楽園爆破の犯人たちへ 求   作:XP-79

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14.5 楽園のかたち

 

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 気づいた時、皇宮では無い場所にスザクは立っていた。

 その場所は皇宮の豪奢が故の居心地の悪さとは無縁の空間だった。広さはずっと狭いものの、胸奥を解す温かみに満ちた光景が目の前に広がっている。

「ここは……」

 周囲をきょろきょろと見回す。見慣れたと言うには恥ずかしい程の短期間しか居られなかった優しい空間にいるようだった。まさかと思うも、見間違える筈が無い。

 

 スザクが立っていたのはアッシュフォード学園の生徒会室だった。

 

 四方には記憶のままの光景が広がっている。クリーム色の壁。部活勧誘のチラシで埋め尽くされた掲示板。高等学校にしては洒落た窓飾り。長細い机を4つ固めてその周りに配置してある椅子。

 机の上には紙束や段ボールが山のように積み重なっていた。床には色とりどりの風船が放り投げられて自由気ままに跳ねている。

 部屋のど真ん中に陣取っているホワイトボードには「文化祭までデッドライン近し!」と妙に達筆な字で書かれていた。これはルルーシュの字だ。隅にはリヴァルの癖のある字がうねっている。「各部活への連絡終了、各委員会からの報告終了、あとは搬入待ち(; ・`д・´)」

 

 何だこれは。状況が把握できない。

 皇宮で仕事をしていた筈なのにと焦りを浮かべながら周囲を見回していると、自分自身にも奇妙な変化が起こっていることに気付いた。ナイトオブラウンズとして仕事中は必ず重苦しく奢侈な騎士服を纏うこととなっている。だが今体を覆っているのは金色で縁取られた学生服だった。

 更なる困惑がスザクを襲った。着替えた覚えなんて無い。そもそも自分は既にアッシュフォード学園を退学している。ここにはもう自分の居場所は無い。なのにどうして。

 

 頭を抱えるスザクに背後からボールが弾むような声が響く。ブリタニアの頂点にある皇宮には相応しくない呑気で間延びした声だった。

「何やってんだよスザク、ちゃっちゃと準備しねえとミレイ名誉会長の雷が落ちるぜ~」

「ほんと会長ってばちょくちょく来るよね。アナウンサーになってから忙しい筈なのに」

 リヴァルは抱えた書類をよいしょと言いながら机に載せる。その隣にシャーリーが備品室から取ってきたのだろう絵の具やらキャンパスやらを重ねて置いた。平然とした様子の2人をスザクは茫然と見やった。

「リヴァル、シャーリー……」

「おう、持って来たぜ設計図。やーっぱニーナはすげえよなあ、案を出したらばばばっと設計図作っちまうんだから」

「今回の機材はニーナがいないと実現は無理だったもんね。あ、スザク君荷物搬入のトラック遅れるって。暫くゆっくりしておいて大丈夫だと思うよ」

「え、何、」

「何って、学園祭の準備よ」

 さも当然のように告げたシャーリーにスザクは後ずさった。

 

 学園祭。

 そんなの、聞いていない。

 ある訳が無い。

 

 後ずさったスザクの肩に何かがぶつかった。振り返ると呆れ顔のルルーシュが書類を持って立っていた。

 ルルーシュもあの重苦しい純白の皇帝服を着ておらず、いつもの学生服を着ている。さも当然のように。

「ル、ルルーシュ、」

「何やってんだスザク。荷物の搬入は終わったのか?もう到着している筈だろう」

「ルル、まだ荷物届いてないよ。渋滞でトラックが遅れちゃってるんだって」

「そうか。じゃあスザクはリヴァルを手伝ってくれ。飾り付けをそろそろ始めないといけないからな。お前なら壁を走って校舎の外壁を飾り付けるぐらいできるだろ」

「あんたスザクを何だと思ってんのよ……」

 溜息を吐きながらカレンが扉から3つ重なった段ボールを抱えて入って来る。そのまま床にドンと段ボールを置いて手の埃を払った。

 ここ数か月身に纏っている重厚な赤い騎士服を着ていない。シャーリーと同じ制服だ。ナイトオブワンになってからさらに苛烈さを増した表情は影も見えず、年頃の学生らしく呑気で柔らかい表情を浮かべていた。

「カレンちゃんあの備品全部運んでくれたの?」

「あのくらいなら楽勝よ。早く済ませないと次が進まないしね」

「よし。じゃあカレンとシャーリーは、」

「ちょ、ちょっと待ってルルーシュ。どういうことなんだ。君は皇帝だろう。学校になんて来れる筈が無い。僕だって、カレンだってもう学校になんて来れないに決まってるじゃないか。シャーリーだって学校を辞めて皇宮に就職したのに、学園祭なんて、」

 困惑を顔面に浮かべているスザクにルルーシュは首を傾げた。

「……寝ぼけてるのかスザク?俺は皇帝なんかじゃないぞ。それに皆学生なんだから学校に来るのは当たり前だろう」

「は、え?どうして、君はナナリーを助けるために皇帝になったんじゃないか。そして僕とカレンを騎士にして、戦って、反乱する貴族を皆殺しにして、」

「ナナちゃんなら後でユーフェミア殿下を連れて来るって言ってたわよ?」

 

 きょとんとしたシャーリーの言葉を飲み込もうとして喉が詰まった。

 何と言っていいのか言葉を失った。

 

 心配そうにこちらの顔を見ている生徒会メンバーの顔をぐるりと見回す。性質の悪すぎる冗談を言っているような顔ではない。

 そして彼らの顔はあまりにリアルでこれが夢だとはとても思えなかった。

 動き方を忘れた喉を叩き起こしてなんとかぽつぽつと言葉を吐き出す。

「ユフィが、来るの?」

「うん。一回生徒会を見学したいって言ってたからナナリーが案内して来てくれるんだって」

「ユーフェミア殿下生徒会に興味あるのかな。もしかして入っちゃう感じ?」

「仕事が忙しいから難しいんじゃない?入ってくれたら嬉しいけど」

「ユフィが、ユフィが来るの?生きているの?」

 手足をぶるぶると震わせるスザクにルルーシュは怪訝な目を向けた。

 何を当然の事を言っているのかと言わんばかりの顔だった。

「寝ぼけているのか?この前アッシュフォード学園に転入して来ただろう。大騒ぎだったじゃないか」

「民衆のことをもっとよく知るためーってごり押ししたんだっけ。すっごい騒ぎだったわよね~。テレビもすっごい沢山来ちゃって大変だったじゃない」

「コーネリアが保護者面で一緒に来たせいで余計に騒ぎが大きくなったんだよ。当初の予定ではもっと穏やかに済む筈だったのに、本当に姉上はユフィに過保護で困る」

「コーネリア皇女殿下もルルーシュにだけは言われたくないと思うわよ」

「スザクが入学した時も枢木元首相がやってきて騒ぎになったもんなあ。そういえば結構年なのにスザクのお父さんって元気だよな。やっぱ日本人ってブリタニア人よりも老化が遅いのかな」

「人種の違いというより個人差じゃないか?シュナイゼル兄さんは割と若く見えるけどジェレミアは年齢の割に老けて見えるだろ」 

「………それジェレミアさんの前では言わないであげてね。ただでさえルルと年齢差があるっていうのに」

「割と気にしてるみたいだしなあの人」

 あはははは、と笑う生徒会を前にして、スザクは視界が潤むのを感じた。

 

 

 

 

 掌に爪を立てたら痛みを感じる。

 これは夢じゃない。肉体の感覚は至極リアルだ。

 

 夢だったのはあっちの方だったんだ。

 

 フレイヤを撃ってしまったことも。そのせいで沢山の人が死んだことも。そのせいでナナリーがいなくなってしまったことも。

 ゼロだったルルーシュと殺し合いをしたことも。

 ルルーシュとジェレミアが父さんを殺したことも。

 これまで沢山の、本当に沢山の人を殺してしまったことも。

 

 ユフィが死んだことも。

 

 

 

 全部、悪い夢。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほわっ、スザクどうした!?」

 突然ぼたぼたと涙を零し始めたスザクにルルーシュは慌ててハンカチを取り出した。

 何でもないと言おうとしたが歯の隙間から空気がこぼれ出るばかりで言葉にならなかった。代わりに何度もしゃくりあげる。

「スザク君どうしたの?目にゴミでも入った?」

「う、ゔん。目に、痛くて。ゴミが、」

「あーもう、ほらスザクこれで拭え」

 ルルーシュが乱暴な手つきでスザクの目元を拭う。容赦の無い手つきがごしごしと擦ったせいで目元は真っ赤に染まった。

「ちょっとルル、もっと優しくしてあげなさいよ!」

「撫でるぐらいじゃゴミは取れんだろう。ほらどうだスザク。ゴミは取れたか」

「あ、あはは、うん取れたよ。ありがとうルルーシュ」

 スザクの返事にルルーシュは満足した様子でハンカチを仕舞った。

「別にいい。そういえば今日ミレイ会長が様子を見に来るとさっきLINEで連絡があったぞ。差し入れを持って来ると」

「え?でも今晩のライブ放送のニュースキャスターをする予定でしょ?そんな時間、」

「時間はあるものではない。時間は作るものよ!」

 扉が勢いよく開かれる。

 扉の向こうにはミレイが仁王立ちで立っていた。アッシュフォード学園の制服は着ていないものの金色に輝く容姿は微塵も変わらない。恰好が私服であるせいか、まだ卒業から数か月しか経っていないのに大人びて見える。

 豊満なバストを揺らしながらミレイは元気に手を振った。

「おっひさーみんな!元気してた?」

「ミ、ミレイ会長ぉお!お久しぶりです!このリヴァル、会長に会う日を一日千秋の思いで待っておりまs」

「あ、リヴァルはいいから」

 もう恒例となったあしらいを受けて一人撃沈するリヴァルを無視して、ミレイは懐かし気に生徒会室を見回した。アナウンサーとしてテレビ越しに見る姿よりもずっと生き生きとしている。

「会長、来るってLINEしてからまだ10分と経っていないじゃないですか」

「ふっふーん抜き打ち検査でもしようと思ってね~」

「抜き打ち検査?学園祭準備がちゃんと進んでいるかってことですか?」

「そんなのルルちゃんがいる以上検査する必要なんてないでしょー?そ・れ・よ・りぃ」

 ミレイはつつつ、とルルーシュの傍に寄ってふにふにと白い頬を突いた。ルルーシュは赤ん坊にするような仕草に眉間に皺を寄せるも、頬をつつく手を払い落とそうとはしなかった。

 

 系統の違う美女2人が戯れている光景は非常に美しく、他者の眼から見れば目の保養なのかもしれないが、スザクの眼から見ると捕食者(ミレイ)が獲物(ルルーシュ)を吟味している光景に他ならない。ミレイの蒼い瞳はきらきらと光っていた。

 

「生徒会メンバーのイロイロなことが心配で心配で夜しか寝られなくなっちゃったから思わず来ちゃったのよねー。色々噂は聞いているんだけど、実際はどうなのか見てみないと好奇心が満たされなくって!」

「イロイロって何ですか」

「ルルちゃんはジェレミアさんとなかなか進んでるそうじゃない。ナナちゃんから聞いたわよん」

「な、え、はぁ!?」

「とは言っても細かいところまでは聞けていないからもう気になって気になって」

 じりじりと迫ってくるミレイから後ずさりながらルルーシュは顔を真っ赤にしてぶんぶんと顔を横に振った。

「それはナナリーの勘違いです!お、俺とあ、あいつがそんな、そそそそんなことをするわけが」

「……嘘つくの下手になったんじゃないのルルーシュ」

「というよりルルってミレイ会長限定で嘘が下手なのよね」

「流石会長だぜ!そこに痺れる憧れるぅ!」

「おい今は俺が生徒会長だぞ!助けろお前ら!」

「「「無理」」」

 非情な合唱を受けたルルーシュはあわあわと逃げ場を探すように周囲に視線を走らせる。

 縦横無尽に走る眼球は一人無防備に棒立ちになっている親友をロックオンしてレーザーのようにかっと輝いた。ミレイが喰いつきそうな餌発見、と秀麗な顔に書かれてある。

 

 ルルーシュは普段の運動音痴が嘘のように素早くスザクの後ろに回り込んだ。そのままスザクの背中に引っ付いて小動物のようにぷるぷると震える。

 何故かルルーシュに触れられるのが酷く久し振りであるような気がした。親友だというのに、そういえばここ最近握手をしたり肩を組んだりもした記憶が無い。

 何故だろうと思うも今は目の前で両手をわきわきとさせるミレイの方がずっと問題だった。

「ル、ルルーシュ?」

「会長、俺の方はそう大した進捗も無いですからそう楽しくもありませんよ。そうだろうスザク?お前だって知っているよな、俺とジェレミアがそんな関係じゃないって」

「いや12歳の頃から知ってるけど割とあれはアウトな」

「そんな関係じゃないよな!?お前知ってるよな!?」

 事実がどちらであろうともミレイに疑られたが最後、根掘り葉掘り茎まで摩耗して無くなるまで質問攻めにされることは間違いない。ルルーシュの顔は必死だった。

 縋るような眼を見返してスザクはなんとも言えない顔をして首を背けた。

「黙秘権を主張します」

「あ、逃げた」

「逃げたわね」

「スザク、おのれ、俺を、俺を裏切ったなぁあああ!!」

 耳元で鳴り響く親友の叫び声に非常に微妙な気持ちになるも、ミレイを敵に回す程に愚かなことは無いことをスザクは生徒会メンバーとして身に染みて理解しており、背けた顔を前に向けることはできなかった。

 

 Nobady can stop Milly. 生徒会に入会して一番最初に学んだのがそれだ。目を付けられたら最後、弄られて弄られて弄り倒されてミレイが飽きるまで終わらない。

 しかし幾ら好き勝手に振る舞おうとも、駄々を捏ねながら我儘を言っても、憎まれるどころか敬意と親愛を大量獲得してしまうのがミレイの凄いところだろう。いつだって生徒会はミレイを中心に台風のように回転していた。ミレイが動けば生徒会も動く。そのため生徒会メンバーはミレイの動向への察しが非常に良い。

 

 だからこそスザクはミレイがターゲットをルルーシュから自分に切り替えたことに瞬時に気が付いた。

「まあそっちも気になるんだけどぉ、今日のメインはべ・つ♡」

 にっこりと笑う笑みが怖い。蛙を見つけた蛇が笑うとしたらこんな表情になるのだろう。にじりにじりとミレイがゆっくりとした足取りで近づいてくる。

 背後を見ると危機を察したルルーシュはとっくにスザクの傍から離れていた。巻き込み事故を受けないように距離を取ったのだ。

 もしや最初から自分を犠牲にミレイから逃れる魂胆だったのかとようやくスザクは気づいた。裏切ったと責めたその10秒後に自分が裏切る態度がいっそ清々しい。

 スザクがルルーシュを責める間もなく、あ、ヤバいと思った時にはもう遅かった。

「スザクくんってぇ、もうユーフェミア殿下とキスしたの?」

「キッ、っ」

 がたんと背後に飛びずさる。ミレイは初心な反応を心底面白がってにやにやと頬を吊り上げていた。

「ユーフェミア殿下が入学してくるなんて面白い事態を経験できなかったなんて、このミレイ・アッシュフォード、生涯の不覚としか言いようが無いわ……1年ぐらい留年すれば良かった。というわけで今日はせめてスザク君の進捗具合を直に聞きたくて来ちゃったのよね~」

「あ、それあたしも気になる!」

「スザク貴様っユフィにもう手を出したのか!?ゆ、許さんぞ!まずは短くとも3年間の清い交際の後に婚約期間を設けて、両者ともに社会人となってからきちんとした結婚式を挙げた後でなければ俺は認めないからな!!」

 怒る猫のように歯を剥いてこちらを睨みつけるルルーシュにどう返事をしたものかと視線を彷徨わせる。

 しかしスザクの味方をしようとする者はいない。皆楽しそうににやにやとしてばかりいた。

「違うよルルーシュ、誤解だ、まだキスしか……」

「もうユーフェミア様とキスしたの!?」

「さっすがスザク、手がはやーい!」

「そんな会長、本当にまだそれだけしか」

「スザあぁああク!!貴様、キ、キ、ユフィと、キスだと!?早い、早すぎるぞ!!ユ、ユフィはまだ16歳だというのに、そ、そん、そそそそそそ」

「お兄様落ち着いて下さい。それでスザクさん、ユフィお姉様とはどんなところにデートに行ったりしたんですか?」

「ナナリー!?」

 

 視線を扉に向けると車いすに乗ったナナリーがくすくすと笑っていた。慣れた手つきで車いすを動かして生徒会室に入る。

「ナナちゃん、ユーフェミア皇女殿下は?」

「職員室に用があるということで途中で別れたんです。すぐにいらっしゃられますよ」

 車いすを転がしてナナリーはスザクに近寄る。満面の笑みには好奇心で光る瞳が埋め込まれていた。

 気に入らないという顔を隠しもしないでぶつぶつと呟くルルーシュに少し呆れの視線を向けながらも、ナナリーは気にしないことに決めたらしい。

 ルルーシュのシスコンは不治の病であることを理解しているからこそかける言葉も無かったのだろう。

「デート……デートだってまだ早いだろう。二人っきりでこんな奴と一緒だなんて危ないにも程がある。まずは俺かコーネリア姉上同伴で遊びに行くことから始めるというのが筋だろう。行く先は図書館や美術館など品性のある施設で公序良俗を保ってあくまでもお互いの知識を高めるためn」

「それでスザクさんはどんな風にユフィお姉様をエスコートしたんですか?王子様みたいに手を引いてショッピングなさったのか、それとも映画館とか行かれたんですか?もしくは水族館とか?」

「あ、この前新しい水族館オープンしたよね。新しいデートスポットだって雑誌で紹介してあったけどスザク君はもうデートで行ったの?」

「シャーリー、僕はまだそんな、デートなんて、」

「あーあ!いいなぁ~騎士に紳士的にエスコートされてデートとか……まあそんなのお姫様じゃないと似合わないんだろうけどさぁ」

「大丈夫だってシャーリー。少なくともルルーシュよりはシャーリーの方がそういうの似合ってるだろうし」

「ルルーシュって本物のお姫様の筈なのにそういうの致命的に似合わないわよね」

「か弱さと嫋やかさと謙虚さが致命的に足りないからじゃない?」

「それだ!」

「喧嘩を売っているのかリヴァル。高値で買うぞ。俺だってその気になればカレン顔負けの猫を被って深窓の令嬢っぽく振る舞うことだってできる。あいつがか弱くて嫋やかな女はタイプじゃないと言うからやらないだけであって、」

「あんたが私に喧嘩売ってんのかしら?」

 ばきばきと指を鳴らすカレンにルルーシュは顔を引き攣らせて首を横に振った。

 シュナイゼルではないが、ルルーシュだって最初から負けが決まっている勝負はしない。

 

 はいはーい、とミレイが手を叩いた。

「じゃあ学園祭が成功したら打ち上げで水族館行っちゃいますか!ジェレミアさんに車を出して貰えばすぐでしょ?」

「さも当然のようにミレイ元会長も行く流れですねこれ」

「当っ然!いいじゃな~い、最近モラトリアムが足りなくてぇ。ほんっとあの変態顎割れ上司『カオスが足りない!』て番組編成にねちねち文句言ってきてたまったもんじゃないわ。仕事は出来るから誰も文句言えないし、無駄に声が大きいから耳が痛くてたまんないのよ。ストレス発散でみんなで遊びに行きたいの。きゃあきゃあわちゃわちゃしたい。恋愛話を根掘り葉掘り茎が摩耗するまで聞き尽くして気の済むまで弄ってほっこりしたーい!」

「それでほっこりするの会長だけでしょう。それにこの人数全員が車一台に乗るのは無茶だ。あと一人誰かに車を出して貰わないと」

「じゃあこの前免許取ったからあたしが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「これがスザクさんの望みだったんですね」

 車いすに座ったナナリーが心底安堵した顔で呟いた。スザクを見上げる。

 菫の花のように柔らかい色をする瞳の淵は赤く染まっていた。

「よかった。スザクさんも争いの無い平和な世界を望んでいたんですね。安心しました。スザクさんももしかしたらお兄様と同じように…………いえ、もうよしましょう」

「ナナリー?」

「お兄様もあと少しすれば来ますから。コーネリアお姉さまも、ジェレミアさんも……まだ彼らだけは私達の意識に残る記憶から抽出した幻ですけど、でもあと少しで本物になりますから」

 えへへ、と笑ってナナリーはスザクの服の袖をついと握る。指先で遠慮がちに服を摘まむ仕草はユーフェミアに似ていて目が細まる。

 

「スザクさんが望むのならずっと、ずーっとここにいられるんですよ」

「………うん」

 

 目の前でわあわあと騒ぐ生徒会のメンバーを見やる。

 誰も彼もが楽しそうだった。明日の命を心配する翳りの欠片も見当たらない。

 自分も心底から明日も彼らが生きていることを信じられる。彼らは友達だと一切の躊躇なく心から言える。

 全身を生ぬるい湯につけられたような気分だった。そうだ。自分はこれが欲しかったんだ。

 

 これだけがずっと欲しかった。

 

「学園祭だってもう何の邪魔も無くできるんです。人殺しだってしないで済むんです。お兄様と殺し合いなんてしなくていい、カレンさんと敵対することもない、ユフィ姉さまが死ぬことも無い。学校に行って、卒業して、就職して、私達は普通に、そうして―――」

「何を言っているんだい?」

 

 こてんと首を傾げた。

 こんなに平和なのに、ナナリーはどうしてそんなに物騒なことを言うのだろう。

 

「そんなの当たり前だろう。僕たちは普通の、普通の高校生なんだから」

 

 ナナリーは眉をちょっとだけ持ち上げて、しかしすぐに可愛らしい少女の微笑みへと戻った。

 

「それより早く学園祭の準備をしようよ。仕事が山積みなんだ。ナナリーも手伝ってくれるかい?」

「はい、勿論。力仕事は苦手ですけど計算とか、あと部活への連絡とかなら任せて下さい」

「頼もしいな。じゃあルルーシュに言ってまずは書類を、」

 

 そう言った瞬間にナナリーの背後で扉がゆっくりと開いた。ナナリーの背中越しに扉へと目を向けると、誰よりも愛する人が立っていた。

 

 大きい瞳。細くてなだらかな弧を描く眉。長いストロベリーブロンドがドレスの上を滑って流れている。ドレスの端からは細い足首が2つ伸びてしっかりと地面を踏みしめていた。

 五体満足で何の傷も無い。スザクの記憶のままの美しいユフィがそこにいた。

 ユフィは半月のように目を細めて何の表情も浮かばせずにスザクを見ている。唇は一本の線のように閉じられていた。

 

「………お、あ、」

 

 ぶるぶると唇を震わせてスザクは言葉を探した。

 ユフィがアッシュフォード学園に入学してから毎日顔を合わせているというのに、酷く久し振りであるような気がした。両足で地面に立ち、意志の強そうな瞳を輝かせている姿を見るだけで心臓が引き攣るような気さえした。

 

「ゆ、ふぃ」

「――――スザク」

 

 小さく紡がれたユフィの声にスザクの中で何かが決壊した。

 もうこれでいいと思った。何か大事なことを忘れているような気がしたが、そんなことはもうどうでも良かった。

 本当に一番大事なものさえ取り返せるのならば、他のことなんてどうでもいい。

 そうやって本当に大事なもの以外を斬り落として行かなければ何も守れやしないのだ。スザクはそのことを知っていた。縋る様に声を張り上げる。

 

「ユフィ、ユフィ!待っていたんだ!学園祭の準備が大変で、ミレイ会長が来たんだ、ナナリーも一緒で、リヴァルも、シャーリーも、ニーナも……そう、ルルーシュが、そうルルーシュがいるんだ。ユフィ、ルルーシュがいるんだ。一緒に仲良くしようよ。ここで、ずっとここで―――――」

「スザク」

 

 背を凛と伸ばしたユフィはスザクに近寄り淀んだ碧色の両目を見据えた。名前を呼ばれただけだというのに、何故か咎められているような気がした。

 ユフィは細い指でスザクの傷だらけの手を包み込むように握る。体温が熱い。指先の血管に熱湯が注がれるような熱さだった。そこでスザクは自分の体が冷え切っていることに気付いた。

 

「スザク、あなたは嘘をついているわ」

「……嘘?」

 

 ユフィは何を言っているんだろう。

 指先の熱が心臓まで達して焦げ付いているような気がした。どくどくと鼓動が悲鳴を上げる。自分は嘘は言っていない。だがユフィの言葉にも嘘は無いように思えた。

 嘘を言った。自分が。何を。

 

「スザク、本当に、本当にこれがあなたの望みなの?」

 

 熱せられた剣の切っ先のような声色だった。全身がその熱さに打ち震えた。

 

 静かな光に満ちた生徒会室が融解する。

 机に載っていた書類は液状化して流れ落ちた。床を埋め尽くしていた風船は全部破裂してバンバンと喧しい音をたてた。

 その場にいた全ての人たちは泥色の人形になってばたばたと倒れる。泥人形は床にぶつかった衝撃で粉々に砕け散った。

 タイルで覆われていた床は揮発して姿を消す。その下には果ての見えない広漠たる荒野が広がっていた。

 

 

 

 心を慰める草の一本も生えていない。栄養の乏しい赤い土は塩のようにさらさらとしていて、風に吹かれては粉塵のように舞い上がった。視界を遮る褐色の道は、巨大な焼けた鉄の棒で大地を適当に引っ掻いたように曲がりくねっている。空気は肌に痛いほど冷たい。スザクは道の途上に立っていた。

 道は地平線の果てに続いている。見上げると筋雲が矢印のように道の果てを指示している。空は赤く染まっていた。

 永遠の黄昏が空を燃やしていた。

 

「そうだよ」

 

 ユフィと二人きりになった虚構の世界で、スザクは痛々しいまでに澄んだ瞳をしていた。

 

 

 

 

 

 

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