巨影を知らない都市   作:ギガンティック芦沢博士

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stage2:帰ってきた我らの巨影 ①

 五年前、この都市で”何か”があった。街は破壊され、多くの死者が出ていた。しかし……あまりに非現実的だが、俺たち生存者は誰一人としてその”何か”を思い出せなかった。

 ごく普通の日常を送っていたはずが、次の瞬間には数週間もの未来の世界に飛ばされて、目の前には凄惨な光景が現実として転がってた……感覚としては、そうとしか形容のしようがない。

 記録にしてもそうだ。公的な日報にしろ個人的な日記にしろ、その期間に該当するページは全て白紙の状態だった。

 記憶にも、記録にも残っていない、有史以来類を見ない謎の空白期間。誰もが混乱し情報は錯綜する、まさに驚天動地、未曾有の大混乱だった。

 しかしそれでも日々を生き抜かないわけにはいかない。人々は混乱の中にありつつも逞しく復興に励み、支えあい……なんとか日常を取り戻した。何も思い出せぬまま、その事件すらも過去に置き去りにして……

 しかし過去を追い求めて止まない連中も当然存在した。俺の叔父にあたる人など特にそう。彼、大塚秀靖の手帳に自らの筆記で残されていた、たった二つの文字が彼を突き動かしていた。

 それこそが『巨影』。この聞きなれない謎の単語に叔父は運命的なインスピレーションを感じ、今日までその失われた記憶の正体を追い求めていた……俺を巻き込んで。つまるところ、俺もその連中の一員というわけだ。

 

『よう我が甥よ。どうだ、やっぱり俺の書き残したメッセージは正しかったな! ”巨影”だ! お前の奢りだぞ!』

 上機嫌な声がスピーカーを揺らし、思わず苦笑してしまう。通話相手か、それとも携帯にか興味を持った彼女は、お互いの髪が触れ合うかという距離にまで顔を近づけ、耳をそばだてていた。その距離に少しドギマギしながらも俺は会話を続ける。

「人のこと顎で使っておいて奢れとは、まったく立派な叔父ですな」

『そうとも、立派も立派。自慢しろよ、俺の叔父は世界でただ一人、巨影を知っていたんだとな!』

 最近は半信半疑だったくせに、とマイクを離して小声で呟くと、彼女が噴出した。

『まあ奢りは今度でいい。それより今すぐ来れるか? 今後について相談しておきたい』

「今から? 終電もなくなるよ。まあいいけど」

『お、なんだ話が早いな』

「俺も結構気が昂ってるのさ。このまま布団には潜れないよ」

『よしきた。じゃあオフィスで待ってるぜ』

「はいはい、叔父さんの自宅でね。じゃ」

 通話を終了すると、好奇心の輝きを湛えた彼女の目と視線がぶつかった。

「これが噂に聞く”けーたい”ですか! ほんとに遠くの人と話せるんですね!」

 どこに流れた噂なのだろう、と地球外生命体の情報網に若干の興味を抱くがここは流す。

「まあ、聞いての通り早速呼び出しだ。悪いけどこのまま行くぞ」

「はい、大丈夫です。カメさんの立派な仕事ぶり、応援します!」

「ありがと――待った、カメさんって?」

「人間って、親しい人にはあだ名っていうのを付けるんですよね? カメラマンだから、カメさんです」

 その愚直なセンスに物申したいのは山々だが、ボールを取ってきた犬のような目で見られては受け入れる他なかった。しかしその流れで今度は俺が彼女にニックネームを付ける運びになってしまった。彼女はこれまで名前らしい名前で呼ばれたことがないらしく、期待の籠った目で俺を見るものだから、ひどくプレッシャーを感じる。

 

 叔父の元へ向かう道中、電車の中でもうんうんと悩み、和名や英名を散々行き来した挙句、思いついたのは――

「じゃあ、ユーコなんてどうだい」

 人気のない車両内、携帯をいじるカップルと酔い潰れたサラリーマンに聞かれないよう囁くと、ふわふわと浮いて広告を眺めていた彼女は満面の笑みを見せた。

「ユーコ……ユーコ! 良い名前だと思います! そう、私はユーコですかぁ、ふふ」

 頬を染め、噛み締めるように自分の名を口にする彼女は……ユーコは、当初の印象より幼く見える。好奇心旺盛で天真爛漫、その辺りが彼女の本質なのかもしれない。

「ねえねえ、それってどんな由来なんですか?」

 真っ直ぐに俺を見つめる瞳の眩さに、俺は気まずさから顔を逸らす。

「いや、幽霊みたいだから、ユーコって、感じで……」

「えー、ちょっと安直じゃないですかー?」

 頬を可愛らしく膨らませる彼女に、カメさんの方がよほどだ、との言葉は飲み込んだ。

 地上出口から十分ほど、都心外れの住宅街といった様相の街並みを行き、見えてきたのは変哲もない八階建てのマンション。表通りに面しているが、周辺は夜になれば殆ど人通りはない。

 街灯の照る路地を歩いているとき、唐突に叔父からのメッセージは届いた。

『くるなかくれてるへんしんよせ』

 全身から血の気が引く感覚。ユーコも画面を覗き込んだ。

「カメさん、これは……!」

「どうも、まずそうだな」

 何があったのか、いや”何者が来た”のかは分からないが、切迫した状況は文面から見て取れる。そして恐らくそいつは、着信音も聞き取れるほど叔父に肉薄している。

 叔父の言う通り近づかずにいる方がいいのだろう。こちとら護身の心得もない素人だ。しかし……

「すまないユーコ、危険だとは思うんだが……」

「いいんです、行きましょうカメさん! 大塚さんって、大事な人なんですよね」

 俺が言葉を言い切る前に、強い口調でユーコに先んじられる。迷いなく俺の背を押してくれる彼女の言葉に、俺は頷いた。

「大事というか、腐れ縁というか……でも大事な縁だ。助けに行こう」

「はい!」

 そうして彼女を伴いマンションへと歩みを進める。窓明かりの漏れる静かなマンションが、今は闇夜にそびえる伏魔殿に見えた。

 

 エントランスが見えるまでに接近した時、既に異変は目に見える形で現れた。キーによる解錠を必要とする内ドアが閉まりかけ、しかし何かを挟んだことを感知し開く。これを延々と繰り返していた。端的に言えばその”何か”とは人間だった。いや、恐らく人間のはずだ、としか言いようがない。

 その人、恐らく住人と見られる壮年の彼は、目を驚愕に見開き、たじろいだ体勢でそこに”固まっていた”。作り物であることをどこかで祈りつつ、恐る恐る近づき観察してみるも、間違いなく人間そのもの。しかしパントマイムや芸の類ではない、呼吸も脈動も無い完全なる停止状態だった。

 一定のリズムで刻まれる無機質なモーター音が、俺の奥底に押し込めていた恐怖をふつふつと沸き上がらせる。

「なんだ、これは……!」

「どうやら死んでいるわけじゃなさそうです……仮死とも違う。こんな芸当、人間ではありえません……」

 冷静に分析を進めていた彼女が天井の一部を見つめ、己の体を抱いた。

「どうしたユーコ」

「なんでしょう、この感じ……何か、人以外の気配を感じます」

 ユーコがそう言う存在を、俺は一つしか思いつかなかった。

「まさか、巨影か?」

「分かりません。私もその巨影というものを見たことがないので……カメさん、これは思ったよりまずそうです。さっきはああ言いましたけど、引き返すのも手ですよ」

 先ほどまでの無邪気な子どものような一面とは違う、怜悧な思考。これもまた彼女の本質ではあるのだろうが、俺を見るその目が根底に流れる優しさを物語っていた。

「いや……行こう。ますます叔父さんが心配だ」

 俺は気と顔を引き締めユーコにそう言うが、彼女の不安げな表情は変わらなかった。

「今の私にできることは多くないです。実際に危険な目に合うあなたに、こんなことを言うのは身勝手ですが……どうか気をつけて」

 俺は大きく頷き、開閉を繰り返す自動ドアを抜け、叔父の部屋へと向かい始める。

 

 彼の部屋は最上階にある。エレベーターを使うのが最短ルートだが、いざという時に逃げ場のない閉鎖空間は忌避される。そこで俺は内階段を利用すべく階段室の戸を開くが、薄暗く心許ない照明に照らされる空間は、不気味の一言に尽きた。

「うう、ちくしょうビビるな俺……!」

 自らに喝を入れ上り始めると、ユーコが先導するように俺の前を飛び始めた。

「まず私が安全か確認するので、カメさんは後に続いてください」

「あ、そうか! やった、助かる!」

 小声で感謝を告げるが、状況と物理的接触が許せば抱きついて飛び上がりたいほど、心は大歓声で彼女を讃えている。この状況でクリアリングをせずに済むとは、なにが『できることは多くない』だ!

 ユーコの先導により俺は後方だけに注意を払い、冷静に階段を登っていく。物音一つしない内階段は俺の立てる物音をよく響かせる気がして、呼吸すら躊躇われた。

 このまま呆気なく到達できるか、と考えたとき、上階の扉が乱雑に開かれる音が響いた。心臓が喉元まで出かかった気がした。

「おい、誰だ!」

 階段を駆け下りてくる荒々しい足音へ叫ぶ。これで返事が無いようなら手近な階へ逃げようと想定していたが、狼狽した声がすぐに返された。

「誰かいるのか! た、助けてくれ!」

 ユーコを見ると小さく頷いたため一先ずそこで待つ。駆け下りてきたのは、以前も何度か見かけたことがある、マンションの管理人だった。彼は人に会えてよほど安心したのか、縋るように俺の肩を掴んだ。

「どうしました、上で何があったんです」

「ば、化け物だ! は、ハサミみたいな手で、みんな固まっちまった!」

「化け物、ハサミ?」

 今一つ要領を得ないが、少なくとも人間による犯行ではなさそうだ。

「とにかく落ち着いて、まず下に降りて通報を。そしたら――」

「カメさん後ろ!」

 ユーコの叫びで脊髄反射のように振り向くと、そこには明らかに人外と見て取れる謎の生物がいた。

 端的に表現すればそれは、二足歩行の昆虫の化け物。感情を映さない丸い目が光る、セミのような顔。頭部にはV字を描く謎の器官。そして最大の特徴はエビのような巨大なハサミ。全てにおいて異質極まりない、明らかな異生物。

 管理人が悲鳴を上げて上階へ逃げようとすると、その生物のハサミがこちらに向けられた。

「伏せて!」

 ユーコの声に我に返り咄嗟に伏せると、ハサミから発された赤い怪光線が頭上を通過し、管理人の背中に直撃した。すると彼はその姿勢のまま、エントランスで見たのと同じように完全に硬直化した。

 悪態をつき、俺は上階に向かって一気に駆けだした。

「なんだ、あいつは!」

「あれはバルタン星人! 宇宙忍者と評される異星人です!」

「知ってるのか!?」

「なぜか思い浮かんだんです!」

 それ以上問う余裕は無く、段飛ばしに階段を上り続けていると、背後から奇妙な声が――あざ笑うような独特の声が聞こえた。

 すると残像を後方に伸ばしたバルタン星人が、俺の横を通り抜けて、前方を塞ぐように瞬間移動してきた。踊り場に立った奴にハサミを向けられ、俺は瞬時の判断で身を横へずらす。

 降りかかった光線を紙一重で躱し、雄叫びを上げながらバルタン星人へタックルを見舞う。予想外に柔らかい感触に身の毛がよだつが、壁に背中を強打したバルタン星人は呻き声のようなものを漏らした後、スウっと溶けるように姿を消した。

 荒い息を漏らしながら周囲を警戒する俺に、ユーコが興奮した様子で話しかける。

「すごいですカメさん! まさか撃退してしまうとは!」

「まだ分からないだろ……! ハァ、とにかく、ここを離れよう」

 荒い呼吸を整えるのもそこそこに、俺は再び最上階を目指し階段を駆け上がった。

 




今回の選択肢

踊り場に立った奴にハサミを向けられ、俺は瞬時の判断で――
①右へ避ける→回避成功
②左へ避ける→回避成功
③上へ跳ぶ→人間そんなに跳べない。回避失敗
④バク転で避ける→回避はできるが振り出しに戻る
⑤そのまま突っ込む!→当然のように失敗


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