巨影を知らない都市 作:ギガンティック芦沢博士
その後、昼食のため近場のコンビニで買った――またもやおにぎりを、人目につかない木陰のベンチで頬張っていると、俺を下から覗き込みながらユーコが言う。
「カメさん、悔しいとお思いですか」
「ん、やっぱり分かる?」
「体を共有しているのでなんとなく伝わってきます。いえ、もしかしたら私のが伝わっているのかもしれません」
彼女はありありと不満の表情を浮かべていた。
「だって悔しいじゃないですか。カメさんたちはずっと巨影を追ってきたのに、あんな嫌な人に後からおいしいところ持っていかれたら!」
拳を振って怒りを露わにするユーコを見ていると、自分の負の感情を肩代わりしてくれているように思えて、少し気持ちが和らいだ。
「キミが怒ってくれてちょっと救われたよ。けどま、あいつの言葉を借用するのもなんだけど、マスコミなんてそんなものだ。気にしてないよ」
「カメさんが気にしなくても私が気にします! もっとすっごいの撮ってやりましょう! 私、いい手を思いついたんです!」
熱意と自信に満ちた眼差しを受け、その勢いに若干の不安が湧かないと言ったら嘘になる。
「一応聞くけど、どんな手だ?」
「まず、食事が終わったら湖畔を散歩しましょう」
「散歩……で?」
「夜まで待ちます」
「それでいったい何が……あぁ」
彼女が浮かべるあくどい笑みを見て、一連の行動が一本の線に結ばれた。
「小舟がたくさんありましたよね。ちょっと”下見”に行きましょうよ」
楽しそうな様子すら窺えるユーコを前に、俺と一緒にいると悪影響を与えてしまうのではないか、などと姪との距離感に悩む不良な叔父のような気持ちだった。
林の中を通る未舗装の道を行き、人気の無い真っ暗闇を小さな懐中電灯で照らしながら、下草をかき分けて湖岸へと抜ける。都市部の明かりが届かない夜の湖畔は、地上と星々との距離を近づけたように、無数の光点が夜空を賑わせていた。
その下でサーチライトを浴びたバラの蕾が闇に浮かぶ姿は、幻想的、蠱惑的と言うべきか、それとも不気味と捉えるべきか。植物らしく活動には日光が必要かと思いきや、昼間と変わらず鷹揚に身じろぎし、悲壮にも聞こえる鳴き声を上げている。頭部に位置するバラの蕾は、昼間と比較して僅かに開いてきているようだった。
その姿をカメラで一枚収めるている間に、ユーコは昼間見かけた手漕ぎボートに変身していた。
「さあカメさん、ここからは時間との勝負ですよ」
「ああ。近寄り過ぎずにな。今のところ大丈夫そうだが、次にビオランテがどう動くのか分からない」
慎重に乗り込んだ二人乗りのボートは思った以上に揺れ、苦戦しながらも向きを変えて座る。一対のオールを握り、全身を使うように水を掻けば、船体は凪の湖上を静かに滑り始めた。
ビオランテに背を向けているため、見えるのは夜の暗い森。聞こえるのは船の軋みと僅かな水音だけ。頬を撫でる微風もあって、行為の危険性に反して静寂で穏やかな時間が流れる。その雰囲気が妙に空恐ろしく、気を紛らわすためにユーコに語りかける。
「それにしても、こんなローテクボートにもなれるとは、変身の振れ幅には恐れ入るな」
「単純なぶんこっちの方が簡単ですよ。でも本当にエンジンいらないんですか? 疲れるでしょう」
「音で見つかるだろ。このまま見つからず、何も起こらず撮影できればそれが一番良いんだ」
心からそう願ってはいるが、それを裏切るように予想だにしていない事態は起こった。
船を滑らせてからしばらく。湖岸はだいぶ遠ざかり、時折振り返って見るビオランテの姿がかなり大きくなってきた頃。横合い遠方から無遠慮なエンジン音が聞こえ始め、それはこちらに接近しつつあった。
「やばい、もうばれたのか?」
「カメさん、逃げないと!」
そうは言われても、もはや手漕ぎボートに逃げる余地など残されていない。せめてもとカメラを構えてビオランテの姿を写真に収めていると、かのエンジン音は至近にまで到って停止した。ここまでかと観念したとき、かけられたのは予想外に軽薄な声だった。
「なんだ、お前も来てたのか」
聞き覚えのあるその声に顔を上げてみると、小型のゴムボートに乗った昼川が暗闇の中で薄笑いを浮かべていた。
「あんた、なんでこんな所に」
「こっちのセリフだよ。なんだ、お堅い真面目くんかと思ったら結構やるじゃねえか。その船はどっから“お借り”してきたんだ?」
彼が浮かべる下卑た笑みが、妙な同族意識を持って語りかけているように見えて、俺は大きく否定した。
「あんたの想像してるようなものじゃない。これは……ちゃんと借りたんだ」
「ふぅん、そうかい。まあいいさ、お喋りしてる場合じゃないだろ、お互いに」
再びビオランテに向かって前進し始めた昼川を慌てて呼び止める。
「おい、エンジンを切れ! 見つかるぞ!」
「構わんさ。写真を送信する程度の時間はお前が稼いでくれそうだしな」
つまり、警察やらが飛んできたとき俺を囮にして逃げおおせようという魂胆だ。それに激昂しそうになるが昼川は二の句を告げず遠ざかり、ビオランテに更に接近していく。
「あの人はもぉー! カメさん追いますか!」
「いや、奴の言った通りこのままじゃ俺だけお縄だ。悔しいけどここは……?」
ビオランテのすぐ真下、サーチライトの明かりすら届く範囲にまで接近し、昼川は立ち上がってカメラを構えた。その様子を見ていたとき、それは起こった。
彼のボートも含む湖上の一帯に、一筋の赤いラインが浮かび上がって見えた。始めは薄く、徐々に血の色のように濃くなっていく赤い帯は、俺の中に壮絶な悪寒をもたらした。
俺は堪らず立ち上がり、発見されるやもということも忘れ、大声で叫んだ。
「逃げろ昼川ぁ! そこから離れろ!」
思えば叔父のマンションのベランダが赤く染まって見えたのも同様なのだ。あの後すぐにバルタン星人がベランダへ出て、その場に留まっていればやられていただろう。つまり今も……
昼川はおどけたように両手を広げて見せたが、俺は見てしまう。彼の背後で湖面が膨れ上がり、水中から何かが浮上してくる様相を。湖面を割り激しい水しぶきを上げて姿を見せたのは、一本の巨大な蔓だった。しかしその先端にはワニのような鋭い牙が並ぶ、おぞましい口が存在した。
振り返って茫然とそれを見上げる昼川に、笑みを浮かべるように口を広げた蔓が襲いかかった。俺が声を上げる暇もなく、蔓は昼川をボートもろとも飲み込み、轟音と共に天高く昇る水柱の中に消えた。その光景に顔を背けると、巻き上がった水しぶきが降り注ぎ、高い波紋が押し寄せ船が大きく揺れた。
やがてそれが収まると蔓とボート、そして昼川は忽然と姿を消していた。真夜中の湖が異様なほどに静まり返る。
恐る恐るビオランテを見上げてみると、今までと全く変わらず側面をこちらに向け、夜の暗幕を背景に静かに佇んでいた。まるで今起きた事象の全てを存ぜぬとでも言うように。
自分の荒い呼吸がよく聞こえる。バラの横顔からは表情など読み取れるはずもないが、しかしビオランテは俺を観察しているような気がしてならなかった。
「カメさん、どうします……」
ユーコが声に緊張を滲ませて囁く。乾いた口を唾液で湿らせてから返す。
「あと十秒、何もなければ、オールで静かに離れる……」
そうなることを祈りつつ、ユーコのカウントに耳を傾ける。十から始まったカウントが六を数えた時、視界下部が赤く色づく。これまでと同様の赤いデッドゾーンが、ビオランテからこのボートまでを一直線に結んでいた。
「ユーコ、逃げるぞ!」
「はいっ!」
ボートは淡い発光と共に姿を変え、一艇の水上バイクに変身した。彼女がエンジンを始動させるまでの僅かな時間で再びビオランテを見やると、その足元の水面が爆発するようにしぶきを上げ、そのしぶきは一枚の帯となり凄まじい速度で接近してきた。
「ユーコ早く!」
返事の代わりとばかりのエンジンの鼓動を感じると、右ハンドルのスロットルレバーを人差し指と中指で引き絞る。体を置いていかれそうな急加速に必死にしがみ付きその場を離脱すると、すぐ真後ろを破壊的な衝撃が駆け抜けていったのを肌で感じた。
「ああクソ、やっぱりこうなるのか!」
緊急時のために水上バイクも記憶しておいたのは正解だった。もっとも、こんな想定が的中してほしいとは微塵も思っていなかったが。
どこへでもいいから接岸しようと考え、ビオランテに背を向けるような軌道をとっていたが、その道を阻むように正面を横断する形でデッドゾーンが出現した。悪態をつきハンドル操作と荷重移動により進行方向を九十度近く逸らす。
「カメさん、なんでそっちに!」
「いいから見てろ!」
そのやり取りが終わらないほどのタイミングで、デッドゾーンに沿うようにビオランテの蔓が水中から勢いよく飛び出した。
「まさか、危ない場所が分かるんですか!?」
「みたいだ!」
再び前方に赤い帯が引かれ、水面を切りながら旋回する。先ほど出現した蔓が大口を開けてそこに飛び込み、横合いからの派手なしぶきを半身で受け止めた。
いつの間にかビオランテの正面にまで移動していたことに気づき、一瞬だけ視線を上げて見ると、バラの蕾が下方を向き――俺たちを見据えていた。雌しべの位置にある牙が脳裏に焼き付く。
ゾクリと総毛立ち、一刻も早く湖上から逃げなくてはと焦燥感が沸き立つが、進行方向に再びデッドゾーンが見える。ビオランテから遠ざかる方向へ舵を切り逃げ出そうとするも、その行く先にも、その先にもデッドゾーンは出現していく。呆気にとられるようにレバーから手を放すと、幾筋も浮かび上がったデッドゾーンの全てから蔓が出現し、口元から水を滴らせ夜の空を埋め尽くした。
「……嘘だろ、おい」
視界にあるものだけで五、六本は確認できる。その全てが牙を剥き出しにして俺たちを正面に見据えていた。獲物を品定めするようにゆらゆらと漂う姿に、もはや恐怖を通り越して現実味が薄れていく。
「カメさん、早く安全な場所へ!」
ユーコの声が遠い所で聞こえる。しかし視線を落として見れば、もはや逃げ場などないと直観で理解できるほど、デッドゾーンは広範囲に渡っている。諦観に囚われた乾いた笑いが浮かびそうになるが、しかし胸元に下げられているカメラの存在に思い当たり、俺は震える手でそれを構えた。
「カメさん何を!?」
「すまんユーコ! 俺が死んだら別の奴に憑りついてくれ!」
そう言ってシャッターを切り続ける。巨影を追うカメラマンとしての矜持だけが、もはや俺に残されたたった一つの
ユーコの悲痛な叫びに胸を痛めながら、今にも飛びついてきそうな獰猛な牙たちにフォーカスを合わせ続ける。そしていよいよ、そのうちの一本が反動をつけるため身を後ろに引いた。
――朝日が昇ったのか、と一瞬錯覚するほどの光がファインダーの端で弾けた。それは次の瞬間、青白い光線となって視界の全てを埋め尽くす。光線は蔓をことごとく飲み込み、勢いそのまま遠方の湖面に当たり機雷のような爆発を起こした。押し寄せる熱風に顔を庇うと、焼け落ちた蔓の残骸が湖面を波立たせた。
遠方で巻き上げられた水が瀑布のような轟音で落ち、その飛沫を肌に受けながら、光線の飛来した方を見た。
そのシルエットは夜の闇において、また光線に眩んだ目において、山の稜線のように見えた。しかし巨大な影は確かに動き、口元と思わしき遥か上方には青白い残光が鈍く輝く。サーチライトが足元からゆっくりと、舐めるように巨影を浮かび上がらせる。
重厚な足には白く鋭い爪が生えていた。全身がごつごつとした岩肌のようで、体色は夜空よりもさらに黒い。逞しい腕、その後ろに揺らめくヒレの生えた太い尾。
その時、内耳を貫くような甲高い耳鳴りに呻く。これは既知の巨影にだけ発生するフラッシュバックの症状。そうだ、俺はこの巨躯に覚えがある。英語表記にあっては神の名すら冠する、怪獣の王者。
剥き出しにされた鋭い牙、全てを睥睨するような苛烈な目つき。それらがサーチライトに照らし出されると、その巨影――ゴジラは胸を膨らませ、夜空に浮かぶ雲すら吹き飛ばすような、壮絶な咆哮を放った。
今回の選択肢
「カメさん、どうします……」
①少し様子を見て、静かに逃げよう→本編通り
②今すぐ逃げよう!→かなりシビアな判定のデッドゾーン出現
③先手必勝!突っ込むぞぉぉ!→死