河原の囲碁   作:西風 そら

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~回想~ KAYAKO

KAYAKO―1

 

 あの山の夏は、いつもあっという間だった。

 

 雪が消えて芽が出てツルが伸びて葉が覆って干からびて枯れ野になるまでが、日々早送りみたいにすっ飛んで行った。

 そんな毎日を、お絵描き帳に描き写して行く。トモダチと一緒に。

 

「きのうから、おじいちゃんがきてるの。トーキョーの、イゴのおじいちゃん」

 

「ジン? おじいちゃんのなまえは、ヒトシだよ? ふうん、あんたはジンってよぶの? まあいいや」

 

「うん、げんきだよ。ボーエイきろく、コーシンちゅーだって」

 

 はたで誰かが聞いていたら、独り言の多いおかしな子供に見えた事だろう。

 そんな感じで、私は、お絵描き帳とトモダチと、山の移り行く季節の中で育った。

 

 

「カヤコも囲碁を覚えたら、おじいちゃんを喜ばせてあげられるかな。ね、囲碁教えてよ、あんた詳しそうじゃない」

 

「どうして、そんな事いうの? 向いてなくなんかないよ。おじいちゃんの孫だもん。

きっとすぐに上手になってみせる」

 

「えっ、なんで泣くの? ごめん、ごめんよぉ、もう言わない。カヤコに囲碁は向いてない。それでいいから泣かないで。もう囲碁の話なんかしない。だから泣き止んでよ」

 

「うん、カヤコは絵描きになるよ。絵描きになって東京に行って、おじいちゃんの絵をいっぱい描いて、そっちで喜ばせてあげる事にした。その時は・・あんたも、一緒に来る?」

 

 

<拝啓 おじいちゃん。

おじいちゃんなら信じてくれると思って、手紙を書きます。

お父さんもお母さんも信じてくれませんでした。

カヤコには、トモダチがいました。

毎日、山でいっしょにあそんでいました。

ある日とつぜんいなくなりました。

カヤコがわるかったんです。

トモダチをうたがってしまいました。

おじいちゃん、カヤコはどうしたらいいんでしょうか>

 

 大人になってから考えると、こんな手紙を貰ったおじいちゃんは困っただろうな、と思う。

 

 でも即座に、返信をくれた。

 内容は短かったけれど、私の話を信じた上で、自分の考えを書いてくれた。

 十歳の私の言う事を、真剣に受け取ってくれた。

 

 その年の帰郷で、私の為だけに沢山の時間を割いて、青森の賽の河原まで連れて行ってくれた。

 そして、青い湖の畔に立って、色んな話をしてくれた。

 おじいちゃんは、私を子供だからと適当にあしらわず、ちゃんと向かい合ってくれた。

 

 おかげで、私は、自分を信じる事が出来た。

 トモダチと約束した絵描きになる道が、いつかトモダチと繋がるに違いないと、思い貫けた。

 

 あの時から、おじいちゃんは、私の超ヒーローになった。

 

 

KAYAKO―2

 

 両親に内緒で応募した小さなコンク―ルで佳作に入った。

 その時の審査員の一人だった先生が、自分のゼミに入って勉強してみないかと声を掛けてくれた。

 

 今までコツコツ積み重ねて来た事が、動き出した気がする。

 ただ、問題は両親なんだよな……

 まあイザとなったら家出でも何でもすればいいやと準備していたら、何の前触れもなく、東京のおじいちゃんが登場した。

 

「お前は儂が責任を持って預かる事になったんだから、学費だのなんじゃらは心配するな、任せておけ。ただし、やるからには一等賞を目指せ。それ以外の報告は要らん」

 

 初めて乗る新幹線に胸を踊らせなから、おじいちゃんはやっぱり私のヒーローだと確信した。

 

 

 東京に出たら、先生のゼミに通う他に、行ける勉強会は端から参加した。

 霊障体質のトラブルが心配だったが、行動範囲で『力の強い幽霊』に、出会わなかったからラッキーだった。

(もっとも、油断した頃に、『とびきり強力な人』に出くわしてしまったのだが)

 

 おじいちゃんちの広い邸宅の離れを宛がって貰ったけれど、食費ぐらいは入れようと、本屋でアルバイトの雑誌を探した。

 青い雑誌とピンクの雑誌が並んでいて、ピンクの方に『女性専用』と書いてあったので、そちらを買って部屋に置いておいたら、家政婦の奥内さんが見つけて大騒ぎして、おじいちゃんの前で正座させられる羽目になった。

 

 で、いろんな過程を経て、私は、ゼミ以外の日は、おじいちゃんの運転手をする事になった。

 ずいぶんと大きな車だったけれど、叔父さんちのトラクター程ではなかったので、まあ、なんとかなった。

 

 

 

 棋院の建物は、ほぼ入った事がない。

 駐車場で待っている時間をデッサンの予習に当てたかったのもあるんだけれど……

 

『カヤコは囲碁はやらない』

 私にはトモダチとの約束があった。

 今はトモダチは側に居ないんだけれど、自分が囲碁をやったら、またあの子が何処かで泣いてしまう気がして、出来るだけ興味を持たないようにした。

 

 土日は小さい子供達が賑やかに建物に入って行く。

 山のトモダチは『囲碁』の何があんなに悲しかったんだろう。

 

 この建物には、あの頃の私よりも小さい子供や、おじいちゃんよりヨボヨボのお爺ちゃんもやって来る。仲良さそうに連れだって来る人達もいる。

 囲碁ってきっと素敵なものなんだろう。

 

 だから私は絵に描こうと思った。

 碁盤の前のおじいちゃんは、世界で一番カッコいいヒーローだ。

 他にもきっと描きたくなる物が沢山あるに違いない

 

 

KAYAKO―3

 

 棋院の庇(ひさし)に燕が巣をかけた。

 これは是非スケッチしなくては。

 何せ、このキレイな翼の形が、苦手だ。

 先生にもダメ出しされたばかり。

 

 おじいちゃんを降ろした後、車をそちらへ持って行き、運転席でスケッチブックを広げた。

 十何羽目かを描き終えた時、スケッチブックに影が映った。

 振り返ると、まったく知らない大人の男の人が立っていたんだけれど・・

 

 ・・ビックリした! だって、眉間のシワが、トモダチに瓜二つなんだもん!

 

 あまりに驚いて、車の天井に頭をぶつけた。痛かった・・

 

 だいぶん後になって、篠田さんに、あの男の人は、おじいちゃんのお気に入りだって聞いた。

 きっと眉間のシワが気に入ったのに違いない。

 

 

 

 視線を感じた。

 手合い所の板の間で、イーゼルを組み立てている時だった。

(さっき、エレベーターの前ですれ違った人だ……)

 

 幽霊にはしょっちゅう会うけれど、さっきの人は、飛び抜けて存在感があった。

 すれ違っただけで、クラッときた。

 近寄ったら多分、軽い頭痛ぐらいじゃ済まなさそうだ。

 

 ここで、田舎に居た時みたいな騒ぎは起こせない。

 おじいちゃんに迷惑をかけてしまう。

 これは本当に、あの人達に近寄らないよう、細心の注意を払わねば。

 

 ・・と思って、色々工夫したのに、自販機の前で、いきなり遭遇してしまった。

 

 幽霊の人が何が言った声が、割れ鐘みたいに頭の中で反響して、立っていられなくなった。

 ヤバイ! 本当にヤバイ・・! 

 

 ―この野郎!!―

 

 ??? 懐かしい声が聞こえた、聞こえた……ような、気がした。いや、空耳だった?

 

 我に返ったら、あの幽霊と子供が弾き飛ばされていた。

 こんな事は初めてだ。自分がやったのかどうかは分からない。

 

 幽霊の人が、心配そうにこちらを見ている。優しそうな瞳。

 まとっている光が真っ白だから、悪い事はしない人だ。

 

 相手がどんな性格をしていても、私の体質が、磁石のプラスマイナスみたいに反発してしまう。

 申し訳なく思った。もしかしたら傷付けてしまったかもしれない。

 

 トモダチを思い出した。

 

 トモダチは、多分、幽霊とは違う。

 霊障も起こさないし、一緒にお団子も食べたし、鉛筆を持ってお絵描きも出来た。

 多分もっと別の種類の存在……おっと、深く考えるのはやめたんだった。トモダチはトモダチ。

 

 贈り物をあげたら、幽霊の人は気に入ってくれたみたいだ。よかった。

 憑り付いている子供と仲良し関係なのに驚いた。そんな事もあるんだなあ。

 

 あの子供は、大人になっても、あの人とお別れしないで居られるのだろうか……

 

 

 ゼミの先生から、丁度、海外留学の話を頂いていたので、ここを離れる事にした。

 あの子供が『プロ試験』という大切な試験を控えていると聞いたからだ。

 

 日本にいたら、おじいちゃんの運転手でどうしても囲碁関係の場所に行ってしまう。

 どこかであの子と遭遇して、万が一試験に支障が出るよう事になっては、大変だ。

 

 おじいちゃんは、「海外に行ったら、いい加減、儂ばっかり描くのはやめろ、あちらの色男を描け、なんぼでもおるだろ!」と言って、送り出してくれた。 

 無理だ。何処に行っても、おじいちゃんよりカッコいい人間の男性なんか居なかった。

 

 

 

 一年の留学期間を終えて、帰国したその夜の出来事は、私の人生で多分ベスト3に入ると思う。

 

 部屋に入って荷物を降ろすと、幽かな音が聞こえた。

 

 カチャン・・

 

 部屋の外で、何か硬い物同士がぶつかる音だ。

 濡れ縁に出ると、庭灯に照らされた飛び石の上を何かが転がって行く。

 碁石だ、黒の。

 

 素足のまま庭に降りて、それを追い掛けた。

 追い付いて、屈んでそれを拾う。

(・・!!)

 

 石を拾った三歩先に、足が見える。

 おじいちゃんじゃない。

 宮守さんでも奥内さんでもない。

 裸足に旅草鞋(わらじ)。

 裸足の脚は真っ黒で、艶々したウロコと、小さな鉤爪(かぎづめ)。

 

(・・トモダチだ!!!)

 

 脚から視線を外さずに、そっと聞いてみる。

「顔を上げてもいいですか?」

 

――・・だめ・・――

 

 否定されたが、懐かしい声に、心が打ち震えた。

 そしてやっぱり、自販機の前で聞いたのはこの声だと確信した。

 

――カヤコが、桜の湯呑みをあげた奴――

 

「うん、覚えてる」

 屈んで下を向いたまま答えた。

 余計な事をしたり言ったりしたら、多分この人は消えてしまう。

 

――上に上がっちまった。子供が今、独りきりで泣いている――

 

「・・・・・・」

 

――助けが要ると思う――

 

「……分かった」

 

 了の返事をすると、脚は後退りして消えた。

 

 物凄く、色んな事が分かった。

 十歳の私をおじいちゃんが助けてくれたのも、東京に出たがっているタイミングで計ったようにおじいちゃんが登場したのも、こうやってトモダチが仲に立ってくれたんだ。

 

 そして、今度は、私が助ける番なんだ。

 だって私はもう大人だし、大人は子供を助けるものだもの。

 そうか、私が子供を助けられるような大人になれたから、トモダチはまた来てくれたんだ……

 

 そのまま素足で庭を歩いて、おじいちゃんの部屋に行った。

 

 

 居なくなった人を求める悲しみは、いつだって同じだ。

 私が十歳の時に通った道は、もっと大昔におじいちゃんも通った事のある道だった。

 では、私達があの子供にしてあげられる事は、一つだ。

 同じ道を案内してあげるだけ。

 

 

 子供は、自分の力で、ちゃんと答えを見付けたみたいだった。

 そりゃそうだ。

 あんなに仲良さそうに笑い合っていたあの二人の時間が、未来に繋がらなかったら、ウソだ。

 

 

KAYAKO―4

 

「カヤコさん、こんにちは」

 クリスマス間近の棋院のロビー。

 聞きなれた明るい声に呼び止められて、カヤコは振り返った。

 

「あ、ヒカル君」

 

「久し振り! あ、ちょっと待って」

 ヒカルは一緒に居た連れの少年に、先に行っててと声を掛ける。

 

「あの時はありがとうございました! ちゃんとお礼、言えなかったから」

 

「いえいえ、私も楽しかったですよ」

 元来こんなに明るく笑う子だったんだなと、カヤコは和やかな気持ちになった。

 

「今日は棋院に何か用事?」

「ヒカル君に会えないかと、ウロウロしていました」

「マジ??」

 

「ウソウソ。おじいちゃんの仕事で、運転手として来ました。でも、ヒカル君に用事があったのは本当。渡したい物があったので。今日会えて良かったです」

 

「そうなんだ、渡したい物って?」

「ちょっと早いクリスマスプレゼント。車にあるから取って来ますね」

「じゃ、一緒に行くよ」

 二人は並んで、玄関を出て駐車場へ向かった。

 

 ヒカルにとっても懐かしい黒い車の助手席から目当ての包みを引っ張り出した時、カランと何かが落っこちた。

「空き缶?」

 空のピ―ス缶のフタが開き、中から黒い石が転がった。

 

「あらら」

 慌ててそれを拾ったカヤコが、下を向いた姿勢のまま、ピタリと止まる。

 

「・・・・・」

「どうしたの? カヤコさん?」

 

「ヒカル君・・」

「うん?」

「今、時間はありますか?」

「さ、30時間とかは無いよっ!」

 

「一局、お願い出来ないでしょうか…」

 困った表情のカヤコが、ゆっくりと振り向いた。

 

「・・って、『トモダチ』が言っています・・」

 

 

 一般囲碁サロンで向かい合う二人。

 

 進藤プロの顔を見知った常連達が、なんだなんだとざわめき、先程の少年が、変わった取り合わせの対局を、面白そうに覗き込む。

 

「進藤、その人、強いの?」

「分からないよ、初めてだし。あ、後で、上の階の塔矢に伝言を頼んでもいいかな」

「うん、いいよ、……それ、何を書いてるの?」

 

 ヒカルとカヤコは、カウンターにあった紙ナフキンを持って来て、それぞれに手元で何か書いている。

 

「何でもないよ、カヤコさん、書いた?」

「はい、すみません、無理言って」

「いいよ」

 

 二人はそれぞれの紙ナフキンを、畳んで自分の前に伏せた。

「じゃ、始めようか」

 

 握ってカヤコが先行になった。

「お願いします」

「はい、お願いします」

 

「ふう……」

 カヤコは寄り目で盤面を見つめている。

 多分、ヒカルには見えないトモダチが、何らかの方法で指示を出しているのだろうが……

 

「どうしたの?」

「碁盤に向かうのも、石を置くのも、初めてなんです。緊張するものですね」

 

 そう言って、ビックリしてアゴが外れているギャラリーを背景に、親指と人差し指で不器用にゴトンと石を置いた。

 

 ヒカルは軽いデジャヴに襲われながら、唾をゴクリと呑み込んだ。

 

(確かに、こういう相手に負けちゃったら、人生観がぶっ飛んで多少のタガが外れても、仕方がないよな・・)

 

 

 

 

 


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