからといって、悪に手を染めていい訳ではありませんからね。きちんと更生させなくては」

「つまりキミの答えは」

「強いて言うなら、『正義の味方としてその場に駆け付ける』でしょうか。さすがにズルいですかね、この答え方」

 

 うーん、と考え込むように唸るロビンを見て、彼はただ目をぱちくりとさせるしかなかった。

 

 *

 

 ネズミとの奇妙な関係は、それからも続いた。

 

 結局、ボクはそのネズミを『ネズミ』としか認識していなかったし、向こうもボクに慣れるような素振りはなかった。それでも、ボクはそのネズミにパンを投げ続けたし、ネズミもボクの演奏を聞き続けた。有り体に言えば、そいつとボクはお隣さんだった。名前どころか性別も知らなかったけど、間違いなく、ボクの身近に居る、ボク以外の生き物だった。

 ……何より、このネズミの存在はボクに自信を取り戻させた。ネズミすらも耳を傾ける曲だ、これを理解出来ない人間が居たら、そいつはそれこそネズミ以下ということになる。理想はもちろん、魔法の存在を超えてボクの音楽を聞いてくれる人が居ることだが、もし居なくたってこれなら笑い飛ばしてやれるかもしれない。

 

「キミが聴きに来てくれる間は、ボクはまだ天才音楽家だろうからね」

 

 パンクズに夢中になっているネズミに向けて、独り言。

 

「キミが居なくなるまでは、演奏を続けてみよう。何なら二人旅でもしてみるかい?」

 

 返事をするように「チュ」と鳴き声がした――りはしなかった。これ、傍目から見たら道化どころの騒ぎじゃないなと、無駄に冷静になる。

 音楽に合わせて踊ってくれたりしたら、もう少し『それらしい』愛着も湧くんだろうか。今だって精神的に救われているというのに、やっぱりコイツのことを撫でてやりたいとは思わなかった。

 

 

 この頃のボクは生身だ。さすがにずっと森で自給自足している訳にもいかないし、野営を続けるのも正直言って疲れる。賊に会っても笛でどうにか出来る自信はあったが、あの魔法はあまり使用したくない。

 演奏は常に森で行ったが、生活の拠点は街にあった。正体さえ隠せれば――演奏家として健全だった頃の貯金を、切り崩しての生活だ。いつかは限界が来るだろうが――それなりに人間らしい暮らしは出来た。音楽一辺倒で生きてきた人間だから、節約に対する抵抗もなかったしね。いや、一辺倒だったからこそ、こんな妙な生活の仕方になっている訳だけれども。

 

「こうネズミが多いと、嫌になるってもんだよ。村中探しても、齧られてない家具の方が少ないくらいだ!」

「それでも、隣町に比べたらましさ。食事をしていると、目の前で料理をネズミに持っていかれるって話だ」

 

 紙袋を抱えて歩く隣で、降って湧いた噂話。

 ……ボクならすぐに解決できる問題だと、そう思わないでもなかった。とはいえ、先述の通りだ。ボクはもう二度と、あの魔法を使いたくなかった。例え誰にも使用していないことが分からなくとも、他ならぬボクが、ボクの無罪を知っていればいいと。

 

「失礼、そこの人」

 

 突然肩を叩かれて、ハッと我に返る。考え事が過ぎたのだろうか、まったく気配に気づかなかった。

 後ろを振り返った先に居たのは――男、だったと思う。あんまりに苦い記憶だからだろうか、そいつの容姿については、一切の記憶がないんだ。でも、不信感は抱かなかった気がする。それどころか、何か、親近感すら感じたような。嫌な話だよ。

 

「ボクに何か用かな?」

「実はキミにどうしても頼みたいことがあってだね」

 

 手招き。警戒しながらも顔を寄せたボクに、耳打ちして曰く。

 

「**、以前起こした奇跡を、もう一度起こす気はないかね?」

 

 *

 

 彼が目を上げた時には、もう空は橙に染まっていた。明るく色付けのされた雲を、黒い鳥の影が通り抜けていく。

 笛を膝の上に横たえさせる。夕暮れの森は、まだまだ騒がしい。風に木々がざわめいたり、早起きをした獣が鳴く声だって聞こえた。

 

「……今日は一人、か」

 

 道化師は息継ぎをするように、金の仮面を外した。夕暮れの強い光に、金属で出来た仮面はギラギラと輝いている。目に痛い。

 今日も彼は、森の一角で笛を吹き続けていた。今日も今日とて、『良い音楽』には出会えなかった訳だが。

 

「さぁて、帰るとしよう。一流演奏家は好きに笛を吹いてナンボ、ファンを待つのは二流がやることさ」

 

 腰掛けていた倒木から立ち上がると、んー、と大きく伸びをする。日長一日座り続けていたのだ、体がこるのも当然である。

 笛を肩に担いで、歩き始めた。

 

「少し森を歩いて回ってみようか。何か、こう、インスピレーションが得られるかもしれない」

 

 ……………………。

 

「……」

 

「随分と独り言が上手くなったものだね、マグス・クラウン」

 

「そりゃあ、一時期あんなに『返事のない会話』をしていたんだ。嫌でも慣れる」

 

「未練がましい男だなぁ、キミも」

 

 足元、草葉が揺れる音がして、堪らず地面を見た。

 自分が踏んだ落ち葉が鳴った音だった。

 

 自嘲する。

 

 *

 

 衣装の準備には、かなりの苦労を有した。生憎、ボクという人間は音楽以外のことは、人並みにしか出来なかった。ましてや衣装作りなんて、極端に短い下積み時代にしたかどうかというところで――祭りで演奏をする時には、針子に全部の作業を任せていた。誰もが認める天才演奏家だったからね――かつての記憶を必死に手繰り寄せた。

 

 ――どんな手段を使ってでも、自分の音楽を認めさせる。

 

 ボクという人間の末路は、実に『らしい』ところに落ち着いた。

 街角で男がボクに依頼したのは、ハーメルンで大量発生したネズミの駆除だった。別に魔法を知った上で自分に近付いてくる度胸に惚れたとか、自分を探して遥々旅をしてきたその苦労を労わってだとか、そういうことじゃあない。ボクというやつは、生憎とそんな綺麗な人間じゃなかった。

 ボクの心に響いた音は、たった一つ。

 

「人々の英雄になってはくれないか?」

 

 その言葉の持つ眩い光に照らされて、ボクの心の影は、ありありと浮かび上がった。

 

 ボクの持つ力が気味悪がられるのは、結局のところボクに人望がないからだ。

 例えば、ドラゴンを倒した一人の騎士が居たとしよう。竜の炎で鎧は黒くなり、あまつさえ剣に魔物の血をしたたらせているような騎士が、ぽんっと街の近くに現れたら。皆怯えて、下手をすればその騎士を攻撃するかもしれない。だが、その騎士が倒したのが人喰いの凶悪竜だと知れて、かつ鎧兜を外して現れたのがなんてことのない好青年だったら、どうだろう? 絶対何人か騎士の味方をする者が出て来るし、その『善行』の輪が次第に広まっていくかもしれない。

 ボクが期待したのは、そういう効果だった。『あの人がそんな卑怯をする為に、魔法を使う訳がない』とか『魔法のことは兎も角、この音楽は素晴らしいものだ』とか、そういうことを言ってくれる人間が、一人でも増えて欲しかった。

 

 それは、英雄が抱くにしては、なんとも浅ましい考えだった。

 でも、分かってもらえるはずだ。ある日、突然自分の功績の全てが否定されて、努力程度じゃ取り戻せないと知ってしまったら。かつての栄光をすっかり諦めてしまえる人間が、何人居るだろう? 少なくとも、ボクは嫌だった。ボクが今までの数十年を注ぎ込んだ物を、幼少の何処かで抱いた音楽への信仰を、人間としての承認欲求を、『魔法』なんていうたった一言で手放したくはなかったのだ。

 

 

 ハーメルンまでの旅は、一人で行った。依頼者の男の「自分の依頼でキミが来たと知れたら、現金な奴だと思われるだろうから」という言葉に、ボクもまた納得したからだ。

 ……いや、正確には一人旅とは言えなかったかもしれない。

 

「ほら、帰れよ。キミは旅をするような生き物じゃないだろう?」

 

 ボクはネズミの尻尾を摘まむと、茂みに向かって放り投げてやった。「チュッ」と短い悲鳴が聞こえたが、無視してハーメルンへの道を急ぐ。この頃は歩きながら笛を吹くなんて芸当はしなかったから、全くの無言だった。

 そうして暫く、獣道を歩いていると、まぁた小さな足音が聞こえてきて――天才を自称するだけあって、音を聞き分けることは得意だ――飽き飽きした顔でそちらを向くと、茶色のネズミがすぐ隣を並走しているのだ。

 人気のない道だ、良い人ぶる必要はないし、ボクは「やれやれ懲りない奴だなぁ」と肩を竦めるフリをするタイプの人間でもない。ネズミの近くの地面を蹴って脅かしてやったり、練習に笛を吹くのをやめたり、もちろん餌だって一切与えなかった。それでも、このネズミは鋼の意思でボクの後ろを追いかけてきたのだ。

 

 ボクはネズミを特別可愛がりはしなかったが、それでも駆除に巻き込まれたら嫌だとは思っていた。

 

「……駆除の日には、カゴに入れてどっかに閉じ込めておくか。街を離れるタイミングで、また山に戻してやろう……」

 

 結局、最後にはボクの方が折れて、こういう結論を出すことになった。何が悲しくて、こんなみすぼらしいネズミを飼わないといけないのかという話だが、だからと言って無駄な罪悪感を抱くのも御免だった。心の天秤が、道徳の側に傾いたという、それだけの話だ。

 

 

 ハーメルンの街に着く直前で、ボクは道化の衣装に身を纏った。仮面と帽子で顔まで隠せば、もう目と口が見えるだけだ。

 

 *

 

 空は次第に色を変えていった。橙から紫に、最後は黒が帳を下ろす。その日は雲もない日で、街灯のない暗闇の中で、星が満天に輝いていた。

 

「やっぱり、星っていうのは静かに見るのが一番だ」

 

 彼は一人頷くと、手頃な木に背中を預けて、笛を吹き始めた。星を見た時に抱いた感動を、試しに音楽にしてみようと思ったのだ。

 星の瞬く光は、いろいろな音を混ぜて表してみよう。赤や青といった、星の色まで表現できたら完璧だ。逆に月のことを演奏する時は、使用する音は最低限で良い。少ない音で、ゆるく流れるようなメロディーにしよう。そこに、フクロウが鳴いたりする、低音を織り交ぜれば――

 

「?」

 

はたと、演奏を止めた。

 何故だろうか、どうにも違和感が拭えない。自分は今居る夜を、音楽で再現しようとしていたはずだ。それなのに、どうしてだか今の演奏に『足り過ぎている』という感想を抱いたのだ。彼が奏でようとした夜は、なんてことない自然の光景そのものなのに。

 

『……何か、普段よりも世界に音が足りないような』

 

 息を潜めて音を聞けば、すぐにその正体が分かった。

 彼が曲の中に織り交ぜようとした『フクロウの声』は、今の夜にはないものだった。それだけではない。夜行性の獣が走り回る物音も、虫がじーじー鳴く音も、聞こえない。生き物由来の音の全てが消えてしまって、ただ、風が泣くのだけが響いている。

 

 明らかな異常だ。彼はすぐにその場を後にしようとした。

 元々、戦闘を生業としていた人ではない。キャストとしての彼も、その手の荒事はあまり得意ではなかった。もしも、この状況を作れるような敵と――ヴィランなんかと鉢合わせてしまったら、逃げるしか手はない。

 

 遠くの空から、何かが滑空してくるのが見えた。

 

 *

 

 音に魔法を吹きこむ方法は、簡単だ。ただ、頭に浮かんだ音符を、そのまま奏でればいい。一個一個は微小な魔力も、紡がれれば大きな魔法になる。どんな名曲だって、何十何百という音の組み合わせでしかないんだから。

 

 ~♪♪ ~♪

 

 街の石畳の上を、笛を鳴らしながら歩いていく。その周り、小さな足音が無数に連なって、追いかけてくる音がする。前から後ろから、家の壁から煙突から、数多というネズミが湧きだしてくる。後ろのネズミはすぐさまボクの後ろに着いて、前のネズミはボクの演奏を見送った後、列に混ざっていった。

 今、ボクの背後にはネズミの行列があった。全部が全部、ボクの魔法で引き摺り出されたものだ。民家の窓やベランダから、なんともいえない視線を感じたが、全部無視して行進を続けていく。

 

 ボクは今回の仕事を、金貨百枚を条件に引き受けていた。向こうが出した条件じゃない、ボクが要求した条件だ。

 別に、本気でそれだけの金額をもらおうとは思ってない。今のボクの設定は『ふらりとこの街を訪れた、奇妙な服装の男』だ。そんな輩に、大金をぽんっと渡せるだろうか? 怪しいところだ。

 大切なのは、ボクが街のお偉いさんと『契約をした』という事実だ。もしも素直に報酬を払ってくれたなら、そのお金をそっくりそのまま返して、従来の身分を明かしてここに住もう。もしも約束を反故にされても、ネズミに困っていた人の一部はボクに対して罪悪感を抱くに違いない。

 英雄になってもなれなくても、ボクは大義名分か同情を得られる。今回得たそれらを元手に活動をしていけば、ゆくゆくはこの国の英雄になれるかもしれない。気の遠くなるような話だが、ボクの音楽に対するプライドはそれだけのものだった。英雄という色眼鏡で演奏を聞かれるようになるのは少々不本意だが、魔法という言葉で演奏を聞いてもらえなくなるよりかはマシだった。

 

 ハーメルンの西側には、街を縦に二つに分断するように、大きな川が流れている。この行進の終着点は、丁度そこだった。音色に魅了されたネズミたちを、そのまま川に突っこませるんだ。

 川幅があり流れもそこそこ急な場所を選んで、足を止めた。ざあざあと水が音を立てる中、ボクの目の前で、ぼちゃんぼちゃんと水飛沫が上がっていく。断末魔や悲鳴を上げる暇もなく、ネズミは流れに飲みこまれて、遠くの方に流れていった。透明で底が見えるくらいだった川が、ネズミの皮の色で汚れていく。

 

 ~~♪ ~♪♪ ~♪

 

 ボクはネズミたちの背中を見送りながら、笛を吹く指を止めなかった。

 自分の力を認めてもらう為という下心を除いても、人の暮らしに害が出ている以上、駆除に対する罪悪感はあまりなかった。ネズミの命か人の命かと問われて、ネズミを優先するほど、ボクはまだ人間に絶望していなかった。

 代わりにあったのは、

 

『ボクの音楽は、この為にあったんだろうか』

 

自分の音で生命を死に導いていることに対する、後ろ暗さ。

 奏者として、どんな時にだって演奏には手を抜きたくはない。今演奏している曲だって、ボクにとっては持てる精一杯を出した、超一級の物だ。聞き惚れていたくなるような、心地よい音の繋がりを追及して、知識と技量を振り絞って作り上げているものだ。

 それが、ネズミの駆除をする為に使われている。他ならぬ自分が使っている。自分が眺めている楽譜が、端の方から黒ずんでいくような感覚。それから逃れるように、演奏に意識を集中させた丁度その時。

 

「チュゥ」

 

 よく聞き知った『声』が聞こえた。音を聞き分けることについては並々ならぬ自信を持っていたボクだが、その時ばかりは聞き間違えであって欲しいと祈った。ぶわっ、とこめかみのところから汗が噴き出した。

 そのネズミはただ一匹、ボクの方を見据えていた。川に飛び込み続けるネズミたちを他所に、ただただボクを見つめていた。いつもと何も変わりはしない。曲に合わせて踊りもせず、曲に合わせて歌ったりもせず、ただ偶に鳴いていた。

 

「おや、そのネズミは?」

 

 身動ぎを取ることが出来ず、真っ白になった頭で笛を吹き続けていたところに、声が掛かった。振り返った先には、街でボクに依頼をした男と、後ろに並ぶ人の群れ。ボクがネズミを何処に連行するか、興味を惹かれたらしかった。

 ボクの力に疑いを持っている人間が、今の構図を見たらどう思うだろう。ボクがネズミと共謀して、街のお金を巻き上げようとしたのだと考えるのではないだろうか。別に言葉で何か言われた訳ではなかったが、人々の視線はボクを値踏みしているように見えた。

 

 

 その時になって、ボクはようやく気付いた。ボクという異端が人々に受け入れられる為には、ボクが有益であることを見せなければいけないのだと。

 ああ、そうだ、そうだとも。ボクはさんざ『自分の音楽に、魔法というケチがつくのが嫌』と自分自身に言い聞かせてきたが、結局は『普通の人間じゃない』と言われて迫害されるのが恐ろしかっただけなんだ。でなければ、こうして自分の音楽を殺鼠道具として使うこともなかっただろう。

 そのことが今、やっと分かったんだ。

 

 

 ネズミは、いつも通りだった。ボクが近付いた程度では、逃げようとしなかったのだ。

 目を見開き過ぎて、瞳孔が細くなっていそうだ。天秤が大きく揺れる。一匹たしかに居るファンと、将来出来るかもしれないファンと。人外と、人間と。

 

 ――プライドを捨ててでも、生きたい人生はあるのか。

 

「チ゛ュッ」

 

 つま先に柔らかい感覚と、耳元に濁った悲鳴。

 勢いよく蹴り飛ばされたネズミは、頭から真っ逆さまに川の中に落ちていった。水飛沫が上がって、けれどもすぐに元通りの水面に戻る。

 

 笑顔を、仮面代わりに張り付けた。

 

「いやはや、すいません。偶にああやって、聞き惚れてしまう奴が居るのです」

 

 ボクは、人間に戻りたかった。どうしても、人間に戻って、あの好きに笛を吹く日々に戻りたかった。

 人間として生まれて、人間として生きて、それを途中から変えることはとてもじゃないが出来そうになくて。

 

「直に全ての駆除が終わりますよ」

 

 残りの余生、例え完全にではなくても、少しでも人間らしい扱いを受けて生きたかったんだ。

 

 汗の所為で服が肌に吸い付いて、気持ち悪い。

 

 *

 

 咄嗟に後ろに跳んだ次の瞬間、彼の居た地面に巨大な穴が開いた。砂煙の中、奇怪な、大凡この世に居るどの生き物にも似つかない鳴き声が響いてくる。視線は感じなかったが、確かな敵意はひしひし感じられた。

 

「ジャバウォック……」

 

 発見されている四種のヴィランの内の一つ。巨大な口を前面に張り出した、目の無い怪物。それが今、月の明かりを遮りながら立ち塞がっていた。

 ヴィランの討伐は、回復の泉などが設置された修練場で、四人がかりで行うことが推奨されている。相手は一撃でこちらを瀕死に出来る上、体力も有り余っている。設備が揃っていない外で、一人で立ち向かえるような相手ではない。攻撃に特化したアタッカーでも、だ。

 マグス・クラウンのロールはファイター、兵士の管理を得意とするキャストだ。この場において、彼は自分の一番の個性を失っている。足の速さには幾らか自信があるが、

 

『それは相手も同じ、か』

 

 今まで発見されたヴィランの中でも、ジャバウォックは俊敏性において頭一つ抜けている。翼はそれこそ滑空にしか使えぬ程退化しているが、尋常ではない脚力と巨体で、一瞬で距離を詰めてくる。今回のジャバウォックの体色は紫、もっとも弱い個体とはいえ、一対一で逃げ切るのは困難を極めた。

 

 この時点で、彼は無事に逃げきるという択を、完全に捨てていた。

 

『初めての死は、向こう側で経験するとばかり思っていたけれど。いやはや、何があるか分からないものだ』

 

 彼は人間の形をしてはいても、キャストという作られた命だった。ここで体を切り裂かれたところで、インクやページを補完してもらえれば、蘇生や治療は容易である。

 言うなれば、彼が今から取る一手は『本当に死ぬ死んだフリ』だった。

 

『ボクが居なくなれば、まぁキミくらいは気付いてくれるだろう。元通りに戻してもらった時に、事情を話して……』

 

 ジャバウォックは既に獲物を捉えていた。ずしんずしんと歩いていたかと思うと、突然駆ける。一歩二歩、跳ねるように迫り来る。怪物の巨体に地面が沈む、当たった枝がぼきぼきと折れる。風圧に髪が揺れて、そういえば今は帽子も脱いでいたなと、ぼんやりと思った。

 振り翳された鉤爪が黒いオーラを纏うのを、ただ突っ立って見送った。ひやりと、背中を何か冷たいものが通り過ぎた。

 

『……ああ、でも』

 

 ジャバウォックの凶爪には毒がある。この至近距離で叩き込まれれば、一気に瀕死まで持っていかれるだろう。

 

『やっぱり死ぬっていうのは、少し怖いかもしれない』

 

 観念に目を閉じた。

 

 *

 

 ボクが報酬金を貰いに行ったのは、ネズミ駆除の次の日だ。『駆除の成果を見てもらいたい』と申し出た理由は、まぁ察しはつくだろう。

 

 ……もしかしたら、ボクが川の中へ蹴り落としたネズミは、ファンのあの子じゃなかったかもしれない。

 

 そんな期待は、壊れたカゴを見た時に崩れ去った。しばらく近くで笛を吹いてみたが、足元の草はもう揺れてはくれなかった。初めて出会った時に吹いていた曲も、完全新作だって即興で作ってみせたのに、あの子は最後まで現れてはくれなかったんだ。

 ネズミというのは、どう見繕っても害獣だ。稲は齧るし、家や赤ん坊だって齧る。糞や死骸は病気の元になるし、見た目だって汚らしい。あんなモノの味方になる方がおかしいんだ。そもそも、あんなちっぽけな脳みそで、ボクの音楽が理解できていたはずがない。あそこで別れたところで、ボクの人生には関係ないさ。

 

 そうだ、関係ないんだ。

 

 

「依頼? 何の事かね」

 

 結局、提示された回答は、ボクの悪い予想のそのまんまだった。とはいえ、予想の範疇を脱してはいない。あとは淡々と事実と感想だけを述べて、この街を去るだけだった。

 道化師の衣装に倣って、わざとらしく仕草を作る。大袈裟に悲しんでみせる。

 丁度ボクは街の広場に居た。ネズミが居なくなった祝いに、ちょっとしたパーティが開かれていたんだ。だから、ボクとお偉いさん方のこの対話は、街の人々の前で行われていた。

 

「口答えをお許し下さい。ですが、それはあんまりだと言うものです。ボクは確かに街中のネズミを退治してみせました。それなのに、一切の報酬を頂けないだなんて……」

「それはどうだろう。怪しいところだね」

 

 人混みの中から、一人の男が前に出てきた。

 何故だろう。その時、ボクの胸は酷く高鳴っていた。恐ろしく悪い予感がして、今すぐにでもその場から逃げ出したくなったんだ。

 

「アレで鼠が全部駆除出来たかも、定かじゃない」

「何を根拠に、そんなことを仰るのでしょうか。現に今、街は」

「実はワタシは、この人物を薄々怪しいと感じていましてね。彼の事を監視していたのですよ」

 

 そこまで言われれば、自ずと答えは見えた。

 

「まだ分からないか?」

 

 向けられた視線と言葉は、刃物のようだった。周りの全ての人間が、ボクを貶めたこいつと、全くの同じに見えた。

 嫌だ嫌だと子どもみたいに地団太を踏めば、今からでも、誰かかがボクを助けてくれるんだろうか。助けてくれる人なんて居ないと分かっていても、それでも助けて欲しかった。心臓の高鳴る音が煩い。

 だって、こんなの、あんまりだ。

 

「彼はどうにも、鼠を飼っているようでしてね。そんな男が、自ら鼠の駆除を申し出るなんて可笑しいとは思いませんか? それも、大金を報酬として」

 

 ボクを囲う人の群れが、ざわざわと鳴き始めた。何処に視線を置いていいのか分からなくて、眼球がぐるぐると彷徨い始める。ここにはもう、正真正銘一匹だって、ボクの味方は居なかった。

 

「捕獲した鼠をまだ駆除していないだけかもしれないと思って、試しに鼠の入った籠を壊してもみました。そしたらどうでしょう、籠の中の鼠はまっすぐに、彼の下に走ったのです」

「……」

「皆さま、お聞き下さい! 今回の事件は、この男の壮大な自作自演だったのです!」

 

 男が高々と宣言してみせると、それに呼応して観衆はわーわー騒ぎ立てた。金貨泥棒、大噓つき、怪物……どれもこれも、酷い音だった。

 「分かるかね」と、そう言った男の目には、侮蔑の色がありありと浮かんでいた。

 

「お前みたいな危険な奴に、渡す金なんてない」

 

 …………。

 ……その時、ボクが何を思ったのか、ボク自身上手く形容ができない。ただ、人間なんてものは存在しないんだと、そう感じたことは確かだった。

 この場には、人間らしい者は、一人たりとも居なかった。ボクをこんな風に貶めた男も、唆されて功績の一切を無視する群衆も、……『人間になりたい』なんて馬鹿馬鹿しい願いの為に、あの子を蹴り殺したボクも、間違いなく人間じゃなかった。欲に愚直な、もっと醜い何かだった。

 

「聞こえなかったか? もう一度――」

「いいや、いいや。よぉく聞こえたさ。よくよく聞いたさ」

 

 嗚呼、どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 ボクの音楽に対するプライドは、最初は、間違いなく本物だったはずなんだ。ボクは笛を吹くのが好きで、それを褒められることに人生の意義を見出していたはずなんだ。それがいつの間にか偽物に変わって、あまつさえ欲という泥に塗れて、もう元がどんな形だったかすら分からない。

 なんでこんな力を持ってしまったんだろう。いや、こんな醜い心なら、力なんてなくても、いつかは堕落していたさ。ああ、ああ、笑えてきた。腹が痛い。

 

「お前たちには愛想が尽きた」

 

 残念だった。ボクは今の自分の顔を、ボクが憎むすべての者に見せつけてやろうと思ったのに。自分で自分の表情を見るのは、酷く難しい。

 

「――全て奪い去ってやる」

 

 唄口に吹きこんだ息が、笛の中を下っていく。奏でられた音は、酷く歪で、悪意に満ちていた。

 名もない少年の純心は、存外容易く破られたのだ。自分で、踏み滲ってしまったんだ。

 

 ~♪

 

 *

 

『私、貴方の物語を知って以来、ずっと気になっていたことがあったんです』

 

『おやおや、まさかイングランドの英雄に気にされるだなんて! いいよ、答えられることなら答えてあげる』

 

『どうして、貴方はあの時、子どもを浚ったんですか?』

 

 *

 

 ボクは下劣に口元を歪めさせた。

 今のボクは、なんだって出来る。人間というものにすっかり呆れてしまったボクなら、外道と呼ばれることの大凡を実行出来てしまうだろう。人が罪を犯す時の一番の障害は、知恵でも力でも運でもない。自らの行為を咎める、良心だ。

 

 吹き鳴らす音は、一節一音終わる度に黒ずんでいく。演奏としての完成度を度外視して、ただ誰かの精神を狂わせることだけに重点を置いた、呪いのようなものだった。

 

 ~♪ ~♪ ~♪

 

 さぁ、ボクの周りに群がるこいつらを、どうしてやろうか。

 働ける男たちを全員殺してしまうのはどうだろう。残った女子供に老人だけじゃあ、今まで通りに街を回していくことは困難だ。この街はゆるゆると破滅に向かっていくことになるだろう。

 家族や恋人友人を、全部一人ずつ欠けさせるのはどうだろう。正気を取り戻したその時に、残された人間がどんな顔をするか見ものじゃないか。まともに生活できなくなる人間も居るかもね。

 あるいは簡潔に、ここに居る全員で殺し合いをしてもらってもいいかもしれない。この場合は、下手に死人を出すよりかは、怪我人を増やすことに尽力すべきだ。そちらの方が、より苦痛は増す。

 

 ボクは従来、嗜虐癖がある人間じゃない。残虐趣味なんて、もちろん持ってはない。強いて言うなら、『人間なんてこんなもの』だ。一度自暴自棄になれば、幾らでも可笑しなことが考えられる。

 そうだ。そうだ。ボクは確かに人間に戻りたがったが、それは所謂理想の人間像でしかない。人は、誰かに手を差し伸べたりお互い支え合うことを『人間味がある』と言う癖に、誰かを蹴落としたり自分の欲の為に行動することを『人間臭い』なんて表したりする。こんなよく分からない生き物なんて、ボクから願い下げだ。

 

 人は悪役を、人間じゃないものと扱う。それならいっそ、この街一つ滅ぼして、悪魔とでも呼ばれてみようじゃないか。

 

 *

 

――『必ず、仕留める!』

 

 *

 

 頭上で、凄まじい風切り音が鳴った。今夜吹く風の全てを、纏め上げたような風だった。

 閉じた目を開けば、ジャバウォックの爪が飛んできた矢に弾かれるのが見えた。暗闇に、火花が散る程の衝撃である。ジャバウォックは堪らず後ろに跳んで、距離を取った。

 

「お怪我はありませんか?」

 

 振り返った先、夜の闇の中に双眼が浮かび上がっていた。灯した魔力を後ろに靡かせながら、黒の中から金糸が躍り出る。月光の下まで出たところで、一度足を止めた。

 彼はすぐさま仮面を着けた。

 

「どうして今、腕を撃ったんだい? あいつの急所を狙えば、もっと効果を出せただろうに」

「今はジョークを言っている場合じゃありませんよ、マグス。そんなことをしたら、貴方を助けられないじゃないですか」

 

 当然だと、信じて疑わないような口調だった。

 そんなロビンを、道化師は嘲り笑う。

 

「キミだって知ってるはずだ。ボクたちキャストは死なない。使い回せる命だって」

「それなら貴方は知っているはずです。私はそういう考えが嫌いだって」

 

 ロビンは、彼の横を通って、前へと出た。丁度ジャバウォックと対峙するような形だ。

 キャストとして呼び出された以上、他のキャストの知識も最低限は持っている。ロビン・シャーウッドはアタッカーの中でも、遠距離からの攻撃を得意とするキャストだ。ダブルショットなどのスキルもあるから近接が全く不得意という訳ではないが、ヴィラン戦においては、遠くからジャストショットを撃っていた方が効率も良いし安定性もある。

 本人だって、それは自覚しているはずだ。その状況で、こうして前に出る理由は、

 

「貴方が戦いたくないというなら、それで構いません。私が戦うところを見ていて下さい。その代わりに――」

 

 怪物に向けて矢じりを向けるそのシルエットは、どう見繕っても英雄のそれだった。

 例えば、物語の挿絵に居るような。例えば、子どもの夢の中に出てくるような。例えば、

 

「――何と言われようが、私は絶対に貴方を守ります。これは私の一番の信念、唯一する我儘です」

 

 

『ボク』が戻りたがった、人間のような。

 

 *

 

 その時、ボクは脳髄の裏に視線を感じた。ボクの頭の中から、今のボクをじっと見つめているものがあったんだ。

 

「キミは、」

 

 言葉を出す為に、笛から唇が離れる。呪いの音色がひたと止んだ。

 ボクを見つめる双眼は、小さくつぶらな瞳だった。黒々とした丸いのが二つ、茶色の毛皮を被ってそこに居る。ネズミを駆除するボクの演奏を、じっと見上げていたあの時と、一切変わらぬシルエットだった。

 

「……」

 

 

 映写機のフィルムが回るように、『彼』の脳裏を記憶が巡っていく。

 今にして思えば、つくづく人間らしいネズミだった。偶にパンクズをもらっていたとはいえ、無下に扱われて恐い思いをした経験の方が、余程多かっただろうに。それでもあのネズミは、笛の音色を聞く為に、小さな体の全てを差し出したのだ。ネズミとしての本能に反して、演奏を聞き続けたのだ。

 曲に合わせて踊らなくとも、曲に合わせて歌わなくとも、笛吹きの人間を見上げて鳴くだけで、十分普通のネズミとしての範疇は超えていた。彼という人間は、ネズミを殺してしまって尚、その事実に目を背けていた。殺す為に、見ないフリをしていた。今更過ぎて笑えない事実であった。

 無一文のファンを裏切って、王宮のお抱え音楽家になろうとしたようなものなのだ。彼の演奏に対するプライドは、そこまで小さなものではなかった。

 

 もはや、この人に笛は吹けなかった。

 

 彼は笛を抱くと、人混みを縫って駆け出した。洗脳が溶けかかってぼんやりしている人を押しのけて、偶に足を引っかけてすっ転んで、それでも走ることをやめなかった。逃げるように、ハーメルンの外を目指した。

 人が罪を犯す時の一番の障害は、知恵でも力でも運でもない。自らの行為を咎める、良心なのだ。

 

 *

 

 ――ジャバウォックの鉤爪が再び振り翳されるのを見たボクは、咄嗟にロビンの腕を引いた。二人纏めて木の裏に跳び込むと、「何を」と驚く声と顔を遮るように、叫ぶ。

 

「『さぁ、踊るがいい!』」

 

 続けて笛に息を吹きこめば、木の根元にぼぅと魔法陣が浮かびあがった。どうにか間に合ったようだ。鉤爪から伸びた衝撃波がこちら目掛けて飛んできたが、少し幹が軋むだけで、見事に盾としての役割を果たしてくれた。

 あらゆる物には、琴線に触れる音がある。ボクにはその音を見定める力があった――使ったのは、かなり久々だったけどね。

 

「マグス、貴方」

「キミの言葉を聞いて、少し気が変わったんだ。道化師だからね、気まぐれなのさ」

 

 ウインクしてみせると、ロビンは予想以上に嬉しそうな顔をしてみせた。

 いやはや、散々ワガママをやってきたボクに対して、よくこんな顔を出来るもんだ。恐れ入ったよ、ロビン・シャーウッドくん。キミは正真正銘の英雄だ。世間知らずで正義馬鹿だけど、間違いなく良いヤツだよ。……もちろん、口には出さないよ? クラウンっていうのは、サーカスの場を盛り上げる役職だからね! 空気は読めるさ!

 

 攻撃が通じなかったと見てか、ジャバウォックは大きく後ろに跳んで距離を取る。その隙に、二人揃って場所を移った。

 

「さてと、どうしたもんだろうね。ボクはほら、専ら兵士をどうこうするのが専門だから。出来るのはさっきみたいなことと、あとはちょっとした目くらましかな」

「それだけあれば十分ですよ」

 

 ちらり、視界の端に見えた横顔に、一切の迷いはない。本当に『出来る』と思っている人間の顔だ。……人間じゃなくて半人間と言った方がいいんだろうか? まぁいいか、どちらでも。

 

「私は図書館からの要請を受けて、あの個体を追いかけていたのです。元々、一人で狩れる相手という訳ですね」

 

 弓を構えながら、くすりと笑われてしまったら、これはもう協力するしかないだろう。

 靡いた金髪の隣に、並び立った。笛を、ボクの得物を手に、負けじと余裕綽々を口にした。

 

「それじゃあ……足並み揃えて行きますかぁ」

「ふふっ、賛成します」

 

 巨体が動く。ボクたち二人に向けて、跳ねるように駆けてくる。

 

「『お前達には愛想が尽きた……』」

「『悪に怒りを覚えればこそ、心静かに……』」

 

 振り回された凶腕が、丸い球体に弾き飛ばされる。魔力が、白抜きのアルファベット文字になって、球体状の結界の上を踊る。

 ワンダースキル。描かれたモノに描かれた、絶対の特権。一度発動させてしまえば、キャストだってヴィランだって、この魔法の構築は絶対に止められない。だって、そうだろう? 主人公がプロローグで死んで以降出てこなかったら、そいつは絶対主人公なんかじゃない。

 

「『全て奪い去ってやる!』」

「『そして力を、解き放つ!』」

 

 結界が割れると同時、体中に魔力が満ちているのを感じた。

 これなら、幾らでも、自由に、笛を吹いていられそうだ。

 

 唄口に、唇をつけた。

 

 ~♪

 

 *

 

【ハーメルンの笛吹き男の物語が初めて語られたのは、とある教会に設置されていた、一枚のステンドグラスでした。

 ステンドグラスは、その後壊されてしまいましたが、熱心な人々の手で再び修復されて、今も教会で光を放っていると言います。】

 

 *

 

「よし、完成だ」

 

 楽譜の五線譜に、最後のオタマジャクシを書き加えると、ボクは一人頷いてみた。

 ボクたちキャストの戦闘拠点となっているのは、巨大な図書館だ。ただただ数多の蔵書を備えるだけじゃなし、禁書の保管などもするここは、同時にキャストやテイルマスターたちの憩いの場でもある。

 

 今ボクが居るのは、そんな図書館の一角。これだけ書籍資料があれば、当然楽譜の取り扱いだってある。再生機器なんかなくったって、楽譜を見れば脳内再生なんか余裕だからね。安易に笛を吹いたり出来ないのは難点だけど――どこからともなく眼鏡の司書さんが湧いて出てくる――それを差し引いても、良い仕事場だ。

 何より、ボクの時代や土地にはなかった音楽にも出会える。うん、今のボクは充実していた。

 

 まじまじ、楽譜と見つめ合う。

 

「さて、後は曲名をつけなくちゃいけないんだけど……」

 

 これがまったく、ボクにとって最大の難関だった。結局、ボクはあの子に名前というものを付けなかった。ただのネズミ扱いしてたのもあるんだけど、何より、人間のモノサシであの子を計りたくなかったんだと思う。

 

「『ネズミたちの讃美歌』……は、スキル名そのままだしなぁ」

 

 そうして頭を悩ませていると、遠くの方から「マグス、そろそろ戦闘が始まりますよー!」なんて聞こえてくる。道化師ってのは公演時間を守るものだし、なにより友人の言葉にだんまりを決めるってのも、何となく気分が悪い。

 ボクは曲名のところに一単語だけ書き込んでおくと、近くにあった帽子を抱えて、声の方へ走っていった。

 

 ほら、彼らとあれこれしている内に、この曲のタイトルも、決まるかもしれないからね。

 

 

 

【maus】 完

 

 




①途中で出てくる男は、アナザーマグスかハーメルンヴィラン(西遊記勢の羅車相当)をイメージしています。
 本人もなんとなく親近感が湧くとか言っているのはその所為です。

②最初から最後まで彼の視点です。精神を人外離れさせたかった彼ですが、最後には人間に落ち着いた模様。
 序盤の時点で、自身を美青年と言い渋っているなど、ちょこちょこ三人称にしては可笑しい部分があります。

③最初は『砕けたステンドグラス』というタイトルにする予定でした。

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