巨影を知らない都市 作:ギガンティック芦沢博士
重い金属の扉をゆっくり開くと、廊下の中ほどに動かない人影を見る。銃を取り出そうとしたのか、腰に手を添えた姿勢のまま硬直している警官だった。
「叔父さんが通報したのか?」
男性警官に近づき様子を窺う。これまでと同じようにバルタン星人の仕業だろう、引きつった表情のまま停止している。ふと、腰のホルスターに収められた回転式の拳銃が目に入った。気は引けるが緊急事態であるし、一時借用しようと手を伸ばす。
脱落防止用のカールコードから外したそれは銃身が短く、しかし武器としての確かな重量を感じさせ、俺の心にかかる不安を少し和らげてくれた。
引き金を止めていたゴムを外す。いつでも発砲できる状態の銃を片手に周囲を警戒しながら、廊下の最奥にある叔父の部屋の前まで来ると、まずはとゆっくりドアハンドルを引いてみる。カチャリと鳴ってドアは抵抗なく開き、俺はユーコに一つ視線を投げる。彼女が頷くのを見て徐々に戸を引き開くと、中は完全に消灯されており、廊下の照明を背負う俺の影が木目張りの廊下に伸びた。
土間に叔父の靴は無いようだが、脱出できたのだろうか。俺は一つ唾を飲み込み、土足のまま慎重に踏み入ると、後ろ手に鍵を閉めた。
ユーコは相変わらず斥候の役割を担ってくれる。物理的接触ができないことを利用し、浴室のドアに顔を透過させ内部をチェックしているが、傍から見ると少々ホラーチックな絵面だ。
彼女は洋室を覗き見ると同時に声を上げる。
「うっ、これは……」
「なんだ、どうした!」
声を潜めて聞くとユーコが振り向く。
「危険は無いようですが、ひどく荒らされています。部屋中メチャクチャです」
「なんだって!」
急ぎ戸を開き、カーテンの隙間から街の明かりが僅かに差し込む部屋を、携帯のライトで照らす。そしてぐるりと見回して、一つため息を漏らす。
「ああユーコ、言いづらいんだけど、これでいつも通りなんだよ」
「ええ!? だって、こんなにメチャクチャですよ!?」
「身内として恥ずかしい限りだが」
そう、叔父の部屋はいつだってメチャクチャなのだ。
壁際に乱立する書棚、謎の機器に溢れるラック。床を縦横無尽に走るケーブルの川、散らばる本の森。パソコンやら書類やらで既にガラスが見えないガラステーブル。
一人暮らしにしては広い十畳ほどの洋室は、今や見る影もなくせせこましい。ここを叔父は”オフィス”とのたまい、巨影に関する情報の収集や発信の拠点としてきた。
元々荒れた部屋とは言え、損壊や捜索の痕跡は無さそうだが……ふと、机の下にある物が目に入り、手に取ってみる。
「これは……叔父さんのカメラか」
叔父が前々から大事にしてきた、少々古い型のデジタル一眼レフカメラ。ライトに浅く浮かび上がる傷が年季を感じさせる。外出に際してこれを持ち歩かないということは無いはずだ。俺は叔父の無事を信じ、次に会った時に渡そうと、そのカメラを首にかけた。
いくつかの違和感を覚えるものの、一先ずの安全が分かったところで明かりを点けようとスイッチを押すが、反応がない。ブレーカーが落ちているのかと、分電盤を操作しに玄関へ向かおうとしたその時、ドアが外部から激しく揺さぶられた。
静まり返っていた部屋にけたたましく響く、鍵のボルトが打ち付けられる音。その中に僅かに混ざって聞こえるのは、あのバルタン星人の特徴的な声。激しく動悸する心臓に急かされ、隠れ場所を探し部屋を見回す。目についたのは……
「ベランダに隠れよう!」
外に出ると迅速に窓を閉め、ベランダ末端の手すりに身を寄せる。間もなく、これまでとは明らかに違う致命的な破壊音が聞こえ、歪んだドアが軋みを上げて開かれた。
バルタン星人の声、そして足音がゆっくりと洋室に向かってくる。俺は指先の震えを感じながら、拳銃のトリガーに指をかけた。
「カメさん、恐らく銃は有効打になりません。なんとか逃げられませんか」
ユーコの囁き声に俺も声を潜めて返す。
「なんとかって、言われてもな……」
隣部屋との隔て板を蹴破って逃げようかと考えたが、その音で確実に気づかれる。一瞬でもモタつけば背後から撃たれるだろう。
「下の階には降りられませんか?」
「ここには避難梯子もない、無理だ」
手すりはコンクリートの立ち上がり。これが鉄柵ならベランダの縁に手をかけて降りることもできただろう。もちろん命がけにはなるが。
「なら上は、屋上はどうです」
「屋上か……」
手すりにもたれ掛かりベランダを覆うひさしを見上げる。縦横幅はベランダと全く同じ、厚みはそれなりにあるが手すりに立って手を伸ばせばなんとか届くかもしれない。
しかし地上を見下ろし唾を飲み込む。一軒家の屋根が遥か下方にあるという、日常とは逸脱した視界に心が怖気づくのを感じる。この道も一歩間違えば真っ逆さまの命がけには違いなかった。
そうこう逡巡している内にバルタン星人は洋室に踏み込んだようで、物音は明らかに近くなった。俺はいよいよ覚悟を決め、拳銃をポケットにねじ込み、コンクリートの手すりに乗り上げる。壁に手をつきながら立ち上がるが、足元を見れば当然、はみ出たつま先の遥か下方も視界に入るわけで、背中にじわりと冷汗が浮き出るのを感じながら、慎重にひさしの縁へと手を伸ばした。
しかし実際に立って見て分かる、明らかな尺不足。俺の指先はひさしの上辺の二十センチほど下で伸び切っていた。
「カメさん、もっと手を伸ばしてください!」
この子、俺を軟体動物か何かと勘違いしているんじゃないか――などと愚痴ってはいられない。姿勢を内向きにするために一旦屈むと、危機感からくるものか、ベランダ全域が赤い警戒色に染まっていくように見えた。
その瞬間、全身に粟立つ感覚。俺の第六感的な部分がこの空間に対しけたたましく警鐘を鳴らす。気持ちばかりが逸る俺に、頭上から掠れた囁き声がかけられた。
「おい、手を伸ばせ!」
見上げれば、伏せた姿勢でこちらに右手を伸ばす髭面の男。俺の探していた人物に間違いなかった。
「叔父さん!」
手すりの上で再び立ち上がり、俺たちはお互いの手首を掴みあう。
「せーので引くからな、同時に踏み切れ。ビビんなよ!」
「分かってるよ……!」
当然恐怖はあるが、しかし先ほど見た赤い警戒色が忘れられない。生存の道はここにしかないと確信できた。
「いいか、いくぞ! せー……!」
ガラスが荒々しく破られ、バルタン星人の声が鮮明に聞こえ始めた。奴が見まわしているだろうベランダに、しかし人影は見当たらないはずだ。
俺と叔父はベランダを覆うひさしの上に伏せ、乱れる呼吸を必死に抑えて耳を澄ませていた。俺が完全に引き上げられた瞬間だった。あと一歩遅ければ見つかっていただろう。
ガラスを踏みしめる音はすぐ傍で鳴っているようで、自分の真下にあのバルタン星人がいるのだと否が応にも実感できる。
早くどこかへ行ってくれと祈り続けていると、やがてガラスを踏む音は消えた。ひさしに頭から突っ込んで偵察していたユーコが顔を上げた。
「消えました、逃げ切りましたよカメさん!」
風船が萎むように全身の力が抜けていき、大きく息を吐いた。叔父も同様だ。
「いなくなったのか?」
「みたいだ。とりあえず屋上に移ろう」
柵すらない屋上に移り夜空を見上げる。いつの間にか雲は晴れ、都会らしい濃紺の空に、まばらに散った星々が瞬いていた。冷たく湿った空気を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「ああ、生きてるって素晴らし、痛っ」
後ろから頭をはたかれた。
「素晴らしい、じゃねえよバカ。来るなって言っただろうが」
「それは悪かったけど、あの内容で放っておけるわけないだろ」
「ハァ、お前のそういうクソ真面目なところを忘れてたな」
大きくため息をついた叔父さんは、屋上の地べたにどっかりと腰を下ろした。
「で、お前あいつのこと知ってるか」
「いや全く。思い出せないのか、それとも五年前にはいなかったのか」
「俺は後者だと思うね。見たことのある巨影なら思い出せる。少なくとも俺なら絶対だ」
自信満々の笑みを浮かべ、叔父は自身の側頭部を指先で叩く。さすが件の災害の研究第一人者だけある物言いだ。もっとも、公的なものではなくマニアたちの同人的な活動の上での名声だが。
「叔父さん、事の経緯を話してくれ。俺と電話した後、何があった」
「ああ、お前と電話した後トイレに行ってな。その途中で電気が消えた」
「そうか、それもあいつが……!」
「いや普通にブレーカーが落ちた」
思わずずっこけた。
「まあ、叔父さんの家じゃよくあることか……」
「そうそう。特に今日は記憶の件で方々の同志と連絡を取り合ってたし、機材も動かしてたからな。そこまでは普段通りだったが……廊下に出てベランダをふと見ると、アレがいた」
アレとはつまり、バルタン星人だろう。
「見つかりはしなかったが、俺は一目でヤバいと感じてな。さっと身を隠すと、あいつ部屋に入って来やがった」
「鍵閉めろっていつも言ってるだろ」
「もう充分後悔したよ。で、警察に通報して、ついでにお前に連絡した。通報は声を出すわけにもいかねえから無言電話だ。そうすりゃ近場の交番から様子見に来るだろ?」
「でもその警官も……」
「ああ、妙な光線でイチコロだ。一緒に来た管理人が泡食って逃げ出すと、あのバケモンがスっと消えた。扉の隙間からそれを見てた俺はその隙に逃げようと階段室に入った。すると下から管理人とお前の声、それにバケモンの声が聞こえてくるじゃねえか。そこで俺は迷わず――」
「逃げたんだろ、屋上に」
若干の恨みを込めて睨むと、叔父は悪びれもせず腕を組み胸を張った。
「当たり前だろ。お前の代わりはいくらでもいるがな、俺の代わりなんて誰にも務まらねえのさ」
そう言ってニヤリと笑う彼は一見とんだ悪党だが、先ほどまでの懸命な態度を見れば印象も変わるというもの。この憎まれ口も俺たちなりのコミュニケーションなのだ、が。
「なんですかこの人! カメさんが必死に助けに来たのにー!」
叔父の人となりを知らないユーコは彼の頭上で怒気を発していた。まあ少なからず同感なので諫めるべきかどうか迷ったが、近づいてくるサイレンの音に意識が移る。
「お、ようやく応援が到着しやがったな」
叔父と共に屋上の端から通りを見下ろすと、すぐに数台のパトカーがマンション前に乗り付けてきた。
「これで何とか逃げられるかもな。射殺されたバケモンの写真でも撮るか」
「あ、そうだ。これ返しとくよ。カメラマンがカメラ忘れるなよ」
部屋で見つけたカメラを差し出すが、叔父は受け取らなかった。
「ああ、それはもうお前にやるよ。今日は元よりそのつもりだったんだ」
「え、それって……」
「お前ももう成長した。これからは立派にカメラマンとして活動してもらうぞ」
ようやく一人前と認められたようで、肩に置かれた叔父の手が嬉しかった。
「ありがとう。でもいいの? このカメラ大事にしてただろ」
「いいんだよ、ほれ。俺のあったらしいカメラだぜ!」
叔父が傍らのカメラバッグから新品のカメラを取り出した。屋上に謎のバッグがあるとは思っていたが、叔父は抜け目なくそれを持って避難していたらしい。
「それにマジな話、これからは猫の手でも借りたいほど忙しくなるからな。お前にも動いてもらうぞ」
「これから? それはどういう――」
「カメさん!」
穏やかに弛緩していた空気は、ユーコの叫びによって霧散した。咄嗟に振り返ると、ペントハウスの影に一対の黄色い眼球が蠢いていた。くぐもった笑い声と共に、バルタン星人がゆっくりと月光の下に歩み出る。
怯む俺とは対照的に、叔父はここぞとばかりに新品のカメラで連写し始める。
「叔父さん、撮ってる場合じゃないだろ!」
「馬鹿野郎もう撮るしかねえだろ!」
どうやら破れかぶれの行動らしい。バルタン星人は肩を揺らし俺たちを嘲笑しているようだった。ここで俺はポケットに収めた拳銃の存在をようやく思い出し、少し布地に引っ掛かりながらも取り出して両手で構える。
銃知識に明るくはないが、撃鉄を起こした状態からトリガーを引くシングルアクションと、寝た状態から引くダブルアクションがあること、そしてシングルアクションの方が精密射撃に長けることは知っていた。
力が入っているのか予想以上に軽い撃鉄を引き、片目を瞑り照準を合わせる。バルタン星人は油断しているのか、それとも拳銃など脅威にもならないのか、両手のハサミを上げて挑発するように笑っていた。
息を止めトリガーを引くと、腕を弾き飛ばされそうになるほどの衝撃、そして横隔膜まで響くような発砲音が全身を貫いた。しかし狙いが甘かったかペントハウスの壁に一瞬火花が散るに留まった。
「おいおい、お前そんなもん持ってやがったのか!」
叔父が引いた笑い声で話しかけるが、それに答える余裕は無い。バルタン星人が振り返り着弾点を見ている隙に再び撃鉄を引き、狙いを定める。そして奴がこちらに向き直った瞬間トリガーを引くと、その弾丸が当たることを俺は確信した。
次に聞こえるのはバルタン星人の悲鳴……と思っていたが、銃弾はどこに着弾することもなく夜の闇に消えた。対象のバルタン星人そのものが一瞬にして消えたからだ。
「な、なんだ、やったのか?」
叔父さんが周囲を警戒しながら聞くが、そんなことは俺だって分からない。ちらりとユーコを見ると首を横に振っていた。
その時、俺たちと月の間に何かが立ちふさがり、巨大な影に包み込まれる。
「うおおおぉっ! こいつは!」
「これが、カメさんたちの言っていた……!」
「巨、影……」
俺たちの見上げる先で、巨大化したバルタン星人の上半身が夜空を覆い隠していた。その声は映画館で聞く重低音のようにズシリと響き、威圧によって俺たちの体の自由を奪い去る。
「うおおおおっ!」
もはや狙いを定める必要もなく、雄叫びを上げ銃のトリガーをデタラメに引きまくる。しかし事ここに至ってはこんな豆鉄砲でどうにかなるものではない。着弾したかも測れないほど、まるで動じないバルタン星人に銃口を向けたまま、拳銃はその全弾を撃ち切った。
その時、バルタン星人の足元の道路からも複数の銃声が響く。駆け付けた警察官らが突然現れたバルタン星人に発砲しているらしいが、当然何の効果も無いだろう。
しかしバルタン星人は彼らを疎ましく思ったのか、体の向きを変え通りを正面に据えると、両のハサミを足元に向けた。これから起こることを想像し、俺の体はマンションの端、バルタン星人の間近まで無意識の内に走り寄っていた。
「逃げろォ! 早く通りから――」
道路へ向けた俺の声はバルタン星人のハサミから発射された光弾により掻き消された。爆炎と共に吹き出す熱風が俺の顔に照りつけ、轟音が全ての情報を上回り押し寄せる。道路は手前から奥へ次々に爆破されていき、アスファルトが捲れ上がっていく。
攻撃が止んだ後に残っていたのは剥き出しになった土のクレーター、そして車の残骸と爆破され炎上する通り沿いの建物。きっとその中には……
思わず顔を逸らしそうになった時、頭上の動きを察知し見上げると、バルタン星人も俺を見下ろしていた。
「おい、こっちへ来い! 下がれ!」
「カメさん、逃げて!」
叔父の声が背中にかけられ、ユーコは掴めない俺の腕を必死に掴もうとしていた。しかし俺は一歩も動かない。今更逃げたところでどうにもならない。圧倒的な質量差、破壊力、全てにおいて常識の埒外の存在――”巨影”に、俺は一種の諦観のようなものを抱き、いっそのことと睨み返していた。
バルタン星人の巨大なハサミの先端が俺に向けられ、その奥に白い光が見えた。
その時だった。
俺とバルタン星人の間に割り入るように、一筋の光が夜空に伸びた。徐々に範囲と光量を増していく光はバルタン星人を吹っ飛ばし、やがてそれは巨大な人の形をとった。叔父が歓声をあげるように叫ぶ。
「そうだ、思い出した! 巨影たちは全てが敵じゃない、俺たちを守ってくれる奴らもいた! 今回も来た、帰ってきた!」
銀と赤の艶めく体表、闇の中で輝く瞳、胸の中心の青いランプ。そうだ、俺も彼を知っている。彼の名を知っている。
「来たぞ我らの!」
「ウルトラマン……」
光の巨人――ウルトラマンは、庇うように俺たちに背を向け、腰を落とし臨戦態勢をとった。彼の雄々しい気合が夜の街に木霊した。
サブタイでは“帰ってきた”とか言ってますけど、今回登場したのは初代マンを想定しています。
*
今回の選択肢
隠れ場所を探し部屋を見回す。目についたのは……
①ベランダに隠れよう!→本編通り。最適解
②クローゼットに隠れよう!→次にどう動くか、再び選択肢。それ次第では死ぬ
③本の森に紛れよう!→ホラーじみた演出を挟み死ぬ
④逃げも隠れもしねえ!打って出る!→恥ずかしいくらいあっさり死ぬ