こちらからどうぞ。
【ある前兆、もしくは衛宮先生のためにならない話】
「―――
詠い唱えられ、眩い光の中から生み出されたのは、淡い黄金の鞘。
似姿でありながら、それでもなお息を呑むほどの荘厳さが、まるで君臨するかのように中空に
貴き黄金を掲げるような士郎の眼前には、奏が横たわっていた。
彼女の上半身は下着のみの姿で、日本人としては規格外に近い豊かな膨らみを薄布一枚のみで隔てて晒しながら眠るように瞑目している。
そんな彼女を透徹した表情で睥睨しながら、士郎は奇術師のショーのように―――その実、正真正銘本物の神秘の業で以って浮かんでいる鞘をゆっくりと彼女へと降ろしていく。
やがてその先端部分が彼女の胸の真ん中に触れるか否かの瀬戸際で、小さく細くそして静かに息を吐いた。
「―――
「っ、」
瞬間、何を感じたのか奏は眉をピクンと歪めながら息を呑む。
同時に、鞘がその輝きを俄かに増したかと思えば、その像が透けるように霞んでいった。
否、正確には崩れているかのように解けていっているのだ。増したかのように見える輝きは、実際には砂よりもはるかに小さな粒子として零れていく鞘そのものである。
まさしく光の粒となった鞘は染み入るように奏の胸から入り込み、全身へと巡っていく。それを示すかのように彼女の全身は眩くも優しい輝きに包まれ、更には胸の中心から曲線で描かれた五線譜のようなラインが刻まれ、脈動のように光が奔っては消えていく。
やがて鞘の姿が完全に消え去り、光の全てが奏の中に呑み込まれると、ややあってから輝きは日の入りのように徐々に納まっていく。
「………―――。
最後にそう結んで、士郎は深く深く息を吐きながら少しずつ強張った体を弛緩させていった。
額には、今更のように汗が珠となって滲み出てきている。それを乱雑に拭いながら、士郎は傍らに置いてあった奏の服を掴んで彼女へと放る。
「奏、終わったぞ」
「ん、と。了解……あんがと、若大将」
そう返しつつ、奏は士郎の存在を気にかけるでもなくその場でシャツに首を通して上着を羽織っていく。むしろ今更にさり気なく視線をそらしている士郎の反応にこそ、愉し気な眼差しを送っていた。
「なにか違和感はあるか?」
「いんや、まったく。………むしろ、なんか落ち着いた感じすらあるよ」
往診とも取れるやり取りを軽く交わして、士郎は吐息に安堵を混じらせた。改めて奏を見てみるが、どうやら本当に異常はないようだ。
それを確認して、ようやく士郎は視線を他方へと移す。そこにいるのは、言葉すら失ったという様子で呆然とこちらを見つめている四人の少女。
言わずもがな、響に翼、未来にクリスだ。
豆鉄砲を喰らった鳩のような表情が並んでいる様に、士郎は思わず小さく吹き出しそうになってしまう。
「―――まあ、こんな感じだが。別段、面白いものでもなかっただろう?」
「い、いえ………なんか、すごかったです!」
パチクリと、まん丸に開かれた瞳を瞬かせながら、僅かに興奮した様子でそう返した。
さて、事の発端はというと大して複雑なものではない。
先の戦いで疑似的なアームドギアとしてアヴァロンを具現化したことにより、体内からそれを失った奏にそれを改めて埋め込むことになったので、彼女たちがその見学を希望したのだ。
心配が半分、野次馬に近い好奇心が半分といった様子だったが、奏自身がそれを快諾したこともあって士郎もそれを了承した。
………なお、某あかいあくまが知れば、にっこり微笑みながらブチ切れる程度には魔術師的にはアウトな行動であるのだが、世界も文字通りに違えているので別の話であるということにした。
ちなみに、弦十郎たちはこの場にはいない。年頃の娘の下着姿を不必要に見るのが憚られたというのもあるが、それ以前に未だ先の事件の収拾に追われているのだ。無論、士郎への信頼もあってではあるが。
閑話休題。
クリスは奏の方をまじまじと見ながら得心したかのように呟いた。覗き込む胸元には、あれほどの大きさの遺物を飲み込んだ形跡は微塵も見当たらない。
「成程ねぇ、あんなデカいのを埋め込むって聞いたからどんなんかと思ったら……アンちゃん、マジで魔法使いなのな」
「………できれば、魔法使いはやめてくれ」
今となってはあまり意味のないことではあるが、それでも訂正せずにはいられなかった。直近でそう呼ばれる存在と言葉を交わす羽目になったのだから、余計に。
ともあれ、これで杞憂の種は一つ減った……と言いたいところであるのだが。士郎は先の感触から、一つの疑念が確信へと変わってしまった。
その事実に、自然と眉間の皺が深くなる。それに気づき、響が不安げに眉根を寄せる。
「衛宮さん、どうかしたんですか?」
「いや、奏に伝えておかなくちゃならんことがあってな」
「あたしに?」
士郎の物言いに、奏は首を傾げた。先も言った通り体の方には違和感どころか以前よりも調子がいいぐらいなのだ。それでなにがしかの問題があるのだろうか。
訝し気にそう考える奏であったが、士郎の存念はそれと繋がるものであった。
「今、鞘を埋め込んだ時にはっきりとわかったんだが……奏、お前の体の中で魔術回路が開いている」
「魔術回路?」
響がオウム返しに首を傾げ、未来やクリスも声には出さないが内心は同様なようで、互いに顔を見合わせていた。
一方で、翼や奏の方は概要程度ではあるが以前に士郎本人からそれのことを聞いたことがあった。
魔術回路。
それは魔術師が魔術を行使するのための疑似的な神経で、コレを有し且つ開いているからこそ魔術という神秘を発現することができる。
人間をスマホに例えるなら、魔術回路とは魔術という結果を出力させるための専用アプリだ。
「正味、その可能性自体は前々から懸念はしてたんだ。魔術回路そのものは、オレみたいに魔術師の家系じゃなくても存在しうるしな。
………地球に還ってくるとき、アヴァロンを具現化して疑似的な真名開放ができたのもそのためだな」
「あー、言われてみりゃあんとき確かに何かが起きたっていうか……切り替わったような感じはあったな」
思い返してみれば、覚えというものが湧いて出てくる。
そう言えばあの時、身体に五線譜みたいなラインが浮かび上がってきたが、もしかしなくともアレがそうなのだろう。士郎が魔術を使う時とよく似ていたので、関係があるかもしれないとは思っていたのだが。
と、そこで再び首を傾げる。
「―――で? それがなんか問題あるのか?」
「現状、そのままでいる分には問題はないだろう。お前が魔術を使いたいっていうならまた別の話だが……」
「そのつもりはない」
「だろうな。オレも使いたいって言われたら困る所だった」
この辺りのやり取りは互いに解っていたからか、どこか漫才じみた雰囲気すら出ている。
だが、何故か未来が身を震わせて息を呑んだことに気付いたのは、隣の響だけだった。
「考えられる影響としては、鞘との親和性が上がって治癒力が以前よりも向上するかもしれない。この辺りは今後の検査や訓練で様子を見るしかないがな」
「おお、良いじゃんかソレ! さっきも言ったけど、
………案外、LiNKERいらなくなったりして」
「その辺りは門外漢だからどうとも言えんな」
そう答えつつも、士郎はその可能性はあり得なくはないと踏んでいた。
LiNKERとは元々、シンフォギアを纏うに足りない適合係数を引き上げるための薬品だ。
薬理作用の危険度は元来の適合係数の値に反比例して跳ね上がるのだが、逆を言えば適合係数……即ち装者としての資質そのものがあってこそ投薬の意味を成すのである。
それゆえ、奏自身は以前から負担軽減ひいては投薬からの脱却を目指して適合係数を上げるための訓練と試行錯誤を繰り返してきた。
その成果はそれなり程度に上がっていたのだが、目に見えての結果が伴ってきたのはかつての復帰後……つまり、その身に
可能性として考えられるのは、鞘の癒しの力というよりも『その身に神秘を宿した武具を取り込ませた』という事実によるもの。謂わば『武具』との融合に免疫がついたとも取れる。
(切っ掛けとなった鞘との親和性が上がったなら、それにつれて免疫……つまり融合係数その物が引き上げられたとしてもおかしくはない)
或いはそれこそ、魔術回路が開いた影響だとも考えられる。
いずれにせよ、夢物語と断ずるには現実味の強い見通しであるのは確かだ。無論、試してもいない現状では絵に描いた餅でしかないが。
と、首を傾げながら聞き入っていた響が逆方向に傾けながら素直な感想を口にする。
「……なんか、それだと悪いこととか全然ないみたいに聞こえますね」
「予想できる範囲での影響だけを言えばな。
ただ、こちらが予想もできないような事態っていうのも十分起こり得る。
だからそのためにもいろいろと注意を払う必要があるんだよ」
其れもまた事実だった。
そもそもあくまでも『魔術使い』である士郎では、魔術的な面だけに限定して大分甘めに見積もっても基礎的なところまでが限界だ。
そして
暗中模索にしても、これほど頼りない状況もそうはないだろう。
今日のことも、奏にとって必要な措置であったことと、同じ状態でこれまで異常らしい異常が出なかったからこそ許可が下りたようなものである。
「ま、しばらくは気を細かく割いて様子を見ることになるな。
……とりあえず、今日明日は検査でつぶれるだろうから覚悟しておけ」
その言葉に、奏が思い切り嫌そうな表情と声で『うへぇ』と呻いた。前回の検査漬けになったときのことを思い出しているのだろう。
あの時とは違い、死の淵からの回復というわけでもないから幾分はマシかもしれないが、それが慰めになるかどうかは別だろう。
と、その時だ。
「―――あの、衛宮先生」
横合いから、硬い声で呼びかけられた。
振り向けば、そこには真剣な表情でこちらを見つめる未来の姿がある。その隣では、響が何事かと戸惑いの色を浮かべて彼女と士郎を交互に見ていた。
未来は僅かに逡巡するように一拍の間を置いて、しかし振り払うように眉根を浅く寄せながら再び口を開く。
「その、『魔術回路』っていうのがあれば、衛宮先生みたいに魔術を使えるんですよね?」
「未来、まさか―――」
響がその言葉の意味合いを察するも、彼女が止めるよりも先に未来は意を決した様子で言葉を続ける。
「お願いします、衛宮先生! 私にもし魔術回路があったら私に魔じゅ「駄目、無理、不可能」」
「はやっ!?」
「即答かよ」
が、それを途中でバッサリとぶった切って、士郎があっさり且つ端的にそれをにべもなく断った。
その容赦ない拒否に、響やクリスの方が表情を引きつらせている。
「………反対されるとは思ってたけど、言葉半ばでしかも三段撃ちに断られるとは思ってませんでした」
「あーうん、悪いとは思うが、ちゃんと理由はあるからな?」
カウンターとしてはちょっと聞きすぎたのか、闇を背負ってる感じで落ち込む未来に士郎は申し訳なく思いつつも前言を翻すつもりは欠片もなかった。
そもそもの話、あらゆる意味で彼女の願いは叶うことはないからだ。
「まず『駄目』っていうのは、魔術師っていうのがそもそも小日向が望んでいるような在り方じゃないってこと。
魔術は起源へと遡行し、秘匿を旨とし、流血を是とし、可能性を削ぎ落して根源へと目指すためのもの。
およそ、君が求めるようなものじゃない」
そう、とどのつまり魔術師とは総じて人でなし。一般的な倫理で言えば『悪』でしかない。
そんなものに、まして友のため誰かのために力になりたいと願うような人間を引き込むわけにはいかない。
―――まあ、しかし。
「とはいえ、この辺りはオレみたいな魔術使いとしてならある程度は関係ないことだから、理由としては弱いんだが」
「なら……」
「で、次の『無理』について」
食いつく未来を遮って、士郎は更に切実な理由を詳らかにする。
「『無理』っていうのは小日向、お前の体に関してだ」
「私の……? それって、やっぱりその回路がないって……」
その言葉に、しかし士郎は首を横に振る。彼の懸念は、むしろその逆の場合を想定してのものだ。
「魔術回路っていうのは、本来は幼少期から投薬などで少しずつ体を慣らして開くものだ。そしてそれでだって大なり小なり苦痛を伴う。
そうして下拵えをしても、最低でも魔術を扱うための最初の一回目は命がけになる。
それらを踏まえて、仮に小日向が魔術回路を宿していたとしてもそれをすぐさま使えるようにすることはできない。
………その辺りの無理を通そうとすれば、それこそ体が弾け飛んでも不思議じゃない」
「っ、未来……!!」
思わず、響が焦燥に難くなった声で呼ぶ。
彼女が戦う理由の大きな一つは親友である彼女の存在だ。それが自ずから危険に飛び込もうとするのを看過できようはずもない。
ましてや、徒労どころか無駄死にとなる公算が高いと告げられればなおのこと。
響の反応に躊躇を魅せる未来ではあったが、しかしそれでもあきらめきれないといった様子で目をそらしている。
―――なので。
士郎はいよいよを以って我が身の恥で締めくくりにかかった。
「………で、最後の『不可能』についてなんだが。
立花には前にちょっとだけ触れたか? オレが元々は魔術師の家系の生まれじゃないってコト」
「えっと、そういえば一回聞いたような?」
「それって関係あんのかよ、アンちゃん?」
「ああ。ものすごくざっくばらんに言えば、魔術師の才能とか素質ってモンは血統に因るところが大きい。
あえて頭の悪い例えで言うなら競走馬が概念的に近いな」
事実、より優秀な次代を輩出するための婚姻などが常套手段になっているので、例えとしては言いえて妙とも取れる。もっとも、競走馬と違い意図的に血を濃くするための近親交配も場合によっては是としている上に、そこまで手を尽くしても衰退してしまうこともままあるのだが。
その辺りについては、流石に明言は憚られるし、本題からは外れている。
「で、だ。その例えで言うならオレはその辺から拾った野良の駄馬みたいなもんでな」
「はぁ……」
「更に言えば手ほどきしてくれた爺さん……オレの義父も、オレが魔術師になることは望んでなかったから、基礎の基礎に毛が生えたことくらいしか教えてくれなかった」
「……はい?」
「つまり何が言いたいのかというとだな」
未来のみならず、響やクリスまで揃って首を傾げているのを前に、士郎は開き直り気味に胸を張ってみせる。
この先の発言を察したのか、奏の方は肩を震わせながら口元を手で抑えていた。頬はリスのように膨らんでいて、吹き出すのを必死に抑えているのがよくわかる。
そんな背後の様子を察しながら、士郎は構わず言い放つ。
なんかもう、ヤケクソな気分であった。
「魔術使いとしてならともかく、真っ当な魔術師としての知識も技量も足りんから、小日向を弟子にして育てるとか無理難題にもほどがある!
そもそも、魔術回路を開くための霊薬の調合とかまったく知識がないから絶対できん!
―――というわけで、小日向を魔術師にするなんてことは 完 全 に 不 可 能 だ!!!
なにせ一番師事した魔術師からのオレへの最初の評価は『へっぽこ』だからな!!
医師免許も怪しいヤブ医者に心臓移植を任せるようなもんだとでも思ってくれ!!!」
いっそ清々しいまでに力強い断言。
ヤケになりすぎてイランことまで付け足したそのセリフに対し、未来たちはポカンと呆気にとられるばかりだった。
なお、翼はお労しいとばかりになんとも言えない表情で目を逸らし、背後の奏はいよいよ我慢しきれずに盛大に笑い転げていた。……うん、そこはもうちょっと遠慮してくれ。
かくして。
奏への処置から湧いて出た未来の魔術師への道はこうしてなんとも言えない空気で以って終幕となったわけだが。
それでも、そもそも彼女が心の奥底で抱いている無力感と
それは更に奥そこへとしまい込まれながら、まるで澱のように積もっていく。
いつか、それが発露されることになる日まで、少しずつ淀みながら―――。
【歓迎会と合鍵】
響たちが地球に帰還して一週間、月の欠片を砕いてから数えると二週間が経った頃。
諸々の事後処理について、ようやくの目途が立った。
装者たちは地球に帰還以後、様々な理由で休養と検査を兼ねての行動制限を受け、二課の仮設本部に軟禁状態であったのだが、それもその日を以って解除された。
それは彼女たちが待ち望んでいた日常に本当の意味で帰れることでもある。
そこで弦十郎主宰のもと、事件の収束を祝う名目も兼ねてちょっとした祝賀会を開催することにした。
その主役となったのは、とある少女である。
「―――というわけで、改めて紹介する!
雪音クリス君、第二号聖遺物イチイバルの装者にして心強い仲間だ!!」
「ど、どうも……よろしく……」
力強い紹介とは対照的に、クリスの方はいかにも慣れていない様子で顔を赤らめながら消え入りそうな声になっていた。
かつてならば声を張って否定していただろうその扱いを、しかし今は借りてきた猫のようにおとなしく受け入れている。
その様子に、他の面々が心からの歓迎を表すように盛大な拍手を送っている。特に、響と特別に呼ばれた未来などは嬉しさが極まったかのような笑顔を輝かせている。
祝われている当人はというと、恥ずかしさが増すばかりなのかますます身を縮こまらせてながら顔をの赤みを増していく。予想通り、こういう扱いには慣れていないのだろう。
と、そんな彼女へ畳みかけるように弦十郎は贈り物を提示する。
「クリス君、行動制限の解除に合わせ、君には新しい住まいを用意している。これからはそこで暮らすと良い」
「ア、アタシに!? いいのか!?」
「もちろんだ!! これから君には二課所属の新たな装者として任務に就いてもらうこともあるだろうが、それ以外での自由やプライベートは保証するとも!!」
弦十郎の力強い断言に、クリスの両眼に涙が浮かぶ。幼少の砌に両親を亡くし、捕虜として売られ、フィーネには絆だなんだと言われながら苛烈な虐待を受けてきた。
そこに自身の意思が皆無であったとは言い切れないし、むしろ過ちというべきものには少なからず手を染めていた。
そんな自分が亡き父と母に憚ることのない道を征き、更には一国一城の主ともなったのだ。まさに感慨も
「―――!」
………さて、そんなクリスの反応を曲解した者がいた。翼である。
さて、今日までは行動制限を受けていた関係もあって疑似的な共同生活というべきものを送ってきていた。窮屈さはあるものの、それはそれで楽しい日々であったと言える。
それはきっと、クリスにしても同じだっただろう。なんだかんだで談笑することもあったのだから。
もっとも、頭に血が上りやすいのかカッとなっている場面も多々あったのだが、それもまた愛嬌……と翼は認識している。
ともあれ、そんな生活も今日で終わり、改めて居住のための部屋を与えられたとなるとこれからは一人暮らしになるということだろう。
つまり、一気に静かになってしまういうことだ。
故に。
「安心しろ、雪音! 合鍵なら持っている!! いつだって遊びに行けるから、寂しくないぞ!!」
的外れな激励で以って、彼女は先輩風と共に新たな後輩を励ました。
「は? ………はあっ!?」
寝耳に水な発言に、クリスの涙は吹き飛んだ。
ちょっと待て、どういうことだ!?
そんな疑問が叫ばれるよりも先に、次の
「私も持ってるばかりか、な~んと未来の分まで~」
「えーと、なんでか貰っちゃった……いいのかなぁ……」
「あ、ついでにアタシも貰ってるぞ」
響が翼と同じように満面の笑みで両手に鍵を掲げ、その隣で未来が困惑を滲ませながら苦笑を浮かべていた。
そして奏もサムズアップと共に全く同じ形状の鍵を掲げていた。
「~~~っっ、は!?」
思わず絶句するクリスだったが、あることに気付くと同時に真っ赤な顔で士郎へと振り向いた。
その意図を察した士郎は、両掌を見せるように上げながら首を横に振った。
「安心しろ、流石にオレは持っていない。……というか持ってたらヤバいだろ、一般的な良識として考えて」
「そ、そっか……」
その言葉に、クリスはほっとして(翼や未来との戦力差が著しい)胸をなでおろした。
が、しかし。
「あー。士郎、その事なんだけどね」
ん? と揃って横を振り向けば、身内しかいないほぼ無礼講の場においても一部の隙も無くスーツを着こなした端正な顔立ちの青年。
ツヴァイウィングの敏腕マネージャーにして二課所属のエージェント、そして凄腕の忍者であるという装者たちにも引けを取らない属性山盛りの漢、【緒川 慎次】その人である。
彼はその穏やかな人品を露にしている貌に苦笑を浮かべながら、手を広げた状態で上げられたままの士郎の指に何かを引っ掻けた。
それは丈夫そうな紐に通された平たく細長い金属の塊である。
というか、まんま鍵だった。
「それ、士郎の分の合鍵」
「「………なんでさ!?」」
図らずも、士郎とクリスが異口同音に声を重ねた。二人からすれば寝耳に水で、特にクリスからすれば水を垂らされて跳び起きた直後に追加でうなじに水を垂らされたようなものである。下手すりゃ心臓が止まりかねない衝撃だ。
それに対し、慎次は申し訳なさそうな苦笑を返す。
「実はクリスさんのこれからに関してなんですけど、クリスさんの処分については元々が了子さん……いや、フィーネに操られていたってことで情状酌量の余地ありな上、共に戦ってくれたこともあって恩赦どころか褒賞まで出せたんですが」
その辺りのセリフを聞いて、クリスが眉根を寄せて苦い顔になったのを士郎は見逃さなかった。
フィーネとの戦いや月の欠片の破壊などでまさしく八面六臂とも呼べる活躍を見せたが、そもクリス自身は今回の事件で暗躍する側の立場としても動いていた。
今でこそ皆で笑い合うことも出来ているが、翼や多くの人を傷つけてしまった事実は彼女の中で消えてはいない。
最後で帳尻を合わせたから問題なし、などといえるような性分ではないのである。二課に所属することを決めたのも、その辺りが無関係ではないだろう。
故に、そういう言葉は彼女からすれば複雑なものなのであろうが、慎次は説明には必要なこととして察してしまいつつも先を進める。
「それでも事件そのものの規模もあり、最終的には保護観察という形に落ち着きました。そこで必要になったのがその保護者役の存在です。
それでなくとも、クリスさんはまだ未成年ですからね」
「いやちょっとまて。話の流れからするとその保護者役ってのがアンちゃん……!?」
「はい、そうなります。
それに、士郎の引っ越し先のマンションってクリスさんと同じマンションですし」
驚愕の衝撃に顔を引きつらせるクリス。士郎の方に視線を移すと、彼も首を横に振っていた。どうやらこちらも初耳であるようだ。
先の戦いの折、市街にも大きな被害が出ていてその関係でいくつもの住居や施設が使用不可能に陥っていた。
そうした被害の中に士郎の住んでいたアパートも含まれていたのだ。
不幸中の幸いとして彼の私物のほうは概ね無事であったのだが、それでも転居は避けられず、仕事の合間を縫ってつい先日に新居を探し当てたのだが、それがまさかクリスと同じ場所だとは思いもよらなかった。
静かな驚嘆とともに慎次の方へと再び視線を戻せば、彼は申し訳なさげに小さく頭を下げる。
「事後承諾みたいな形になってしまったのは申し訳ない。けれど、僕も司令もこれからまだまだ忙しくなりそうだから他に頼める人員がいないんだ」
先ほども述べたが慎次は二課のエージェントとツヴァイウィングのマネージャーという二足の草鞋を履いている。
それだけならば士郎も似たようなものだが、彼の場合は単純な戦闘員である士郎に比べその任務は多岐にわたる上に、そもこれより世界に羽ばたこうとするツヴァイウィングの縁の下の力持ちなのだ。多忙の二文字で単純に片付けられるものではないだろう。
弦十郎に至っては、二課の長として本部機能が壊滅状態になっている現状からの立て直しに奔走している最中だ。こうして歓迎会に顔を出しているのも、つかの間の休息のようなものなのだろう。
それらを考慮すれば成程、ノイズが出てこない限りはリディアンが再開するまで雑用くらいしかやることのない士郎が適任には違いない。
「とはいえ、士郎が固辞するならこちらももちろん無理強いはしないけれども……」
「いや、こちらとしては否はないが」
それらを鑑みて、驚きはしたものの頷いて見せる士郎。しかしその視線は隣のクリスへと向けられている。
彼女はプルプルと肩といわず全身を震わせながら俯いていた。ともすれば泣き出しそうにも見えるが………士郎はなぜだか爆発寸前の爆弾を見ているような気分になった。
その直後、
「~~~っ、自由もプライバシーもどっっっこにもねぇじゃねぇかぁあああああ―――――っっ!!!」
ちゅど~~ん! という擬音でも背負っていそうな勢いで、クリスは思いっきり爆発したのだった。
「オイオイ、機嫌直せってば」
「………別に」
ややあって。
ふてくされたようになっているクリスを奏が笑いながらあやしていた。表現としては語弊があるかもしれないが、傍から見ると似たようなものである。
皿に山盛りに乗せたナポリタンを、モヒモヒと啜るクリス(何故かいつの間にかネコ耳を付けられている)を奏がヨシヨシと撫でていた。
他の面々も、それを苦笑しながら見守っている。
「アタシらもアンタが本気で嫌がってることはしないって、な?」
「………わぁーってるよ、そんくらい」
クリスはそっぽを向きながら頷いて返した。彼女とて、こちらが本気で嫌がれば遠慮してくれるだろうことくらいは察している。
………まあ、それはそれとして、知らぬ間に合鍵が渡されまくっていたことには言いたいことがあるが。
その辺りを察しているからこそ、拗ねている程度で済んでいるとも言えた。
そんな猫のようなクリスを愛でるように撫でながら、奏は笑みを深くした。
「まあ、なんだ。お前さんと仲良くできそうでよかったよ」
「そりゃどーも」
皮肉気に返して、先ほど以上にスパを多く頬張る。そんな様子に目を細めながら、奏は安心したかのように息をついた。
「これなら、心置きなく『向こう』に行けそうだな」
「……、ンム?」
耳に届いたその言い草に、クリスは何事かと振り返る。ナポリタンを頬が膨らむほどに頬張っているクリスの姿に奏が微笑まし気にクスリと笑みを漏らしていると、横合いから訊ねたのは士郎の方だった。
「イギリス、だったか。出発は何時頃になるんだ?」
「今はいろいろ調整中だけど、そうだな……来月の頭かそこらってところだな」
あっけらかんと。
いかにも軽い調子で言ってのけた。
かねてより、奏……ツヴァイウィングが海外へと羽搏く計画は聞き及んでいた。
その先駆けとして、学生である翼よりも先に奏が渡英するということも、同じく。
しかし、こうしてその時が目前に迫っているとなると、響は寂しさが際立つ思いだった。
「思ってたよりも早いんですね……」
「ん、まぁな。元々、事件が解決してくれればすぐにでも話を動かせるようにしてたからな」
思わず声が沈み調子になる響に対し、奏の方はやはり明るい。その様子に、気負いなんてものが全くないことがわかる。
……そうだ。憧れで、誇らしい先輩が胸を張って旅立とうというなら。
自分も、後輩として恥ずかしくないように……
そう思って、だから響は。
「………スゥ、っ!」
深く息を吸い込み、気合を入れるようにパシンと両頬を柏手のように音を立てて打ち鳴らす。
その様子に他の面々同様目を丸くする奏。そんな彼女をまっすぐ見据えて、
「奏さん!! 頑張ってください!! これからも、ずっと、応援してます!!!」
これ以上なく、力強いエールを
奏は呆気にとられたように何度か眼を瞬かせていたが、やがて再びその顔に笑みを浮かべる。
それも、先ほどまでよりもうれしそうな、飛び切りに輝く笑顔だ。
「おうっ!! あんがとな、響!!」
衒いなく笑いあう奏と響。そんな二人を眺めて周りの皆も同じく笑顔を浮かべている。
と、その時だ。
「―――ンク。……よく知らねーけど、イギリスに行くのか?」
「ん? おう。世界デビューの第一歩ってやつだ」
口の中のものを飲み込んだクリスに奏がそう答えれば、彼女は「そっか」と呟き、数拍を置いてそっぽを向いたまま、
「………出発まで時間があんなら、ちょっとくらい遊びに来てもいーゾ」
そんな風なことをぽつりと呟いた。
瞬間、その場の面々がそろって固まった。誰も彼もが、ポカンとした様子でクリスを見つめている。
返事がないことを訝しんだのか、振り返ったクリスがそれに気づいてぎょっとしてしまう。
「な、なんだよ!? お前ら!?」
何事かと、視線を左右に巡らせながら困惑するも、やはり意味が分からない。そんなにおかしなことを言っただろうかと、疑問符が頭の中に湧き上がってきたその時。
「―――、クリスちゃんが………デレた」
響が、呆然とした様子でポツリとそんな風な言葉を漏らした。
は? とクリスが声を漏らすも刹那。
「クリスちゃんが! あのクリスちゃんが!! とうとうデレた~~~~っ!!!」
「のわぁっ!!?」
満面の笑みとともに、半ば飛びつくように響がクリスの首根っこに抱き着いた。それはまるで、等身大のテディベアに抱き着くあどけない少女のようだが、やられているクリスからすれば突然のこと過ぎて訳が分からない。
振りほどく間すらなく、手にした皿と料理とフォークを落とさないでいるのが精一杯といった風に顔を赤くしながら目を白黒させている。
「い、いきなりなに言ってんだよ、おまえ!!」
「だってだってだって~~、あのツンツンツンツンツンツンしまくりのクリスちゃんがやっとデレたんだよ!!
これはもう記念日にして祝日になってもおかしくないレベルだよ~~!!」
「なんのことだ!? ってーかツンツン言い過ぎだ!!」
ぐりぐりと頬擦りをする響にクリスが身をよじるが、皿を手にしてるせいもあってなかなか振りほどけない。加えて、ダメ押しとばかりにさらに追加がやってきた。
「なんだなんだ~? お姉さんに甘えたくなっちゃったかぁ~?」
「なんでそうなんだよ!? あーもーやっぱりさっきのナシ!! オメーらぜってぇー来んなよ!!?」
前後に抱きしめられるクリスが再び爆発するが、なんかもうダルッダルにだれているような二人はべっとり貼りついて剝がれそうにない。
おそらく、響と奏の二人からすれば今までシャーシャー唸っては引っ搔いてきたニャンコが喉をゴロゴロ鳴らしながら足元にすり寄ってきたような心持を得ているのだろう。ちょうどネコミミつけてるし。
そうなればもう全力で構い倒すしか選択肢はないのである。
なんかもうひとかたまりの団子みたいにじゃれあっている三人(正確にはじゃれつく二人とじゃれつかれている一人)。
士郎がそんなまさに『姦しい』という漢字の成り立ちみたいな三人から視線を横にスライドさせて隣を見てみれば。
「「………」」
何とも言えない、憮然とした表情でそれを眺めている翼と未来の姿があった。
もしかしたら、やきもちを焼いているのかもしれない。
(………どっちに対して妬いているんだろうな、コレ)
ふと湧いてきた疑問を、しかし声に出さず胸奥にしまい込んでおくだけの判断は士郎にも出来ていた。
………なぜだかおっかないし。
【ある日の一幕】
(※ここよりしばらく、台本形式でお送りいたします)
未来「―――、と。お待たせいたしました。
私の料理修行の成果、皆さんご賞味ください!!」
響・奏・翼・クリス「「「「おぉ~~~!!」」」」
響「すごいよ未来!! みんなおいしそう!!」
ク「てぇか張りきったなぁ……奮発してくれたのはうれしいが、こんなに作っちまって大丈夫か?」
響「大丈夫です!! 未来の手料理、残りそうなら私が平らげます!!」
未「響、そう言ってくれるのはうれしいけど、あんまり食べたら太っちゃうよ?」
奏「いや、それもあるけどアタシはどっちかてぇと予算のが心配だよ」
未「そちらも大丈夫です。二課からのお手当もありますし……それに衛宮先生が材料をいくらか出してくれたので」
翼「士郎さんが?」
未「はい。先生が『ついでに目利きのほうも教えてやるって』……本当に、ありがたくも申し訳ないんですけど……」
奏「まあ、若大将のことだから、教えること自体結構楽しんでるんじゃないか?」
ク「………なあ、そこら辺のことは置いといて早く食おうぜ。
ってか、こっちのバカがまんまお預けされてる犬みたいになってんぞ」
響(じ~~~………)※よだれを垂らしながら凝視
未「まったくもう、響ったら……。コホン。
それでは改めまして―――どうぞ、召し上がれ!」
響・奏・翼・ク「「「「いただきま~~す!」」」」
………
………
………
全員「「「「「ごちそうさまでした!!」」」」」
響「あ~おいしかったぁ~」
翼「ああ。大したものじゃないか、小日向」
未来「フフ、ありがとうございます。お粗末様です」
奏「皿、運ぶの手伝うよ」
ク「アタシもやるよ。量多かったからな」
未「あ、ありがとう」
(ガチャ)
未「あ……」
士郎「―――ただいま。なんだ、タイミング的にはちょうどよかったみたいだな」
未「おかえりなさい、衛宮先生。……チビちゃんの予防接種、どうでした?」
士「ああ、獣医さんも感心するレベルでおとなしかったぞ。……野生がなさ過ぎて逆に不安になってくるんだが」
未「あはは。今日はお部屋を貸してくれてありがとうございます。
寮のほうはまだ片付いてなかったから……あ、上着の方、掛けておきますね」
士「ああ、ありがとう。部屋のほうは気にしないでくれ。
気になったところとかあったら、後で何でも訊いてくれ」
未「はい! ならそっちは遠慮なく」
士「そうだ、せっかくだし紅茶でも淹れようか?
ついでにうまい淹れ方教えてやるよ」
未「いいんですか?」
士「ああ。こう見えて、本場英国仕込みだぞ」
未「へぇー。それならお言葉に甘えて、勉強させていただきます」
士「おう!」
奏(………なんか、
士「あ。せっかくだ、翼。
あとで皿の洗い方とか片し方とかちょっと教えてやるっていうかこっち来て覚えろ。
つーか掃除全般ちゃんと覚えていけ?」
翼「っっ!!?」
奏(こっちは残当)
【いつかへの欠片】
ルナアタック事変。
櫻井 了子……フィーネが引き起こした一連の事件はその名で以って纏められ、多くの日数をかけてようやく収束の目途が立ちつつあった。
その内の一つが特異災害対策機動部二課、その仮説本部の設営である。
仮説と頭についてはいるものの、その実は言葉ほどおざなりではない。
新造された次世代型潜水艦を母体とし、医療施設や居住区、さらには福利厚生に則ったのか娯楽施設まで設けられている。
無論、本来の二課の任務に関わる機能もまた潤沢である。ノイズの検知システムにシンフォギアシステムの各種バックアップといった従来の機能を、潜水艦という箱で以って高い機密性と機動性を付与せしめたのだ。
あるいは、かつての二課よりもさらに強化増強されているともとれる厚遇さである。
おそらくその背景には、ルナアタックの解決よりしばらくして公けに発表された米国との協調路線に基づくものがあるのだろう。
或いは件の事件においても広木防衛大臣の暗殺をはじめとした暗躍を怪しまれていたが、それがこうして手に手を取る流れとなったのは国内外での非難と聖遺物を巡る様々な思惑が複雑に絡み合った結果である。
それらを考えれば、忸怩たるものがないわけではないが、しかし。
(………ただそう考えていられるだけってだけで、オレは気楽なご身分というやつなんだろうな)
士郎はため息を内心で噛み殺しながら、目の前のシリンダーを見上げていた。
手持無沙汰とはいえ、少々思考が無意味に自嘲気味なのはどうかとも思う。
彼が今いるのは、仮説本部内の重要区画の一つ……聖遺物の保管庫だ。
緊急脱出時には司令部ごとパージされる部分でもあるここは、あるいは機関部以上に心臓部と呼べる場所かもしれない。
そんな場所で彼が見ているのは、羚羊のそれを彷彿とさせる角のような意匠の完全聖遺物だ。
―――【ギャラルホルン】。
北欧にて神々の黄昏を告げる角笛の名を冠した器物。
衛宮 士郎をこの世界へと誘っただろうモノ。
今は完全に沈黙しているそれは、瞳にも見える装飾の宝玉を照明の反射だけで鈍く煌めかせている。
「士郎、準備ができたぞ」
「ああ、わかった」
背にかけられた声に、応答してから体ごと振り向く。それでギャラルホルンへの関心はこの場ではきれいさっぱり拭い去る。
そう、そもそも今回この場に来ているのは、ギャラルホルンとは全く関係のない事柄によるものだ。
それが何かというと、あるものの収容……より正確に言えば封印のための作業である。
すでに弦十郎をはじめとした装者を除く二課の主だった中心メンバーはそこに揃っており、それを見下ろしていた。
「……―――」
作業用の台の上、数十cm四方の金属の
それは淡く黄金の光を放つ、砂とも砂利ともつかないものの寄せ集めだ。
士郎は確認するようにひとしきり見つめると、視線を弦十郎へと移して頷いて見せる。それに対し弦十郎も頷きを返して、
「始めてくれ、朔也」
「了解です」
指示を下せば、朔也がコンソールを手早く操作し始める。すると甲高い駆動音とともに匣がその蓋を閉じていく。
ややあって両掌からはみ出る程度の直方体となった匣の上面、その面積の大半を占める黒い部分に士郎が右の手のひらを押し付ける。
すると再びの駆動音とともに掌に下から浴びせかけるように光のラインが幾本も上下に走り、細かい格子模様を描くと一気に緑色に輝いて、そして元の黒色に収まった。
「掌紋、静脈パターン、並びに各種バイタルデータ登録完了。以降、この匣は士郎かマスター扱いになってる司令の認証がない限りは開くことはありません」
「ご苦労………士郎、本当にいいんだな?」
最後の確認として、こちらに問いを投げかける弦十郎。それに対し士郎は間を置かず首肯して返す。
「ああ。そもそも外に出していても使い道はないくせに、対外的な危険度だけは無駄にでかいからな」
言いながら、その眼差しは匣から逸らされることはない。すでにそのうちにしまい込まれたソレを、今なお見つめているかのように。
事実、士郎は匣に収められているモノの存在を比喩抜きで感じ取っていた。―――そこに繋がれているパスで以って。
アヴァロン………否、
匣に収められたのは、回収されたその破片だ。
元は士郎が投影した宝具であるからか、千々に砕けた後も士郎はそれと自分との間に魔力的なパスが通っていることに気づいていた。
そしてシンフォギアのシステムを通してアームドギア化を果たしたためか、それは真名を開放した後も霧散することなく残っている。
奏がギアを解除した後も物質として残り続けているのは宝具とシンフォギアの融合ともいえる存在であるためか否かは判然とはしなかったが、これ自体は響の例もあるためにさほど不自然には取られなかった。
しかし、問題はその後である。
平行世界の神秘である宝具の贋作が、シンフォギアの力によって具現化されてこの世に残っている。
つまりは、二つの世界の神秘の融合体ともいえ、聖遺物という
聖鞘の権能を思えば或いは癒しの力くらいは宿っているのかもしれないが、しかし了子という存在を欠いた二課にこれを有効活用するための技術的リソースは存在しなかった。
かといって、放置するわけにもいかない。結果、こうして封印する運びとなったのだ。
あおいに抱えられ、部屋の一角へと運ばれていく様をつぶさに見つめる。
持ち込まれる先には、匣を納めるべきスペースがポッカリと口を開けて待ち構えていた。
壁全体がまるで蜂の巣のように個別の保管スペースの集合となっている様は、金庫というよりもどこか死体安置所を彷彿とさせられて、背すじが薄ら寒く感じる。
「いつか、これを扱う術が見つかって、そして真実それが必要になる時が来るのかもしれない」
そのために。
こうして残し、保管すると決めた。
深く、硬く、重く。
さながら、
だが―――いや、だからこそ。
彼はあることを祈らずにはいられなかった。
「………、」
見守る先で、匣が壁から引き出された台座の上に納められる。
そうしてあおいがすぐ横のコンソールを操作すれば、それらは壁の中へと飲み込まれていく。
まるで奈落へと沈めていくような心持ちになりながら、抱いた祈りをひときわに強く胸に抱く。
そう、願わくば。
「………そんな日が、来なければいいんだけどな」
ガコォン、と。
硬く、重い音を伴って匣が完全に封じられる。
その音が、士郎の耳朶の奥で妙にこびりつく。
―――なぜだかそれが、叶わぬ願いを嘲笑う人ならぬものの哄笑のように思えてしまった。
【新たに続くもの】
「それじゃあ、先に上がらせてもらうよ」
「あ、はーい。お疲れ様でーす」
翌日の仕込みを終え、締めの掃除当番とそんな言葉を交わしながら士郎は職場を後にする。
身支度を整え、裏口から外に出る。振り返り見上げれば、聳え立つのは真新しい近代的なデザインの白亜の城ではなく、歴史と風格を感じさせるどこか修道院じみた雰囲気の学び舎だ。
その年季のある建物の窓へ顔を向ければ、ガラスの向こうに生徒の姿がちらほらと見受けられた。
大道具の資材めいたものを抱えている者もいるのは、おそらく近くに行われる学園祭の準備だろう。
それを懐かしいと思ってしまうあたり、やはりどうしても年は取ってしまっているということか。
「残暑もようやく抜けてきた感じだしなぁ……時間がたつのは早いな」
そう、暦の上ではとうに秋。
ルナアタック……そう呼称されるようになったフィーネの事件からすでに3か月余りが過ぎようとしていた。
リディアン音楽院の引っ越しは生徒たち含め恙なく行われ、今は新たな学び舎での新学期が始まっている。
生徒の総数はかつての六割ほどまで減ってしまったらしいが、それでもこうして見ている分には活気が取り戻されつつあるように思えた。
また新たなスタートを切るにあたり、『シンフォギア装者候補の選定』をはじめとした実験目的の側面はその機能を凍結され、将来的には廃止の方向へと舵が取られている。
つまり、今は完全にまっとうな学院になっているということだ。
そしてその動きを主導した特異災害対策機動二課の方はというと、こちらも既に活動を再開していた。
具体的に言うと、明日にはルナアタック事変で残された完全聖遺物【ソロモンの杖】の護送任務に就く予定である。
その護送先は山口県は岩国にある“米軍基地”だ。
これもまた現政権の方針である米国との協調路線の一環であるのだが、士郎からすればそれが無辜の人々の安寧に繋がることを祈るばかりだ。
(しかし国際情勢、ね。単純に刃を振るえばいいってもんじゃないことは理解してるつもりだったが、こういう形で実感することがあるとはな)
もとより、表の世界に関わるはずのない魔術使いであった身(……といっても、士郎はそこから逸脱しかけていたからこそこの世界へと排斥されたわけなのだが)。
それが国際社会のパワーゲームを意識する羽目になるとは、この世界に来て三年目を迎えようとする身でも慣れる気はしなかった。
もっとも、慣れようが慣れまいがその辺りに士郎が直接どうこうすることはまずないので、関係がないといえば関係はないのだが。
(その分の苦労を弦十郎が背負ってるのを見てるしかないからな……きついっちゃぁきついんだよなぁ……)
一兵卒でしかない士郎と違い、組織の長である弦十郎は相応の重責と苦労に日々奔走していた。その様に『自分はそうでなくてよかった』などと単純に安堵できないあたりが士郎らしいといえばらしい。
そんなことをつらつらと考えつつ、学院から出て歩き始めればほどなくして街の大通りに入っていく。
かつてはそこかしこで廃墟然とした有様を晒しており、今もそこかしこで復旧や補修の工事が行われている様子は痛ましく見える。だが、まるで傷跡が治癒するかのようにその規模が少しずつ少なく小さくなっていく光景は、人々の逞しさを象徴しているかのようで士郎からすれば我がことのように嬉しくもあった。
と、そんな街並みを彩る化粧のように、至る所にある広告が形や大きさを変えながら打ち出されていた。
「ねぇねぇ、いよいよ明日じゃん!! 【QUEENS of MUSIC】!!」
「あ~、あたしチケット取れなかったんだよなぁ~」
広告用の大型液晶パネルに表示されたソレを見上げながらの、そんな会話が聞こうともせず流れ込んでくる。
【QUEENS of MUSIC】。
風鳴 翼と、ここ数か月で急激に名を挙げた新進気鋭のアーティスト【マリア・カデンツァヴナ・イヴ】の二人によるコラボレーションライブ。
日本のみならず、世界各国に生中継されるという大歌謡祭に、世間は早くも賑わいを見せていた。
ちなみに何故ツヴァイウィングではなく翼の名前なのかといえば、奏はスケジュールの都合で不参加となってしまったからだ。
渡英した奏は海の向こうでもそのアーティストとしての力を存分に発揮し、今では向こうでもこちらと変わらない……あるいはそれ以上の人気を不動のものとし始めている。
ソロとしての活動もそうだが、一度あちらで行われたツヴァイウィングとしてのライブはそれに輪をかけての好評を得ていて、翼の海外デビューも今から期待が多く寄せられていると、慎次から我がことのように嬉しそうに聞かされていた。
もっとも、その必然として今の彼女はとても多忙な日々を過ごしており、士郎たちとて最後にあったのは二週間も前だった。
故に今回のライブについても、リハーサルなどの十分な練習期間をとることが難しいとのことでその出演が見送られる形となったらしい。
それを残念と心から嘆く声も当然ながら多く挙げられているが―――
「……なんにせよ、翼には実りの多い経験となってくれりゃ言うことはないんだけどな」
なにせ、名を連ねるマリアはすでに世界を又にかけるトップシンガー。
純粋な芸歴で言えば翼のほうが長いものの、立っているステージで言えば向こうのほうが先達であるともいえる。
いずれは彼女も同じ場所に台頭していくだろうことは確実なので、戦友として肩を並べる士郎としてはこれがその後押しになってくれることを願うばかりだ。
(―――なんて、偉そうに言うもんじゃないか)
思わず、苦笑が漏れる。
心配せずとも、翼ならば大丈夫だろう。そう思いつつ、むしろ気を付けなければいけいないのはこちらのほうかもしれないと戒める。
【ソロモンの杖】の護送には士郎と響、そしてクリスが就くことになっている。
戦力として見るならば過剰かとも思えるが、なにせ物が物、用心をいくら重ねても無駄にはならない。
(クリスのほうも、だいぶ馴染んできたしな)
日々の訓練の姿や学校生活の様子などを思い出し、笑みが漏れる。
クリスとは現在、同じマンションの隣同士となっていた。
保護観察の必要も先月まででおおむね終了となっている。本来の規則とは違うかもしれないだろうが、元々が非公式なものだ。それまでの彼女の振る舞いや二課内での活動が正しく評価された成果である。
そしてそれ以後も、お隣さんとしてそれなりに仲良くやれていた。日によっては彼女を夕食に招くこともあったし、こちらの都合によっては飼い猫の世話を頼むこともあった。
そういう意味では、良い意味で持ちつ持たれつであるといえるのではないかと思う。
また、学校生活のほうも順調なようで、最近では幾人かの仲の良い友人もできたらしい。もっとも本人は戸惑っているのかそれとも気恥ずかしいのか、逃げ回っていることが多いようだが。しかし、同時に満更でもないようにも思えた。
彼女の半生を片鱗でも知る身からすれば、憚ることなく謳歌してほしいと心から祈っている。
そして―――
(立花……)
最後の一人を思い浮かべ、その顔にわずかな陰が差す。
ルナアタックの影響が落ち着いた後、フィーネとの決戦を始めとした様々なデータから響のギアについてある種の特性が判明した。
それは『手を繋いだ相手との力を束ねる』というもので、奏が【
最近ではそれを意識した訓練も行っており、それこそ絶唱を用いたフォーメーションも模索している。
その成果は少しずつではあるが形を成しつ つあり、まだまだ響自身への負担が大きいものの、それでもかつてに比べれば命の危険はだいぶ少なくなったものになってきている。
巻き込まれ、戸惑いながら翻弄されるがままであった少女は、今では己の意志で立ち、自ずからの決意によって歩き出している。
―――それは、良いことであるはずだ。
しかし。
(………なぜだろうな。アイツが力を振るうことに、妙な胸騒ぎのようなものを感じるのは)
単純に戦ってほしくないから、というだけではない。それだけならば、表に出していないだけで他の者に対しても抱いている。
だが、それだけではない焦燥感が胸の奥で蟠っている感覚がある。まるで、灰の中でチロチロと静かに赤く燃える炭に炙られているかのようだ。
その懸念に心当たりがあるかと問われれば―――一つ、ある。
(融合症例……立花だけが有する、特異な性質)
実のところ、いまだその詳細については未知数であるところが多い。というより、櫻井 了子という無二の人材を喪ったことにより、完全なブラックボックスといっても過言ではない状況だ。
今のところは異常はない。少なくとも、本人にその自覚はないようではある。
それでも、何かが引っかかってしまうのは単なる考えすぎで流して良いのだろうか。
(実際、杞憂で済んでしまえばそれに越したことはないんだがな)
小さなため息とともに、ネガティブな考えを抑え込む。
つらつらと考えているうちに、マンションの自室の前までたどり着いていた。
そうして鍵を開け、ドアノブに手を変えたところで、
「―――………、」
士郎は、にわかに動きを止めた。
その表情が、真冬に外に晒した鉄塊のように冷たく感情が抜け落ちていく。
ほとんど音を立てず、ドアを開いて慣れ親しんだ自室の内をのぞき込む。
「………、」
違和感が、確かにある。
しかし、気配はない。一歩、二歩と足を踏み入れ、更に進んでリビングに入るころには、確信をもって部屋の中には士郎以外の誰もいないことを確信する。
―――そう、士郎を除いて何一つとして息遣いはない。
「―――む」
そうして、気づく。
最大の異変として、確かになかったはずのもの。あるはずのない物品が。
それは、テーブルの上に置かれた一枚の紙きれ。
B4サイズ程度の大きさのそれを、士郎は摘み上げ、眺めて、呟く。
「………置き手紙、か?」
***
この瞬間。
衛宮 士郎は次なる戦いの
その事実を知る由もなく、自覚する術もないままに。
だが、仮に知っていたとしても彼のその歩みが変わることはないだろう。
今までのように、いつものように。
「………………どうして、ですか?」
例えそれが―――
「どうして………どうして! そっちに立っているんですか!? 衛宮さんっっ!!!」
―――望まぬ別離と、対立が待ち受けるものであったとしても。
というわけで、同日二連続更新一つ目。
茶番というか補足話。
……おかしいな、本当なら『絶唱しない』系のユルい小ネタ集だったはずなのに……やっぱりコメディは難しい。
というわけで、各節さらっと振り返り。
・ある前兆、もしくは衛宮先生のためにならない話
奏にアヴァロンを埋めなおす話。
それと魔術回路についての云々。
27話で奏の体に浮かんでた五線譜はこの伏線。
これで奏がLinker使わなくなる理由が作れたな!!
……そこ、苦しい言い訳とか言わないで。(汗)
未来に関してのあれやこれやは8話あとがきで言ってたことのリベンジというかリトライというか。
・歓迎会と合鍵
前半は『絶唱しない』が元ネタ。
後半は第二期開始時の奏についての補足。
そしてデレながらも結局照れてツンツンするネコミミクリスちゃんは可愛い。(確信)
・ある日の一幕
一番の蛇足……に見せかけて実は士郎と未来の関係や絡みの補足だったり。
多分、描写外のところで結構親しくしてたりします。
・いつかへの欠片
アヴァロン・イマージュに関する補足。
これが物語の本筋に関わるのはものすごく先の話だったり。
・新たに続くもの
総合的な補足と、第二期への直接的な繋ぎ。
最後の置手紙はいったいだれのしわざなんだ……。(笑)
といったところでっこの辺で。
雑談に関しては二話目の方で。
それでは引き続き楽しんでいただけたらありがたいです。