巨影を知らない都市   作:ギガンティック芦沢博士

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stage4:影、逃げ出した後 ②

 走り出そうと足に力を籠めると同時に、アドレナリンによるものか、世界にスローモーションがかかって見えた。広がるデッドゾーンは人の手形のようで、俺は巨大な掌の中央から、最も近い指の隙間へと駆けだした。

 思考だけが先走り、夢の中のように遅々として進んでいないように感じる。しかし確実に、俺が駆けるより早く、デッドゾーンは色濃くなり死を薫らせる。安全圏まであと少し、という所まで来たその時、俺を圧し潰すように巨大な影が覆った。

「カメさん!」

「うおぉぉぉっ!」

 ユーコの声に呼応するように前に飛ぶ。それと同時に凄まじい風圧、そして衝撃が爆発のように俺を襲った。地へ転がり煙に包まれ、もはや上下の区別もつかずただ無事を祈りうずくまる。

 やがて打ち上げられた小石がパラパラと降り注ぎ、また間一髪で助かったことを悟ると、顔を上げて周囲の状況を確かめる。俺を囲むエヴァの指は丸太のようで、これの下敷きになればまず助からないだろうと容易に想像できた。その手の先では、エヴァの巨体が木々をなぎ倒して横たわっている。鋭い横顔は俺のことを捉えているようにも思えた。

 カメラの無事を確かめ撮影を続行し始めたその時、突然に太陽が陰った。見上げてみると、雲のように日光を遮ったのは飛行形態に移行したシャムシエルだった。その巨体の裏面を近くで見ると、改めて圧倒される。まるで巨大な飛行船だ。

 シャムシエルはゆっくりとエヴァの直上へ移動し、またも光鞭を繰り出した。それに素早く反応したエヴァの腕が持ち上がり、指の間にいた俺は思わず目を覆う。顔にかかった土を払うと、エヴァは激しいスパークをまき散らしながら、シャムシエルの鞭を両手で握り、押さえ込んでいた。

 しかしエヴァはそれ以上の抵抗をせず、ただ使徒の攻撃に耐え続けている。その理由に思い至った時、俺は絶望的な立場に打ちひしがれる。

「俺か……! 俺がいるから、自由に動けないのか!」

 活動限界が近づくエヴァを俺が阻害しているというあまりに不本意な事態に、悔恨や羞恥、罪悪感が募るが、今更ちっぽけな人間一人に何ができよう。居たたまれない気持ちで二体の鍔迫り合いを見ていると、エヴァが体を捩り頭部を接近させてきた。

「な、なんだ?」

 エヴァの頭部が持ち上がり、うなじ付近の装甲が展開すると、脊髄にあたる場所から一本の円柱が飛び出してきた。その一部が開きロープ状の梯子が下りると、若い女性の声がスピーカーを通して響く。

『そこの人、乗って! 早く!』

 息を飲んで我に返り、慌てて梯子へ向かって走り出す。これ以上迷惑はかけられないという義務感が強くあるものの、エヴァに搭乗できるという高揚感は少なからず覚えていた。

 

「これはエントリープラグという、操縦席を内包するものです。入るときには注意して――あ」

 一歩遅い警告は、謎の液体の中で気泡を吐きながら聞くことになった。

「ユーコ! そういうことは早く言え……ん?」

 水中に没したはずなのに発話ができること、そして呼吸すら可能であることに気づき驚嘆する。

「な、なんだこれ」

「この水はLCLというもので、肺に直接空気を取り込めるようです」

「凄いな。なんとなく、血の匂いがするが……あっ、カメラ!」

 慌ててカメラを確認した時、真っ暗だったプラグ内に光が戻り、内壁全面にノイズ混じりで外の様子が映し出された。それはプラグとエヴァの胴体が透明化したような不思議な光景だったが、俺の意識はそれにも、眼前の使徒にもなく、こちらに背を向けて操縦席に座る者に注がれた。

「……こ、ども?」

 パイロットスーツに身を包んだ彼は、明らかに十代半ば、中学生程度にしか見えない少年だった。左右にある操縦桿を強く握りしめている手が、まだ薄い。

 彼が小さく呻き声を上げるとエヴァが動き始め、シャムシエルの鞭を大きく引いて振りかぶり、反動をつけて前方へ投げ飛ばした。かなりの振動が来てもおかしくないようなものだが、プラグに満たされている液体の効果か、予想より揺れは感じなかった。

『今よ、後退して!』

 先ほどの女性が凛々しく指示を出す。エヴァを使ったこの大規模な作戦を指揮する彼女は、若そうだが相当なエリートなのだろうか。

 しかしどうしたことか、操縦桿を握る肝心の彼がその指示に応答しない。エヴァも退く気配を見せず、おもむろに立ち上がり視界がぐんと高くなる。

「キミ、逃げろと言っているぞ、なあ……」

 背もたれに近づいてそう呼びかけてみるが、やはり反応は無い。その時、消え入りそうに呟いていた彼の言葉が聞き取れた。

「逃げちゃ駄目だ……逃げちゃ駄目だ……」

 自らに言い聞かせるような、痛々しくも感じる内容に眉をひそめた。

「キミは……」

「逃げちゃ駄目だ……!」

 彼が顔を上げ、ひと際強く呟くと共に、エヴァの左肩のパーツが展開し、そこから短いナイフのようなものを抜き出した。短いとはいえ人間からすれば充分に巨大なそれは、エヴァの右手で発光し始めた。

『命令を聞きなさい、退却よ!』

 しかし彼は応じない。やがて稼働時間を示すタイマーが一分を切り、プラグ内部が赤い警告色に染まった瞬間、それが合図とばかりに彼は叫んだ。

「うわあああぁぁぁっ!!」

 エヴァは地を蹴って山肌を滑り降り、山麓で待ち構える使徒へ向かっていく。木々を薙ぎ倒し土煙を上げるその衝撃はさすがに殺しきれないか、激しく揺れるプラグ内で必死に操縦席にしがみつく。

 やがてシャムシエルの射程に踏み入ったのか、一対の光鞭がしなり、エヴァの腹部を貫いた。少年が痛々しげな呻きを上げ、それにシンクロするようにエヴァも停止する。

「なんだ、どうした!?」

「エヴァの損傷はパイロットにそのままフィードバックします!」

「なに!?」

 つまり今、彼は自らの腹部を貫かれたも同然の痛みを味わっているのか。

 あまりに非人道的な機構に憤りを覚える。しかし彼はその痛みで逆に()()たか、再び絶叫を上げてナイフを振りかざす。

「うあああぁぁぁっ!!」

 両手で突き上げた刀身が、シャムシエルの首元の赤い球体に深々と突き刺さると、まるで金属を切断する工具のように、激しい音と火花の雨をエヴァに降らせた。

「あああああああっ!!」

 少年が咆哮を上げながら、エヴァと同じように全身で右レバーを押し込んでいく。

『初号機、活動限界まであと三十秒!』

 女性オペレーターがカウントダウンを始め、エヴァの限界が刻一刻と見えてくる。

「ユーコ、あれが弱点か!」

「はい! あの球体を破壊すれば殲滅できます、けど……!」

 ナイフによる裂傷は生まれている。しかし使徒はその活動を停止せず、エヴァに、少年に、深々と光鞭を突き刺したままだ。

『二十二! 二十一!……』

「うわあああぁぁ!」 

 まだ子供特有の甲高さが残る声で、喉を壊すほどの絶叫を上げて戦っている。それを後方から眺めている自分が口惜しくて堪らない。

「くそっ、何かできないのか! 何か……!」

 その時、背もたれを掴んでいる自分の掌に熱を感じた。見ると、両の掌が淡い赤紫色の光を放っている。

「カメさん、それは!?」

「分からない! 分からない、けど……!」

 なぜか分かっていた。この光が、力が、エヴァとこの少年を救えると。

『十二! 十一!……』

 少年の手に俺の右手を伸ばし、重ねる。彼はそれを気にかける余裕もなく、ただ叫び続けている。重ねた手の甲から伝わる必死の力が、俺の心を奮い立たせた。

「いくぞ、エヴァ!」

 掌が鮮烈な光を放つ。体の奥深くから沸き立つものを感じ、それを怒涛のようにエヴァへと流し込んでいく。

「ううぅ、あああぁぁっ!」

『五! 四! 三!』

 エヴァの気配が変わる。これまで奥底に押し込められていた、より巨大な何かが解放されたような、そんな雰囲気を感じた。頭上で何かが、バキンと音を立てて壊れた気がした。

『二! 一!』

「いけえええええええっ!!」

 俺が叫ぶと同時に、ガラスの割れるような音で赤い球体が砕け、ナイフは勢いそのままに、エヴァの腕ごと使徒の体を貫通した。

 プラグ内の電源が全て落ち、薄暗闇と完全なる静寂に包まれる。エヴァに力を与えた結果か、強い脱力感に苛まれながら荒い呼吸を整える。やがて敵を撃滅した事実を徐々に飲み込み、心には歓喜が溢れかえってきた。

「は、はは、やった。やってやった……」

「やりましたねカメさ、あ……」

 ユーコが口をつぐんで注視したのは、操縦桿に体重を預け、俯いた姿勢のまま細い肩を震わせる少年だった。僅かに聞こえてくる嗚咽に、俺も見ていることしかできなかった。

 いったい、エヴァとはなんだ。こんな少年が戦わなければならない理由は、命をかけなければならない理由とはなんだ。

 それは後にして思えばジャーナリズムの芽生えか、あるいは持って生まれた義憤の発露か。どちらにせよ、俺の中の転換点となる出来事には間違いなかった。声を押し殺して涙を流す、華奢な背中を俺は忘れられなかった。

 




次回予告

カメ「エヴァ、使徒、ネルフ。どうにもきな臭いってもんだが、とにもかくにも俺は首都の下宿先へ帰り着いた」
ユー「ここってなんだか落ち着きますね!」
カメ「だろ? ところが平穏も束の間。なんと暴走レイバーが突っ込んできて、何もかもぶち壊した!」
ユー「カメさんかわいそー……」
カメ「ええい、呪い腐ってる場合じゃない! ユーコ、追うぞ!」
ユー「あ、はい!」
カメ「次回、『暴走する機械の影』!」
ユー「ターゲット、ロック・オン!」
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