ガッカリしてください! 作:((+_+))
しかし待ち人はいつもの時間には来ず、代わりにメイド服を着た寮長であるエヴァが現れた。
いつも月夜をエスコートしているエヴァだが、今日はその彼女がいない代わりに小さな包みを持って現れた。
「えっと、おはようございます」
「おーおはよーさん。悪ぃんだけどお嬢が風邪引いちまってなぁ、一人で登校しやがってくださいな」
「え……」
思い当たる節があった。最後に立ち寄った海辺、水に触れていないが海風にあたりながら眠ったのは流石にまずかったようだ。
慎の表情が陰ったのを見て、エヴァはポンっと彼の頭に手を置いた。
「……エヴァさん?」
「お嬢の病弱さは今に始まったことじゃないし、あの程度なら大丈夫だって判断したのは私だし、あんま気にすんな。お前さんが落ち込んだなんて知ったら、お嬢がガッカリするだろ?」
急なことに戸惑っている間にパパっと言いたいことだけ言って寮へと戻っていった。
弁当片手にポツンと残った慎は学校へ向かわないと、そう思いながら視線は寮へと固定されていた。
「……行くか」
偶には一人での登校も乙なモノだろう。
いや、寧ろ本来矯正するために通わされているのだから一人が当たり前のはずだ。
そう思って校舎に脚を向け歩き出したのだが……如何せん隣にいつもいるはずの少女のことが脳裏から離れなかった。
(風邪……熱出てんだろうなぁ。咳とかしてんのかな………苦しい、よな)
慎にとって月夜は強者だ。これは、学校で畏れられている魔物という意味ではない。
身体が弱いにもかかわらず剣術を極め、望んだことを叶えるために努力を惜しまない。
時に子供らしい一面を見せることもあるが、寧ろそっちの方が年相応で素に近いのだろう。
だがそう考えると、友人を望む彼女は基本寂しがり屋であり、か弱い少女という面も確かにあるということだ。
「…………………」
先日出掛けた時の月夜を思い出す。
彼女の可愛らしい姿と素直な反応、その身は小さくも確かに女性なのだと分かる一日だった。
剣術の関係ない月夜が、どんな女の子なのかというのがこれでもかという程に記憶に染み付いている。
きっと日頃から帯刀しているのもあり、強いギャップを感じただけのかもしれないが……それでも、やはり――。
「…――ッ」
気づけば慎は転進し寮へと走りだしていた。
月夜にとって風邪は友人のようなものである。
昔からちょっとしたきっかけで不調になり、入院沙汰になることなんて当たり前だった。
でも、今この時だけは自分が病弱なのが本当に嫌になっていた。
(マコ、くん……)
今日もお弁当を作って手渡しをしたかった。
出来ることなら昨日みたいに手を繋いで登校してみたかった。昨日の今日ならばドキドキしてもきっと出来ると思ったのに……いや、無理かもしれない。想像しただけで風邪と関係なく頬に血が集まるのを感じた。
この様では、もしかしたら碌に会話できなかった可能性も……。
(………)
人は思考にもエネルギーを使う。悶々と今日できなかったことと、昨日の出来事を振り返っては熱を高めていた彼女の意識は薄れていった。
そして次に目が覚めたのは数時間後、ちょうどお昼時。
起きた理由は部屋に入ってきた複数の足音と、彼女の小さなお腹が空腹を訴えていたからだろう。
風邪を引いたその日の内にお腹がすくときは、大抵治りが速い。これはこれまでの経験からの予測だった。
さて、部屋に入ってきた人物が持ってきた、温かなで良い匂いのお粥を食べるために身を起こそうとして――。
「え?……マコ、くん?」
「へ!?なんで、ア、そっか足音かぁ」
部屋に入ってきたのはメイドであるエヴァと……慎だった。
月夜が彼の足音を、というより彼から発せられる音を聞き間違えるはずはない。
しかし、今日は平日……学校から聞こえる音からして、時間としては昼休みのはずでは?
「なに、してるんですか?」
「あー……いや、そのぉ」
「……ハァ。すいませんねお嬢。坊ちゃんがどうしてもお嬢の看病をしたいって譲らないもんで、私が近くに居ることを条件にOKしたんすよ」
「私の、看病を?」
理由を話そうとしない慎の代わりにエヴァが説明するも、よく状況が分かっていないのか月夜はぼんやりと聞き返した。
未だ熱が引いていないのも理由だろうが、ゆっくり状況を把握すると………月夜の顔の赤みが増した。
彼女は彼を矯正しなくてはいけない。故に、これは怒らないといけない。だが、そんな当たり前のことが出来なかった。
――だって、彼が自分の為に学校を休んで看病してくれる。この現実が嬉しくて堪らないのだ。
他の生徒たちが勉強している中、彼を独り占めしているかのような錯覚も起こり、独占欲も満たされていくのを感じていた。
「えっと、月夜?顔真っ赤だけど、大丈夫?」
「ぁ、ぅ……ちょっと、ちょっとだけまって、まって、ください」
「う、うん?」
気付けば頬どころか全身が風邪と関係ない熱の高まり方をしていた。
胸が高鳴り、全身に甘い毒が回ったかの様に身体が熱くなっていた。
取り合えず掛け布団を被ることで一時的に情報をシャットアウトし、頑張って落ち着こうとする。
しかし籠ったところで現状が変わることはない。そもそも彼女は視界ではなく音で把握するため、掛け布団をした程度ではシャットアウトなど不可能だ。
「…………ぇっと、ぁ、ありが、とう、ござい……ます」
「………あ、う、うん」
高まった熱を冷ますのを諦め、布団から顔を少しのぞかせ礼を伝える。
もう怒ることなんて不可能だった。どう言葉を選んだところで、彼が月夜のことを想って行動してくれた事実に変わりはない。
無理に叱ろうとしても、自分の感情を抑えきれずそんな雰囲気はすぐ霧散するであろうことは、簡単に想像できた。
「お嬢ー、ともかく粥
「はい……え、作ってくれたんです、か?」
「エヴァさんに教わりながらだけど……あ、味見はしたからそこは大丈夫」
「マコくんの、手作り……マコくんが、私に………」
身体を起こし、思わずお粥に意識を集中してしまう。
早く食べたいと思う反面、なんだか胸がいっぱいで食べれるか不安にもなる。
だが食べないという選択肢は無い。直ぐにでも食べようと思った、直前……一つ気付いた。
(………そういえば、今私汗だくでッ)
流石に寝るときは巫女服ではない。パジャマ姿、正確には薄い浴衣である。
発熱していた中悶々とした後、起きたらドキドキイベントが巻き起こって、彼女の白い肌に汗でピッタリと服が張り付いていた。
身体のラインがはっきり分かるとかいう視覚情報は月夜には分からないが、それ以上に汗で濡れた服や長い髪が頬に張り付き、匂いやらなんやらを気になりだした。
サッと改めて布団を被ると、小さく一言。
「あの、その、身体をっ拭きたいので……少し時間をください」
「ぇ、あ、そ、そーだネ!ごめん、エヴァさんよろしくおねがいしますでごぜぇます!!」
エヴァのような口調を半ば錯乱しながら発すると、彼はお粥を持ったまま扉の外に出て、部屋の前で呼ばれるまで待つことにした。
「……お嬢、何なら拭いてもらってもよかったんじゃないですかい?」
「ふぇあ!?な、何を言い出すんですかあなたは!!」
「ククッ、いやぁまぁそうっすね、
「ちょっとも何も、全くもぅっ。いいから、着替えとお湯とタオルを早く持ってきてください!」
「はいはい」
………エヴァの提案をちょっといいかも、と思った月夜だったが今は羞恥心の方に負けて出来そうになかった。
着替えを済ませた月夜は、改めて慎を部屋に呼び入れた。
月夜は身体を拭いている間に少し落ち着いたのだが、慎はそうでもないようだった。
部屋に入っても中々月夜の座るベッドに近寄らず、ぎこちない様子で佇んでいる。
「マコくん?」
「うぇ!?な、なにかな!?」
「えっと……ご飯を、頂いていいですか?」
「あ、はいご飯ね、大丈夫まだ暖かいよ味見もしたから問題ないしノープロブレムだネ!」
「???」
お粥を持った慎がおかしなことになっているが、月夜は全く分かっていない。
しかし、しかしだ。扉一つ隔たった場所で気になっている女の子が着替えて身体を拭っており、その際僅かな布のこすれる音とかタオルを絞る音等を聞いて……呼ばれて部屋に入ってみたら少し髪を整える程度ではあるが、小奇麗になった彼女が嬉しそうにこちらを待っているのだ。
慎は、非常に頑張ったと自画自賛した。側に控えているエヴァのおかげもあるだろう、そちらにも最大の感謝を送った。
もしお湯とタオルと着替えを慎が用意して月夜に手渡し、終わるまで外で待っていたら……――慎は考えることを止めた。
「んじゃ、私ちょっとやることあるんで、お嬢に食べさせといてくだせぇ」
「あ、はい………はい?」
「部屋から出やがったら罰しますんで、くれぐれも勝手に廊下に出ないでくだせぇよ?」
「え、いや、ちょっ」
慎の戸惑いを無視し、エヴァは部屋を出ていった。
ぼうっとそれを見送り月夜と顔を見合わせる。
「えっと、食べ……るよね」
「は、はい」
「……………」
「……………」
暫く沈黙が続き、取り合えず粥を部屋にある椅子を持ってきてその上に置いた。
目が見えない月夜が粥を食べるのは、そんなに難しいことではない。
彼女は耳の良さを利用して空間を把握できるため、小鍋がどこにあるか中身があるかどうか程度は把握できる。
ベッドに座る程度には体力と余裕が戻った月夜に慎がスプーンを手渡せばいいのだが、先ほどのエヴァの言葉が二人の脳裏に遺って動けずにいた。
――
両者揃って固まってしまったのは、それをしたいが言い出せないことにあった。
慎は彼女が普通に食べれることを知っているし、月夜は自分で食べるつもりでいたので急なことに思考が追い付いていなかった。
しかし、思考が追い付くと彼女の決断は早かった。
だって、彼が自分のために造ってくれたものを、彼に食べさせてもらう……こんな甘い誘惑に負け、彼女は自分の羞恥心と理性を乗り越えることに決めた。
「ま、マコくん……ぁ、ぁ、ぁーっ」
しかし、中々言い出せない。あとちょっと、もうちょっとと自分を鼓舞するも言葉が続かない。
今まで色々彼に甘えてきたつもりだが、如何せん昨日のお出かけの余韻が残っているらしい。いつも以上に彼を意識してしまい、妙に強い羞恥心が働いて月夜を止めていた。
「……つ…月夜、はい。あーん」
「!!」
そんな月夜を見て、慎も決断した。
元々彼女の看病をするつもりで来たのだし、と若干誤魔化しも交えつつまだ暖かい粥を掬って月夜の口元へと持っていった。
月夜は小さな口でそれを含むと、頬を綻ばせた。
高鳴りが止む気配のない胸の鼓動と湧き上がる喜びの感情でどうにかなりそうだと感じながら、もうどうにでもなっていいと至福の時間を過ごした。
「………ぁ、もう完食、だね」
「そう、ですか………ごちそうさま、でした。おいしかったです」
「あ、あはは、ありがと。晩御飯も僕が作ってえっと、いい、かな?」
「は、はい。できれば、また食べさせて、ください」
「うん、わかった」
羞恥心が入り混じった笑顔を浮かべ合い、沈黙した。
しかし、嫌な沈黙ではない。二人とも暫く同じ空気を味わうと、どちらもがゆっくり手を近づけ合い、気づけば互いに手を繋いでいた。
「熱いね、大丈夫?」
「そう、ですね…………ちょっとぼうっとします」
「寝た方がいいよ」
「そうします。ぁ、手、繋いでもらったままで、いいですか?」
「ん、ずっと繋いでる」
「ありがとう、ございます………」
発熱している小さくて柔らかい月夜の手を、彼女より大きな両手が優しく包み込んだ。
二人ともドキドキと胸が鳴り続けていたが、眠りを妨げるようなことはなかった。
気付くと静かに寝息を立てている月夜を慎は眺めていた。
その後、エヴァが狙ったように月夜が起きた頃に戻ってくるまで、静かで少し落ち着いた時間が流れていった。
そして約束した通り晩のご飯、煮込み風うどんも慎が作り月夜と一緒に食べ、そのまままた手を握って彼女が寝付くまで部屋を出なかった。
次の日、自然と手を繋いで登校する二人の姿はあっという間に全校生徒に広まった。
彼女たちはあれで付き合っていないことに驚きながら、触らぬ神に祟りなしと全員が見守ることに徹したという。