HIKARU―1
「居なくなっちゃったんですね、あの人」
セミの声に紛れて肩越しに、女性の声を聞いた。
振り向くと、初夏の夕焼け空を背景に、白いワンピースの女性が立っていた。
この人の声を聞くのは初めてだ。
この一年、忘れた事はなかったけれど。
「携帯の着信履歴を見て、ビックリしました。あちらでは使えない機種だったので。昨日、帰国したんです」
話しながら女性は、静かに歩いてヒカルの隣のブランコに座った。
最後の子供が母親に呼ばれて駆けて行き、藍に染まる公園は無人だ。
「必要な時には連絡してって言ったのに、ひどいよ・・」
ヒカルは足元を見つめたまま、小さくブランコを揺らした。
キィキィいう音を抗議のように聞きながら、女性は一言一言、ゆっくり話した。
「ごめんね、でも私もやっぱり、貴方の聞きたい事には答えてあげられなかったと、思います。
居なくなった人に会う方法とか、もう一度話をする方法とか、知らないもの」
聞きたかった事を先に答えられて、ヒカルはムスッとしながら立ち上がった。
そりゃそうだ、この人に何を期待していたのだろう。
自分の事にも苦労していたこの人に。
「でも、まったく何の役にも立てない訳でもないと思う。ね、進藤さん、時間はありますか?」
女性は手に持っていた車のキーを示した。
「え・・えと? 家に連絡すればちょっとぐらい遅くなっても大丈夫だけれど。時間って、どのくらい?」
「30時間ぐらい」
「ええっ!」
「おじいちゃんに借りて来た」という黒い大きな車に乗せられ、ビックリ顔のままヒカルは、まず自宅に連行された。
女性は『画家・桑原カヤコ』の名刺をヒカルの母に渡し、急な仕事で息子さんの助けが必要になった、と説明する。
それでも若いカヤコを信用しかねている母親に、カヤコは今度は『棋士・桑原仁』の名刺を差し出し、母親よりもヒカルをビビらせる。
プロ棋士の息子が泊まりで仕事に行く事も経験していた母親は、ではくれぐれもお願いしますと、心配顔ながらも送り出してくれた。
「おじいちゃんからの伝言もあるけれど、後で言います。あと、首都高から出るまでは話し掛けないでください。地図は頭に入れて来たけれど、慣れていないから」
女性は流れる夜景の光に照らされながら、緊張顔で運転している。
本当に話しかけたらダメな感じだ。
助手席でヒカルは、所在なく座っていた。
何処に向かっているのだろう。
でもこの人は、棋院や桑原先生の所には、連れて行かなさそうだ。
手合いをサボった理由を追及されるのとか、せっかくプロ試験に合格したのにと責められるのとか、もうウンザリなんだ。 佐為がいないのに。
……と、気付いた。
今、自分が、この人に対して警戒心が湧かないのは、この人と俺との繋がりが、佐為だけだからなんだ。
蛇のようなインターを幾つか過ぎ、周囲の車の数が減った。
女性も腕を伸ばして、ほぉっと息を吐く。
もう喋ってもいいのかな?
「ね、何処へ行くの?」
「サイノカワラ」
「佐為の……カワラ?」
「賽の河原よ」
「何それ?」
「あの世とこの世の狭間」
「えっえっ・・ええっ?!」
ライトの逆光に浮かぶ横顔は真顔だ。
「ちょっと待って、停めて停めて、俺、降りる!」
泡食って、ドアの方ににじる子供に、女性は苦笑した。
「地名よ、ただの地名だから」
「地名? ビックリしたあ。変な地名」
「日本中にあるのよ。それだけ、必要な人が居るのでしょうね。まあ、でも、良かったわ、元気そうで」
「元気? 俺、元気なんか無いし」
「本当のホントに元気を無くしている人は、あの世を怖がったりしないもの」
「…………」
HIKARU―2
「それで佐為ったら、アポロが月まで行ったって教えても、ガンとして信じないの。仕方がないから、本屋に行って写真集見せてやったら、喰い付いちゃって大変」
「ふふ」
「持ってるのが俺なんだから、重いのなんの」
「あははは」
ヒカルはとりとめなく佐為との思い出を話した。
カヤコが少しずつ聞いて来たからだが、気が付いたら、あれもこれもと言葉が堰をきった。
古い蔵での奇跡のような出会い。
文明社会を無邪気に面白がった、最初の頃。
彼の話してくれた、平安王朝の雅やかな風景。
一人目に取り憑いていた虎次郎の事。
毎日毎日、飽きもせず二人で打ち続けた日々。
そうだ、誰かに聞いて貰いたかったんだ。
佐為がちゃんとそこに居て、俺と一緒に生きていた事。
「カヤコさん、なんだか俺……凄くお腹、空いてたみたい…」
「じゃ、次のサ―ビスエリアに寄りましょう」
「ガッツリ食べていい?」
「ガッツリ食べていいですよ」
『賽の河原』の総本山に行くと言われ、その場所を聞いて、ヒカルは色んな意味でドン引いた。
「恐山(おそれざん)? それって、テレビとかによく出てくる、心霊スポットなんじゃ……」
「そういうのは、後から勝手に作られた、片寄ったイメージ。あそこは、大昔から、真面目に、あの世とこの世の狭間なの」
「カヤコさん、そんなの信じているの?」
「ヒカル君は信じないですか?」
「佐為に会えるってんなら、何でも信じるよ」
「それは……最初に言ったでしょう?」
「じゃあ、行く意味無いじゃん」
「意味があるかどうかは、行ってみてからヒカル君が決めればいいわ」
そんな、卵が先かニワトリが先かなんて理屈で、片道800kmかけて俺を運んで、この人にはいったい何の信念があるのだろう。
「眠かったら寝てもいいですよ」と言われ、後部座席で足を伸ばしたら、あっという間に睡魔に落ちた。
そういえば、ちゃんと食べたのってどれだけ振りだろう。
お腹が減るって感覚も、忘れていたような気がする。
……ああ、この車、広いよな、それにほとんど揺れない。桑原先生の車だもんな。
俺もプロを続けていたら、母さんやじいちゃんをこんな車に乗せてあげられたのかな……
久し振りに泥のようにぐっすり熟睡した。
道路の継ぎ目の振動で目が覚めた。
外は薄ら明るくなっている。
夜明け前のぼんやりした窓外に浮かぶのは、ヒカルには馴染みのない針葉樹の山々。
ずいぶん遠くに来てしまった気がした。
「おはよう」
運転席のカヤコは、昨日と同じ姿勢でハンドルを握っている。
「お、おはよう、カヤコさん。ずっと休んでいないの?」
「休み休み来ましたよ。ヒカル君ぐっすり寝ていたから起こさなかったけれど。どこか寄ります?」
「お腹すいた。ラーメン!」
「あはは、まだお店開いていないから、自販機のカップ麺になりますよ」
立ち寄ったサービスエリアは高台で、朝焼けにけぶる遠くの山々が見渡せた。
「あれが早池峰(はやちね)山」
コーヒーを片手に車まで歩く途中、カヤコは、遥か彼方にポツンと立つ単独峰を指差した。
「あの麓に私の故郷があります」
「へえ、そうなんだ」
「古い家でね。ご近所中、みんな桑原さん」
「うわ、郵便屋さん、大変そう」
「おじいちゃんもあそこが故郷なの」
「桑原先生? ふうん、そんな田舎で、どうやって囲碁強くなれたんだろ。あっ、ゴメン」
「ふふ、そう、何も無い田舎。私も子供の頃は、毎日山で遊んでいました」
「えーっ、ワイルド! 想像出来ない」
「山でお絵描きばっかりしてた」
「あ、それなら想像出来る」
「私が小さい頃からおじいちゃん、本因坊でね。たまに帰郷すると親戚一同大騒ぎなんだけれど、少ない時間の中で、私を膝に乗せて、必ず遊んでくれた」
「うへえ、そっちも想像出来ない」
「それで、おじいちゃんを喜ばせたくて、囲碁を覚えようと思ったの。でも、カヤコには囲碁は向かないって」
「えっ? おじいちゃんが?」
「ううん、トモダチ」
「友達……」
急に出て来た登場人物に、ヒカルはちょっと戸惑った。
「山でいつも一緒にお絵描きしていたトモダチ。そのトモダチは囲碁に詳しかったみたいだから、教えてって頼んだの。そしたら、カヤコに囲碁は向かない、カヤコは絵だけを描いていればいいって」
「えええ、教えてくれたっていいじゃん。それで囲碁あきらめちゃったの? 桑原先生と打てるなんて、めっちゃ恵まれた環境なのに」
「うん……でもほら、結局、今、絵描きになって、おじいちゃんを喜ばせる事が出来てる」
「ああ、まあ」
「本当に毎日山で一緒に絵を描いて、夏も冬も、夢みたいだったなあ」
「……」
カヤコは今一度山を見つめ、それから少し声の調子を落とした。
「私が十歳くらいの時、トモダチは居なくなったんです」
「引っ越したの?」
「ううん、私が悪かったんだけれどね」
「ケンカ?」
「ある時、ふっと『この子、どこの誰だろう?』って思っちゃったんです。ご近所や学校には、こんな子いないよな……って。
小さい頃は何も考えずに、ただその子の事が好きで一緒に遊んでいたのに。トモダチの正体を気にした瞬間、スイッチが切れたみたいに、見えなくなってしまったんです」
「………」
「後悔して大声で謝っても、あとのまつりでした」
「………」
「両親に訴えても気味の悪い事を言うなと叱られるし、元々の霊障体質が更にひどくなるしで…… まあ、グレましたよ」
「……そうなんだ」
ヒカルをしんみりさせてしまった事に反省したように、カヤコは話を切って、コーヒーを一気に飲み干した。
「行きましょうか、あと少しです」
HIKARU―3
地の果てみたいな粛々たる景色を想像していたヒカルは、『日本三大霊場の街むつ市へようこそ』のアーケードに、力が抜けた。
「そりゃそうですよ、普通に人間が生活を営んでいる土地ですもの」
「カヤコさん、何度か来ているの?」
「二度目です。前回はおじいちゃんと来ました」
カヤコは山に向けてハンドルをきり、ほどなく目的の霊場に到着した。
広い駐車場は早朝で車も少なく、人影はまばらだ。
端っこに車を停めてエンジンを切ると、カヤコはいきなりハンドルに突っ伏した。
「はあ・・うーん、これは・・」
「大丈夫っ? カヤコさん、『霊障』って奴?」
「さすがに、眠いです・・」
「ええっ!」
「すみません、少し眠ります」
「待ってっ、こらあああ!」
ヒカルの叫びにお構いなしに、カヤコはそのままクウクウと寝息を立て始めた。
なんて自由な人なんだ。
そりゃ、東京から夜を徹して走って来たらそうもなるだろうけれど……
仕方なしにヒカルは車を降りて、一人でブラブラしてみる事にした。
先入観と違って土産物屋もあるし、普通の観光地みたいだ。
「まあせっかく来たんだし」
入山料を払って山門をくぐり境内に入ると、やたらとだだっ広い他は、普通のお寺とあまり変わらなかった。
敷地を横切ってテクテク歩いて行くと、『賽の河原』と書かれた矢印があった。
「う・・」
そこだけは、他と違って、ぐっと来た。
火山ガスの影響する場所なんだろうか、見渡す限り白い瓦礫の荒野で、なるほど、あの世感満載だ。
所々石が積まれ、殺風景な中にやけに原色な風車がカラカラと回っている。
空は抜けるように青いのに、地上だけが別世界みたいだ。
佐為も亡くなった後、こういう所をさ迷った事があるんだろうか。
あの寂しがり屋の佐為が……
そう思った途端、急にどうしようもなく切なくなった。
「大丈夫? ボク?」
声を掛けられてハッとした。
知らないおばあさんが、心配顔で覗き込んでいる。
「具合悪くなった? 真っ青だよ」
「えっ、いえっ、大丈夫です」
ヒカルは慌てて背筋を伸ばした。
そんなに酷い顔をしていたんだろうか。
(何だよ、俺、こんな思いをする為に、こんな所まで来たのかよ?)
「家族の人のお参り?」
おばあさんに尚も聞かれて、返答に困った。
「いえ……」
「こんな時間から来るんは、普通にお参りしたい人だから」
そう言うばおばあさんは、割烹着に長靴姿で、この場所の清掃などをする世話人っぽかった。
「友達の為に来たんです」
通りすがりの人だからいいやと、正直に答えた。
「そう、ボクの友達だったらまだ子供さんだね、いたましいねえ」
そう言っておばあさんは、足元の石を拾っては側の石塔に積み上げた。
「それ、勝手にやってもいいの? 演出で積んであるんだと思ってた」
おばあさんは目を丸くして苦笑いした。
「石積んで、子供さんの成仏を助けてあげるんよ。子供さんが小さいままに亡くなって親を悲しませるのは、それだけで罪になるの。罰として、賽の河原で、自分の背丈だけの石を積むまで、成仏させて貰えないのだわ」
「酷い、自分でわざと死んだ訳でもないのに、罪になるの?」
ヒカルがびっくりして聞いた。
「そう、だから、生きている者が、あの世に手の届くここに来て、石積みを手伝ってあげるんよ」
遠くで若い女の人が、屈んで静かに石を積み重ねている。
「あの、おばあさん」
ヒカルは思い切って聞いてみた。
「居なくなった友達に、もう一度幽霊になって帰って来て貰う方法はないの?」
おばあさんは、真面目な顔でヒカルを見つめ、静かに首を振った。
「そんな事は望んじゃいかん。友達の事を思うのなら、石を積んであげなさい」
「…………」
「大丈夫、確かに自分でわざと死んだ訳ではないのだからね。そういう子供達は、最後にはほら、あそこに居らっしゃる観音様が救って下さる事になっとる」
おばあさんは、少し高台に立てられている、菩薩像を差した。
「本当に自分でわざと死んだ者は、また別の話さ」
石の荒野の向こうに、恐ろしく青い湖が広がっていた。
白砂の水際に佇んでいるヒカルの側に、黒い日傘を差したカヤコが近付く。
「ここ、酸性が強くて、生き物がほとんど住めないらしいですよ」
「カヤコさん、もういいの?」
「はい、お陰さまで、頭がスッキリしました。……ヒカル君?」
カヤコは、ヒカルの頬の涙の筋に気付いて、心配そうに見つめた。
「地元のおばあさんに捕まって、お喋りの相手をさせられてたんだ。おばあさんが一方的に喋りまくってただけだけど」
「……そうなの」
「聞きもしない事、いっぱい聞かされた。知らなきゃよかった事も」
「……」
「『自分でわざと死んだ人』の行き先を聞いた。一番重い罪で、一番重い罰を受けなきゃならないって」
カヤコは黙って、かすれた声で話すヒカルを見つめていた。
彼の隣に居たあの人が、平安時代に自ら命を絶った話は、夕べ聞いていた。
「俺、自分が、佐為が居なくなって辛いってばかり思ってたけど……佐為の事、考えてなかった。あいつ、暢気に幽霊なんかやってても、実質はああいう荒野をさ迷っているような存在なんだって。そうだよな、どんなに囲碁が強くても、石も持てないんだ……」
「………」
「俺から離れて、あいつが寂しくない訳、ないじゃないか。何処かで独りで放り出されて、まだ罪を償わなきゃならないのか? 俺、あいつに、何をしてやったらよかったんだ?」
HIKARU―4
「行きの車で聞いた話の中で、ひとつ、えっ? と思った事がありました」
白砂に並んで立ち、カヤコは湖の方を向いたままポツッと言った。
ヒカルは、こぶしで頬を拭いながら、彼女の方を見る。
「スケッチに行った時に見掛けたあの人は、『自分でわざと死んだ人』には見えませんでした」
「……どういう意味?」
カヤコは、相変わらず湖の方を向いたまま、訥々(とつとつ)と続ける。
「そういう人ってね……そういう事をやっちゃった人は、赤とか赤黒だとか、きつい色に、ドロドロと包まれていたりするんです」
「え、マジ?」
「マジです、見えて気持ちのいい物ではないです」
「……」
「けれど、私が見たあの人は、白っぽい明るい光に包まれていました。だから、とても格の高い幽霊さんだと思っていたのに、昨日の話を聞いて、ビックリしました」
「格が高いって…」
「私が今までに見た経験上だと・・・上から二番目ぐらいかな」
ここでカヤコはヒカルの方を見て、ちょっと微笑んだ。
「いつ上に行ってもおかしくないような」
「じゃ、佐為は、自分で死んだんじゃないって事? でもあいつ、自分でそう言ったんだ」
カヤコは少し考えてから、ゆっくり口を開いた。
「昨日の話に出て来た虎次郎さん。その人と、ヒカル君の二人で、あの人の色を変えてあげたんじゃないでしょうか」
「??」
「二人で、あの人の石を積んであげたんですよ。上の明るい所へ送り出してあげるように。虎次郎さんが途中まで積んで、積み切れなかった分をヒカル君がバトンタッチして」
「積み切れなかったって、虎次郎が?」
「虎次郎さんは、自分の背丈までしか石を積めなかったのではないでしょうか」
「…………」
「あれだけ身の丈のある幽霊さんですもの。あんなに高くまで手を伸ばして背伸びして……ヒカル君、さぞかし大変だったでしょう」
「・・・!!」
ヒカルの目の前に、佐為と共に打ったひとつひとつの場面がフラッシュバックした。
あの時も、あの時も……
いつもいつも後ろで、優しい目で見守ってくれた佐為。
(俺が自分の石を打つ事も、佐為の石を積んであげた事になったの? 本当にそうなの? それで良かったの? 佐為!!)
「あ・・」
湖の方を見ていたカヤコが小さく声を上げたので、つられてヒカルもそちらを見た。
黒いカラスが羽ばたきながら飛んで来て、遠くの湖面に波紋を作った…と思ったら、そのままフイッと消えた。
クチバシもあったし、横顔は確かにカラス……
でもそのカラスは、どうしたってカラスの大きさじゃなかったし、どうしたって手足のある人の形をしていた。
「・・・・・」
横のカヤコを見ると、目を見開いて湖面を睨んでいる。
俺だけの見間違いじゃなかったよな?
ねえ、今・・と、聞こうとした所で、不意にカヤコが口を開いた。
「じゃ、おじいちゃんの伝言を言います」
(えっ? 今っ?!)
「『ぐだぐだ迷うな! 今、お前の中にあったのが、『答え』じゃ!』・・だそうです」
「・・・・・・!」
「ここは、『居なくなった人を捜しに来る所』ではなくて、『居なくなった人ときちんと決別しに来る所』だそうです。もう誰も助けてくれないから、自分一人だけの力で。
それを済ませないと、『自分のこれから』は見つけられないから。私が十歳の時、おじいちゃんに、ここで教わりました」
帰路、ヒカルは一人、新幹線に揺られていた。
駅まで送ってくれたカヤコは、「私はのんびり帰ります、いい温泉があるんですよ~」と、ニコニコ手を振っていた。
どこまでも自由な人だ。
もっとも、一刻も早く帰りたいとワガママを言ったのはヒカルなんだから、仕方がない。
「じゃ、新幹線で帰ったらいいですよ。はやぶさだと、東京まで三時間半ぐらいです」
カヤコにサックリと言われ、ヒカルは思わず彼女を二度見した。
「そ、そんなモンなのっ?!」
「行きも新幹線でよかったのに…って思っていますか?」
ヒカルは即座に首を横に振った。
あの一晩かけた旅も、答えに繋がる道程だったんだと思う。
「最後に一つ聞いていい?」
「はい、なんでしょう」
「自販機の前で、カヤコさんを守ろうとして俺達を弾き飛ばしたの、トモダチ?」
カヤコはちょっと止まって、前を向いたまま、「うん、多分」と、うなずいた。
「再会出来ていたの? それとも見えないだけで、実は近くに居てくれたの?」
それを聞かれるだろうと予測していたカヤコは、困った感じで言い淀んだ。
「うーん、分からないんです。ああいうのは初めてだったし……それに……」
トモダチと佐為は違う。
無責任にこの子に期待を持たせる事は言いたくない・・
戸惑った横顔から、そういう気持ちが伝わって来た。
「あまり考えないようにしているんです。深く考えると、また消えてしまいそうで。さっきみたいに、たまにふっと存在を感じさせてくれる・・ぐらいの付き合いですよ、多分」
「そう、ありがとう」
あやふやだけれど、この人の精一杯の答えなんだろう。
でもきっと、トモダチを忘れないで絵の道を頑張って歩いた先に、今があったんだろうなと、ヒカルは思った。
自分もいつか、そんな風に佐為を感じられる時が来るのだろうか。
東京の自宅には、陽のあるうちに帰り付けた。
文明って凄い。
一日しか離れていなかったのに、凄く久し振りに感じる母親が、料理のお玉を片手に台所から顔を出した。
「お帰り、ヒカル。 伊角さんって人が来ているわよ。よかったわ、もうちょっと待って会えなかったら帰りますって言っていた所だったから」