楽園爆破の犯人たちへ 求   作:XP-79

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15. 恋は人を変える。良くも悪くも

 ジェレミアにはギアスは効かず、また身体が機械化されたことでその身体能力は人類の限界を超えていた。

 皮膚の下は金属装甲で隙無く覆われ、僅かな生体部分以外は刃物や銃弾を容易に弾く。筋力も人外の域にまで強化され鉄筋を素手でねじり切ることさえ可能であった。

 しかしそれでもビスマルクの強さは圧倒的であり、身体能力で勝る筈のジェレミアを確かに押していた。

 顔面や右半身に残る生体部分に幾つもの傷を負わされてじりじりと押されつつも、しかしビスマルクがルルーシュの元へ向かうことだけはさせないよう行く手を阻む。

 攻防入り混じる中でジェレミアはルルーシュの身を案じていたが、しかし目の前の帝国最強騎士から意識を僅かにも逸らすことは許されなかった。

 

 目の前で弾ける苛烈な攻防に目を走らせながらルルーシュはシャルルの居場所へ向かう隙を探す。

 コーネリアは怒気で髪を逆立てて苛烈な顔で幾度もマリアンヌへ斬りかかっていた。踏みしめる足の力で石畳が砕けるかと思われる程だった。全身が倍に膨張したと錯覚するほどに力を満ちさせて、振るう剣はルルーシュ如きには視認さえできない。

 だがそれでもコーネリアよりマリアンヌの方が残酷的なまでに強い。

 

「駄目よコーネリア。実戦ではそんな型通りの剣戟なんて避けられて当然よぉ」

「くそ、くそぉっ!!」

 

 金属音が高鳴りコーネリアの剣が弾かれて、突き出された剣を咄嗟に顔を逸らせて避ける。

 紅潮した頬に深い傷が走った。血が垂れて首元まで染まっている。

 舌打ちが零れる。あまり時間が無い。この状況ではコーネリアが敗北するのも時間の問題だろう。

 その前にさっさとシャルルのコードを奪いたいのだが、マリアンヌは絶妙なタイミングでシャルルとルルーシュの間に割り込んで行く手を阻む。

 

 無理やりにマリアンヌの傍を通り抜けようと体を動かすと、その瞬間にマリアンヌはコーネリアを力任せに押しのけてこちらに剣を向けてくる。その度にC.C.がルルーシュの盾になり、マリアンヌはショックイメージを避けるために足を止め、コーネリアがマリアンヌの背後から斬りかかる。そしてマリアンヌはそれを容易に止める。

 その流れをもう3度は繰り返していた。一向に進展が無い。マリアンヌが強すぎて埒が明かない。

 

 マリアンヌに斬られた幾つかの傷から血を垂らしながらもC.C.は両の足でしっかりと立っていた。両目は鋭い眼光でマリアンヌの動きを追っている。

「おいC.C.」

「何だ」

「コードを奪うためにはギアス所有者がコードに触れればいいんだな?」

「そうだ」

 マリアンヌに全ての集中力を注いでいるC.C.の返答は短い。ルルーシュは視線をシャルルに向けた。シャルルの掌は赤く光っている。

「あいつのコードは掌にある。手首の先だけに触れていてもコードの移譲に問題は無いんだろうな」

「経験が無いので分からん。しかしコードの譲渡に必要なのは十分に成熟したギアスと、コードの宿る体と、コードを奪うという意思だけだ。コード所有者の体の状態には恐らく関りは無い」

「よし」

 

 ルルーシュはこちらと同じく膠着状態に陥っていることに焦れている様子のビスマルクに向けて発砲した。

 即座に剣で銃弾を弾かれたものの、ビスマルクの意識が一瞬だけ逸れる。

 しかしだからと言ってジェレミアがビスマルクに勝てる訳が無い。白兵戦のテクニカル面ではビスマルクがジェレミアを圧倒している。

 ジェレミアがビスマルクに勝るのは単純な身体能力のみしかない。ルルーシュは指先でシャルルを指さした。

 

「ジェレミア!」

「イエス、ユアマジェスティ!」

 

 指先と視線の意図を明確に理解したジェレミアがシャルルの下へと駆け出す。

 シャルルの下までルルーシュが辿り着くのは困難だ。マリアンヌの圧倒的な白兵戦能力の前では不可能に近い。

 しかしシャルルのコードをルルーシュの所まで運ぶことは不可能ではない。コードの宿る手首の先だけ斬り落としてルルーシュの元へ投げて渡せば良いだけだ。

 マリアンヌという強大な壁が立ちはだかっている以上容易ではないだろうが、少なくとも現状よりはまだ可能性がある。

 ビスマルクがすぐさまに駆けだしたジェレミアを追うが、単純な足の速さではサイボーグのジェレミアに勝てる筈もない。ビスマルクとの距離はすぐさまに開ける。

 

 駆けだしたジェレミアは剣の切っ先をシャルルへと向けた。

 主君であるルルーシュの父親であり皇族の頂点に立つ前皇帝である男だが、ことこの状況に至っては手首を斬り落とすことに躊躇など微塵も無い。

 コード保持者であるのだからショックイメージを使って来るかもしれないという思いが一瞬胸をよぎったが、しかしC.C.とは違いコードを手に入れてから日の浅いシャルルがコードの使い方を習熟しているとは思えない。

 更にシャルルは皇帝だ。白兵戦の経験がある訳が無い。剣を向けられ惨殺される可能性を脳裏に浮かばせながらもコードを使う胆力があるようであれば、そもそもラグナレクの接続などという馬鹿げた作戦を練る筈が無い。

 剣を構える。するべき事は一つ。ショックイメージを使う余裕を与える間もなくシャルルの手首を斬り落とす。

 一つだけ残ったオレンジ色の瞳を煌めかせる。一心にシャルルを睨みつけて走る。

 

 

 

 マリアンヌは唇を尖らせてジェレミアを見やっていた。コーネリアの息は荒く攻撃には隙があり、よそ見をする余裕さえある。

「どうしましょうかねぇ。ビスマルクったらあんな青二才に情けないこと。でも寄る年波には勝てないものなのかしら」

 顔色を蒼白にしてジェレミアの後を追うビスマルクは滑稽だった。20年前の若々しいビスマルクであればジェレミアを追い越して首を斬り落とすことも容易だったというのに、歳月は人間に等しく、厳しく襲い掛かる。

 口元が吊り上がる。ラグナレクの接続が終われば、しかし人類は歳月などを超越した存在になることができる。その想像は愉快だった。とはいえ状況はあまり笑える類のものではない。

 

 斬りかかるコーネリアの剣は精彩を欠いていた。速度も重みも無い。

 容易く剣を弾き飛ばす。体勢を崩したコーネリアの腹部をマリアンヌは躊躇なく蹴り上げた。口の中で籠った呻き声を発しながらも、コーネリアは倒れることも姿勢を崩すことも無く剣を真っすぐにマリアンヌに向ける。

 

 ジェレミアがシャルルの手首を斬り落としてたとしても、計画には何の問題も無い。ルルーシュにコードを奪う余裕を与えなければ良いだけだ。

 コーネリアの体力が完全に尽きるのも時間の問題でしか無く、あと数分後に自分はコーネリアの死体を床に転がしているだろう。そうすればルルーシュのようなか弱い女、簡単に始末できる。ルルーシュさえいなければコードを奪還できるギアス所有者は存在しなくなり、ラグナレクの接続を邪魔する者は居なくなる。

 

 しかしシャルルが痛い思いをするのは望むところではなかった。コード所有者にだって痛みはある。

 シャルルは夫であり共犯者であり、馬鹿で愚かで哀れで賢しい可愛い男だ。自分達は既存の言葉で表すのは不可能な関係にある。

 自分はシャルルに執着している。親にも子供にも、何にも執着したことのない自分は唯一シャルルにだけ執着を感じる。

 無理やり既存の言葉で表すのならば、愛しているのだろう。そして恋をしているのだ。

 自分の男が痛い目に遭うのは嫌だ。

 

 立ち上がりかけたコーネリアに斬りかかる。受け止められるが、今度は足を払った。体勢を崩したコーネリアは受け身を取る余裕も無く顔面を床に叩きつける。

 苦痛に身を捩るコーネリアを捨て置いてルルーシュへと近づく。

 傍に控えていたC.C.が盾となりルルーシュに覆いかぶさった。

 

 息を思いっきり吸い込んでマリアンヌはCの世界中に轟く程の声を出した。地響きのような声だった。

 その声は無邪気な子供の声と似て芯から無垢で、自らの正当性を微塵も疑っていない者特有の透明感があった。

 

「ジェッレミッアくーん!こっちを見なさーい!」

 

 見るわけがない。

 ジェレミアは真っすぐにシャルルを目掛けて走っていた。外科医のように関節の隙間に刃物を差し込む技術など持っていない。力任せに斬り落とすことになるだろう。とはいえ単純な腕力ならば自分は枢木スザクにさえ並ぶ。切断面は汚くなるだろうが、手首を斬り落とすなど容易い。

 シャルルまでの距離は直線距離であと5mもない。ジェレミアは手を伸ばした。泰然と構えるシャルルの掌に赤いコードが光っている光景がはっきりと見える。

 あと数歩だ。あと少しで届く。シャルルからコードを奪い、ルルーシュがコードを持てば全てが解決、

 

「早く来ないと、ルルーシュが死んじゃうわよー!」

「え」

 

 疾走していた足が摩擦で火花を散らしながら止まった。

 振り返る。コーネリアは石畳の上に仰向けに倒れていた。目をかっぴらいたC.C.はルルーシュに覆い被さっている。

 C.C.の体の下でルルーシュは何が起こっているのか分からないと目を白黒としていた。

 その上で満面の笑みに冷汗を浮かべたマリアンヌが剣を構えている。

 

 一切の躊躇なく、慈悲なく、マリアンヌはC.C.ごとルルーシュを剣で貫いた。

 

 C.C.は口から血を吐き出した。串刺しにした剣と体の隙間からはしゅうしゅうと漏れ出る空気が擦れて音を鳴らしている。迸る血液が一瞬で二人の体と地面を塗り上げた。

 ジェレミアの意識はシャルルから完全に逸れていた。踵を返した重みで地面が抉れた。

 胸が痛い。目の奥が焼けそうだ。頭の中で血流が渦を巻く音が鳴った。喉奥は焼け付くようだった。

 剣の切っ先をマリアンヌに向けて走る。

 マリアンヌはすぐさまにC.C.とルルーシュを貫通していた剣を抜き去った。貫通していた穴から血が飛び散ったがドレスには一滴も降りかかることは無かった。

 斬りかかる男から優雅な足取りで距離を取り、マリアンヌはドレスの端を持って恭しくお辞儀をした。まるで社交ダンスの場であるような美しい所作だった。

 しかしショックイメージを受けたのか足が細やかに震えており、額には滝のような冷汗をかいている。だが声に一切の震えは無かった。

 

「ああ可哀想に、もうお終いね。私の可愛い子供のルルーシュ。沢山沢山頑張ったのにこんな所で死んでしまうなんて」

 

 弔辞を告げるようなマリアンヌの言葉は湿っていた。顔を背けて口元を掌で覆い、美しい顔で心底悲しんでいるという表情を作る。

 その挙動の一切を無視してジェレミアはC.C.を揺さぶり起こした。剣が抜き払われた胸骨のど真ん中に直径5cm程の裂け目が開いている。そこから脈に合わせてぶしゃぶしゃと血液が噴出していた。顔色は紙よりも白かった。

「貴様のコードをよこせ、早く!!早くしろ!!」

 首が千切れるのではと思う程に揺さぶるもC.C.は目を閉じて何の反応も返さない。

 ただ全身をびくびくと痙攣させながら鼓動という指揮に合わせて乳房の間から血液を噴出している。真正面から血を浴びたジェレミアは全身が真っ赤に染また。

 

「―――やめろジェレミア。C.C.が死んでしまう」

 

 か細い声にジェレミアははっと顔を向けた。

 ルルーシュは薄らと目を見開いていた。顔を動かす元気も無いのか瞳だけを動かしてジェレミアを見上げている。まだC.C.より血色は良いがこちらも顔色は蝋のように白い。

「そんな状態のC.C.からコードを奪うと、死んでしまうだろう。それは嫌だ」

「しかし、しかしっ」

 このままではあなたは死んでしまう、と言おうとしたが、止めた。言わずともルルーシュはそのことを分かっているに違いなかった。

 ルルーシュの右胸からは血が溢れ出ているもののC.C.程ではなかった。ただ貫通した傷口からは荒い呼吸に合わせて空気がしゅうしゅうと漏れ出ている。肺の一葉が潰れてしまっているようだった。言葉を口にするのも辛いだろうルルーシュの声は細い糸を指先で弾くような微かな音で聞き難い。

「ジェレミア、悪い、マリアンヌを甘く見た。俺は、」

「喋らないで下さい」

 出血を抑えるために傷口をぎゅうぎゅうと圧迫する。しかしあまりに強く圧迫すると気胸になるかもしれない。指の間に空気の抜け出る隙間を作った。

 出血量は多量であるが夥しい程ではなく、恐らく大動脈や心臓は傷ついていない。C.C.が覆い被さっているからと言ってマリアンヌが剣の軌道を逸らされるとは思えず、咄嗟にマリアンヌへC.C.が向けたショックイメージのおかげで即死は逃れたのだと想像された。

 しかし胸腔内を占拠するように溢れ出る血液は止めどなくジェレミアの手を汚した。自らが死にそうな程に青褪めて呼吸さえ止めているようなジェレミアにルルーシュは自分の死を悟った。

 もし助かりそうな傷ならば、ジェレミアならきっと「大丈夫ですよ、安心して下さい」と下手な笑顔で笑う。この男には今そうする余裕さえ無いのだ。

 

 死ぬのは嫌だ。肺が潰れていなければ子供のように泣いて叫んで喚きたい程に嫌だった。

 しかし現状においては自分の死というのは小さな事でしかない。それより考えないといけないことがある。

 自分が死んだらコードを奪える人材がいなくなってしまう。シャルルからコードを奪わなければあのふざけた計画が完成してしまうというのに。

 あの計画が完成すれば自分はまたあの世界に、全てが一つになるあの世界で永遠に過ごさなければならなくなるのか。

 スザクと友達として握手をした時の温かさも、C.C.にキスをされた時の擽ったい感触も、カレンに殴られた頬の痛みも、今自分に触れている掌が涙を拭った時の熱さも、永遠に感じられなくなってしまう。

 体温は愛だ。言葉などよりずっと雄弁な。それがなくなってしまうのは寂しい。嫌だ。

「嫌だなぁ」

「ルルーシュ様、ルルーシュ様、駄目です、目を閉じてはっ」

 意識が遠ざかって行く。瞼の裏は白黒に点滅していた。

 モザイクのように記憶が思い浮かんでは消えてゆく。フィルム映画を早回しで眺めているようだった。

 

 ゼロとして合衆国日本の設立宣言をした時、スザクにギアスを掛けた時、カレンと出会った時、囚われていたC.C.を見つけた時、ジェレミアが死んだと思った時、スザクとナナリーと一緒に枢木神社で遊んだ記憶――――そして、

 

 

 ルルーシュはもう12年も前のことを脳裏に思い浮かばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 父と一緒にマリアンヌ皇妃に謁見した後のことだった。

 アリエス宮は皇宮の一角にあるとは思えない程に慎ましいが、それでも一般的な家屋とは比較にならない程に広い。用事があると言って息子を一人アリエス宮に放置した父を待ちながら、ジェレミアは丸みを残した膝をぶらぶらと揺らして花畑のような庭を眺めていた。

 本当に綺麗な庭だ。香水のような不自然さのない和やかな花の香りは庶民の身分から栄達したマリアンヌを反映しているように思えた。皇宮広しと言えども、ここまで均整の取れた美しい花園はあるまい。

 

 とは言ってもそう長々と眺めていると飽きる。それにジェレミアは花と戯れることに喜びを見出す少女めいた感性は持ち合わせていなかった。むしろ華麗な花園を前に花を管理するための費用は幾らか、と計算するような可愛げの無い子供だった。

 時計を見ると、父にここで待てと言われてから既に30分は経過している。父はまだマリアンヌ皇妃と話があるのだろうか。

 美貌のマリアンヌ皇妃と話し合う父を想像すると羨ましさで口がひん曲がる。身分的にも年齢的にも容姿的にも能力的にも全く釣り合わない上に会話の内容は政務やら援助の金額やら、ロマンの欠片も無い素っ気ないものだろうが、それでも羨ましい。

 それに加えてまだ子供だからという理由で政務に関する話題から引き離されて苛立つ気持ちが心中で騒めいていた。

 

「もう私も15歳だというのに、あの父親ときたら……『下手にマリアンヌ皇妃に気に入られることの無いよう謁見は控えた方が良い』などと言って放り出すなんて。家のために主君を選ぶ重要性ぐらい私もとっくに理解しているというのに」

 

 ぐちぐちと呟いた後にはっと周囲を見回した。ヴィ家が所有するアリエス宮で口に出して良いことではなかった。遠目に暇そうに歩く警備兵が数名視界に映ったが、それ以外に人影は見えずほっと胸を撫で下ろした。

 

 ゴットバルト家はそう家格の高い貴族ではない。長年騎士を輩出し続けている家としてそれなりの地位にはあるが、あくまでそれなりの評価に留まる。権勢凄まじいヴァインベルグ家やリ家と比較すると米粒サイズの価値しかない。

 だからこそゴットバルト家は庶民出身で後ろ盾のないマリアンヌ皇妃の支援をしてはいるものの、それなり程度の付きあいで済ませておくことが最善である。父に言われるまでも無く自分の代でもそうしようとジェレミアは既に決めていた。

 家のことを思うのならばヴィ家ではなく、シュナイゼルやオデュッセウス、それにコーネリアの方に取り入るべきなのだ。いくらマリアンヌが美しく個人的な思慕を寄せているとはいえ、情に振り回される暗愚なロマンチストに成り下がる気はさらさら無い。

 これから士官学校に入学し、卒業して騎士になった後はシュナイゼルやオデュッセウス等、安定した権力を持つ彼らの下で働くことが自分のためにもゴットバルト家のためにも最善の手であろう。

 皇族一人につき一人しか選ばれない選任騎士となるのは困難だろうが、運よく仕えた皇族が皇帝になればナイトオブラウンズへの道さえ開ける。

 それは夢物語ではないという自負がジェレミアの中で渦巻いていた。そこらの盆暗貴族とは比較にならない程に鍛えている自信はある。あと足りないものは経験だけでしかなく、それは時間が解決してくれる問題だ。

 

 木製のベンチから立ち上がって背中を伸ばす。

 体を動かさないでいるから苛々が蓄積されるのだろう。これだけ広大な花畑なのだから庭師もさぞ大変に違いない。このままここで座っているよりは草むしりでもして時間を潰す方がまだましだ。幸いにして天気も良い。

 庭師に手伝いでもさせてもらおうと思いって足を動かす。

 

 しかし視界の端に黒い罅割れを見つけてジェレミアはぎょっと目を剥いた。

 床や壁にではなく空中に罅割れが走ったのだ。それは奇妙な光景だった。夢でも見ているのかと頬を抓るが、目は覚めない。

 アニメや漫画のチープな演出のようにその罅割れはパキパキと音を立てて広がる。ジェレミアがぽかんとしている数秒の内にその罅割れは人が一人通り抜けられる程の大きさにまで広がった。

「はっ、あ?」

 いつの間にブリタニアは空中にCG画像を投影させる技術を生み出していたのか。それとも実は巨大な透明ガラスが目の前に立ち塞がっているのか。

 どちらも現実的な発想ではないが、目の前で起こっている現象よりもそちらの方がずっと現実的であるように思えた。

「映画の撮影……?それともびっくりか?」

 恐る恐る罅割れに手を伸ばすと、同時に罅割れの隙間からぬるりと手が這い出てきて指先がくっついた。

 あまりに冷たい感触にぴゃっと飛びのく。そのまま全力で逃げ出し、物陰に隠れて視線だけをその男に向けた。罅割れから這い出てきたのは骨ばった男性の細い指だった。

 そのまま前腕、上腕と続き、とうとうその男の体全体が罅割れからぺっと地べたに吐き出された。

 

 男は艶のある黒髪を短く切り揃えていたが、距離があるため顔立ちまでは分からない。立ち上がる力も無いのか地面に四肢をついてきょろきょろと周囲を見回している。動揺が全身から滲み出るような挙動だというのにどこか品があった。貴族だろうか。

 男の衣服は高位の貴族が儀式典礼の際に身に着けるような高価なものであり、まず間違いなく貴族だろうとジェレミアは頷いた。

 

 それもそんじょそこらの中流貴族などではない。生地は純白で金の縁取りがされており、要所要所を赤い宝石が飾っている。混じりけの無い赤の宝石はそれ一つで家が一つ建つだろう程に大きい。黒い刺繍は全体的なデザインを引き締めており、華美と品を同時に体現する見事なものだった。

 しかし衣装の胸元はまるで剣で貫かれでもしたように真っ赤に染まっており、足元にまで血が滴っている。

 

 もしや怪我をしているのかと思ったが男はすぐに立ち上がって歩き始めた。ふらふらと頼りない足取りではあるが痛みを感じている様子は無い。

 

 あの男はアリエス宮への侵入者なのだろうか。どうやって。ここは皇宮の中だというのに。

 入口で入念なチェックを受けなければ皇族以外の者は皇宮には一歩たりとも立ち入ることは許されない。どれだけ高位の貴族でもそれは変わらない筈だ。

 少なくともあんな血塗れの恰好で皇宮に立ち入るような狼藉は絶対に許されない。

 つまりあの男は内部からの手引きを受けて入り込んだ不審者か。怪我はしていない様子であるし、あれは返り血なのかもしれない。

 そうだとすれば騎士を目指す身としてあの不審者を放っておくわけにはいかない。

 正義感を全身に満ちさせてジェレミアは拳を握り締めた。

 

 もしあの男が屈強そうな体格をしていれば、ジェレミアは躊躇なく警備兵の所まで駆けて行って一連のことを報告しただろう。しかし遠目から見ても分かるほどにその男は華奢であり、戦闘訓練を受けた者の挙動では無かった。

 もやしのようにひょろいあんな男、まだ軍人でもない自分でも絶対に勝てる。

 最近はめきめきと身長が伸びてきたし、筋力だって増えてきた。もう少しすれば士官学校にだって入る身だ。この程度のことで人の手など借りなくてもなんとかなる。

 

 尊敬するマリアンヌの住むアリエス宮へ立ち入った無礼者を自分の手で捕縛する。そしてマリアンヌ直々にお褒めの言葉を頂く。その想像でジェレミアの頭はいっぱいになっていた。

 

 男が向かった先へ足音を潜めてついていく。

 油断なく周囲をきょろきょろと見回して警戒する姿にやはり不審者だという確信が強まる。さらに足取りには迷いが無い。予めアリエス宮の内部構造を調べていたのだろう。

 警備兵の薄い箇所を縫うように男は歩く。どれだけ皇宮の情報が漏洩しているんだと警備の質に苛立ちが湧いた。男はジェレミアの苛立ちなど知る由もなく人目のない庭を通り抜けて、外へと抜け出る道に続く真四角に剪定されたツツジの茂みの中に潜る様に姿を消した。

 その姿を確認して、ジェレミアはすぐに駆け出して茂みの中に手を突っ込んだ。指先をさらさらとした髪の感触が撫でて、こいつだと米神に血管を沸き立たせながらむんずと掴む。

 

「貴様、何者だ!ここはマリアンヌ皇妃が所有されるアリエス宮だぞ!それを知っての狼藉か!!」

「っ、う、な、何」

「さっさと姿を現せこの無礼者!」

 

 大声を上げて力任せに髪を鷲掴みにして、引きずり出そうと足を踏ん張る。

 思っていた程の重量を感じない。というか、軽すぎる。男は細身の体つきだったが長身であり、着ていた衣装も生地の厚そうなもので、手に感じる重量とはあまりに合わない。まるで子供のような重さだ。

 

 茂みから無理やりに引きずり出されて姿を現したのは長身で細身の男ではなかった。

 幼いながらも目鼻立ちが抜群に整った少年の黒髪を自分はひっつかんでいた。年のころは6歳かそこらだろう。少年は無理やりに引き倒されたせいで服を土で汚しており、目元を真っ赤にして驚きと恐怖を顔面に貼りつかせたまま強張らせている。瞳は吸い込まれるような深い紫色をしていた。

 

 その容姿を眼にして全身の血が逆流して体の中で暴れ回った。頭の中で脳みそがガンガンと煩く絶叫を上げる。

 なんてことを。自分はなんということを。

 生まれてきてから間違いなく一番に最悪の失態を犯してしまった衝撃のあまりに全身の動きをフリーズさせて、どうすればよいのか必死に考えた。

 切腹か、首吊りか、はたまた銃殺刑か。

 思考の渦を覗き込むも死以外の答えが見つからない。ジェレミア・ゴットバルト、弱冠15歳にして無礼討ちにて後世まで恥を晒す……

 あまりに酷い想像に気を失いかけたものの、幼い妹までもが兄の侮辱罪の波を被って野に下る光景が脳裏に浮んでカッと目を見開き、すぐさまに手を離して地べたに頭を擦りつけた。

「も、も、も、申し訳ございませんルルーシュ殿下!!!」

 紫の瞳は皇族の象徴である。そして曲がりなりにも一端の貴族であるジェレミアは皇族の顔を一人残らず覚えていた。

 目の前に立つ天使のように愛らしい容姿をした少年はマリアンヌの一人息子であり、皇位継承権17位を持つブリタニアの皇子である。

 

 いくら庶民の血を引いているといっても皇族は皇族。ゴットバルト家のような中流貴族からしてみれば雲の上の存在だ。この皇子からしてみればジェレミアなど足元に転がる石、庭に生える雑草の一本に過ぎない。

 そんな存在に髪をひっつかまれて地べたに倒されたとなれば。

 がくがくと全身を震わせながら地面を額で掘り進めて、せめて妹だけは連座に加わらないよう遺書に書き記しておかねばなるまいと冷静な思考が呆れ声を上げた。

 

 内心で遺書の文面を考えているジェレミアを他所にルルーシュは立ち上がって服についた泥を払い、ついでに目元を拭った。

 自分の足元の地面を頭部で掘り進めている少年の姿に舌打ちする。貴族から嫌がらせを受けることは日常だが、髪をひっつかまれて引き倒されたことまでは流石に無い。

 髪を無理やりに引き抜かれたせいで頭皮はじんじんと痛むし、茂みから引きずり出された時の衝撃で膝には小さな擦り傷が出来ていた。

 だがいくら無礼な行いをされたからと言って他の皇族のように処断する権利をルルーシュは持っていなかった。否、持ってはいたが振るう立場が無かったのだ。

 皇族とは名ばかりの庶民の出よ、卑しい血よと侮られる自分がこの男の無礼を咎めたとして、誰がこの男に処罰を下してくれるというのか。

 他の皇族であればご機嫌取りの貴族が気を回してこの男が持つ領地を奪うなり身分を落とすなりするのだろうが自分にはそんな取り巻きはいない。傘下にない貴族に訴えたとして「そうですかお気の毒に」と嘲笑われて終わるだけだ。

 

 そうと知っているからこそいつもは馬鹿にしてくる貴族に視線も向けず、そんな子供染みた悪戯など気にもしないという態を作るためにぴんと背筋を伸ばして立つのだ。そうして貴族はこちらの矜持の高さを気に入らないと顔を顰めて去って行く。

 だが害を加えた後にいきなり土下座する者は初めてで対応に困る。

 とりあえず顔を下げているままでは誰なのかも分からない。全身を小刻みに震わせている深緑色の髪の少年に声をかける。

「貴公は何者か。何を思って私にこのような無礼を働いたのか話せ。口を開くことを許す」

「は、はい!わ、私はジェレミア・ゴッドバルトと申します。先ほどこちらの茂みに怪しげな男が入りまして。もしやアリエス宮に侵入した不届き者かと思い捕縛しようとしたのです!」

「それで間違って私の髪をひっつかんだ上に地べたに引き倒したと」

 言葉も無くジェレミアはさらに地面に額を擦り付けた。

 このまま前頭骨が擦り切れるまで地面を掘り続けかねない勢いである。ゴリゴリと音がするぐらいだ。思わず痛そうだなと眉根を顰める。

 

 引き抜かれる程の力で髪を鷲掴みにされたのも初めてならば、こうまで盛大に土下座を繰り出されるのも初めてだった。何かにつけて大げさな少年なのだろう。挙動の一つ一つが眼に五月蠅い。

 土でも食べかねない勢いの土下座を前にしていると、さっきまで胸を占めていた怒りが霧が晴れるように霧散していくのを感じた。少年の言動に嫌味なものが欠片も無いことも拍車をかける。

 

 終には怒気よりも、この少年の頭の造りに対する心配が勝るまでになった。このまま放っておくと前頭葉が摩耗してしまうのではなかろうか。溜息が零れた。

「………もう良い。私を貶めようとした訳でもなさそうだしな。頭を上げよ」

「し、しかし、」

「くどいぞ。私に同じことを言わせる気か」

 ジェレミアはあんな無礼なことをしておいて顔を上げる権利などあるのだろうかと逡巡した。しかし皇族というブリタニアのヒエラルキーの頂点に立つ者からの命令に逆らうことは許されない。

 恐る恐る面を上げる。目の前に立つルルーシュは未だ6歳とは思えない凛とした表情をしていた。しかし目元はまるで先ほどまで泣いていたように赤い。

「悪意が無いのなら私は気にしない。それよりその不審者の特徴を覚えているか」

「は、はい!」

「よし。お前の端末を貸せ」

 慌てて懐から取り出した端末をルルーシュはさっと摘まみ上げてどこかへと連絡した。

 慇懃な口調で一言二言話した後に端末をジェレミアへと手渡す。恐る恐るといった手つきでルルーシュから端末を受け取ったジェレミアは耳に押し当てた。

 通信先はアリエス宮の警備担当の男らしく、軍人らしいきびきびとした口調で不審者についての情報開示を請求してきた。言葉の端々には苛立ちから発せられる砲弾のような響きがあり、はなからジェレミアの目撃証言を信じていない思いが透けて見えた。連絡したのがルルーシュでなければ不審者を見かけたなどという報告は一笑に付されただろう。

 ジェレミアも、アニメのように空中へ裂け目が出来て、そこから皇帝服に勝るとも劣らない豪華な衣装を着た血塗れの青年が出現したなどと言う訳にも行かず、不審者の外見的な特徴を伝えるに留まった。それでも十分に非現実的な状況であるのだが、事実だからしょうがない。

 報告の後、そんな派手な服装を着た男が侵入などできるものか、という意図を込めた苦笑が受話器越しに聞こえた。ジェレミアも自分の眼で見ていなければ到底信じられなかっただろうと思い口を閉ざす。一応警戒を強めてくれるそうだから、それで十分であろう。

 あんな派手な格好で皇宮から脱出するなど不可能に違いなく、自分が心配するだけ無駄なことだとジェレミアは端末を懐に仕舞った。

 あの男がアリエス宮について皇族並に知悉していればまた話は別だろうが、まさかそこまで情報が漏れているとは考え難い。

 

「報告は終わったか。警備兵は何と」

「直ぐに警備の人数を強化して不審者の捜索にあたるそうです」

「それだけか。貴公の発言は随分と信頼されているようだなジェレミア卿」

 その口調には嘲りは無かったが皮肉は多分に含まれていた。頬を引き攣らせながらジェレミアは口を閉ざした。

「確かにその、派手な外見の侵入者でしたから……見間違えと言われてもしょうが無いかもしれません」

「お前は確かに見たんだな」

 水底に落ちた紫水晶のような瞳に睨まれて思わず背筋が伸びる。外見は天使のようだというのに視線一つ向けられただけで全身が震え上がるような迫力がある。

 これが皇族か、と腹の底から声が噴き上がった。

「は、はい!」

「なら肩を落とすな。お前のしたことは何も間違っていない。報告は重要だ。もし不審者がお前の単なる見間違えだったとしても、ここは皇妃であるお母様が住むアリエスの離宮、異常を発見したのならば即座に報告すべきだ。そもそも警備兵より先に来客であるお前が異常を発見したのだから、むしろ警備兵は自らの失態をお前に謝罪するべきなのだ」

 淡々と告げられた言葉に、本当にこの子供は6歳なのかと目から鱗が零れ落ちる思いだった。

 

 合理的な考え方を真っすぐに口にして、他者を肯定すること。単純なことだが難しい。特に人間関係の複雑化した貴族社会では。それをこの子供はいとも容易くやってのけた。

 流石、武勲と美貌のみならず比類ない聡明さでも知られるマリアンヌの御令息だ。

 出会ってまだ数分しか経っていないというのに腹の奥底に忠誠心とか敬意とかいったものがふつふつと沸き上がってくる。

 そして同時に自らの失態に対する罪悪感も沸き上がってきて再度ジェレミアは頭を下げた。

「本当に申し訳ございませんでしたルルーシュ殿下。大変な失礼を致しました……その、お怪我は、」

「別に無い」

 ぷいと顔を逸らしたルルーシュはこれ以上話すことなど無いと無表情を貫いていた。

 子供らしくない冷たい面持ちにそれもそうだろうと胸が痛む。

 

 マリアンヌが庶民の出ということでその子供であるルルーシュとナナリーも貴族や皇族から多くの嫌がらせを受けている。玩具を壊されたり、下剤を混ぜた菓子を食わされたり、社交の場では血の卑しさを散々にあげつらわれたり。ジェレミアが噂に聞く限りでも枚挙にいとまがない。

 流石に後遺症の残るような酷い虐めは受けていないようだが、幼い皇族2人が日常的に子供染みた嫌がらせを受けている事実は公然の秘密であった。

 

 ジェレミアは紳士の嗜みとして持ち歩いているハンカチを取り出して「失礼致します」と告げてからルルーシュの目元を拭った。眉間にクレバスのような皺が寄る。子供のして良い表情ではない。

「貴様、何をする」

「も、申し訳ございません。しかし、」

 涙の痕が、と続けようとしたが一瞬で般若のような怒り顔に変貌したルルーシュを前に口を閉じた。

 マリアンヌの息子は可愛げが無いとよく聞くが、子供らしくない毅然とした態度の裏でこの少年はこうして物陰に隠れて何度も泣いていたのだろう。隠れて泣くのは母や妹に心配をかけないためか、それとも皇族らしくプライドが高いためなのかは分からない。

 いずれにせよ人目に触れないよう隠していた秘密を自分の不注意な行いが暴いてしまったのだ。せめて気づいていない振りをすることが最低限のマナーであるように思われた。

 

 怒り顔のルルーシュは震える手で顔を拭うジェレミアを咎めることもせず、目を閉じて息を吐いた。咎めたことでこの一々言動が大げさな少年が、泣いていたでしょう、と口にしたらと思うと耐えられなかったのだ。

 むっつりと不機嫌さを露わにした顔になるが、少年と青年の最中にある指先は躊躇いながらも動きを止めようとはしない。

 暫くして両目を拭い終えたジェレミアはハンカチを懐に仕舞ってその場に膝をついた。

「大変失礼な真似を致しました。この無礼、未熟で非才の身には償いようもございません。どうか寛大なる御処分をお願い致します」

「……俺は庶民の血をひいている。そう畏まる価値もあるまい」

「何を仰いますルルーシュ殿下。皇族の方にお目通りするのはブリタニア臣民にとってこの上無い栄誉であります」

 はきはきと返す言葉に嘘は無かったが、しかしルルーシュに向ける感情には他の意味があった。

 

 ルルーシュの母親であるマリアンヌ皇妃は平民の出でありながら素晴らしい才覚と豪気な性格によりナイトオブラウンズにまで出世を果たし、さらにその美貌と高潔な性格により皇帝に射止められて皇妃となった、ブリタニアを象徴するような女傑であった。

 平民出身と侮られることも多いマリアンヌだが、喧しい貴族を相手にもせずいつも柔らかな微笑みを浮かべる姿は美しいの一言に尽きる

 ゴットバルト家はマリアンヌの支援をしている数少ない貴族の一つであり、父に連れられて初めてマリアンヌに謁見した時にはこんなに美しい女性がこの世にいるのかと呆ける程に驚いた。溶けるように柔らかい笑みを向けられれば自然と胸は熱く高鳴り頬は真っ赤に染め上がった。

 マリアンヌと皇帝の間に生まれた子供であるという、ある意味では初恋にのぼせるジェレミアにとって絶望的な事実がルルーシュを皇族の中でも特別な場所に置くことになった。

 複雑な心境ではあったもののルルーシュはマリアンヌにあまりによく似ており、巨体の皇帝を思い起こす特徴が何一つないことがジェレミアのルルーシュに向ける感情を良い方向に向かわせた。

 

「騎士の家系を誇るゴットバルト家らしい言葉だ。そうか、お前がゴットバルト家次期当主か。歳の割に気難しそうな顔をしているな。本当に15歳か?」

「はい。中等部3年になります」

 ルルーシュはまだ十代半ばだというのに既に甘さの無い、無駄に緊張したドーベルマンのような顔をしているジェレミアを見上げて苦笑を零した。成長期の只中にあるというのに身長は既に成人並で、トレーニングでもしているのか体格も良い。

 まだ少年と呼べる年頃でこれなのだから、あと5年もすればさぞ可愛げのない大柄で強面の男になるだろう。

「確かお前も騎士を目指しているんだったか?お前も父と同じ道を行くつもりか」

「その通りでございます殿下。来年には士官学校に入学する予定です。卒業したら皇族直属の騎士になりたいと思っております。未だ半人前の身でおこがましいとは重々承知しておりますが、」

「皇族直属というと選任騎士志望か?シュナイゼル兄上は流石に難しいしコゥ姉上は既に候補がいるから、ギネヴィア姉上かクロヴィス兄上あたり狙いか。まああちらはあちらで倍率が凄まじいようだがな」

「え、いえ」

 

 ルルーシュの言葉通り、将来的に騎士になるのならば上を目指したいという野心がジェレミアの胸の内では燃え盛っていた。ブリタニアにおいてはナイトオブラウンズ、その少し下は選任騎士が騎士としての最上位にあたる。

 いずれは皇族の選任騎士に、そしてゆくゆくはナイトオブラウンズに。それはジェレミアの夢だ。

 

 しかしだからと言って選任騎士にしてくれる皇族ならば見境なく仕えたいと思う程の節操なしでは無い。出来れば尊敬できる才覚を持ち、尚且つ高潔な性格をした皇子に仕えたいと思っている。

 自分が尊敬できる人間でなければ心底から仕え続けることなどできないだろう。そして皇女は遠慮したい。

 コーネリアという特例を除いて皇女はほぼ例外なく政略結婚の道具にされる運命にある。そんな女性の騎士になって恋愛関連の揉め事に巻き込まれたり、嫁入り道具宜しく扱われるのは勘弁願いたい。

 クロヴィスは尊敬できる才覚を持つかという点においては疑問がある。ギネヴィアは未婚の皇女だ。

 しかしかといってルルーシュに対してクロヴィスはあからさまに無能だから嫌だし、ギネヴィアは男性問題が怖いから嫌だ、などと馬鹿正直に言う訳にもいかない。自然と当たり障りのない受け答えになる。

 

「ゴットバルト家は中流貴族ですから皇族の方々との繋がりはそう強くは無いのです。クロヴィス殿下もギネヴィア皇女殿下も既に何人もの選任騎士候補の方がいらっしゃいますし、今更私のような者がその列に加わるなどあまりに恐れ多いことです」

「そうか。ならば渡りを作ってやっても良いが?これでも兄弟だ。ギネヴィアは難しいがクロヴィスならば割と頻繁にアリエス宮にやって来る。望むのならば適当な理由を付けて会わせてやっても良いぞ」

 

 なんともなさ気に言うルルーシュに目が点になる。

 同じ皇族であるルルーシュが橋渡しとなって皇族に名前を売るなど、千載一遇の好機だ。もし本当にクロヴィスの選任騎士になりたいのであればすぐさまに飛びつくまたとない好機だった。

 しかしジェレミアはその申し出に驚くより先にあっけらかんとそんなことを言ったルルーシュの方へと疑問が湧いた。

「どうしてあのような無礼を行った私にそこまでして下さるのですか?」

 む、とルルーシュは唇を尖らせて顔を俯かせた。地面に視線を落としてぼそぼそと喋る。

「………チを、」

 小さく呟くような言葉はジェレミアには聞こえなかった。

 何でもない、とルルーシュは言葉を続けたが、耳をそばだてるジェレミアに呆れの視線を向けて舌を打つ。

 引く様子の無い少年へ、先程までの凛とした口調が嘘のようにぽつぽつと告げた。頬はリンゴのように真っ赤になっていた。

 

「………ハンカチを差し出したのはお前が初めてだ、だから……」

 

 その先はぷい、と顔を逸らして頬を膨らませたために聞けなかった。天使のように可愛らしい皇子にジェレミアはぱああと顔を赤らめた。

 なんて可愛くてひねくれていて言葉足らずでとんでもなく可愛い子供なんだろう。

 しかし思わず相好を崩したジェレミアが気に食わなかったのか、ルルーシュはすっと表情を冷まして腕を組んだ。

「貴族のくせに随分と情勢の読めない馬鹿だと思ったんだよ。赤子のように手を引いてやらねば不安になるほどにな。来年には士官学校に入学する年齢だというのにまだ6歳の俺に心配されるような拙い有様で恥ずかしくはないのか?もっとしっかりしたらどうだ」

 さっきまで顔を赤くしていた可愛いお子様と同一人物とは思えない、鼻で笑う可愛げの無いクソガキの態度にジェレミアは崩した相好のまま頬を引き攣らせた。

 容姿が天使のように可愛らしい分、年齢にそぐわない大人びた言動と生意気な物言いが非常に鼻につく。貴族から虐められているのは血統云々以前にこの性格のせいではないかといぶかしむ程の変貌だった。実は二重人格なのではなかろうか。

「いえ、はあ。申し訳ありません」

「別に謝罪はいらん。情勢を読めと言ったんだ。額から血が出るまでヴィ家の皇子に頭を下げる必要がどこにある」

「いえルルーシュ様は皇族であらせられますから」

「……お前も私の境遇程度は知っていよう。無駄なことだ」

 自嘲と嘲笑混じりの表情に、容姿、性格、血統と全ての面において複雑な子供だと思いながらジェレミアは跪いてルルーシュを見上げた。

「無駄ではございませんよ。私はマリアンヌ様を尊敬しております。マリアンヌ様はお美しく才覚に満ち溢れた素晴らしい方です。その御令息であり、尚且つ高貴なるブリタニアの血をひくルルーシュ様にあのような無礼な真似をしてしまったのですから、本来は死しても償えないほどの罪です」

「世辞……の類ではなさそうだなあ」

 ジェレミアのきらきらとした瞳は演技でよく見かける皇族への阿りの類には見えなかった。

 感情が表情にそのまま表れる奴だ。まるで犬のような男だと思った。嫌いじゃない。

 相手によって仮面を付け替えるように表情を作る貴族共より、馬鹿みたいに正直なこの男の方がずっとマシだ。

「私への阿りは何の意味も無いものだ。しかし私以外の皇族への媚びには意味がある」

「媚びではありません。私は、」

「分かっているさ。お前は馬鹿正直な性質のようだから言っておくが、時には情勢を見て相手を選ぶことが貴族には求められるんだよ。知っているだろう?お母様は今は皇帝陛下の寵姫だがそれもいつまで続くか分からん。あまりヴィ家には関わらず他の皇族へ媚びることが、お前とお前の家のためには良いことだ」

「……分かっております」

「御父上からはあまりお母様に肩入れするなと言われているんだろう?ゴットバルト家の立場を考えるとそれが正しい。お母様に心酔するのは勝手だが、足元は見失うなよ」

 ジェレミアがぐっと息を飲んだ。 

 

 貴族である以上当主の言うことは絶対だ。だから父があまりマリアンヌへ肩入れしないようにと釘を刺した以上その言いつけ通りにする義務がある。

 これまではその方針に疑問を抱かず素直に飲み込んだが、しかしそれはつまりこの少年を放置しておくということになるのではないか。

 そうすればこの可愛くて生意気で捻くれた意地っ張りな皇子はまた物陰で泣くのだろう。

 敬愛するマリアンヌもそのことを知らない。庶民出身の彼女は貴族社会の陰湿な虐めに疎いだろうから、もしかするとルルーシュとナナリーの境遇に気付いてさえいないのかもしれない。

 もしいつかそうと知れば、あの心優しい皇妃は幼い我が子に無理を強いていたことにどれだけ胸を痛めるだろうか。

 

 未だ当主でない以上勝手な動きは出来ない。

 しかしジェレミアは大きく息を吸い込んで一つの決め事をした。

 

「わ、私ジェレミア・ゴットバルトはルルーシュ様が成人するまでのあと12年、あと12年の内にはゴットバルト家の当主になります!」

「いやそれ12年以内にお前の父親が死ぬって言ってるのと同義なんだが」

「父は糖尿病高血圧高脂血症をコンプしておりますから、きっと死にます!死んでなくても脳梗塞で半身麻痺ぐらいにはきっとなっています!!だからきっと私がゴットバルトの家名を継いでおります!」

 

 ええー、とルルーシュが内心でドン引いているのを他所に、ジェレミアは真っすぐに言いたいことだけを口にした。

 周囲を気にせず、いつだって言いたい事を言いたい時に言う。ジェレミアは場の空気を読まない術に非常によく長けたお子様だった。

 

「だからルルーシュ様が成人される時には私がヴィ家の味方をします!そうすればきっとルルーシュ様を馬鹿にするような奴はいなくなります!」

「……中の上程度の家が一つ味方になったぐらいじゃ俺の環境はあんまり変わらないんだがな……」

「だ、だったら私がゴットバルトの家をもっと大きくします!そしてルルーシュ様に忠誠を誓います!」

 

 ぐ、と握りこぶしを作るジェレミアにルルーシュは思わず苦笑いを零した。

 たった12年でそう家格が変わる訳も無い。確かにブリタニアは実力主義を標榜してはいるものの、それでも侯爵以上の爵位を持つ家にはそれなりの歴史がある。

 ゴットバルト家は貴族の中では割と新参者で、コツコツと武勲を積み重ねてようやく辺境伯まで昇りつめた家だ。この先順調に功績を重ねたとしても、社交界で一目置かれる程の家になる頃には目の前の少年は壮年になっているだろう。

 この少年はそれだけの月日を卑しい血統の自分に尽くせるだろうか。

 

 無理だろうなとルルーシュは苦い思いを飲み込んだ。結局皇族などというものは血統が全てだ。

 同年代の子供と比べて聡明である自負はある。いつか戦場に出て軍師か、もしくは政治の方面で活躍する自信だってある。

 だが碌な後ろ盾を持たない自分ではまず重職に就くことが困難だ。功績を上げたい貴族や兄弟達は数多い。後ろ盾のない自分が後回しにされることは間違いない。

 そして運よく職務を得て功績を上げたとしても、より高い皇位継承権を持つ輩に成果を横取りされるか、出世の道具として子飼いにされる定めだ。

 

 しかし目の前の少年のオレンジ色の瞳がビー玉のようにきらきら光っているのを見て、どうせお前もいつかは嫌になるんだと告げようとした言葉が口の中で迷子になった。

 その代わりに自分よりも年上の癖に自分よりもずっと純朴な少年に当たり障りのない言葉を告げてやる。

 年頃の少年らしく不憫で幼い皇族を憐れんで正義の味方を演じたいのだろうから、適当なことを言ってやれば満足するだろうという意地の悪い思いがその口調には多分に込められていた。

 

「じゃあお前がずっと、ずーっと私に忠誠を示し続ければ、いつかお前を私の騎士にしてやるよ」

「光栄にございますルルーシュ殿下。このジェレミア、非力非才の身なれど身命を賭して御身にお仕え致します!」

 

 そう言って15歳のジェレミアは、6歳のルルーシュに向けて未だおぼつかない手つきで敬礼をした。

 

 

 

 

 

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