戦姫絶唱シンフォギア赫鋼―アカガネ―   作:樹影

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4:After, 'Dead end'/世に悪の種は尽きねども

 

 

「フ~フフ~フ~フ~ン………♪」

 

 自身に割り当てられた一室で、白衣の青年がご満悦に鼻歌を垂れ流していた。

 ドクター・ウェルだ。

 研究資料か論文か、はたまたメモ書き程度の代物か。ともかく余人には判別しにくい書類を雑多に机や棚に散らばらせ、床にはそれ以上に菓子類のゴミを散らかしている。

 そんなある意味で個人の色に染まりきった空間の中心で、彼は熱心にモニターを眺めていた。指は高速でキーを叩き続けていたが、そうでなければコーラとポップコーンでも抱えていたかもしれない。

 

「フフフフ、元気に育つんですよぉ~?」

 

 まるで育ち盛りの子供かペットにでも語り掛けているような言葉だが、その割には声音にはギラついた響きが強く含まれている。

 モニターの中ではリアルタイムのとある映像が映し出されている。

 その姿は、まさしく異形。濃灰色をした短い手足の肉の塊が、よたよたと蠢いていた。カメラ映像の横には、現在の状態をゲームのステータス画面にも似たパラメーターが細かく更新を重ねていた。

 

 異形の名は【ネフィリム】。

 これこそ、マリアたちが【QUEENS of MUSIC】を利用して覚醒を目論み、結果としてそれを果たした『完全聖遺物』である。

 得体のしれない甲殻に覆われた胎児か蛹のような姿であったはずだが、今ではその面影はほぼ残っていない。その大きさも、手のひらからはみ出る程度のものだったのが、現在では小型犬ほどの大きさにまで()()していた。

 

「覚醒してたったこれだけの時間でここまでの成長速度とは……やはり()()()なだけはありますねぇ」

 

 小さな驚嘆を含ませて、誰ともなしに皮肉を吐露した。

 

 たしかに、ネフィリムは覚醒し起動を果たした。しかし、それだけでは足りないのだ。

 その生物然とした姿そのままに、成長させる必要がある。問題はその糧―――餌となるもの。

 

 そう、ネフィリムは食事をする。排泄までしているわけではないので、厳密には食事とはまた違うものであるかもしれない。とにかくその牙で噛み砕いたものを取り込み、摂取することで本物の生物と同じように己が滋養に変換できる。

 そしてネフィリムが喰らうもの………それは先史文明がその技術で創り上げ、現代にまで残された遺産。

 ―――即ち、『聖遺物』。

 完全なものである必要はなく、欠片でも構わない。そこに含まれるエネルギー(フォニックゲイン)か、それとも先史文明由来の技術そのものか。

 いずれにしろ、ネフィリムはそういったものを喰らうことでその身を大きく強く変化……あるいは進化させていく。

 その先にこそ、彼らの目的はある。正確には、そこに繋がる。

 

「まあ問題はありますが……()()()()()()()()()

 

 殊更に口元の笑みを深めて歪ませる。そこには、むしろそうなることを望んでいるかの様な不気味な響きが含まれていた。

 と、その表情がスゥッと冷めていく。一瞬前の上機嫌などなかったかのように、忌々し気に鼻を鳴らした。

 

「それにしても、あのオバハンも余計なマネをしてくれるものだ」

 

 余人の目がないからか、最低限の口調すら取り繕うことなくその地金を晒している。

 その台詞の割に、彼の脳裏に浮かんでいるのは車椅子の老賢者ではなく白髪の青年の姿だった。

 

 衛宮 士郎。

 特異災害対策機動二課に所属する戦闘員。

 その二課に潜り込んでなおその詳細を知り得なかった謎の男。

 曰く、【魔術】なるものを使う者。

 そしておそらくは、シンフォギア装者と同じ―――ルナアタックを食い止めた()()()()()の一人。

 

「………っっっ!!」

 

 直後、ドクター・ウェルは明らかに衝動的といった様子で拳をデスクに叩き付けた。

 積み重ねられた書類がバランスを崩して雪崩のようになり、それに押されて紙コップが取っ手付きのプラスチックホルダーごと床に転がっていく。中身が空でなければ、それなりにひどいことになっていただろう。

 拳を叩き付けたままの姿勢で、顔を俯かせて息を荒げている当人にそれを頓着する余裕があるかは別として。

 そのまま俯き、堪えるように肩を震わせる。

 時折響く固いもの同士が擦れる鈍い音は、歯軋りによるものだろうか。荒い息遣いと共に漏れるそれは、余人が聞けばまるで耳を通して頭蓋の内側を引っ掻いているかのように耳障りに感じるだろう。

 そうして、ややあって。

 息を吐き、握りしめて硬直させていた拳を解きながら顔を上げた。

 

「…………フハッ。まぁいいさ。その程度、気にすることなんかこれっぽっちもない」

 

 その表情は、笑顔。取り繕う必要など微塵もない空間で、口の端を大きく歪めて吊り上げている。

 そうしてそれまでの煮えたぎるマグマに蓋をしたかのような不機嫌さから一転、今度は堪えきれなくなったかのように身を揺らして笑い始める。

 否、正確には違う。確かに、彼は喜悦とも歓喜ともつかない様子で笑みを漏らしている。だが、それで憤怒が塗りつぶされているのではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 一つのパレットの上で、二色の絵の具を混ざらないよう同時に広げる様に。

 

「ハハ、ハハハ………フフフハハハハハ!! そうさ!! あんなヤツ! あんなポッと出なんてどーでもいい!!」

 

 叩き付ける様に、当たり散らすように、立ち上がりながら誰に聞かせるでもなく言い放つ。

 二つの感情を、同時に発露させること自体は珍しくもなんともないだろう。しかしここまで明確に、二つの感情をそのままに発するというのはさすがに不自然であるだろう。

 それをごく自然に成し得ている理由は一つ。そのどちらともが、もっと根幹の共通した部分より生じているからに他ならない。

 

「ハハハ、ハハハハハハハッッ!! あんな男よりも!! あんなメスガキどもよりも!!

 ボクの方が!! このボクこそが!!

 ………ヒ、ヒヒ、アァ―――ハハハハハハハハハハハ――――――ッッッ!!!」

 

 眼鏡の奥でギラつく瞳。その奥にある魂すらも染め抜く概念(イロ)の名は―――狂気。

 その叡智も、理性も、喜怒哀楽も。

 彼という人間を構成するあらゆるものが、それに染まりきっていた。

 

 それを、マリアたちはまだ知らない。

 その片鱗こそ感じ取ってはいたものの、本質的な部分を何一つ理解できていないままに彼を必要だからと身の内に引き入れていた。

 いや、仮に知っていたとしても変わらなかったかもしれない。

 結局どんな毒も、被害という実例がなければ認知のしようがないのだから。

 

 

 

 狂科学者(マッドサイエンティスト)狂笑(わら)っている。

 防音の整った自室の中で、まるでカプセルに封入された劇物のように。

 ―――その狂気(どく)が溢れ出した時、侵されるモノが何なのか。

 それはまだ、定かではない―――。

 

 

 

***

 

 

 

「それにしても、驚かないのね?

 まさか予想してたの?」

 

 キョトンとした表情を浮かべ、月読 調の姿をしたフィーネが小首を傾げた。

 ()()が小柄な少女のため、一見すれば可愛らしくもある。しかしボタンを全て外してヘソから胸の中心まで露わにしている様や、端々の所作が外観にそぐわぬ艶やかさを醸し出してもいた。そのため、士郎からすればどうにも違和感が強すぎた。

 気疲れしそうなギャップの塊に、士郎は思わず半眼となってしまう。

 

「いいや、十分驚いてる。少なくとも本物のお前がその子の体で現れるなんてのは、予測しろって方が無理だろ。

 ―――ただ、マリアの方は十中八九ウソだと踏んでただけだ」

「へぇ……」

 

 先のマリアの姿を脳裏に浮かべながらそう答えると、フィーネが興味深げに目を細めた。

 その瞳は、言葉なくその先を急かしている。どうやら研究者気質は櫻井 了子とは関係なしに彼女自身の気質であるようだ。

 

「話している最中のマリアの様子は、思いつめてはいるようだが平静ではあったからな。

 ………そうだとわかるほどに己ではないナニカに精神を蝕まれているにしては、逆に不自然だろう」

 

 そう、確かに表情こそ凍らせたように固まってはいたものの、その様子自体は平静といえるものに見えた。己以外の存在に、明確に己を食いつくされんとしているにもかかわらず。

 普通ならば発狂し、或いは精神を直接殺される恐怖に取り乱していてもおかしくはない。むしろそれが普通だ。

 或いは一種の狂信かとも疑ったが、それにしたって殉教者じみた陶酔や興奮は見られなかった。後者であるならば、むしろそれは名誉と考え、誇るかのように曝け出しているはずだ。

 そのどちらでもないならば、まずブラフを疑うのは思考の流れとしては自然だろう。

 

「無論、それだけじゃ理由としちゃ弱いがな。

 彼女のがその精神力でそういった恐怖を抑え込んでいる、とするならばありえないことじゃない」

 

 ならば、考えの裏付けとなったのは何か。

 士郎の視線は、フィーネから横へとずれていく。

 向けられた先は、部屋の出入り口……正確には、そこにいる人物だ。

 

「もう一つの理由はあなたの存在だよ、ナスターシャ」

「っ」

 

 士郎の指摘に、驚いていたままのナスターシャがさらに息を呑む。

 しかしそれもほんの一瞬。彼女は深く息を吐いて改めて室内の二人へと向き合った。その左だけの瞳にはすでに動揺は消え失せ、立ち向かう強い意志が光と宿っている。

 

「………理由をお聞きしても、ミスター?」

「単純な話だよ。あの場を取り仕切っていたのがあなただったからだ。

 フィーネの名を冠し、その本人だというマリアを頂いていながら、あなたは形式ですら彼女を上においての言動をしていなかった」

 

 そう、今朝がたの会話の主導権は完全にナスターシャが握っていた。これがマリア(フィーネ)を立てておいての頭に『実質上』と付くならまた話は違っただろう。

 しかしそうした素振りもなく、あたかも集団の頭領として振舞いながら他の面々もそれに疑問を抱いている様子はなかった。

 

「もしフィーネが目覚めて動き出したのだとしたら、そんな風にイニシアチブを取られることを是としているはずがないからな」

「まあ、それはそうね」

 

 当のフィーネ本人から肯定され、士郎の表情が複雑そうに歪む。

 とはいえ、ここまでは根拠としては若干薄い。可能性としては考慮に値するだろうが、確たるものとは言い難かった。

 それらを踏まえた上で、士郎が確信に至った理由が別にある。

 

「最後に、一番の理由は………」

 

 僅かに言い淀み、フィーネを一瞥する。瞳を黄金に煌めかせる女怪が、愉し気に目を細めていた。

 ()()がそこにいるという事実に心底辟易したようにため息を挟んで、士郎は観念したかのように口を開いた。

 

「本当にフィーネが、自身がそうであると自覚するほどに目覚めていたというなら―――」

 

 その叡智と執念を、ほんの片鱗でも組み込んでいたのだとしたら。

 

「起こした計画が、あんなお粗末な代物になんてなっているものかよ」

 

 士郎は、この世で何よりも苦いものを噛みしめたような顔で、すぐそこにいるかつての宿敵への賛辞を贈った。

 それは、ルナアタック事変の一連の出来事に関わり、同時に図らずもマリアたちの決起の一部始終を俯瞰的な立ち位置で眺めることができた士郎だからこその比較して下せた評価だった。

 

 確かに、士郎たち二課の面々はルナアタック事変においてフィーネの野望を阻止できた。

 しかしそれはあくまでも『月の完全破壊』という最終目的を阻止できたという最後の一点においてのみであり、それすらも現在の痛々しい月の姿を見れば完全勝利とは間違っても口に出せない。

 そしてそれまでの過程においては最早言うに及ばず。

 二課はフィーネの暗躍に対し常に後塵を拝し続け、挙句多大な被害を被った上でようやく辛勝という形に漕ぎつけることができたのだ。

 

 それに対し、過日のマリアたちの決起はどうであったか。

 なるほど、確かに彼女たちは二課を翻弄しその目的を果たしたかのように見える。

 だが実際は想定外の事態や予想外の要素に対し、相手にとって未知な存在をぶつけることで辛うじて対処できたに過ぎない。

 例えばそれは、マリア・カデンツァヴナ・イヴと第三のガングニールのシンフォギアという組み合わせであったり。

 或いは、マリアの救援に現れた月読 調という新たな装者の存在であり。

 さらに言えば、S2CAという切り札を切らざるを得なかった増殖型ノイズの召喚であったりだ。

 響たちの側から見れば相手が多様な手札で翻弄しにかかったようにも映ったかもしれない。

 しかし外様から見ていた士郎からすればなんてことはない、ただその場に合わせて手札を切って何とか凌いで見せたという方が正しい。切った手札が奇跡的なほど状況に合致していた辺り、その時のマリアたちの運は神懸かっていたと言えたかもしれない。

 

 無論、長い時間をかけて慎重に事を進めていたフィーネと単純に比べられるものではないだろう。

 しかしそれを差っ引いても、マリアたちの行動が杜撰に過ぎるものであることは否めなかった。

 

「あら、そんな風に褒められるとちょっとだけ面映ゆいわね」

「………正直、褒めたくなんてないんだけどな」

 

 照れ隠しのようにも聞こえるフィーネの笑みを含んだ声に、士郎は憮然とそう返した。

 どうにも今の彼女の口調や纏う雰囲気が、戦った時よりも『櫻井 了子』として接していた時分の頃に幾分か近く感じられる。そのことに、士郎は複雑な感情を胸に抱かざるを得なかった。有体に言って、調子が狂う。

 へばりつく様なそれを拭う意味も込めて、今度は士郎の方から疑問をぶつけに行く。

 

「それで、お前の方こそ何が目的なんだ?」

 

 ナスターシャの反応から、彼女たちの計画にフィーネ本人が組み込まれていたわけではないことは察せられた。

 だが、ここにこうして現れた以上は何がしかの目的成りがあってしかるべきだ。

 或いは、この状況に便乗しようとでもいうのか。

 そういった疑惑を眼差しに乗せて睨みつければ。

 

 

 

「え? ()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 あっけらかんと。

 全否定された。

 

「―――、………なに?」

 

 余程に予想外であったのか。

 幾ばくかの間を置いて、絞り出すように士郎の口から出たのはそれだけだった。

 そんな彼に、フィーネは矮躯の肩を竦めて見せる。

 

「今回の件に関してアナタが危惧するようなことはしてないし、するつもりはない。

 ………そもそも、私はもう本当なら目覚めるつもりもなかったんだしね」

「っ!? それは……」

 

 どういうことだと、新たな疑問が沸き上がる。

 転生無限者―――それに類する、肉体(にく)ならぬ精神(たましい)に因って在り続けるモノ。

 自らをして〝永遠の刹那〟に坐す存在と定義づけた、()()()()()()()()()()()()

 永劫を生き続けるために、無限の生と死を折り重ね続ける求道者。

 ただ一つの願いを叶えるためだけに、他の全てをかなぐり捨てた不滅存在(イモータル)……それがフィーネだ。

 その根源とも言えるのは、余人が決して理解できない―――否、到達し得ない妄執だ。

 しかし今の言葉を信用するならば、それはその妄執を捨て去ったとも聞こえる。

 それは単純な改心なんてものではない。その存在そのものを思えば、或いは自殺にも等しい選択なはずだ。

 もはや同様と混乱を隠せない様子の士郎に、フィーネは眉を下げた笑みを見せた。

 

「信じられない? なら頭に『立花 響が生きている間は』とでも付けましょうか?」

「立花が?」

「ええ。……それでも信用できないって言うなら、いっそこの首を落とす?」

 

 些か冗談めかした言い方にしては、その言葉の内容は笑えない。或いは、彼女からすれば本当に痛痒のないことなのかもしれない。

 また士郎としても最早そのつもりはなかった。ここで器である『月読 調』の体を(こわ)したところで、また別の人間(うつわ)に乗り換えるだけである。それならば、存在を把握できる現状の方がまだしも安心できた。無論、彼女から敵意や戦意といったものを微塵も感じられなかったというところが大きいが。

 

(しかし、『立花が』……か)

 

 ふと、脳裏にかつての戦いでの最後の姿が思い浮かぶ。

 最後に響と言葉を交わしたフィーネは、遠目からではあるがどこか憑き物が落ちたかのような、少なくとも恨みを残したような様子ではなかったように見えた。

 それは、今こうして話したことで確信へと変化していた。

 おそらく、恨みつらみの類ではないだろう。或いは、その頑なさが悠久とも言える年月を経て在り続けた妄執を揺るがしたとでもいうのか。

 

(いずれにしろ、大したものだ)

 

 ここにはいない年下の同僚の溌剌とした笑顔を思い浮かべ、士郎は半ば呆れを含ませたような感嘆を喉の奥で小さく唸らせた。

 しかしそれならば、新たに問い質さなければならないことも浮かび上がる。

 

「二度と目覚めるつもりはないと言っていたな。なら、どうして今ここにいる?」

「ああ……直近で超抜級の高出力フォニックゲインを感知したことでシステムが活性化したのよ。それでなくとも、当人がシンフォギアを扱っているせいで干渉は常に受けている状態だからね。

 もっとも、それだけなら私の方で起動をキャンセルし続けることもできたのだけれど……見知った顔同士が、珍しい組み合わせになってるのを見て少し興味がわいてね。

 この体の持ち主が眠っている間に少し体を借りてるのよ」

「、待て。()()()()()()()、だと……?」

 

 静かに、驚愕を浮かべる士郎。そんな彼の反応にフィーネは満足げに笑みを深め、頷いて見せた。

 

「ええ。より正確には眠っている間に意識を凍結保存して脳内の別領域に隔離してるってところなんだけど……

 まあ、有体に言えば『()() ()調()()()()()()()()()()()()()()』ってことよ」

「なら、その子は無事ってことでいいんだな?」

「無事も何も、朝になれば何事もなく。ここでの会話なんて、何一つ知らずにいつも通りのこの子(しらべ)が居るだけよ。

 ………首、落とさなくて良かったわね?」

 

 自身の首筋を並べて揃えた人差し指と中指でトントンと叩いて見せる。そんな揶揄うような仕草に、思わず舌打ちが漏れそうになる。

 だが、同時に安堵もした。見知ったばかりで親しいどころか明確に敵対視されているしなんなら(ネコ)質取られてバチバチやり合ったような相手であるが、己が意図したわけでもなく別の何かに精神を貪られて体を乗っ取られるなんていうのは流石に目覚めが悪すぎた。

 と、こちらに向けられていたネコ科めいた妖艶な眼差しが、ツイと横へ滑っていく。より正確には、そこにいた別の人物へと向けられていく。

 

「そんなわけだから、この子はちゃんと戻ってくるわ。

 だからナスターシャも安心なさいな」

「―――。そう、ですか」

 

 掠れたような、絞り出したような、小さな呟き。

 それだけを聞けば、その返事は無感情なものに感じられるかもしれない。

 しかし、明らかに強張っていた体を弛緩させて車椅子に体重を預けていき、更には静かに深く息を吐くその姿は明らかに安堵のそれであった。

 フィーネは知己の女賢者が見せる、隠し切れない情け深さに呆れ半分に笑みを零す。

 声に出さず、相変わらずだと。

 

「さぁ、私の話はもういいでしょう?

 ―――あなたたちは、あなたたちの話の方が重要なんじゃない?」

「………まあ、そうだな」

「こちらとしても、本題に入りたいところですしね」

 

 まさしくその通りだった。

 フィーネという存在の衝撃が強すぎて忘れかけていたが、士郎にとってもナスターシャにとっても互いの話こそが本旨である。

 正味、手のひらの上で踊らされているようで業腹ですらあるが、当の本人が無関係かつ無干渉を表明したのだ。ならばこれ以上、彼女に(かかずら)っている暇が惜しいのも事実だ。その一点において、両者は初めて意見を同道させた。

 

 士郎は意識をフィーネの方に幾分か割きつつも、ナスターシャへと改めて向き直る。ナスターシャもまた、士郎をまっすぐと見据えた。

 視線を交錯させての沈黙を数拍。

 それをクッションと置いて、ナスターシャがすぅっと息を吸った。

 

「―――まずはこちらからお話ししましょう。

 私たちの目的と、その為の手段について」

 

 そしてさらに、一呼吸を置き。

 眼差しを殊更に鋭くして、まるで居合切りのように言い放った。

 

「私たちの目的―――それは、それは『月の落下を阻止し、世界を救うこと』です」

 

 

 

***

 

 

 

「………響、眠れないの?」

 

 既に日を跨いでしまっているという時刻。明かりを消した部屋の中で、響は隣の未来からそんな言葉をかけられた。

 こうして同じ布団に包まって眠ること自体はままあるのだが、どうやらそのせいで眠れずにいたことがバレてしまったらしい。

 響は猛省しつつ、体を起こした。

 

「ゴメン、未来……起こしちゃった?」

 

 僅かな月明かりが差し込むだけの部屋で笑いかけると、未来がフルフルと首を横に振る様子だけが辛うじて分かった。

 

「ううん、それはいいの。だけど……もしかして昨日、っていうかもう一昨日か。

 ―――やっぱりマリアさんのことで?」

「………うん」

 

 当然と言えば当然の指摘に、響は小さく頷く。

 同時に、その脳裏にはかの日の出来事が鮮明にフラッシュバックしてくる。

 

 【QUEENS of MUSIC】での、突然の決起。

 ノイズを使役する力に、自分や奏と同じガングニールのシンフォギア。

 更には全く未知のシンフォギア装者まで。

 ここまで出揃って、会場設備以外の被害がほぼ皆無であったのは僥倖と言うしかない。

 ―――もっとも、それが響にとってどれほどの慰めとなっているかは怪しいところであるのだが。

 

 彼女たちについて、現状ではわからないことだらけだ。

 所在はもちろん、規模も、背景も―――そして目的も。

 わかるのは、こちらに対する強い敵意。

 自分たちを偽善と断ずる、どうしようもない隔意。

 

(………ちがう。()()()()()()()()()()()()()

 

 少なくとも、そう信じて動かなければその可能性だって無くなってしまう。

 だから自分はいつも通りに。

 

(最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線に)

 

 胸の響きを、この想いを。

 今度こそ彼女たちにぶつけよう―――そんな決意が、たまさかに陰る。

 その原因は。

 

「―――衛宮先生」

「え!?」

「いや、間が悪かったねって」

 

 心臓が飛び跳ねたような錯覚と共に意識を未来へと戻せば、彼女がこちらを見つめる瞳が僅かに煌めいて見えた。

 未来は、軽い調子で残念そうに続ける。

 

「別の任務、長引きそうなんでしょ?」

「あ、あぁ。うん、そうなんだよね。

 いや~、衛宮さんも大変な時に大変なことが重なっちゃって。

 ホント、社会人ってやつは大変ですなぁ~」

「………大変大変言い過ぎよ、響」

 

 半ば冗談めかした言い草に、未来は呆れ半分な様子だった。

 ハハハ……と小さく笑いながら、どうやら誤魔化せたようだと内心で安堵する。

 

 士郎が行方不明であり、それにマリアたちが関わっている可能性が高い―――その事は、未来には秘されていた。

 彼女は確かに二課への協力者であり、こちらの事情をよく知っている。しかしやはり外部の人間であり、なによりごく普通の一般人だ。

 もとよりデリケート且つ危険な問題を孕んでいる以上、近しい相手にも軽々に話すというわけにはいかなかった。

 その辺りのことは自分も納得しているし、まったくもってその通りだと思う。

 ………だから、無自覚だろうその言葉が思っていた以上にこちらを揺さぶ(クリティカルヒットだ)った。

 

(無事、だよね……衛宮さん)

 

 聖鞘(さや)を通してパスと呼ばれるもので繋がっているらしい奏が言うには、肉体的にはおそらく無事だという。彼女からすれば、感覚的にそういうものがわかるらしい。

 とはいえ、漠然としたものでしかないから居場所や詳細な状態などは判然としないとのことだが。

 とりあえずは大きなケガはないらしいということが解って一応の安堵は得たものの……それでも、やはり心配は拭えない。

 

「響?」

「あ、ゴメンゴメン。なんでもないよ」

 

 たまさか押し黙ったことに戸惑いながら呼び掛けてくる未来。響はハッとなって声を返す。

 そしてこれ見よがしに欠伸をしてみせると、改めて布団の中に潜り込む。

 

「なんかようやく眠くなってきちゃった。さ、寝よ寝よ!

 じゃないと遅刻しちゃうしね!」

「……もぅ、眠れなかったのは響じゃないの」

 

 呆れたような声に、再び『ゴメンゴメン』と返しながら目を瞑る。

 不安は、消えない。

 マリアのこと。

 偽善と詰られたこと。

 ソロモンの杖のこと。

 そして士郎のこと。

 それらすべてが胸の内でグルグルと渦を巻いて、掻き毟りたくなってくるほどだ。

 それでも。

 

「ねぇ、響………本当に、大丈夫?」

 

 心の底から、自分のことを心配してくれる大切な親友(ひだまり)がいるから。

 

「だいじょーぶ。 ―――へいき、へっちゃら!」

 

 例え強がりでも、そう言い張って突き進もう。

 今度こそ、この手を伸ばして―――相手の手を、掴んで繋いで見せるために。

 そして。

 

(無事でいてください―――衛宮さん)

 

 

 

 響が精一杯の鼓舞と祈りを秘め、今度こそ眠らんと目をつむっている隣で。

 

(………響のバカ)

 

 未来は、声に出さず悪態をついた。

 へいき、へっちゃら―――響がこのセリフを言うときは、たいていが平気でもへっちゃらでもない時なのだ。

 そんなやせ我慢を見守りながら応援してきた未来。彼女が今、本当に恨めしく思っているのは当然ながら響ではない。

 新たに立ちふさがったマリア・カデンツァヴナ・イヴたち………()()()()

 

(………やっぱり、衛宮先生に何かあったんだ)

 

 根拠はない。しかしなぜか確信はあった。正確には、今できた。

 先ほど、士郎の名を出したのはカマかけであったのだが……あそこまでわかりやすく反応するとは思っていなかった。

 或いは、それほどまでに動揺や混乱が渦巻いているのか。

 

(何があったんだろう……)

 

 それは解からない。

 訊いても先ほどのように誤魔化されるか、さもなくば明確に回答を拒否されるだけだ。

 結局自分は外様。

 どこまでいっても蚊帳の外なのだから。

 

(っ、ちがう。私は、衛宮さんたちとは違う形で―――)

 

 響を、大切な親友(おひさま)を、支える。

 そう決めたし、そのことに後悔はない。

 けれど。

 それでも。

 

(―――本当に。それ以外何もできないのかな……?)

 

 拭い難い、無力感。

 包まっている布団が、まるで底なし沼の泥濘にも感じられて―――

 

 

 

 グゥゥゥゥ~~~、と。

 どうしようもなく脱力感を齎す間の抜けた音が暗闇の中で確かに響いた。

 

 

 

「………………響?」

「ぐ、ぐぅ~っ、ぐぅ~っ! ………い、いびきですよぉ~?」

 

 思わず声音を低く呼びかけると、半ば必死な声が返ってくる。それで誤魔化せると本気で思っているのだろうか。

 未来は思わず溜息を深く長く吐き出した。

 まったく、先ほどまでの懊悩が台無しになったのは良いことなのか悪いことなのか。

 

「まったく、もう」

「い、いやね? いろいろグルグル考えてたらご飯あんまり入んなくて、でも体は正直っていうかですね?

 やっぱりあんだけじゃ足りないんだなって、そんなかんじで……」

「どんなかんじよ……朝まで、ガマンしなさい」

「はぁい……」

 

 ぴしゃりと言えば、しょんぼりとした声が返ってくる。

 もう一度、短く溜息をついてから―――響に築かれない程度に小さく笑う。

 

(しょうがない……明日の朝は、いつもより多めに作ってあげますか)

 

 そんな風に考えつつ、自分なりに彼女を支えてあげられる事実に少しだけ安堵する。不謹慎だと自分でもそう思うが、それでも『できる事がある』というだけで心が軽くなってくれた。

 同時に、そう思わせてくれた料理の師へと再び思いを馳せる。

 

(衛宮さん……今どうしてるか、私にはわからないけれど)

 

 親友(ひびき)に負けず劣らず、いつもいつも心配させてくれることに割とガチ目の説教を食らわせてやりたいけれど。

 とりあえず、今は。

 

(どうか、無事でいてください)

 

 

 

 図らずも、全く同じ切なる祈りを胸に抱いて。

 彼女たちは、ようやくその意識を眠りの中へと沈めていった。

 

 

 

***

 

 

 

 そちらの大目的は何か?

 ―――月の落下を阻止し、地球を救うこと。

 

 なぜ月が落下してくるのか?

 ―――【ルナアタック事変】によって大きく欠けたことにより、その軌道がズレたため。

 

 月の軌道については米国からの調査報告では問題はないはずだったのでは?

 ―――それは米国が不都合な事実を隠すために行った隠蔽工作によるもの。

 

 具体的な解決の手段はあるのか?

 ―――古代遺跡【フロンティア】。それを覚醒させられれば。

 

 【QUEENS of MUSIC】での凶行は何のために?

 ―――【フロンティア】覚醒の鍵となる完全聖遺物の起動にフォニックゲインが必要だったため。

 

 マリアがフィーネを騙った理由は?

 ―――ドクターウェルを引き入れるため。彼は優れた生化学者であり、シンフォギアのような聖遺物と生体を繋げる技術に長けている。

 

 どうやってそれを信じさせたか?

 ―――元々、マリアたちはフィーネの器となるべく集められた【レセプターチルドレン】だったため、それを背景に説得力を持たせた。

 

 

 

 ………などなど。

 他にもいくつかの質疑応答を経て、得た情報を噛み砕いて吞み込んで。

 士郎は、直截な感想をすぐそばの人物にぶつけた。

 

 

 

「一から十まで思いっきり関わってるじゃねぇか。どの口で無関係だって言いやがったコノヤロウ」

「見解の相違ね」

 

 

 

 至極真っ当だろう抗議を、月読 調の姿をしたフィーネはさらりと流した。流石は先史文明期からこの世にしがみついているだけはある、面の皮は屋久杉の年輪のように分厚いようだ。

 

「確かにどれも(フィーネ)の行動の結果が引き起こしたもの。けれどその上で行動することを選んだのも、その内容も彼女たちのものよ。

 それとも、今の私に元凶としての責任を求める?」

「………っとに、タチ悪いなオマエ」

 

 屁理屈にもなっていないと思うが、確かに責任を追及することはできない。それで割を食うのは調の方である。

 士郎は舌打ちを堪えることはなく、悪態を付いた。

 

 ナスターシャは既にその場を辞していた。

 この場にいるのは仮宿としている士郎と、彼と話があるとして残ったフィーネだけだ。ナスターシャとしてはフィーネ……あるいは彼女が体を借りている調のことが気がかりであったようだが、必要以上に騒いで他の者が来る方が厄介だとして大人しく戻っていた。

 

「それにしても、あっさりと彼女の言葉を信じるのね。具体的な根拠が示されてるわけじゃないのに」

「それを言ったらデータの類を見せられたところで門外漢のオレじゃあ正否の判断なんて付けられない。なら、状況と言葉を吟味するしかないだろう」

「なるほど。……それで吟味した結果、信用したと」

「ああ。それに、当事者のお前が平然としていたからな」

 

 ナスターシャからの話を聞いていた時、士郎は密かにフィーネの反応にも気を払っていた。

 その時の彼女は平静としていて、むしろ退屈そうですらあった。つまり、彼女からすれば解りきっていることでしかなかったということだ。

 或いは士郎を利用するための虚偽などが入り混じっていたならば、フィーネはまた違った反応を覗かせていたかもしれない。彼はそれを鑑みてナスターシャの言葉に一定以上の信用があると判断した。

 勝手に判断材料の一つにされていたフィーネは僅かに唇を尖らせたが、すぐにまた嗜虐的なものが混じった微笑みを浮かべる。

 

「で? 色々聞いたうえで何か感想でもある?」

「どれについてだ」

「そうね、差し当たっては米国の対応についてかしら?」

 

 保身のために、世界中を騙した大国。まるで絵にかいた悪辣な国家じゃないかと彼女は言外に嘲笑う。

 その所業に対し、士郎はコリをほぐすように首をグキリと鳴らしながら、

 

「そうだな―――()()()()()()()()()()()()()()()()()と思うが」

 

 非難というよりも賞賛に近い言葉を漏らした。

 決起に至ったナスターシャたちが聞けば、或いは目を丸くしていたかもしれない。しかしフィーネの方は驚くでもなくむしろ面白がっているかのように口元の笑みを保っていた。

 

「あら、『自分たちだけが助かるつもりだなんて許せない』なんていうかと思ったのに」

「それはおそらく最終手段だろう。最悪の時のために残すべきものを残すための手立てを用意するのはむしろ当然だ。

 だが政治家連中だって人間だし、自分たちや近しい人間だけ助かったところでその後が続かない。

 何もなくなった場所で持ち出した物資を消費するだけ状態になっても、延命にすらなっちゃいないからな」

 

 月の落下がどれほどの被害を齎すかなど想像の範疇を超えるが、仮に奇跡的に地球そのものが残ったとしてもその後の環境は激変しているだろう。まともな酸素すら消え去っていてもおかしくない。

 そんな状態に放り出されたところで、五体満足であったとしても先などないだろう。ただ生き残るだけでは意味がないのだ。

 懸念はそれだけではない。

 

「そもそもの話ことがことだけに、下手に公表すればそこかしこで暴動が起きる。それどころか、鎮圧する側の警察や軍まで暴れる側に回らないとも限らない」

 

 月の落下という未曽有の大災害。恐らくは、それこそ地球が誕生してから史上最大の危機と言っていい。

 それが信憑性を伴って広まれば、巻き起こるだろう混乱は想像を絶するに違いない。或いは、月が地球に触れるよりも先に現行文明は崩壊してしまうかもしれない。それを考えれば、まともな対策が確立しないうちは公表などできようはずもない。

 他国への情報隠蔽も同じことだ。いずれかの国から情報が洩れなどすれば、まるで火を点けられた枯草の塊のように瞬く間に末期(まつご)の騒乱が地球全土を覆いつくすのは想像に(かた)くはない。

 

「そう考えれば、何らかの対策が確立しない限りは公表なんてできるはずもないだろうしな」

 

 と、そこまで語れば、フィーネがここにはいない何がしかを蔑むように鼻を鳴らした。

 

「ハン。欲に肥え太った支配者気取りの政治屋どもが、そこまで考えているか怪しいところだがな」

 

 信用など欠片もしていないと言外に吐き捨てる。おそらくそれはナスターシャたちも同じ。

 結局、あくまでも外側から眺めることでしか判断するしかない士郎には理解できないもので、内側にいた彼女たちだからこそ決断するに至った理由というものがあるのだろう。

 それでも。

 ―――()()()()()

 

「そこまで、悲観的にならなくてもいいんじゃないか?」

「なに?」

 

 ともすれば、楽天的ともとれる言い草にフィーネが眉根を歪める。

 そんな彼女に、士郎は笑い返しながら続ける。

 

「確かに、大抵の人間は欲望の誘惑に抗うのが難しかったりする。お偉いさんなら、余計に欲深だったりするのかもしれない。

 ああ、悪性と善性だったら前者の方に転びやすいのは道理なんだろうさ」

 

 けれども。

 

「………良識と善意ばかりの人間なんて、殆どいないのかもしれない。

 だけど、本当に我欲と悪意だけで凝り固まってる人間ていうのも、存外に少ないもんだと思うぞ」

 

 思わず。

 フィーネは驚きに目を丸くしていた。

 この男の口から、そんな世間知らずが言いだしそうな世迷言が出てきたことが信じられないとでも言うかのように。

 それも当然と言えば当然。

 恐らく彼は―――自分ほどではないにしろ―――汚物を煮詰めたような醜い惨状を、それを生み出した腐りきった悪意や欲望の賜物を、幾つも見ているだろう。

 そんな人間が、こんな言葉を言い放ったのだ。それこそ、正気であるかさえ疑わしくなってくる。

 彼女は数秒の間を置く形になってから、怪訝そうに声を漏らした。

 

「………本気で言ってるの?」

「ああ。まあ、別に明確な理由があって言ってるわけじゃないんだけどな」

 

 だが、漠然とした根拠はあった。

 それは、とても単純な事実からだ。

 

「それでも、世界は今日まで続いている」

「………」

 

 そう、今日この日まで世界は存続し、発展している。

 彼だけが認識している事実として、抑止力という最低限の安全装置すらない状態で。

 もちろん、そうして作り上げたこの世界が理想郷だなどとは微塵も思わない。

 悲劇があり、紛争は止まず、悪意は蔓延り、善意が泣き、差別の是正は新たな差別を生む(よすが)となっている。

 だがその上で、滅びもせず連綿と続いているのならば―――その理由が、利己と妥協によるものだけではないはずだ。

 何故なら。

 

「たとえ小さくとも、決して消えない(うた)がある。

 ………お前も、あの事件(ルナアタック)でそれを垣間見たんじゃないのか」

 

 言葉と共に、思い浮かべるのは一人の少女。

 誰よりもまっすぐで、誰よりも優しくて―――自分以外の誰かのために、その手を伸ばして掴み上げることのできる人間。

 ともに、同じ人物に強く心を揺さぶられただろう者として、士郎はそう言い放った。

 

 そこから幾ばくかの間を置いて。

 ようやく、フィーネの口からこれまでになく強く呆れを含んだ溜息が長々と吐き出された。

 

「まったく。意外なようで、考えてみればそうでもない言い分ね。

 えぇ、()()()()()なんて臆面もなく言うような奴、吐き気がするほどの夢見がち(ロマンチスト)以外の何者でもないもの」

「ひどい言われようだな」

 

 思わず苦笑を漏らす士郎。

 そんな彼に向けられる眼差しが、俄かに鋭くなる。

 

「―――その上で、貴方は()()()()()を選んだってわけね」

「ああ」

「それが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 先ほどまでのような、戯れの類を含まない静かな―――されどどこか圧が込められたような問いかけ。

 ざわり、と背筋が粟立つような感覚を得ながら、しかし士郎は泰然とまっすぐ向き合った。

 

()()。―――()()()()()()()()

「………………、バカね」

 

 微塵の迷いもない答え。

 それを聞いて、フィーネは幾ばくかの沈黙を挟む。そうして呟かれた声には、何度目かの溜息か混じっていた。

 本当に、解りきっていたことだけど。

 この男はどこまでも、他人のために己を削るのだと………呆れ果てながら憐憫を抱いて。

 

 そうして、少女の姿を借りたフィーネは踵を返した。どうやら話はこれで終わりということらしい。或いは、先の問答こそが彼女が一時の蘇りの理由であったのか。

 問うても答えないだろう疑問を置き去りに、彼女は出入り口のドアノブに手をかける。

 

「………行くのか?」

「ええ、これでさよなら。今度こそ、二度と会うことはないでしょう」

「それなら何よりだ」

 

 本心からの言葉に、しかしわずかな寂寥が混じる。

 それを受けて、彼女は小さく笑みを漏らして扉を開き……そこで、ふと止まる。

 

「あなたは、善だけの人間と同じくらい悪だけの人間も少ないといったわね。

 ―――でも、覚えておきなさい。世の中には、世間一般が認識するような普通の善や悪なんて価値観から完全に外れた道に生きるような人間もいるってことを」

「自己紹介のつもりか?」

「そのまま跳ね返すわよ自己犠牲正義マン(ジャスティス・メガンテ)

 

 彼女に言われるまでもなく、『かつての世界』でそういう存在は見てきたつもりである。

 なので言われるまでもないとばかりに軽い揶揄を返せば、痛烈な返答をぶつけられてしまった。

 だがそれに士郎が苦笑を浮かべるよりも早く、フィーネはその声音を固くした。

 

「それともう一人。正確にはそうかもしれない人間がここにいる」

「ナスターシャのことか?」

「あれは露悪的なだけの甘ちゃん。まあこういう行動に出ているあたり、良かれ悪しかれそこら辺の有象無象よりかは遥かにマシだろうけど。

 ―――私が言いたいのは別の人間よ」

「………、ドクターウェルのことか?」

 

 思い至った名前を口にし、しかし士郎は思わず怪訝な表情を浮かべてしまう。

 先の会話を鑑みれば、なるほど慇懃な外面はメッキでしかないことが垣間見えていた。しかし逆を言えばそれだけで、口さがなく言ってしまえばただの俗物としか思えない。

 そんな士郎の反応を察しているのか、フィーネは振り返らないまま肩を竦めて見せた。

 

「正直、殆ど直感だけれどもね。紳士然とした上っ面の薄っぺらさが鼻について、米国では最低限の交流(ビジネスライクで)しかなかったし。

 だからもしかしたらただの杞憂かもしれない。けれど……」

 

 そこで一拍、言葉を区切る。

 

「一度だけ。初めて会った時にほんの一瞬だけ見た、あの眼差し。

 羨望でもなく、興奮でもなく、歓喜でもなく、絶望でもなく、憤怒でもなく。

 そしてそのどれもが含まれているかのような、濁りきった瞳のギラついた光。

 それがどうにも、魂にまでこびりついて離れないのよ」

 

 フィーネはそれを鮮明に思い出したのか、心の底から気持ち悪いとでも言いたげに二の腕を(さす)っていた。

 そんな彼女を見つめながら、士郎は最後に見たドクターウェルの姿を想起する。

 あの時、こちらを見つめていた眼差しには―――さて、一体どんな感情が込められていたのか。

 

「とにかく!」

 

 と、そんな風にまるでまとわりつく何かを振り払うかのようなフィーネの声に、士郎もまた現実に引き戻される。

 

「もしこの勘が正しいのだとしたら―――今回の事件で、あなたにとっての一番の障害になるかもね」

 

 ともすれば、まるで預言者のような言い草で締められた台詞。

 それを、士郎は何故だか笑い飛ばすことはできなかった。

 

「……覚えておく」

「そ」

 

 言い出しっぺの割に、興味が失せたかのようにそっけなく返すフィーネ。

 せいぜい頑張りなさいと、言い捨てる様に後ろ手に扉を閉めはじめる。

 士郎はそれが閉め切るよりも先に、垣間見える背中を呼び止めた。

 

「待ってくれ。

 最後にオレの方からも一つ……いや、二つほどいいか?」

「……なにかしら?」

 

 どこか気だるげに首だけで振り返るフィーネ。

 そんな彼女へと士郎からもたらされた言葉は、

 

 

 

「……クリス、今は再開したリディアンに通っている」

「………………は?」

「立花たちの一つ上で、翼との間に挟まれる形なんだが……本人は立花たちからいまいち先輩扱いされないことが不満らしい」

 

 

 

 彼女からして、全く脈絡のないものだった。

 思わず呆気にとられるフィーネに、士郎は小さく笑いながらさらに続ける。

 

「同じマンションでお隣さんでな。よくチビスケの面倒を見てもらったりしてるよ」

「………、」

「最近は二課とも関係のない友人もできたみたいでさ。本人は慣れてないのか気恥ずかしいのか、よく逃げ回ってる」

 

 本当に、ただの近況報告。

 世間話と変わらないような、どうでもいいだろう話題。

 それを呼び止めてまで聞かせてくることが彼女からすれば不可解に過ぎた。

 

「なんで、そんなことを私に?」

「曲がりなりにも、彼女を引き取っていたのはお前だからな」

 

 対して、士郎の返しは簡潔だった。

 例え、本来クリスが受けるべき保護を横から搔っ攫った形であっても。

 彼女を利用し、その為に歪んだ教育を植え付けていたのだとしても。

 雪音 クリスという少女が、フィーネと共に在ったのは事実なのだ。

 そしてクリスが、あの日―――フィーネが散り、一時の死を得たあの時。

 その死を悼み、涙を流したことも、また。

 だから―――

 

「お前に、彼女に対する義務も義理もないのかもしれないけれど……知る権利くらいなら、あるかもしれない。

 そんな風に思っただけだよ」

「………………………。そう」

 

 長い沈黙を挟んで、フィーネは疎むでも嗤うでもなくただそれだけを返した。

 かつて傍に置いていた少女が享受する、何気ない日常。それを垣間見る様に知って、その胸に去来したものが何なのか。

 士郎に推し量る術はなく、そして問い質すほどに無粋でもなかった。

 

 それからややあって。

 フィーネは半開きの扉越しに振り向いた。

 その顔に浮かぶ呆れが混じって肩の力が抜けたような笑みは、かつて櫻井 了子として共に過ごした頃のそれを彷彿とさせた。

 

「それで? もう一つの話は何かしら?」

 

 問われ、士郎はコクリと小さく頷いてから―――半眼で彼女を見据えながらビシリと指をさして、一言。

 

「服」

 

 と言った。

 

「………………………はい?」

「だから、服だよ服」

 

 先ほどのクリスの件の時とさほど変わらぬ間を置いてから、不可解だと言わんばかりに首を傾げて見せる。

 そんな彼女の反応に、士郎は語調を若干強めて再び言う。

 フィーネがそれにつられるように自身の体を見下ろせば、そこには寝巻の上着のボタンを全開にした少女の体がある。発育に乏しく、なだらかな起伏ではあるがそれでも女性らしい丸みを育みつつある肢体と、雪を彷彿とさせる透き通るような白い肌。それが首元からヘソ下までの一直線を、胸の頂きが辛うじて隠れる程度にまで惜しげもなく晒している。

 

「………」

 

 フィーネは自身の表情が『スン……』と無のそれになっていくのを自覚しながら、もしかしてこれのことかと再び士郎を見やる。すると彼はその通りだと言わんばかりに大きく頷いていた。その眉間には、皴が寄っている。

 

「秋口で夜も冷えてきてる。―――女の子の体、冷やしちゃダメだろうが」

 

 ともすれば。

 今日一日で一番大真面目なセリフだったかもしれない。

 そう思わせてくるほど、彼の声も表情も真摯なもので。

 

「………………………………………………………………………。ハ」

 

 呆気にとられたような沈黙をたっぷりと前置いてから、フィーネはこれ以上なく気の抜けた笑みを漏らした。

 なんというかもう、どうにもばかばかしくなってしまったという様相である。

 

 そして。

 これが本当に最後でいいのかと思いつつも、言わずにはいられなかった一言でこの場の締めとした。

 

 

 

「ホンッッットォ~~~に。相変わらずそーいうところよね、あなた」

 

 

 

***

 

 

 

 そうして。

 鶏鳴を経て更にしばし。

 浜崎病院の一室は、異様な空気で満ち満ちていた。

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴは泰然、というよりかは憮然と言った方が近い様子で、しかし腕を組んで瞑目していた。

 ドクターウェルは平静を装いながらも、しかし強い険を眼鏡の奥に浮かび上がらせていた。

 暁 切歌は口をあんぐりと大きく開け、愕然とした様子を憚ることなく晒していた。

 そして、

 

「マム、これはどういうことなの?」

 

 月読 調は静かながらも鋭い声音で問い質してきた。その眼差しは敵意に満ち満ち、ナスターシャではなく()()()へと注がれている。

 それらを受け、ナスターシャは(常と変わらぬ調の様子に安堵を密かに抱きつつも)平然とした様子で言い放つ。

 

「見ての通りです、調。そして皆―――改めて、紹介します。

 昨夜、改めて私が交渉と事情の説明を行い、承諾を得ることができました。

 これからは、彼も私たちの同志です」

 

 と、そこで彼女の隣に立っていた人物が一歩前に出る。

 浅黒い肌と白髪を有する長身の青年。その瞳は鷹のように鋭く、その場の面々を睥睨している。

 その首には、無骨な首輪型の機械が嵌められていた。

 

 嫌悪、敵意、警戒。

 歓迎とはかけ離れたものを一身に受けながら、彼は最初の一歩を踏み出すように口を開く。

 

 

 

「―――衛宮 士郎。

 お前たちからすれば呉越同舟になるだろうが、これからよろしく頼む」

 

 

 

●●●

 

 

 

【教えて!? ブルマ師範!! ぷち】

 

○『ルナアタック事変』及び関連事件におけるフィーネの暗躍について

 

【立花 響 加入以前】

・第二号聖遺物『イチイバル』のシンフォギアの奪取、隠匿。

・外部組織(FIS)へのシンフォギア並び各種技術の漏洩、および一部聖遺物の横流し。

 (同組織内において、次代以降の自身の受け皿となるレセプターチルドレンの捜索・選別も取り行う。また、このころから既に米国との取引が行われていたと推測)

・上記に関連し、聖遺物発掘現場にノイズを誘引、多大な人的被害を齎した疑い。

 (これにより研究員だった天羽 奏の父、およびその場に共にいた彼女の母と妹も死亡)

・バルベルデより保護した雪音 クリスの身柄を略取、洗脳教育を施す。

 (同時に、クリスを捜索するために投入された人員の行方不明にも関与疑い)

・『ネフシュタンの鎧起動実験』にて、ノイズを誘引。民間人を含めて多大な被害を発生させる。また、同聖遺物を混乱に乗じて奪取、隠匿。

 (ただしこの件については完全聖遺物『ギャラルホルン』の影響も大きかったとされる)

 

【立花 響 加入後】

・ノイズの発生を頻発させ、大小さまざまな被害を生む。

(これについては自身の計画を極秘裏に進めるための撹乱と、立花 響のサンプリングデータ入手の目的があったものと推察される)

・雪音 クリスを利用することにより、秘匿していた完全聖遺物『ソロモンの杖』を起動。ネフシュタンの鎧と合わせ、彼女を利用しての実働的な暗躍を開始する。

・雪音 クリスに命じ、風鳴 翼を襲撃。重傷を負わせ、一時戦線離脱に追い込む。

・米国と通じ、広木前防衛大臣の暗殺に関与。

・完全聖遺物『デュランダル』移送作戦の内容を漏洩。雪音 クリスに襲撃させる。

 (ここまでの雪音 クリスによる暗躍は撹乱行為を始めとした様々な目的を伴っていたが、主となるものはネフシュタンの鎧そのものの実戦データの収集だったのではないかと考えられる)

・特異災害対策機動二課本部の改修作業に介入、データを改竄しつつ大型荷電粒子砲『カ・ディンギル』を構築。

・米国との関係が決裂。自身の暗殺に来た特殊部隊を返り討ちに殲滅。

 

【ルナアタック事変】

・市街地、リディアン音楽院の双方にほぼ同時に超大型を含むノイズの大規模侵攻を開始。迎撃に出た自衛隊を含め全方面に壊滅的な被害を生む。

 (この時、二課本部そのものも事実上陥落)

・『カ・ディンギル』起動。主目的であった月の完全破壊には至らずとも、その一部を砕き欠けさせる。

 (これにより月公転軌道に異常発生。地球へ衝突する危険性が生じる)

・欠けた月を地球に引き込み、早期に衝突させんと目論む。なお、装者たちによりこれは完全に阻止される。

 

 

 

師「第一期終了までの主だった活躍というか、被害録ね」

α「こうして見返すと、ほとんど何も防げていないな」

β「デュランダルを守り切ったり、クリスさんに勝ったりはしてますが、そもそもの目的がそういった部分に置かれてない感じですね」

α「ルナアタックそのものを考えれば、むしろ最初からデュランダルを奪うつもりはなかった可能性もあるな」

師「一番無茶苦茶なのはカ・ディンギルの建設ね。……いや、なんでこれだけのものを隠蔽しつつ完成させられるのかしら……?」

α「単純な技術だけじゃなく、謀略の類も怪物的だったんだな」

β「最後の最後だけでなんとか勝てたけど、俯瞰的に見ると戦略的には一度も勝てなかったって感じなんですね……」

 

 

 

 








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 どうでもいいこととかばっかですが、作品の更新予告もしてたりするので、よろしければフォローしてくれると嬉しいです。

 というわけで、何とか7月中に更新できました。
 もっと短くする予定だったのですが、なんか書いてる途中であれやこれや追加してって……まあ、いつものことか。



 フィーネ復活!! ……のように見えてただ顔出しに来ただけっていう。
 あれやこれや期待した方、肩透かしだったらごめんなさい。
 ………まあ、まだ出番はありますよ。多分(何

 ちなみにこんな器用なことができるかどうかについては独自解釈込みですが、原作でも元々Gの時点で二度と覚醒する気はなかったこと。
 その上で度々調越しに喋っているような描写があったことから、こういうこともできるのではと描かせていただきました。

 米国の反応に対する士郎の意見については、概ね自分の持論だったり。
 実際、公表するほうがやばいよねって。
 ちなみに『警察や軍が暴徒化~』のあたりの発想は故さいとうたかを先生の『サバイバル』という作品内でのちょいネタ(?)が元だったり。
 ………実際問題、ここら辺が制御できなくなったらにっちもさっちもいかなくなるよねって。
 これ読んだのは子供の頃でしたが、今でも強く覚えているくらいは衝撃的でしたね。


 さて、FIS組に加入した士郎。
 次回は一応ここでの日常回な枠組みになると思われます。



 それでは、FGO雑談。
 新規に手に入ったのは水着スカサハと水着邪んぬ。
 ……うん、ガチャからは出ませんでした。
 まあ、石節約してたってのもありますが。
 さて、これを更新した日にはいよいよ8周年の幕開け。
 自分は仕事終えてからの参加になりますが、今から楽しみです。
 ………記念サバなにかな……やっぱり所長?
 夏イベも開催決定し、キャストリア(&クロ&鈴鹿)が水着化決定!
 他の妖精国組も期待したいですね。



 さて、今回はこの辺で。
 時間がなかったのであとがきがいつも以上に即興でしたがとりあえず書きたいことは書けたかな?

 なんかもう、暑さがガチでやばいレベルですが、皆様本当にお気を付けください。

 それでは、また次回にてお会いできますように。
 
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