戦姫絶唱シンフォギア赫鋼―アカガネ―   作:樹影

2 / 38
●ルナアタック事変編:月砕交響曲 カ・ディンギル
1:調理師/魔術使い


 ―――私立リディアン音楽院高等科。

 海に臨む高台に建てられた、今年で設立十周年を迎える私立の女子校で名の通り音楽関係の教育に力を入れている学校である。

 そんな学校に立花 響は今日から通うことになった……のだが、彼女は今ちょっとしたピンチに陥っていた。

 具体的に言うと、

 

「うわわッ!?」

 

 木から絶賛落下中であった。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、どうしてこうなったかというのを説明するには立花 響という少女のことを少し説明せねばなるまい。

 彼女は自身の趣味を『人助け』と公言して憚らず、親友からは『いつものおせっかい』と苦笑と共に揶揄されるほどだ。

 この日も私立だからか入学初日から授業があるというのに教科書を忘れたクラスメイトに自身の教科書を貸し(なお、本人は前述した親友に見せてもらうつもりだった)、さらには授業が始まるまでの時間を使って校内の散策を兼ねて困っている人を探していた。

 と、そこで見つけたのが木を見上げていた数人の女生徒で、彼女たちの視線の先には登ったはいいが降りられなくなったらしい子猫が震えていたのだ。

 ……さて、ここまで語れば大方察せてしまうだろうが、彼女は子猫を助けるためにわざわざ木に登り、そして子猫を抱きかかえた辺りでバランスを崩してしまったのだ。子猫のためにそこまでの労力を払う辺り、筋金入りと称すべきか重症と嘆くべきかは迷うところだ。

 

 ともあれ、既に体は枝から離れてしまい、先ほどまでいた他の生徒もある理由ですでにどこにもいない。つまりどう足掻いても彼女(と猫)を落下から助ける術はない。

 重力に引っ張られる中、響は助けた猫を庇うように抱きかかえ、直後に来るだろう衝撃に思わず身を固くして目をギュッと瞑った。

 そして、

 

「っと。危ないな、まったく」

 

 存外に軽い衝撃と共に、そんな声を間近に聞いた。

 

「………………あれ?」

 

 覚悟していた痛みもないことに、思わず戸惑いながらゆっくりと目を開く。すると、すぐそこに見慣れない男の顔があった。

 まず目がいったのは白い髪、次いで褐色の肌。すわ老人かと思えばすぐさま青年の年若い顔と張りのある肌が間近にあることに気付く。

 背と膝裏には己を支える逞しい感触があり、密着している右肘はシミ汚れの目立つ白い上着の胸元に埋まっていた。

 

 ぱちくり、と目を瞬かせること暫く。段々と彼女は自身の状況を正確に把握していく。

 ―――つまり、木から落ちた自分はこの見知らぬ青年に助けられたようだ。それもお姫様抱っこで。

 

「って、うわぁっ!?」

「っと」

 

 慌てふためき、思わずバランスを崩しかける。しかし抱えていた青年が腕からこぼれる響の体の要所を誘導する形で姿勢を整えさせ、上手い具合に着地させる。

 果たして響が両足で地面を踏みしめた時には、彼女は違和感で再び目を瞬かせて呆けることとなった。

 

「あ、あれ?」

「その様子だと、足を挫いてはいなさそうだな」

 

 戸惑う響に対し、青年がその背後で安堵の息を吐く。と、彼女ははっと気付いたように振り返って頭を下げる。

 改めて見た青年の衣装は白の眩しいコックコート然としたもので、だからこそ食材などによるものだろう胸から腹にかけての汚れが目についた。しかしそれが不潔かというとそうでもなく、むしろそこ以外が完璧ともいえるほど身だしなみが整っているからか安心感を持ってしまう。

 恐らく、この人の仕事は信頼できるだろうという確信を第一印象で与えてくれていた。それは、頭を下げる響に返す柔和な笑みからも見て取れた。

 

「あ、ありがとうございました! あとごめんなさい!!」

「いや、大事ないならそれでいいよ。見知らぬ男にいきなり抱きかかえられたら誰だって驚くし、怖がるさ」

 

 それについては申し訳ないと、苦笑を浮かべる青年。響からすれば、助けられた恩とそれを仇で返してしまったことへの罪悪感でいっぱいいっぱいだった。

 なので何か言おうと思っても上手く言葉が出てくれない。と、腕の中で子猫が甲高く鳴いた。そこで、青年が得心したような表情を浮かべる。

 

「なんで木に登ってるのかと思ったら……そいつを助けるためか」

「あ、はい。なんか登ったまま降りられなくなっちゃったみたいで」

 

 エヘヘ、と苦笑する響。と、その時チャイムが鳴り響き、彼女はハッと気づいたような顔つきになる。

 

「予鈴!? やば、遅刻しちゃう!」

「……いや、これちがうぞ」

「ふぇ?」

「これは本鈴だ。……残念だが、遅刻確定だな」

 

 首を傾げる響に、青年が告げたのはあまりにも残酷な真実だった。一瞬、意味を掴みかねていたようだが、段々と現実を認識し、顔を驚愕に歪めていく。

 

「え、え……ええええええええええええええええええっ!? うそ、予鈴鳴らなかったの!?」

「いや、鳴ってたぞ。聞こえなかったんだな」

 

 青年のツッコミもよそに、響は慌てながら「私、呪われてる!?」などと叫んでいるが、状況から推測するに十中八九自業自得だろう。と、彼女はそのまま青年に深々とお辞儀をする。

 

「た、助けてくれてありがとうございました! それじゃ―――」

「ちょっと待て」

 

 駆け出そうとする響の肩を青年が掴む。思ったよりもがっちり掴まれていたためか、ガクンとバランスを崩しかけた彼女は、若干恨めし気な表情で青年に振り返る。

 そんな響に、青年は彼女がいまだ抱きかかえているモノを指さす。子猫だ。白い毛並みのそれは響の腕の中で大人しくしながら暢気に欠伸をしている。

 

「流石にその子を連れていくわけにもいかないだろう」

「あ………で、でも、お腹すかせてるかもだしほっとくわけにも……ああでも……」

 

 響は目に見えて狼狽しながら右往左往としている。生来のお人好しもあるだろうが、今回は入学初日からの遅刻という大ポカからの混乱もあるのだろう。

 と、青年は溜息交じりに苦笑を浮かべ、響の腕の中から子猫を取り上げる。ニャー、と鳴き声を上げるものの特に抵抗する様子がない辺り、大人しいというよりはのんびりとした気質なのかもしれない。

 

「あ……」

「この子はこっちで預かっておくよ。授業が終わっても気になるなら、昼に食堂……厨房の裏口に来るといい」

「厨房裏、ですか」

「ああ。―――ほら、早く教室に戻らないと。初日から大目玉だぞ」

 

 首を傾げる響に、青年は笑顔で顎をしゃくる。彼女はやや迷った様子だったが、やがて大きく頭を下げた。

 

「わかりました。その子のこと、よろしくお願いします! それじゃ!!」

「おう。急ぎすぎて転ぶなよ」

「ハイ!!」

 

 言って、元気よく駆け出した。早速足をもつれさせかけたが、何とか転ばずに校舎の中に飛び込んでいく彼女の後ろ姿に、青年はふと違和感を覚える。

 

「……なんか、どこかで見たことがあるような」

 

 と、腕の中で子猫が自己主張を始める。腹が減っているのだろうか、身を捩ることはしないでもこちらの胸に拙く爪を立てる姿は何とも微笑ましい。その姿に、青年はぽつりと呟く。

 

「さて、預かったはいいけど……どうしたもんかね、お前さん」

 

 腕の中の子猫は爪を軽くスーツに食い込ませたまま、こちらを見上げて首をわずかに傾げて見せていた。

 青年は溜息交じりの苦笑を再び浮かべて、とりあえずはその場を後にした。

 

 ―――なお、余談ではあるが響はその後しっかりと大目玉をもらい、担任教師の心のブラックリストに問題児として燦然とその名を連ねることになるのだった。

 

 

 

***

 

 

 

「えーと、厨房裏ってこっちかな?」

 

 昼休み、響は士郎の言葉通り厨房裏へ行くために校舎をぐるりと外から回っていた。その隣には彼女の親友である小日向 未来の姿もある。

 

「うーん……間違いはないみたいだよ」

 

 付き添っている未来も、初めての場所ゆえか若干の戸惑いに首を左右に巡らせながらもそう答える。

 

「それにしても、猫を助けてて遅刻とか響ったら……その人が猫を預かってくれなかったら、そのまま連れてきてたんじゃないでしょうね?」

「そ、そんなことはないよー」

 

 ジト目の親友に響は思い切り目を泳がせている。実際、青年が引き止めなかったらそのまま猫を連れ込んでいただろうから未来の指摘はまったく以ってその通りであったりする。

 一方の未来もそんな響に慣れているのか、それ以上の追及はせずにしょうがないといった風に小さく笑うのみだ。と、未来が何かを見つけたように「あ」と声を上げる。

 

「もしかして、あの人かな?」

「うん?」

 

 未来の指摘に響が逸らしていた視線を前へと向ける。そこには、搬入口らしい大きな扉の前でしゃがむ白髪の男性とその前で小皿に顔を突っ込んでいる子猫の姿があった。子猫の首にはわざわざ用意したのか、首輪とそこから延びるリードが見えた。

 そんな子猫を眺める白い服に白い髪、僅かに覗く浅黒い肌の人物。間違いなく、目当ての相手である。

 

「あ、あの人だ。おーい、すみませーん!」

 

 響が声を掛ければ、気付いた男性がスッと立ちあがる。朝も見た長身、その後ろ姿が目に入る。

 

 

 

 ―――瞬間、響は猛烈な既視感に襲われた。

 

 

 

「――――――え?」

 

 唐突に脳裏に走るのは、今ではないいつか、ここではないどこかで鮮烈に刻まれた光景だ。

 黄昏時、ライブ会場、瓦礫、ノイズ、歌、戦うツヴァイウイング、朱い空、紅い血、…………あかい、せなか。

 見えたヴィジョンと共に、古傷の奥の心臓が強く熱く鼓動を打つ。それはまるで、久方ぶりに火を点けられたエンジンのような。

 

 そんな響をよそに、視線の先の男性が振り返る。案の定、その顔は今朝がたの青年のそれだ。彼はこちらを見て、気付いたように笑いかける。

 

「ん? ……ああ、君か。そら、御覧の通り元気だよ」

「わあ、可愛い」

 

 ガツガツと茹でたひき肉をむさぼっている子猫に、未来がしゃがみ込んで目尻を下げる。その背を撫でようと手を伸ばしかけるが、食事中であることを思い出して躊躇いがちに手を止める。

 青年はその様子を微笑ましげに眺めていたが、当の猫を助けた本人が大人しいことに気付いてそちらに顔を向ける。すると、なぜか響はじっと青年を見上げていた。

 

「ええと、どうかしたか?俺の顔に何かついているか?」

「響?」

 

 青年の言葉に、未来も響の様子に気付いて首を傾げる。そして響は意を決したような表情で「あの!」と青年との距離を一歩詰める。

 その慮外の行動とその勢いに、青年が思わず身を引きかけた。しかし響は構わず、青年をまっすぐと見上げて問いただす。

 

「昔、どこかでお会いしたことありませんか!?」

 

 青年は目を丸くしてたじろぎながら押し黙る。そしてやがてぽつりと一言。

 

「もしかして、俺はナンパされてるんだろうか」

「響!?」

「ふぇ? ………あ、え、いやいや! ち、ちがいますよう!!」

 

 その指摘になぜか真っ先に未来が反応を示し、響が一瞬呆けたあと慌てて首を横に振る。その様子に、青年も苦笑を浮かべるばかりだ。

 

「いや、俺も本気でそうだとは思っていないけど……そこまで思い切り否定されるのも割とグサグサくるな」

「ああ、ごめんなさい! そういうつもりじゃ」

 

 謝ろうとする響に、青年は「ああ。いい、いい」と手を振って止める。気を取り直すように佇まいを直すと、顎に手をやってしばし考える。

 

「んん―――いや、覚えはないな。多分、今朝が初対面だと思うが?」

「そう、ですか。……変なこと言ってごめんなさい」

「いや、ご期待に沿えずこちらこそ申し訳ない」

 

 互いに非がないことで謝りあう二人、どうにも行動の似通ったその光景に未来は思わずクスリと笑みを漏らす。

 それはさておき、話を変えるかのように未来は気になっていたことを尋ねることにした。

 

「そういえば、調理師の方だったんですね」

 

 青年の格好を見れば一目瞭然で、どう見ても食堂勤めの料理人だ。それに対し、青年も頷きを返す。

 

「ああ、去年から縁があってここで働かせてもらってる」

「縁、ですか?」

「実は長いこと日本を離れていろんな国を旅しててさ。それで帰国した時に知り合った人がここの関係者だったんだよ。それで、その人の紹介でこうして働いてるってわけだ。……まあ、ぶっちゃけると物凄いコネの就職なんだけどな」

 

 言い回しに引っ掛かった未来の問いに、青年はそう答えた。その辺り、自分でも思うところがあるのか苦笑を浮かべながら頬を掻いている。

 

「といっても、料理の腕はちゃんとそれなりにあると思うから安心してくれ。外国を回ってた時はよく料理屋で路銀を稼いでたしな」

「……もしかして、外国に行ってたのって料理の修行ですか?」

「いや、そうじゃない……んだけど、結果として料理修行もしちゃってるんだよなぁ。シェフとかオーナーとか、仲良くなったら色々教えてくれたし。ずっとここで働かないかって言ってくれたことも結構あったし」

 

 響の素朴な疑問に、一応の否定はしつつも難しい顔で額に手をやる青年。なにやらいろいろ複雑らしい。

 そこで響は、さらに一歩踏み込んだ。

 

「なら、なんで外国に行ってたんですか?」

 

 正味なところ、響自身なぜここまで彼が気になってるのかわからなかった。未来も、そんな響を怪訝に思ったのか小首を傾げている。

 しかし、響はなぜかこの青年のことが気になった。脳裏に焼き付いた光景と、この青年がなぜかダブって仕方がなかったのだ。

 青年は困ったように苦笑すると、少し唸ってから、

 

「うーん……ちょっとした夢を追いかけてた、ってところかな」

「夢、ですか?」

 

 訊き返すと、青年は「ああ」と頷いて、

 

 

「―――『正義の味方』ってやつになりたくてさ」

 

 

 そんな風に、笑って答えて見せた。

 

「………」

「………」

 

 予想外の答えに、ポカンと黙る二人。それを見て、青年がハッと気づいたように慌てる。

 

「あっと、スマン。ついポロっと変なこと言っちまった」

 

 恥ずかし気に激しく手を横に振ってそう言う。どうやら、本当に言うつもりではなかったことらしい。

 と、言葉を失っていた響が、笑顔で口を開く。

 

「いいじゃないですか。私は好きですよ、そういうの!」

「……まあ、響はそうだよね」

 

 これに対し、笑われるとでも思っていたのか青年が「へ?」と間の抜けた声を上げる。

 と、足元で子猫が「ニャー」と自己主張を始める。見れば、皿はすっかり空になっていた。

 

「そういえば、この子はどうするんですか?」

「ああ、住んでるアパートの大家さんには電話で許可もらったから、しばらくは俺が預かろうかと思ってる。とりあえず、里親でも探してみるさ」

 

 肩を竦めて笑う青年を見て、未来はある確信を得た。

 

「お兄さんと響って、似た者同士なんですね」

「なんでさ?」

「ふぇ?」

 

 その言葉は不意打ちに過ぎたのか、二人から同時に声が上がった。それをおかしく思いつつ、未来はこみ上げる笑いを押し殺す。

 

「だって、もともと関係なかったことに首を突っ込んで自分から苦労をしょい込んでる……ほら、そっくりじゃないですか」

「「むぅ……」」

 

 ついには同時に唸る。気付いて顔を見合わせる二人に、いよいよ未来は我慢できずに吹き出してしまった。そんな彼女に響は頬を膨らませてしまう。

 

「もう、笑うなんてひどいよ未来!」

「あはは、ごめんごめん」

 

 じゃれ合う二人を、青年は微笑ましく眺めている。その眼差しには、なんとなく安堵の色が含まれているように見えるのは気のせいだろうか。

 と、気を取り直すように青年はポンと手を叩く。

 

「さて。二人とも、時間的に飯はまだだろ? そろそろ食堂の席も埋まっちゃってると思うんだが」

「うぁ、忘れてた! どうしよう」

 

 指摘され、頭を抱える響。未来も気付いて困ったように眉を寄せる。そんな二人に、青年は笑いかけながら厨房への扉を開いた。

 

「賄い飯でよかったら、こっちで食べていくか? 今はちょうど他に誰もいないし、二人くらいなら問題ない」

「いいんですか!? やったね未来!」

「ちょ、もう響ったら! ……でも、本当にいいんですか?」

「ああ。 さすがに毎回とかなったら問題だろうが……まあ、今日くらいならな。

 あ、俺が気になるってんなら、外で待ってるけど」

「そ、そんなことないですよ!」

「そうですよ、むしろそっちの方が気になっちゃいますって。えと……」

 

 と、そこで響は口ごもり、首を傾げた。今更ながらに、気付いたことがある。

 

「………そういえば、お名前なんでしたっけ?」

「ん? ああ―――」

 

 問われて、青年は彼女の瞳をまっすぐ見ながら名乗る。

 

「―――衛宮だ。衛宮 士郎」

 

「衛宮さん、ですか。私は立花 響です! それでこっちが親友の……」

「小日向 未来です。お世話になりますね、衛宮さん」

「ああ。こちらこそよろしくな。立花、小日向」

 

 改めて挨拶を交わし、青年……士郎は二人を招き入れる。

 談笑しながら入っていく二人の……否、正確には響の背中に士郎は目を細める。それは、やはり先ほどのような安堵が入り混じった優し気な瞳をしていた。

 

「成程、あの時の子だったか。―――いや、元気そうでなによりだ」

 

 そう、二人には聞こえない程度の呟きを漏らして、士郎はゆっくりと扉を閉めた。

 後に残された白い子猫はしばらく扉を見上げてから、己を繋ぐリードにも首輪にも頓着することなく大きな欠伸を一つして、その場にゴロンと無防備に寝転がる。

 寝息を立てるまで、三分もいらなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 時は過ぎ、日も落ちきって星と月の輝きが暗い空を穿つ夜半。

 郊外にて、星辰よりも月光よりも街の明かりよりもなお空を激しく浸食する光があった。

 ―――紅蓮、轟音を纏う砲火の激しい輝きである。

 

「撃てェッ!! 撃て、撃てェエエエエエエッ!!!」

 

 指揮官の怒号と共に戦車の主砲が放たれる。否、それだけではない、数多の歩兵からは銃撃が、更にはミサイル車両からも弾頭が噴射煙を尾と引きながら飛んでいく。

 それらは悉く目標へと吸い込まれ―――そしてすり抜ける。

 ミサイルは、通り抜けたその先で爆散。その煙や爆炎すら、何の成果もあげることなく消えていく。

 

「チィッ!」

 

 知ってはいても、信じられない……信じたくない結果に舌打ちを禁じ得ない。

 彼が部下を率いて対しているのは、ノイズの集団だ。人型と団子の化け物のようなものの混成の群れ、さらにその背後に続く一体の巨人。

 すべてを透過しているわけでもないのか、巨人の足元にある家屋が踏み潰されて爆散する。避難が完了しているとはいえ、自分たちの無力さをまざまざと見せつけるかのような惨状に傷口に塩どころか芥子を塗られているような気分になる。

 

「やはり通常兵器では無理なのか……ッ!?」

 

 自衛隊が特異災害対策機動部一課……その実働部隊の一つを預かる指揮官が、眼前の理不尽と己の無力に歯噛みする。その時、ノイズの先頭集団の三体ほどがまるで粘土のようにその体を崩し、細く伸ばしながらこちらへと飛んできた。

 

「っ!?」

 

 指揮官の喉が干上がる。形状変化したノイズの速度は他のそれと比べてずっと速い。弾丸のように音速を超えるわけではないが、反応して回避するには不意打ちに過ぎた。

 故に、指揮官は空を滑るように己らへと迫る異形の蛇めいたそれを眺めることしかできない。指揮官は頭の片隅で、自身が炭クズとなって崩れ落ちることを理解した。

 

 その直後、それは覆される。

 上空から降り注いだ三つの『何か』が、こちらに絡みつかんとしていた三体のノイズの帯を轟音と共に貫いたからだ。

 

「な、にィッ!!?」

 

 目を剥き、降り注いだ『何か』を見る。晴れる土煙の向こうから姿を現したのは黒い灰となって消えていくノイズたちと、そこに突き立つ三本の―――

 

「矢、だと?」

 

 そう、矢。白い尾羽を持つ黒い矢が三本、地面を穿って立っていた。どうやらこれがノイズを討ち果たしたらしい。それも対戦車ライフルの如き威力で以ってだ。

 思わず呆ける中、轟音と豪風が直上を通り過ぎる。それは見覚えのある特殊ヘリだ。と、こちらを通過するそれから、何かが落ちてくる。

 ……否、違う。『誰か』が落ちてくる。

 

「振り落とされた!?」

 

 思わず叫ぶ指揮官だが、それを否定するかのようにその人影はなにかをノイズへと構える。よく見ればそれは黒い弓だった。

 直後、指揮官はまさかと思い、その考えが目の前で肯定される。その人影は落ちながら矢を番え、ノイズへと放っていったのだ。

 

「シッ」

 

 軽やかに着地するまでに、実に三射。一射一殺どころではなく、貫通と着弾後の爆散により、まとめて複数体が滅ぼされていく。

 かくして指揮官の眼前に現れたのは、紅い外套をはためかせた白髪の男。彼はこちらに背を向けたまま、更に矢を番える。

 不思議なことに、矢を取り出したようには見えなかった。しかし次の瞬間には男の手で矢が引き絞られている。それも今度は一度に五つもだ。

 

「こういう曲芸まがいの射は好きじゃないんだけどな」

 

 ぼやくように呟いて、男は今なお蠢くように迫る異形の群れを見据える。扇の骨組みのようになった弓矢の、五つの柱が光を纏い始める。

 次の瞬間、放射状に鏃を並べられたそれらが一斉に放たれた。同時に、耳をつんざくのは空気の弾けた音か。指揮官はそれでこの男の弓矢が初速から音速を超えるほどの威力を有していることを今更ながら痛感させられた。

 果たして五つの矢はノイズの群れに突き進み、進路上の全てを穿ち消し飛ばしていく。そしてさらには爆散し、更に広範囲のノイズを平らげた。

 

「お……あ、あ……」

 

 指揮官は完全に言葉を失っていた。自分たちが総力を挙げ尚も為しえなかった戦果を、ただの一人がいともたやすく成し遂げたのだ。

 命が助かった安堵よりも、身を駆け巡る戦慄に息を飲む。

 

 と、男が空を見る。思考の停止した指揮官もそれにつられてみれば、先ほどの特殊ヘリが見える。

 その時。

 

 

 

「―――Croitzal ronzell Gungnir zizzl」

「―――Imyuteus amenohabakiri tron」

 

 

 

 夜天に聖詠(ウタ)が響いた。同時に、ヘリから二つの光が飛び降りる。

 

 ―――STARDUST∞FOTON

 ―――千ノ落涙

 

 何処ともなく現れ出でた幾振りもの槍と数多の刃が、地上に蠢くノイズたちを一掃していく。そうして開けた空白の中心に、光を纏った二人が降り立った。

 

 戦乙女。

 防人。

 槍と剣。

 比翼の歌姫。

 ツヴァイウィング。

 ―――特異災害対策機動部二課所属、シンフォギア装者。

 天羽 奏と風鳴 翼の二人が、人外の蔓延る戦場に降臨する。

 

「さあて、ちゃっちゃと片づけますか」

「奏、気を抜かないで」

「わかってるよ、心配性だな」

 

 ノイズたちを前に、軽口をたたく二人。否、正確には余裕ともとれる奏の態度を翼が窘めているのだが、そうした会話をすること自体が二人の余裕の表れだ。

 と、二人の耳に通信が届く。それは先に降り立った男のもので、そこには多分に笑いが含まれている。

 

『まあ、前科があるから仕方がないだろう。いやなら泣かせるような真似は慎めよ』

「し、士郎さん! 人を泣き虫のような言い方はやめてください!」

 

 男……士郎の言い草に、翼が顔を赤らめて抗議する。そんな彼女の反応にこそ、奏は可笑し気に笑い出してしまう。

 

「あっはっはっ……いやいや、実際そうじゃんか、翼は。そういうところが可愛いんだけどね」

『む? 翼も奏も普段から可愛い女の子だと思うが?』

 

 不意打ち気味の一言に、二人そろって言葉を詰まらせる。まったく、こういうところが始末に負えないのだ。しかも朴念仁の上になんの気なしに言っている分、自覚もなにもないから余計に質が悪い。

 二人が顔を赤くしながら照れ隠しに士郎を睨み、強化した視力でノイズ越しにそれを視認して理由が解らず思わず「なんでさ?」と呟いていると、この場にいない第三者の声がそれぞれの耳朶を叩く。

 自分たちの上官にして司令官である、風鳴 弦十郎だ。

 

『お前ら、じゃれ合うのもそこまでだ! 気を引き締めて行けよ!!』

『「「了解!!」」』

 

 司令官というよりは武将じみた野太く力強い言葉に、三人は一斉に応答する。

 

『俺はここから援護する。二人は存分に歌って舞え』

「応よ。任せときな若大将!!」

「言われるまでもなく。防人の剣は今宵も冴えると魅せましょう!」

 

 そして。

 それは戦闘というには、あまりにも優美で、なによりも苛烈だった。

 

 まず歌が響く。

 滾る心で以って無明を乗り越え羽撃くための歌だ。

 次いで、槍と刃が乱舞する。

 旋転する穂先が豪風を生み、鋭さを増した巨刃が蒼い一閃を放つ。

 それを生み出す二人の歌姫は、一課の実働隊員たちが揃って言葉を失うほどに美しかった。

 

 一方で、その縁の下を支えるように士郎は寡黙に矢を放っている。その一射一射は正確無比で、奏や翼の攻撃から免れたもの、二人の攻撃の間隙を狙わんとするものを悉く射ち果たしていく。

 彼の立ち姿は不屈にして不断。その眼差しを鷹のように鋭くして、彼は歌姫たちを穢す不浄を払い続ける。

 

 果たして、現れ出でたノイズの群れは瞬く間に灰燼に帰していった。

 残るはただ一つ。

 

「あとは、このデカブツだけ!!」

 

 メインディッシュを平らげんと、奏が気合を込めて槍の穂先を巨人のような大型ノイズへと向ける。

 と、そこへ士郎の通信が入る。

 

『いや、そちらは任せろ』

「なぬ?」

 

 思わず振り返れば、はるか後方にて自分たちとはまた違った光が迸る。

 その発生源は士郎で、弓を持つ方とは逆の掌の上で溶かした鉄のような赤い光が立ち上っていた。

 

I am the bone of my sword.(我が骨子は捻じれ狂う)

 

 言葉とともに、紅い光が稲妻となって散りながら一振りの剣を顕現させる。それはまるで羚羊の角を真っ直ぐにしたような捻じれ切った白い剣だ。

 士郎は紫電ならぬ赤電を纏いながらその剣を矢に番え、引き絞った。するとその動きに合わせるように剣は細く形を変え、正に矢というべき姿へと変貌する。

 

「―――偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 

 瞬間、射法八節を以て放たれた矢は、嵐のような余波をまき散らしながら大型ノイズへと飛翔する。

 対し、大型ノイズは鋏のような先端を持つ腕を振り降ろしていた。防ごうとしたのか、叩き落そうとしたのか、それはわからない。

 どちらにせよ、その結果は無意味だったからだ。

 

 螺旋の剣は、巨椀も巨体も一切の差別も慈悲もなく、平等に抉り貫き消し飛ばした。

 

「………、フゥー」

 

 残心を解き、細く息を吐く。そうしてようやく士郎は緊張を解き、二人へと走り寄る。

 その背を、指揮官は瞠目で以って見送っていた。

 

「なんという……」

 

 参戦から状況終了まで、十分もかかっていないだろう。もしかしたら五分もいらなかったかもしれない。

 食い止めることもできなかった自分たちに比べ、彼らはたったそれだけの時間でしかも三人でそれを為したのだ。

 

「アレが、二課の力ということか……!!」

 

 呟く視線の先、三人は互いの無事を喜んでいた。

 

 

 

***

 

 

 

 二人はすでにシンフォギアを解いて平時の姿に戻っていたが、なぜか奏は唇を尖らせていた。

 

「ちぇ。最後の大物、若大将に取られちまった」

「奏、そういうこと言わないの。遊びじゃないんだから」

 

 拗ねたふりをする奏に、翼が軽く眉を立てる。と、そんな彼女を奏は興味深げな半眼で「ふーん」と見やる。

 その視線に、なぜか翼はぎくりと身を竦ませる。

 

「な、なに?」

「いーやー? ずいぶん若大将に懐いてきたなって思ってさ。昔はあんなにツンケンしてたのに」

「い、いいじゃない別に! ……あの人は信用できるって、そう思っただけよ」

 

 ふん、と顔を逸らす翼に、奏はおもちゃを見つけた猫のような笑みで抱き着いた。

 

「ちょ、奏!?」

「あーんもう、可愛いなー、妬けちゃうなー」

「も、もう! 離してってば!!」

 

 先ほどまでの勇ましさが嘘のように、年相応の顔を見せる奏と翼。そんな二人に、士郎は微笑ましさを感じつつ咳払いをして割り込む。

 

「仲が良いところ悪いけど、その辺りで。……翼、これから一課の人たちと残務処理に入るけど、君はもう帰って休んでくれ」

「え、でも……」

「明日も学校だろう? ただでさえ三足の草鞋なんだ。任せられることはこっちに任せてくれ」

『衛宮の言うとおりだ。体を休めることもまた必要なことだ』

 

 士郎に次いで弦十郎にまで言われ、しかし戸惑う翼に今度は奏が口を開く。

 

「いいじゃんか、翼。お言葉に甘えてあたしたちは帰って……」

 

 と、そんな奏の肩を士郎がガッと掴む。「へ?」と首を傾げる奏に、士郎はにっこりと微笑みかける。

 

「なに言ってるんだ、奏。お前はこっちだ」

「え? ちょ? ……なんで?」

「なんでもなにも、お前は学生じゃないだろ? さあ、残業頑張ろうか社会人」

 

 言いつつ、士郎は腕を掴んで奏を引きずり始めた。

 

「それじゃ慎次、翼の回収を頼む」

『了解です』

「ちょ、待……助けて翼ぁ!!」

 

 翼は奏の泣き言を聞きながら二人を呆然と見送っていたが、やがてクスリと笑って、礼儀正しく一礼した。

 

「はい。お疲れさまでした士郎さん。それでは、また」

「おう、また明日な」

 

 「そんなぁー」と叫ぶ奏に構わず、振り返らないまま士郎は空いているほうの腕を掲げた。

 非日常の中に感じた日常の匂いに、思わず笑みを漏らしながら。

 

 

 

 私立リディアン音楽院高等科学食勤務の調理師。

 特異災害対策機動部二課所属の魔術使い。

 この二つが、衛宮 士郎がこの世界にやってきてからの二年間で得た立ち位置であり、かけがえのない居場所だった。

 

 

 

 




 士郎の職業が料理人。
 これは間違いなく駄作の証(確信

 それはさておき、たった一話目で百件ものお気に入り登録ありがとうございます!
 ……そして更新お待たせしてすいませんでした。

 今回、士郎と響、そして未来との会話が一番の難産でした。
 士郎の職については教職に関わるものも考えましたが、「授業中の描写する予定ないな」ってことで今の形に。
 まあ、高校生の時分でだしからめんつゆ作れるし、アーチャーも生前は百人のシェフとメル友だったらしいし大丈夫かなって(超暴論
 なお、資格に関しては二課のバックアップのおかげで何とかなった模様(社会の闇

 ちなみに、今回出てきた猫は準レギュラーになる予定。家族が増えるよ、やったねえみやん。
 ……原作だと、あの後どうなったんだろうかこの猫。

 そしてツヴァイウィングとの共同戦線。
 奏が若大将と呼んでたり、翼が懐いてたり、ぶっちゃけ二人にフラグが立ってるっぽいのは二年間の間にいろいろあったんだということで。
 多分、その間のことは作中でちょいちょい語るんじゃないかと思います。

 さて、今回はこの辺で。
 次回も駄作認定要素があるので、温かい目で見守っていただきながらのんびりとお待ちいただければと。
 他の作品もちゃんと執筆しておりますので、そちらもよろしくお願いします。

 それでは、致命的に暑い日が続きますが、皆さまお体にはお気をつけてください。


【追伸】
 現在、第二期もささっと視聴完了。
 頭の中で組み立てた流れだと、真っ先に士郎に懐くのは調の予定。


【追伸・2】
 更新しようと思ったら接続切れてやりなおし。
 あとがきも書き直しましたよ(泣

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。