「た、助けて有咲ちゃん!」
ライブハウスに入った私たちを迎えたのは、聞き覚えのある名前を呼ぶ少女の悲鳴だった。
「あら? なんだか騒がしいわね……もう始まってるのかしら?」
「あれ? いまの声って」
歓声かなにかと勘違いしているこころと、首を傾げているはぐみ。聞こえてきた声の持ち主が持ち主なだけあって、はぐみにも心当たりがあるのだろう。この中でいえば、彼女が一番交流を持っているわけだし。
大きな声であったにも関わらず、声音は震えていて。気弱さを感じるというか、なんというか。むしろ、あそこまで大きな声を出している方が意外というか。
最近は私も、色々な人との交流が増えたけれど。そんな印象を持つような知り合いは、彼女くらいのものだと思う。
ある程度の確信を持ちながら、声の発生源の方向へと顔を向ける。私の動きにつられたのか、視界の端でこころたちも首を動かしている。
それで、まぁ、なんというか。予想通りというか、今さら聞き間違えるようなこともないから、当たり前といったら当たり前なんだけど。そこにいたのは、頭の中に思い浮かべた人物そのひとで。
戸山さんと市ヶ谷さん、それとギターケースを背負った見知らぬ女の子が。周囲の視線も気にすることなく、言い争いをしていた。
「うわっ、ちょ、香澄!? き、急にくっつくんじゃねー!! っておい、服を引っ張るな!」
「え、え? な、なんで花園さんがいるの!?」
「え? なんでって……うーん…………ライブを見にきたから?」
「そ、そうじゃなくて! …………あ、えっと、花園さんはそうなのかもしれないけど!」
「…………?」
「あ、あの、えっと、だから……うぅ、あ、有咲ちゃん……」
「なんで有咲の名前を呼んだの?」
「え、だって……そ、それは…………」
「それは?」
「あーーー!! お前ら! とりあえず私を挟んで会話するのやめろ!! ほら! 離れろ! お前もだよ香澄!」
言い争い……あれは本当に言い争いなのだろうか。いや、本当に何をやっているんだろう。
側から見ててびっくりしてしまうくらい、会話が成り立っていなかったというか。そもそも戸山さんは市ヶ谷さんを盾代わりにしていたにも関わらず、その市ヶ谷さんの話を全く聞いてなかったというか。
というか、戸山さんがあそこまで周囲を気にせず声を出しているのは本当に珍しい。それだけ、“ハナゾノサン”と呼ばれる少女に思うところでもあるのだろうか。
いや、ただ余裕がないだけなのかもしれないけど。
「美咲、香澄と有咲がいるわ! あたし、ちょっとお話してくるわね!」
「あ、はぐみも! はぐみも香澄ちゃんとお話する!」
戸山さんたちの間に漂う、剣呑だかそうでないのか判断のつかない雰囲気に気がついていないのだろうか。私が制止する余裕もないほどの素早さで、二人は戸山さんの方へと走りだした。
あっ、と思った時にはもう遅く。開きかけの口からは掠れた吐息が溢れ、伸ばしかけた腕は力なく空を切った。
☆ ☆ ☆
「えっと、つまり話を整理すると」
「うん」
「花園さんが戸山さんと遭遇したのは全くの偶然で、戸山さんがお手洗いから出てきたタイミングで顔を付き合わせたのも狙ったわけじゃなかったってことでいい?」
「そうだよ?」
心底不思議そうな表情で肯定を返してくる少女からは、嘘をついている気配を感じない。むしろ、何も考えていないようにすら感じられる。
本心を計りかねるというか、随分と独特な気配を持っていると思う。長く伸ばした黒髪と、整った顔立ち。それだけを見るならば、規範的な学生のような印象を受けるけれど。どこかボーっとしているみたいな、要領の得ない受け答えがそれを否定している。
いや、悪い人じゃないんだろうけど。
「で、普段から花園さんにバンドに誘われていた…………というより、売り込みをされていた戸山さんは、花園さんが急に目の前に現れたことにビックリして、市ヶ谷さんに助けを求めたと」
「う、うん」
一度落ち着いたことで、自分がどれだけ目立つことをしていたのか自覚したのだろう。恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、戸山さんは控えめに首を縦に振る。
周囲の視線が気になるのか、様子を伺うようにあちこちへと目を向けている。時間が経ったことでそれなりに注目は散ったけれど、こちらを見ている人の数はゼロではない。
そのうちの誰かと目があったのか、戸山さんは肩身が狭そうに体を縮こませる。少しかわいそうだけど、これだけの人々の前で目立つような行動をしてしまったのだから、仕方がない。
私が庇うまでもなく、この場の人々の視線の多くは薫さんへと向かっているわけだから。彼女にお願いして、少し離れたところでファンの子達の対応をしてもらっている以上、実際には、それほど注目されているわけではないんだろうけど。
まぁ、人の視線というものは。一度気になりだしたら、なかなか忘れることができないわけだし。
『香澄! ……どうしたの? 全然笑顔じゃないわ』
『ひゃっ、つ、弦巻さん!?』
『あー! 香澄ちゃんをいじめちゃダメだよ!』
『…………? 香澄、虐められてるの?』
…………こころとはぐみが引っ掻き回した状況をなんとかしようと、とりあえず纏め役を引き受けたはいいものの。落とし所というか、話のゴール地点が見えてこない以上はどうしようもないというか。そもそもが花園さんと戸山さんの問題だから、口を挟むのも憚られる。
とりあえずこころとはぐみは花音さんに任せたけれど、だからといってこの状況が纏まったかというとそんなことはないわけで。
どうしたものかと、頭を悩ませている私の前を遮って。意外にも、戸山さんの方から花園さんへ話しかけた。
「あの、花園さん……その、勘違いしてごめんなさい」
「ううん、びっくりさせちゃってごめん。それと、たえでいいよ?」
「えっ…………じゃあ、たえ、さん?」
「さん付けしなくていいよ?」
「え、えぇ?」
和解、といっていいのだろうか。そもそも喧嘩していたわけじゃなくて、戸山さんが花園さんに苦手意識を持っていただけみたいだから。和解というのが表現として適切かどうかは分からないけど。
まだ少しぎこちないけれど、仲良く? 会話を始めた二人からそっと離れて、少し遠くから見守っていた市ヶ谷さんの方へと向かう。
「市ヶ谷さん、来てくれたんだね」
「あぁ……まぁ、香澄も一緒だしな。ほら、今も目が離せないだろ」
市ヶ谷さんが首の動きで示した先では、花園さんに両手を握られて慌てている戸山さんの姿があって。それは見方によっては、花園さんが戸山さんに迫っているようにすら見える。
市ヶ谷さんの方へと視線を戻せば、彼女はなんともいえない表情をしていて。彼女のこの複雑な感情を、どう言葉で表現すればいいのか分からない。
安心しているようにも見えるし、不安を抱いているようにも思える。嫉妬や独占欲とも違う苛立ちに混ざった、まぎれもない安堵の念。彼女は戸山さんと花園さんに、どうしてほしかったのだろうか。
私とこころの関係と、市ヶ谷さんと戸山さんの関係は少し似ている。相手を大切に思っているところ、お互いの存在が閉じた世界から抜け出すための最初の一歩になったところ、交友関係が広がって二人きりの時間が減ったところ。
そして、バンドという新しい居場所を作り出そうとしているところ。
時間の流れというのは、否応無しに人や環境を変えてしまう。そして人というものは、その変化をどんな風に捉えていたとしたも、結果的に順応していくもの。
私が戸山さんと市ヶ谷さんに出会って影響を受けたように、二人も色々な出会いを経験して、影響を受けているのだろう。
あの雨の日にSPACEで見た心の形と、今の彼女達のそれは明らかに変化している。
それも、私の勘違いでなければ。好ましい方へ、前へと向かっている。
だからこそ、私は知りたいと思う。戸山さんの交流が広がって、二人きりの世界から飛び出した彼女が。今の戸山さんを見て、何を思っているのか。大切な人に新しい出会いが生まれている現状を、どう思っているのか。
それを知ることができれば、きっと私はもっと深く人の感情を理解できるはずだから。そうすればこの胸の内に抱える感情にも、もっと誠実に向き合うことができるだろう。
瞳が熱くなっていくのを感じる。心の中身を知りたいと思った、あの日のように。
「花園さんってどんな人なの? 戸山さん、なんかちょっと怯えてたけど」
「…………なんつうか、悪いやつじゃないんだけどさ────」
そう前置きをしたのは、自分の気持ちに整理をつけるためなのか。それとも、偏見なしに判断してほしいと思っているからなのか。
市ヶ谷さんが語ったことは、それほど多くない。彼女自身、まだ花園さんがどんな人間なのかを把握しきれていないのだろう。当たり前だ、長い年月を共に過ごした相手のことでさえ、人は半分も理解できないのだから。
まして、私のような力を持たないただの人である彼女が。付き合いの短い相手のことを詳しく知っているとは思わない。
むしろ、分からないからこそ。知らないからこそ、知りたいと思う。側にいて、触れ合って、理解したいと思う。
私がそうであるように、人々がそうであるように。彼女もまた、そう考えている。
瞳が熱い。
☆ ☆ ☆
花園たえという少女のことを、市ヶ谷さんは疎ましく思ってはいない。どちらかといえば、応援したいとすら感じている。
それは花園さんがどうこう、というわけではなく。どちらかといえば、その情熱の矛先が戸山さんであるということが理由であるらしい。
「香澄だけじゃなくて、私とか、あとりみにも言えることなんだけどさ…………バンドをやろうっていう気持ちはあるけど、ライブをやりたいって気持ちはほとんどないんだよ」
そう語っている時の市ヶ谷さんは、ちょっとだけ罪悪感を覚えているようだった。瞳の奥に感じる熱量が、蝋燭の火のように揺らめく。自分が不甲斐なくて仕方がない、そんな感じだ。
「いや、あんま勘違いしないでほしいんだけどさ。バンドやってる時間はすげー楽しいんだよ。香澄のやつも笑ってるし、音が綺麗に重なった時とか、ほんとに楽しい…………だけど、そこで満足しちゃうっていうかさ。私たちにとっては、あの場所で一緒に居られるってことが大切だから────」
だから、人前で演奏する必要はない。むしろ、誰かに見られない方がいい。彼女たちの間で出た結論は、そういうものだったらしい。
そこまで聞いて、不思議に思った。
少なくとも、あの日SPACEのステージに立った彼女たちの姿は輝いていて、心底楽しんでいるように見えた。
全てが終わった後に、腕前を褒められて顔を赤くしていた戸山さんは満更でもなさそうというか、心のそこから喜んでいるのが分かったから。
「あぁ……だから、なんだ、分からないんだよ。香澄が本当はどう思っているのか分からないから、私からは何も言えないんだ。もしもまたライブに出たいって思っているなら、そりゃ手を貸すさ。でも……それはアイツから言い出さなきゃ意味ないっていうか、さ…………私が『それでいいのか?』って聞いたら、アイツは自分の意思を曲げてでも『やりたい』って言うかもしれない」
それってなんか、違うだろ? そう口にした市ヶ谷さんの感情に触れて、思わず震えそうになった。
様々な形を重ね合わせた、形容しがたい気持ちの先。エゴに覆われつつも輝くその意思は、感情は、紛れもなく戸山さんのことを想っているからこそ産まれるもので。
多分、いや、間違いなく。私はこれが見たかったんだと思う。戸山さんと市ヶ谷さんのことが気になってしまうのも、相手を想う気持ちが輝いて見えたからだ。
やっぱり、市ヶ谷さんを誘って正解だった。
「花園は……SPACEでの香澄の姿を見て、何かを感じたらしいんだよ。私たちとバンドを組んで、SPACEでライブがしたいんだって。ちょっとばかり我が強いというか、マイペースというか、よくわかんねぇ奴だけどさ…………憎めないんだよな。そこは多分、香澄も同じなんだと思う…………いや、まぁ、情熱的というか、押しが強いから、香澄とは少し相性悪いのかもしれないけど」
市ヶ谷さんの言葉が聞こえているのに、頭の中に入ってこない。私の鼓膜が透明になってしまったみたいで…………それどころか、世界から弾き出されたようにすら感じてしまう。
それくらい、彼女の感情は私の心に熱を与えたから。
「だから……なんだ、勿論無茶をさせるつもりはないんだけどさ。どんなキッカケであれ、香澄を引っ張ってくれるんだったら、本当の気持ちを引き出してくれるんだったら…………私は────」
瞳が、熱く、燃える。