竜守ノ君   作:浜西幻想

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四十五話 宣告

「うわぁぁぁ?!?!?!」

 

 無音の激流に体を翻弄され続け、光が終わると重力がリュウモを襲った。

 視界が上下に何度も反転する。どちらが地面なのかわからない。

 一秒と経たない間に気分が悪くなり、吐き気が込みあげてくる。地上が近づくにつれ、もうどうにでもなってしまえとリュウモが投げやりになりかける。

 体に衝撃は、確かにあった。だが小さい。回転の勢いを考慮すれば痛みは強いはずだったが、段差に躓いて膝を擦ったようなものだった。

 

「意外と、重いな」

 

 誰かに抱きかかえられている。かんっと、硬い音が鳴る。下になにか落ちたようだ。

 

「あ、ありがとうござい」

 

 唇が止まる。見あげた先に、緑色の瞳があった。故郷の〈竜域〉にあった巨大な樹の葉に似た色。

 

「〈()()〉……じゃあ、やっぱり貴方の祖先は!」

 

 口が手で塞がれた。大声ではその先を言ってはならないと、帝の手には力がこもっていた。

 降ろされ、リュウモは再び帝を見あげる。彼の肩の近くで符が浮いて光っている。

 

(この人が、帝……)

 

 日に当たったことがないような白い肌。今にも倒れてしまいそうな色だ。

 異様であり、しかし、帝と呼ばれ敬われる男の顔は、素朴だった。

 肌の色が普通であるなら、畑仕事に混じるとおそらく誰も気づかない。

 人を殺せと命令する冷血漢には、リュウモは感じない。

 

「皆、ぼくらの素顔を目にすると、きみのような表情をする。やっぱり、らしくないよね、この顔は」

 

 親しい隣人に話しかけるような気軽さであった。戸惑いを隠せず、リュウモは反応に困る。

 

「他の者が来るまで、きみと二人だけで話したかった。――――ああ、困ったな、いざとなると、なにから

話したものだろうか。言葉が、上手く出てこない」

 

 初めて『竜』を目にした人のようにそわそわしている。目線が泳ぎ、動きがぎこちない。本当に、本物なのかリュウモには疑わしくなってきた。

 リュウモの目に懐疑の心が出始めると、帝は慌てて喋り始める。

 

「誤解を解いておきたい。ぼくはきみを亡き者にするつもりはない。初代帝の言葉に従い、きみを助ける」

 

 帝が腰を低くして、リュウモと目線を合わせる。

 

「きみの祖先が、初代を助けたように」

「じゃあ、帝の、初代は村に災いを運んで来てしまった人だったんですね」

 

 〈竜域〉の外へ出なかった〈竜守ノ民〉の存在を、当時は誰も知らなかった。

 争いは無縁であり、また関わる必要もなかったのである。

 戦いがいかなる理由で行われたのであれ、人の世に生きていなかった〈竜守ノ民〉は巻き込まれるだけの因果もなかった。

 しかし、平和は、ひとりの少年を助けたことから狂い出し、崩れ落ちる。

 

「倒れてた〈緑眼〉の人を助けたとき、追手を叩きのめしたら物凄い数を引き連れて侵攻して来たって、伝えられています」

「ぼくもその出来事は知っている。戦いにはなったが、きみ達の圧勝だったと。……聞いていいかな、どうして相手の要求を一部飲んで、外へ出ることを了承したんだい? 突っぱねることもできただろうに」

「人が沢山やって来て、『竜』が怒ったからだって聞いています。襲って来た人達も、わざとらしく『竜』を刺激していたみたいです」

「そうか……なるほど、それだけ『竜』を操る術が欲しかったか。味方の命を無為に消費するほどに」

 

 帝の、宝石のように美しい〈緑眼〉に、赤い怒りの火が灯った。それもすぐに鎮火する。

 

「しかし、災いを運んだ、か。血を引く者として、耳が痛い。的確すぎて反論の余地もない」

「あ、その、言い方がそうなだけで、本当に嫌っていたわけじゃ、ないと思います」

 

 変なことになった。屋敷から出て皇都に戻ってくる羽目になり、自分を殺せと命じた人間の先祖を擁護している。

 

(でも、言い伝えの通りなら、この人のご先祖様はなんにも悪くないし)

 

 戦いによって氏族の最後のひとりとなってしまった初代帝を憐れんで助けても、逆に助けなくとも、追手に村が発見されていた可能性は高い。神代に、〈竜守ノ民〉は決断を迫られたのだ。

 結果が間違っていたと――断ずる傲慢なことを口にするつもりは、リュウモにはない。

 彼らになにか言う権利があるとするなら、神代に生きていた人間だけだろう。

 

「貴方が、どうこうと胸を痛めなくても、いいんだと、思います」

「そっか……そう言ってくれると、ぼくとしても心が安らぐ」

 

 凝り固まっていた筋肉がほぐれるように、帝は肩の力を抜いて脱力する。

 リュウモは、自分の想像とかけ離れた、人間臭い帝に当惑する。誰からも敬われる人間が、どこにでもいる人々と同じような反応をしているのだ。面食らわない方がどうかしている。

 

「おれを、殺すように命令したのは、なんでだったんですか」

 

 リュウモは一番解決したい疑問を聞く。殺されると言われたから必死で逃げ回ったのだ。これで理由までわからなかったら、骨折り損もいいところだ。

 ――何回か、本気で骨も折れかけたし……。

 

「きみを、亡き者にしたかったからだ」

「は、え、ええ……?」

 

 また難しそうな話が幕を開けそうな気配を、リュウモは察知した。伊達に外へ出てから、国中を走り回っていない。

 

「難しい話じゃないから安心してくれ。きみは死んだ人間を追おうとするかな」

「死んでるから、追えるわけが……自殺とかして後を追うとかならできますけど」

 

 帝は苦笑した。子供らしい飛躍した答えに赤点を付けるように続ける。

 

「死者は誰も追わない。つまり、安全なんだ。ぼくはきみの死を隠れ蓑にして、安全かつ速やかにことを運びたかったんだ、けどなあ……」

 

 帝は、一度言葉を区切った。苦笑を浮かべ、申し訳ないと言うような顔をする。

 

「今回は、ぼくの秘密主義が招いた混乱だ。ガジンの離反もね」

「おれを殺す気がないなら、どうして本当のことを言わなかったんですか。おれを殺さないなら、きっと別の〈青眼〉の人も生きているんでしょう?」

「はあ、まいったな。帝の仮面が通じない相手だと、こうも簡単にわかっちゃうか。そう、ぼくは〈青眼〉の男を殺していない。彼は〈遠のき山地〉と呼ばれる場所にいる。きみのご先祖様が、最後まで共に戦ってくれた礼として教えた、『竜』が狂い暴れても問題がないところだ。あそこは〈竜域〉がひとつも存在しない地だからね」

「言えないわけが、あったんですよね?」

 

 皇国において最強を冠するに相応しく、帝の最も信頼厚き〈八竜槍〉にさえ伝えることのできなかった事情。

 個人的感情に依るものではない。親しみを感じる人物であろうと、彼は帝なのだ。たかだが自分の感情程度で大事の選択を誤る可能性は低い。

 実際、過程はどうであれ、帝はリュウモを皇都に連れ戻す目的を達している。しかも、ガジンの行動を世間一般に広めることなく。

 帝が後手にした選択は正しかった。なら、初手で誤った選択をしなければならなかった理由があるのだろう。

 

「あとにしようか。やらなければならないことが、来てしまった」

 

 帝は、落としてしまった面紗を被り、素顔を薄い黒幕の奥へ閉じ込めた。

 二つの光源が徐々に近づいて来る。見知った顔が三人、他の二人はあったことがない老婆だった。

 五人は帝の前まで来ると、当然のように跪いた。

 ――お、おれも同じことした方がいいのかな……。

 どうすればいいかわからずリュウモがキョロキョロと首を動かしたが、他の者達は気に留めず会話を始めた。

 

「帝、ご説明くださいますね」

「術を強引に変えるのみならず、件の少年と二人きりなど、賢明なご判断とは言えません。一体、どうなさいましたの?」

 

 老婆の開口一番に言われた内容には、戸惑いと動揺が混在していた。

 賢者が愚者に変貌してしまったような驚きさえあった。帝は抑揚のない声で喋る。

 

「余が見たかった者は、宮に引きずり出され恐怖に身を縮こまらせる子供ではない。〈竜守ノ民〉を直にこの眼で見る必要があった。それだけのこと」

「相変わらず、怖い御方」

「必要があっただけで、ひとつ間違えればおのれが死に至る可能性があった術を、変えてしまいますか」

 

 人ではない異物を前に壁を作るように、老婆達は袖で口元を隠し慄いていた。礼を失する行為とわかっていても、そうせざるおえなかったように、リュウモの目には映った。

 

「此度におけるガジンの行動、一切を不問とする。今後も変わらず忠義を尽くせ」

 

 三つの光に照らされた巨大な空間を揺らす衝撃が駆け抜けた。ある者は困惑を、ある者は安堵を、ある者は不審を抱いた。

 三者三様の反応があった中、リュウモは帝の決定にさして驚かない。

 帝はおのれの失態を辞任していて、ガジンに責任を押し付けるようには到底、考えられなかった。

 

「帝、恐れながら申し上げます。此度の件、どうかその深慮遠謀の一端、非才なるわたくしめにお聞かせ願いませんでしょうか。埒外とも言える沙汰、わたくし程度では理解が及ばないのです」

 

 形式に則った、丁寧な言葉遣いではあるが、イスズの内にある疑問と不信は隠しようがない。

 

「俺からも伏してお願い申し上げる。なぜ、我らに、ガジンに真実を告げなかったのでありましょう」

「………………………………」

 

 長い沈黙。微動だにしない静けさが充満する。止まった空気を先に動かしたのは、帝だった。

 

「余がああ告げれば、ガジンがリュウモを連れ出すと確信していた」

 

 帝の放った意味は、全員にさらに疑問を湧き上がらせる。帝は返答を待たなかった。

 

「余のひとつめの目的は、シキに人員と調査を依頼している領主を突き止めることにあった。容疑者は幾人か浮かび上がったが、尻尾を掴めず特定するための決め手が欠けていた。ほんのすこし前までは」

 

 誰であったかなど口にするまでもない。リュウモを〈影〉の手から奪い去った事実が動かぬ証拠だ。

 

「『竜』を調べていることを承知していたのですか?!」

 

 イスズが声を張り上げた。帝は一時的とはいえ、禁忌を侵した者達を黙認していたのだ。彼女が声を荒げるのも無理はなかった。

 

「そうだ。そして、今は罰する気も、必要もない」

「な、なぜですっ、今回の騒動でいかに『竜』を刺激してはならないか、わたくし達だけでなく、国中が実感いたしました」

 

 被害の多さだけではない。人に平等に襲い掛かった『竜』の無慈悲な力は、皇国の人間に身分、出自を問わず恐怖と畏怖を刻み付けた。

 それでも国が禁じた事柄を破る者達を罰しないと帝は断言する。

 

「北が行う研究は、利益をもたらす。宮が直接的に関与するわけにはいかぬが」

「つまり、ときが来たらあがりを全部かっさらう性質の悪い胴元ってわけですかい」

「質の悪い胴元のおかげで、生活が潤っている者もいる。であろう、ロウハ」

 

 宮が集めた資金によって家に不自由がなくなったロウハは、納得がいかないように顔を逸らす。

 

「すべてを奪い去るのですか、悪しき部分は全部、擦り付けるおつもりか!」

 

 ガジンの大喝が闇を揺らした。光を放つ符が、荒々しい『气』に干渉され、波打つ。

 

「然り。万の命が、後に生まれいずる一千万を救うのならば――殺せと命ずるは余の『使()()』」

 

 帝は、なんの憚りもなく言い放ってみせた。薄汚いやり方だと非難され、なお彼が意見を動かされることはない。

 

(……信念。この人は、とても強い想いを、抱えている)

 

 殺人の指令を言い渡すのが『使命』だと言い切る帝の強靭な精神に、リュウモは畏敬と寒気を覚えた。

 

「二つ目は、皇国を救うため。余は初代のように千も先を見通す叡智を持ち合わせてはいない。だが、五十年程度ならば未来を見渡すことができる。このままときが経てば、皇国は勇み足を踏みながら――滅びの道を征くだろう」

 

 リュウモ以外の人間が、現人神とうたわれる男の口から告げられた死刑宣告に凍り付いた。


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