今回、一部の国に対する定番ネタ的にいじりがありますが、ネタ以上の意味はないことをご了承ください。
ちなみに、筆者は海外旅行経験は皆無です。
士郎の端末を返しそびれていたことに、クリスが気づいたのは一晩経ってからだった。
改めて士郎のアパートに足を運ぶのも憚られ、かといって何故だか捨てることも出来ずにいた。
そうして時たま手持無沙汰になっては取り出して手の中で弄んだりと、ずるずると持ち続けて数日。それが発信機のような機能も持ち得ているだろう可能性に思い至っても、何故だか手放す気にはなれずにいた。
そんなわけだから、自分が潜伏していたマンションの空き部屋に、あの時に自分たちを助けるために現れた非常識な偉丈夫が姿を現したことに対しても、さほど驚きを抱くこともなかった。
「―――『アタシを護りたい』、そう言ったのか? 女衒モドキの大人が?」
「……、手厳しいな」
偉丈夫……弦十郎が過去の経緯を含めてそれを語れば、返ってきたのは辛辣に過ぎるそんな言葉だ。ある程度予想も覚悟もしていたとはいえ、実際に相対すれば苦笑を浮かべるしかない。
とはいえ、実のところクリスの対応は弦十郎が想定していたよりもずっと穏当なものだ。事実、紡がれた言葉の割に声には呆れと嘲りこそ含まれていたものの、いつか発露したような怒りや苛立ちは見られなかった。
その嘲りも力なく、どこか空虚さを匂わせているものだ。
また彼女の傍に転がっているものも、暗にその心境の変化を物語っていた。
空の弁当箱。
小振りの重箱のような三段重ねのそれは、つい先ほどまで抱え込んでいた色とりどりの御馳走の名残を艶やかにこびり付かせて転がっている。
それは弦十郎が訪れた際に差し入れとして差し出したものだ。クリスはそれを戸惑い訝しみながらも受け取り、穏当な表現をすれば豪快と呼べる食いっぷりで平らげていた。
今は弦十郎との会話に耳を傾けながらも、シメとばかりに水筒の中身を飲み干しているところだった。
そうして、ふぅ、と一息ついたクリスに、弦十郎は改めて言葉を重ねる。
「それでも、最後まで自分の仕事に責任を持つのが大人の務めだからな」
「大人、大人ねぇ……」
喉の奥で転がすような笑いを含めるクリス。やはりそこには嘲りが含まれているが、或いはそれは自嘲であったのかもしれない。
その眼差しも、弦十郎を見ているようで、ここではないどこか遠くを見ているかのようだ。少なくとも、相対する弦十郎にはそんな風に感じられた。
そこから数拍の間が開き、クリスはぽつりと言葉を紡ぎ出す。その細い喉から生み出される声は、か細くも抑揚のない平坦なもので、感情の振れ幅を感じさせないものだった。
……しかし、そここそに哀切を感じさせられてしまうのは、おそらく気のせいではないのだろう。
「アタシは、大人がキライだ」
「そうか」
「死んだパパとママもキライだ」
「……そうか」
「でも、解からねぇんだ。なんで、パパとママはあんな所に行ったんだ?
―――なんで、アタシを連れてったんだ?」
瞬間、弦十郎は息を飲んだ。
だが、その問いをして最も驚愕を得たのは弦十郎ではなく、それを発したクリス当人の方であった。
なにせ彼女自身、口に出して言葉にするまでまったく意識していない内容であったからだ。
その上で纏う雰囲気は平静のまま、浮かべる表情も無に近いものから変わっていない。だが、その内面は静かに自問が巻き起こっている。
例えるなら、凪いだ水面のすぐ下で激しく渦巻く水の流れのように。或いは、硬い外殻の内側で圧を強めていく決壊寸前のガスタンクのように。
「『歌で世界を平和にする』―――そんな夢を口にして地獄みたいなところで難民救済なんてしてたパパとママは、夢見たまんま殺された。
なあ、なんでアイツらが大人のくせに夢なんて見たのか……アンタには、わかるのかよ?」
内心の動揺に反し、続く言葉はよどみなく湧き出て止まらない。
ならば。
それはきっと、彼女が今まで抱き続けていた感情に他ならない。
彼女を手元に置いたフィーネはおろか、雪音 クリス自身でさえ無自覚だったモノ。これまでずっと形を成すことなくクリスの胸の裡で蟠っていた命題が、寄る辺を失くしたことでこうして吐露される。
だが同時に、クリスはこれを問いかけたところで答えなど得られないだろうと解かっていた。
当然だ。自身でさえ、ここに至りようやく自覚の階を得たというのに、それをただこの場でぶつけられただけの相手が何を答えられるというのか。
いわんや、主観においてはほぼ初対面と変わらないような相手であるなら猶更だ。
故にクリスは益体もない問答をしたと、今こそ自覚して自嘲に笑みを浮かべ、
「―――決まっている。大人だからこそ夢を見たんだ」
「…………………………………………、え?」
直後に、それは消え去った。
代わりに浮かぶのは、取り繕うこともできない呆けた表情。返るはずも無かっただろう答えに、思考が真っ白に漂白される。
対し、弦十郎は彼女を真っ直ぐな眼差しで見据えて逸らさない。それは彼がクリスを子供として見下さず、咎人として敵視せず、被害者として憐れまず、ただ対等な相手として相対していることの証左であった。
故に一点の偽りも虚飾もなく、彼はどこまでも誠実に確信を持って言葉を重ねていく。
「大人になればやれることが増える。背も伸びて、力も強くなって、財布の中の小遣いもちっとは増える。子供の時分には見るだけだった夢も、叶えるチャンスが大きくなる。
―――『夢を見る』ってことの意味自体が大きくなる」
確かに、クリスが思っていた通り夢を見る大人というのは存外に少ないかもしれない。或いは、夢を見て現実を前に膝を屈した人間こそ大多数であるのかもしれない。
だからこそ。
大人になってなお叶えたいと胸に抱いた夢があり、それで以って前に進まんと心に決めたのであるのなら。
夢は稚児の描くような絵図ではなく―――辿り着くべき場所を示す、地図となり羅針盤となる。
「お前の親は、夢を見るために戦場に行ったんじゃない。『歌で世界を平和にする』という夢を叶えるために自分の意思でこの世の地獄に足を踏み入れたんだ」
その裏に、果たしてどれだけの苦悩と困難を乗り越えたのか。今となっては推し量ることは難しい。いわんや理解するなど不可能に近いかもしれない。
だがそれでも―――その道程の裏に、何を願っていたのかは想像するに難くはない。
それは。
「きっと、お前に見せたかったんだろう。―――『夢は叶えられる』という、揺るがない現実を」
叶えた夢の形と、夢を叶えたという事実………それらが、愛しき我が子の未来と希望の礎とならんことを。
その為に、雪音クリスの父と母はその身命と人生を賭して己が“夢”に挑んだのだ。
「………………………………………っっ、」
クリスは、言葉が出なかった。
胸の奥が締め付けられて、息が詰まる。
結果だけを見れば、両親の末路は無残で無様だ。半ばで夢は命もろともに散り、良かれと連れてきた娘はそのせいで地獄に置き去りだ。
それを思えば二人の行いはただただ裏目に出ただけであり、口さがない者ならどのように悪しざまに吐き捨ててもおかしくないだろう。
それでも―――もう、クリスには両親を蔑むことはできなかった。
なぜなら、
「お前は両親のことをキライだと言っていたが………お前の両親は、きっとお前のことを愛していたんだ」
弦十郎にそう言われるまでもなく、クリスはその事実を漸くに受け入れることができたからだ。
沈黙が流れること暫く。
顔を俯かせていたクリスは、すくっと立ち上がると踵を返した。その先にあるのは、ベランダに繋がるガラス戸だ。その向こうに広がる空はムラのある灰色で、今朝方からの雨足はやや強まっているように感じる。
「クリ―――」
「来んな」
振り向かないまま早々に言葉を遮り、拒む。そうして押し黙る弦十郎を尻目に彼女はガラス戸に手を掛けて一息に開いた。
流れ込んでくる空気は、湿り気を帯びていて若干冷たい。彼女はその冷気こそを取り込むように息を吸って、振り向くこともなく一言告げる。
「………今は、一人になりてぇんだ」
言うなり、彼女は一息でベランダはおろかその手擦りすらも飛び越えて文字通りに身を投げ出した。
今いた部屋はマンションでも上層階。頭に『高層』と付くほどではないにしろ、墜落死に至るには十分すぎる。
「―――Killter Ichaival tron」
それを、その聖詠の一句で以って無いものとした。纏った装甲と共に底上げされた身体能力が、危うげない着地を実現させたうえでさらに二度三度と建物の上を足場として飛び跳ねていく。
そうしてとある電柱の天辺で立ち止まると、彼女はそのまま何をするでもなく天を仰いだ。
「…………―――」
雨量と比して風はほぼ凪いでおり、しとどに降り注ぐ雨粒はただただ直下に落ちて弾けるばかりだ。それは紅に包まれたクリスにも同じで、彼女の体を濡らし流れては滴り落ちていく。
手にも、足にも、肩にも、胸にも、顔にも………瞳にも。
嗚呼、とクリスは小さく幸運を噛みしめていた。
普段の……少なくともフィーネと離れる前の彼女なら、弦十郎の言葉を受け入れられずにただ追い散らしていたかもしれない。それを自ずからあの場を去ったのは、あの部屋が勝手に使っていた仮宿であったからばかりではない。
「―――、パパ………ママ………」
これほどの雨ならば。
頬を流れる水滴のいずれが涙であるかなど、自分でも定かではなくなってくれるからだ。
***
「……どうやら、フラれちまったらしい」
「だが、脈はあるように聞こえたぞ?」
部屋を出るなり、玄関先で壁に寄りかかって待っていた士郎と、弦十郎はそんな軽口を叩き合っていた。
肩を竦めて見せる弦十郎の姿に荷を下ろした様な爽快感を感じるのは、クリスとの会話で長年の蟠りを多少は解消できたからだろうか。
「しかし士郎、お前は話さなくてもよかったのか?」
「話があったのはお前だろう? なら、オレが一緒にいるのは余分で余計だとも」
そう返しつつ、差し出された弁当箱を受け取る士郎。手に感じる軽さに、中身が空になっていることを察して僅かに頬を綻ばせる。なんであれ、綺麗に平らげたのであれば作り手としては嬉しいものだ。
話す気はないと言っていた士郎がここに来たのは、偏に弦十郎の護衛のためだ。今更クリスがどうこうしてくるなどとは毛頭思っていないが、先日のように突発的なノイズの襲撃も考えられた。
弦十郎も重要な立場だが、クリスもクリスで追われている様子ではある。用心を重ねるに越したことはない。かてて加えて、彼女の様子が気になったというのも当然あった。
結果として、盗み聞きをするような形になってしまったのは心苦しいものがあったが……それで、“ああいう言葉”を聞くことになるとは思ってもみなかった。
「―――しかし、まあ」
「ん?」
「いや、なんでも」
思わず零してしまった言葉に訝しむ弦十郎。それを小さく肩を竦めて流す士郎は、今度こそ口を噤んだまま“その言葉”に思いを馳せる。
俄かに胸中に湧き上がるのは、なんとなしなバツの悪さと僅かな自嘲、そして淡い懐古だ。
それらを味わって、士郎は知れず、口の端を苦い笑みで持ち上げた。
(“夢は叶えられる”、か。………耳が痛いな、爺さん)
***
天羽奏と風鳴翼の共通認識として、ライブ直前の緊張感は戦場に赴く時のそれとは比べようのないものであった。
どちらが大きいか、どちらが重いかというものではなく、単純に共通する明確な物差しが存在しないのだ。距離をグラムで測ることができないように、重さをメートルで表すことができないように。
そのくせ膝が震えて立てなくなりそうな畏れと、快哉を叫びたくなるような昂揚がない交ぜになって不可視のマーブル模様を描くかのような感覚だけはどこか似通っているのが不思議だった。
或いはそれは。
そのどちらに対しても、己の体と魂と心の全てにおいて、二人が全身全霊全力全開で向き合っていることの証左であるのかもしれない。
「いよいよ、だな」
「そうね……」
リハーサルも終え、衣装に着替えた二人は闘志にも似た滾りを胸に秘めながらそんな言葉を交わしていた。
今宵は、翼の本格的な活動再開の大舞台。しかもそれだけではなく、きっと自分たちにとっての新たな一歩とも呼べる日になるだろう。
それを考えれば、なるほど緊張も一入だ。
と、その時だ。控室の扉を軽い調子でノックする音が響く。
メイクも終えている以上、ここに来る者といえばマネージャーである慎次くらいなものであるがステージに向かうには若干早くもある。
さて、なんだろうかと思いつつも『どうぞ』と入室を促した。
入ってきたのは予想通りの慎次に、そして。
「ど、どうも~」
「失礼します……」
オドオドとおっかなびっくりな様子で彼に続く、響と未来の二人だった。当然ながらこういう控室などに訪れるのは初めての体験なのだろう、緊張の度合いは奏や翼よりも上であることが見て取れる。
後輩たちの意外な来訪に、奏も翼も驚きながらも喜色ばった様子で立ち上がる。
「来てくれたのか、二人共!!」
「陣中見舞いか、ありがたい」
「い、いえ! 私たちこそチケットだけじゃなくてこんなところにまで入れるなんて!」
「一生の思い出です! ありがとうございます、緒川さん!!」
未来が礼を述べると、慎次は人当たりの良い微笑みを浮かべた。
「いえいえ。お二人の激励が奏さんたちの何よりの励みになるだろうと思ってのことです。
お二人には、差し出がましい真似だったかもしれませんが……」
「いやいや、こいつぁ嬉しいサプライズってやつさ。なぁ、翼?」
「ええ。これはいよいよ無様は曝せないというものだ」
ともすれば越権ともいえる慎次の独断であったが、奏と翼はそれを気遣いと有り難く受け取っていた。
二人にとっては、まさしく良い意味での発破である。それを見越しての行動であるというなら、なるほどさすがの辣腕だ。
と、奏は控室のドアの方を一瞬見てから、ぽつりと零す。
「……さすがに、若大将は一緒には来てないか」
「衛宮さんは、まだちょっとお仕事が残ってたみたいで……」
「ま、一応社会人だし、しょうがないか。チケットは渡してあるし、会場で見かけたらよろしく言っといてくれ」
「はい! っていうか、むしろ奏さんたちが『よろしく』って言われる側な気も?」
「そうか? そうかもな」
それはさておき、と奏は気を取り直してウィンク交じりに笑いかける。
「今日は思いっきり楽しんでいってくれよ。なんてたって今夜はアタシ達にとっても区切りというか、節目みたいなもんだからな」
「節目、ですか?」
妙な言い回しに首を傾げて見せると、奏と翼は一瞬目を合わせて笑いあう。
それはまるで、温めてきた宝物をここでお披露目する寸前のようなやり取りだ。
「……今日のライブには、イギリスの音楽業界の重鎮もいらっしゃっていてな」
「それって!?」
「ま、自分の国で活動するアタシらを下見に来てるってところさ」
それが意味するところはつまり、かねてから話の出ていたツヴァイウィングの海外進出が近い将来のものになるということだ。
尊敬する先達の栄達に、今度は響と未来が顔を見合わせて喜色満面になる。
「「おめでとうございます!!」」
「おぅ、あんがとな!! っつっても、向こうに行くのは今のゴタゴタが終わってからになるけどな。
翼の方はリディアン卒業してからの話だし」
「具体的なスケジュールの概要で言うと、奏さんは今年中……うまくいけば来月にも渡英していただき、しばらくはそちらでソロ活動を。
翼さんのほうは卒業までは日本を主としながら、折を見てどちらかの国でツヴァイウィングとしてのライブなどを開催するという計画ですね」
慎次の口から流れるように紡がれる先への展望に、高校生の肩書を背負って半年も経っていない響に未来は「「ふぇ~」」と呆けたように感心の声を漏らしていた。
しかしそうしていながら、ふと響の表情が僅かに陰る。
「……でも、そうすると奏さんたちともあんまり会えなくなっちゃうんですね」
ぽつりと呟かれた言葉に、たまさか皆が口ごもって響を見やる。
響からすれば、リディアンに入学してからこちら、あらゆる意味で慮外な展開の連続で目が回る思いの連続であったが、そんな中で憧れであり命の恩人であったツヴァイウィングの二人との距離が短くなったのは望外の幸福だった。
今では雲上人の如き隔絶した存在などではなく、互いの背を預け合う仲間であり、同時に同じ日常を分かち合い笑いあう親しい先輩後輩という身近な……もっと言ってしまえば身内ともいえる様な間柄となっていた。
それだけに、彼女たちが世界に羽ばたくのは非常に嬉しく思うのは間違いないのではあるが―――同時に、一抹の寂しさを抱かずにはいられなかった。
故に、思わずそんな言葉を零してしまった響。直後に言うべきではなかったと悔いるもすでに遅く、恥じ入って顔を俯かせてしまう。
と、その時。
ふわりと、響は自身が暖かく包まれるのを不意打ちに感じた。
奏が真正面から己を優しく抱きしめたのだと、認識するのには一瞬の間が必要だった。
「、え?」
「あんまり暗い顔すんなよ、響。―――アンタがここにいてくれるから、アタシたちは世界に踏み出せたんだぜ?」
薄く涙の浮かんだ瞳を戸惑いに瞬かせる響。
そんな彼女の耳朶を間近で叩いたのは、すでに聞きなれた明るくも優しい声の、今までにないくらい穏やかな声音だった。
奏にある響に対しての罪悪感は、未だに拭えていない。たとえ響本人や周囲がどう言おうとも、彼女に背負わせた艱難辛苦の一端は間違いなく己にある。
故にそんな彼女が戦うことを選び、肩を並べてくれることはこの上なく申し訳なく感じているが―――今では、それ以上にありがたく、頼もしく、そしてなにより誇らしい。
だが、響からすればその言葉は驚愕と疑問しか浮かばない。
彼女は自分がそんなにも頼りになる人材だとは思っていない。いや、それ以前にそもそもが未熟以前の問題だ。
なぜなら。
「そんなの……だって私、足を引っ張ってばかりで……」
最初は碌に戦うことも出来ず、逃げ回ってばかりだった。
クリスと初めて会ったときなど、無様に人質となって翼の足を引っ張り、あまつさえ生死の境を彷徨わせた。
それで落ち込んだ自分に、士郎の手を煩わさせて。
挙句にデュランダルの一件では、暴走して何もかもを壊しかねないところだった。
改めて思い返せば、恥に恥を分厚く上塗るばかり。
そんな自分が、一体どうして二人の新たな一歩の切っ掛けになれるというのか、不思議にならない。
疑問符を脳裏に散りばめていく響と、奏は体を離して改めて視線を合わせる。
「でも、アンタはあきらめなかった。意志を貫くと、そう決めた。
それこそ、あの若大将が認めるくらいに」
奏は言いながら、その赫い鋼のような後ろ姿を思い浮かべる。
間違っても、彼の考えの全てを理解できるとは思っていない。
かつて彼が居た世界にいただろう人間と比べれば、果たしてどれほどまで絆を繋げられているのだろうかと疑問は尽きない。
……それでも。
少なくとも、この世界においては誰よりも彼のことを知っているという自負が、奏にはあった。
そんな彼女だからこそ、わかることがある。
いつか、響と士郎が拳を交えたあの夜。
よく言えば不撓不屈、悪しざまに言えばどうしようもない頑固者な衛宮 士郎という男が、その意思を折ろうとした。それをこの少女ははねのけて、逆に己の意思をぶつけて認めさせた。
無論、認めさせるだけの理由や状況が根底にあってのものではある。
だとしても。
あの鋼のような男をして、ああまで初志を曲げさせたさせた者など―――かつての世界までも遡って探しても、果たして存在しただろうか。
立花 響という少女は、そんな誰も知らないだろう前代未聞を成し遂げて、ここに立っているのだ。
「別段、アタシも翼も装者であることをやめるつもりはないし、これからも戦っていくさ。
けど日本に……二課に居なかったら、手の届かない時もあるだろう。だから」
あの日、その口で言った言葉の通りに。
あのどこまでも諦めの悪い男を、これ以上なくまいらせて笑わせたように。
「アタシ達の手が届かないところに、手を伸ばして掴んでやってくれよ?
アンタと、若大将と―――ついでに、あと『もう一人』くらいでさ」
「―――、はいっ!!」
その言葉に込められた、二つの期待を正しく察して。
立花 響は漸く表情を力強く輝かせて頷いた。
と、そこまで話して、こちらを温かく見守っている未来と翼の視線に気付いた奏は、急に気恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「ま、まあ? それとは別に、ちょっとした心配はあるんだけどな?」
「え?」
戸惑いを表情に浮かべる三人に、しかし奏はニヤリと悪戯めいた笑みを浮かべながら口元に指をあてた。
「アタシの舌、若大将の料理に染められちまってるからなぁ~。
しばらくしたらあんまり食べられなくなるのかと思うと、そりゃもうツラくてツラくて……」
「あ、あはは……」
「奏さん……」
「もう、奏ったら」
安堵の混じった呆れに脱力する三人。それから、顔を見合わせて姦しくも賑やかに快活に笑い合う。
………尤も、照れ隠しがてらに場を和ませるジョークのつもりであったこの言葉が、のちに英国料理という存在の前に現実のものとしてのしかかることになるのを、今の奏は知る由もなかった。
ともあれ、そんな和やかな空気の中、響はふと思う。
それは、先の会話から連想された『もう一人』のことだ。
(………クリスちゃん、今頃どうしてるのかな?)
***
―――湾岸にほど近い、住宅地。
陽も沈み、そろそろ帳を降ろすかのごとく静々とした雰囲気に包まれるだろう頃合いだろうに、この日ばかりは話が違った。
少し離れた場でやるコンサートの熱が、ここにまで伝播している………というわけではもちろんない。
今まさに、その場こそが戦火を紅蓮と燃え上がらせる、修羅の巷の爆心地となり果てているからだ。
轟、という爆裂が空気ごと全てを痺れさせるかのように震わせる。
豪、という爆炎が空気ごと全てを炙るように熱していく。
轟、豪、轟、豪、轟、豪、轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪轟豪――――――!!!
無数の爆裂と爆炎は連続し、幾重にも重なっていく様は綾模様というよりはマーブルというべき煩雑さで、まさしく混沌というべき状態だ。
そんな中で、清廉としながらも力強く響くものがあった。―――歌である。
「―――、――――!!!」
鉄風雷火のヘイトソングが、赤い装甲に身を包んだ少女の喉から奏で響く。
そのボルテージに比例して、彼女から放たれる弾雨榴嵐も激しさを増していく。
向けられる矛先は雲霞の如く揺らめく異形の群れ。もはや多勢というより軍勢と呼ぶべき物量のノイズが犇めきあっている。
「っの、ワラワラと……!!」
生理的な嫌悪を伴った忌々しさに、吐き捨てる言葉の響きも毒々しい。
それもむべなるかな。すでに塵と返したノイズの数は百を超えているだろうが、それでもなお終わりが果てしない。
ましてや、現在進行形で増え続けているというならなおさらだ。
ノイズたちの群れの最奥。
そこに鎮座して尚どのノイズよりもその姿を無遠慮にさらしているのは、巨大な城塞のような特異な姿の個体だ。
黄色いレンガを積み上げて作ったような体は、四つの塔を間近で繋いだようにも見える。そこから長く伸びる二つの首はまるで龍のようにも見えるが、その本質は可動式の砲台だ。
目のような一対の器官がこちらに向けられたかと思った瞬間、それが咆哮を轟かせながら火を吹いた。
「チィッッ!!」
一瞬垣間見えた砲弾は、クリスの動体視力では螺子のように捻じれた形をしていたように映った。そこから連想されるのは特攻してきた時の飛行型ノイズであり、もしかしたら同じ種別のものを砲弾として使用しているのかもしれない。
もっとも、それを詳らかにする気もなければ、そんな余裕もない。
クリスが回避がてらに舌打ちをしたのは、その攻撃に対してばかりではない。
同時進行で、別の首が口のような部分を昆虫の顎のように左右に開き、そこからヘドロのような物をしとどに流出させているのを見たからだ。
それは他種の大型ノイズが吐き出すものと同質らしく、そこから新たなノイズが次から次へと文字通りに湧いて出てきていた。
まるで吐瀉物を彷彿とさせる有り様に、むしろこちらの方が吐き気を誘発させられてしまう。
だが、それに気を取られている余裕など寸分ともありはしない。次の瞬間には、数をどんどんと増やして文字通りに溢れる程のノイズの群れが殺到してくる。
「次から次へと……ウザってぇんだよぉッッ!!!」
吐き捨てるなり、更なる熱唱と共に両腕に展開したガトリングガンが更なる唸りを上げて鋼弾の雨を吹き荒らさせる。それを浴びたノイズが一瞬にして蜂の巣となり、塵となって散り消えていく。
焼けた鉄板に押し付けた氷が溶けていくかのようにノイズたちが一掃されていく。だが、圧倒的な物量の差を鑑みればクリスの行いこそ『焼け石に水』というべきか。
一斉射を終えて広がる光景は、しかし何の変化も感じさせない。
「…ッ、クソッ!!」
崩されるためだけに石を積み続けるかのような徒労。終わりの見えないどころかどんどん遠ざかっていく現状に、紡がれる悪態は己を奮起させるためだけに絞り出される。
と、弾幕の切れ目を狙ってか、前方のノイズたちがその形状を変化させて吶喊してくる。その体を細長く伸ばしての特攻は銃撃というよりも槍衾という方が例えるに近い。
これに対して危うげなく身を翻して躱すも、次は真上から槍衾が落ちてくる。身を捩って墜落してくる飛行型ノイズたちだ。しかもダメ押しに回転刃のような別タイプが3体、唸りを上げて包囲している。
前後左右上下。全方位から囲んで狭まる致死の檻。
「ッラァッッ!!!」
数秒と待たずにやってくるだろう死の未来を前に、クリスは寸毫の怯みも迷いも脳裏に浮かばせずに前へと飛び出す。 同時にガトリングを斉射すれば、渦を描くように包囲を狭めていた回転刃の一つが噛み砕かれていく。
空中で塵となっていくそれを体でぶつかって散らしていけば、その背後で残った回転刃同士が衝突し、そこへ更に槍が雨となって突き刺さって全てもろともに散っていく。
だが、それで終わらない。
今度は人型が。
その次はウミウシのような。
その後には飛行型と別の人型が。
更に。更に。更に。
ただの一瞬さえも安堵を与えぬ、文字通りに絶え間ない波状攻撃。まるで怒涛に挑んでいるかのようなそれは、霊知に稀な指揮官に率いられているかのような連携にも見えるが、なんてことはない。
―――単純に頭数が多すぎるから、ただ愚直に畳みかけていくだけで攻撃の切れ間が無くなっているというだけだ。
「―――、―――、――――!!!」
それでもなお。
クリスは力強く歌い、猛々しく持ちうる火力を発揮していく。
降りかかる火の粉どころか、骨まで焼き尽くさんとするかのような炎を、むしろ圧倒せんとばかりに蹴散らし続ける。
しかし。
そんなものは無駄だと嘲うように、砲声が腹の底を響かせて轟いた。
「しま―――」
悲鳴は、上げられなかった。
間近での爆発が、幾つものノイズを巻き込むことも厭わずに炸裂する。
熱を伴った衝撃はクリスの全身を余すことなく叩いて吹き飛ばし、地面へと放り投げて転がしていく。
直撃でこそ免れたものの、全身を奔る痛みと明滅する意識に彼女は起き上がるどころか呼吸すらすぐには復帰できずにいた。
だが、これでもまだ幸運であっただろう。仮に生身であったなら、まともな四肢すら残らずボロボロのダルマのように成り果てていたところだ。
「―――ヅ、ッハ、ァ、ハッ、ッハァ……」
つかえがとれるように息を吐き、不規則ながらも呼吸を戻していく。それだけで疼痛が滲むが、それがかえって散逸しかけた意識を纏めていく。
(あ―――なん、で)
意識そのものが鐘になったかのような錯覚の中で、引き戻されていく意識はある疑問を形作っていく。
―――
なぜ、自分はこんなところで戦っているのか。
―――
借りを返すため。
さんざんに助けられて、たいそうにメシを恵まれて、それでなにもしないなんて座りが悪い。
だからここで帳消しにする。それで貸し借りなし。
意見は聞かないし、知ったことではない。押し付けられた恩なのだから、返す側が押し付けるのもむしろ道理というものだろう。
数式のような単純なプラマイゼロ。
ただそれだけの話――――――
―――残りをどうするかは、お前さん次第さ
―――『なんのために戦うか』
―――それが答えられるようになったら………
(…………………………………………………………………………………………………………、ちがう)
唐突に、何時か誰かに言われた言葉がノイズとなって挟み込まれる。
それだけで、組み上げた答えが否定に崩される。積み木を詰んだような建前が崩されて、その裏にある本物が露わになる。
起き抜けと酩酊が組み合わさったかのような胡乱な意識は、不明瞭であるがゆえに生のままの感情で駆動していく。
そうして、エンストのような空回りを経て辿り着いたのは。
(アタシは、パパとママが大好きだったんだ)
雪音 クリスの、本当に本物の
虚飾も虚勢も、歪めさせられた認識も、身を守るように張り続けた強がりも、全て全て取り除いた正真正銘の
二人の夢が破れた時、自分は確かに地獄に落とされた。
二人を奪った戦争と武力を恨んで憎んだのと同じように、二人のことも恨んで嫌っていた。
それは決して嘘ではない。涅槃の彼方に恨みつらみを吐露した日々はなくならないし否定しない。
けれど、だとしても。
それでもやっぱり、父も母も愛していた。
嫌うまま憎むままに、好いて愛していた。
二人の語る夢が大好きで、憧れて、本当にそうなればいいと―――地獄の只中でさえ、心のどこかで願い続けていた。
(だから―――受け継ぐんだ、アタシが)
今更な話かもしれない。
恥知らずな行いなのかもしれない。
だから、そんな批判は甘んじて受け入れよう。
その上で、今度こそ。
自分らしく、けれど過たず。
(歌で、世界を平和に―――!!)
結局のところは、そういうこと。
雪音 クリスは弦十郎に指摘される前から、それをずっと胸に刻み続けていたのだ。
父と母を喪って独りとなったあと。
並べたドミノを倒すように連鎖する理不尽の渦中でも。
フィーネに拾われて歪んだ教えを植え付けられた後も。
与えられた力を暴虐に振るっていた時も。
見限られ見捨てられ切り捨てられて再び独りとなったときも。
ずっと、ずっと変わらずに。
それは取りも直さず、彼女が父母から受け取ったものを支えとして生きてきたということである。
とどのつまりは。
雪音 雅律とソネット・M・ユキネの夢は、破れることで娘を絶望に叩き落としてしまったのかもしれないが。
二人が注いだ愛こそは、いついかなる時でさえクリスの心を護り続けていたのだ。
「だ、から……こんなところ、でぇ……!!!」
死ねない、死にたくない、死んでたまるか。
そう強く想って、歯を食いしばりながらわなわなと震えながら身を起こす。両腕のガトリングはすでに消えていたが、だからどうしたまだやれる、と。
だがそれだけ。
手足のしびれ、意識の揺らめきは未だに強く残っていて、立ち上がるだけでもまだ幾何かの時が必要だった。
そしてそれを、異形たちが待つ通りはない。
「―――っ、」
詰まりそうな息が、ここで確かに静止する。網膜が刷りガラスに切り替わるかのように断続的に滲む視界の中で、二首の砲塔がそろってこちらを睨みつける。
砲弾を撃ちだす虚ろな眼窩が、無駄で無意味で無力だとこちらを嘲っている。
ともすればその足元で揺らめくノイズたちも、それに同調しているような錯覚を覚える。
「ち、くしょぅ……」
間に合わないと察して、思わず涙を滲ませた次の瞬間。
ドドォッッッッッ!!!!!――――と、盛大な爆音が二首から同時に鳴り響いた。
「…………………………………………………………………………え?」
クリスの口から、そんな呆気に取られた言葉が漏れる。その表情は忘我というべきもので、小さな口がポカンと丸く開かれっぱなしになっている。
そんな状態を晒す彼女が示す通り、先の爆音は二首から放たれた砲声ではない。
その二首そのものが弾け飛んだがためのものだ。
二首が濁った煙を煙突のように立ち昇らせる様が映る視界に、ダンッッと音を立てて割り込む影があった。
赤く、朱く、紅く……赫い、鋼のような背の影が。
「―――いや、まさに危機一髪ってところか」
「、お前は……」
その影は、安堵を交えた声と共に赤を翻しながら振り返る。
その姿にクリスは一瞬驚愕を浮かべるが、すぐに呆れの大きく混じった笑みを浮かべる。
「ハハ………ったく。なんだよそれ?」
ああ、ホントに。
こんな絶体絶命の見本みたいな状況に、なんてタイミングでやってくるんだ。
そんなの、どっからどう見ても。
「―――まんま、『正義の味方』みたいだぜ? アンちゃん」
言われて、赫い影―――衛宮 士郎は、まるで急所を突かれたような苦笑いを浮かべていた。
「誉め言葉ってなら、ありがたく貰うさ」
***
「衛宮さん、該当地点に現着! イチイバル装者の保護に成功した模様!!」
「ノイズの反応、多数検知! ……なんだこりゃ、ほんの一分前の情報と比べても増えすぎだぞ!?」
「大型ノイズ、データベースとの照合に該当なし……未知の個体と断定!」
―――リディアン音楽院地下、特異災害対策機動部二課本部。
その発令所で、弦十郎を始めとした面々は士郎を通して送られてくる情報と対峙した。
概要はすでに感知していたが、改めて詳らかにされれば驚愕と戦慄を禁じ得ない。
メインスクリーンの概略図ではノイズの反応が地図を埋め尽くして、士郎とクリスの反応こそ空白のようになっている。加えてその軍勢を生み出しただろう城塞の如き異様のノイズもあれば、平静であれという方が難しい。
それでも、手と思考は為すべきを十全と為すために目まぐるしく動き続けているのは、銃後の守りを自負する者として流石と称賛を送らずにはいられない。
「……士郎、やはり今からでも増援を―――」
『いいや、それには及ばないよ』
画面越しに痛感させられる脅威に、弦十郎は苦言を呈する。
最初の時点で、ノイズの反応が大きなものであることは明白だった。だが、ここまでの戦力であるとはさすがに想定を逸脱しすぎていた。
故に、せめて響だけでもと思っての発言だったが、士郎はそれを言いきるよりも先に強く拒んだ。
そもここに辿り着く前、最初にノイズの反応を知らされた時点で、士郎は今回ばかりは他の者の助力を否と断っていた。
なぜなら。
「今夜は祭りだ。―――明日の夢に羽ばたく者たちと、その輝きに憧れて後に続く者たちの、大事な大事な歌唱祭だ」
その為に、翼がどれほど必死になって復調に努めたのか。
その為に、奏がどれほど親身になって相棒を支え続けたのか。
その為に、二人がどれほどの研鑽を重ねて今日という日を迎えたのか。
士郎が知るのはせいぜいがその一端にすぎないが、たったそれだけでもこちらまで焼き焦がすような熱意がそこにはあった。
だからこそ。
『それを穢すような無粋な客の始末こそ―――『大人の仕事』ってヤツじゃないか?』
「……―――」
そう返されてしまえば、弦十郎も二の句を繋げられない。
それに、そもそもの話として。
『ここにはオレ一人じゃないし……だいたい、これくらいどうとでもできるとも』
何一つ問題ないと、何時になく力強く断言された。
ここまでくると、もはや納得する他ない。だから弦十郎は一度目を伏せ、開いた眼差しをより強く鋭く漲らせた。
「無茶をするな……とは言わん。だが、そこまで断言したからには―――やり遂げて、無事に帰ってこい!!」
通信の向こう側にいる戦友に届けと、覇気を込めた激は叩き込むように士郎へと。
それを受け取った士郎は、『―――ハ、』口の端を待ちあげているかのような小さい笑いを一つだけ漏らして、
『了解!!』
はっきりとそう返してみせた。
***
(―――とはいえ、少しばかり厄介なのは確かだな、っ!!)
「ふぇっ!?」
思うなり、士郎はクリスを抱え上げてその場から大きく飛び退く。直後に、二首を覆っていた煙が内側から火を吹いて弾け飛び、先ほどまで士郎の立っていた場所が盛大に弾け飛んだ。
さらに続く有象無象のノイズたちの突撃/吶喊/特攻を躱しながら、士郎はそれを睨みつける。
鷹の目に映るのは、二つの竜頭。先ほどの爆発の前と変わらぬ異形を晒す、無傷の砲台の姿だ。
それはまるで先の攻撃に傷の一つもつけられなかったかのような有様であるが、実際はそれと異なる。
士郎が放ったのは干将莫邪の投擲と、それの爆破。それぞれの刃は確かに深々と突き刺さり、それ故に内部からの爆裂は両方の首を完全に砕き散らしていた。
にもかかわらず次の瞬間には元の威容を取り戻していたのは、至極単純な理屈だ。
「高速での再生、か」
煙が散って消えるよりも早く元の威容を取り戻す再生の速度。
それらが示すのは二つの事実だ。
一つは、あの首はどちらも主要な機関ではなく、末端の手足のような物にすぎないということ。
もう一つは、それを高速再生を可能にするだけの莫大なエネルギーをあの巨体に内包しているということである。
ノイズは時間と共に自壊し消滅するものであるが、仮にその活動可能時間が内包するエネルギー量に比例するものであるならば、持久戦であちらが消え去るまで耐え続けるというのはいかにも現実的とは言い難い。
(なら、大威力で一気に再生不可能なまで殲滅するのがいいのだろうが……)
問題は其処だ。
あの城塞型ノイズを倒しきる手が無いわけではない。むしろ手段を選ばなければいくらだって打つ手はある。―――そう、手段を選ばなければ。
「………………………………………………………、オイ」
高速での身のこなしとの並行での思案の最中、聞こえてきた声に意識を引き戻される。近くからの割にやけに重く低い声音での呼びかけに、士郎は『ん?』と反射的に首を横に傾けかけて、
「ッッッ、ソッチ向くんじゃねぇよ!!?」
「ングゥッ!?」
怒声と共に的確に背骨を響かせる打撃に、呼吸を詰めさせられて一瞬足運びを危うくさせかける。ともすればスッ転んでしまいそうなところを何とか堪えて速度と姿勢を保ちつつ、声と打撃の持ち主に囁く。
「……今のはオレにも非があるのを承知で言うが、危なかったぞ?」
「今のはっつぅーか現在進行形だろうが、このスケベ!!」
まさしく怒り心頭といった言葉が、背の方から滾ってきていた。それは言わずもがなクリスで、その怒りの理由は彼女の今の状態が原因である。
現在、彼女は士郎に抱えられている形であるのだが、その抱えている形というのが実は肩に担ぐ『俵抱き』の状態である。しかも、彼女の揃えられた両方の膝裏を纏めるように腕で抱えている形であり、もっと言えば士郎の肩から張りのある形の良い尻を突き出しているような姿勢であった。
それこそ、ちょっと横を向くだけで丸みを帯びた物体が間近にあるを通り越して顔を埋めかねない勢いだ。
これではクリスとしても、助けてもらっているという状況を鑑みた上でも一言二言どころではなく文句が出るのも致し方が無い。
とはいえ、士郎としても言い分はある。
「すまん。だがこの状況で両手を塞ぐわけにはいかなかったし、そうなると必然とこんな抱き方にしかならなくてな」
「そうかよ……じゃ、この向きは?」
「咄嗟だったからな。そこまでは拘泥できなかった」
「そうかよ……とりあえず、全部終わったら覚えてろよ?」
理不尽。
そう感じて溜息を漏らしかけるが、すぐに持ち直す。よくよく考えれば昔に比べればまだかわいいほうである。具体的にはあくまや虎あたりとか。
………違う意味で気が滅入りそうになった。
それはさておき。
「で? どーすんだよ? デッケェ啖呵切ったみたいだけど、本当にアンちゃんがどうにかできんのか?」
「できる。だが―――」
「『だが』?」
「ヘタな手を打つと、あとの被害がでかくなる」
問題は其処だ。
手っ取り早い方法の一例を挙げるなら、カラドボルグを打ち込んで『壊れた幻想』で爆破すればそれで済む。だがそれをすれば周辺の破壊も相応のものになるだろう。
自分たちが戦っている場所は住宅地だ。避難は完了しているから人的な被害は皆無だろうが、それでも家財などは多くがそのままだ。徒に損耗するのは憚られる。
「じゃあどうすんだよ!?」
「心配は無用だよ。こう見えて、手数は少なくないからな」
そう、幸か否か士郎は打つべき手は他にも多くあった。でなければ出ていただろう被害も不可避なものとして受け入れざるを得なかっただろうが、今回はそうではない。
―――故に。
士郎は己の内界……無限に剣の突き立つ鋼の荒野より、この戦局において選ぶべき最善を見定めていた。
「まずは―――下拵えからだな」
言うなり、力強く踏み込んで一気に加速する。そうすれば、一瞬のうちにノイズの軍勢との距離を自ずからゼロにした。
眼前に居るのは、手首から先が鉤のような刃になっている赤い人型。戸惑うことなく機械じみた反射でそれを振り上げてくるのに対し、士郎もまた空いた右腕を高々と振り上げて、
「
装者の歌と比べれば武骨に過ぎる言の葉は、まるでただ必要な機能だけを寄せ集めたよう。しかしそれとは裏腹に、直後に夜天を揺らすかのように炸裂したのは腹の底を震わせるような轟音だ。
目を丸くしたクリスが、首を曲げる窮屈ささえ忘れて振り返れば、空であった手に『ソレ』は既に握られていた。
「……、なんだよソレ?」
呆気に呟くクリスが見たのは、一振りの剣。しかし、それは『剣』というにはあまりにも異形に過ぎた。
長大で重厚な刀身は、よくよく見れば鉈のような刃の集合。刃渡りが長く分厚い刃が、放射状に束ねられてまるでヒダのように形成されている。
形状の近いもので言えばメイスであろうが、穂先と呼べる部分はどちらかというと西洋の馬上槍のほうが構成の比率としては近い。
一見すれば意匠と相まってパルテノン神殿の柱を彷彿とさせられる異形の武具は、黒灰の単色に染め抜かれ武威としての重厚さと武骨さを醸し出していた。
一瞬にして創り出された長大な武装。それで以っての振り下ろしの一撃は大気を嵐の如くかき乱しながら引き裂き、ノイズを文字通りに叩き潰し、その下のアスファルトを盛大に砕いて抉っていた。
そして無論、それで終わりではない。
「ウオォアッッ!!」
砂礫を巻き上げながら斬り上げられる二撃目に、今度は纏めて三体のノイズが引き千切られる。
横に分割されながら薙ぎ払われるそれらを尻目に、士郎は更にその剣で以って斬り込んでいく。
かつて自分と戦った時とは打って変わった荒々しい戦いぶりに、クリスが思わず息を飲んでいたその時、視界の端で揺らめくように近づくものを察知した。
「っ、ちょせぇっっ!!」
思考よりも先に反射的に体が動く。腕部装甲から新たなボウガンを形成し、居合いじみた早撃ちが不意打ちを狙っていただろうノイズの正中線を一瞬で射抜いた。
「お見事」
「―――、あ」
それを視界の端と背に伝わる感触から感じ取っていた士郎は、素直に称賛を表す。その言葉で自分がなにをしたのか気付いたのか、ハッとした表情になるクリス。
そのつもりは薄かったのに、思い切り士郎を助ける形になったのが悔しいのか、口元が憮然とへの字に曲がっていく。
そちらには気付いているのかいないのか、士郎は黒い刃でノイズを薙ぎ続けながら彼女に告げる。
「悪いが、そのまま背は任せるぞ」
「はぁっ!? ちょっとマテ、そこまでの義理はねぇよ! もうとっとと降ろせ!!」
「重ねて悪いが、そんな余裕はない。―――そら、次が来てるぞ」
「っっっ、だぁーもぉー!!」
喚きつつも、放たれる射撃はその全てが正確にノイズたちを撃ち貫いていく。
士郎が突き進み、その黒き剣で淀むように蠢き屯するノイズを駆逐していく。その一撃一撃は、振るわれるたびに一体二体と言わず纏めて何体もの異形を灰と散らせていく。
まるで流れ出す油のように空いた穴を塞ごうとするノイズは、担がれているクリスが撃ち抜いて阻んでいく。乱雑なようで精緻な連射は、狙うべき的とその優先順位を過たず貫いて逃さない。
前面の剛撃の嵐、背面の精密連射。二人に貪りかかるように群がるノイズたちが鎧袖一触に蹴散らされていく様は、まるで砂山を手で掬って削るかのようだ。
それで以って、与えた損耗は幾ばくであったか。
消耗と補充のどちらが上回っていたかを推し量ることもできないままに続けられる猛攻とせめぎ合い。
天秤の傾きを知らせたのは、クリスの耳に僅かに響いた異音であった。
「ん?」
気のせい、と疑った直後に再び聞こえて、更に不規則に続く。
ビキ、と大木がしなるような軋む音。ビシ、と氷の板を踏みつけてひび割らせたかのような音。
そんなものが幾度か聞こえて、果たして気のせいの類ではないと確信すると、徐に振り向いた。
「っっ!!? オイ、その武器!!」
「気にするな」
「気にするわ!! ボロボロじゃねぇか!?」
目を見張りながら狼狽に声を荒げるクリス。
その眼差しの先で尚も振るわれる武骨な武具は、しかし先ほどとは変わり果てた形になりつつあった。
ひび割れ、欠け始めた刀身。連なった刃の形が損なわれた姿は、朽ちた大木のようだ。
その傷は振るわれる度に少しずつ広がり、齧られているかのように削られていっている。
「―――っ。いい加減降ろせ。時間は稼いでやるから、別のを……」
「必要ない。……そら、追加が来たぞ」
言われ、舌打ちを鋭く鳴らしてそれを射抜く。とりあえずの脅威を払った所で、バギィッ!! と先ほどまでの日ではない大きな異音が鼓膜を震わせた。
胸の内を奔る焦燥のままにクリスは振り返って、
「オイ!! いいから―――」
言葉を失う。
確かに、武具はほんの瞬き目を離す前よりもさらに大きくひび割れていた。形だけなら、すぐにでも砕け散ってしまいそうなほどだ。
だがしかし、今はそれに危機感よりもある種の脅威を感じずにはいられなかった。
ひび割れ、朽ちかけた刀身。そこからゆらりと、静かに燃える様な赤い輝きが零れていたのだ。
奥底からの光はまるでマグマのようで、そのくせヒビに沿って走る輝きは鮮血を彷彿とさせる。そんな質の違う二種の赤色が同居している不可思議な煌めきは、クリスの体の芯にゾクリとした寒気を齎してくる。
「………………。ンだ、ソレ?」
「言っただろう、下拵えだと。―――っ!」
飲み込んだのは息か、それとも硬い唾か。瞠目する少女にこともなげに返して見せた士郎は、強く弾いたかのように顔を上げる。
直後に、他のノイズを巻き込むことを厭わぬ砲撃が、二人へと撃ち下ろされた。
「オォオオッ!!!」
それを縦一文字の剛なる斬撃が迎え撃つ。
その衝突に、士郎はクリスを抱えたままその足を踝近くまでアスファルトに埋もれさせ、周囲のノイズは余波だけで風の前の砂絵のような有様となり果てた。
「―――ッッッ!!」
ギャリギャリと、異形の砲弾が確かに刀身を削っていく。その度に散る花の如き赤は、火花かそれとも刃金の散華か。
奥歯を砕ける寸前まで食いしばりながら、士郎は更なる力と意気を己が腕に込めて練り上げる。
そして。
「―――ッ、オォォォオオオ――――ッッ!!!!」
一閃。
振り抜かれた一撃が砲弾を微塵に砕き、そのまま地面を穿って土煙を爆発のように生み出した。
砲弾の欠片は左右に分かれ、士郎たちを避けながら散弾となって彼らの背後のノイズを放射状に一掃しながら、更に煙幕を追加していく。
俄かに立ち込める、煙の壁。
だがそれは、ブォッッ!! と内側より一瞬で払われる。
それを為したのはやはり士郎の持つ剣……だが、その姿はまたしても変貌を遂げていた。
ヒビはさらに深く刻まれ、そこに走る血の如き赤の煌めきはそのままに、最奥からの輝きは青白く妖しいものへ。
寸前とは一転して、冷たさすら視覚から感じ取れてしまいそうなその光は、まさに鬼火の如く。
「―――下拵え、完了」
振るう軌跡にゆらりと残光を残しながら、士郎はそれを翳して呟き、直後に大きく後ろへと跳んで間を開く。
跳躍は弾む毬のように一度二度と続き、三度目はなしに唐突に止まる。
「降ろすぞ」
「って、オイ!」
言うなり、丁寧ながらも有無を言わさずに地にクリスの足を付けさせる士郎。
揺らされたためか、立て続けの変化に翻弄されたためか、しかめた表情を向けられるが士郎は意に介さず前を睨む。
間合いと呼ぶにも離れた距離を隔て、減らしてもなお無数に蠢く有象無象。その最奥に鎮座する二首砲台の要塞。それらを纏めて見据えながら、空いた手に黒塗りの弓を顕現させ、握りしめる。
「雪音、あのデカブツへの道を空けて欲しい」
「はぁ!?」
「頼む」
唐突な願い。泡立つように湧く苛立ちは一瞬拒絶を頭に過ぎらせるが、重ねての懇願に出かかった文句が詰まって止まる。
否、文句を遮らせたのは要塞を睨む鷹の如き眼差し、その精悍さか。
「~~~っ、だぁーもぅー!! ホントにあとで覚えてろよ!!!」
蟠りそうなものを発散させるように気炎を吐きながら、クリスは一歩前へ出て仁王立つ。
そしてスゥッっと息を細く吸い込んで、一拍留める。
「――、―――」
そうして紡がれるのは、力強く苛烈にして鮮烈な鉄火の歌。
暴力を否定して駆逐するための力の歌が、意を威に変えるために紡がれた。
―――MEGA DETH PARTY
ほぼ同時、眼前のノイズの幾体もがその身を形状変化させて砲弾の如く疾駆して特攻を仕掛けてくるも、既に無意味。
威の具現となって飛来する弾幕が壁となり、その悉くを相殺しながら更に奥の未だに蠢くばかりであった雑魚どもを瞬く間に爆散させていく。
果たして砲撃が収まったあとには、二首を巡らせる要塞まで阻むもののない花道が出来上がっていた。
しかし、それも僅かな猶予でしかないだろう。砲撃の範囲外にいたノイズの数もまた無数。こじ開けられた道を閉ざし、元の木阿弥となるなど恐らく瞬きほどの間で事足りるだろう。
だが―――
「―――ありがとう。あとは任せろ」
―――その瞬きで幕引きだと、錬鉄の魔術使いは豪語した。
その言葉に、クリスは飛び退きながら身を翻して振り返る。そうしてその目に映るのは、弓に異形の矢を番えて引き絞る士郎の姿だ。
それは恐らく先の剣が変じたモノなのだろう。その証左のように、鏃はその全貌を隠すかのように妖しい鬼火を点し、その全体に血管と見紛う真紅を刻ませている。矢の形としては異様に太く、鏃も鏑矢のように丸く膨らんで火矢というよりも松明をそのまま番えているかのようだ。
漏れ出ている鬼火は紫焔となって渦を巻き、溢れ出る真紅は雷の形となって迸る。
近くにいるだけで炙られ裂かれそうな閃光の奔流の中心で、しかし士郎は一切の揺らぎなく鷹の目で以って先んじて要塞を射抜いている。
(っっ、こいつは……本当に聖遺物、なのか?)
その不可思議さ、通常の武具器物ではありえない現象を引き起こす埒外の能力は、紛れもなくシンフォギアと同じく聖遺物の力に由来するものとしか思えない。
しかしそう思いながら、クリスは納得しづらいものを感じていた。己の扱うシンフォギアと比して、明らかに異質。異端技術よりも更に異端であると確信を抱かせる士郎の力に、クリスは疑問と戦慄を隠せない。
そんな少女の思考をよそに、飛び退いた彼女の足が地に着くよりも先に士郎はその矢を解き放つ。
「―――ッ」
空気の壁は、初速で突き破られる。光輝を伴った一直線の疾駆は、しかし流星と例えるには似つかわしくない。
紅い稲妻は空気を擦過する火花のように散り、軌跡に残る紫焔の煌めきは揺らめいて、のたうつように獲物に迫る化外の蛇身を彷彿とさせる。
その狙いが過つなどあるはずもなく、的中に至るまではまさしく瞬きほどもかからなかった。
二首の間……要塞の中央にめり込んだ矢は、着弾点を中心に蜃気楼の如く波紋状に風景を歪ませ、その巨体を僅かに浮かせる。
まるで巨人の拳が放った重く鋭いブロー。要塞を中心とした地面そのものが巨大な太鼓と化したかのように、衝撃は骨身と耳朶に染みわたる。
だが、矢の役目は其処で終わり。
鏃は要塞の内側に食い込むことはなく、その表面を小さなクレーターのように拉げさせたところで砕け散った。
「あっ………」
その様を射手としての優れた眼で、クリスは捉えてしまう。瞬間、すわ失敗かと愕然としかけてしまう。
あれほどの異彩を放った結果が巨体を浮かび上がらせただけで終わりなど、拍子抜けであると言ってもいい。
だが、クリスは知らなかった。
矢となり果てたこの剣こそ、ある古き王が持つ魔剣の一振り……その似姿に他ならないということを。
諸説において狂戦士を意味する言葉の語源とも言われるかの王が振るったその剣は、曰く―――壊れ果てるその時にこそ、最大の力を発揮したという。
射を終え、残心に入るその刹那。
士郎は引き金を引くように最後の言の葉を紡ぎ出す。
―――さあ。須らくを呑め、末期の蛇。
「―――
直後。
剣に秘められた最期の力が、漆黒の渦の形となって解放される。
それはまさにブラックホール。縮退する星の再現であり、凝縮され続ける重力子の結晶……そんなものが懐とも呼べる位置で発生した要塞型ノイズが果たしてどうなるか。
竜頭のような二首の砲台も、黄色いレンガを重ねた四つの塔を束ねたような本体も、その一切合切が消えていく。抉られ、崩され、潰されながら、黒い虚空の中に飲み込まれていく。
それは周囲の雑兵たちも同じこと。まるで紙相撲の駒が掃除機に吸い込まれてかの如き呆気なさで、人型も飛行型もそのどちらでもない形のモノも分け隔ても慈悲も微塵すらなく自分たちを生み出したものと同じ結末を辿っていく。
それはまるで、腹がはち切れてもなお全てを呑み干していく、狂った大蛇の口腔であるかのようだった。
やがて、黒い穴は自身の尾を食んだかのように小さく縮み、ほどなくして消え失せる。
あとに残ったのは、戦闘による損傷だけを生々しく刻んだ、しかし無人の静寂だけが残る平和な住宅街の姿ばかりである。
「―――、ふぅ」
残心も解き、士郎は呼気も小さくゆっくりと力を抜いた。
その耳に、本部からの通信が届く。
『ノイズの反応、全て消失しました。……戦闘終了、お疲れ様です』
「ああ、お疲れ」
互いに労いながら、小さく笑みを漏らす。
と、トントンと軽く背を叩かれた。
「ん?」
殺気もないので、軽く振り向いてみればそこにはギアを解除して赤いワンピーススカート姿のクリスが立っていた。
彼女はニッコリと、まるで花咲くような笑顔で首を傾げながら、
「―――あとで覚えてろって、言ったよな?」
血管が浮き出るほどに握りしめられた、右拳をまるで宿敵を前にしたバトル漫画の主人公のように翳して見せる。
「………………………………………………………………………………………………………………………あぁ」
士郎は何もかも受け入れたように、或いは何もかもを諦めたように、短く声を漏らした。
その笑顔には、見覚えがあった。
同じ種類の笑顔を、何度も見たことがある。
………………………これ、『オマエ、マジデ殴っ血KILL』的なマジギレフェイスだ。
その認識がまさしく正解であったかのように。
静かな夜天に、バギィッッ!! という派手な打撃音が一発分、盛大に轟いた。
***
「………昨今の君たちの年代では、平手打ちではなく拳で打撃がトレンドなのか?」
「知るか! てぇか言い草が年寄りくせぇぞ?」
追い打ちで地味に心を刺され、密かに胸を抑える士郎。プンスカと怒りを露わにして顔を背けていたクリスがそれに気づかなかったのは、果たして幸か不幸か。
と、しばらく顔を背けていたクリスだったが、やがてふぅ、と小さく溜息にも似た呼気を漏らすと、振り返ろうともしないままにその場を後にしようとして、
「なんだ、いっしょに来ないのか?」
背からのその言葉に、踏み出した二歩目で足が止まる。一拍二拍と沈黙を挟んで、やがてポツリと言葉を紡いだ。
「―――行けるかよ、まだ」
「………そうか」
『まだ』。
漏らしたその言葉は、果たして無意識からのものか否か。士郎はそれに気づいて、敢えて指摘することはなかった。
少なくとも、心惹かれている部分はあるのだろう。ならば、最後にその手を取って引き上げる役目は決まっている。
と、クリスは振り返り、何処か戸惑いがちにある疑問を口にする。
「なあ、あのオッサンが持ってきた弁当って、アンちゃんが作ったヤツか?」
「ああ、よく気付いたな」
「……なんとなくだよ」
士郎は小さな驚きに僅かに瞠目する。一方で、クリスはなぜだか照れてきたのを誤魔化すように眼差しを眇めた。実際はその前に食した粥とどこか似た雰囲気……というよりも『温もり』のような物を感じ取ってしまったからなのだが、どうにも気恥ずかしくて正直に話す気にはなれなかった。
閑話休題。
その借りを返すためというわけではないが、なにもしないままというのはどうにも胸の内の据わりが悪かった。
だから、彼女は『その言葉』を教えることにした。
「―――【カ・ディンギル】」
「む?」
「フィーネが言ってた。なんのことかは知らないけどな。
……ただ、そいつはもうほとんど完成しているみたいなことを言っていた」
つまり、それこそがフィーネと呼ばれる存在の手掛かりであり、或いは切り札であるということか。
顎に手をやって思考に埋没しかけたその時、クリスの方から『オイ』と声を掛けられた。
再び視線を上げるのと、顔に向かって何かが放られるのはほぼ同時だった。危うげもなく受け止めてみれば、それは士郎の使っていた通信端末だった。
「返すぜ。……じゃあな」
「ちょっと待て」
今度こそ踵を返そうとした彼女を呼び止めて、士郎はなにかを投げ渡した。
こちらも見事に受け取れば、クリスが僅かに目を見開いた。
「おい、コレ……」
「新しい……お前の分の端末だ。もらっとけ」
本人につき返した者と同じ型の、しかしそれよりも真新しい端末を思わずまじまじと眺めて、クリスは士郎を睨み返した。
「勝手に仲間扱いすんなよ」
「お前がそうなってほしいと思って、そうすることを諦めない―――そんなやつがいるのは、よく知っているだろ?」
「………」
クリスの脳裏には、独りの少女の姿が浮かび上がっているだろう。
最短で、最速で、真っ直ぐに、一直線に、胸の響きと想いを拳に乗せて突き進む、撃槍の担い手が。
そして士郎は、彼女の願いと行動が実を結ぶだろうことを確信していた。なぜならクリスにとって、すでに自分たちは敵ではない。
ならばきっと互いの道はどこかで交わっていくはずだ。―――それを信じているのは、自分や響だけではないと知っている。
やがて、端末を手にしたまま動きを止め、ややあってから深く息を吐いた。
そして受け取った端末をポケットにしまい込むと、今度こそ踵を返した。
「ったく、この間までバチバチやり合ってた相手だってのに……おめでてぇんだかおかしいんだか」
「そういうお前は、ひねてるな」
『うるさい、バぁーカ』と振り向かないままそう返して。
彼女の去っていく背を、魔術使いの瞳は静かに見守っていた。
鷹のそれではなく、まるで妹を見守る兄のような優し気な眼差しで。
***
かくして、祭りの裏で見事に脅威を払った士郎であったが、
「―――と、いうことなんですが……あの……」
「はい、なんですか? 衛宮先生」
現在、笑顔で佇む未来の前で絶賛正座中であった。
未来の笑顔は元々の整った造形も相まって実に朗らか且つ可憐なもので、その姿は繚乱に咲き誇る花畑の只中でさえ際立つだろう。
………もっとも、全身から横溢させている八寒地獄が如き冷たい怒気が、全ての印象を裏返してしまっているが。
それを前に顔を上げることすらできない士郎は、まさしく落とされて凍り付いた罪人の如く。今にも震えだしそうなほどの寒気を感じているのに、冷たい汗が噴き出して止まらない。
そんな二人を、響を始めとした二課の面々は遠巻きに眺めるばかりであった。まるで嵐か大洪水に巻き込まれんとする避難民よろしくな反応だ。
(……………………どうしてこうなった?)
今日一番のプレッシャーに気圧されながら自問する士郎であったが、その内心を同じく冷や汗と共に見届けている他の面々が知れば口をそろえてこう返していたに違いない。
―――いや自業自得だから、と。
遡ること数分前。
士郎が二課の本部に帰還した頃には、既に奏と翼もとうにライブを終えてその場に参じていた。そうしてようやくに顔を見せた士郎へと、二人は拗ねたような不機嫌な眼差しを突き刺していた。
もとも、弦十郎からの説明も受けていたので致し方が無い部分もあると頭では理解してはいたのだが、それだけで納得しがたい部分もあるのが感情というものの難儀なところである。
また、響も響で複雑な顔を向けていた。……というより『私だっていたし、クリスちゃんが来ていたのなら呼んでくれても……ああ、でもライブは最高だったしそういう意味ではお気遣いありがとうございますっていうかああでもそれでも……』という感じで百面相と共に懊悩を重ねていた。
ともあれ、濡れた剣山を押し当てられるかのようにチクチクと突き刺さってくるそれらに対し、どうしたものかと苦笑を浮かべたところで、すぅっと前に出てきたのが未来だった。
その表情は既に前述の如き笑顔を浮かべていたのだが、士郎は彼女の姿を目の当たりにしたとたん雷の如き戦慄が全身に迸ったのを感じた。
同時に、未来の姿にある種の既視感を覚えていた。
その笑顔から溢れる極寒の憤怒、そして全くこれっぽっちも笑っていない瞳の奥は、かつての世界で幾度か向けられたことがある種類のものであり、だからこそそれらが何を告げているのかを雄弁の如く把握することができてしまっていた。
というかぶっちゃけ、ついさっきも見たような気がする。
わかりやすく意訳すれば―――『オマエ、殴っ血KILL』。
まさか短時間の間に二度も同じような眼差しに晒されるとは、予想外にも程があった。
いつの間にか滝のような冷や汗を流している士郎に、未来は(傍から見る分には)可愛らしく小首を傾げて、一言。
『聞きたいことも言いたいこともいっぱいありますけど―――まずは、正座です』
……これに、士郎が逆らうことなどできようはずもなかったのは言うまでもない。
かくして、いつの間にやら土下座の如き態でクリスとの共闘とその後の語らいを説明したのだが、少女から発せられる圧のような物は未だに後頭部から背にかけて降り注いでいた。ともすれば、重力そのものが増しているかのような錯覚さえ覚える。
と、伏せた顔の向こうで動く気配を感じる。そしてそれが間近のところで止まったことに気付くと、士郎は知らず身を強張らせていた。
ノイズのみならず数多の人知に外れた存在と刃を交えたことがある士郎にしてはやけに弱弱しい反応であると言えるが、さもありなん。誰にだって、どうやっても勝てない敵わない頭が上がらない種別の存在というのはあるものだ。具体的に言うとあくまとかトラとか、そこらへん。
今の士郎にとって、未来はそれに近い。というか後ろめたさも手伝って逆らえる気は皆無なら、逆らう気力もこれっぽっちも湧いてこない。
そういう意味では、ある意味将来有望である。
閑話休題。
「………衛宮先生、顔を上げてもらっていいですか?」
降り注ぐ声は、やけに近い。どうやら向こうもしゃがみ込んでいるようだ。
士郎が刹那で決意を固め、ゆるりと顔を上げる。途端、未来の手が彼の顔に左右から迫っていく。
その事実に、背筋に戦慄を走らせた、その時。
「―――えいっ」
可愛らしい掛け声とともに、士郎は両頬をグニリと引っ張られた。
「………………………………………………………………………………………………………はい?」
鼻から上はいつも通りの精悍さを保ちながら、下半分をグニグニとコミカルに変形させられ続けている魔術使い。
その光景に士郎本人は勿論、周りで見守っていた一同も揃って呆気に取られる中、それを生み出していたアーティスト未来が満を持して言葉を紡ぐ。
「衛宮先生、なんで私たちが怒ったかわかりませんか?」
「それは……」
解かりきっていることを、未来は答えを待たずに先に口にする。
優しげに、まるで危ない悪戯をして、無事に帰ってきた子供に安堵する母親のような優し気な苦笑で。
「衛宮先生が、また一人で無茶をしに行ったからですよ」
確かに、奏も翼も士郎がライブに来なかったのは寂しいし哀しくもあった。響は自分たちへの配慮は嬉しかったし、それとは別にクリスと会いたかったのも本当だ。
だが、それよりも何よりも、彼女たちにとっては知らぬうちに士郎が己だけで危険の只中に身を投げ打ったことの方が余程に腹立たしくて、心配で、気が気でなかったのだ。
今回はクリスがいたようではあるが、きっと彼女がいなくても同じことをしていたに違いない。
そうであると確信できてしまうほどに、付き合いは長く深いものになっているということに気付いて―――未来は、思わず苦笑を深めた。
「―――もう、あんまり心配かけさせないでくださいね」
「………善処する」
ニッコリ、笑顔がさらに深くなる。あたかも奈落のように。
「はい、もう一回お返事をお願いします」
「アダダダダ!? い、以後気を付けますっっ!!」
爪を立てながら頬をつねる力を割り増ししていくと、慌てたような答えが返ってくる。
そんな士郎を開放しながら、それでも未来は溜息を禁じ得ない。
なぜなら、きっとこの先も同じような真似をすることは目に見えているからだ。
そんなこと、この間と今日とですっかり解りきってしまった。………或いは、いつかの朽ちた神社の夜からか。
なんにせよ、彼女からはこう言うしかない。
「衛宮先生」
「お、おう」
頬を擦る士郎の目を、改めて見つめながら。
「―――、あんまり心配かけさせないでください」
静かに、しかし心の底からの言葉を告げて。
士郎は一拍の間を置いてから、
「………ごめんな、小日向。それに、みんなも」
頷きとも否定とも取れない謝罪で以って返していた。
そんなやり取りを外野から見守っていた奏は、すぐ傍の響へ一言ぼそりと囁く。
「未来って押しがっつぅかなんつぅーか………強いよな」
「ア、アハハ……」
憧れの恩人からの親友への評に、響は乾いた笑みを返すことしかできなかった。
それはさておき。
一同は気を取り直し、話はようやく本題へと戻る。
「【カ・ディンギル】。それが向こうの伏せ札―――或いは、切り札か」
「ネットで検索してもゲームの攻略サイトばっかりですね」
士郎経由でクリスから齎された名。それを確かめるように呟いて、弦十郎は顎を撫でつけながら低く唸る。
未来が試しにといった様子でスマホを覗き込むが、肩透かし以前の結果にため息が漏れそうになる。
と、そこで真っ先に口を開いたのは了子だった。
「―――【カ・ディンギル】とは、古代シュメールの言葉で『高みの存在』……転じて天を仰ぐほどの『塔』を意味してるわね」
「『塔』、ですか?」
「それじゃ、あっちの狙いはその『塔』をブチ建てることなのか?」
「で、でも、クリスちゃんの話ではそれってもう完成してるってことなんですよね?」
そう、クリスがフィーネが漏らした話を信じるならば、【カ・ディンギル】なるものは既に完成ないしその見込みが取れているということだ。
だが、そこにはある疑問を抱かざるを得ない。
「何者かがそんな『塔』を建造しているとして……なぜ俺たちはそれを見過ごしてきた?」
そう、もし額面通り存在であるならば、それほどの規模の建築物を察知出来ていないというのはまずありえない。
それは単純に姿形のみならず、建築するに必要となるだろう資材の流れなども不自然に目立つはずであるからだ。
「考えられる可能性としては、【カ・ディンギル】の存在自体がブラフである、か」
「実際は完成には程遠い状態であるか」
「『塔』というのはあくまでも例えで、実際には別の形……もしくはなんらかのミスリードであるというのもありえますね」
士郎や慎次も交えて意見を言い合うも、憶測の領域から飛び出ることはない。それもそうだ、結局のところ核心といえるべき情報は殆どないのだから。
うんうんと唸りながら首をひねる大人たちを前に、翼たちは半ば蚊帳の外状態で歯痒くも混乱を禁じ得なかった。正直な話、内容についていくのが精いっぱいというところだ。
響に至っては半ば目を回している。そろそろオーバーヒートよろしく知恵熱でも発症するかもしれない。
と、そこでポンと手を打ったのは了子だった。
「とりあえず、違う視点も入れてみましょうか。
というわけで衛宮くん、魔術師としてなにか思い当たることはあるかしら?」
「オレか。……まあ付け焼き刃かも怪しいにわか知識になるが、それでよければ」
そう返しつつ、ふと思い出すのはかつて【時計塔】で知り合った(ある意味)名物講師であるとあるロードのことだ。
魔術師としての能力はさておき、魔術に対する深い造詣と豊富な知識、それらを下地とした魔術・神秘に対する考察と解析はもはや解体や解剖と呼んでも差し支えないレベルにまで達していた。
………『たられば』に頼るような信条はないが、もしここにかの人物がいたならば、或いは秘されたすべてを詳らかにすることも出来たのではないかというのはさすがに過大に過ぎる考えだろうか。
「―――グレートビッグベン☆ロンドンスターは偉大だったな」
「は? ビッグベン?」
「いや、なんでもない」
思わず口をついて出た感慨を諸共に振り払って誤魔化してから、改めて思考を練りつつ向き直る。
「まず、【カ・ディンギル】という言葉についてだが、いま櫻井が説明したものとは別にもう一つ意味がある。
……メソポタミア文明における『バビロン市』。その都市そのもののことも示している」
「その『バビロン』って街にはなにかあったんですか?」
「この場合は街そのものではなく、やっぱりその名前の方だな。
この『バビロン』という単語のアッカド語表記、そしてヘブライ語で『混乱』を意味する『バラル』という単語が混同されることで、ある有名なものの語源となった」
「有名なもの?」
「どんなものかは知らなくても、名前だけならどっかしらで聞いたことあるんじゃないか?」
やはり首を捻りっぱなしの響に、士郎は苦笑を浮かべながら続ける。
その名は。
「―――【バベル】。
神様に手を延ばそうとして、その怒りを買ったとされる塔の逸話だ」
「………。創世記11章、ノアとアブラハムの間の物語ね。もっとも、聖書そのものにはバベルの塔なんて風には書かれていないんだけど」
幾分かの間を置いて、補足するかのように了子が付け加える。その声が幾分か硬いものになっていたように聞こえたのは、はたして気のせいか否か。
「聞いたことはあるような……どんなでしたっけ?」
「細かいお話しすると長くなるから、お姉さんがザク切り大雑把に説明すると、大昔に建てられた世界一高いタワーのことよン。………それこそ、神様のいる場所にまで届くほどにね」
そしてそれを赦さなかった神は、天罰としてその塔を打ち崩したという。
そこに、人と神のどちらに対して傲慢を感じるかは人それぞれだろう。
「そして神さまは二度とそんなものを建てられないよう、一つだけだった言語をバラバラにしてお互いに意思疎通ができないようしちゃいましたとさ。
―――っていうのがこのお話のキモね」
「………よーするに、結局はバカでかい『塔』のことなんだろ?
ったく、なんだってンな解りづらい名前にしたんだか」
「ああ、オレが気になったのはまさしく其処だ」
奏が呆れたような愚痴をこぼすが、士郎にとってはそれこそが本題だった。
全員の眼差しが、再び士郎へと集中する。
「シュメル……つまりはメソポタミア文明は、魔術師にとっては人類史におけるある重要な転換期を意味している」
それは太古から存在するある存在との乖離の始まり。
支配体制ではなく、その性質の変異。
即ち。
「―――『神代』と呼ばれる時代の終焉。神の時代と人の時代の境目。
……神と人の別離の時代だ」
古い時代において、権力とはそのまま神の威光と繋がっており、王朝を築いた祖は大抵が神との混血や神の転生体であったとされた。
例えば古代エジプトでは神聖王権という考えのもとにファラオは現人神として扱われた。ギリシャやインド……そして日本でも、王の血筋は神の系譜であるとされていた。
その真偽はさて置くとしても、国を統べる権力者はその時点で他の者とはその存在そのものが違うものとして定義付けされていた訳である。
「だが、このメソポタミア文明の辺りから王は人として人民を統治するようになり、対して神の人間社会への影響は徐々に減っていったとされている。
同時に、神秘そのものがどんどん薄れていく一方になることが決定的になったんだが……いや、これはどうでもいいか」
「………よーするに、神様と手切れになった頃だってんだろ。それがなんか関係あるのか?」
「それは解らん。結局のところ、オレたちは相手側の最終的な目的すらわかっていないんだからな。
だが、『バベル』ではなく【カ・ディンギル】という言葉を使ったことに何か意味があるのなら―――」
聖書神話の一ページではなく。
神と人と分かつ時代をこそ強く想っているというのなら。
「そこにこそ、フィーネと呼ばれる人物のパーソナルが隠されているのかもしれないな」
***
―――特別な意味などない。
ただその言葉こそが自分にとって馴染みがあるだけの話だ。
だが、かといって全くの的外れというわけでもない。むしろ、これ以上なくこちらの核を突いているとも言えた。
「神と人の別離、か」
なるほど、言いえて妙だ。アレはまさしくそうであった。
―――そして同時に、今の自分へと続くこの旅路も、あの時から始まったのだ。
「―――けど、それももうすぐ終わり」
恐らく自分の正体には向こうも気づいて動いているのだろうが……もうすべては遅い。
【カ・ディンギル】も、他の全ての準備も万全であると言っていい。
あとはただ、全てを終わらせるだけ。
―――否、本当の意味で始まるのだ。漸くに。
「嗚呼―――」
永かった。
己の身を掻き抱いて、強く強くそれを想う。
那由多というには短いだろう。
悠久というには遠いだろう。
休眠と覚醒の繰り返しによる自意識はブツ切りで、流れた時と比して歩んだ生そのものはそれほど長くはないかもしれない。
それでも。
「無間の獄と錯覚するには、十分すぎるほどの時間だった。」
遠い遠いあの日、確かに繋がっていたと思っていた手。
だが、それは幻で。
気づけば、全ての繋がりが断たれていた。
何故と、どうしてと……そう叫んだ言の葉すら、聞いたことのない音の羅列へと変わり果ててしまった。
届かない。
届かない。
こんなものでは、【あの人】に届くものか。
―――だから、取り戻すと決めたのだ。
「漸く……漸く、ここまで辿り着けた。
―――漸く、貴方に手が届く……!!」
永い旅路の終わり。
偽りを砕き、真実を再び世に齎す。
その時にこそ、自分は本当の言葉で【あの人】に告げるのだ。
冷たく凍てついた心の奥底で、未だに熱く燻ぶるこの想いを―――!!
「―――、」
堪えきれずに、震える喉が【あの人】の名を紡ごうとする。
その直前に、彼女の意識は物理的に断絶させられた。
***
『対象の頭部に命中を確認。………反応なし』
『了解、突入を開始する』
狙撃手からの報告を受けて、男は部下と共に扉を蹴破った。
同時に、採光用の窓からも別働の人員がガラスを破って飛び込んでくる。照明らしい照明もない中、月と星の穏やかな光が砕け散ってパラパラと降り注ぐ細かいガラス片を煌かせている。
その光景はある種幻想的ですらあり、奇しくも星屑を思わせた。
しかし男はそれに目もくれず、真っ先に目標を視界に納める。
真正面……大型複合ディスプレイがレイアウトされた、玉座のような機材の群れ。
そのすぐ傍で頭から血を―――否、それどころか頭蓋骨の中身そのものを零して倒れ伏す一人の女性。
「………」
男は集った部下たちよりも半歩ほど前に出て、女性へと小銃を向けた。
レーザーサイトの光線が、巻き上がる微細な埃で線のような軌跡を露にしながらピクリともしない女性の体に注がれる。
女性は仰向けではあるものの、夜闇と女性自身の長い髪で隠れてその顔は伺えない。
もしかしたら、その相貌自体が文字通りに崩れてしまっているかもしれない。
「………―――」
瞬間、親指でセミオートに設定を合わせ、引き金を引くこと三回。同じ回数の銃声を響かせて、倒れ伏した女性……その骸というべきものを穿っていく。
女性は弾丸が撃ち込まれた瞬間はその衝撃で身を揺らすものの、当然のようにそれ以上は動かない。
しかし男は銃口も姿勢もそのままに、女性だったものを凝視し続けている。彼の部下たちも、同じように携えた小銃を構えている。
紛れもなく死体でしかないだろうモノにそうしている姿は傍から見ればある意味滑稽で、まるで次の瞬間には襲い掛かってくることを警戒するゾンビ映画の登場人物たちのようである。
そうして奇妙な膠着が続き、一分ほどが過ぎ去ってからようやく男は静かに息を吐きながら体を弛緩させ、銃口を降ろす。
『―――対象の完全な沈黙を確認。これより、次の段階へ移行する』
男の口から漏れるのは、淀みのない英語の響きだ。それは流暢というレベルではなく、日常のものとして扱われている自然体のものである。
それもそのはず、彼らは米国の軍人であり、表舞台のそれではない特殊部隊に所属している者たちだ。
元々は女性と彼らの本国は協力関係であり、彼ら自身にとっても彼女の手引きによって防衛大臣の暗殺を成功させることができた功労者でもある。
それがなぜこのような事態になっているのかといえば、その理由は明白だ。利用価値よりも繋がり続けることの危険性の方が大きくなった――要するに、リスクヘッジの問題だ。
人の命を切り捨てるにはあまりにも無情に過ぎるが、元よりビジネスライフな関係はお互い様である。結局は、手を切るのはどちらからだったかというだけの話に過ぎない。
そうして男は、同じように緊張を解いた右の部下へと振り向き、
『A班は死体を始末しておけ。残りは研究データの回収と処理の準備だ』
そう指示を下す。己が殺したものを悼むこともなく、家畜を肉にするよりも事務的な扱いはなるほどプロフェッショナルといえるのかもしれない。
だが、男は部下からの応答を聞くことはできなかった。
応答するよりも先に、指示を出された部下の首から上が砕き散らされたからだ。
「―――!!!?!!?」
中途半端に上がった右腕は、敬礼の最中であったか。
命令系統を失った人体が、余韻のような心臓の鼓動に合わせて吹き出す血の噴水を打ち上げながら倒れ伏す。
混乱を始める思考よりも先に、男の肉体が刻み込まれた最善を体現させる。その場から飛び退きつつ、再び銃を構えて神経を研ぎ澄まさせたのだ。
その矛先は、女性の骸。
―――いや、違う。
「………………、ブラックアートの深淵を覗いてもいない青二才のアンクルサムども。
そのくせ掠める算段がつけば蹂躙と略奪………ハ、結局は開拓以前から変わらんな。その品性の下劣さは」
もはや骸ではない。
長い髪を結っていた、蝶の髪飾りを自ずから踏み砕いて。
顔の半分を赤く染める鮮血を白衣の左袖で乱暴に拭いながら、その女は立ち上がった。
ザァッと右腕を軽く振るえば、男の部下の残滓が雑に振り払われる。そうして月の光が照らすのは、白衣の右袖から延びる鎖のように連なった刃の鞭だ。なおも残る鮮血が、不自然に鎌首をもたげて糾える刃と相まって本物の蛇のような生々しさと生理的嫌悪を誘発させた。
少なくとも四分の一は吹っ飛んだはずの頭部にしかしそんな痕跡はなく、血の痕の残る美貌はどこまでも苛烈に、どこまでも冷淡に―――そしてなによりも艶然と、男たちを捉えていた。
そう、確かに死んでいたはずの女は。
殺したはずのその女は。
【櫻井 了子】の名を持ち、【フィーネ】とも呼ばれている人物は。
己が生を、五体で踏みしめて立ち上がり誇示していた。
「ヅゥ、ッガァ……」
と、了子が身を折りながら呻きを上げる。すると彼女の胴の部分が僅かに光を発し始め、同時にミシミシと細かいひび割れの走るような音が鳴り始める。
光の発している位置、そして目の前で起こっている現象から、男はそれが何を意味しているものなのかを瞬時に察した。
(ま、さか……再生、しているのか? 銃撃による損傷を、高速で!?)
果たしてその推測は正しく。
ややあって、ふぅっと小さく息を吐きながら身を起こした彼女の腹は、血でドロリと濡れてはいたものの傷一つもなく形の良いくびれを垣間見せていた。
と、了子は再び左腕を振るう。その動きで袖口から飛び出たモノを掴み、顔も向けないままにガラスの割れた窓へと掲げる。
(あれは―――)
さほど大きくもない小さな弓のような物品。
それが、次の瞬間には水の跳ねる様な音と共に展開し、Y字の刃を重ねたような代物へと変貌を遂げた。
【ソロモンの杖】である。
「フン……」
つまらなそうに鼻を鳴らしながら、杖から一条の緑閃が放たれる。
それは一直線に窓の外へと奔っていき―――
「………、!!?」
男が、その意図に気付いてインカムを起動させたときには、すでに事は終えようとしていた。
『ノ、ノイズが!? ウァアアアア――――――ッッ!!!』
指示を出すよりも早く、狙撃班の人員の断末魔が三半規管にこだまする。
男は奥歯を削れてしまいそうに噛みしめながら、小銃の設定をフルオートに変換して構えなおす。
その瞳には赫怒と憎悪と……そして隠しようのない恐怖がこびりついていた。
「―――
粘つく負の視線と、赤いレーザーサイトを春先の小雨のように涼し気に浴びながら、了子は艶めいた吐息を漏らす。
「貴様らは運が良い。
―――私は今、ひどく機嫌が悪い」
前半と後半でひどく矛盾していそうなその言葉は、しかし彼女にとっては筋目の正しい理屈だ。
なぜならば。
「貴様らを嬲ることで、この留飲を下げるということすら………ひどく煩わしいほどにな」
そうして。
今度は、彼女の全身から光が零れ始める。
それと同時に、濃い栗色だった彼女の長髪は眩い金髪へと変貌し始めて―――
「
引きつったような男の号令と共に、全ての小銃が弾倉の中身を吐き出し始める。
その結果がどんなものであるのか、もはや語るまでもない。
前夜祭はしめやかに。
無粋な客の血と肉と断末魔で以って、繚乱の如く彩られる―――。
―――皆さま、2021年あけましておめでとうございます。
そして去年の内にこれを更新できなくて申し訳ありませんでした。(三段ジャンプ土下座)
ちなみに内心の変遷的には。
・12月初め:早めに更新して頑張れば年末か正月にもう一本いける?
・12月半ば:ク、クリスマスまでには
・クリスマス:大晦日に!
・大晦日:無理ぽ。
・年明け:(元日にもアップできないとか)アタシってホントバカ(さやかちゃん並感)
……石は気持ちソフトに投げてください(震え声)
というか、もうちょっと切りよいところでぶった切ればちゃんと更新できたよね?(orz)
でもちゃんとキリが良いところまで上げたかったんや……
それはさておき振り返り。
・クリスと弦十郎の面談
ぶっちゃけ、一番最後の士郎のモノローグの言わせたかったからやりました。
ぶっちゃけ、衛宮親子的にはホントに刺さっちゃう台詞だったなと。
・ひびみく、かなつばにライブ前電撃訪問
イギリス料理に関しては実物食ったことないのであくまでおネタとしてご理解ください。
ちょっと前に見たお店のフィッシュアンドチップスはちょっと美味しそうだった。
……たぶん、スターゲイザーパイを名前で頼んで闇背負ったじゃないですかね、奏。
・クリス&士郎、共闘
というわけでネイリング。フルンディング投影できるならこっちも投影できるんじゃねってことで。
ちなみに『壊・鉄槌蛇潰(ネイリング・デモリッション)』は勿論オリジナル設定。
『壊れる寸前に最大の力を発揮する』&名前的なイメージを合わせた結果です。
最初は単に鉄槌蛇潰(ネイリング)ってだけにするつもりだったんですが、なんか妄想が迸ってこんな感じに。でも、士郎っぽくはなりましたかね?
・未来さん、おこ。
なんかこれはこれで未来さんが一番ヒロイン力が高くなってしまっているような……(汗
・【カ・ディンギル】考察。
メソポタミアとかはFGOを始めとして完全ににわか知識です。ぶっちゃけ士郎の『付け焼刃かも怪しいにわか知識』というのは筆者の代弁だったり。
と、今回はこんな感じ。
次回からはやっとこさ佳境に突入していくところですね。
………XVまで行くだけでもガチで十年単位かかるんじゃなかろうか……(滝汗
で、ここからは雑談です。
まずはXDU。
ガメラコラボはクリスだけ出ませんでした。
……結構溜めてた石使い切ったのに……
今やっている新年最初のイベは、もうシナリオ全部クリアしました。
並行世界のアダムはやっぱりいい味出してますね。
キャロルパパもいい味出してるって言うか、紛れもなくイケ魂ですよこれは……!!
次にFGO。
メインシナリオは全部クリア。
地獄曼荼羅はリアルタイムで攻略に入れました。
……ただ、デメテルで令呪使ってコンテニューした直後にコンテニューアイテム実装されたのは複雑な気持ちになりました……何回やり直して泣く泣く令呪使ったのかと。
コンテニューアイテム使ったのはゼウスと伊吹童子くらいですかね?
愛玩の獣はお試し感覚でトライしたらストレートでクリア。
編成としては【アステリオス・紅葉・パッションリップ・タマモキャット・フレとのW水着キアラ】というところですね。
紅葉でゲージ一個削ってあとはW水着キアラでフィニッシュ……て流れだったかな?
それ以上に予想外にさっくり勝てちゃったのが景清の最終決戦。
【水着キアラ・孔明・マーリン】で、他のメンバーもいろいろ考えて編成してたけど結局前半のこのメンバーだけで一度も落ちずにあっさり勝てちゃいました。運もあったんでしょうけど。
イベの方は簡単に言うと、
・邪馬台国:卑弥呼がエロい。エロい(確信) あと、テーマソングアレンジBGMがなまら格好いい。
・ノーチラス:13人いるのは最初に気付いたけど、答え合わせの時まで忘れてた。そして最後のゴッホちゃんがヒロイン過ぎて尊死する。した。
・クリスマス:初の男サンタ。……けっきょく、なんでこれでクラスがセイバーだったのかは全然説明ないのか(困惑
そして最後に新規加入鯖。
・卑弥呼、信勝、水着頼光、ネモ、メディアリリィ、サンタカルナ、マルタ、アストライア、ゴッホ、武則天、ジークフリート
ちなみに伊吹童子狙って一万円爆死して、村正狙って二万円が無に消えた年末年始でした(滝涙
福袋で出てきたのがゴッホちゃんです。
とりあえず幕間までは育てるのがジークフリートと武則天。
最終再臨まで育てる予定なのがアストライア。
それ以外はすでに最終再臨まで行ってますね。
卑弥呼は初めて聖杯つかってレベル100にしました。
スキルは第三以外はあんまり育ってませんが、これあらも活躍してもらう予定です。
というか超人オリオンと組ませたときの爆発力ヤベェ。
第二異聞帯でスルトが4ターンキルでした。
マーリン&キャストリアと組ませると無敵要塞化して即死か強化解除が無い限りはほぼ無敵という……
ネモとゴッホちゃんは聖杯使ってはいませんが、どっちも全スキルMAXに。
ネモは第一も第三も全体に付与してくれるのが嬉しい。
効果的に水着メルトと組ませる機会が増えそうです。
ゴッホちゃんは今使いまくってる最中ですが……この子、なまら強くない?
呪いのせいで持久戦はちょっと辛いけど、クリ殴りで相性有利じゃなくても一方的に殴り潰せちゃう。……まあ、クリ確立80パーや90パーでもはずしたりするから安定はしないのですが。
……一番使ってないのはカッツ。
というか、うちってノッブいないからカッツ運用する場面が……
という感じで加筆を終えつつ今回はこの辺で。
遅筆極まりない身でございますが、今年もよろしくお願いいたします。
今年の抱負は、年内に二期目に入ることです。
………行けるかな?(滝汗)
ともあれ、皆さまこれからもよろしく&お体にお気をつけて頑張ってください。