焼失~レプリカ作成の空白期間の杵さんを神域だか精神世界だかでかくまってた号さんの話。日杵。冒頭ちょっとだけ長谷部さん。

1 / 1
死が二人を分かつとも

 鈍く輝く肌の刀槍も、唐渡りの古い碗も、水墨で山水の描かれた掛軸も、この頃はとんと出番がなくなった。然りとて入ってくる情報も誰それが死んだ、何処そこが焼けたというばかりで碌なものではない。だからだろうか、はたまた其処に何かが()()と信ずる者が減ったからだろうか、この百年ばかりで死んだ様に眠る付喪が随分と増えた。

 起きているものも大概は虚空を見つめるばかりで、言葉を交わすこともそうない。もとより、埃や水気から守られてさえいれば千年を越えるものたちだ。余程のせっかちでもない限り何ヶ月でも何十年でもただ待つことに否やはない。

 

 空の星月からも、地に溢れる焔と喧騒からも、鉄の扉とコンクリートで隔てられた蔵の中。白木の鞘、布と箱、三重に包まれて几帳面に積み重ねられた鋼の群れの中で、男の姿をした()()が傍らに向けて声を上げた。

「御刀」

 その男に応えて、見える者でもうすらぼんやりとした人影としか判らぬ普段よりはずっと濃く西洋装束に包んだその身を現したのは、金象嵌銘の刀である。

 

「……此処の外はひどい有様なのだろうな」

 だから起こすなと言った筈だ、と言外に滲ませる。連日何処かで降りしきる火の雨は、常に誰かを、何かを、彼らの元から奪っていった。それはこの時も。今日はどうにも胸騒ぎがしてならなかった。長谷部の前から消えるのは、他の屋敷の馴染みだけではないかもしれぬ。

 

 壁越しに怒声が響く。すぐそこまで火が来ているらしい。けれど此処は無事だ。いっそ残酷なまでに何事もない。

 

 刀の(ことば)に対して、(いら)えと言えるようなものはなかった。

「しばらく寝る。起こさないでくれ」

 声を聞くだけでも、彼が焦燥に駆られていると分かる。へし切長谷部はこの付喪が、他のものの前で、こうも焦りを(あら)わにしたところなど初めて見た。閉じられた瞼の下は、いっそ見事なまでの真紅に染まっていることだろう。

 

「なんのつもりだ?」

 全てを諦めるには遅すぎるくらいだが、この男、正三位の槍の諦めの悪いのは長谷部もよく知っていた。だからきっと、今も姿を現さぬ他の九十九(つくも)のように現世から浮いてしまおうというのではない。

一寸(ちょっと)な。説明してる暇はないんで他の連中にはお前から言っておけ」

 

 此処なら。炎から最優先で守られている此処ならば、安全だろうと槍は言う。いったい、何を企んでいるのだろう。

 

「しばらく寝る、か。いったい()()()()とは何年のことなのだろうな」

 還ってくるとは思わない。その方がずっと楽だと長谷部が気がついたのはいつのことだったろう。下げ渡された時か、あるいは誰かが死んだ時だったか、どこかの馴染みが他家に渡った時だったかもしれない。百年以上も昔に目を閉じたきり、未だに覚めない他の家宝と同様に、あの倶利伽羅の槍も眠ったきりになるのだと、そう思うことにした。

 待つことに否はないにしても、淋しさがないわけではなかった。

 

 

 

 現世(うつしよ)からその意を浮かせれば、そこは藤が目に付く屋敷であった。想われて在る付喪であるが故か、はたまた倶利伽羅龍をその身に宿すからか、号持つ大宝であるからか、ともかく日本号は大名屋敷を丸一つ抱えられる程の広い域を自分のものとして持っていた。

 とはいえ、ずっと此処もこの様であったわけではない。こうも藤に囲まれる様になったのはごく最近のことであったし、宮中しか知らなかった頃は今よりも狭隘ながらそれらしい姿であった。これ見よがしに酒樽の積まれた部屋がいつからあるのか、語るまでもない。

 

 だが、今用があるのは此処ではない。霊気で洋装を編み、庭へ駆け出す。目的地は池だ。水鏡は異界への門である。

 

 螺鈿の煌めく槍をぐるりと回し、鋒を水面に向ける。これから向かおうという先は、静かな水面とは真逆の煉獄だろうが、恐怖心など抱いている暇はない。一毫の時も無駄にはできない。間に合うか否かというなら、もう遅いのだから。

 

 

 

 五月も末だというのに雪の積もった坂の中程に、熊の毛皮を肩にかけた着物の男の姿があった。手には鋭すぎるほどの、長大な鋼の塊。その名を示す鞘はなかった。諸共に燃えて、すっかり灰になってしまったことだろう。

 

「手杵の。止まれ」

 まだだ。まだ、伊賦夜坂(よもつひらさか)を越えるには早すぎる。千年を越える鋼の身、四百年ではあまりに短すぎる。

 

 男が振り返る。高い位置で束ねられた長髪が揺らめいて、顔が覗く。否、顔だったもの、だろうか。溶けて爛れた()()の何処に本来眼窩があり鼻梁が通っていたのか、最早わからない。

 

「……今更、なにをしにきた?」

 いったい何処から発声しているのか、喉まで(ひず)んだ男らしき影が言う。音まで炭になったかのような、掠れて罅割れた声だ。

 今更。そう、今更だ。既に蔵ごと焼けてしまっただろう槍に、今更何をしようというのだ。しかしそれでも、できることがあるから日本号は桃も持たずしてここまで来たのだ。

 

 日ノ本一の名も、ただの槍には過ぎた位も、全てはこのためにあったのではないかという気すらした。

「アンタを攫いに」

 そう言って、坂を下る。近付くほどに、東の槍の変わり果てたのがよくよく見えた。真っ当に人が求めれば布だけで家が建つだろう着物も、黒々と艶めいていた熊の毛皮も、絹糸の如き長い髪も、火に巻かれて焦げつき炭になって千切れ落ちてしまった。手足も溶け落ちて、槍を手放そうというなら切り落とさねばならないだろう。だというのにその本性、義助の槍だけはこんな時でも焦げ一つ、錆一つなく、天を衝く。

 

 手を伸ばそうとして、今にも崩れ落ちそうな身体の何処に触れればいいのか、戸惑った。彼のどこに触れてもまるごと砂になってしまいそうで、日本号にできたのはそろそろと腕を伸ばしてどこにも触れない様に雪降らしの胴回りに回すことだけだった。

(もど)ろう、東の」

 

「一緒に死んではくれないのか?」

 小首をかしげてそう言う結城の宝槍に、ファム・ファタルとはこういうものを指すのだろうな、と日本号は思った。地獄の鬼の方がまだ美しいだろう真黒な穴が発しているというのに、それでも構わないすらと言いたくなる魅力が彼にはあった。

 

「そいつは流石に、黒田の人間に申し訳が立たんからな」

 日本号がいなかったのなら、別の刀か絵か茶碗か、あの蔵に置いてあったはずだ。長く母里家にあったとはいえ、黒田の家では三十年と過ごしていない日本号を、ああして家宝と並べた人間に、今も自分を必死に火から守っているだろう人間に、対と称された槍が消えたからといって一言も無しに心中するのは面目が立たない。

 

「まだ何も食ってねえだろ、来てくれよ」

「『入り来ませること(かしこ)し』」

 かつてそう言った女神は背の君に蛆の集った肢体を見られ、そして死の国にひとり残されたというのに、恐ろしいことを言う。

 目を逸らしたのだろうか、ゆるりと栃色の頭が揺れる。拍子に一部が崩れて地に落ちた。何故だか足跡一つない雪道に柘榴が弾ける。

「『()をな見たまひそ』」

 逃げるな、と。見ないでくれ、と。相反する願いを込めて、東の槍が言う。そう、彼女もたしかに、根の国から離れようとしたのだ。

夫婦(めおと)になった憶えはないんだが……いや、先になぞらえたのはオレの方か」

 

 肯定の意を返されて、赤く燃え上がるかのようだった日本号の瞳は、段々に青みを帯びて暗く落ち着いていった。

 

 わかったよ、と西の槍が言う。知らぬ間にいなくなられては勘弁だから(じぶん)にでも捕まっていてほしい、と。汚れてしまうからと拒むが、それなら自分が(おまえ)を持っていくだけだと返された。槍を持たぬ方の手でそっと服に触れると、日本号は踵を返して、その体の大きさからすれば不釣り合いな程にゆっくりと、坂を登り始めた。

 

 一歩、また一歩と歩を進めるたび、焼けてしまった彼は昨日までの姿を取り戻していく。逆再生のようにその髪や着物や肌が美しい姿へ変じていく中で、手中の鋼だけが、現世にゆくなら御手杵の槍はこうあるべきなのだと言うように、どろりと歪んでいた。坂を登りきる頃には、鋼はすっかり溶けきって、柄も炭になって崩れ落ちて、雪の上に点々と跡を作っていた。

 日本号は振り返らなかったが、当の本刃には何が起きているのかわかっていた。「御手杵の槍」というものが生者の世界に留まるつもりならば、せめてその本性、五条義助の大身槍だけは彼岸において行けというのだ。

 

 なんだか、異国の御伽噺みたいだ。黄泉醜女は悪食かもしれないが、流石に鋼も炭も食べはしないだろう。それならいつか、これを追って黄泉へ辿り着くことがあるのだろうか。それとも、こんな奇跡に二度目があるのだろうか。そんな風に思いながら、松平の槍はすっかり元の通りの色形になった目を細めた。

 

 坂というのは普通登りきれば当然向こう側が見えてくるものだが、あいにく黄泉比良坂といえば大岩でふさがれた洞窟の中の坂だ。最後までその先に何があるのか見えないまま、日本号が巨大な質量を持つ目の前の暗がり、おそらくは大岩であろうものに触れた。

「手、離すなよ」

 それに何か返事をする前に、日の光に似たものが彼らの視界を丸ごと塗り潰した。

 

 

 

 光に目が慣れると、そこは藤が目に付く屋敷であった。

 

 よく手入れされ、けれど同時に浮世離れして生活感のない、間違いなく大大名が住まうに相応しい屋敷だった。伽藍としているのは使用人の一人もいないからで、きっと調度の類もほとんどないのだろう。人ならざる付喪の身にはほとんどの全てのものが無用の長物だった。ほんとうに必要なのはその身一つに身に付けるものくらいで、それらは全て自身の霊力でつくりあげることができた。自分でつくれぬ様な分不相応なものを身につけるのは、むしろ恥であるとされている。

 

 そこに男の影が二つ、並んで立っている。腕の一振りもせずに洋装から見事な刺繍の着物姿に変じた、昨今の男にしてはずいぶん長い黒髪を束ねた方の手には太刀ほどに長い大身槍。黒髪の方よりもさらに長い栃色の髪の男を振り返った彼は、傍らの彼の手に何もないのを見てその鉄紺の瞳を見開いた。

 

「手杵、」

 槍はどうした、と聞くことはできなかった。あまりに恐ろしかった。この選択が間違っていたとは思わないが、それでも()()に宿る付喪にとってその本性というのはその伝承以上の重要性を持つ。

()()現世(うつしよ)にはもうないものだから、持ってこれなかったんだ。……でも俺の方も助かったよ。さすがに覚悟とか、全然だったからさあ」

 あまりにも優しい声だった。このまま消えてしまいそうな、寂しげな音でもあった。覚悟。それが定まれば、彼はここを出て行くのだろうか。ここを出て、そのままどこにも宿らず消え失せてしまうつもりなのだろうか。

 

「なにはともあれ、まずは一杯飲むか」

 ぞっとしない未来図を頭から振り払って、酒樽のある部屋の方を見やる。

「あんた本当にそればっかりだな」

 呆れたような言葉と同時に、榛色の瞳が細くなる。思わず、という風に相好を崩した青年に先のような諦念は見られない。

 

 大したものはないが、という屋敷の主の言葉通り、尽きぬ酒が異色なだけで案内された屋敷はほとんど空だった。とはいえ東の槍も西の方をどうこう言えるほど自分の域に何かがあるわけではなかったが。

 

「で、いったいいつまで置いておくつもりなんだ?」

 杯を交わしながらそう聞くと、日本号は少しばつが悪そうに目を逸らした。

「いつか、いつかアンタは伝説になる」

 彼の声には確信があった。松平の家宝、雪降らしの伝承、あの偉容。ならないはずがない。そうなれば、あれだけ特徴的な姿なのだ、写しなりなんなり、お前が宿れる器ができることだろう。どうかその時まで、ここにいてくれとそう言った。

「人がましいと笑えばいい。それでもオレはアンタに死んで欲しくなかった」

 形在るものはいつか壊れる。そんなことは知っている。連日の空襲の中、日本号自身ですら明日をも知れぬ身だ。だがそれでも、ここに留め置けば消えはしないとわかっていて東の御手杵の槍を身殺しにすることは彼にはできなかった。

 

「俺のことなんか放っておいて、他の連中を守ってやってくれればよかったのに。そっちだって大変なんだろ」

 その言葉の冷たさは、果たしてどちらに向いたものだったのか。

 黒田の付喪たち、今は離れたとはいえ二百年を過ごした母里家の他の家宝、織田の頃でも豊臣や足利やその更に前でも、いくらでも知り合いはいたことだろう。それらすべてをさておいてもこうして迎え入れられる価値が日本号にとっての自分にあるとは、彼にはにわかに信じられなかった。

「無茶を言うんじゃねえ。こうしてオレが引き込めるのはお前と、あとは精々蜻蛉切(かげろうぎり)のやつくらいのものだ」

 自分の領域に、ほんの一時ならともかく、どれだけの時になるのかもわからないのに滞在させることができるのは、相当に縁深いものだけだ。ただ同じ家にいただけでは足りない。複数の家を渡る中でずっと共にいて、ようやくあり得るかといったところ。松平と黒田にある東西の二名槍、そこに本多忠勝の愛槍を加えての天下三槍。同じ拵えの大小や、そういった風に合わせて語られるものでなければまず不可能なことだった。

 

「……そっか」

 東の槍の返答がどこか安心した風だったのは、自分が迎えられたのが優先度の問題ではなかったからだろうか。はたまた、この屋敷の住人が東西二槍からまず増えないとわかったからだったのだろうか。

 

 

 

 その知らせを滞在者が持ってきたのは、彼が日本号の領域にやって来てからもう半世紀も経った後のことだった。

複製品(レプリカ)、か」

 結城の地で、御手杵の槍の複製品を造ろうという話が持ち上がっているらしい。いや、こうしてここから半世紀出ていない彼の知るところになった以上、すでに決まったことなのだろう。ひょっとしたらすでに打ち上がっているのかもしれない。

「応。きちんと打つとなると三角にするのが難しいらしくってさ」

 特徴的なその形は、現代の刀鍛冶では打つこと叶わないのだという。それでなくても下手な子供の背より大きい鋼の塊を扱える者は、今も昔もそうはいない。

 

 日の落ちることのないこの地では正確な月日は判然としないが、眠っていた部屋から出てきた御手杵が珍しく洋装をしていたのは、おそらくはそれから半月ほど後のことだった。

「その格好……」

「似合う?」

 

 緑の主張の強い詰襟に似た上着の下は山吹で炎の衣装が描かれた赤で、釦のない学蘭のような形の上下には随所に黒の線が金に縁取られて走っている。だがそれよりも、優に一尺半も短くなった栃色の方に意識が行った。

 

「……ああ」

 髪は長い方が好みだとか、ずいぶんと軽装になったものだなとか、その趣味の悪いTシャツはなんとかならないのかとか、言いたいことは沢山あったけれど、日本号はそれだけ言って口を噤んだ。

 

「で、まだいるのか」

 御手杵が装いを改めたことで、彼がここから去る日も遠くないと覚悟していた日本号は、四半年が過ぎても変わらず屋敷にとどまっていた東の槍にそう尋ねた。

 

「ちょっと足りないかなー、って。駄目だった?」

 このまま出ていっても、複製一つでは現世にとどまりきれないという予感があった。いつまでも西の槍の好意に預かるのも落ち着かないので、御手杵の方も叶う限り早く現世に戻りたいとは思っていた。けれどそうして焦ってここを出て消えてしまうのは本意ではなかったし、そのことで日本号を悲しませるのはもっとごめんだった。死んでほしくないのだと言った正三位の槍の、震える声を彼は忘れていない。あんなものを二度も聞くのは嫌だった。

「まさか。それでお前さんがいなくなったら元も子もない」

「ありがとうな」

 

 

 

「あんたが抱きたいって言ったら、俺は拒めないよなあ」

 酒精で頬を赤くして、御手杵が不意にそんなことを言った。けれど彼の榛色の目は、言葉とは裏腹に黙って受け入れることなどあり得ないと雄弁に語る。そもそもそうならないために言い出したのだから当然ではあるが。

 

「お前、」

「正三位殿はお優しいからな。弱みにつけ込むような真似はできないだろ?」

 にやにや笑いながら、上着のない赤いTシャツ一枚の彼がそう続けた。その通りではあるので日本号の方も眉を顰めるだけで何も言わない。東西の二槍はお互いの矜持の高いのをよく知っていた。御手杵がこんな直截な言い回しをするのは日本号が相手の時だいうのも、こんなことをわざわざ言わずとも日本号が行き場のないものに無体を強いるような真似は自身にかけて決してしないというのもお互いよくわかっている。

 

 御手杵の方が酒の所為にしてそんなことを言うのなら、日本号の方も言っておきたいことの一つや二つ、十や二十あった。

「相変わらずお前はオレのプライドばかり慮って、オレの心なんぞ知りもしないという風だ」

 時にその表情より言葉より心中を映す彼の瞳は常の鉄紺よりも暗く、濃灰色に近かった。

 

 憐れんだから迎えに行ったわけではない。もしそうだったのなら東の槍が西の槍の提案に諾と言ったはずはない。ただ、助かってほしいと思ったのだ。消えてほしくはなかったのだ。それが恋慕であったか否かなどは些細な問題であった。ここでなくともよかった。ただ、彼がどこかにいるのならばそれで構わない。けれどそれはそれとして、数百年来の対槍にこんな風に信用していないと言われて何も言わずにいられるわけではない。

 

「お互い様だろ」

 けれどそういう日本号の方だって昔から、御手杵がどう思っているのかなんて知ったことではないとでも言うようだ。東西の二名槍が片割れ、松平の御手杵の槍のことばかりを見て、そこに在る一条の槍としての彼のことは一度だって見ていなかった。少なくとも御手杵からしてみればそうだった。

「あんたはひどいやつだ」

 

「ひどいやつだった、昔から」

 日本号が「出ていけ」と言えるのと同様に、御手杵の方も「出て行ってやる」と言うことができる。お互いがお互いに結果としては全く同一の脅迫が可能で、それゆえどちらも無理は言えない。たとえお互いに望んでいたとしても、御手杵がここを出ても独立したものとして在れるようになるまでは滅多なことは言えなかった。お互いに、そんなことはよくよくわかっている。

 

 どちらからともなく静かになって、そうして二振りとも酔いに任せて目を閉じた。起きたときには何も覚えていなかった、今はそういうことにしておいた。

 

 

 

 初めの復元が為されてから、おおよそ十年も経った頃、御手杵の力が急に強くなった。日本号にも御手杵自身にも理由はよくわからないが、ともかく失われた東の槍を想うひとが増えたのだ。そうなって三年過ぎるかどうかというとき、御手杵が十年前の言を丸ごとひっくり返すようなことを言った。曰く、写しが一条打たれたと。

 

「造れる様になったのか。そう経ってねえのに大したもんだ」

 このところ、レプリカの新しいのができた、その拵えを新調した、御家ゆかりの東照宮に奉納された、と彼の存在を補強する材料が次々と積み上がっていたところにこれだ。

「これなら現世に出ても大丈夫かな」

 これでここを離れないのなら、永劫離れる日は来ないだろう。そしてそれはどちらも望んでいなかった。たとえこのあと何百年、ひょっとしたら二度と会えないのかもしれないとしても、東が西に頼り切りになっているこの現状はどちらにとっても、続いてほしいと言ってはならないものだ。

 

「また会えなくなるなあ」

「並べて、とはいかないかもしれんが、近くで展示くらいはそのうちあるんじゃねえか?」

「レプリカ同士とかならあるかも……?」

 三名槍のレプリカを並べる展示がすでに実現していることも、現実の日本号が今あるガラスケースから離れられないことも、彼らは知らない。知らないままに、未来を語る。

「そしたらそっちに()()さ」

「あんたが飛べるほど出来のいいやつならいいけどなー」

 レプリカでも写しでも、十分によいものであれば一時的にせよ本科から意識をそちらに移すことができる。写しそのものが一つの存在として有名になり、それ自体が付喪を宿すようなことになればまた別だが、日ノ本一の正三位の槍を塗りつぶしてしまうような名声がこれから得られるとも思えない。

 

 それではそのいつかに会おう、とどちらからともなく言った。人の子が生まれて死んでいくほどの長い時間、共にいられたというのもあって、日本号はただの一日でも引き留めようとはしなかった。ただ猪口を二つ霊気で編んで、その時も手元に置いていた徳利から酒を注いで差しだしただけだ。御手杵もただ、こんな時でも変わらないなあ、なんて言ってうちの一つを受け取って、一息で飲み干しただけ。それ以上何も言わず、御手杵が立ち上がる。

 

「外に出るなら池からがいい」

 見送る、と言って日本号も立ち上がった。身軽な洋装に無手の御手杵とは対称的に、螺鈿の輝く抜き身の大身槍を持ち、その位にふさわしい、自身を振るうには重苦しくて仕方がないだろう和装に身を包んでいた。

「相変わらず大仰だな」

「こればっかりは仕方ねえだろ」

 どれだけの逸話が積み重なろうと、誰の手に渡ろうと、彼の本質は正三位の位を賜ったときから変わりない。変わりようもない。

 以前の装束と比べても余計に重たくなったような気がしたが、それが果たして現実の日本号の状態と関係しているのか、それとも単に気が進まない所為なのか、日本号には判然としなかった。

 

 

 

「日本号」

「どうした」

「あんたのこと、好きだったぜ」

「過去形かよ」

「じゃ、またな」

「ああ」

 

 

 

 

 



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。