【千】の名を継ぐ魔法使い   作:御伽草子

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02 【まだ、間に合う】

 

 

 

 アルギュレー・シルチス亜大陸侵攻。

 後に大分裂戦争と呼ばれるヘラス帝国とメセンブリーナ連合との戦いは、ヘラス帝国の侵攻から始まった。強力な魔法力を有する帝国の侵攻によってメセンブリーナ連合は陥落の危機に陥ることになる。そんな時にメセンブリーナ連合についたのがサウザンドマスターことナギ・スプリングフィールドが率いる紅き翼だった。わずか十名足らずの少数精鋭のメンバーながらその力はまさに一騎当千。戦術で戦略を覆すほどの力を有し、彼らの参戦によりヘラス帝国の戦線は傾くことになった。メセンブリーナ連合は勇躍、帝国領内へと攻め入ることになる。

 激化する二国間の戦いの中、その裏で蠢く陰謀があった。

 

『完全なる世界』

 

 戦争を裏から操っていた秘密結社。

 ナギ・スプリングフィールドと紅き翼はその存在にいち早く気づいており、帝国と連合を和解させることによって戦争を終結に導き、そしてその背後にいた完全なる世界を打ち倒し、この世界に平和を取り戻した。

 チノの持っていた絵本に描かれていたのは、その辺りの話を子供にも端的に分かりやすくおまけにファンシーに、そしていかにも英雄譚といった具合に勧善懲悪を誇張して描かれたものだった。

 確たる正義などないことは幼い頃から世界を放浪し幾多の戦場を潜り抜けてきたハルにとって骨身に染みて理解していた。各々の掲げる信念があり信じる正義がある。ゆずれないものだからこそ、時に衝突し、相対した敵を悪と断じて自らの正義を正当化しようとする。絶対的な正義などなければ絶対的な悪などない。ハル自身、時に矛盾を抱えながらも、それでも己の心のあるがままに戦場を駆け抜けてきた。勧善懲悪とは結局のところ、片側からの視点にすぎない。

 かといって。

 

「まあ、別にそういうのもいいと思うぜ?」

 

 絵本をぱらぱらとめくる。『あかきツバサ』という題名の、かつての大分裂戦争を題材にした絵本だ。出てくる悪人は黒い影がねじくれたようなおどろおどろしい怪物的な概観で描かれている。

 子供の道徳心の礎を築くためには何が悪いことかをはっきり教え込むことは大切だ。かつて世界を滅ぼそうと画策していた秘密結社『完全なる世界』は、子供の情操教育のために教え込む分かりやすい悪の存在として適している。それこそ親が子供に「悪いことをしたら闇の福音がやってくる」などと言って躾を促す、『闇の福音』のようにだ。

 

「ただな」

 

 ハルの絵本を握る手に力がこもる。力が入りすぎたために、絵本がわずかにたわむ。

 おっといけない…こいつはチノに借りたものだ。大切にしないといけない。

 

「何が気にいらねえかっつうとだな」

 

 悪がいるならそれを打ち破る者がいる。

 開いた絵本の中にもそんな正義の象徴がいた。

『完全なる世界』を擬人化した異形の怪物に御伽の世界の勇者のごとく間然と立ち向かう少年がいた。彼を形容する紅い髪に魔法使いの白いローブ。身の丈もあるほどの杖を持っている。

 ――子供がこうなりたいと願うような正義の味方。

 

「それが、あのっ」

 

 千の呪文の男ナギ・スプリングフィールド。英雄の代名詞にして……。

 

「人格破綻して性根がねじくれまくった底意地のわりいクソ親父が、その立ち居地にいるってことなんだよっ!」

 

 ハルの父親であった。

 

「あきらかにありゃ手本にしちゃいけないもんだろうが!」

 

 近くで見てきたからよく分かる。父、ナギ・スプリングフィールド。世間では偉大な魔法使いと呼ばれているが実際の父はそんな理知的な呼称などとは正反対の気質を持っていた。

 

 

 

 

 

 チノとミゴスに別れを告げ、ハルは一路旧世界への帰路に着こうとしていた。目指す目的地はイギリスはウェールズ。ハルの故郷である。

 ここ魔法世界から旧世界に行くには世界に数箇所しかないゲートを通らねばならない。ウェールズと繋がるゲートは北の連合国の首都メガロメセンブリアにある。ハルが今現在いるアルギュレー大平原からメガロメセンブリアにはおよそ四千キロ。次のゲートの開門時刻に間に合うには特急便に乗らねばならないため、ハルは近場にあるスカイポートにやって来ていた。ここ魔法世界での主な移動手段は空飛ぶ船による移動が一般的だ。

 スカイポートには人間はもちろん獣人などの亜人や妖精や魔族といった様々な人種によって相応の賑わいを見せている。その服装も魔法使いのローブ姿のものもいれば、砂塵から身をマントを羽織ったものや皮で編まれた鎧を纏った冒険者然とした者もいる。

 ハルはスカイポートの待合所で足を組んで座っていた。その指はチノから預けられた絵本をめくっている。

 

『また絶対に会いにきてね……約束だよ?』

 

 そう言って自分の大切にしていた絵本をハルに貸して、次に会うときに返すという約束を交わしたのだった。

 

 ――我ながらわずか一日でよくもそれだけ懐かれたものだと思う。

 

 うれしくもあるが、自分みたいな根無し草のような生き方に憧れるのは頂けない。チノが将来旅に出たいとか言い出した場合どうしたものか。チノの父であるミゴスにはもしかしたら悪いことをしたかもしれない。

 

「おい聞いたか?」

「ああ、噂じゃ『完全なる世界』の残党だってな」

 

 ハルの後ろで男たちの話し声が聞こえた。完全なる世界というワードに反応したハルが男たちの話し声に耳を澄ませる。かつて世界を滅ぼそうとした彼の組織。

 

「あのテロリストどもが何の目的であんな小さい村を襲ったんだ?」

 

 村?

 ハルの脳裏に嫌な予感がよぎった。

 

「……なあ、ちょっと話を聞かせちゃくれねえか」

 

 身を乗り出して話に割り込んできたハルに男達は怪訝な顔をしたが、質問には答えてくれた。

 彼らは交易を生業とする商人らしい。物品の相場とはその時々の情勢によって刻一刻と変化するため、情報の収集は彼らにとっての生命線といえる。小売店は街の人々の生活に根付いており、人々の何気ない雑談から得られる情報はことのほか大きな意味を持つものである。小売店に商品を下ろす交易人たちはそんな情報を集め、利益となる情報を抽出して行動の指針の一つとする。得られる情報を統括する商人達の情報網と伝達速度は時に国の情報機関をも上回る。

 そんな商人達がいち早く察知した情報。

 完全なる世界の残党が襲撃したという村。

 

 ――そこは、チノが住む村だった。

 

 

 

 

 

 夕焼けの中に煙が燻っていた。

 鼻につく木々が焼け焦げた匂い。焦土と化した草原に、見るも無残に倒壊した建物。村はすでに賊によって荒らされた後だった。

 

 

 急いで村に戻ってきたハルだったが全てが遅きに逸していた。

 

 

 いやまだ遅くは無い。

 ハルの拳に力がこもる。その瞳は地面に刻まれた数台分の馬車の轍の続く先を睨み据えるていた。

 村人は誰もいない。血の跡もない。人死にはないようだ。

 となると高いのは連れ去られた可能性が高い。奴隷にでもするつもりか。否、そこは問題ではないし、興味も無い。連れ去った連中がどんなやつらでどんな主義主張を持っているかも一切合財関係ない。

 生きている。

 村人も、ミゴスもチノも、生きている可能性が高い。

 

 ならば自分のすることは決まっている。

 

 ――それはまさに暴風だった。

 ハルを中心に風の奔流が吹き荒れた。

 木々をなぎ倒すのではないかと思えるほどの圧倒的な魔力。普通の魔法使いがそばにいたなら腰を抜かしていただろう。驚嘆すべき、常識はずれの圧倒的な魔力の波動。

 

「……待ってな」

 

 地面が、そして大気が爆ぜた。

 魔力の色濃い残滓を残し、ハルはその場から弾丸のごとく飛び出していった。

 

 

 

 

 

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