しかし、今回も話はあまり進まないんだ。本当に申し訳ない。
山裾まで広がる平野を埋めるように無人の建築群が続いている。
忘れ去られた古代遺跡のような様相のそれらは、かつての諏訪の旧市街。結界に入りきらず人々に捨てられた町の一部である。
打ち捨てられた建物はどれも新しく、積もった落ち葉もまだ浅い。それでもコンクリートの壁には無数の亀裂が太く走り、壁面の窓ガラスは無残に割れているのは、一年前の災厄による被害であろう。
折れた電柱も、乗り捨てられた車も、戸が破られた玄関も全てあの日のまま街は時を止めていた。
時を止めた街の上に、影が落ちる。
大型バーテックスを一息に押し潰して、巨大な拳は諏訪の旧市街に垂直落下。重低音が夏の空に轟いた。
大質量の激突に複数の建物が一瞬で圧壊。コンクリートの支柱が砕け、鉄骨が折れて壁面に深く亀裂が走る。同時に大小さまざまな瓦礫の雨が辺り一面に降り注ぎ、連鎖的に破壊の波が広がっていく。
街は白煙を噴き上げながら倒壊の悲鳴を上げ続けた。
七階建てマンションの屋上。貯水タンクの上に立って、白鳥歌野はその光景を見下ろしていた。
砂煙が風に乗って歌野の足元まで吹き寄せ、戦装束の裾が翻る。
「どうなったのかしら…。」
吐き出される煙がドーム状に街を覆っていき、拳の影もバーテックスの影も見えない。耳に届く音だけが、今も建物の崩壊が続いている事のみを伝えている。
いっそ近づくべきだろうか?
グッ、とたわめた足に力を込めながら、歌野は視線を左右に彷徨わせる。
勇者の身体能力であれば、少なくともあの崩壊の続く煙の中を進んでいくことは可能だ。降ってくる瓦礫に当たったところで、大して支障はないだろう。
問題があるとすれば、バーテックスは言うまでもないが巨大な拳の存在だ。
その正体も、意図するところも分からぬ存在はバーテックスよりよほど度し難い。
「やめた」
たわめた足を戻して、歌野はゆっくりと息を吐いた。吐いた息と共に全身の筋肉から緩やかに力が抜けていく。
何も焦ることはない。
バーテックスの落下地点は未だに煙が濃く立ち上り、敵の捜索は困難な状況だ。しかしバーテックスもあの巨大な拳の直撃を受けて平然としていられないだろう。
このまま、崩壊が収まるのを待って____________________ 紡いでいた思考を、極大の轟音が遮った。
夕立の遠雷を10倍したような大音声の衝撃に、マンション鉄骨がギチギチと軋み、貯水タンクが小刻みに震える。
市街地の中心、噴き上がる煙の中に影。
それは屋上に立つ歌野の視線とほぼ同じ位置で建物を一跨ぎに薙ぎ倒し、同時にズンッと腹に響く足音が澱んだ大気に打ち鳴らされた。
街が揺れる。
路上に打ち捨てられた車たちがポップコーンのように跳ねまわり、建物の震えが止まらない。 噴煙の向こうから放射される強大な殺気に、夏場の熱気は何処かへ去った。
ズンッ、ともう一度足音が街を揺らし、重層な白の暗幕を巨影が抜ける。
一歩。
天まで届く白煙のうねりを引き裂いて、山羊の角ような太く鋭い歩脚がアスファルトの路面を踏み砕く。
次いで次々と、鋭い歩脚が煙の壁を突き破り大地に太く根を下ろした。その数、合わせて四つ。四本の脚に支えられて、歪な逆円錐の体躯がその中心に鎮座している。円錐の表面が大きく陥没ているのは、恐らく拳の威力によるものだろう。
「バーテックス…。」
地響きと共に歩み出たバーテックスの威容に、歌野は
体長20メートル前後。白煙を裂いて現れたバーテックスの姿は、今までのどの進化体とも異なる。
明らかに別格の威圧感。
だが姿形の差異など関係ない。目という器官など存在しなくても分かる。
大型のバーテックスは勇者である歌野を、その背後にそびえ立つ御柱の壁を、未だ生き残る人類という種そのものを煮え滾る殺意でもって『睨みつけていた。』
地上を睥睨し、玉座に進み出る王のように、悠然とその威容を見せつけながらバーテックスは結界へと迫る。既存の物理法則が通用しない化け物には堅牢なビル群も紙細工と変わりなく、行く手を遮るその一切を大型バーテックスはただ触れるだけで瓦解させていく。
震える貯水タンクの上。
魂まで引き千切るような視線の圧力を真正面から受け止めてなお、白鳥歌野は頑として揺るがない。 敵の視線の圧力を減らすように、静かに深く息を吸い吐きだす。
「?」
そこでふと歌野は背後の結界へと顔を向けた。
「みーちゃん…?」
歌野の背後には峻厳な御柱の壁。結界の境界線近くに、もちろん人影などあるはずがないが、なんとなく藤森水都の、自分の一番の親友の視線を感じた気がしたのだ。
まさか…。
歌野はプルプルと首を振って雑念を払う。
水都にも、そして諏訪の人々にも戦闘中は結界の境界に近寄らないよう厳命している。だから、親友にそんな危険な真似はして欲しくはないし、もしそんな事をしていたら絶対に怒る。危険な事は、自分だけで沢山だ。
視線を前に戻すと、先ほどよりも大きく、こちらに近づいたバーテックスの姿が見えた。距離にして約200メートル。コンクリート片を周囲にブチまけながら歩みが止まる様子はない。
歌野は杞憂と思いつつも、もう一度後ろを振った。やはり親友の姿は見えない。
地響き。
心の中の不安が拭えぬまま、敵との距離が更に詰まる。迫る四本の巨大な歩脚。その内の前一本が太陽を遮るように高く上がり_______もう時間がない。
「大丈夫、絶対に結界までは行かせないわ。」
言い聞かせるように言葉は溢れた。
踏み込む。
歌野は爆発的な脚力で傾いた貯水タンクを蹴って突撃を開始。前方に連なる民家と雑居ビルの屋根を足場に、低く飛ぶ矢となって水平に疾走。同時に、高く掲げられたバーテックスの前脚が破城槌となって突き出され_________轟音。
疾走する歌野の鞭はバーテックスの前脚と真っ正面から激突。放たれな一撃はバーテックスの脚先を打ち砕くも、巨体による推進力の優劣は埋めがたい。
破城槌の前脚が振り切られ、歌野はそれに巻き込まれる形で後ろへと吹き飛んだ。景色がビデオの逆再生のように前方へ押し戻され、けたたましい金属と共に、歌野の体は屋上に張られた自殺防止の金網にぶつかり急停止。
苦しげな呼気が口から漏れるも、戦闘は一瞬の停滞も許さない。
砕かれた脚を引き戻して、バーテックスの放つ第二射は先ほどより更に速い。狙い違わず歌野を射抜く砲弾の軌道。勇者は金網を掴んで、一瞬速く身をよじるとフェンスの上に跳躍し、直撃の軌道を回避。
格子の針金が、少女の重みにぐにゃりと曲がり
直後、バーテックスの脚が金網を突き破り、屋上を発泡スチロールのように縦に貫いた。
それを見下ろす形で撃ち込まれた脚先に上空から鞭を絡めると、歌のは縄を巻き取る様にして一気に降下。
「はあああああああっ」
裂帛の気合とともに、腐食し始めた部分に勢いのまま飛び蹴り叩き込む。
ドズンっという鈍い音。
巨大な脚は蹴りの衝撃で僅かに揺らぐも、損傷は表面への亀裂と極めて軽微。
硬い。
やはり今までのバーテックス達とは格が違う。
歌野は素手での破壊を諦めて、後方へ跳躍。バーテックスの突き出した歩脚がそれを追って、水平にビルを薙ぎ払う。
ビルの屋上は脚の一掠りで微塵に砕け散った。
ぼんやりと霞んでいた視界が回復し、耳元に風の唸り声が戻ってくる。
気絶していたのか…。
視線を回すと、左右の手にはしめ縄を巻いたような赤い手甲、胴と両足にも紅蓮の胸当てと具足が輝き、変身はまだ解けていない。
どうやら寝ていたのは、ほんの数分の間のようだ。
「クソ、しくじったっ!」
徹は思わずそう叫んだ。
精霊『ダイダラボッチ』
その力を用いた巨拳の一撃で完璧に仕留めたと思ったが、大型の化け物は辛うじて生きていたようだ。まさか、死んだフリに騙されて反撃を受けるとは…………我がことながら間抜けすぎる。
立ち上がろうと上体を起こすと、胸の真ん中に鈍い痛みが走った。
歩脚の一撃を受け止めた場所だ。
「こんなもの!」
顔を僅かに歪めながら、徹は痛んだ場所に3度拳を叩きつける。先程よりも更に痛いが、3発叩いて平気ならば……問題ない。
待ってろ、すぐにとどめを刺してやる!
紅蓮の戦装束が、徹の怒りに応えるように輝きを増す。全身に怒りをたぎらせて、赤い勇者は瓦礫の山を飛び出した。
横薙ぎの衝撃波の中、落下するビルの瓦礫を足場として諏訪の勇者は空中を疾走する。一歩、二歩、三歩と超人の脚力で重力を無視して空を駆け、四歩目で歌野は前方の民家の屋根に着地。
疾走の勢いは緩めない。
屋根の瓦を蹴落としながら、更に前へ。
彼方に見える大型バーテックスは、無理な横薙ぎの一撃を敢行したせいで体制を崩し、次の反撃まで時間がかかっている。
この戦いにおいて、歌野の勝利条件は一気に懐に敵の飛び込む事だ。素手による攻撃は、どうやらこのバーテックスには通じない。しかし、歌野の鞭による直接打撃は違う。
視線の先で、体制を立て直すバーテックスの砕けた前脚が目に映った。
最初に奴の脚先を砕いてみせた鞭の攻撃。それを今一度、今度は奴の体の中心に叩き込む!
敵との距離が秒針を追って詰まる。
あと200メートル………150………100。
僅かにバーテックスの巨体が後退した。同時に、引き戻された前脚が内側に折り畳まれ、急速に力を溜めていく。それは、先程と打って変わった大仰な挙動。
射出のタイミングを計る事は容易だった。
三度目となる前脚の刺突。歌野は予測される軌道を直前で横に避け、余裕の回避……そのはずだった。
繰り出された前脚は歌野の前方に着弾。衝撃で派手に土砂が巻き上がり、勇者の前面に巨大な壁を作り出す。
「なっ」
目くらまし?!
歌野の前進が一瞬止まった。
視界は土砂で遮断され、バーテックスの予想外の攻撃に思考は刹那の間空白になる。
大型バーテックスは、その一瞬を見逃さなかった。
残る三本の脚がバッタの後ろ足のごとく折れ曲がり、バーテックスの体が深く沈み込んだと見えた次の瞬間。
軽やかに、20メートルの巨体が宙に舞った。
それは勇者の頭上を飛び越え、諏訪の結界に王手をかける大跳躍。絶望の影が、ゆっくりと真夏の太陽を遮っていく。
「さぁせるかあああああああ!!」
天を裂く絶叫と共に、諏訪の勇者は全速力で鞭を放った。
伸びた藤蔓の先端が長大な蛇となって、バーテックスの後ろ足に食らいつき満身の力で絞り上げる。
そのまま勢いよく鞭を引くも、勇者の腕力をもってしてもバーテックスの体重には打ち勝てない。逆に歌野の体が、落下するバーテックスの重さに引きづられる始めるほどだ。
結界の強度がどれほどのものか、それは勇者である歌野にも正確なところは分からない。
しかし…今もしあの巨体が諏訪の結界と接触すれば
防げはするだろう。
その確信は十二分にある。
確かに正確な強度は分からないが、しかし歌野はこの一年、常に結界を守って戦ってきた。少なくとも他の人よりは、結界について知っているつもりだ。
その意味では、バーテックスが落ちたところで問題はない。
しかし、それは今現在の戦局においての話だ。
この先、2年か3年の後。
おそらく、その許してしまった一撃が蟻の一穴となり、諏訪の結界は食い破られてしまうだろう。そして何より、バーテックスの与えた一撃の影響は結界だけではなく、諏訪で怯える人々の心に突き刺さる。
結界の中は安全じゃない。
勇者の力は絶対ではない。
閉じこもっていても、いつかは殺される。
一人でもそれを感じてしまえば、その不安はウィルスよりも確実に、そして平等に人々に感染するだろう。そうなれば、人々の今日まで立て直してきた生活は内側から破綻する。
バーテックスは群体であり、個体。
人類滅殺を存在原理とするこの生物にとって個々の命など関係なく、全ては人を殺すためだけに捧げられる。ただ一つの目的に対して互いを補い合い、後続がより確実に人を殺せるようになるならば命すら躊躇なく投げ出す。
あまりにも透徹した存在だ。究極の生命と言っても何ら間違いはないだろう。
だが、だからこそ負けるわけにはいかない。
巨体がいよいよ結界に落ちる。
歌野は、喉から血が出るほど咆哮した。いくら満身の力を込めたとて、もうバーテックスの一撃を逸らすことは不可能だった。
気合の咆哮も虚しくバーテックスの体が地に影を落とし、直後、赤い人影が疾風となって歌野の横を駆け抜けていった。
見覚えのない甲冑のような紅蓮の戦装束。
そいつは何事かこちらに叫ぶと、落ちるバーテックスに追いすがるように手を突き出し
「ダイダラボッチ!」
聞き覚えのある声だった。
瞬間、戦装束が淡く光を放ち、同時に人影の背後を抜けて巨大な腕が高く伸び、バーテックスの後ろ足を掴んだ。
巨体の自由落下が結界の直前で停止。
腕がひねられ、バーテックスは跳躍した軌道を戻るかたちで持ちあがり、一気に後方の地面へと叩きつけられる。
地震のように市街全体が大きく震えた。震源であるバーテックスも余りの衝撃に動けない。
「今度こそ、くたばれ!」
獅子吼とともに、追撃の巨拳が振り下ろされる。バーテックスは咄嗟に二本の脚を掲げて身を守るも、拳の一撃は凄まじい。掲げた脚を紙細工の如く粉砕し、隠れていた本体を貫通して深々と地面に縫い止める。
ズン、と地鳴りにも似た重低音が一度だけ大気を打ち鳴らした。
戦闘の喧騒が風にかえっていく。
拳に縫い止められたバーテックスの体も、舞い散る砂塵のように白く風化しボロボロと崩れて_________消えた。
バーテックスのフィギュアとか欲しいなぁ、関節がグリグリ動くやつ。
作者は、この一年間ほどは『佐世保祐一』の大筋を頭の中だ作ったりしてました。
その関係で『佐世保祐一』の方は全話改稿することに決めました。そうしないと物語が破綻しちゃう。