巨影を知らない都市 作:ギガンティック芦沢博士
俺は瞼を閉じたまま横になり、もやのようなものに満ちる薄暗い空間を
『おい、そこにいるのは誰だ』
答えるようにもやが晴れると、そこに居たのは美しい女性だった。上品な白いワンピースと、そこから伸びる白磁のような美しい四肢。カラスの濡れ羽色をした長い髪は白い肌によく映える。長いまつ毛に縁どられたガラス玉のような目は、俺の姿を映していた。
その姿に暫し圧倒されるも、意を決してまた問う。
『キミはいったい何者だ』
目も口も開かぬままそう聞くと、彼女も口を開くことなく、しかし慈愛を感じる微笑を浮かべて答えた。
『あなたたちからすれば、地球外生命体、宇宙人といったところです』
『宇宙人?』
『そうです。私の力を狙う謎の巨人から逃げて、この地球に迷い込んでしまったのです。あなたに会えなければどうなっていたことか……』
そこでふと、人型の光と言うべき女性を俺は思い出していた。
『そうか、キミはあの光の。その姿はいったい……』
『黒い巨人に力を奪われたので、見え方は変わっているかもしれません。しかし、ちゃんと生きています』
『そうか、なら良かった……いや、守り切れずにすまなかった』
俺の謝罪に彼女は首を横に振り、悲痛な表情を浮かべた。
『いえ、私は確かに、あなたに守っていただきました。けど、あなたを巻き込んでしまった……本当に申し訳ないことをしました』
頭を下げた彼女を責めることなどできない。俺が勝手に奇妙な使命感に駆られてやったことなのだから。
『後悔は無いさ。心残りもままあるが……誰かを守って死ぬとは、我ながらなかなか上出来だ』
『いえ、あなたはまだ死んでいません。そのことでお願いがあるんです』
『お願い? どんな』
『私を、あなたの中に受け入れてほしいのです』
こちらの顔色を窺うような視線を投げかける彼女。俺はこの空間では眠っているような状態らしく、表情を動かすことはできないが。
『あなたの中に受け入れてくだされば、あなたの傷を徐々にですが癒すことができます。それに……』
『それに?』
彼女は一つ間を置いて、ことさら言いづらそうにして告げた。
『実のところ私も力を奪われて、このままでは消えてしまいそうなんです。あなたの中で生き延び回復を待てれば、私にとってもこんなに良い話は無いんです』
そこで彼女はもう一度頭を下げた。
『助けてもらい、巻き込んでしまった上、厚かましいことを承知でお願いします。どうか私を受け入れてくれませんか。あなたの傷が治り次第、すぐにも出ていきますので……』
彼女の声は少し震えていた。交渉を有利に進めたいのであれば、自分が弱っていることを明かす必要は無いのだ。それ自体が他の目的を果たすためのデコイ、という穿った見方もできるが、俺は彼女が信用に値すると感じたし、信じたいと思った。
『条件がある』
『は、はい。なんでしょうか』
肩を跳ね上げ、説教を待つ子どものような目をした彼女に、俺は笑いかける……ことはできないので、できる限りの柔和な調子で言う。
『キミ自身も完全に癒えてから出ていくこと。それさえ守ってくれれば、むしろこっちから頭を下げてお願いしたい。今は下げられないけど』
彼女は虚を突かれたように一瞬惚けた後、白い歯を見せてくしゃりと破顔した。
『ありがとうございます。本当に、その……』
温かい空気が流れる暫しの間、俺は改めて彼女を観察する。透き通った眼、桜色の瑞々しい唇、流麗な曲線を描く頬。さらりと流れる黒髪を耳元にかきあげる仕草。一つ一つに完成された美を見た気がして、思わず目を奪われそうになる。
『一つ、気になるんだが。キミと一心同体になると、キミはどうなる。また話せるのか』
『ええ。姿を消すこともできるとは思いますが、基本はこの姿のまま傍らに居ます。ご迷惑かと思いますが、しばらくの間、よろしくお願いしますね』
なるほど、憑依霊のようなものか。彼女のような美人と常に行動を共にするとなると、男としては嬉しい限り……ではあるが、正直気疲れしそうでもある。それに気がかりなのは……
『こちらこそよろしく。……それで、迷惑ってことはないが、俺のプライベートってのは……』
そう尋ねてみると、彼女は何を思ったのか頬を染め、恥じらいを楽しむ少女のような仕草で顔を逸らしてみせた。
『え、ええ。その、平気です。その時はちゃんと目と耳を塞いでおきますので安心してください』
『待て、なんだその反応は。キミはいったい何を想像してるんだ。その時っていつだ、おい』
『ヘッヘッヘ、シンパイスルコトハナイデスヨ……』
やたらと悪党じみて不気味に笑い、心配になるようなことを言う彼女。追求するべきかと考えたその時、薄闇の世界に光が差し込み始める。
『そろそろお目覚めですね。それじゃ、いきましょうか』
彼女が残像を残しながら、俺に正面から倒れ掛かってくる。そして俺の体と重なり溶け合うと、まるで血管に湯水が流れているような温もり、そして母に抱かれているような安堵感を覚えた。彼女が俺を抱擁しているように感じられて、俺も彼女を抱き返した……
「本官にそういう趣味は無いんだが」
車道の真ん中でクラクションを鳴らされながら、お巡りさんを抱き締めていた。
寝転ぶ俺の視界にはもう一人の警官、そして通りがかりの一般人と思わしき人たち。ここで俺は瞬時に、末代まで語られる恥を現在進行形で晒しているのだと察した。羞恥心を計るメーターでもあればレッドゾーンを超える域に針は達しただろう。
「大変申し訳ありませんでしたぁ!」
警官を開放すると、素早く土下座の体勢をとる。これにより身体的な無事を周知させると共に、警官共々周囲の人々に誠意を込めた謝罪をして見せる。顔を上げれば耳まで真っ赤になった無様を晒してしまうだろう。
歩道に移り交通を回復させ、俺は改めて皆に謝る。幸いにも彼らが俺に非難を浴びせることはなかったが、逆に理解がありすぎるのでは、と違和感を覚えた。
「キミも動転してしまったクチかい?」
「は? 動転って、何に?」
「何って、キミもしかして思い出してないのかい。五年前の災害のこと」
警官の言葉に息を呑む。
「じゃあ、まさかみんなが同時に?」
「ああ、どうやらそうみたいでね、町中パニックだよ。中にはキミみたいに動揺して気を失う人も出ちゃうしさ」
見回してみれば、行き交う人々もどこか落ち着かない様子だ。携帯の画面から情報を得ようとしている者も多く見受けられる。
そう、そうだ。五年前の災害は、超常的な巨大生命体らによって引き起こされたものだった。それを思い出してなお霞がかったように、肝心の巨大生命体の正体は思い出せないが、ともかく。こんな感覚は初めてだから説明し難いが、その記憶は脳の空白にガッチリ嵌り、失われていた真実なのだと確信が持てた。
「じゃ、みんなあの巨人は見たんですか? あの黒と白の……」
「巨人? いや、それは見ていないが……」
警官や周囲の人々の反応を見ても、目撃者はいないようだ。どうやらあのドームに何かしかけがあったらしい。先ほど破壊されたビルを見ても、無傷のまま窓明かりを放っていた。
「巨人は私たちしか目撃していませんよ」
静穏な水面に落ちた水滴のように、凛とした波紋が押し寄せる。その声は、いつの間にか一般人の輪の中に加わっていたとびきりの美人――つまり彼女のものだった。
「キミか。ちょうどよかった、いくつか聞きたいことが……」
「あー、あまり人前で話しかけない方が……」
察するべきだった。俺の中にしか存在しない彼女は、他者から言ってしまえばイマジナリーフレンド、架空の友人のようなものなのだから。しまった、と後悔した時にはもう遅い。
「キミ、大丈夫か? 倒れた時に頭でも打っちゃったか?」
「すぐ救急を呼ぶからな。落ち着いて横になろう、な」
周囲から労りを持った視線が俺に突き刺さる。恥の上塗りは居たたまれなく、恐らく赤面しているだろう俺は走って逃げだした。
「ありがとうございました! もう大丈夫なので、では!」
警官の呼び止める声を背に、生を受けてより類を見ない全速力で街を駆け抜けた。夜の涼風は火照った顔を冷ましてくれたが、俺の背後にいる幽霊のような彼女は、押し殺した声で笑っているようだった。
人気のない路地の自販機の前で膝に手を突いた俺は、激しく鳴る心音を聞きながら呼吸を整えていた。
「ここなら話しやすそうですね」
興味深げに自販機を観察しながら彼女は言った。気になるなら買おうかと聞くと、現在の彼女は物理的な干渉ができず、そもそも飲食の必要が無い種族らしいので遠慮された。俺はそこで買ったコーヒーを飲みながら、道端に座り込んで彼女から話を聞く。
まず、なぜ俺にだけキミが見えたのか、と問うと、「波長?」と言って首を傾げたので、そこは本人もよく分かっていないらしい。
「で、俺の体なんだが……徐々に癒すって話じゃなかったか? すこぶる快調なようだが」
「ええ。簡単に言えば、私が怪我を肩代わりしてるようなものです」
「え、それ、キミは大丈夫なのか? 痛むか?」
「いえ、元来傷とは無縁の種族なので痛みは無いです。けど、これは一体化したとき限定の反則技みたいなものです。今後負った怪我は肩代わりできないのでお気をつけて」
「そんなことができるのか……でも、ということは、今キミに抜けられると……」
「うーん、私もあなたも共倒れだと思います。傷はすぐあなたに戻されますから」
どうやら俺と彼女はどこまでも運命共同体、一蓮托生の関係になっているらしい。一人分の体ではない、ということは念頭に置かなくてはならないだろう。
「そういえば、あの巨人たち。彼らはいったいどうなった。キミは何か見たか」
彼女は首を横に振った。
「いえ、私が目覚めたときには既にどちらもおらず、死にかけのあなただけでした。あなたと一体化してからすぐ、ドームが消えて人々が現れたんですが……そういえば、私はどうやって助かったのでしょう?」
彼女が力を奪われてからの顛末を語ると、彼女は顎に手を当て、幾ばくかの間、思案にふけっていた。
「私の力を取り込んだ黒い巨人が、あなたの話の通り白い巨人の攻撃で相当やられて、苦し紛れにその、巨影、というんですか。それらを出現させたとしたら……エネルギーを抑えきれず消滅したのかもしれません。白い巨人も巻き込んで……」
沈黙が落ちる。身を挺して俺たちを庇ってくれた白い巨人の安否は気にかかるところだが、その前にと気持ちを切り替え、彼女と向き合う。
「改めて言わせてくれ。助けてくれてありがとう」
頭を下げる俺に、彼女は慌てて手を振った。
「いえ、そんな! 私こそ巻き込んでしまった上、怪我まで負わせて……しかも体の一部まで間借りして……うう、やっぱり私の借りが大きすぎますね」
申し訳なさそうに肩を落とす彼女を見ていると、とても責める気になどなれなかった。
「もうあまり気にするなよ。俺もキミもこうして生きてるんだ、それで良いじゃないか」
肩の荷が少しは下りたのか、彼女は安堵したように目じりを下げ、ほっと一息ついた。地球外生命体というものには初めて出会ったが、そんじょそこらの地球人よりよほど感情表現が豊かで、かつ良識的だ。出会ってからここまで数時間と経っていないが、俺は既に彼女を好ましく思っていた。
「まあ、お互いゆっくり体を癒そう……と言いたいところなんだが、俺はこれから忙しくなりそうだ。キミにはすまないけど」
「え、なんでです?」
彼女からの質問に、俺は立ち上がって答えた。
「実はな、俺は前々から五年前の災害の正体を追っていたんだ。巨影というのはまさに追い求めていた答えだ! あの光の中で巨影たちが散っていくのを見た。もちろんそのまま消えたのかもしれないが、どこかへ飛来して、現れるのかもしれない。そうなったら俺は、彼らの姿を、脅威を、記録として収めたいんだ!」
熱意の赴くまま彼女に打ち明けてみると、その透き通る目が少し開かれていた。
「へえ~、それがあなたの、いわゆる”お仕事”なんですか?」
仕事という概念に疎いのか、少々拙い印象の問いかけだったが、その内容は的確に俺の痛いところを突いてきた。
「まあ、今は仕事というか、単なる小間使いというか……いやまあ卵さ、カメラマンの卵。これから俺はでっかくなるんだ、うん!」
自前のカメラも無いんだけどな、という無慈悲な現実を叫ぶ心を押し込め、いくらかの見栄を張る。しかし彼女の視線は尊敬や好奇心の光で溢れていて、俺のちっぽけな自尊心の立つ瀬を抉った。
「すごいです! 自分のお仕事に理想や誇りをお持ちなんですね!」
「うんソーナノ。ハハ。もうやめよう、な」
これ以上彼女の心象と実像の剥離が進めば俺の心が持たないと判断し、話を切り上げる。そこで噂をすれば影、携帯電話に着信があった。名を見ればそこには俺の叔父及び上司である、大塚秀靖の名が表示されていた。
今回の選択肢
「条件がある」
「は、はい。なんでしょうか」
①「キミも癒えてから出ていくこと」と優しく言う
→本編通り
②「俺が治ったらすぐ出ていくこと」と冷たく言う
→人の心があれば胸の痛む反応をされる
③「他の体調不良もついでに治して」と冗談めかして言う
→彼女も安堵したように笑う
④「い、良いことしない?」と鼻息を荒くして言う
→子どものような無垢さを発揮され気まずくなり引き下がる