河原の囲碁   作:西風 そら

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~前年の4月~ OGATA

OGATAー1

 

 緒方精次は、棋院横駐車場の最奥を愛車の定位置にしている。

 擦(こす)られたら面倒なのと、お気に入りの缶コーヒーがそちら側の自販機にしか無いからだ。

 

 4月だというのに今年最初の夏日だとかで、スーツの内側がじっとり汗ばむ。

(もっと根性出せ! オゾン層)

 心中で悪態付きながらアイスコーヒーを一口含んで歩き出した先に、厄介の始まりがあった。

 

 正面玄関少し手前の駐車場内、何とはなしの違和感に、足が止まる。

 建物の白い壁沿いの駐車スペースは少し大きめで、大型ワゴンや面構えのでかい高級車が使うのが暗黙の了解になっている。

 

 違和感を感じたのは、中程に停められた黒の大型高級車だ。

 プレジの中でも一番グレードの高い、いわゆる『エライさん御用達タイプ』。

 

 そういう車が棋院の駐車場に在る事自体は、何もおかしくない。

 大手後援者かもしれないし、棋士だってある程度の年収があれば、それなりの自家用車でやって来る。

(俺だってそうだし)

 

 最初の違和感は、その車が頭から駐車スペースに突っ込み、尻を向けている事だ。

 しかもちょっと斜め。

(みっともない)

 

 白線に収まっている限りどう停めようと文句をつける筋合いは無いのだが、軽ならともかく『エライさん御用達』に乗るのならキチンと停めろよカッコワリィ・・と、緒方は独自基準で毒づいた。

 少なくとも俺のRXー7では、こんなみっともない停め方、やれと言われても金輪際できん。

 

 で、次の違和感は、その尻向けプレジデントの運転席だ。

 たまたま右側駐車スペースが空いていたので、運転席に人が居るのが見えた。

 全開にした窓の向こうに座っているのが、車のグレードにどうにも似つかわしくない、若い女性だった。

 

 およそ何も手をかけていない真っ黒い髪を無造作にゆるく編み、身なりは雑で素っ気ない。

 頬のラインも肩の線もどうにも子供っぽい。

 っていうか、子供か? 

 

 そのオッサン車に似つかわしくない女性が、ステアリングの上に大きな白い紙を広げて、何やらひたすら書いているのだ。

 手の動きは規則的で早く、鉛筆の持ち方が独特だったので、絵を描いているのだと思った。

 

 女性の横顔が時折見上げる視線を追えば、棋院の庇(ひさし)にベージュの塊(かたまり)が見える。

(ああ、燕の巣をスケッチしていたのか)

 その為に車を前向きに入れ、巣が見えるように調整したら斜めになってしまったのだろう。

 

(何にしても酔狂な事だ)

 近付いて覗いて見る気になったのは、ほんの気まぐれの好奇心だった。

 

 

OGATA―2

 

 斜め後ろから覗いたスケッチは、意外になかなかの物だった。

 

 巣にはまだ雛が居ないのだが、彼女は時折帰還する親鳥を脳内に留めては、丁寧に再現している様子だった。

 様々な角度から何羽も重ねて、ラフな物もあれば、羽毛の一筋まで鮮明に描かれた物もある。

 親鳥は一瞬しか来ないのに、大した動体視力だな・・と、緒方は素直に感心した。

 

「・・!!!」

 不意に女性が振り向いた。

 近付き過ぎた緒方の影が、スケッチブックに映ったのだ。

 やたらと白い頬の上の真っ黒な瞳と、いきなり目が合った。

 

 そんなアメリカの漫画みたいに思いきり驚かなくていいのにと緒方があきれる程、女性はその場で飛び上がった。

 

 飛び上がった拍子に放り出された鉛筆を拾いながら、緒方は

「失礼、つい目が行ってしまって」と、当たり障りの無い台詞を述べた。

 

 緒方の差し出した鉛筆をすぐには受け取らず、女性は寄り目でその手をじっと見つめる。

「??」

 

「棋士の方ですか?」

「・・あ、ああ」

 

 年がら年中碁石を打っていれば爪だってすり減るし、指先の皮膚も固まる。

 しかもここは棋院の駐車場だ。

 プロ棋士がうろついていたって、何の不思議でもない。

(しかし俺の顔を知らんのか? この娘(こ))

 

「ふうぅん」

 女性は妙な納得の仕方をして、ダッシュボードから黒い碁石を取り出し、鉛筆と入れ替えに緒方に突き出した。

「ちょっと持ってみて下さい」

「えっ?? はっ??」

 

 何でそんな所から普通に碁石が出て来るっ? 

 棋院に来る者の車ならありがちなのか?? 

 いや! そうじゃなくって!! 

 何でそんな当たり前みたいに石を持てとか初対面の者にっ!!

 

 脳が呆気に取られたどさくさに、右手の二本指は本能のように石を挟んでいた。

 棋士の条件反射って奴だ。

 

「うん」

 女性は緒方の困惑なぞ何処吹く風で、スケッチブックをめくって新しい紙面に鉛筆を走らせる。

 

「・・・・」

 左手に飲みかけ缶コーヒー、右手に碁石。

 このクソ暑いのに、何でこんな間抜けな姿で突っ立ってなきゃならないんだ? と理性は思っても、彼はそこから離れられなかった。

 白い紙面に出来上がって行く自分の右手に、目が釘付けになっていたからだ。

 

 とにかく手が早い。

 鉛筆が画面を擦っているようにしか見えないのに、黒い筆跡がみるみる手の形を浮かび上がらせる。まるで手品。

 

(これは、絵が上手いっていうのか? 画力があるというのか? 何にしても、まあ、凄い)

 そこそこの失礼な目に遭ってはいるのだが、いいモン見せて貰ったと相殺してやれる気分になれた。

 

「出来ましたっ」

 時間にして三分くらいだろうが、この短時間に見事なデッサン画が出来上がった。

 指の全神経が指先の石に集中されているのが分かる、独立した生き物のような棋士の打ち手。

 自分の打ち手を正面から見る機会など無いが・・・ふむ、カッコイイじゃないか・・。

 

(くれるのかな、これ)

 流れとしてはくれる所だが。緒方はちょっとそわそわした。

 

 しかし女性は、緒方が眺めていたその絵にかぶせて、先程の燕のスケッチの頁に戻してしまった。

(えっ?!)

 かと思うと、またその一頁をめくり、また戻しして、そしてここで初めて緒方の顔を見て神妙に言った。

 

「燕にそっくりです。ほら、見てください」

 そう言って、スケッチブックを突き出して、二枚のデッサンをパタパタと交互に見せられた。

 

(・・・・)

 確かに、燕が翼を広げて飛翔する姿と正面から見た打ち手は、シルエットが似ている。

 しかし同じ人物が描いているんだから、似せようと思えば幾らでも似せられるじゃないかっ。

 

「ねっ」

 重ねて同意を求められた。

 どうしろと……

 

 

OGATA―3

 

 いいかげんに切り上げようとタイミングを見計らっている所に、彼女の方が先に動いた。

 緒方の肩越しに、棋院建物の角を曲がって来た数人を見止めたのだ。

 

「おじいちゃんっ」

 弾かれたようにスケッチブックを後部座席に放り投げ、足許から何か拾い上げて、勢いよく扉を開いた。

 緒方が退(しりぞ)く形になったのだが、それに慌てて謝りの会釈をし、彼女はお目当ての人物の元に駆けて行った。

 そちらを振り向いて、膝の力が抜けた。

 

「ひゃひゃひゃ、緒方くん、何やっとる、ナンパか? 折角じゃが、君を孫と呼ぶのはゴメンじゃ」

 

 不意討ちの天敵登場に、緒方は臨戦態勢が取れない。

「だっ誰が・・!」

 次の台詞が出てこない。

(誰がそんな『ふしぎちゃん』に手ェ出すかっ)とは、さすがに言えない。

 っていうか、あの爺さんの孫だって? どの辺にDNAの片鱗があるんだっ?! 

 

 桑原翁の周囲を歩いて来た数人の棋士も、(あらら、また始まった)風な苦笑い。

 囲碁界の最古老、桑原本因坊(ほんいんぼう)と、彼のタイトルに挑戦するもあと一歩でいつも苦渋を飲まされている、若手ホープの緒方。

 この二人の口喧嘩は、季節を問わない風物詩なのだ。

 

 そんな空気にまったくお構いなしに、「おじいちゃん」と叫んだ女性は、手に持った黒いレースの日傘を開きながら駆け寄った。

「ケイタイ鳴らしてくれたら正面玄関に車を持って行くって言ったのに」

 

 傘をさしかける孫娘に、桑原老人は面倒くさそうに睨み付ける。

「年寄りあつかいするな。お前は、あれやこれやうるさすぎる」

「だって熱中症は季節の変わり目が一番危ないって……」

 

 何か、普通の年寄りと孫の会話だ。

 あの妖怪爺さんも、家族にとっては普通に家族なんだな、当たり前の事か。

 さっき自分の前でふしぎちゃんだった女性も、祖父の心配をしている姿は、しっかりした大人だ。車の免許を持てる年齢だったのに、今、軽く驚いたが。

 

(ま、そんなもんだ)

 最初に感じた違和感は、天敵の身内に対するアラームだったりしてな(笑)。

 緒方はややぬるくなったコーヒーを一気にあおり、自分の用事の為に棋院に向かう。

 

 その耳に入って来る女性の声。

「だからおじいちゃんは他の人と違うのっ。直射日光脳天直撃なんだからっ」

 

 

 棋院の控え室で、スーツの上衣を机に広げて濡れタオルでたたく緒方の姿があった。

「うわっ、どうしたんです、それ?」

 入って来たのは、その日一緒に取材を受ける若い棋士だ。

 

「コーヒーこぼしちまってな」

「白だと悲惨ですねえ、手伝いましょうか?」

「まあ、自分で吹き出しちまったんだからしようがない」

 

 スーツは悲惨なのに、緒方の背中が、たまに思い出し笑いするようにクックッと震えるのを、若い棋士は怪訝な顔で眺めていた。

 

 

OGATA―4

 

 アスファルトに陽炎が揺れる。

 白い土壁が続く坂道を、黒いレースの日傘が登って来る。

 手には葱の飛び出たエコバッグ。

 

 古い静かな住宅街に似合わない赤いスポーツカーが、軽い音を立てて停まる。

 

「こんにちは、桑原カヤコさん」

「コンニチワ……」

 女性は緒方をチラと見てから、小さい声で返事した。

 

「棋院で貴女の名前を聞きました」

「…………」

 

「岩手から出て来て、独り身のお祖父さんのお世話をしているとか。

 今時感心だと皆褒めていましたよ」

「おじいちゃんがそう言ったんですか?」

「いえ、ご自身では言わないでしょうが……」

 

 カヤコは何か言いたそうに頬を膨らませたが、会釈だけして通り過ぎようとした。

「荷物が大変でしょう。自宅まで送りますよ」

「すぐそこですから」

 カヤコは堅い顔のまま歩き出す。

 

「遠慮しないで」

「おじいちゃんに、アナタと話したらダメって言われました」

 前を見ながらサカサカあるくカヤコに、緒方は車をゆっくり進めながら着いて行く。

 

「何でダメなんです?」

「……」

「何で?」

「……バンダイサン」

「は? 磐梯山?」

 

「バンダイサンで闘う武器を与えてしまうからダメだって」

「????」

 戊辰(ぼしん)戦争に参戦した覚えはないのだが。

 

「バンダイサンじゃなかった。バンサンカン? サンペルカン? あれ?」

「……もしかして盤外戦(ばんがいせん)?」

「ああ、そう、それです」

 

 緒方はハンドルに突っ伏した。

 売れない漫才師でももうちよっとマシな脚本(ほん)を書く。

 

 だがしかしまあ、爺さんの措置(そち)は的を射ている。

 あの『脳天直撃』は、いざという時に引っ張り出してやろうと、心の鞘に収めてある。

 

「これを返しに来たんですよ」

 車に乗せられないまま桑原邸前にたどり着いてしまったので、緒方はここへ来た本来の目的の物を取り出した。

 

「あっ」

 カヤコは、緒方の差し出した黒い石を見て、思いの外顔を輝かせた。

 先日も思ったが、なるほど肌だけは東北出身ならではの白さだな。

 

「それ、碁石じゃないですよね?」

 先日返しそびれてポケットに突っ込んだままだったのが、クリーニング屋の店頭で発見された。

 持ち帰ってよく見ると、どうも既成の碁石とは違う。石を磨いた物ではあるのだが、色が悪いし、形が微妙に歪んでいる。

 

「はい」

 石を両手で受け取って、カヤコは心底嬉しそうな顔をした。

「小さい時、夏休みに家族でおじいちゃんちに遊びに来て」

 

 しまった、女性にありがちな遠回りな長話になりそうだ。

 何か盤外戦の材料をと話を振ったのだが、失敗だったか? 

 

「おじいちゃんの碁石を一つ割っちゃったんです。おじいちゃん、めちゃくちゃ怒って・・帰るまで口きいてくれなかった」

(大人げない爺さんだな)

 

「田舎に帰ってからもメソメソしてたら、トモダチが『碁石は油石を磨いても作れる』って教えてくれたんです」

(既製品を買いに行くとか考えないのか? まあ、田舎なんだろうな)

 

「んで、そのトモダチに教わって、山の河原で油石を探して。丁度いい大きさのを見つけたら、硬い石と擦り合わせて磨いて」

「……」

「夏休みの終わり頃に、おじいちゃんに送ったんです」

「……」

 

「その後どうなったとかは忘れちゃったけれど、今回上京して、運転手をやる事になって。ダッシュボードの古いピース缶の中にこれを見つけた時は、何気に嬉しかったです」

「…………」

 

「だからどうも有り難うございましたっ」

 カヤコはヒョコリとお辞儀をして、門内に消えた。

 

 後続車がめんどくさそうに車線を越えて追い抜いて行って、緒方は我に返った。

 ・・・駄目だ、彼女の事を盤外戦のネタになんかしたら、あの爺さんに一生口をきいて貰えなくなる・・・。

 

 

 

 

 


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