わたしはパパがすきだった。
パパのヴァイオリンはとてもきれいな音で、それを聞くのがだいすきだった。
わたしはママがすきだった。
ママの歌はとてもきれいな声で、いっしょに歌うのがだいすきだった。
わたしはパパとママがすきだった。
だれかを助けるために一生けんめいで、それを手伝うのがとてもたのしかった。
ふたりはいつか、歌で世界をすくいたいとそんなユメをいっていた。
―――けど、全部壊れた。
パパとママはふきとばされて、だれかを助けたいなんて想いはふみにじられた。
そうしてわたしは……アタシは、一人ぼっちになった。
アタシはパパが嫌いだ。ママが嫌いだ。
いい大人のくせにユメを見て、キレイごとをヌかして、それで勝手にくたばって。
そんな二人が大嫌いだ。
だけど、たまに疑問に思うことがある。
なんでパパとママは、ユメのためなんかに命を捨てるような場所に行ったんだろう―――
***
「ぅ、ぁ……」
喉を動かしたことよりも、漏れ出た自身の呻き声そのものに意識が引き上げられる。
開きかけた瞼は、しかし感じた明るさにまるで熱湯に触れた指のように引っ込んで閉じてしまう。だが、却ってそれが意識に明確な輪郭を与えた。
(あ、れ……?)
真っ先に浮かぶのは疑問だが、それをはっきりとした言語に変換するにはまだあやふやに過ぎた。頭の中身が綿になったかのような浮遊感と倦怠感の中間の感覚は、しかし外部からの刺激で一気に覚醒へと収束していく。
「………むね?」
そう、胸。豊かに育った自身の谷間に挟まれながら、何かがもぞもぞとその双丘をまさぐっている。
それが羞恥に繋がるよりも先に、彼女……クリスは見下ろすように、しかし実際には首を曲げて頭を持ち上げる形で胸元を見やる。
すると。
「―――ミャア」
白い子猫が、今まさに二つの山をかき分けてこちらと鼻先を突き合わせながら鳴き声を上げていた。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。はい?」
起き抜けに硬直する思考。
だが次の瞬間にはその事実と、子猫の口腔から漏れる独特な生臭さ……その二つに、寝ぼけの残滓が一気にこそぎ落とされた。
「って、うぉあああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
思わず叫びながら半身を跳ね起こすクリス。そのせいで子猫は「ミャゥ~」とどこか批判めいた鳴き声と共にクリスの膝のあたりまで転がっていく。
一方で、驚きのために乱れた息を整えながら、クリスは不確かな疑問を一つの形に収斂する。
「―――ここ、どこだ?」
自分自身を確かめるように呟いて、キョロキョロと視線を巡らせる。
部屋にあるのは自分が今まで眠っていたベッドと机、それに備え付けのクローゼットだ。掃除が行き届いているのか清潔感があるが、それよりも先に感想として思い浮かぶ言葉は『殺風景』だった。
見るからに誰かの私室であり、それなりに使い込まれている雰囲気はあるものの、どこか無機質である。言ってしまえば、生活感の割に人間味に乏しいことがチグハグに感じられた。何故かと少し考えて、個人の色というものを出す私物の類が見当たらないからだと気付いた。
そのことに何故だか余計に不安を煽られる気になってさらに辺りを見回して、ようやく机の上にある何冊かの書籍を発見する。起き抜けの目を凝らしてみればどうやら料理関連らしいもので、それも主婦向けの実用書ではなく本職向けの技術書のようだった。そのことでようやく一個人としての特色を感じ取れ、小さな安堵に息をつく。
と、パタパタとくぐもった足音が聞こえてきたかと思えば、すぐにその発生源が顔を覗かせてきた。
瞬間、クリスは驚愕と警戒に身を強張らせる。
「よかった、目が覚めたのね」
「おまえ……」
それはクリスにとって見覚えのある顔だった。
先日の闘いでも、融合症例のすぐ近くにいた少女……小日向 未来だ。彼女は起き上がったクリスへ安堵の眼差しを向けているが、クリスはそれに強い困惑を覚えていた。
彼女も、あの場にいたなら自分がどういう者かは知っているはずだ。にも拘らず、微笑む彼女には警戒の色があるようには見えなかった。それが、クリスにはこれ以上なく不可解でならなかった。
そうして戸惑っていると、未来は部屋の外へ向けて声をかける。
「先生、あの子が目を覚ましました!」
それを聞き、すわ医者でも呼んだのかと思っていたクリスだったが、ややあって現れた人物に今度こそ息を飲む。
白いワイシャツに黒いパンツの、背が高い白髪と褐色肌の青年―――
「―――ッ、テメェ!?」
衛宮 士郎。
過日に殺し合ったばかりの相手だ。
クリスが最大限の警戒と共に立ち上がれば、士郎は僅かに目を見開いてから、どうしてだかスゥッと視線を横へと逸らす。
「アン?」
「えっと……あの、クリス、さんでいいんだよね? その、服……」
怪訝な目でそんな反応を眺めていると、何故か顔を赤らめた未来がそんなことを言ってくる。
そう言われておもむろに自身の見下ろしてみれば、自分が纏っているのは見慣れない大きなシャツであることに気付いた。
………というか、マテ。今気づいたがやけにスース―するというかよくよく見てみれば肌色というか肌色じゃないのも透けて見え―――
「っっひゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!?!!?」
そこまで認識した所でクリスは速攻で布団にもぐり、毛布を手繰ってミノムシというよりは子供の描くお化けのような形に包まる。そうして隙間から二人を睨む顔は、やや陰った状態でもわかるほどに真っ赤に染まっていた。
思わず『ウ~』と子犬のような唸り声をあげている彼女に、士郎は目を逸らした状態のまま両掌を見せる形で上げる。いわゆる降参・或いは戦闘の意思なしの表現だ。
「……君を拾ってきた時、服やらなんやらはずぶ濡れで汚れていたからな。そのままにするわけにはいかなかったんだよ。
ちなみに着替えはそこにいる小日向にやってもらったし、シャツはまだ封を切ってなかった予備があったからそれを使ってもらった」
「えっと、でも……さすがに下着のほうは、ね。ごめんなさい」
二人の言い分をそれぞれ聞いて、なおもしばらく唸っていたクリスだがややもすると落ち着いたのか隠れ蓑にしていた毛布の向こうから僅かに顔を覗かせてくる。
未来はその反応に肩の力を抜き、その空気を察した士郎が『そちらを向くぞ? いいな?』と確認を取ってようやく顔を向ける。
クリスは用心深くを二人を見据えながら、毛布を掴む手に知らず力を籠める。そうしながら思い返すのは、意識を失う前の最後の記憶だ。
(確か、アタシはノイズに追われて……)
フィーネの館から逃亡してからこちら、追手としてのノイズは断続的にこちらをこちらへと襲い掛かってきていた。その割に数が少なく、攻めとしては手緩さがあったのは目の前にいる連中を警戒してのことか。
それとも―――もはや、その程度にしか自分への関心がないのか。
「……っ」
よぎった考えに、思わず唇を噛む。そんな彼女へと、士郎が言葉を投げかける。
「路地裏に倒れていたお前を小日向が見つけてな。連絡を受けたオレがウチにまで運んだんだよ」
「ってことは、ここは」
「オレの家。正確にはアパートだけどな」
つまり、今は敵の手中にあるということだ。クリスは反射的に胸元のコンバーターを握りしめようとして、空虚な違和感に瞠目する。
「っっ!?」
目を向けて、更に息を飲む。そこにある筈のモノ、無くてはならないモノ、ただ一つこの手に残されていたモノが失われている。
その事実に焦燥と共に顔をあげれば、士郎が右手を持ち上げてみせていた。その手にゆらゆらと振り子となっているのは、
「アタシの……!」
「イチイバル。コイツは少し預かっておく」
「っの―――っ、ゲホッ! ゴホ、ゴホッ……!」
「っと、無理するな」
瞬時に上った血のままにいきり立とうとして、思わず咳き込でしまうクリス。身を折る彼女に士郎は若干慌てた様子で近寄ると、その額にそっと掌を当てた。
「ケホ―――は?」
「む……少し熱いか」
「なぁ!!?」
一瞬、呆けていたクリスだったが、状況を理解するや否やその顔を羞恥で赤く燃え上がらせる。それを傍から見ていた未来からすれば、明らかに自覚はないだろう彼の行動に頬を染めつつも苦笑を忍ばせる。
最近になってよく解かることだが、こういうところが本当に質が悪い。
そんな評価はさておき、額から手が離れるとほぼ同時にクリスも正気に返り、噛みつこうとするがその前に士郎が彼女のそばにあるものを放った。
ボスンとベッドマットを小さく震わせたそれは片手サイズの小さな機械。
「……通信端末?」
「なんの担保にも証明にもならないだろうが、代わりにそれを預けておく。お前がもう少し大人しく寝ていて、元気になったらイチイバルは返してやる」
「―――ッッ、ざっけんな!!」
思いがけないその言葉に、絶句するクリス。だが次の瞬間には激した感情のまま、反射的に枕を掴んで間近にある士郎の顔へと叩きつけた。
それをまともにくらって瞬きすらもしなかったのは、避けられるそれをわざと受け止めたことの証左か。それに気づいたか否か、クリスは眦を裂くように睨みつけて激昂を叩きつける。
「なんのつもりだよ!? 余裕か!? 同情か!?
―――アタシはお前たちの敵だ! トロ甘ぇマネしてんじゃねぇ!!」
士郎へと……否、もはや全方位に向けられる感情の奔流は、もはやクリス自身止めようがない。未来はその激情に呑まれたか息を飲んで言葉を失っていたが、一方で士郎は冷静……というよりも冷徹な面持ちでそれを真正面から受け止め続けている。
間近から返されるその平静さこそが、クリスの精神を逆撫でしてなおさらに燃え上がらせていく。
「そうさ、敵だってんなら倒せよ! 潰せよ!! 半端なことして、戦う力を奪わないから争いがなくならないんだ!!」
だからこそ、衒いも戸惑いもなくその根がここに曝け出される。
彼女の在り様がどれほどにフィーネに歪まされたものだとしても、それが根付くに足る所以は確かに彼女の裡に存在していたのだ。
それを、士郎は敏感に察して見せた。
「………そうか。『争いをなくすこと』、それがお前の目的か」
「そうだよ! だからアタシは戦ったんだ!! この世から争いをなくすんなら、その為の力を全部ブッ壊して奪ってやればいいっ!!」
それが一番現実的で論理的だと、彼女は心の底から信じていた。それは指し示した者から嘲りと共に否定されても変わらない。
だってそうすれば、何もかも解決するだろうと、彼女は信じている。……否、信じて縋るしかなかった。
そうすれば、もう悲劇なんて生まれない。
そうすれば、もう何も失われることなんてない。
そうすれば―――
「―――そうすれば、一時の平穏と引き換えにそれ以上の災禍を作り上げることになるだろうな」
「っっ」
激情と共に放った信念は、かつて交えた刃よりも冷たく鋭く否定された。
赤熱化した鉄に冷水を浴びせかけるかのような所業に、クリスは鳩尾に刃を突き込まれたかのような衝撃を受ける。それは、嵐のように荒れ狂っていた彼女の精神を無理やりに鎮めるには十分であった。
押し黙り、浮きかけた腰をベッドに沈めるクリス。そうして、沈黙が降りること暫く。
未来がようやく喉を動かして固い唾を飲んだところで、クリスがぽつりと漏らす。
「………なんで、そんなことが言えるんだよ」
「簡単な話だ。お前のそれだと、原因はなにも解決していないからだ」
領土、食料、経済、政治、人種、宗教、思想……戦争の理由は様々だ。だがそれは逆説的に、どんな戦争だろうと原因となる問題が存在するということだ。
そしてそれは第三者が横合いから双方を根こそぎに殴り飛ばしたところで解決するはずもない。むしろさらに悪化させることになる可能性のほうが高いともいえる。
それはまさに病巣の如く。放置すれば肥大化し、根を深く伸ばしてその悪性はどこまでも伝播していくだろう。
その行きつく先はなんであるか。潰されるたびにさらに大きくならんとする戦禍によって全てが灰燼と帰すか。或いは戦う力すらもなくなって貪られるだけの骸を晒すか。はたまた解決できないままだった因果が無関係であった場所にまで侵食していくことになるか。
―――いずれにしろ、断言できることはただ一つ。
「お前が為そうとしていたことは、お前が目指していただろう未来には辿り着けない」
訪れるだろう結末は、安息の平穏ではなく死の静寂に他ならないと、士郎はクリスの揺れる瞳をまっすぐ見据えて言い放つ。
それを受け止めて、彼女はほんのしばらく固まったあと、芯が抜けたかのように脱力して俯いた。
「………なんだよ、それ」
「もう、薄々はわかっていたんだろう」
接した時間はほんのわずかではあるが、士郎は彼女が決して愚鈍な者ではないことを見抜いていた。
それでもなお、その在り方に固執していたのは、それに縋るしかなかったのだろうとも。
だからこそ、彼はそれを砕くことを選択した。そうしなければ、彼女は自縄自縛に圧殺されるとそう思ったが故に。
と、クリスの肩が小さく揺れ始める。俯いたままに小さく漏れる嗤い声は、乾ききっているくせに嗚咽に近い響きで耳朶を打つ。
「―――ハ。無様すぎんだろ、アタシ……遠慮すんなよ、お前らも嗤えよ」
「嗤わない」
刹那ほどの間も置かずに返された、その言葉。呆気に取られ、今再びに怪訝にすら思いながらクリスは改めて顔を上げた。
その時、改めて……いいや初めて、彼女は衛宮 士郎としかと向き合う。
浮かぶその表情は冷徹な、鋼のように硬い無のそれであったが―――向けられる眼差しは、なぜだか暖かさと哀しさを感じる様な気がした。
彼は静かに、しかし確かな力強さを込めて言う。
まるで、絶対の確信があるかのように。
或いは、そうであってほしいと願いを込めるように。
「お前の行いは誤りだったのかもしれない。そうするに至った経緯と理由が何であれ、罪と罰はお前自身が背負っていくべきものだ」
それでも。
だとしても。
「戦争を憎んで、怒って、悲しんで……そんな争いが無くなってほしいと想った、その祈りはきっと間違いじゃない」
きっと、本当は誰だってわかっているし、願っているのだ。
たとえどんな理由があったとして、その道理にどれほどの正当性が成り立っていたのだとしても。
戦争が無くなって、平和になってほしいと。
―――そう願うことだけは、決して間違っていないはずだと。
彼は真摯に、真正面から言い放った。
「………、」
クリスは、言葉が出なかった。
この感情が何というもので、それをどう処理していいのかわからなかったのだ。
悲しいのでも、嬉しいのでもない。
腹立たしいのでも、喜ばしいのでもない。
ただ、胸の内が暖かく、それでいて掻き毟りたくなるほどに疼いているような、なんとも言い難いなにか。
一つだけわかっているのは―――今の自分が、どうしてだかひどく安らいだような気がしているということだった。
と、士郎は立ち上がり、こちらに背を向けた。
「もうしばらく、横になって休んでろ。オレは少し出かけてくる。
……イチイバルは、戻ってきてから返すよ」
「な、なあ!」
そう言って、寝室を後にしようとする背をクリスは慌てて呼び止めた。イチイバルをそのまま持っていかれてしまうから―――ではない。
足を止めた士郎が振り返るよりも先に、クリスは問いかける。
「アンタは、なんで戦っているんだ?」
それは、咄嗟に出てきたにしては彼女にとって切実な問いかけ。
それを受け、士郎は思わず振り返ろうとした体をピクリと震わせて止めてしまう。そうしてそのまま吐息を小さく漏らし、そして。
「正義の味方ってやつになりたかったからだ」
「はあ?」
返ってきた答えに、クリスは怪訝に眉を歪める。冗談半分ではぐらかそうとでもしているのかと俄かに疑い始めたところで、
「―――義父から継いだ、オレの夢だ」
「っ!!」
さらに続けられたその言葉に、思わず硬直した。そうしている隙に士郎は今度こそ部屋を後にした。
未来はクリスを見やって僅かに戸惑うが、やがて彼に続いて部屋を出る。
「………」
「ニャァ?」
あとに残されたのは、毛布にくるまったままのクリスと白い子猫だけだ。
押し黙ったままの少女を、白猫は気まぐれに見上げて首を傾げている。
ややあって、身じろぎもしなかったクリスはぽつりと言葉を漏らす。
「……パパ………ママ………」
滲むような呟きは、毛布を握りしめる手を爪が白むほどに強くした。
士郎の返答、そこから想起された胸の痛みに、クリスは己の古傷をようやく自覚する。
小さな体を更に小さくしているような少女の姿を、白猫はつぶらな瞳で見つめていた。
***
「それじゃ、遅くても二時間ほどで戻るが……本当にいいのか? 彼女の世話を任せても」
「はい、大丈夫です。任せてください」
玄関口にて、気づかわしげに尋ねる士郎に未来は胸前で小さく拳を握って意気込んでいた。士郎としては心苦しくもあるが、この様子では寧ろ帰れと言っても聞かないかもしれない。
実際問題、男なうえに刃を交えた自分がいるよりも、同性同年代の彼女のほうがクリスの気も安らぐだろう。無論、今の彼女がイチイバルを持っていないことを抜いても危険はないだろうことを踏まえての判断だが。危険性に関しては勘と言える部分が大きいが、あながち外れているとも思えなかった。
だが、それはそれとしてそもそもに申し訳がなさすぎる。というのも。
「すまないな。料理を教えるどころか、学校を休ませる羽目になって」
「いえ、そんな……」
そう、今日は平日―――普通に学校のある日で、時刻は既に午前の最後の授業が始まる頃合いだ。
そもクリスを未来が見つけたのも、登校前に士郎に料理の教えを乞うために向かう途中でのことだったのだ。
………ちなみに、『現役女子高生が独身成人男性が独り暮らししている部屋に足しげく通う』という事実はともすれば問題になりそうなものであるが、関係者各位しか知らない上に『まあ士郎だし』で妙な納得をされていたことは余談である。
閑話休題。
「それを言ったら、私のほうこそ……二課のほうには連絡しないでほしいなんて無理を言ってしまって……」
言いつつ、今度は未来のほうが表情を曇らせていく。
その言葉の通り、未来は士郎に対してクリスのことを報告しないでほしいと頼み込んでいたのだ。それはこれまでのクリスの所業を鑑みれば通常ならとてもじゃないが受け入れようはずもないのだが、士郎はこれを承諾した。
士郎は委縮する未来に気にするなと言わんばかりに肩を竦めてみせる。
「それについては、それこそ小日向が気にすることじゃない。そうすると決めたのはオレの判断だ。
……それに、そもそも前にも言っただろう? オレは小日向の上司だって」
だから。
「小日向は上司の俺に連絡と報告をして、オレはそれを受けてオレなりの判断を下した。そら、小日向の責任なんてどこにもないさ」
「そんな……」
なおも不安げに見上げる未来に、士郎は小さく笑って返す。
自分ではなく、他の者のことに対してここまで気に掛ける辺り、親友とは似た者同士であるなと、そんな思いを抱いてしまう。もっとも、それを彼女らが知れば士郎にだけは言われたくはないと返されそうであるが。
と、そこまで考えて連鎖的にその親友のことが思い浮かぶ。
「まあ、立花にも黙っていることになってしまったがな」
未来が士郎の部下と言える立ち位置であるのに対し、響は士郎と同等の立場と言える。そのため、未来が黙っているのと響が報告しないでいるというのでは大きな差があるのだった。
故に、未来にはクリスがここにいることを響にも黙っていなければならず、学校を休む旨を連絡する際もその辺りを誤魔化すのに若干苦労していたようだった。
しかしながら未来のほうは、
「あ、それは別にいいです」
そんな風にあっけらかんと返していた。これに対しては、士郎としても面を食らった気分だ。しかしながら、これには未来なりにちゃんと言い分がある。
というのも。
「今の彼女は、お話しするよりもゆっくり休んでもらった方がいいと思いますから」
「なるほど」
「それに」
と、彼女はどこか得意げな表情ではにかんだ。
「この間までずっと内緒にされてたんだから、今度は私が響に隠し事をする番です」
「……ク、なるほどな」
そんな風に言い切られてしまえば、なるほど納得するしかない。
士郎は思わずこみ上げた笑いを噛み殺しきれずに漏らしてしまう。
ともあれ、この話題に関してはここまでだ。
元より、“大した問題にはならないだろうこと”は確信しているのだから。
「とにかく、後は頼んだ。コンロの小さな土鍋にはおかゆが入っているから、温めて出してやってくれ。食ったあとも食欲があるようなら、冷蔵庫のリンゴを出してやると良い。農薬を使っていないやつだから、彼女が平気なら皮ごとすりおろしてやってくれ。
彼女の着ていたものはベランダに干している。今日は天気も良いから、もう少しすれば着られるだろう。
他に何か質問はあるか?」
「え、えっと……大丈夫です!」
矢継ぎ早に言われたためか、多少たじろいだ様子ではあるが、しかし内容そのものに難しいものがないのもあって返事は力強い。
それを受け取って、士郎は頷き返してドアノブに手を掛けた。
「それじゃあ、少し出てくる。片付けとかは気にしないで構わないからな」
「はい。いってらっしゃい」
いってきます、と言い残して、士郎はアパートの扉を閉める。
見上げれば今朝方まで降りしきっていた雨が嘘のように晴れ渡り、初夏に相応しい底の抜けたような深い青空がどこまでも広がっている。ともすればそろそろ熱さが気になる時節と陽気であるが、今はまだ過ごしやすい日和だ。
と、士郎は何げなくアパートの向かいに並ぶ建物に目を向ける。否、正確には隙間だ。
ただ歩くだけならば気にも留めず、頭の片隅にも認識されないだろう文字通りの背景。
彼はそこをジッと見つめると、おもむろに会釈をした。まるで、そこに見えない知己でもいるかのように。
「悪いけど、引き続き頼む」
そう言って、今度こそ歩き出した。
一見すればそれらはただの奇行でしかなく、事実彼が居なくなった後もそこには何の変化もない。
だが、士郎は確信を持ってそこにいるなにがしかの気配を感じ取り、そしてそれがなんであるかを概ね察していた。
二課の人員……恐らくは、慎次の薫陶も受けているだろう実働要員だ。彼らがなぜそんなところにいるのかといえば、未来の護衛である。
実のところ、響と未来には以前からこういう陰ながらの護衛に人員が割かれていた。
響はシンフォギア装者とは言えその経験は浅く、そもそれ以外の部分は普通の女子高生だ。未来に至っては言わずもがなである。
響が敵方に明確に狙われていることも踏まえ、当人と事情を知って一番近くにいる一般人である未来に対してそういった対処を取るという判断は、むしろ当然であると言えるだろう。
彼女たちへの精神的な負担やプライバシーなどを鑑みて、護衛の存在は責任者を始めとした一部にのみ知らされていたのだが、さすがに士郎を誤魔化しきるほどの隠形を求めるのは酷であったようだ。
そしてここで重要なのは、未来がクリスを見つけた時も彼らはいたということ。
―――つまり、クリスが未来と士郎によって保護されているということは、すでに二課に筒抜けになっているということだ。
しかし、ここに至って二課からの動きはない。士郎が感じ取る限り、隠れている人員が増えた様子もない。
これらが意味するところは、クリスの存在は今のところ見逃されているということだ。
その理由は―――
「―――。ここで良いか」
ややあって、士郎が辿り着いたのはとある公園だ。彼は敷地に足を踏み入れると、いくつかあるベンチの一つに腰掛ける。蛇腹のようなデザインのそれはお世辞にも座り心地が良いとは言えず、あまり長く座っていると尻も背も痛めてしまいそうだ。
そんなものに身を預けながら眺める先は、平日のためだろうか人の姿は少ない。いるのは健康のためだろうかランニングをしている老人や幼い子供を連れた主婦程度だ。
喧噪というには遠く、しかし時折つんざく子供の甲高いはしゃぎ声が平穏というべき場面を彩っている。そんなありきたりというべき日常の光景に、士郎は思わずやわらかく笑みを漏らしてしまう。
と、その時だ。
士郎の前に大きな人影が立つ。彼がそれに気づくと、人影は一本の缶コーヒーを差し出してきた。
士郎は笑みを消して鋼のような表情へと変えながら、それを受け取る。
「慎次が来る可能性も考えたが―――やはりお前か、弦十郎」
「………そんなに解かりやすかったか、オレは」
人影……風鳴 弦十郎は、士郎からの言葉に巌のような体躯と顔立ちに不釣り合いな力の入らない苦笑を返した。まるで、その言葉自体がすでに苛むものであるかのように。
弦十郎はそのまま士郎の隣に腰を下ろし、自分の分の缶コーヒーを喉に流し込んでいく。そこに香りや苦みを味わっているような様子はなく、どちらかといえばヤケ酒でも煽っている様にみえる。
そうでもしなければ、不条理に対する悪罵をとめどなく吐き出しかねないがために。
そんな偉丈夫の弱り切った様子を一通り眺めてから、士郎はおもむろに、
「前提として言っておく。今、オレの手元にはイチイバルがあるが、これは彼女に返すつもりだ。そしてクリス自身も今は二課に引き渡すつもりはない」
釘を刺すというには、あまりにも危うい発言を放った。
孤立しているだろうとはいえ、現状に認識においては二課にとって雪音 クリスは未だ敵対的な存在であることは否めない。それを鑑みれば、士郎の発言は利敵行為と言ってもいい。
ともすれば離反ともとられかねない内容に、しかし弦十郎はさして動揺する様子も見せない。納得というよりは諦観……いや無念といった方が近い様子で小さく息を吐く。
「……お前がそこまで言うか」
「ああ、業腹だがな。少なくとも、今の彼女からコレを奪えば、それこそどうなるかわからない」
士郎はコーヒーのそれとは違う、不快な苦さに眉間の皺を深くする。
彼とて、本音を言えばクリスにはもう戦ってほしくはない。ベッドの上で毛布にくるまる彼女の姿は、夕暮れに刃を交えた時と比べて遥かに小さく、嘘のように儚げであったから。
しかし、それをすればそれこそ『雪音 クリス』という少女は本当の意味で破綻するだろう。信じていた者に裏切られ、求めていた理想を否定された彼女にとって、イチイバルは最後に残った寄る辺に他ならないのだから。
それに、そもそも。
「約束したからな、戻ったら返すと。それを反故にするわけにはいかないよ」
「―――、そうか」
思わず、と言った様子で弦十郎が詰まるような笑いを漏らす。クリスという少女に、彼なりに誠実に向き合おうとする士郎の存在に安堵を隠し切れなかった。
なぜならそれは、自分がやろうとして叶わなかったことだからだ。
「………………単刀直入に訊く。彼女との間に何があった?」
「っ―――」
そんな弦十郎に、何かの確信を抱いたのか。
会話の流れを断ち切って、士郎は近道のように核心を突く。
弦十郎からしてみれば、実のところ不意打ちというほどでもない。
そも先に言った通り慎次でも他の人員でもなく、わざわざ組織の長である己がここに足を運んだのだ。
その時点でなにもないという方がおかしい。
それでも、弦十郎は息を詰めて押し黙ってしまった。
たまさか湧き上がった慙愧の疼きに、喉の奥が堰き止められたかのように固まってしまったからだ。
それは彼女の名を耳にするまで忘れかけてしまっていたもので。
それは果たすべきを果たせなかった、己自身の不甲斐なさだ。
その無念こそが、回り巡って雪音 クリスに罪を背負わせた。
―――故に。
今からでも、自分はその責を果たさなければならない。
改めてそう決意した彼は小さく息を吐き、深く吸ってから、長く吐いた。それだけで恥を晒す覚悟は完了した。
「彼女とはなにもないし、面識もない。……ああ、なにもできなかったんだ、オレは」
それこそが、一人の少女に対する風鳴 弦十郎の罪。
その清算に士郎を巻き込むことになるのは気が引けた。だがその不甲斐なさも飲み込んで、彼は懺悔のように語りだした。
「―――雪音 クリス。
彼女は、オレが助けることのできなかった存在だ」
えぇ、今回も本当に難産でした。
ぶっちゃけ今までで一番、書いては消してを繰り返しましたね。
多分、話的にとくに山場もなにもないのが原因の一つかなと。
本当はもうちょっと長く書こうとも思ったんですが、完成までがだいぶ長くなってしまいそうなのでキリよくしました。
……うん、分御調子が良くないってのもあります、はい。
まあ、足掻きながら書くしかないのですが。
それはさておき、今回のお話。
○白猫「可愛い寝顔だったゼ?」
ちなみに白猫の名前は『チビスケ』の予定。三人娘と同じような日常系の準レギュラーですのでコンゴトモヨロシク。
それはさておき、実はこの時点で何回も書き直しました。
というのも、原作だとちょうど響と未来の蟠りの真っ最中なのですが、この作品だとそれは解決しちゃってるんです。
なので当初はここに響も投入してたりしました。
ですがどうにも響が動かしづらかったのと、この先の展開的にいないほうがありがたかったのと、なによりも『士郎と立場的には同等である響がクリスのこと黙ってるのはヤバくね?』ってことでボツになりました。
○未来見送り~公園で遭遇したイイ男(弦十郎)
未来に護衛つけたのは独自解釈。
けど実際問題、護衛つけてる方が自然かなって気がしたので。
弦十郎との会話はしこたま書き直しまくりました。
おおよその形は完全に決まってるのに、その形に削り出すのに予想をはるかに超える手間と時間がかかってしまいました……
……と、今回はこんな感じで。
ホントに短めですいませんが、次回もこれと変わらない程度の長さかもしれません。
長くなるとしたらその次かな……
さて、話題を変えましてFGO。
requiemコラボと水着剣豪復刻がありましたが、それら踏まえての新規参入がこちら↓
・ボイジャー
・鬼女紅葉
・タマモキャット
・エジソン
・キルケー
・セイバー・リリィ
・水着武蔵
・水着沖田
・ラムダリリス
・マーリン
・ランスロット(セイバー)
・ヘシアン・ロボ
……運、使い切ったかな?(爆)
まあ、水着おっきーと水着獅子王は出なかったのですが。
とくに水着おっきーは武蔵ちゃん出た時点ではまあいっかだったんですが、イベシナリオ読んでたらさらにほしくなったという……
ちなみにセイバー・リリィはフレガチャから出てビックリしました。……あれって星4サバも出てくるんですね……
ちなみにこの中で手付かず状態なのはエジソン、ラムダ、ランスロ。
今のところ間に合ってるというのと、種火が不足しているので……育成する可能性が高いのはラムダですかね。
また、礼装ではカレスコが出てきました。
それも踏まえて、今の種火クエ周回はこんな編成です。
・水着武蔵(カレスコ、スキル2だけレベル10)
・黒セイバー(魔胎菩薩)
・ボイジャー(クリスマスの軌跡、スキル1だけレベル10)
・マスター装備はNP10%チャージできる奴
……これで大体初手ボイジャー宝具から3ターンでクリアできる感じです。
ちなみにストーリーは現在終局特異点攻略中。
フフフ長かったぜい。
第一部終わったら記念としてストーリーガチャ一回だけ11連回す予定。
その後は1.5部に行く予定ですけど、イベ参加条件とかで『第二部序章攻略(1.5部は攻略してなくてもよい)』とか書かれてたりしますが、これって1.5部後回しにできるってことですかね?
それだったら次のイベの条件によっては先に第二部序章だけやっちゃうかもです。
さて、次回イベはおそらく新規水着でしょうが、なにやらマシュとかが『恐怖体験』云々と言ってたりする辺り、肝試し系の要素が入るんでしょうか?
……ということは水着エレちゃんが来るのか?
それ以外で水着になってないのは……ブーディカさんとかジャックちゃんとか?
……と、こんなかんじで。
なんか毎回似たようなこと言ってる気がしますが、あんまり文章が書けなくなってきてる気がして更にテンションが下がる悪循環。
う~む、どうにかしたいんですけどね~。難しい。
それはさておき。
ボチボチ外出とか解禁し始めてる方もいらっしゃるでしょうが、皆さままだまだ油断なさらずにお気を付けくださいませ。
では、この辺で。