「大丈夫、クリス? 痛いところ、ある?」
「……へーき」
ぬるま湯に浸したタオルをクリスの背に滑らせながら尋ねてみれば、返ってきたのは借りてきた猫のようなぶっきらぼうな返事だ。
そんな本人は自身の長い髪の毛先で白猫をじゃれつかせているのだから、何とも微笑ましい。しかしながら、そうは思いつつも未来の表情は暗さが拭えない。
彼女の目に映る小さな背中には、青黒い痣が至る所に浮かび上がっていたからだ。
士郎の用意した食事を終えた頃には、未来は自然とクリスの名を呼べる程度には打ち解けていた。
その背景には、熱々のおかゆをがっつこうとしてちょっとした大惨事を起こしかねなかったクリスに対し、未来が『はい、あーん』と甲斐甲斐しく世話を焼いたというものがあるのだがその辺りは割愛しておく。
その後、若干汗ばんだこともあって身を清めるかということになり、病み上がりであることを考慮してシャワーではなく濡れタオルで体を拭うことにしたのだが……
(背中だけじゃない。よく見たら、いろんなところに……)
クリス自身では届かない背中を強すぎない程度にゴシゴシと擦りながら、未来は痛ましさに言葉を詰まらせる。元々の肌がその名の如く真っ白である分、それを穢すような痣がより一層にその存在を強調していた。
これも戦いで付いたものなのか、それともそれだけではないのか……彼女には判然としない。
疑問を抱きつつも、しかし言葉にせず黙って背を流していれば、
「……お前は、訊かないのかよ?」
「え?」
本人のほうから、そんな言葉が出てくる。
思わず小首を傾げていると、肩越しに小さく振り向いた視線が重なった。
「あのバカみたいに、アタシのこと」
「……私は、そういうのちょっと苦手みたいだから」
言われて得心するとともに、思わず苦みが微笑みに入り混じる。
そう、未来は誰かの内側に踏み込むというのをとても苦手としていた。少なくとも、己ではそう自覚している。
それは誰かとの間に不要な波風を立たせにくくはあるが、代わりに誰かを積極的にすくい上げることはできない性分であるとも。
だからこそ。
「そういうのは、響ならきっと何とかしてくれるって信じてるから」
心の底からそう信じ切れる親友が、未来にはほんのすこし妬ましくて、うらやましくて―――それ以上に、誇らしい。
そうやって衒いなくはにかんだ未来。
その一方で、クリスは響の顔を思い出したのか『フン』と鼻を鳴らして眉根を寄せていた。
「あのバカか」
「そう、そのバカ」
間髪入れずそう返されて、クリスは一瞬キョトンとした後、思わず小さく吹き出してしまった。どうやら、今のやり取りが軽くツボに入ったらしい。
やがて未来も、それにつられて笑いだす。
そんな風に笑いあうその姿は、紛れもなく普通の少女のもので。
本当ならば、それは何一つ憚ることなく、当たり前として享受していたはずのものであった。
―――そのことを、本人が全く自覚していなかったことこそが、悲しかった。
***
「士郎には、リディアンの裏の事情のことは説明した事があったか」
「ああ」
士郎は内心の苦みを表に出さず頷く。
私立リディアン音楽院高等科には、秘された目的がある。それはシンフォギア装者の候補の選別と、音楽と生体による様々なデータの計測――つまりは聖遺物関連の実験場だ。
充実した施設と私立芸術系としては安価な学費もそれが所以であり、だからこそ地下に特異災害対策二課の本部が設けられているというわけである。
言葉を選ばずに言ってしまえば、ある種の
「その概念自体は学院が形になる前からあってな。雪音 クリスが注目されていたのもそのためだ」
バイオリニストの父である雪音 雅律と声楽家のソネット・M・ユキネ……そんな両親を持つクリスは、言ってしまえば音楽界のサラブレット。
そんな彼女に目を付けたのは当然とも言えただろうし、イチイバルを纏った過日の姿を思えばまさしく慧眼であったと言えるだろう。
だが、その為の動きが形になるよりも前に悲劇……いや、惨劇は巻き起こってしまった。
「彼女の両親は音楽界の権威であるとともに、熱心な慈善活動家でもあった。資金援助だけではなく、積極的にNGO活動に参加し……その時も、南米の内戦国に直接赴いていた」
「……巻き添えか? それとも、テロか?」
「後者だ」
のちの調べによれば、支援物資の中に爆発物が仕込まれていたらしい。善意の中に紛れ込んでいた悪意によって命を奪われてしまうというのは、皮肉というにはあまりにも惨すぎる結末だろう。
……だが不幸はそれだけに納まらない。夫妻が死亡した時、娘であるクリスもまた同じ場所にいたのだ。
爆発に巻き込まれず、無傷であったことは果たしてクリスにとっては不幸中の幸いといってよいものか。悪意の坩堝というべき場所に幼い身でただ一人放り出された彼女のその後の道筋がどんなものであったかなど、想像するに余りある。
「それから数年後に、国連軍の内戦介入によって捕虜になっていた彼女は保護され、日本へと帰国する運びとなった。
その折、二課が身元引受人として名乗りを上げていたんだが……彼女は帰国直後に行方をくらませた。
その捜索にはこちらも多くの人員を投入した。だが―――」
そこで弦十郎は一層表情を苦くして言い淀み、しかし言葉を続ける。
「―――そのほとんどが死亡、或いは行方不明という大惨事となった。五体満足で生き残っているのは、オレだけという有様だ」
その言葉には、どれほどの無念が込められているのか。彼の手の中で空のスチール缶がまるでアルミ缶どころか紙コップであるかのように瞬く間に拉げて潰れていく。
耳障りな圧搾音を意識して無視しながら、士郎は口を開く。
「だから、罪滅ぼしというわけか」
助けられなかったクリスのため。無念に散った同僚のため。そのために重い腰を上げてこうして動いているのかと問えば、それは。
「……違うとは言わん。だが、それだけじゃあない。
これは、大人としての責任だ」
「大人として?」
ああ、と太い首を上下して頷き、無念と後悔を振り払うような真っ直ぐで力強い眼差しを宿して、
「一度引き受けた仕事をやりきることもそうだが……何より、身体の一つや二つ張れなくてなにが大人だ」
「―――、そうか」
却ってきたその答えに、士郎は思わず笑ってしまう。
嘲っているのではない。心の底から敬服しているのだ。
弦十郎はもともと公安の御用牙という、国家の闇を直視する立場であった人間だ。
それこそ目を背けたくなるほどに穢いモノなど、個人のモノから組織のモノ……果ては国家のモノまで飽くほどに見てきただろう。
それでもなお、衒いなくそう言いのけ、突き進んでいるからこそ、その在り方に続く者が集っているのだ。
響たちもそうだが、士郎からすればかつての世界での在り様と比して見て、眩しすぎるほどだ。
だが今は、その眩しさに陰を差さねばならなかった。
「――――――弦十郎。この一連の出来事を絵図として描いた者の正体、お前ももう気付いているだろう?」
「………っ」
先ほどとは指し示す対象を明らかに違えたその言葉に、弦十郎は目を見開いて息を飲んだ。
急ともいえる、話題の転換。しかしこれは決して無関係のモノではない。
士郎は先ほどとは意味合いを変えて押し黙る弦十郎に構わず、言葉を続ける。
「さすがに雪音夫妻の死に関してはさて置くとしても……イチイバル、ネフシュタンの鎧、そして雪音。二課と深く関係するモノばかりが次々と失われ、そして時と場所を同じくして見つかる。これらはもう、明らかに仕組まれたものだ」
つまりは内通者。それも恐らくは弦十郎に近しいほどの、機密に触れられる立場の存在。
そんな人物が、今のこの状況を作り上げているに違いない。
「そしてそれを可能とする者。しかも、完全聖遺物のネフシュタンの鎧やイチイバルのシンフォギアを運用することが可能なほどの技術を持っているとなれば―――」
「士郎」
唐突に呼ばれ、今度は士郎が押し黙る。
遮る声は静かに、しかしどんな怒鳴り声よりも強く相手を制する威が圧として込められていた。
「解っている。―――もうすでに、こちらも動きだしている。
遅まきではあったかもしれんがな」
「……そうか。いらん世話をしたか」
士郎が小さく息を吐けば、弦十郎もまた知らず強張っていた肩から力を抜き、僅かに苦みを交えた笑みを浮かべる。
「いや……こちらこそ、気遣いをさせたな」
その言葉を最後として、二人の間に海底に沈むかのような重い沈黙が横たわる。
「………」
「………、」
弦十郎は解っていた。
今の士郎の言葉が、『これから苦楽を分けた仲間を相手取る』ための、不器用な発破であったことを。
それを理解していたからこそ、彼は『気遣い不要』と言葉を遮ったのだ。
そして風鳴 弦十郎は既に覚悟している。
衛宮 士郎も既に覚悟している。
この先に待ち受ける、もはや避けようのない決別を。
それを早くも噛み締めるかのように、二人は平和な日常の片隅の中で固く口を噤んでいた。
と、その時だ。
弦十郎のポケットから、呼び出し音が鳴り響く。即座に端末を取り出し、繋げてみれば、
「オレだ! なにが起き―――」
告げられるよりも先に、一体に鳴り響くけたたましいサイレンが異変の正体を告げていた。
驚愕に立ち上がった士郎は、戦慄を込めて呟く。
「ノイズ、だと……このタイミングでか!?」
かくして平穏は破られる。
濡れた薄紙を引き裂くよりも、あっけなく。
***
「クソ……クソ……クソッッ!!」
オウムのようにそんな悪態を繰り返しながら、クリスは街中を逆走していた。『逆走』というのは、人々の流れから逆らって進んでいるためだ。
そうして走り続けていたら、いつの間にか周囲には誰もいなくなっている。それは道のみならず、立ち並ぶ建物の中からも軒並み人影というものが消え失せていた。
それもそのはず……そうしなければ命が危ういからだ。
ノイズが出るということはそういうこと。
特異災害と呼ばれているのはそういうこと。
シンフォギアや聖遺物といった存在など、諸人は知る由もなく、知っていたところで変わらない。
襲われてしまえば、触れてしまえば―――遭ってしまえば、即ち死。
塵と変じて、その人生も尊厳もすべてを無に帰させてしまうものだから。
だから、只管に逃げ惑うしかできないのだ。
「アタシは……アタシは……!!」
響いたサイレンに表へと出たクリスが目の当たりにしたのは、そんな人々の姿だ。
老若男女区別なく差別なく関係なく、ただ恐怖と生存本能に従って疾駆する窮鼠の如き人の群れ。
その逃避を、狂乱を、混乱を、悲嘆を、悲鳴を、己の耳目で受け止めたクリスは、反射的に駆け出していた。
泣きながら抱えたぬいぐるみを取りこぼして走る少女の姿。
そんな少女の手を引いて走る母の姿。
それらに気を配る余裕もなく、ぬいぐるみを踏みつけてゆく有象無象。
息を切らして走る彼女の胸中は、その光景がデジャブの刃となって心を切り刻んでいた。
―――ああ、そうだ。私はそれを知っていた。
大切なものが奪われんとする恐怖も。
なす術もなく逃げるしかない無力も。
ただ翻弄されるばかりのその無情も。
それらを嵐の如く巻き起こす理不尽も。
すべて―――かつての自分が味わったものだ。
「………アタシがしたかったのは、こんなことじゃない!!」
だが、同じこと。
力になにもかもを奪われて、力を手に入れた自分は、それを滅ぼすと息巻いて―――結局、同じく何かを奪う理不尽の塊と化していた。
ただ、誰かから何かを奪う側の者に成り果てていた。
それはきっと、復讐者という存在のサガだろう。
憎悪のままに応報せんと突き進み、ふとした時にこそ気付いてしまうのだ。―――己の牙が、応報の因果とは関係のない者にまで突き立っていることに。
真実、恩讐に身を委ねた者であったならばそのまま突き進み、やがて己が身が果てるその時まで突き進んでいただろう。
だがクリスは違った。彼女は怒りと憎しみでこそ立ち上がったが、抱いた祈りは確かに輝いていたのだ。
雪音 クリスが心の奥底で、それこそ明確に自覚しないままに抱いていたその祈りとは―――この悲しみを生むモノの根絶。
悲しみを知るがゆえに。
喪失を味わったがゆえに。
彼女は、もう誰もそれを味わうことのない世界を願ったのだ。
たとえその行動が間違いばかりであったとしても、少女のその善性を否定することができる者はいない。
だからこそ、求めたカタチと真逆の現実を創り出してしまったことが、彼女のココロを抉っていく―――。
そして。
ただひたすらに息を切らして走り抜けた先、T字路となっている河川沿いの道路に辿り着き、クリスは愕然と膝をつく。
土に汚れた膝頭と周りの地面が、ぽつぽつと水滴を滲ませていく。それは天からではなく、クリスがその瞳からしとどに溢れさせているものだ。
「あ、ぁああ……」
涙と共に、嗚咽が喉からどうしようもなく溢れてくる。
それがまた身勝手であると、自己嫌悪で掻き毟りたくなるほどの怖気が走る。
それでも、この嘆きは抑えようがなかった。
「アタシの、やることは……いつも、いつもいつもいつも…………!!!」
侵し、傷付け、壊し―――殺す。
そんなもの、父と母を殺したものとなにが違う?
そんなもの、自分が見てきた醜くて汚いオトナとなにが違う?
そんなもの、何もかもを奪った暴力とどう違う?
違わない。変わらない。同じもの………それが、自分だったのだ。
「……ぅぁ、」
もう、今すぐにでも消えてしまいたい……その願いは、このままジッとしていれば叶うだろう。ノイズはもともと自分を狙って放たれたモノだろうし、それでなくともアレは知覚した人間を優先的に殺すものだ。
ここまで駆け出してしまったことは衝動的なものだったが、結果的には良かったのかもしれない。何の責任も取れてはいないだろうが、大人しく死んでおけば少なくともフィーネがノイズを繰り出す理由の一つはなくなるはずである。
ならばせめて、足掻くことなく粛々とそれを受け入れよう―――
「ぁ、ぁあ……ぅあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」
だというのに。
もはや無遠慮に泣きわめくこの醜態はなんなのか。
今更ながらの後悔か。
今更ながらの死への恐怖か。
それとも―――あまりにも情けない、己への至らなさか。
無人となった街に響く、少女の切なる慟哭。
それは唐突に止められることになる。
だがそれは、彼女が受け入れんとしていた死ではなく、
「―――バカ!! なにしてるの!?」
「………………………………ぇ?」
先ほどまで一緒にいて、振り払ったはずの少女の手によるものだった。
「なん、で―――」
肩をグイっと掴まれて振り返らされたクリスが滲む視界で見たのは、全力で追いかけてきたのだろう肩で息をする未来の姿だ。逆の腕には小型のドラムバッグのようなケースが抱えられており、にゃあにゃあと白猫の鳴き声が聞こえる。どうやらペット用の移動バッグらしい。
未来は額の汗を拭うこともせず、そのままクリスの腕を掴みなおして引き上げようとする。
「なんでもなにもないわ!! いいから早く立って!! 今すぐ逃げないと―――」
「っっっ、ほっといてくれ!!」
クリスは未来を振り切ろうと抵抗し、腕を強く引く。しかし未来はそれを赦さず、掴んだ腕を絶対に離さない。それはどこか、彼女の親友を彷彿とさせる頑なさだったが、未来本人に自覚はなかった。
「ほっとけるわけないでしょう!!」
「なんでだよ!! コイツはアタシを狙って起こったんだぞ!? そうじゃなくても、アタシなんて……」
ここまで無様に罪深いならば、ここで無様に散るのが分相応で自業自得だ。
そう答えようとした、その瞬間だった。
ガッッッ!!! と。
鈍い音が衝撃とともに、頭を真正面から貫通した。
「ッンギ!? …………え、ぇ?」
「づっ~~~~~、ふざけないで!」
気付けば、視界と意識がもろともに揺れていた。余震のような残滓とともに目を凝らせば、激昂した未来の顔が先ほどよりも殊更に間近にある。より正確に言えば、ゴリゴリと額同士が密着している。
その事実で、クリスは遅ればせながらに目の前の少女に頭突きを喰らわせられたのだと認識した。痛みに対する怒りよりも、衝撃とその行動そのものに強く戸惑い、固まってしまう。
それも致し方がないだろう。ぱっと見ならば大人し気な印象の少女が、まさかヘッドバッドを繰り出すほどにアグレッシブなどと予想できるはずもない。
だが、未来からすれば割と苦肉である。実のところ本当は頬を張るつもりであったのだが、右手はクリスの腕を掴んでいて左手は猫の納まったペット用のキャリーケースを抱えていたため塞がってしまっていたのだ。まあ、それでも即座に頭突きを選ぶ当たりはやはり響の親友であるといえるか。
ともあれ、痛みに自身もクラクラしつつ未来はごく至近で呆然とするクリスに声を張った。
「そんなヤケッパチで、一体何が償えるっていうのよ!!」
「っっ!!?」
その言葉こそが、ぶつけられた額よりも何よりも―――それこそ、フィーネからの拷問と囁きなぞよりも、強く強く彼女のココロを殴りつけた。
未来はそのまま、今度こそ強引にクリスを立ち上がらせる。
「ほら、今はシンフォギアだってないんだから!! 早く逃げない、と―――」
急かす声が、脱力するかのように途切れる。固まる未来と同じ方向を、クリスが遅ればせながら見てみれば、そこには。
「っっ、ノイズ……!!」
よく見慣れた異形の群れが、目障りに揺れていた。物質の透過能力によるものだろう、壁のシミが広がりながら盛り上がるように姿を現す様は、背筋がざわつくほどに悍ましい。
そうして周囲の家屋や店舗から文字通りに滲み出てきながら、それらは囲むようににじり寄ってくる。形状変化を使って飛んでこないのはどのような理由からかは判然としないが、感情も理性も知性もないだろうノイズがまるでこちらを嬲ることを愉しんでいるかのような錯覚を得てしまう。
(どうすればいい……どうすれば……!?)
今度は逆に未来の身を引いて共に欄干にまで下がりながら、クリスは焦燥と共に思考を走らせる。
自分だけが灰となるならまだよかった。自棄になっていたとはいえ、半ばそのつもりでここにいたのだ。それでなくても、この状況では自業自得である。
だが、そのせいで未来まで犠牲になってしまうことは許容できなかった。そも自分がこうしていなければ彼女がこんな目に合うことはなかったというのに、これでは死んでも死にきれない。
しかしだからと言ってこの現状を打破する力が今の彼女にはない。手許にはネフシュタンの鎧もイチイバルのシンフォギアも存在していないのだ。
自分が囮となって逃がすというのも難しい。すでにノイズの数は視界を埋めつつあるほどに増えている。己が突っ込んで行ってもどれほどの穴があけられるか。
だいたい、クリスを連れ戻そうとして警報の中をここまで逆走してきたような彼女だ。下手をすれば囮となったクリス自身を庇おうとして割り込んできかねない。
シンフォギアも手許になく、あるのは代わりにと渡され咄嗟に持ってきてしまった端末だ。当然ながら賢首を打破する役にたつはずもない。
まさに絶体絶命、万事休す。塞翁が馬など、期待できるべくもない。
(どうすれば……!!?)
考える間にも、ノイズとの距離は短くなっていく。気まぐれ一つで、文字通り次の瞬間には灰燼に帰すだろう状況。
そこへ。
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」
「こっち向きやがれノイズどもぉおおおおおおおおおおおッッ!!」
存外に軽い銃声と共に、そんな雄叫びがこだました。
「なっっ!!?」
瞠目するクリスたちの前で、ノイズたちが俄かに足を止める。そのせいか、包囲に切れ目ができて向こう側が覗き込めた。
そこに立っているのは、黒ずくめの男が三人ほど。全員が拳銃を構えて、ノイズへと立ち向かっていた。
「あの人たち……もしかして二課の?」
「な、にを」
戸惑いながらも男体の素性に当たりを付ける未来。一方で、未来以上の強い困惑にクリスは囚われていた。
そんな二人へと向け、男たちの一人が叫ぶ。
「二人共!! ここは何としてでもオレたちが道を作る!!
だからどうにか逃げてくれ!!!」
「ばっ―――」
クリスはあまりの言い分に絶句しかける。
例えマシンガンやミサイルさえノイズ相手では無意味の極みだ。だというのに、そんな豆鉄砲が一体何の役に立つ。
それよりなにより、
「ふざけてんのか!? コイツはともかく、アタシはアンタらの敵だろうが!!?」
そう、自分は敵だ。
大別すれば、目の前のノイズと一緒くたにされても文句は言えない。
傍にいる未来を助けるためであるならばいざ知らず、彼の口調ではまるで自分まで助けようという風に聞こえるではないかと、そう思って。
対し、返された答えは。
「うるせぇ!!! 大人が泣いてる子供を助けようとして何が悪い!!!!?」
図らずも、クリスのココロを更に揺さぶるものであった。
***
そう、聞いてしまった。
聞こえてしまったのだ。
クリスを追う未来……その護衛をしていた黒服たちも、彼女らに気付かれないように留意しつつそれに追従していた。
クリスに対し、彼らにも思うところはあった。先のデュランダルの一件でも、彼らの同僚が多く傷付いたのだから猶更だ。
故に、最初に未来を無理やりにでも避難させなかったのは失策であったかと頭を痛ませながらも、いざとなれば強硬手段も視野に入れながら任務を続けていた。
その先にあったのは、彼女の慟哭だ。
悔いて、嘆いて、身を震わせて涙を流す、小さな女の子。
それで隔意の全てが拭われたわけでもない。―――しかし。
彼女のやったことを帳消しにできるはずもない。―――けれど。
絆されてしまったと指摘されればその通りなのかもしれない。―――それでも。
「あんな風に泣いてた子を、そのまま見捨てられるモンかよ……!!」
つまりは、そう言うこと。
元より、大なり小なりそういうことのために体を張れる者たちの集まりなのだ、この組織は。
「直接狙うなよ、意味ねぇどころか、素通りしてあの子たちに当たっちまう!」
「解ってるっての!」
言いつつ、三人は手にした拳銃を連射する。断続的な破裂音の直後に、それと同じ数だけノイズの足元が弾けて削れていく。
威嚇射撃というわけでもない。そもそも、シンフォギアや士郎の魔術でなければノイズに対抗できないなんてことは彼らが誰よりも痛感している。
だがそれを承知の上で、むしろ今まで抱いていた忸怩たる想いをぶつけるように遠慮なく弾丸を吐き出していく。
その狙いはただ一つ。
「オラオラ! こっち向けよ!! 人間様はこっちにもいるぞ!!!」
ノイズを一体でも自分たちへと惹きつけるためだ。
無論、例え一体でも彼らのもとにやってきてしまえば、そのまま三人とも誰が誰とも分からない灰の山と化してしまう。
だが、それで包囲を崩すことが出来るなら―――そこから彼女たちが逃げ出す隙の一つも作れるだろう。
確証はない。
それでも、命を懸けるには十分だと、三人は示し合わせるでもなくそう判断した。
「二人共、なんとか逃げ道を作るから―――隙を見て脱出してくれ!!」
ノイズ越しに覗く、なんの面識もない男たちの雄姿。
だが彼らのそんな行動こそ、クリスの精神を殊更にかき乱す。
「なんだよ……やめろよ………」
彼女にとって、大人とは総じて敵だった。
卑怯で、自分勝手で、平気で他者を傷つけて、そのくせ善人面を張り付ける、汚らわしいモノ。
それが彼女が両親の死後に刻みつけられた、『大人』という存在の定義だ。
そしてその定義こそが彼女が暴虐を揮えた一番の理由に他ならない。
踏みにじってよいもの、踏みにじらなければこちらに牙を剥くもの……そんな認識を彼女はこれまで免罪符としてきたのだ。
その歪みが、今ここで正される。
悪い大人もいればよい大人もいる―――そんなごくごく当たり前のことが、まるで歪んだ枠組みを無理やり矯正するハンマーのようにクリスへ叩きつけられていく。
彼らの行動が果たして功を為したのか、こちらに寄ろうとしたノイズたちが戸惑うように立ち止まる。
或いは、その内の何体かが黒服たちへ襲い掛かるのかもしれない。そうすれば、文字通り隙間を縫って切り抜けられる可能性も出てくるだろう。
だがそれは、確実に彼らの命と引き換えだ。
否、正確に言えば、すでに彼らの死はほぼ確定しているようなものだ。
選択肢は既に『彼らを犠牲にして自分たちが助かる』か『彼らを無駄死にさせて自分たちも死ぬ』かのどちらかでしかない。
「あ、あぁ―――」
培ってきた価値観が砕かれる。
歪められていた認識が拭われる。
それは啓蒙というにはあまりにも凄惨だ。なぜなら、それは己を護る心の鎧を粉々にして、血の滴る傷口のような心を曝け出させることに他ならない。
「や、だ……やめてよ……」
再び、涙が溢れてくる。
どう足掻いても、自分のために誰かが死ぬ。自分が死んでも生きても犠牲になる。
その事実に、クリスは心の底から絶望しかけて―――
「ぬぅううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううんっっっっ!!!!!!」
―――その未来を、奇跡というにはあまりにも物理的に過ぎる力業が文字通りに覆した。
「………………………、は?」
それは、誰の口から出たものだったか。
クリスも、未来も、黒服たちも、一様に目を丸く見開いて口をあんぐりと開いて呆然とそれを目の当たりにしていた。
ノイズたちが動きを止めた瞬間、横合いから一瞬にしてある人物が姿を現したのだ。
彼が拳を地に突き立てると、アスファルトにぶち当たったはずの拳は、まるでそこが泥濘であるかのようにすんなりと手首まで埋まった。そしてそのまま埋まった拳を突き上げれば、道路がまるで少し柔らかくなったアイスをスプーンで掬ったかのようにノイズたちを巻き込みながら広い範囲で抉られたのだ。
物質を透過できるとはいえ足場としていたためか、ノイズたちはそのまま成すがままにひっくり返されて折りたたむように挟み込まれてしまった。それで倒せたとは限らないが、少なくとも猶予は十分以上に作れたはずだ。
だが、そこで終わらない。
拳を揮ったその人物は、今度は黒服のほうへと振り返れば、震脚を一つ。
「ふぅん!!!」
ゴッ!! とその瞬間、足元の土砂と瓦礫が俄かに宙を舞い、その様に黒服たちは『ひぃっ!?』と身を竦ませる。それに構わず、彼は握った拳を腰に溜め、
「―――覇ぁっ!!!」
裂帛より、瞬きに三連打。放った先には浮かべさせられた人の頭ほどの大きさの瓦礫がそれぞれ一つずつ。絶妙な力加減によってそれらは砕かれないまま押し出され、大気を切り裂くように発射される。
三つの瓦礫は砲弾となって黒服たちの頭上を掠め、その後方の空へと飛び―――今まさに、槍と化して黒服たちを串刺しにせんとしていた飛行型ノイズをへし折るように叩き落す。
「え、えぇ……?」
その様子を、図らずも岡目八目に見せつけられることになったクリスは、安堵の湧く余裕もなく固まっている。
それもそうだろう。不条理を、理不尽を、絶望を、奇跡ならざる剛腕そのものにて退けたというのだ。ノイズよりもシンフォギアよりも常軌を逸した現実に、認識のほうが追い付かない。
それは未来も同じではあったが、彼女はクリスよりも少し早く意識を復帰させることができた。なぜなら、いま自分たちに背を向けているその人物と面識があったからだ。
彼女は呆然と、その名を呟く。
「………………弦十郎さん?」
呼べば、彼……弦十郎は、肩越しにちらりと自分たちを見やり、ほんの少し目を細めて、
「二人共、無事で何よりだ。………本当に」
確かな安堵を滲ませて、そう微笑んだ。そして黒服のほうに向きなおり、その体躯に見合った豪快な声を張る。
「そちらの三人も、ケガはないな!?」
「「「は、はい!!!」」」
自分たちの頭に助けられ、黒服たちは先ほどの威勢もどこへやらと鯱張って直立に身を緊張させる。そんな彼らへと、弦十郎は一つ頷いて、
「そうか―――よくやってくれた」
誇らしいと言わんばかりに、笑みと共にそんな言葉を贈る。それを受けて、黒服たちはようやく安堵と歓喜に肩の力を抜いて笑みを浮かべた。
そうして弦十郎は表情を引き締め、改めてクリスと未来へと振り返る。
「二人とも、今のうちにこっちへ!」
「ハ、ハイ! ほら、クリスも」
「な、お、おい―――」
促され、クリスの腕を引いてその場を離れようとする未来。それに対しクリスは戸惑いを浮かべ、抵抗しかける。拒絶というよりも、事態についていけずに反応ができなかったというのが正しい。
それで場に留まったのは、ほんの数秒足らず。
それが、あまりにも不運に致命的だった。
瞬間。
ザバァッッ、と二人の背後の皮から盛大に水柱が立ち上る。
「「ッッッ!!!?」」
振り返ったその時、彼女たちの目に映ったのは陽の光に眩くきらめく大小さまざまな水飛沫と、巨大で歪な球体に両生類のような手足の生えたノイズの姿。
ユーモラスな姿を持った、絶対の死。
(あ、)
その時、クリスは自分でもわからない行動に出ていた。
腕を掴む未来の手を今度こそ振り払い―――そのまま、彼女を庇うように両腕を広げて立ち塞がったのだ。
「クリスッッ!!?」
背後から、未来の悲痛な声が聞こえる。
それを聞いて初めて、自分の行動を自覚する。
(……? アタシ、なんで?)
疑問は浮かぶ。だが、不思議と後悔も恐怖もなかった。
だから、ノイズがいよいよ覆いかぶさろうとした瞬間、彼女は『まあいいか』と目を瞑り―――
「―――、」
―――身体を、自分より大きなものに包まれる感触を強く味わった。
そして………………
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
そして。
「たわけ。ヤケになるには若すぎるだろう」
「―――……え?」
降ってきた言葉に、彼女は己の生存を不可解に自覚した。
ノイズに覆いかぶされたなら、自分はもう死んでいるはずだ。シンフォギアを纏っていないなら、この身は普通の人間なのだから。
それでも生きているのはなぜだろうと、ようやく目を開けてみてみれば、
「、な」
「まあ、二人とも無事で何よりだ」
自分を右腕で胸に抱きしめながら、そんな風に笑顔を浮かべる士郎の姿があった。
その姿を―――そして今の状態を至近で目の当たりにして、クリスは限界まで目を見開いて絶句する。
それは、己の身を掻き抱いたことに対する羞恥によるもの……などではない。
そんな些事など、頭に思い浮かぶことすらできないほどの衝撃が眼前の光景にはあった。
「な、なにやってんだよ!!! オマエ!!!!?」
「衛宮先生っっ!!!?」
ほぼ同時に、悲鳴のように叫ぶクリスと未来。
それを受け止める士郎は苦笑を浮かべながら―――掲げた左腕で、ノイズを正面から鷲摑みにして持ち上げていた。
前面にある目のようにも口のようにも見える器官に五指が食い込み、特大のぬいぐるみを握り潰すかのように形を歪めさせている。
だが、ノイズのほうはそれを意に介した様子もなく……介する『意』があるのかどうかがまず不明だが……、不定形生物のように体を変形させて士郎の体を飲み込もうとしている。
すでに、掲げられた左腕はそのほとんどが取り込まれているような状態だった。
「ぁ、あぁ―――」
その様子に、クリスは愕然と絶望する。
士郎に対する感情はこの際関係はない。
『自分を守ろうとして死ぬ』という、ただその一点が今度こそ彼女の精神へのトドメとなりうる。
だが、士郎はその表情をスゥっと鋭くさせ、
「―――
己の裡の撃鉄を叩き落した。
同時、未だ露出している左手が、ノイズを掴んだままライン状の光を奔らせる。
「
直後。
ドッッッバッッッ!!! と、クリスと未来の視界の中心が盛大に爆ぜた。
「「―――、」」
ビチャリ、とクリスの頬に鉄錆くさい暖かさが付着する。
粘度の高いそれがゆっくりと顎を伝っていく感触を味わいながら、今度こそ二人はどうしようもなく言葉を失った。
先ほどまで、士郎を弑さんとしていたノイズの姿は文字通り跡形もない。
その代わりというように、士郎の左腕は無数の刃に包まれていた。
いや、より正確に言うなら、士郎の腕を食い破って幾つもの剣がその切っ先を外へと伸ばしている。
武骨な鉄の群れは赤黒い血を滴らせていて、無機質であるはずの存在をグロテスクに彩っていた。それはまるで植物というよりも得体のしれない生き物の外殻のようで、見れば背に怖気を奔らせずにはいられない。
この現象が何なのかといえば、要するに魔術による自己治癒の応用である。
衛宮 士郎は自身の傷を治癒する際、まず傷口周辺の組織を剣に変換させ、その切っ先をまるで嚙合わせるようにしてから元の肉体へと変換させて治すという工程を取っている。
これは実のところ、魔術の治療としてはひどく迂遠で効率の悪いやり方だ。彼がそんな方法を選んでいるのは、偏に彼の特異な属性となによりも純粋に魔術師としての才覚が欠乏しているが故のものである。
だが、このやり方には独自の特徴とそれゆえの利点が存在した。治療の最中、傷口はまさに刃金そのもので、それ故に傷を負う前よりも頑健となっているという点だ。
士郎はノイズとの戦いを始めた当初、接触による肉体分解の対策としてこれを利用することを考えた。
まず、接触してきたノイズの炭化攻撃に対し、魔術回路を起動して魔力を巡らせることでその侵食をレジストする。
そして同時に、僅かに侵食されてしまった部分を治癒するのだが、この時に魔力を過剰に注ぎ込むことで小規模な暴走状態を意識的に作り出したのだ。
これにより治癒のため錬鉄は必要以上の規模で行われ、傷口から溢れ出すほどの刃は纏わりつくノイズを内側から食い破った。―――その代償として傷口そのものを盛大に広げ、無事であった部分にすら刃を食い込ませながら。
恐らくは、彼はこれがあるからノイズに触れることをためらわなかったのだろう。だが、それを知った上で彼女たちは士郎の正気を疑わざるを得なかった。
飛び出た刃の質量は、左腕そのものをゆうに超えるだろう。それを己の骨肉を裂かせて生み出すというのは、いったいどれほどの激痛であるというのか。まず間違いなく、ショック死していてもおかしくないはずだ。
これはもはや防御とは呼べず、むしろ自爆と言うべきだろう。
己の血肉で以ってなされるリアクティブアーマー……まともな神経をしているなら、こんな方法に躊躇せずにいられるとは到底思えない。
だが士郎はそれを気にした様子もなく、むしろ腕の中にいるクリスのほうを見て、その頬に散った己の血に困ったように笑いかける。
「……悪い、汚しちまったな」
そんなことを、場違いのように宣った彼に、クリスの停止していた思考が一気に激発する。
「っっっっっ、ホントになにやってんだよ!!!?」
クリスは反射的に士郎と突き飛ばすように腕の中から抜け出た。
彼のその訳の分からなさに、彼女は感情を処理しきれない。ただ湧き上がるままに激情を垂れ流し、原因である彼にぶつけている。
何が起きたかも、なんでそんなことをしたのかも、何もかもが解からないだらけだ。まるで前身の産毛を無理やりに逆撫でされたかのような不快さと苛立ちを得てしまう。
だが―――何故だか、彼が浮かべたあの笑みがどうにも我慢できないくらいに腹立たしかった。
そんな彼女に構わず、士郎は無事な右手でポケットから取り出したものを弾いて投げ渡す。
パシッ、と気持ちの良い音をたててクリスが受け取ったのは、彼が預かっていた彼女の荷物だ。
「イチイバル……」
「約束通り、それは返す。……悪いな、こんなことになるとは思ってなくってな」
ばつの悪そうな士郎を無言で一睨みすると、彼女は祈るようにそれを掲げ、聖詠を紡いだ。
「―――Killter Ichaival tron」
転身・装着は刹那で完了する。
赤色が眩しく、花開くように巨大な燕尾が目を引く装甲。
歌を以って纏った魔弓の具足。
第二号聖遺物のシンフォギア、イチイバルの顕現である。
「………、」
直後、クリスは延ばした右手に真っ赤な弩を出現させ、士郎に突きつけた。そこには既に装甲と同じ赤い光の矢が扇の骨のように幾本も一度に装填されており、あとは指運一つで彼の頭をハリネズミにできる。
見つめ合う形になる彼女の眼差しは、すでにそれだけで士郎を射抜いていた。
「クリ―――」
思わず制止しようとした未来の動きは、中途で止められた。クリスが視線はそのままに、弩を明後日の方向へ向けなおして引き金を引いたからだ。
え? と戸惑う暇もなく、放たれた矢の行方を追ってしまう。果たしてそこにいたのは、ちゃぶ台の如くひっくり返された土壌から這い出ようとしていたノイズが、貫かれて散っていこうとする様だった。
どうやら、下敷きにされていたノイズが起き上がり始めているようだ。
クリスはフン、と不機嫌さをそのままに鼻を一つ鳴らすと、踵を返した。そうして両腕を振り上げ、振り下ろすと同時に両腕には白く長大な砲身のガトリング砲が通常の質量保存の法則を凌駕して展開される。
ガシャリと重厚な音を鳴らして、彼女は飛び立たんと姿勢を低くした。
「コイツらはアタシが掃除してやるから、とっとと足手まといと一緒に離れてろ。―――それで、貸し借りナシだ」
「ま―――」
それを反射的に呼び止めようとしたのは弦十郎であった。しかしクリスは飛び立つ寸前に彼を一瞥しただけで、躊躇なくその場を後にする。
街灯に飛び乗り、壁を走るように蹴って、瞬く間にビルの上にまで到達して、その向こうに姿を消してしまう。
あとはただ、彼女が生み出す弾雨と爆火の轟音を、遠くの花火をやまびこの様に聞くだけだ。
「弦十郎」
クリスの差って言った後の方を見送るばかりの弦十郎の背へ、士郎が言葉を投げかける。
振り返ってみると、士郎は心配げに見上げる未来を脇に置きながら、硬くした表情でこちらを見据えていた。
「今はまず、この場を切り抜ける。これからのことはそれからだ」
「………そう、だな。その通りだ」
言われ、弦十郎は納得してそれに従う。
そもそも、彼は本来こういう時に現場に立っていていい立場の人間ではない。すぐにでもあるべき場所に戻らなければならないだろう。
だがそれでも、胸の内に蟠る無念はどうしても拭えそうにはなかった。
(オレはまた……彼女を救えないのか)
ままならぬ現実に悔いと不満が募っても、切り離して動くことに慣れてしまった事にこそ弦十郎は苦虫を噛まずにはいられなかった。
「先生、腕が……」
未来が、士郎の左腕に視線をやりながら表情を歪ませる。
突き出た刃はギチギチと擦れあいながら、少しずつ小さくなるように引っ込んでいく。避難の間は使い物にはならないだろうが、快癒にはさほど時間はかからないだろう。
その辺りを感覚と経験則から察して、士郎はなんでもないと言いたげに小さく笑ってみせる。
彼女に、余計な心配をさせたくもなかったからだ。
「大丈夫だ。このくらいはすぐに治るから、平気―――」
「大丈夫じゃないです!!」
途端、強く声を張られた。それは士郎だけでなく、こちらに寄ってきていた弦十郎や黒服たちも皆が目を丸くするほどだ。
見上げてくる眼差しは強く眦を上げたモノになっていたが、やがて零れそうなほどに涙を湛えていく。
「大丈夫で良いわけ、ない……」
喉が震え、零れる声は消え入りそうに小さくなっていく。
彼女からすれば、士郎の言い分は看過できるものではなかった。
仮に、その傷がすぐ癒えるものであったとしても。
仮に、その行動が助けるために必要であったのだとしても。
痛いのなら、大丈夫でいいわけがない。
苦しいのなら、平気でいいはずがない。
―――けれどこの人は、本当に何でもないことの様にそれを受け入れてしまっているのだ。
改めて痛感させられた、衛宮 士郎という人間のその在り様。
それに触れた小日向 未来は、どうしようもなく湧き上がる悲しみを抑えることができなかった。。
「……平気で良いわけ、ないじゃないですか………」
彼の右の袖を強く握りしめて、静かに肩を震わせる未来。
己の行動と言葉で、女の子を泣かせてしまった士郎はしばらくの沈黙を挟み、やがて小さく息をつく。
どうにもこうにも、こういうのには弱いのだ、昔から。
「………すまない。それと、ありがとうな小日向」
だけど、それでも。
人としておかしくとも、破綻していたとしても。
こういう風にしか生きられない。
こういう道しか選べない。
………そんな言葉は、さすがに胸の内にとどめておいた。
せめてそれだけが、自分のために泣いてくれている彼女に対して、この場で出来る彼なりの不器用な気遣いであった。
***
ややあって。
弦十郎たちは本部へと辿り着いていた。
「すまん! 状況はどうなっている!?」
「「司令!!」」
「弦十郎くん!」
帰ってきた長の姿に、あおいと朔也が安堵交じりに声を揃えた。二人とは別のところでコンソールを操作していた了子も同様だ。
弦十郎の背に続くのは未来と彼女の護衛をしていた黒服で、士郎の姿は見えない。リディアンに辿り着いた後、彼は参戦せんと踵を返したのだ。
左腕は気になる所であったが、直接的な戦闘の人員を考えれば止めることも憚られた。
閑話休題。
弦十郎が発令所に辿り着けば、真っ先に目に飛び込んできたメインスクリーンにはすでにリアルタイムの状況を記し続けていた。
恐らくは自分たちの長がいない間も常と変わらず、その役割を十全に果たしていたのだろう。
それは弦十郎がいなくても問題がないということではない。弦十郎が戻ってきた時に、十全以上の働きができるようにだ。
それを察し、堅城の礎のような部下たちを誇らしく思う。だが今は、と気を引き締める。感謝も、労をねぎらうのも、全て終わってからだ。
「ノイズは市内各所の広範囲に渡って確認。現在は各装者がそれぞれ散る形で対応……戦闘を開始しています」
「ノイズの増援は確認されず。また、途中で参戦したイチイバルがノイズの多くを惹きつけたことにより、他の装者による掃討も順調です」
説明を受けつつスクリーンを見上げれば、なるほど確かに映し出されるノイズの反応はこちらの想像よりもはるかに少ない。
状況として見るならば、事態は既に沈静に向かっていると言っていいだろう。
それを悟り、彼は静かに胸を撫で下ろした。
その時。
「……ちょっと待って」
「―――どうした、了子くん」
どこか切迫した声を上げる了子に、弦十郎を始めとして皆の視線が集まる。彼女はそれに振り返ることなく、コンソールを操作しながら答えた。
「どうやら装者のうち一人がイチイバル……雪音 クリスに接近しているみたい。もう間もなく接触するわ」
「なんだと!? 一体だれが……」
驚愕と共に改めてメインスクリーンに視線を映せば、なるほど彼女の言う通りイチイバルの反応に近づくものがあった。
そこに記されているギアの名は。
「ガングニール……もしかして、響!?」
読み上げた未来が、思わず息を飲む。
イチイバルとガングニールの表示が重なり、真っ赤に染まったのはそれとほぼ同時だった。
***
「―――、――――!!!」
その頃。
クリスは歌と共に弾雨の喝采を奏で、炸裂する紅蓮を大輪と咲かせていた。
場所は河川敷。芝生に覆われた土手から降り、大小様々な砂利を踏み砕きながら有象無象に群れるノイズを撃ち砕いていく。
「―――!! ―――、―――――!!!!」
高く跳躍してから、サイドスカートを展開してのミサイルランチャー一斉射、着地したところを狙ってくる飛行型ノイズを紙一重で躱し、更に迫る人型ノイズを足蹴にしながら、ガトリングによるゼロ距離射撃。
その戦いざまは絢爛で、あたかも彼女一人でオーケストラを展開しているかのよう。だが、それを傍目から見ているとどこか無理をしている様に感じられなくもない。
まるで、派手に騒ぐことで自身の周囲に他者が来ることを拒んでいるかのように。
或いは、一人であることの寂しさを紛らわせているかのように。
そう感じさせてしまうのは、紡ぐ歌が絞り出して叩きつけている様な、余裕のない響きであるためか。
だが例えどんなものであったとしても、彼我の差が隔絶しているならば不慮などまず起こるはずもなく。
相対したノイズの一掃も、間もなく終えようとしていた。
「テメェらで終いだ!!」
歌の合間、気炎として吐き出しながら量のガトリングガンの銃口を天へと差し向ける。
その先に居るのは、今まさにこちらへ降下せんとしていた飛行型ノイズだ。鳥というよりも蝙蝠の落書きのような姿が、槍と捩られるよりも先に引き金を引こうとして、
「―――邪魔だ」
瞬間。
豪!!! と空間そのものを削り取っていくような旋風がクリスの頭上を通り越して視界を横切った。
「な、あ!?」
ここにきての慮外に、クリスは思わず硬直してしまう。
旋風は今まさに撃ち落とさんとしていたノイズの悉くを飲み込み、一瞬で塵へと変えていた。
それは破壊されたノイズの崩壊というよりも、それより先に粉微塵に砕かれたといういうべき威力だ。
旋風がそれこそ瞬く間に消え去れば、あとには何も残らず夕暮れに橙へと傾いていく空が広がるばかりだ。
「今のは、まさか―――」
「『まさか』なんて言葉、いらねェだろ?」
遮った声は、すぐ背後から聞こえた。
ともすれば和やかにも思える笑みを含んだ声音は、しかしクリスの息を止めさせ、背筋に汗の冷たさを殊更に感じさせる。
「―――っ」
唾を固く飲み込み、クリスはゆっくりと振り返った。
同時に、その先に立っていた人物はザンッッ!! と手にしていた『槍』の穂先を砂利の中へ強く突き立てた。
「こうしてちゃんと顔突き合わせんのは初めてだな」
そこにいたのは、夕日に溶け込んでしまいそうな装甲と髪を持つ、槍を携えた女丈夫。
ツヴァイウィングの片翼。
暁天の戦乙女。
豪槍のガングニール。
―――復讐者。
「さぁ―――たまったカリの一括返済だ」
天羽 奏。
その瞳に宿るのは、黒々と燃える恩讐と赫怒。
獲物に食らいつくような笑みを浮かべて、彼女は燦然にして凛然とそこに立っていた。
家族がカルディで買ったミルクと一緒にザラメかけるコーヒーゼリーがめっちゃうまかったです(挨拶)
コーヒーゼリーって苦み強くてクエにことはないけどちょっと苦手だったんですが、これは別格で美味しかったです。
というわけで(?)、お待たせしました。
第15話です。
ホントは7月中に更新したかったんですが……なかなか難しい。
それはさておき今回のお話。
○冒頭
おかゆをがっつくのは無理があると思ふ……
それはさておき。
リディアンの『装者候補を集めるための学校』のくだりでヱヴァンゲリヲン思い出したのは自分だけじゃないはず……だけど真面目に探したら年齢が偏ってそうで怖い(笑)
士郎から見て、弦十郎は年の離れた友人で、慎次は年の近い友人というかんじです。
その辺りの微妙な違いを出せるようになりたい。
○クリスと未来と黒服と
自分はもしかして未来さんを描写するのが得意なのだろうか?
なんか頭突きの辺り、当初の予定にはなかったのにするっと出てきて自分でびっくり。
ちなみに脳内プロセスとしては、
『言葉だけだと弱いかな?⇒ビンタするか⇒アレ、そういや猫おるやん⇒じゃ、頭突きで⇒(書いてから)なんで?(三代目並感)』
こんな感じ。
ちょっとアグレッシブすぎただろうか……
黒服に関しては連載前の構想だと本当は予定になかったり。
原作通り、クリスは弦十郎が抱えて未来は士郎が抱えて飛ぶという展開で、士郎が魔術で強化した状態でワンクッション置いて屋上に着地したのに、弦十郎は直で飛び乗ったことに半眼するっていう展開でした。
けど、前話で黒服が護衛になっていることになったので、彼らの出番を作る形でこういう風に。
彼らの行動に関しては、公式的にも割とあり得るかなと。
なにせXDUの3.5部では呪いの充満する中で昏倒したクリスたちを回収して脱出・救助した益荒男たちですし。
○弦十郎と士郎
そしてこのOTONAよ……
ノイズが相性ゲーじゃなかったらホントにこの人が最強枠なんだよな……まあ、それだけで解決できるってわけでもないんですが。
一方、士郎の人肉リアクティブ装甲。
ここら辺は前々から考えていた部分です。
伏線としては第三話の最後の方と、interlude1_1。
チンピラを庇ってこの方法を使ったから、士郎は体からざっくり剣を生やしてました。
ノイズに襲われて死んでないどころか内側から剣がドバって出てくる男……うん、なんも知らんかったらバケモノ扱いされてもしょうがない気もする。
ちなみに、『矢で撃ち落とせばよかったんじゃね?』という疑問もあるでしょうが……うん、角度が悪かった&スーパーOTONA劇場に士郎も呆気に取られてたってことで(爆)
○ガングニール、襲来
響かと思った?
残念、オットコ前な奏姐さんでした!!
というわけで、次回はオリジナルバトル、クリスVS奏。
話自体はさほど長くはならないと思うので、できれば八月中に更新できればいいかなともいます。
……うん、できれば(遠い目)
ここからは雑談を。
そういえばXDUでジャンヌでてましたね。ついでにジルも。
というかなにげにアカシックレコードにアクセスしてるジルとか……(汗
サンジェルマンと絡めてるシナリオは中々に良かったです。
というか、並行世界のアダムほんといい味出してますよね……
ちなみにこの作品ではAXZ編で士郎と一番絡むのはアダムの予定。
終盤で思いっきり趣味に走る、走りたい。
今やってるイベでは奏、未来、セレナのイグナイトが登場。
……ぶっちゃけ、イグナイトの奏で二槍流は自分がやる予定で考えてました。
ちくせう、取られた(違う)
……つっても、奏のイグナイトは諸々の事情で出番がすごく少ない予定だったりしますが。
話は変わってFGO。
現在、亜種特異点の新宿をクリアしてアガルタ進めてるところです。
ぶっちゃけ、新宿でのアヴェンジャー関係の話は今回の話書く上でがっつり参考にさせてもらいました。
なお、前回から追加されたサーヴァント↓
・茨木童子(狂)
・BB
・シェヘラザード
・パッションリップ
……メルトとカーマは出なかったorz
これらを踏まえたウチのカルデア事情はこんな感じ。
【セイバー(主にアストルフォ、黒セイバー、白セイバー、北斎、モードレッド)】
かなり安定。
全体は黒セイバー、単体はアストルフォに北斎とで対応できる。
また、モードレッドのシガレット・ライオンをスキルMAXにしたので、追加でクリティカルバフできるのと組ませれば疑似超人オリオンに近いことしてくれる。
そのせいで、新規で育てる必要が無くなってるという現状。
ランスロットと蘭陵王いまだに手付かず。
【アーチャー(主にサンタ婦長、超人オリオン、ロビン、エウリュアレ、アタランテ)】
多分、嵌まったときの火力は一番高い勢。
特にオリオンは迷った時にはよく出てもらってます。
アタランテを育てたのは、ロビンと組ませるときサンタ婦長だと相性が悪かったため(宝具で敵の毒解除)。
ケイローンも最終再臨見えてるので、そういう意味でも層が厚い。
エミヤ欲しい。
【ランサー(主に景虎、エリセ、水着メルト、ロムルス)】
単体宝具の景虎、全体宝具で即死付与付きで鯖特攻のエリセ。
この二人のおかげでかなり安定した。
さらに状況に合わせてメルトかロムルスかいう感じ。
ガレスちゃんやアニキ育てたいけど素材が足りない。
【ライダー(主にエウロペ、アンメア、牛若丸)】
主にというか、この三人で完全に安定してる。
ぶっちゃけここまで追加で育てる必要が出なかった程度には。
現在はマンドリカルド育ててるけど、ブーディカも育てたい。メドゥーサも。
なにげに星4以上一番少ない。
【キャスター(主に孔明、マーリン、シェヘラザード、ジーク、アンデルセン、陳宮、ナーサリー)】
何気に星5が一番多い。
マーリンと孔明のありがたさを痛感してる。
特にマーリンは相手にライダーいない限りは結構な頻度で出撃させてる。
ただ単体攻撃宝具持ちがいないので、キルケー育てたいけど素材が足りない。
【アサシン(主に水着沖田、千代女、カーミラ、呪腕、静謐)】
現在の一番ネック勢。
かつての槍勢よろしく、口上的な攻撃力が不足してる。
繰り出せればいいんだけど……確率9割8割とかでクリはずしてるのはなぜですか(現場猫)
じぃじ欲しい。カーマほしかった。
【バーサーカー(水着武蔵、鬼女紅葉、ペンテシレイア、アタランテ、アステリオス、カリギュラ、ダレイオス、タマモキャット)】
何気にここも層が厚い。
水着武蔵ちゃんは迷ったときはマーリンの次くらいに出してる。
【エクストラ(マシュ、ボイジャー、アンリマユ、ロボ、BB、リップ)】
マシュはスキル三つともMAXに。
ボイジャーはバサカが出た時と種火の時は出ずっぱり。
アンリは絆を稼ぎ中で、BBはアヴェ出てきたときよろしく。
リップはライダーアサシンキャスターが複数跨いで出るときは大体出てもらってます。
……ルーラーだけいないのでジャンヌかホームズプリーズ。
……と、こんな感じ。
全体的に揃ってきたけど、まだまだ足りないのも多いなと。
具体的にはルーラー。
と、今回はこの辺で。
コロナが再び暴れ出してる感じですが、皆さま本当にお気を付けくださいませ。
……今年は年末含めて『孤独のグルメ』無理だろうな……(遠い目)
それはさておき、また次回にて。