スマホやタブレットが出て来たり、原作の時代とズレがあります
AKIRAー1
長考していた相手がやがてうなだれ、今シーズンの連勝記録を伸ばした塔矢アキラが、静かに礼をする。
対局が長引いてしまい、石を仕舞って立ち上がった時には、手合い所には数える程の人数しか残っていなかった。
(進藤……は、居ないか)
久しぶりに手合い日が重なったので、このあと一緒に行動しようと約束していたのだが、何処かで時間を潰してくれているのだろうか。
軽く探しながら廊下に出ると、進藤と親しいプロ仲間の少年が、階段を駆け上がって来た。
「あっ、塔矢君? 進藤がさ、今、下のサロンで対局してて、手が離せなくてワリィ、だってさ」
「僕との約束があるのに、対局?」
「うん、じゃ、伝えたから」
少年は何だか気もそぞろな感じで、急(せ)いて、来た道を戻ろうとする。
「ちょっと待て。説明しろ」
「俺に言われても。でも進藤、きっとすぐに終わると思ったんだ。なんせ相手があんなだったし」
「??」
そこに、上階から階段を駆け降りて来た兄弟子の緒方精次と鉢合わせする。
「おお、アキラ君、進藤が今、何だか面白い事になっているらしいぞ。高見の見物に行こう」
「僕も今聞いて、行こうと思っていた所です。しかし貴方は多忙なタイトル棋士のくせに、進藤のオイシイ場面にしょっちゅう居合わせますね。彼のストーカーですか?」
「鼻が効くと言って貰おう」
一般客も居る一階に降りると、囲碁界のカリスマ塔矢アキラはいつも少なからずの視線を集めるのだが、この日は勝手が違った。
平日で来客が少ないのもあるが、その少ない人数が一般用の奥のサロンで人垣を作っている。
「進藤?」
人垣を割って入ると、やはり片方は目当ての人物だった。
期待の新人最強の初段、目下塔矢アキラのライバル筆頭と噂される、新進気鋭の進藤ヒカル。
で、対局者は?
――― コトン ―――
嫌な音を聞いた。
アキラのトラウマを呼び覚ます、間の抜けた湿った音。
「カヤコさん?!」
ヒカルの向かいの席、今、親指と人差し指の慣れない手付きで不器用に石を置いた女性の名を、緒方が驚愕の声で呼んだ。
「緒方さんの知り合いですか?」
「あ、いや、知り合いって程では。……しかし相手が彼女だったとは」
いささか動揺している緒方に変わって、野次馬していた棋院職員が答えた。
「塔矢君は会った事なかったのかな。一階ロビーに手合い場の絵が掛かっているだろ。あれの作者さんだよ」
「ああ」
知っている。去年の夏頃に掛けられた絵で、院生の研修手合い風景を描いた物だ。
絵画に造詣のない自分でも、凛とした空気と清々しい色が綺麗だなと、好感を持って眺めていた。こんなに若い女性が描いた物だったのか。
緒方がまだ何か追加で言いたそうだったが、それよりなにより盤面に目が吸い寄せられている。
「これ……進藤はどっちだ? 白か、最初に石は幾つ置いた?」
「いえ、置き石無しの互先(たがいせん)です」
先程の少年が答えた。
「・・・!」
口を指で覆う兄弟子の横で、アキラも口を結んだ。
石の繋がりがばらばらで、これまでの展開が推理出来ない。
しかし今の状況は、多分、双方がっぷり四つ。
少なくとも石も持てない素人の打った盤面ではない。
いや、自分の常識の範疇だけでだが……
デジャブな感覚に襲われて、鳥肌が立った。
「あ、塔矢」
自分の石を打ちながら、ヒカルがアキラに気付いた。
「ゴメン、この人、カヤコさんにめっちゃお世話になった事があって、申し込まれたら断れなかった」
「あら、約束があったんですか?」
対座の女性が、今置こうとしていた石を手の中に戻しながら、顔を上げた。
日本昔話から抜け出したような声と顔立ちだと思った。
「では、おしまいにしますか?」
「「「えっ!!」」」
「えっ」という声がハモって響き、アキラに周囲の視線が突き刺さる。
「僕は構わない、進藤、打ちかけた物は最後まで打て」
それだけ言って、ヒカルの背後の椅子にドッカと腰かけた。
まったく、なんでこう、いつもいつもいつもいつも……君は僕の知らない所で、訳の分からない謎囲碁を打っているのだ?