ロロの堂々たる演説ぶりを知っている、というか、普段自分がどんな口調で話しているのかということを考えるとロロの口調は珍しいものだった。
確かにこの場にいるのはロロと自分だけなのだから、独り言という点では間違っていないのかもしれないが。
もしかするととルルーシュは自分の性格を省みて思いついた。
ロロはルルーシュに自分の話を聞いてほしいのではなく、自分とルルーシュがどう違ったのか確認をしたいのかもしれない。
ロロの性格からいって自分の成したことを後悔することは無いだろう。
だがこれから元の世界に戻るとなって、より自分の視野を広げ、同じ間違いを犯さないようできる限りの努力をしておきたいのだ。そのためにルルーシュはこれ以上ないロロを映す鏡だった。
ロロが最終的に失ってしまったものの幾つかをルルーシュは最後まで握りしめたままここまで来た。その代わりに、ロロが最期まで失うことのなかったものの幾つかをルルーシュは取りこぼした。
ルルーシュの長所を学び、短所を知り、ロロはより完璧な存在となって元の世界に戻るつもりであることは容易に察せられた。
そしてまた彼は理不尽な世界と戦うのだろう。
「18年間生きて、さらに2つの世界を経験して、分かったことがある。
完全なる平和は存在し得ないということだ。誰かにとっての優しい世界は、誰かにとって厳しい世界になる。人は自身の困難を他者に押しつけて、利益を独占したがる性質を、母乳に吸い付くその瞬間から抱いて生きている。
だから人々は共通の敵が存在しない限り、私欲を排して心から手を取り合うことは不可能なのだ。そのために人類は平和とは相反する状況を自ら望んでしまう。心理的な折り合いをつけるためにも、明確な悪が存在する方が多くの人々にとって都合が良いのだから。
それ故に俺は俺の世界で、人類の強大なる敵になったわけだが、それも一時的なものだ。いずれ人類は悪逆皇帝ルルーシュを忘れるだろう。そしてまたいつか、必ず戦争は起きる。戦争は人類が滅びるまで共にあるだろう。
戦争は人類の厄介な隣人だ――――魅力的な手土産を手に頻繁にやってくる」
「随分穿った考え方だな。否定はしないが」
ロロの捻くれた子供っぽい主張を、ルルーシュは苦み交じりの笑みで肯定した。
大人なら誰もが胸底で理解していることだ。完全な平和など存在しないし、誰にでも優しい世界は理論上ありえない。
その事実を誰も彼もが諦観と共に受け入れて生きている。
だがルルーシュという人間には、諦めるといった行動自体が不可能なのだ。諦めが、即ち死に繋がる人生だったのだから。
人より早く大人にならなければならなかった自分は、体の中心に子供っぽい潔癖さを残したまま成長してしまった。
権威や運命といった格調高い言葉に対して反逆しなければ気が治まらない自分の性質は、世間一般で言われるような誇り高い信念に基づくものではなく、癇癪持ちの子供の駄々でしかない。つまり自分よりも偉そうな奴らが気に入らなくて泣きわめく子供と本質的には大差ないということが、自分のことながらなかなかに情けなかった。
ルルーシュはもう誰もいなくなってしまった空を見上げた。
「だが全人類に平和な世界を齎すことが不可能であったとしても、自身の力で平和を掴み取る機会を与えることぐらいは可能なのではないか?平和のために人類は国を興し、専制政治や独裁政治、立憲君主、議員内閣……ありとあらゆるシステムを開発し、その果てに民主主義があったのだから。
確かにお前の言う通り、人類は戦争という愚行と共存する道しか無いのかもしれない。だが少なくとも、自分の手でその選択は為されなくてはならない。自分の運命は自分で選ぶべきだ。戦争より平和の方に価値を求める者には、それと訴える権利と場所が与えられなくてはならない。民主主義は少なくともその保証をしてくれる」
「お前の言う民主主義のシステムは理想だが、理想に過ぎないものだ。俺やお前のような指導者が民衆の賛同を得て国を率いているうちは言論の自由も保証されよう。だが扇のような無能者が政権の座に就けば全てが瓦解するぞ。所詮人間一人の手は小さく、平和であれ戦争であれ、自分で選択できる程にこの世界は自由じゃない」
専制政治も同じ理屈で腐敗することをロロは言わなかった。言わなくてもルルーシュが分かっていることを、ロロは分かっていた。
何しろこれは全て独り言なのだ。一人で問答していることとほんの少しは違うだろうが、その違いは髪の毛1本分ほどしか無かった。
ルルーシュはロロの意見を正論だと認め、いつになくセンチメンタルな気分に襲われた。
あまりにも多くの命が失われ過ぎて、あまりにも自分の責務は大きかった。ルルーシュの意見は常に無く理性よりも感情を押し出したものだった。
「………それならそれで構わない。今のところは民主主義がbestでなくともbetterであることは殆どの人間の納得するところだ。瓦解したのならまた新しく作る。活力ある国もいつかは必ず腐敗して、それが土壌になって新しい芽が現れる。歴史はその繰り返しだ。いつか訪れる平和の日のために、俺達は歴史書のページを一枚一枚埋めていくんだ」
「俺達に関する記述は全て血文字で描かれているのだろうな」
「そうだろうとも。でも俺は後悔しない。後悔する程度の覚悟であれば、そもそも俺はここにはいない」
「同感だが……そうだな、俺のナナリーがこの世界のナナリーのようになってしまっていたら、俺は絶望したかもしれないな」
ああ、ナナリー。
ナナリー、ナナリー!
たった一人心から愛した妹、ナナリー!
結局ルルーシュはナナリーの思考を理解することが出来ず、ただその背中を黙って見送ることしか愛を示す方法が無かった。
何が皇帝だ。ゼロだ。自分は妹一人満足に愛することもできない欠陥品の失敗作だ。
しかしルルーシュは口には出さなかった。ロロにそう言っても、そうだな、としか返事が返ってこないことは明らかだった。ルルーシュはそこまで自罰的にはなれなかった。
ロロは項垂れるルルーシュに向けて、ふん、と鼻を鳴らした。聊か馬鹿にしたような仕草になってしまったが、そもそも彼女を慰めるのは自分の役割ではありえないので、ロロは全く気にすることは無かった。
ロロは周囲の人間が思っているほどに自分自身のことが好きではなかった。むしろロロは、ルルーシュは、自分自身を嫌悪の対象として見ていた節があった。自分の軍事的かつ政治的な能力に強い自負はあれど、人間としての在り様という点において自分はそこらの凡人より劣っているとさえ思っていた。
「俺はお前とは違う。俺がゼロレクイエムを成したのは歴史のためでも世界のためでも、ナナリーのためでもない。ましてやスザクのためなんかじゃない。俺自身のためだ。俺が俺の意識のために成したことだ。だから誰の理解も必要としないし、誰にどう評価されようとも構わない。
俺はただ、戦争という気に食わない隣人を滅多刺しにして殺してやりたかったんだ。不死身と知っていても、思い知らせてやりたかったんだ」
「何を?」
「俺の価値を」
事ここに至って、やはり自分とロロは別人だとルルーシュは知った。
ロロの言っていることの3/4程度しかルルーシュには理解できなかった。しかし自分以外の人間には1/10も理解できないだろう。
話している内容ではなく、彼の捻くれ曲がった矜持や、見苦しいほどに悪路しか歩こうとしない無様な生き様を理解し得る人間は存在しないに違いない。
そもそもが、ロロは他人に自分の境遇や心情を理解して貰えるように喋ることは不可能であるようだった。
ロロは誰の理解も求めていない。これは独り言だ。ならば理解しようと近寄るのは失礼なことだ。
空を見上げるともう全ての生命は道を決めていた。
ルルーシュは立ち上がった。
「そろそろ俺は俺の世界に帰るよ。早く戻って戦わなくてはならない。お前もそうだろう?元の世界に戻るというなら、ロロ、お前は戦わずに平和を享受できるような男じゃない。俺の世界でならともかく、お前は、お前の世界で傍観者を気取っていられるような可愛い奴じゃない」
「―――ああ」
ロロも立ち上がり、ルルーシュを見た。
ルルーシュもロロも、強靭な意志の色をした瞳が嵌め込まれた、戦意の塊のような顔貌に笑みを浮かべた。ここまで覇気を纏った顔に出会ったのは鏡を見返した時以外では初めてだった。
二人共が、こいつは死ぬまで戦い続けるだろうという確信を相手に抱き、そして相手もそう確信しただろうという二重の確信を得た。
そうして二人共が、自分は死ぬまで戦うのだという歓喜とも絶望とも言い難い覚悟を決めた。
「俺達は正義の味方として仮面を被り続ける……ルルーシュとして、学生として、女として生きることはもう許されない。人並みの幸せも全て世界に捧げて、俺達は戦い続ける。永遠に―――」
「――――そのギアス、確かに受け取った」
ルルーシュは胸に手を当て、目の前の男に最大限の敬意を払うように一瞬目を瞑った。
再度目を開いたとき、ルルーシュはもう二度とこの男に会うことは無いのだろうと思い、手を振った。
「じゃあな、ルルーシュ。死ぬまで戦い続ける良い人生を」
「ああ。お前もな、ルルーシュ」
1. ナナリーの幸せが大事だったんだ
「何故ですか兄上!何故、ユフィを殺害した輩を捜索してはならないのですか!!」
ブリタニア宮殿の隅々に繊細な彫刻が施された廊下を歩みながら、コーネリアは先を歩くシュナイゼルに叫び続けていた。
悲鳴のような声を発するコーネリアには普段苛烈な印象を与える強靭さは無く、顔面の血流が全て途絶えてしまったかのような酷く白い顔をしていた。
シュナイゼルは一度振り返り、痛々しいコーネリアの様子を目の当たりにして胸を痛めながらも首を横に振った。
人間としての感情を取り戻したシュナイゼルは、妹であるユーフェミアが非人道的な実験の結果殺害されたことへ、頭痛がするほどの怒気を抱いてはいた。しかしコーネリアとは違い、シュナイゼルにとってのユーフェミアは唯一無二の至玉という訳では無かった。そして彼の為政者として相応しい冷静さは全てが手術の副産物ではなく、生来の性質として持ち得ているものでもあった。
ユーフェミアを殺したのがギアス嚮団であり、ギアス嚮団という組織がブリタニア皇帝の直轄であることを踏まえると、シュナイゼルは余計に藪をつつく愚を犯す決断は下せなかった。
病床にある末期患者のような顔をした妹に、シュナイゼルは悲痛な顔をして口端から漏れ出るように声を発した。
「……ユフィの殺害犯は逮捕されただろう?コートランド伯爵だったか」
「あれは皇族の体面を保つための嘘でしょう!?確かに彼らはリ家に敵対しておりましたが、実行犯と考えるにはあまりに無理がある!あんな、ユフィに、あんなっ」
コーネリアはぶるぶると手を震わせ、棺に納められたユフィを瞼の裏に浮かび上がらせた。
生前とあまり変わらない白い肌と長いストロベリーブロンドの髪は、若く美しい皇女を鮮やかに彩っていた。花が敷き詰められた棺の中でまるで眠る様に瞼を瞑ったユフィは、肩を揺すれば目を覚ますのではないかと思う程に生前そのままの顔をしていた。
しかしユフィの胸から下は存在しなかった。細長くしなやかな胴体の代わりに不揃いな太さの人工チューブが胸の下に横たわってユーフェミアの命を吸い上げていた。それは悪辣という表現さえ徒爾に思える程の有様だった。
コーネリアが愛したユーフェミアの魂はもうそこには無く、残された体は人の形をしていなかった。ユフィの美しい形と在処は無残に凌辱され、コーネリアに残ったのはユフィに最も似合わない憎悪という暗赤色をした感情のみであった。
しかしコーネリアは憎悪という感情に振り回されはしても、叩きのめされることは無かった。脳を噴出する怒気という炎に焼かれながらも、彼女はユフィを殺したのはテロや貴族ではありえないだろうと冷静な判断を下していた。
「兄上、あなたなら何か知っているのでしょう!?教えてください、お願いしますっ、どうか、私が持っているものならなんでも差し上げますから、皇位継承権を献上しろと言うのならそうしますから……!」
「……コーネリア、私がなんでも知っていると思うのならば、それは間違いだ。むしろ私が知らないことの方が世界には多く、多くの物事が私の予想の範囲外にある」
「でも知っているんでしょう!?ユフィを誰が殺したのか、知っているのでしょう!?」
コーネリアはシュナイゼルの服を掴んだ。
シュナイゼルが知らない訳が無い。この男が知らなければ、他の誰が知っているというのか。
自問に呼応するようにコーネリアの脳内にゼロの仮面が浮かんだ。ユーフェミアの遺体が発見されたときにスザクと共にいた男。
ゼロが中国の砂漠で何を調査していたのか。その調査内容とユーフェミアの死に関連があることは確かだったが、コーネリアは未だにゼロとの面会を果たすことが叶わなかった。
それはゼロが通信越しにでもコーネリアと顔を合わせることを拒んでいるのではなく、むしろコーネリアの方に問題があった。彼女の足を止めていたのは皇族としての楔だった。
黒の騎士団へと通信しようとすると、本国の官僚が細々とした声でコーネリアの邪魔をする。テロリストに頭を下げて情報を乞うなど、皇族としてありえない。むしろゼロが首を垂れて情報を献上してくるのを待つべきではないか。皇族がわざわざ御声をかけるなどブリタニア皇室に傷をつける結果になるのではないか……
馬鹿馬鹿しい。全く以て。自分の立ち位置、皇族というものの価値。それは妹の復讐を果たすために首を下げることで容易に失われる程度のものだったのか。
彼女はそうは思わなかった。自分の価値、そして尊厳は、ここでゼロに頭を下げなかった場合にむしろ永久に失われるように感じた。
だがエリア総督という権力を失い、恥ずべき敗者として本国に戻ったコーネリアは政治に口を出す実権どころか自由に身動きする権利さえ失っていた。
今のコーネリアの短い手が届く範囲で掴めるものは、シュナイゼルの服の袖しかなかった。
「兄上、お願いします、どうか、名前だけでもっ、ユフィを殺した奴らの名前だけでも、」
「……教えるわけにはいかないんだよ、コーネリア。これは君のため、」
そこまで口にするとシュナイゼルは喉を詰まらせた。胸元をコーネリアに締め上げられたのだ。
本質的には武人であるコーネリアの白兵戦の能力は、シュナイゼルなどとは及びもつかない境地にある。
鉄鋼が捩れるようなぎりぎりとした音が耳の中で反響し、顔面の血液が滞留して熱を持つ事実をシュナイゼルは他人事のように認識していた。間近で見る妹の萎れかかった薔薇のような刹那的な美貌に彼は目を細めた。
「知っているんですね………っ、ならば、教えて下さい、教えろ!!」
声を荒げる妹にシュナイゼルは何と言っていいのか分からず言葉を詰まらせた。
コーネリアの身の安全を思うのならば、何も喋らない方が良いことは明らかである。ルルーシュやユフィと違い、魔女と名高いコーネリアが皇位継承権を破棄すれば世界中のナンバーズが彼女に殺意と敵意を向けることだろう。
だがその未来を察知していながらも、シュナイゼルは口を噤む決断が正しいとはとても思えなかった。
今のコーネリアは、あまりに見ていられない。ユーフェミアの残火を探して地上を這いまわる幽鬼のようだ。白く変色した顔にはユーフェミアの復讐のため無業の人々を手にかけることさえ辞さない危うさがあった。
もしコーネリアがそこまで道を踏み外してしまえば、それはもうコーネリアとは呼べないだろう。
――――コーネリアの生きる意味がユーフェミアにあるのならば、ここで喋らないのはコーネリアを殺してしまうのと同意ではなかろうか。
未熟な感情しか持たないシュナイゼルも、コーネリアが無知の幸福より、知者の隘路を行くことを望んでいることは余りあるほどに察せられた。
シュナイゼルは服を掴むコーネリアの腕を叩いた。
「いいだろう」
その一言で察したのだろう、コーネリアは腕から力を抜いた。気道に流れ込む空気は乱気流を巻き起こし、シュナイゼルは数回咳をして息を整えた。
「兄上、」
「ギアス嚮団だよ」
ともすればあっさりとした様子で、シュナイゼルはコーネリアに答えを提示した。しかしシュナイゼルと長い付き合いのコーネリアは、彼がいつになく悲壮な色に瞳を染めていることに気づいた。
しかしコーネリアの意識はギアス、とは何かという疑問に終始しており、常になく情感豊かな様子のシュナイゼルを気に掛ける余裕も無かった。
「……兄上、ギアスとは何なのですか?」
「ギアスとは他者の意志を歪ませ、自分の願望を成就させる王の力……私も君も、ギアスの実験台として作られたのだよ。幸運にも我々は失敗作であったわけだが」
シュナイゼルは瞳を細めて、苛烈な色に瞳を瞬かせるコーネリアへ惜別を送った。
「ユフィを殺した者の名はV.V.。ギアス嚮団の幼い嚮主であり――――我々の伯父だ」
コーネリアはその日の内に皇位継承権を破棄し、姿を晦ました。
彼女の行方を知る者はおらず、皇宮には小さな混乱が起こった。しかしエリア11において大敗を喫した皇女にはもう皇宮内における大権は無く、彼女の消失を喜ぶ者はいても、態々行方を探そうとする者は誰もいなかった。彼女の騎士であるギルフォードは主君の心境を察し、行方を捜索することは無かった。
妹が去っていった皇宮の只中で佇みながら、シュナイゼルは彼女がどこへ向かったのか思考を巡らせていた。
ギアス嚮団の本部を探しに行ったことは間違いない。だがそれがどこにあるのかはシュナイゼルにも分からない。中華連邦にあった本部はとっくにもぬけの殻と化している。
何れにせよ、彼女は妹のために全てを投げ出したのだった。地位、権力、金、そういった多くの人が求めてやまないものを、躊躇せずに捨て去ってしまった。
その行動は6年前に自分が日本へと送り出した一人の騎士と重なって見えた。捨てたものの大きさは妹の方が遙かに巨大であったものの、高潔性という意味においてかの騎士は妹に聊かも劣ってはいなかった。
ただ一つ違いがあるとすれば、騎士は主君の明日のために全てを投げうったのであって、コーネリアは妹の失われた魂のために全てを置いて走り去ったのだった。
あの騎士は今日も主君の傍にいることだろう。捨てた地位や権力に未練があるかと問えば、笑って首を横に振るに違いない。
妹はどうなるのだろうか。いつか、笑って未練は無いと告げることができるのだろうか。
シュナイゼルはその日が来ることを心から願った。
■ ■ ■
一瞬青い光が瞬いたような気がした。
網膜の端に澄み渡るような爽やかな色は瞬時に眼球へと染み渡り、強張った筋肉を柔らかく解す。
ナナリーはぎこちなくも数回瞬きをして、眩しい光から神経を守ろうと目尻を震わせた。
自分が目を開いていることに気づくまでナナリーは数秒の時間を要した。視界の中心には2人の男が立っていた。
一人の男は、6年前に顔を見た時と容姿は大きく変わっていなかった。だが多くの経験が顔表面を覆って色味を増しており、実年齢よりも落ち着いた貫禄を男に持たせていた。気位の高い猛禽類のような容姿は迫力を増し、平時に生きる男とはとても思えない危うさを漂わせている。
それがジェレミアだとナナリーはすぐに気づいた。ジェレミアの容姿は人並みではなく、むしろ圧倒的に優れていると万人が認めるところにあるだろう。
しかしその隣に立つ人間と比べれば凡庸という評価は否めなかった。
ジェレミアの斜め前には、少年と青年の只中で彷徨う紫水晶のような美貌の持ち主が凛とした姿で立っていた。
彼が誰なのか、ナナリーは一瞬分からなかった。こんなに美しい生き物がこの世界に存在するのかとナナリーは感嘆を通り越して驚嘆する思いだった。自分が目を閉ざしている間に、世界の美の水準はこの青年1人の存在で随分と上がったことだろう。
彼が男にしては高めの、しかし耳によく馴染む柔らかな声を発して、ようやくナナリーはその男が自分の兄であることに気づいた。
「ナナリー、大丈夫か?」
「ナナリー様、」
「は、はいお兄様。眩しくて」
眩しい。そうだ眩しいのだ。ああ、眩しいとは、なんて美しい言葉なのだろうか!
「ゆっくり瞬きをするんだ。ゆっくりでいいから。ジェレミア、部屋の照明を落としてくれ」
「はい、ルルーシュ様」
部屋の明かりが落とされ、ナナリーは恐る恐る瞼を開いた。先ほどよりも穏やかな色味をした世界が広がっている。ぱちぱちと瞬きを繰り返して、懐かしい世界の色を網膜に馴染ませた。
6年ぶりの世界は想像していたよりも色鮮やかで、脳内に流れ込む情報過多な色彩にナナリーは眩暈を起こした。ルルーシュは頭をくらくらと回しているナナリーのアッシュブラウンの髪を撫でて、「大丈夫、大丈夫だ」と何度も繰り返し呟いた。
「見えるかい、ナナリー」
「はい。見えます。お兄様、お兄様――――ああ、お兄様はそんな顔をしていらしたのですね」
「うん。どんな顔かな?」
差し出されたルルーシュの顔の隅から隅までを眺めながら、ナナリーは感慨に溺れそうになっていた。
こんなに完璧な容姿を持つ人間が自分の兄だなんて信じられない。陶器色の肌をした顔に指を這わせると、自分が触れた部分だけが影を作り、完璧な兄の容姿が翳るような気がしてナナリーはぱっと手を引いた。
「―――――お美しいです、お兄様」
まるで天賦の才を持つ彫刻家が、命を削って彫り込んだ彫像のような形をしている。ナナリーの感嘆は美しい美術品を前にしたそれと同等のものだった。しかしそれは彫像ではなく生きた人間で、ルルーシュは微苦笑を零した。
ナナリーの心からの感嘆よりも、ルルーシュは透き通った薄紫色の瞳に映る自分の姿に涙が滲んだ。
綺麗な瞳だ。混じりけの何もない、湖面のように澄んだ色をしている。色の深い自分の瞳とは違う、ナナリーの純粋さを表すような透明度の高い色合いに、ルルーシュは嗚咽が零れそうになるのを耐えた。
「ありがとう。でもナナリーの方が可愛いくて綺麗だよ。本当に綺麗な瞳の色だ―――ああ、目が見えるようになったんだから、これから服を一緒に買いに行こうか。ナナリーが好きな色合いとデザインの服を買おう。それに絵画や、インテリアも。ナナリーの好きなものを買おう、それに、」
「私はそんなに沢山のものは要りません。ただ……」
「なんだい?」
「……ユフィ姉さまに、会うことはできませんか?」
ナナリーの言葉にルルーシュは息を詰めた。
リ家の生き残りは今やコーネリアしかいない。ユーフェミアの母方の類系は誘拐犯に一人残らず惨殺されている。そのためにユーフェミアの遺体を直接見た者は、スザク、ルルーシュ、ジェレミア、カレン、そして遺体をブリタニアに移すよう手配したシュナイゼルと、遺体を受け取ったコーネリアしかいなかった。
皇族であるユフィの死は大々的な葬儀を執り行われてしかるべきものだ。しかしコーネリアは周囲の声から耳を塞ぎ、頑なに密葬に拘った。当然だろう。あの遺体を表に出すなど、できる筈が無い。
「すまないナナリー。ユフィの葬儀はコゥ姉上とスザクだけで行うらしいんだ。日時も分からないから……もしかしたらもう済んでしまったかもしれない」
「そうですか……ユフィ姉さまが死んでしまうなんて、どうして……」
ユフィ姉さまをもう一度見てみたかった。そう呟いたナナリーの頭を撫でる。ユフィは顔を持ち上げてルルーシュの顔をまっすぐに見た。
「お兄様、ユフィ姉さまはどうして死んでしまったのでしょう?」
「誘拐犯はブリタニアの貴族だったらしい。醜い皇宮内の権力争いに巻き込まれてしまったんだろう。ユフィは高い皇位継承権を持っていたから、ユフィを嫌う人は多かった筈だ」
「そんなのおかしいです。皇位継承権でユフィ姉さまの性格が決まる訳ではないのに、ユフィ姉さまは誰より優しい心を持っていたのに、立場や血統などのせいで嫌われて、殺されてしまうなんて」
「ああそうだ。ナナリーの言う通りだよ」
でも正論だけで世界が成り立っている訳ではないんだよ。そう告げるにはあまりにナナリーは純粋過ぎるし、意味がない事だとルルーシュは口を噤んだ。
「ユフィは優しかった。人の喜びを、自分の喜びのように感じられる人だった。だからナナリーが目が見えるようになったと知ったらとても喜んでくれただろうね」
「はい、はい……お兄様」
「何だい?」
「今日は、一緒に居てくださるんですよね?」
ナナリーはぎゅ、とルルーシュの袖を握った。
そういえば最近は黒の騎士団の活動が忙しくてまともに傍にいてやれていなかった。ブラックリベリオンに巻き込まれて不安だっただろうに、咲世子にナナリーの世話を任せきりにさせてしまっていたのだ。
心から大事に思っているのに、それを体現していなかった。だったらその気持ちは無いのと同じだ。
たとえゼロの仕事が忙しかったとしても、ジェレミアがいない間、ナナリーの唯一の保護者としてあまりに不甲斐ない有様だった。罪悪感と共にルルーシュはナナリーの手を握った。
「ああ、勿論だよ。アッシュフォードKMF開発部の仕事は辞めたんだ。ジェレミアも帰ってきたし、合衆国日本が建国したおかげで戸籍も3人分手に入った。もう何も心配することは無いんだよナナリー」
幼い子供にするようにナナリーを撫でる。
甘やかな手つきが嬉しくてナナリーは目を細めた。
「ありがとうございますお兄様、それにジェレミアさんも」
「仕事のためとはいえ長い間お傍を離れることとなり、申し訳ございませんでした」
「いえ、そんなことは……それより、どうして突然目が見えるようになったのでしょう?」
目が見えるようになったことは本当に嬉しい。これまで手が届く範囲しか存在しなかった世界が大きく広がり、なんでもできるような心地よさがナナリーの全身を包んでいた。何よりこれで、もう自分の介護をしなければならない兄の負担が格段に減るだろう。
しかし同時に、これまで見えなかった目がいきなり見えるようになったことへの驚きもある。
「確かに突然だったけど、器質的な問題じゃなく心的外傷が原因だったんだから、いきなり見えるようになってもおかしくはないんじゃないかな。ちょっとした切っ掛けで目が見えるようになることもあると精神科のドクターも言っていたし」
「そうなのでしょうか……?」
そう聡明な兄に断言されると、そうであるような気がしてくる。
精神医学の専門的知識を持たないナナリーは、恐らくはジェレミアが帰ってきたことへの安堵感が切っ掛けとなって目が見えるようになったのだろうと結論付けて納得した。
「ナナリー、目が疲れてはいないかい?やっぱり暫くはそんなに明るくない場所にいた方がいいかな」
「いいえ。大丈夫です。むしろ外に出たいです。空の色が見たいし、葉っぱの緑色や綺麗なお花の色も見たい。それに何より、生徒会の皆のお顔が見たいのです。私、皆さんのお顔をずっと想像していたんです。こんな性格と声をしている人は、どんなお顔をしているんだろうなって」
「分かった。ニーナはもう本国に帰ってしまったけど、まだシャーリーは日本にいるよ。シャーリーと、それにカレンとリヴァルとミレイ会長を呼ぼう。植物園が近くにあるからそのまま皆で行ってみようか。今の季節なら春の花が沢山咲いているよ。クローバーでまた一緒に冠を作ろう」
「はい!」
目を開けて笑うナナリーに、ルルーシュは涙を滲ませて抱きついた。細い首筋に顔を埋めて、耐え切れないと声を震わせる。
「お兄様?」
「よかった、本当に良かった、ナナリー……」
「ルルーシュ様、」
ジェレミアはルルーシュの隣に片膝をついて、彼女の華奢な肩を叩いた。
ルルーシュは片腕を持ち上げてジェレミアの背中に回した。
2人の家族に囲まれて、ナナリーは視界がけぶるのを感じた。
大丈夫だ、もう大丈夫なんだ。
これから先は3人で暮らしていけるんだ。
もう何も心配することなんてなくて、穏やかに、ささやかな日々の幸せを甘受して生きていけるんだ……
少なくともナナリーは、そう信じていた。
生徒会メンバーは開かれたナナリーの瞳に歓声を上げて、一緒に一日中を過ごした。
植物園に行き、ショッピングに行き、クラブハウスに戻ってルルーシュとミレイが作った食事を一緒に食べた。
夜を迎え、喜び疲れたメンバーは名残惜しそうにしながらも家に帰り、ナナリーも突然色彩の暴力に晒された気疲れからすぐにベッドに入って寝息を立てた。
時刻が21時を回る頃、ルルーシュの私室にはルルーシュとジェレミア、そしてC.C.が集まっていた。
「ナナリーの目が見えなくなっていたのはギアスのせいだったか……こんなに長期間、心因性の視覚障害が続くことなんて珍しいと医師が言っていたから、まさかと思って試してみたが」
「こうなるとマリアンヌ様の暗殺にもギアス嚮団が関わっていそうですね」
「恐らくはな。マリアンヌ、ナナリー、それにお前……全く、忌々しい」
舌打ちするルルーシュへ向けて、ベッドの上に寝そべる神秘的な美女が桜色の唇に笑みを滲ませた。自嘲の色が見える笑みだった。
1年近く前、トウキョウの地下でルルーシュが保護した女性だとジェレミアはすぐに気づいた。C.C.は初めて見るルルーシュの騎士へ、今度は挑戦的な笑みを浮かび上がらせた。
「お前がジェレミア、オレンジ君か」
「オレンジ?」
「………ジークフリートがオレンジっぽい外見だったから、つい、」
操縦者がお前だと知っていればオレンジだなんて呼んでいなかったと言い訳がましく呟いたルルーシュに、相も変わらずのネーミングセンスだとジェレミアは微笑ましさを感じた。
「私は気にしてはおりませんよ。それよりルルーシュ様、この女は何者ですか」
「私の名前はC.C.だ。この女などと呼ばわれる筋合いは無いぞ」
主導権を握りたいという欲求を露呈するような口調で喋るC.C.に、これではこの女性にルルーシュは敵わないだろうな、とジェレミアは一人頷いた。
ルルーシュは基本的に女性に甘い。それもミレイ・アッシュフォードのような押しの強い美女に迫られるとつい耳を傾けてしまう。ナイト・オブ・ワンに名を連ねる程の女傑であった母親への捻くれた思慕の露出か、それとも母親のような女性が自身の理想形であるからなのかは分からないが、ともかくルルーシュはC.C.のような強い女性に弱い。
そしてジェレミアとしても気の強い女性は嫌いではなかった。気が弱い女性より余程良い。
強い意志を持ち、自らの道を実力で切り開く颯爽とした高貴な女性がジェレミアは好きだった。髪色は神秘的な新緑色ではなく夜空のように静かな黒色の方が好みであったが。
「それは失礼した、Ms. C.C.」
「Msはいらん、堅苦しい」
鼻で笑ってひらひらと手を振るC.C.は、紳士的な微笑みを浮かべるジェレミアの眼を見据えた。
左目はオレンジ色の仮面で覆われていて瞳の色は見えない。だが青色をしていることは既にC.C.もルルーシュも知っていた。
「ギアスキャンセラーを持つ騎士か。また随分と異端の能力を持って帰ってきたものだ」
「好きでこうなった訳ではないがな」
「全くだ、死んでいたかもしれないんだぞ」
ユフィのように、というルルーシュの言葉は音にならなかったが、ジェレミアは確かに聞いた。
ユフィの無残な死体を思い出すと、華憐な皇女の末路としてはあまりに哀れだという感傷と共に、自分がああならずに済んでよかったという安堵が浮かぶ。
あまりに自己中心的な安堵の念に自身への嫌悪感が増したが、しかしそれ以上にユフィの遺体は凄惨を極めていた。
「ジェレミア、ギアス嚮団にはユフィみたいに実験体にされていた奴らが沢山いたんだな?」
「ええ。V.V.というコード保持者が嚮主として実験を主導しておりました」
「V.V.というのは何者か分かるか?」
「……いえ、そこまでは。しかしビスマルクを従えていたことから、恐らくは皇族だと思われます」
「ふん、そうか」
ルルーシュはC.C.に目をやり、しかしふいと逸らした。
C.C.が何か知っていることは明らかだが、C.C.は共犯者であり、部下ではない。詰問する権利は自分には無い。
それにC.C.が喋ろうとしないことを無理に聞き出そうとでもすれば、彼女は気まぐれな猫のようにここから離れてしまうだろうということは想像に難くなかった。
「ギアス嚮団がまだ中華連邦にあれば、総攻撃を仕掛けることも出来るのだが……」
「オレンジがユーフェミアを連れて脱走した時点でもう移動しているよ。今、ギアス嚮団の本部がどこにあるのかは私にも分からん」
C.C.はぴょん、と床に飛び降りた。
「行方が分からない以上、探すしかないだろう」
「そうだな。暫くは合衆国日本の舵取りをしながら地道な捜索活動が続くわけだ」
ルルーシュは腕を組み、息を吐いた。
ユフィを殺し、非人道的な実験を続けるギアス嚮団はブリタニアと大きく関わりがある。であれば暫くはゼロとして活動を続け、ギアス嚮団の居場所を探る方が得策かもしれない。
「藤堂と話をしなければな、随分待たせてしまっているから――――できればあと1年以内に片を付けたいところではある」
「藤堂というと、スザクの師であった軍人ですか」
「ああ。今は黒の騎士団の軍事総責任者の役職にある。ゼロがルルーシュだと知っている数少ない人間の一人だよ。他に知っているのは紅月カレンと、咲世子と、スザクとシュナイゼルかな」
「―――スザクはともかく、シュナイゼル殿下は……」
目を険しくするジェレミアにルルーシュも頷いた。
シュナイゼルに最悪のカードを握られている状況は変わらない。たとえシュナイゼルに人間らしい感情が戻っていようとも、元々の人格に問題があれば何の意味も無い。
一度会話をした限りでは割と温和そうな人柄ではあった。しかし一度きりの会話で何が分かるというのか。
シュナイゼルであれば油断を誘うために態と温和そうな人柄を演じて、その裏で薄暗い策謀を張り巡らせていても何の意外性も無い。むしろその方が現実味がある。
あのシュナイゼルが、その実はルルーシュよりもユーフェミアの方に似た優しい心を持つ青年であったなど容易に信じられるものではない。
「ブリタニアが合衆国日本をいつまでも放置しておくとは考え難い。ブリタニアが再度日本に侵攻してくる時が来れば、ゼロが皇族であることは黒の騎士団、ひいては合衆国日本にとって不利になる……これは感情を取り戻したシュナイゼルがどの程度マシな人間であるかに掛かっているが」
「まあそれはそれとして、だ」
C.C.はルルーシュに抱き着いて豊満な胸を腕に押し付けた。
「そんなに先のことを心配してもしょうがあるまい。それより今夜のことだ。ルルーシュ、この男はこれからここに住むんだろう?私、お前、そしてナナリーに咲世子と、今は女しか住んでいないこのクラブハウスに」
「?そうだが」
ルルーシュはこてんと首を傾げた。何か問題でもあるのかと言いたげな仕草にC.C.はジェレミアへ同情の視線を向けた。その視線の意味を明確に受け取り、ジェレミアはゆっくりと顔を伏せた。端正な顔には諦念と遺憾がまだら模様になって浮かんでいた。
「何か問題があるとは思わないか?」
「だから、何がだ」
「危機管理の問題だ。こいつは20代後半の男盛りの強靭な男で、私達は美しくか弱い乙女だ。こう、ちょっとは危ないとは思わんのか?」
「別に」
今度こそC.C.は哀れな子羊を見る目でジェレミアを見やった。ジェレミアは肩身が狭そうに身を捩った。
ルルーシュは指先を突き刺すようにジェレミアへ向けた。
「こいつが女子供に対して無体を働くわけが無いだろう。その点について警戒する必要は全く無い」
「ああ良かった。私の言っている意味はちゃんと理解していたんだな。子供がキャベツ畑から生えてくるとでも思っているんじゃないかと心配したよ」
「よしジェレミア、今日からこの家に住む乙女は3人だ。餞別代りに引っ越しの手配をしてやれ」
「ほう、お前はこれから政庁に寝泊まりするのか。家に帰る間もない程に仕事が忙しいんだものな。安心しろ、ピザの請求書の宛先はきちんと政庁に変えておいてやるから」
「出ていくのはお前の方だ。生憎と俺はそこまで初心じゃないし、何も知らん小娘のように馬鹿にされるのは気に食わん」
「おや、お前は生娘なのか?」
「……どうだかな。覚えていない」
謎は謎のままの方が美しいんだろう?とルルーシュは挑戦的な笑みを浮かべて肩を竦めた。
「ほう、小娘が、言うじゃないか」
「お前の言葉だ」
「成程、流石私だ。良い事を言う」
「いい加減になさってください。もう深夜ですよ。ナナリー様もお眠りになっているんですから」
話が険悪な方向に移りそうな気配を察し、ジェレミアは二人の間に割って入った。二人はよく似た憮然とした表情を浮かべた。
揃って類稀なる美貌の女であるというのに、間に挟まれると圧迫感しか無く、美女に囲まれている多幸感は欠片も無い。二人揃って一筋縄ではいかない性格をしていることを知っているからかもしれない。
二人は不機嫌そうな顔をしながらも、ルルーシュはC.C.の隣に体を横倒しにした。ごく自然な仕草でルルーシュは隣に女性1人分のスペースを確保し、そこに自然な体運びですっぽりとC.C.がおさまったことから、こうして二人が同衾するのは初めてではないことは明らかだった。
頻繁に同じベッドで寝ているのか。
仲が良いのか悪いのか。喧嘩友達とでも言うのだろうか。ルルーシュはシーツを自分とC.C.の上にかけた。
「疲れたからもう今日は寝る。とりあえず明後日はお前を黒の騎士団に連れて行くから、明日は休めよ。急な仕事も無いし、俺も明日は休暇の予定だから」
「イエス、ユアマジェスティ」
「うん、お休み」
ひらひらと手を振るルルーシュはシーツの下でC.C.と体を寄せ合っているようだった。
ジェレミアは深淵怪奇な女性の付き合いというものを理解することを早々に諦めて、自室へと引き上げていった。
■ ■ ■
机の上に一枚の辞令が落ちている。
辞令にはシュナイゼルの名前が直筆で書かれており、皇族であり宰相でもあるシュナイゼルが宛先の軍人へ最大限の敬意を表していることが読み取れた。
だが辞令の宛先であるスザクは辞令に目をやるでもなく、体を床に投げ出してぼうっと天井を見ていた。
もう数日、何も食べていないような気がする。
そろそろ何か食べないと死ぬかもしれない。
スザクはのろのろと体を起こし、私室に備え付けられている冷蔵庫へと向かった。
中に入っていた適当なカロリー補充剤の詰まった瓶をひっつかんで、ざらざらと掌の腕に広げて口内に押し込む。何の味もしない錠剤を噛んで、ミネラルウォーターで胃に流し込んだ。
もう数日間、錠剤だけで体を保っている。そろそろちゃんとした食事を取らなければ体に深刻な影響を及ぼすことは想像に難くない。次の食事はちゃんと摂取しようとスザクは決めた。
それだけではない。ちゃんと体を動かさなければならない。筋肉が削げると力を失ってしまう。それにこのままこの部屋で徒に時間を食いつぶしていると、遠からず精神が死ぬだろう。
まだ自分は死ぬわけにはいかない。
顔を洗おうと洗面台に向かうと、鏡の向こうには死人のような顔をした男が呪詛でも吐きそうな表情でこちらを冷ややかに睨み据えていた。
童顔だとよく言われる顔は、今は実年齢より10は年上に見える。それはここ数日の荒んだ生活のせいではなく、世界の全てを憎んでいるような暗い表情のせいだった。落ち窪んだ瞳は腐った汚泥のような色をしていた。似合いの色だとスザクは思った。
髭を剃り、顔を洗い、服を着替える。
身綺麗になったスザクは机の上に置かれた辞令を手に取った。
長ったらしい文章の頭部分だけを何度も読む。
OFFICIAL ANNOUNCEMENT
I order Suzaku KURURUGI to transfer to the United States of Japan embassy.
「……ルルーシュやクラスメートの所で、心安らかに過ごせとでも?」
無理な話だ。空虚な笑いが浮かんだ。何を今更。
部署の異動を決定したのはシュナイゼルだろうとスザクは予想し、そしてその予想は当たっていた。
シュナイゼルは、スザクが親友であるルルーシュの傍でギアスに翻弄される事無く心を癒した方が良いと考えて、合衆国日本に新設されたブリタニア大使館へ派遣することにしたのだった。
表向きにはユーフェミアを守ることが出来なかった失態への処罰として、危険性が高く、誰もやりたがらない任務へ左遷させたと取り繕って。
スザクは、シュナイゼルは騎士がいかなるものか理解していないと肩を竦めた。
ルルーシュも、シュナイゼルも、選任騎士がいかなるものか本質的に理解していないようだった。それもそうだろう。彼らは時代の指導者として君臨する才覚を有する代わりに、他者へ混じりけの無い忠誠心を抱く素養はまるで無い。
「――――復讐」
スザクは小さく呟いた。誰に聞かせるわけでもなく、自身の有様を確認するためにスザクはその言葉を何度も繰り返し声にした。復讐、復讐、復讐。脳細胞へ刷り込むように何度も呟く。
主君が死ねば復讐する。それが騎士だとスザクは6年前に教えてもらった。
子供だった自分はその言葉の意味がよく分からなかった。だが今はジェレミアの言葉の意味を、スザクは芯の髄まで理解していた。
主君が死ぬと、騎士には生きる意味が何も無くなる。忠誠心とは魂の根本にあり、主君が死ねばその向かう先は空虚になり、復讐だけが残る。
さらにスザクにとりユフィはただの主君では無かった。
スザクはユフィを愛していたのだ。自分の人生よりも、日本よりも、彼はユフィを愛していた。
復讐、馬鹿なことだ。スザクの理性はそう分かっていた。ユフィはこんなこと望んでいない。
しかしそれでもスザクはそれを為さなくてはならなかった。
でなければ、何故自分はまだ生きているのか?
辞令を手の中で握り潰す。汚泥色の瞳が暗い部屋で瞬いた。