デネブは一歩身を引いて
夏の大三角は、その危ういバランスを崩した
ぼんやりと空を見上げ初めて、既に何十分が経過しただろうか
パッと見では星が移動しているという事を信じられなくても、こう長時間眺めていると、あぁ、本当なんだなぁと思えてくる
別に、今日という日に何か特別な想いがあった訳じゃない
16光年の遠距離恋愛とか、紙に書くだけで願いが叶うとか、正直どうでもいい
この梅雨の時期に似合わない、綺麗な星空が、ふと目に入っただけだ
所狭しと散らばる星屑の中に、自己主張の激しい三点
言わずもがな、夏の大三角だ
昔は、姉をベガに、僕をアルタイルに写して、毎年毎年、来年まで喧嘩しませんようにって祈ってたっけ
一度も叶った事がないのに、お願いしなくなった今では、年に一度も喧嘩しなくなっているとは、何たる皮肉だろう
『ねーねーお姉ちゃん、織姫と彦星は、喧嘩とかしないのかな』
不意に、昔の自分の声が頭に響いた
『せやなぁ…織姫さんと彦星さんは、年に一度しか会わへんからなぁ。喧嘩なんてしとる時間ないんやろなぁ…ずっと一緒やったら、たまにはするんやないか?』
ふっと、ため息にも似た、乾いた笑いが零れた
姉の声が、僕達の全てを物語っているように聞こえた
しかし、僕はもうアルタイルではない
姉は、自分の彦星を見つけたのだから…
視界の隅に、綺麗な赤色がちらりと映る
姉だった
何も言わずに、いつのまにか静かにそこにいて、僕と同じように星を視ていた
気付かないふりをして、しばらく一緒に空を眺めた
「…綺麗やな」
姉が、何の感情も乗せないような声で言った
「そうだね」
僕も、何の感情も乗せずに返した
しかし、ふと気になったので、今度はこちらから聞いてみた
「今日は泊まりじゃなかったの?」
姉は、少し困ったように笑った後、言った
「その…なんや、急に寂しくなってな………」
「そう」
「うん…」
それだけで、会話は途切れる
居た堪れない様子の姉に、話題を提供したくなる
「彼とはどうなの?」
「ぇ、あ……うん…えぇ人だよ。ウチの事、いっぱい心配してくれるし、色々、気遣ってくれるし……」
そっか。と小さく呟く
「アイツはいい奴だから、安心だよ」
「葵……?」
姉は何かを感じ取ったかのように、僕の事を呼ぶ
僕は何も返さずに、ただ空を見つめた
姉も、それ以上は何も聞かずに、空を見つめているようだった
年に一度だけ出会う事の許される、織姫星と彦星
世界中の誰もがいい話だと讃えるようなお話
では、残されたデネブは、どうなるのだろう?
そんな事を考えながら、星空を眺める
今まであんなに自己主張の激しく見えていた三点は
その一つだけが、身を引くかのように、弱々しく光っているように映った