そこは広大な森を見下ろす崖の中腹にある洞窟の中。
「ぐばっ!?」
ひげづらの男の体は殴られた勢いで壁際まで吹き飛ばされた。ダンプカーにはねられたかのような猛烈な突進力を伴った一撃は、黒装束の一団のリーダー格の男によって放たれた拳だった。それは桁外れの膂力であり、魔力による身体強化の恩恵でもある。
「が、ふ……ぅ……だ、団長」
ひげ面の男は地面に倒れ伏したまま、団長を見上げた。
団長は妙齢の男性だった。ゆったりとしたローブで全身を覆っているため体格は分からないが、布の合間から覗く太い首や広い肩幅、地面に根付いた大樹のようなどっしりとした重心に2メートルを超える長身も相俟って只ならぬ威圧感がある。黒い衣を羽織った姿はまるで幽鬼のようでもある。
「なにを考えている……誰がお前の勝手を許した?」
団長は淡々と罪過を問い詰める。ひげ面の男は気押され震える声で慎重に言葉を選ぶ。
「だ、だけどよ団長、人質なんかより村人全員奴隷市に売っぱらっちまったほうが良い金になるぜ?」
ひげ面の男はそう言って、自らが仲間に秘密で村人全員を押し込めた牢屋から連れ出した少女――チノを顎で促した・
チノは「ひ」と短い悲鳴を上げて身をよじった。両手両足に枷をはめられているため身動きもままならない。生まれ育った村で優しい村人に囲まれて過ごしてきたチノにとって今の状況は未知の恐怖だった。自分の周囲を囲む大人たちは五人ほど。しかしその誰もが自分の味方ではない。こちらを見つめる瞳はまるでガラス玉のよう。慈しみも哀れみもない、侮蔑も嘲笑もない。ただ空虚に、そして無感動に自分を見ている。
チノは怖かった。怖くてたまらなかった。物を見つめるかのような視線を浴びるのが怖くてしょうがない。この人たちはたとえ泣こうがわめこうが自分を人として見てくれないというのが直感的にわかってしまった。
団長は重々しい口調は告げる。
「金などと下賎なことを……この者たちは我らが組織の復活の贄となってもらう」
――うまくいきっこねえだろ!
ひげ面の男は内心で毒づいた。こいつらは狂っている、嘲笑の入り混じった感情を抱いていた。
ひげ面の男はこの黒装束の一団に雇われている傭兵の一人だった。この一団の名前は知らない。目的を遂げて金を貰えばそこまでの関係だ。どんな思想があろうが関係のない話だ。金遣いが荒くその日暮が信条の男にとっては金払いが良いか悪いかが全てだった。
しかし計画を聞いて仰天した。
うまくいきっこない。
なんでもその組織のメンバーがメガロメセンブリアに投獄されているらしく、今しがたさらってきた村の住民の釈放を盾にしてメンバーの解放をメガロに訴えるらしい。
ばかばかしい、と断じてしまえばそこまでだ。
そんなずさんな計画が成功するはずがない。メガロが要求を呑むかも分からない。裁定の天秤が村人の命に傾く保障などどこにもない。よしんばメンバーの解放がうまくいったとしてもその後の逃走手段はどうする。
しかし彼らには考えがあるらしい。たとえメガロメセンブリアの軍を相手取っても勝算があると嘯いていた。そんな馬鹿なと一笑に付すのは簡単だが、そう言い切れない。この洞窟を中心としてこの奥深い森に展開される黒装束の部隊の錬度や罠の配置はあまりに実戦的に過ぎた。
もしかしたらメンバーの解放という計画は成功するかもしれない。
しかし傭兵として雇われている自分たちに計画後の保障はないのだ。成功しても運が悪ければメガロのお尋ね者。計画が失敗に終わった場合、傭兵だろうが計画に加担した者をメガロが許すはずもなく、よくて投獄、最悪死罪もありうる。
冗談じゃない!
分が悪すぎる。こんな計画に付き合っていられるか。
ひげ面の男はここまで働いたことへの給金代わりに、浚った村人の中から一番高く売れそうな少女を選び出して、暗闇に乗じて連れ出そうとした。しかしあえなく失敗。捕まって団長と呼ばれているリーダー格の男の前に引っ立てられてしまった。
この団長と呼ばれる男が只者でないことを男は直感的に理解していた。傭兵というのは鼻が利かなければ生き残れない仕事だ。傭兵としての感が告げる。自分はこの男には勝てないと。
「契約を反故にした罪は重い。貴様も魔法使いの端くれなら払うべき代償は理解しているな?」
団長は男にそう通告した。
殺される……っ。
剣呑な気配が濃厚な殺意へと変わった。殺されないまでも狂信者は自らの目的は崇高なものだと信じている。自らの尊い意思を汚そうとした自分を許すはずがなかった。
実力で勝てないのは理解していた。
……逃げねば!
男は無詠唱の魔法を放った。
魔法の射手(サギタ・マギカ)・砂の十一矢
自身の周囲に待機状態で魔法の射手を展開させる。球状に留まった砂の矢は渦を巻きいつでも放てる状態だ。団長はその砂の矢をややあきれた視線で見つめる。
「くだらん……そんな初等魔法が私に通じるものか」
「そうだろうな……だから」
男は近くにいたチノを腕をつかんで団長めがけて放り投げた。
「きゃあああああああああああ――――っ!」
「ふむ……っ」
団長はチノを受け止めた。しかしそこに隙ができた。
「くらいやがれ!」
男は砂の矢を放つ。しかしそれは団長を狙ったものではなかった。狙うは足元。
ショットシェルのように細かな砂利となった砂の矢は地面をえぐり、粉塵を発生させた。さえぎられる視界。その隙に、瞬動術を用た高速移動で団長の横を疾風のように通り抜け、洞窟の外へと逃げようとする。だが。
バシィ! と閃光が走った。
「があああっ!」
洞窟を出ようとした男を捕らえたのは、設置型の魔法地雷だった。男が洞窟の出入り口まであと数メートルまで近づいた瞬間、青白い火花が散り男の体を蜘蛛の糸ようにその場に絡め取られた。
「あ……あぁ……」
チノはその光景をみて顔を青ざめていた。
目も眩むような紫電の中で男が狂ったように踊っていた。服は焼け、肌が焦げている。まだ幼く平穏な村の中で暮らしてきたチノにとってそれはまさに悪夢のごとき情景だった。自分を抱きとめている団長と呼ばれる男が、自分たちの村を襲撃した元凶だと知りながらも、すがりつくように服をつかむことをやめられなかった。
やがて雷撃はやんだ。
「ぐ……お、おお」
雷撃にさらされた傭兵の男はふらふらとした足取りだった。致命傷とまではいかないが、雷による内臓の熱傷と心臓への負担によってすでに倒れる寸前だった。
団長がパチンと指を鳴らした。
すると洞窟の入り口近くの岩が持ち上がった。一つ二つではない。いくつもの岩が積み重なり、岩で形作られた人型の巨人が現れた。洞窟の左右に二体。まるで門番のように屹立している。ゴーレムクリエイトと呼ばれる魔法の一種だ。
「く、くそおおお――――っ!」
傭兵の男は遮二無二になってゴーレムに向かって砂の矢を放つ。魔力を帯びた砂や砂利は、鋼鉄にすら穴を穿つほどの破壊力と貫通力を誇る。ただの岩ならそれこそバターのように斫ることができる。そう、ただの岩なら、だ。
……まるで利いてねえ!?
男の放った砂の矢はゴーレムの体に直撃した。弾ける砂の矢。しかしゴーレムの体の表面をわずかに削り取っただけだった。ゴーレムの体を形作る岩もまた魔力によって強化されていた。傭兵の男の放った魔法の矢より、ゴーレムの体を鎧のように覆う魔力による強化率のほうが高かったのだ。これは単純に術者同士の魔力量の差によるものだった。
団長はつまらなさそうに、ふんと鼻を鳴らした。
「……やれ」
指を振ると、ゴーレムはタクトに操られる奏者のように傭兵の男をその指で摘み上げた。傭兵の男は二メートルを超える大柄な体だったが、ゴーレムの巨体に対してみれば子猫のような縮尺だった。ゴーレムはまるで飲み終わった空き缶でも放り投げるかのように傭兵の男を洞窟の外へと放り投げた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!」
洞窟の外は崖になっている。数十メートルはあろうかいう高さだ。
男の悲鳴は宵闇にまぎれて消えた。
「どうもお騒がせしましたねお嬢さん」
団長はチノに向かって優しく微笑みかけた。一人の人間の命を奪ったばかりだというのに女性を気遣う紳士的な態度。そのことにチノは言葉にできない恐ろしさを覚えた。
「……な、なんで」
震えながら紡ぎだした言葉を団長は不思議そうに問い返した。
「なんで、とはひょっとしてあの男のことですか? あの男が死のうがどうなろうが貴方には関係ないのではありませんか?」
「だ、だってこんなのおかしいよっ!」
「ふふ……まあ所詮は人形の戯言ですね。聞き入れるつもりは毛頭無いので黙っていたほうがいいですよ?」
人形とはどういう意味か、そう尋ねようとしたチノだったができなかった。
「さて、まあせっかくここまでご足労いただいたので、貴方には人質代表としてやってもらうことがあります」
団長の氷のような冷たい視線にさらされたチノは「ひ」と短い悲鳴を上げて腰を抜かした。団長の手がチノの腕を掴んだ。その時だ。
『だ、団長!?』
突然頭になり響いた声に団長は顔をしかめた。
念話と呼ばれるテレパシーの一種だ。その声は部下のものだった。
『大変です、襲撃です!』
襲撃? もう追っ手がかかったというのか。おそらく国境の警備隊辺りが騒ぎを聞きつけてきたといったところだ。
『あわてるな。森に布陣した全部隊に通達して襲撃者の情報を集める。人数、武装、どこの部隊か、できるだけ詳細に情報を集め、可能なら即時応戦、殲滅に追い込め』
『そ、それが、襲撃者はたった一人です!』
『一人だと? 貴様は無能か、それならば報告にあげる前にさっさと駆逐しろ』
団長は妙に思った。この部下の慌て様は只ならぬものである。相手はたった一人。たとえ高位の魔法使いが相手とて所詮数で囲めばどうということはない。しかも森はこちら陣地、なにをあせる必要があるのか。
『し、しかし……っ』
次に発せられた部下の言葉に団長は目を剥いた。
『すでに第三部隊と第五から第七部隊も壊滅した模様! 敵は一気呵成で本陣へと進撃してます!』
『な……、どういうことだ!?』
『わ、分かりません! 壊滅した部隊も報告を上げる暇さえなく無力化されたため、報告が遅れてしまいました……ひっ!?』
突然念話が途切れた。次の瞬間森の向こうから、小さな爆音が響いた。先ほどまで傭兵を相手取っていた騒ぎで気づくことはなかったが、爆音は間断なく続いている。
「どうした!? 応答を……くっ」
団長は洞窟の外へと出た。
闇に沈んだ森の奥で、ちかちかと赤い光が弾けていた。
遠くで上がった爆発。間隙をおかず二度目の爆発が上がる。三度目、四度目。爆発の上がった場所は全て部隊を設置している拠点をピンポイントで狙っていた。爆発は徐々に近づいてくる。最後に。爆破されていないのはここ本拠地だけとなった。
「これは……」
次の瞬間。
――光が迸った。
二条の光が団長の左右を残光を描き通り過ぎた。身じろぎ一つ……反応すらできないほどの速度。
「……っ!?」
一瞬遅れて大気が震えた。音速をゆうに超えた一撃が通り過ぎた衝撃波によって団長の体は地面に擦り後を残しながら後退した。体中がびりびりと痺れた。
「…………なにっ」
とっさに顔を腕で覆っていた団長が顔を上げると、洞窟の左右に門番として配置していたゴーレムがその二条の光に……槍の形をした雷――雷の形をした槍に貫かれていた。ぐらりとゴーレムの体が倒れこむ。
バシィっ!!
雷が弾けた。岩をも砕くような激しい雷撃によって内部から破壊されたゴーレムはただの土くれへと回帰した。
「いったい」
何が起こっっている!?
そうつぶやこうとして。
できなかった。目の前に。
拳が。
「がはぁっ!?」
風のごとく――否、そんな生易しいものではない。まさに砲弾のごとく森の奥から突っ込んできた人影。その突進力をのせて突き出された拳は団長の顔にめり込み、その体は十数メートル離れた岸壁に叩きつけられた。
「あ……」
チノはその人影に覚えがあった。
拳を振りぬいた体制のまま、洞窟を照らすかがり火に白いローブが宙を踊った。赤い髪。
「ハルっ!」
そう、それはハルだった。
「よ、チノ。待たせたな」
平時と変わらぬ気楽な様子で片手を挙げて歩いてくるハル。
「だめっ!」
近づこうとしたハルをチノが静止した。
次の瞬間。団長が設置していた罠が発動する。先ほど傭兵の男を絡め取った設置型の魔法地雷と同じものだ。
「お?」
雷撃がハルを包むこむ。
しかし次の瞬間、魔法が内側から弾けた。
ハルは無傷だった。ローブの裾はわずかに焦げているだけだ。
「あーあ、メガネ壊れちまったよ」
それは目は悪くないといっていたハルがなぜかつけていたメガネだった。
「認識阻害魔法がかかった特製のメガネ……これ結構高いんだぜ?」
「き、貴様は」
団長はふらつく体を叱咤して起き上がる。認識阻害だと、なぜそんなことを。その疑問はハルの顔を見た瞬間氷解した。その顔をよく知っている。気づかなかった。認識阻害をしていたのだから当然だが。いや、待て。なぜここにお前がいる。よりにもよって……なぜ。
「なぜ……お前がっ」
驚嘆し後ずさる団長。
「まさか」
魔法世界において、彼を知らないもののほうが少ないだろう。
「スプリングフィールド……っ」
「え?」
団長がつぶやいた言葉の意味に、チノも気づいた。驚きハルの顔を見遣る。そうだ、前に雑誌で見たことがあった。スプリングフィールド。その名はここ魔法世界において特別な意味を持つ。
団長は悲鳴にも似た叫び声をあげた。
「なぜお前がここにいる……っ、サウザンドマスタぁ――っ!」
『千の呪文の男(サウザンドマスター)』
大戦の英雄にして最強の魔法使いと謳われたナギ・スプリングーフィールドを称える称号。
その二つ名を継承する少年。
「決まってんだろ」
――二代目千の呪文の男(サウザンドマスター)ハル・スプリングフィールド。
「盗られたもん奪り返しにきたぜ」
彼は大胆にも笑みすら浮かべて、そう告げた。