竜守ノ君   作:浜西幻想

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五十二話 終点へ

 元の場所に戻る。幻のように消え去った会場の代わりに『竜蛇』の顔があった。

 

「見事。我が汝らに課した試練は終了した。進むがいい」

 

 『竜蛇』は北を向くと〈天ツ气〉を解放する。この『气』はなんでもありだと、リュウモは聞かされていたがその通りだった。

 空中に大きな山が映し出された。その山は頂上が埠頭のように突き出ていて、緩やかなコの字を描いている。

 

「あれが〈竜峰〉……」

 

 旅の終着点。『使命』が終わる地。

 

「『气』を放射して、ぶつかった箇所を拡大している……? 滅茶苦茶なっ」

「望遠鏡の真似事か? なんつー非効率な」

「人のように誰でも扱える道具を我らは持っておらぬのでな」

 

 リュウモはびっくりした。決められた定型文しか話せないかと思っていた相手がこちらの会話を拾って答えてきた。植物みたいだと思っていた『竜蛇』への印象が変わる。

 

「なあ、おれの試練はさっきので終わり? すごい、簡単だったような……」

 

 ガジン達の受けたそれと難度が桁違いだった。命のやり取りがあったわけでもないし、学者同士の賢しい会話や討論があったわけでもない。数少ない対話にさして意味があったとは思えなかった。

 

「汝の試練は、人の世を渡り歩き、我の問答に応じた際に終わった。仮に乗り越えられなかったときには、汝は死んでいる」

「いやだから、それだけ? 此処に辿り着けばいいだけ? それじゃあ、みんなと比べたら」

「容易くはない。我が同胞、世へ足を浸し進んだ中で、一体なにを見た」

「なにって……色んな人達だけど……」

 

 期間は短くても、沢山の人との出会いがあった。彼等が抱える事情、背景、感情も垣間見た。妥協できない所以。止まることが不可能なほど多くの命を背負った人。

正か負かの二択で分類するなど無理なものを調整しようと心を砕く者もいた。

 

「汝の試練は東から此処へと至る過程すべて。もし分かり合えぬ俗世に絶望し歩みを止めれば、〈龍赦笛〉は奏者の命を奪っていた。一族の唄に示されていよう」

「人の業によって阻まれし時、天は我らを灰燼と化すであろう……」

 

 なんと意地の悪い試練であろうか。リュウモを試しているのではなく、リュウモを目として人間の世界を試していたのだ。

 

「なら、他の試練は?」

 

 『竜蛇』が宙に映し出されている山に目を向けた。〈竜峰〉の下が映る。

 

「〈禍ツ气〉……」

「なんだありゃ……森が黒くなってやがるぞ」

 

 浸食された大地や植物が、黒く変容していた。

 

「あれを越えた先に、汝にとって最後の試練が待っている。〈龍赦笛〉で天へ赦しを請うがよい。奏でるべき旋律は笛が教えよう。『合气』で『气』を感じ取るのだ」

 

 いつも肌身離さずに持っていた笛が熱を持った。行先を指し示しているかのようだ。

 

「ひとつ、聞きたい。『竜蛇』よ。なぜ世はこんな仕組みになっている? どうして『竜』の領域に在る場所へ人が赴かなければならない」

「本来、これは『龍王』が行っていた。だがかの王の肉体は滅んでいる。その原因を作った人が『龍王』がすべき役目を引き継いだ。それだけのこと」

 

 〈禍ツ气〉を国中に広がったのは、人が『竜』を兵器として扱ったからだ。死すべき墓で死なず、戦で散った骸は〈禍ツ气〉を発し、〈禍ツ竜〉が生まれた。死闘のすえに倒されたが、戦いで傷を負った『龍王』は東へ姿を消し、滅びた。

 

「この世に生まれ落ちた者は皆、背負うべきものがある。大小、数に関わらず。世界を救うための大任を負った幼子がリュウモであり、守る役を継いだのが汝らということだ。心せよ、その槍を使いこなす者は、世を救うことも、滅ぼすこともできる」

「口酸っぱく言われたっつーの。まあいい、やることは決まってんだ。疑問も不満も全部終わった後にぶちまけりゃいい。だからイスズ、こいつに諸々質問すんなよ」

 

 図星を突かれたイスズの眉が小突かれたように動いた。彼女からすれば、目の前にいる『竜蛇』は〈竜域〉に関わる疑問を解決してくれる願望機のようなものであろう。

 

「役目を終え、息があるのならばここへ戻れ。我が入り口まで送ろう。空間が歪んでいるため、導かれなければ此処へは辿り着けぬのでな。逆もまた然り」

「っは、国が必死こいて地脈移動やら空間やらの研究してんのに、ここじゃ自然と完成してるわけか。学士共が〈竜域〉を調べたがる気持ちがちったぁわかった気がするぜ。で、ガジンよ、体は大丈夫か? 無理なら休むが」

「いや、このまま進もう。体も温まって絶好調だ」

 

 ぐるん、と腕を回した。ロウハは彼の頑強さに呆れていた。「さっさと行くぞ」とロウハが言う。

 今までと同じ陣形が組まれると、一行はひとつの試練を終えて、旅の終わりに歩いて行く。

 

(あとすこしだ。もうちょっとで終わるよ。みんな、爺ちゃん)

 

 やっとここまで来たのだ。多くの犠牲と人の手を借り、ついに辿り着く。失敗は許されない。

 ――失敗できない、しちゃいけないんだ……!

 身に宿る異能も、すべてはこのときのためにあった。しくじるわけにはいかない。

 

「リュウモ、息を深く吸え。『气』の乱れが酷い」

「坊主も大変だな。〈八竜槍〉との二足の草鞋とは。ここまで来たら成るようにしか成らねーんだ。肩の力を抜け、力を」

「我らがいます。大丈夫、決して貴方に手出しはさせません」

 

 浅くなっていた息を整える。早鐘を打っていた心臓を鎮める。

 

「どうせ失敗したら人間全員あの世行きだ、責められることもねえ。気楽にいけ」

「お前な……そういう励ましはどうかと思うぞ」

「うっせ、事実だろうが。やらかしても誰のせいでもない」

 

 リュウモは二人の会話に苦笑する。およそ大事を前にした態度ではないが、これが彼らのいつも通りなのだろう。どっしりと構えている者がいると不思議と周囲も落ち着くものだ。リュウモの鼓動がすこし収まる。

 

「しっかし坊主、幸運だったな。〈八竜槍〉の全力試合なんぞ、一生に一度見られるかどうかだ。どんな大枚をはたかれてもやれないからな」

 

 話を振ってくれるのは、ロウハが気遣ってくれているからだ。リュウモは彼の斜め上な優しさに甘えることにする。

 

「二人の戦い、ほとんど見えませんでした。最後なんて、なにがなんだか」

 

 冗談ではなく、二人の残像が見えた。術で目を誤魔化す術はあるが、そんな小細工を二人は使っていなかった。

 極限にまで鍛えあげられた身体能力と『气』による動作は、いかなる者も寄せ付けない壁の如くであった。

 

「わたくしも精進しなければなりませんね」

「あと数年もすればお前には抜かれそうだがな。それに、ラカンが私と同じように修行を積んでいれば、勝てなかったろうな」

 

 勝者は心からそう思っているようだ。ガジンの背が、悲しみからすこし丸まった。

 

「あれなら俺でも勝てただろうな。シキは無理だろうが……そういや、お前は負けたんだったか」

「次は勝ちます。それと、敗因はこの子が横槍を入れたからです。でなければ勝っていました」

 

 負けず嫌いの視線がリュウモの背に突き立てられた。仕方がなかったとはいえ、ちょっと居心地が悪い。

 

「坊主のせいにすんな、とは言えねえか。なんせこいつだしな」

 

 〈竜化〉が使い手の意思を離れて解除させるなどまずない。槍が使用者の生命の危機を感じて勝手に解くのは、相当に気に入られている証拠だ。

 

「なんだか酷いことを言われてる気がするんですけど、みんなみたいにおれは滅茶苦茶じゃないですからね?」

 

 自前で〈竜化〉をできない相手に一方的に青年達は倒された。それが常識外れな所業であることを、リュウモは肌で感じていた。理屈から見ても大概おかしい。

 〈竜守ノ民〉は、体を動かす燃料を二つ持っている。通常の『气』と〈竜气〉だ。当然、多い方が有利である。それを合計で上回るのみならず、圧倒するなど馬鹿げている。

 

「お前、『合气』なんて異能を持ってんだから人のことどうこうと言える立場かよ」

「これは、おれが『气』の流れを感じ取れないと再現できないんです。仮にできても体が追い付かないと筋肉痛が酷いことになるんですよ……」

「目で追えないと、そもそも真似のしようがないのと同じようなものか」

 

 ガジンの言う通りである。『合气』とは万能ではないのだ。地力の差があり過ぎれば、なにも意味を為さない。

 

「ですが、術の解析などは十分有用なのでは?」「ええ、そうですけど……」

 

 四人は、雑談を交えながら人にとって閉ざされた土地を開拓していく。

 

「止まれ。酷いな、これは」

 

 〈禍ツ气〉に浸食された空間が広がっていた。肌が真夏の太陽に焼かれるようにひりひりと痛む。

 

「大昔はそこら中がこんなになってたわけか。そりゃ争いなんぞしてる場合じゃなくなるわな」

「迂回は無理でしょうね。『竜蛇』が見せた景色が真なら〈竜峰〉を〈禍ツ气〉が囲っているはず……」

「リュウモ、どうすればいい。突破するか?」

「待って下さい。この布を口に当てて」

 

 リュウモは〈龍王槍〉を置いて荷の紐を解いた。呼びを含めた人数分の布を配ろうとすると、槍が白い『气』を発し始めた。『气』は黒く侵されている植物に触れると、一瞬で〈禍ツ气〉を消し去り正常な状態へ戻してしまった。

 

「おいおい……なんだ今の、有り得ねえ」

「変容した物体の『气』を取り除くのみならず、元に戻した……?」

「触れただけでか? 時間でも巻き戻しているのか、あの槍は」

 

 変化した物体は、元に戻るには十分な時間が必要だ。怪我をした箇所に薬を塗ってもすぐに快復しないのと同じだ。特に自然は、壊れた部分を治すには長い時間が必要不可欠である。それを〈龍王槍〉は完全に無視していた。

 

「さすが『龍王』の一部より作られた槍。封印されていたのも納得だ」

「この槍を持つ者は、世を破壊することができる、か……」

 

 皇都の地下深くに封印されていた経緯といい、洒落になっていない。瘴气を永遠と放出するよう命じれば、国中が簡単に大混乱に陥る。今の現象を見れば、その逆も可能なのだろう。どちらにせよ、人が持つには大きすぎる。

 

「〈八竜槍〉なんてそんなものだ。他がいなけりゃ止められる枷がひとつもない。どうにもならんから気に病むな」

 

 たった一振りの槍に数多くの人々の一生が左右される恐ろしい力だ。

 どのような力や技術も、誤った扱いをすれば破滅が待ち構えている。〈竜守ノ民〉がその技術を悪用され、結果がどうなったのかは語るまでもない。

 ならば、正しく使えばよい。だが、正しさとは誰が決める?

 

「怖い、ですね……こんな力」

 

 世に絶対の正しさなど存在しない。定規はあっても長さは決まっていて、必ず外れ者は出る。正しさを謳っても救われない人はどうする。掲げられた大義に傷つけられる人すらいるのだ。誰かが神が一刀両断するが如く決めるわけにもいかない。

 

「リュウモ、その心を忘れるな。力持つ者は多くの人間を背に乗せていることを覚えておけ。まあ、言うまでもなくわかっているとは思うが」

「そうだそうだ。坊主、こんな奴にはなるなよ。理解してるうえで突っ走るのが一番性質が悪いんだ」

 

 振り回された皮肉、嫌味とも取れる口ぶりだった。ガジンは元に戻った植物を見ているから表情はうかがい知れない。ただ、反省はしているけれど、後悔はしていないようにリュウモには思えた。

 

「この子がいれば進路変更の必要はなさそうですが……そうもいかなそうですね」

「ああ? ……ああ、こりゃどんぱち賑やかになりそうだ」

「〈龍王槍〉の力を感知したか? ――来るぞ。殺しても構わんな、リュウモ」

 

 リュウモはうなずく。〈禍ツ气〉によって狂わされた『竜』は正気に返らない。自然が変わってしまう濃度に侵されれば、ただの化け物になる。

 〈龍王槍〉が向かって来る『竜』に力を使おうとしないのは、すでに手遅れゆえか。

 三人の隊形がリュウモを中心とした円形防御に変る。

 一匹の小型『竜』が勢いよく飛び出して来る。邪魔者を排除しようと真っ赤な視線を向ける。轟、と空気が千切れて音を鳴らした。『竜』の頭部が跡形もなく砕け散った。

 

「まずひとつ」

 

 超高速で打ち据えられた『竜』は、なにもわからないままあの世へ旅立たされた。

 二つ、三つ、四つ。三人が数の確認のため仕留める度に報告を行う。

 襲い掛かって来る『竜』が片っ端から殺されていく。リュウモの周囲に、あたかも死神の鎌が振り回されているような有様だった。

 三本の槍が作る死の結界を、死を恐れない『竜』が踏み越えられない。死体が十五と地面に転がると、ようやく後続が途絶えた。

 

「打ち止めか。大したことねえな」

「油断するな。ラカンを殺した個体もいる、まだ序の口のはずだ」

「奥に進めば進むほど、襲撃は多くなるでしょうね」

 

 リュウモは死体の前にしゃがみ込んだ。戦いの最中、気になっていたことがあった。

 

「目が赤いだけじゃない。体中に〈禍ツ气〉の黒い線が……」

「なんだよ、さっきまでの木とかと同じじゃないのか」

「生物に多少影響を与えても、体が変わることは、ないはずなんですけど……」

 

 『气』の流れが滅茶苦茶だ。『竜』のものでもなければ生物ですらない。生まれが根っこから違うようにすら感じる。

 

「『气』の流れが有り得ない。普通の生き物と、逆、みたいな」

「逆、とはどういうことだ?」

「なんていうか、生きようとしていない……」

 

 生物が相手を殺すのは、まず自らが生きるためだという前提がある。野生に暮らしているならば無益な殺生はしない。なぜなら意味がない上に、自分の体力も無駄に消耗する。野に生きる獣は馬鹿ではないのだ。だが、この『竜』はまるで……。

 

「殺すために生きているように感じます」

 

 前提が狂っている。生き物として破綻しているのだ。

 ――この感じ、あいつと同じだ。

 故郷を焼き払った〈禍ツ竜〉と。

 

「死兵、のようなものか」

「恐れをもたず、人より強靭。このような『竜』が蔓延れば確かに国は滅びましょう」

「〈竜峰〉近くはこれより酷いわけか。嫌になるね」

「でも、こんな『竜』一体どうやって生まれ」

「伏せろ!」

 

 ガジンの大声に反射的に体が動いて屈む。頭上を槍が通過し、リュウモに襲い掛かろうとした相手を吹き飛ばした。

 一撃。絶命してぴくりともしなくなった『竜』はさきほどまで何処にもいなかったはずである。

 

「こいつら、今いきなり生まれ落ちやがったぞ!?」

「〈禍ツ气〉が集中することによって誕生する? でたらめな……!」

 

 リュウモは得心がいった。害を与えるしかないものから生まれ出たのならば、その子が凶暴性も恐怖もないのは当然だ。

 

「一度、奥へ行ったら簡単には戻ってこれなさそうですね」

「『气』を察知し襲撃して来ているなら隠れて進むのも難しいか」

「つまり、目的地まで一気に駆け抜けるのがいいわけだ。おい、すこし休むぞ。各自、水を補給しとけ。強行軍になる」

 

 作戦の意向を受け取ったのか、〈龍王槍〉は力を解放し、周囲に漂っていた〈禍ツ气〉を完全に浄化する。死んだ『竜』の体も、結び目が解かれるように光の筋となって消えて行った。

 

「坊主、その槍、実は口が利けたりしないか?」

「ひ、否定は、できないですね」

 

 単純に自分の実力が足りていないだけで、言葉を聞き逃しているだけかもしれないのだ。

 他の〈竜槍〉よりも明確な意思がある。まだ肉体を持っているかのようだ。

 

「リュウモを守ってくれることを祈る。全員、準備はいいか?」

 

 ガジンの言葉に全員がうなずく。――そして、一気に走り始めた。

 あとすこしで、旅が終わる。

 


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