巨影を知らない都市   作:ギガンティック芦沢博士

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stage1:闇と光の巨影 ①

 頬に水滴が弾けるのを感じ、ビルの合間の空を見上げてみると、予報を裏切る雨が降り始めていた。家路を行く人々は慌てて走り出したり、用意のいい者は折り畳み傘を広げたりしている。俺はそのどちらもせず、相変わらずぼんやりと歩いていた。

 雨粒が地を打ち、けたたましく往来する車の音を聞きながら、灯り始めた街灯をふと見やるも、俺の心を占める単語はただ一つ、『巨影』だ。叔父から幾度となく聞かされた、解答無き問いかけ。その答えを薄い意識下で探っていた時だった。

 狭い空を一杯に覆いつくした暗雲に一瞬、枯れ木のような紫電が走ったような気がした。道行く人もそれを見ただろうかと気にかかり視線を下げると、ぼうっと、彼らの輪郭がピントずれを起こしたように鈍っていく。人だけではない、ビルも、車も、何もかもが俺の焦点に結ばれない。

 俺が唯一認識できる像は、人波の向こうに女性の形で佇んでいた。不自然なほどに波打つ長い髪、しなやかな肢体を含め、彼女は女性の形をした()だった。影のように輪郭だけがあり、顔つきやその他の情報は何も読み取れない。それなのに、くすんだ風景の中で輝く彼女は、俺を視線に捉えているような気がした。

 え? と、気づけば間の抜けた声が洩れていた。あまりに非現実な光景。しかし彼女が歩き出し遠ざかっていくのを見るや、彼女を追いかけなくてはと、俺の中に異様な焦燥感が生まれる。

「ま、待ってくれ!」

 みっともなく、年甲斐も無く走り出し、人々の間を縫って彼女を追いかけていく。それなりの人通りがあるはずなのに、彼女はまるで避ける様子もなく、実体の無いホログラムのように真っ直ぐに進んでいく。不自然なほどに、周囲の人間も彼女に意識を払う様子は無い。

 彼女が人混みから抜け出しビル間の小道に入ったのを見て、俺も追って駆け込む。ストーカーというには騒がしすぎる、お粗末な追跡だったが、その甲斐あってか彼女の背中はすぐそこにあった。彼女はただ佇んでいたが、その背中はなぜか、どこか寂しそうだと俺には感じられた。

「キミは……」

 ここまで言いかけて、彼女を追った理由をまるで説明できない自分に気づき、思わず言葉に詰まった。

 ビルの壁面を走るパイプが雨露に濡れている。空調のうめきがどこからか響く。こんな人通りの無い裏道に、得体の知れない存在と二人きりでいる。その現実が徐々に不安感を煽り立てた。

 雨が止んだことに気づいた時、彼女が振り返る。すぐ近くで見れば分かる、人間に極めて近い造形の……光。表情など判別できるものではないが、しかし俺はなぜか、彼女が不安の中にあって、助けを求めているような気がしてならなかった。俺の中にあった不安は立ち消えていた。

「えっと、俺は怪しいものじゃなくて……そう、キミを知りたいんだ」

 なるべく柔らかい声音を意識し語り掛けるが、反応は芳しくない。どうするべきか、そもそも自分はどうしたかったのか、根本的なところから悩んでいると、彼女に反応があった。

 大きく身じろぎした彼女は、しかし俺ではなくその後方、遥か高い位置を見上げているようだった。何かと思い振り向いてみると、そこにいたのは……黒く、巨大な影だった。

 始めは壁かと思った。しかし視線を上げていき、ビルの丈さえ超えた上方で、鈍くぎらつく一対の目と視線が噛み合ったとき、それが黒い巨人であることをようやく理解した。陽炎のように揺らめく輪郭が夜の闇に映え、その赤い目は品定めをするかのようにじっとこちらを見つめていた。血液が急速に冷やされ全身を駆け巡る感覚。第六感というものなのか、本能的な部分が眼前の巨人から逃げろと訴える。

 怯んだ様子の彼女に駆け寄ると、背後で巨人の動く気配がして、俺は咄嗟に彼女を抱きかかえて飛び、地面に伏せ込んだ。すると黒い巨人の伸ばした腕が僅かの差で空を切り、俺たちは転がるようにして路地の奥へと逃げこんでいく。

 いったいこれは何だ、どういう事態なんだ。そんな混乱を胸に押し込み、彼女の手を引いてとにかく走る。少し振り返れば、黒い巨人は腕を引っ込め、屈んだ体勢から立ち上がろうとしていた。

「いったい、あいつは何だ! なんで狙われてる!」

 もちろん返答は期待していなかったが、やはり彼女は何を言うわけでもなく、懸命に足を動かしている。彼女が関係しているのは明白だが、それを追求していられる余裕は無い。

 ポリバケツをひっくり返しながら狭く暗い路地を突き進み、やがて表通りに抜ける。そこでタクシーでも止めようと考えていたが、片側二車線の車道には一台の車も走っておらず、それどころか歩道すらも無人の、異様な光景が広がっていた。

「な、なんだ? この時間に人がいないわけ……」

 通りの中心に進み左右を見通してみるも、街灯や細い街路樹が等間隔に立ち並ぶだけの、静止画のような風景が伸びているだけだった。そこではたと、道の先が黒い壁に阻まれていることに気づき、見上げる。雨雲が低く垂れこめていた空は消え、水面のように揺らめく漆黒のドームが、街の一区画に覆い被さっていたのだ……俺たちを飲み込んで。

「なん……だ、これは」

 壮大なドームを見上げる俺の視線に、黒い影が入り込む。ビルの向こうからゆっくりと歩いて姿を現したのは、先ほど俺たちに手を伸ばした巨人に間違いなかった。

「でかい……」

 改めて正面から全容を捉えると、その巨躯に思わず声が漏れた。交差点に立つ彼の足元にある信号機など、まるでミニチュアのようにしか見えない。

 その巨人がゆっくりとこちらに向き直ったのを見て、俺は再び背を向け、彼女の手を取り走り出した。繋いだ手から不思議と伝わる恐怖の感覚。彼女を守らなくてはと、俺は強く心を保った。

 しかし黒い巨人が腕を振るうと、俺たちの前で道路が爆発する。鼓膜が破れそうな轟音、熱と爆風に思わず顔を庇う。煙が晴れると、そこには捲れ上がったアスファルトで壁ができていた。巨人は俺たちを殺しはせず、しかし逃がすつもりも無いようだ。

「くそっ!」

 せめてと彼女を背に庇い、黒い巨人を強く睨みつけるが、まるで意に介する様子はない。その足が踏み出されようとした、まさにその瞬間。

 黒い巨人に巨大な火球が衝突し、彼は大きく横に弾かれ視界から消えた。突如横から飛来し、なお交差点に留まり続ける太陽のような火球は、やがて収束し人の形になっていく。片膝と片腕を突いた状態からゆっくりと立ち上がったそれは、黒い巨人とは対極的な、光の巨人とも言うべき姿だった。

 体長も姿形も黒い巨人に瓜二つではあるが、薄闇に染まる空間で白い燐光を放つ彼は、雰囲気にどこか温かみすら感じさせる。彼は白熱灯のように輝く眼を俺たちに向け、小さく頷いて見せた。それだけで俺は、得体も知れぬ彼が味方なのだと信じ切ってしまう。その小さな所作だけで心が救われたような、言いようの無い安心感を覚えたのだ。

 その時、黒い巨人のものと思わしき咆哮が響き、一歩ごとに地を揺らしながら白い巨人に襲い掛かった。二体の巨人はがっぷりと組み合い、しばらく拮抗したと思うと、黒い巨人が遠心力をつけて白い巨人をビルに叩きつけた。轟音と共にガラスが砕け、粉塵が舞う。

 続いて頭部を狙って繰り出された拳は白い巨人がこれを躱し、倒れ込みながら黒い巨人の脇腹を蹴って吹っ飛ばした。

「す、ごい……」

 五十メートルはあろうかという巨人同士の激しいぶつかり合い。その迫力に呑まれしばし傍観してしまったが、白い巨人の戦い方は明らかに、黒い巨人をこの場から遠ざけようとしている。現に二体の戦場は通りの奥へと移行していた。その意思を汲み今逃げ出さずしてどうすると、自分を律する。

 俺は彼女の手を取り、捲れ上がったコンクリートの壁と向き合う。とても登れそうにはないが所詮は即席の障壁。少し見渡せば、やはり下部には人一人が通り抜けられそうな僅かな隙間が存在した。

「よし、ここから抜けて行こう。まずは」しばし逡巡し言う。「キミから通り抜けてくれ」

 彼女はすぐに理解してくれたようで、地に四つん這いになり隙間を潜り抜けていく。これは当然、巨人の戦いの余波が来た場合にいち早く逃げられるようにという紳士的気遣いからの選択であって、断じて俺は彼女の臀部に目が惹かれているとか、そういうことは一切ない。

 妙に言い訳がましい思考を振り払い、遠ざかった巨人たちを見やる。彼らがぶつかり合うだけで空気が振動し、街は脆くも破壊されていく。それは五年前の惨状を彷彿とさせた……五年前?

 脳のどこか奥で疼くものを感じながら、彼女が通り抜けたのを見て、俺もその後に続く。厚さ一メートルほどの洞穴の向こうでは、光を放つ彼女が心配そうにこちらを覗き込んでいた。その様子に少し愛嬌を感じ、思わず笑みが零れる。

「大丈夫だ、今行く」

 滞りなく通り抜けると、爆発によってできた窪みを登り、再び彼女の手を取って走り出す。

「とりあえず奴らから離れよう! ドームの端まで行って、運が良ければ出られるかもしれない!」

 彼女は文句をつけるわけでもなく、なすがまま俺に追従する。握った手は不思議な感触で、煙を掴んでいるかのように心許ない反発しか返さないが、しかし確かな温もりもあった。

 

 息が上がり、肺に痛みを覚えだした頃、ドームの端が見えてきた。時折振り返って確認する限り、巨人同士の戦いは上空で激しく衝突するドッグファイトに移行したらしく、時折花火のような轟音と火花がドームの天井付近で炸裂している。あれだけの質量を誇る生物が軽々しくも空を飛ぶとは、物理学も何もあったものじゃない。

 スケールの差に内心で愚痴を吐いていると、黒い巨人が俺たちを見据えて停止し、禍々しい色合いの光弾を放った。それは彼の掌を少し上回る程度のサイズだったが、人間からすれば充分に巨大だ。

 見る見るうちに近づく死の光に、俺は思わず彼女を抱きしめる――しかしそれは俺たちに届かなかった。横入りした光の巨人は防御態勢をとることも叶わず、スパークを伴う爆発に巻き込まれ、俺たちからほど近いビル群の中に落下していった。激しい衝撃と建物の崩壊による地鳴りは、まともに立っていられないほどだった。

 黒い巨人はきっと始めからこれを狙っていた。俺たちを狙えば光の巨人が庇うだろうと踏んだ、狡猾で悪辣な策略に違いなかった。

 ドームの壁を背に回して足を止めた俺たちの前に、ゆっくりと降り立つ黒い巨人。衝撃も無く静かに着地し、片膝をついて俺たちを眺めまわす。俺は彼女を背に庇い、小さく告げる。

「壁まで走れ」

 彼女の温かい手をまだ背に感じる。黒い巨人が伸ばす腕に突っ込んでいきながら、拳を振り上げて叫ぶ。

「走れ!」

 一瞬でいい、俺に気を逸らしている内に、彼女を――

 思考が弾ける。街が激しく回転して、アスファルトの壁がしたたかに俺の身を打つ……いや、これは地面だ。俺は奴の指一本に、まるで虫けらのように弾かれ、雨に濡れた地に伏しているんだ。

 口から熱い液体が漏れ出して水たまりに溶け、痛みともとれない痛みが全身を巡る。横向きになった世界で、彼女が俺の元へ駆け寄ろうとしているのを、ただぼんやりと見ていた。

 しかし彼女の体が黒い巨人の掌に包まれ奪われたとき、俺の中で燃えカスのように残っていた怒りが再び熱を持つ。血まみれの腕を彼女に伸ばして、届かぬ距離を憎々しく睨む。

 黒い巨人はあざ笑うように俺を一瞥して、彼女から光を取り込み始めた。彼女を包む手から奴の全身に巡っていく光が、彼女から全てを奪い取っていく気がした。

「や、めろ……!」

 俺の叫びを誰かが聞き届けてくれるなら、誰でもいい、彼女を助けてくれ――そう祈るしかできない、まさにその時だった。

 黒い巨人の後方、白い巨人が落下した方向から、闇夜を割くように放たれた青白い光線が、ビルを貫通して黒い巨人の体を穿つ。驚愕、苦悶、怨嗟、全てを含むような黒い巨人の悲鳴がビル間に反響し、やがて彼の手が開かれた。そこから羽毛のような速度で落下していく彼女は、光がくすみ、今にでも消えてしまいそうなほど弱々しかった。

 やがて光線が止むと、くずおれた黒い巨人の輪郭は今まで以上にぼやけ始め、その形を保つにも必死なようだった。肩で息をするような動作を取った後、黒い巨人はゆっくりと上昇を始めた。

 そして一定の高度に達したと思うと、彼の周囲に巨大な影のような()()が複数出現し始める。それは不定形でありつつも何かを形作ろうとしているように見えた。

 三つの首と巨大な翼を持つ影、両手に蟹のようなハサミを持つ影、翼竜のような影。人そのものといった影や、形容し難い歪な影もある。そのいずれもが巨大で、俺は無意識に『巨影』という言葉を想起していた。

 ……そうだ、()()。なぜ忘れていたんだ。死にゆこうとしている今になって、ようやく思い出すなんて! 五年前、この都市を破壊しつくした、奴らを!

 ビルの合間から、肩を押さえて歩み出た白い巨人がその巨影たちを見上げ、慌てた様子で黒い巨人の元へ飛んでいく。彼の伸ばした腕が黒い巨人に届きかけた、その時。

 街の上空に一つの太陽が生まれた。凄まじい光の奔流の中で俺が最後に見たものは、光に呑まれる白い巨人と、四方八方に散っていく巨影たちだった……

 

 これを皮切りとして、この都市を中心とした世界は失われた記憶を呼び覚まし、生きた驚異たち――巨影の存在を、その身をもって再び思い知ることとなる。




毎週土曜夜9時、ウルトラマンの影でこっそり投稿



今回の選択肢

「よし、ここから抜けて行こう。まずは」
①「キミから通り抜けてくれ」
 →本編通り。尻を見ます。男なので。
②「俺が通り抜ける」
 →安全確認という体で先行。胸を見ます。男なので。
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