楽園爆破の犯人たちへ 求   作:XP-79

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15.5 楽園のありか

「スザク、何を見ているの?」

「ルルーシュとジェレミアさんが初めて会った時の記憶を」

 

 広大な荒野の中でスザクはユフィから顔を背けて視線を宙に彷徨わせていた。

 視線の先には草の一本も生えない乾いた大地が開けているが、網膜は12年前のアリエス宮を写し出していた。

 ルルーシュとジェレミアが初めて出会った光景を見たいと思うと脳内に自然とその光景が思い浮かんだのだ。異様にリアリティのある夢のような感覚だった。しかしそれは夢ではなく、12年前の実際の光景なのだということはしっかりと理解していた。

 とても不思議な感覚だった。脳細胞の一つ一つが違う人生を歩んだ人間で作られていて、12年前のあの光景を見た人の記憶を盗み見ているような感じがした。

 実は自分も彼らと同じ脳細胞の一つでしかなくて、今は彼らに押し上げられて主人格として表に立っているだけなのかもしれない。

 自分を表に出せ、そこをどけ、と叫ぶ無数の人間が頭蓋骨の内部で騒めいているような落ち着かない感覚がした。 

 

「どうしてルルーシュとジェレミア卿の記憶を見ていたの?」

「ユフィにまた会えて嬉しいから……嬉しいけど、どう話していいのか分からなくて。あの二人は一番最初に出会った時どんな話をしたんだろうって思ったんだ。そうしたら頭に浮かんできた」

「二人の出会いは参考になった?」

「ううん、あんまり……僕は君にあんなに失礼なことはできない。それに僕は君の騎士としてはもう失格だろうから、ジェレミア卿みたいに君に忠誠を誓う権利はもう無いんだ」

 

 頼りなく首を振るスザクを前にユフィは笑みとも悲しみともつかない顔をしてドレスの裾を握り締めた。

 ユフィを愛している。心からの忠誠を誓っている。だからその復讐を自分は成した。

 そのことへの後悔は呆れる程に無い。

 だがあれだけの虐殺をした自分にはユフィの前に顔を出す権利が無いことぐらいは承知している。

 だから本当ならば今、自分は走ってこの場所から逃げ出さなくてはならないのだった。

 でもそれはできなかった。目頭が熱くて目が見えないから。直視出来ない程に。見なかった振りなど出来ない程にユフィは美しく眩しかった。

 

「……ユフィ、君はここはどこなのか知っているの?僕は皇宮で仕事をしていたのに、いつの間にかここに来ていたんだ。ユフィがいるから現実の世界じゃないことは分かるけど……僕は夢を見ているのかな」

「スザクはここがどこだか分かる?」

 透き通った瞳で見据えられると心臓がリズムを狂わせる。

 何もかもを見透かすようなユフィの瞳が今は怖かった。以前のような純粋さを持ち合わせていないことを咎められているような気がした。逃れるように周囲をぐるりと見回す。四方全てが雑草さえ生えない荒野に囲まれていた。

「荒野、かな。アフリカ大陸とか、多分そこらの……すごく荒廃していて、近くに人は住んでいないと思う。人どころか動物もいない。草さえ一本も生えていない。一面枯れ果てているよ」

「そう。それがスザクの今の気持ちなのね」

 寂しげな顔をして俯いたユフィは、しかしすぐに気を取り直すように顔を持ち上げた。

「私にはね、スザク。ここはトウキョウに見えるわ。アッシュフォード学園が見えて、その向こうには政庁があるわ。人通りがすごく多くて、私とスザクはスクランブル交差点の真ん中に立っているの。でも誰も私達に気を留めないで歩いているわ」

「それがユフィの今の気持ち?」

「ええ。トウキョウで一緒にデートしたことがあるでしょう?あの時と似てるけど、ちょっと違う気分。すっごくドキドキしてるけど、ちょっと寂しいの」

 ユフィは近寄ってスザクの手を握った。酷く冷えて強張っていた。

「スザクは私に会えて嬉しくないの?」

「嬉しいよ。これまで生きてきて一番嬉しい。できたらずっと、ずっと一緒にここに居たいと思う。でもそれと同じ位に、君にだけは会いたくなかった」

「それはあなたが沢山の人に酷いことをしたから?」

「うん」

 深く頷いたスザクは目の前に広がる荒野がぐにゃりと歪んで形を変えたことに気付いた。

 

 

 足元には氷の大地が広がっていた。上空はフレイヤの二次災害を受けて雲の欠片さえ吹き飛ばされている。

 フレイヤで抉れた大穴の底に自分とユフィは立っていた。凍り付きそうな寒さに身震いしながらも、温かいユフィの指先から手を離したくてしょうがなかった。

 こんな寒い場所にあってもユフィの指は温かい。自分が触れていたら凍えてしまうだろう。

 

「僕は君の騎士として相応しくないんだ。君を護れなかった。それに僕は何をしても、どう頑張っても人を殺してしまうから――――僕は人を不幸にしかできないから」

「でも私はスザクが騎士になってくれて幸せだったわ。騎士叙任式の時にはもう一生分の幸運を使い果たしちゃったんじゃないかって思ったくらいに幸せだったの。スザク以外に、皇女の私じゃなくて、お姉様の妹の私じゃなくて、ただのユフィを見てくれた人はいなかったもの」

「………僕がいなくても、いつかは僕よりずっと君のことを大事にできた人が現れたよ」

「それでも私が好きなのはスザクなの。スザクだけなのよ」

 水中に開いた睡蓮のような掌がまだ10代の青年のものとは思えない傷だらけの拳を覆うように包み込んだ。温かいを通り越して熱い掌だった。

 もう死んでいる筈なのにユフィはスザクよりもずっと生き生きとしていた。瞳は暗中を突き進む蛍のように爛々と輝いていた。むしろ自分の方が死んでいるようだと思う。氷の壁に囲まれて、ここは棺桶のようだった。

「失敗したことばっかり気にしてちゃあ駄目。下ばかり見ていては、駄目。胸を張ってよ。前を向くのよ」

「ただの失敗じゃないんだ。沢山の人が死んだんだ。僕は、」

「じゃあそれ以上の人を助けましょうよ!」

 只管に輝かしいユフィに、自分が好きになったユフィは確かにこのユフィなのだとスザクは泣きたくなった。

 

 愚かだったかもしれない。でもユフィはいつだって前しか見ていなかった。前に突き進んでいた。そんなユフィが好きだった。

 どうして好きになったのかと思うと、それは、自分は前を向いていても前に向かって歩くことはできないでいたからだろう。自分が欲しいものを持っている人はとても美しく見える。

 日本を救いたいと思い、ブリタニアの暴走を止めたいと思い、その思い自体は間違っていなかっただろうが、そのための手段を悉く間違えた。一歩も前に進むことができなかった。

 今から思うとそれも当然だと思う。だって自分は誰かを幸せにすることなんて出来ないのだから。

 誰一人として自分が幸せにできた人なんていないのだ。

 ユフィだって、ナナリーだって、ルルーシュだって、日本人と呼ばれる人たちだって。

 だから何もしない方が良いんだ。

 

「馬鹿じゃないの」

 それはユフィの声ではなかった。ユフィよりもずっと棘がある苛立ち交じりの声だった。

 顔を上げると、大穴の上に燃えるような髪色の少女が立っていた。カレンは先程までの学生服姿ではなく鮮やかな赤色の騎士服を靡かせて堂々とした姿を晒している。

 遙か頭上に立っているカレンは陽光のような瞳を輝かせてスザクを睨んでいた。

「カレン?どうして」

「どうしても何もあんたの中にいたのよ。あんたが呼んだから出てきたの」

 自分の中に。どういうことだろう。

 疑問符を頭に浮かているスザクを米神に血管を浮かべたカレンが指先で突き刺した。

「あーもう!まだ気づかないの!?今、あんたの中に地球全部の意識があるの!!私も今はあんたの一部なの!!あんたが集合無意識()なのよ!!」

「は、え?」

「ルルーシュのギアスですよ、スザク」

 糸がピンと張るような声が響く。ユフィは苦笑いをしていた。瞳に影が落ちていた。

「ルルーシュにかけられたギアス、覚えていますか?」

「え?僕がルルーシュにギアスを?」

 覚えがない。

 記憶を掘り返そうと意識を集中すると、網膜の表面にそっとその時の光景が差し出された。

 

 

 まだルルーシュがゼロの時のことだった。もう1年近く前になる。

 自分はジークフリートに追いつめられたゼロを地面に縫い付けるようにして拘束した。ゼロの仮面を剥いで名誉ブリタニア人としてシュナイゼルの庇護下に置こうとしたのだ。

 当然ゼロは暴れて抵抗して………その後の記憶が無い。

 

 そこまでで映像は途切れて、瞳はフレイヤの大穴を再度写し出した。ユフィとカレンが揃ってスザクを見ている。ユフィは同じ高さから、カレンは高みから見下ろして。

「あの時か、僕は………」

「『俺に触るな!』だってさ」

 やれやれと首を振るカレンにスザクは訝し気に眉根を顰めた。

 ルルーシュが自分にかけたギアスは接触を阻害するものだったのか。そう考えると、これまでルルーシュに触れようとした時に悉く体が動かなくなったことの理由がつく。

 しかし敵対関係にあったあの時期ではギアスの力で無理やり配下に加えた方がずっと有益だっただろうに。何故そうしなかったのだろう。

 疑問を浮かべているスザクに答えることは無く、ユフィは掌でスザクの傷だらけの拳を握って滾々と言葉を続ける。

「ナナリーのギアスにより全世界の人々は肉体を捨てて、集合無意識として一つになりました。集合無意識の中には優劣は存在しません。いずれも等しく融解して、ぐずぐずに溶けて近い内に同一の存在になり果てるものです」

「唯一の例外が、あんたよ」

「僕?」

「うん。スザク君だけなの」

 2人とは違う、鈴のような声の出所を探して視線を上げるとメイド服のシャーリーが大穴の淵に腰かけていた。猫のように大きな瞳は陽だまりのように柔らかい色でスザクを見降ろしていた。

「集合無意識の中には沢山の記憶があって、その中にはルルの記憶もあるから。ルルに触れないために、スザクの意識は集合無意識に取り込まれないよう抗っているの」

「それにこのままナナリーの思い通りに行くとルルーシュも集合無意識に取り込まれかねないからね。あんたの意識は、ルルーシュのギアスの力で集合無意識から脱しようとしてんのよ」

「ルルーシュに触れないために、僕が?」

「ナナリーのギアスは強力だから完全に集合無意識からの脱出はできないみたいだけど、集合無意識の中ではあたし達よりあんたが頭一つ分飛びぬけた位置にあることは確かよ」

 だから、という言葉の後にカレンは大穴の上から飛び降りた。

 

 穴の底からてっぺんまで高層ビル程の高さがある。傍から見ればカレンの行動は自殺行為でしかなかった。

 慌てて落下予測地点までかけようとしたが、ふと、そもそもどうしてこんなに距離があるのに声を張り上げている風でもないカレンやシャーリーの声がはっきり聞こえていたのだろうと疑問が湧いた。

 声だけではない、米粒程の大きさにしか見えない程の距離があるというのにカレンやシャーリーの姿は間近にあるようにはっきりと見える。

 そこで、ここは現実ではないのだから、と気づいて駆け出していた足を止めた。予想通りカレンは重力を感じさせない滑らかな足取りで大地に降り立ち、そのままスザクへと歩み寄ってきた。

 目の前で仁王立ちして腕を組むカレンは歴戦の勇士といった面持ちで、とても同年代の少女とは思えない風格があった。

 

「今はあんたがあたし達の、地球全体の代表なのよ。気に食わないことにね」

「……代わる?」

「代われるもんなら代わりたいわよ、この馬鹿!!」

 もしカレンが猫だったら全身の毛を逆立てて威嚇していただろう顔つきで睨まれる。

「カレンさん、これはスザクのせいではありませんから……」

「黙ってなさいこの頭の中すっからかん皇女!!苛々するのよこいつ見てると!ブリタニアと黒の騎士団で敵対してた時も苛々したけど、今はあの時の30倍は苛々するわ!!いっつも暗い顔!!いっつも後ろ向き!!いっっっっつも、自分が世界で一番不幸ですみたいな顔して!!あんたより不幸なのにしっかり前向いて生きてる人間が腐る程いるっていうのに!!馬あぁぁぁぁっっっ鹿じゃないの!?」

 がしっと胸倉を掴まれたかと思えば遠慮の欠片も無くぶんぶんと揺さぶられる。

 体格では自分の方が良い筈なのに、カレンは性差の劣位を意にも介さず両腕の筋力のみでスザクを吊り上げて頭蓋骨をシェイクした。頸椎が軋む不穏な音が鼓膜の内側で鳴り響く。

 

 そこで、どうしてカレンがこの場に現れたのかスザクは理解した。自分はこうして誰かに詰って欲しかったのだ。その適任者としてカレンを選んだ。だからカレンが現れた。

 自分の知り合いはみんな優しい人で、こうして遠慮なく自分を詰ることのできる人は少ない。ルルーシュならできるかもしれないが、父を殺したと責めた今では無理な話だろう。

 それに今、自分(集合無意識)の中にルルーシュはいない。残る人類の中で知り合いであり尚且つ躊躇なく人をぶん殴って声高に非難できる人物はカレンだけだったのか。

「流石はナイトオブワンだね。どうしてジェレミアさんじゃないのかなって思ったりもしたけど、そうか、だからだったのか………カレンは凄いな」

 もし自分ではなく、カレンがユフィの騎士だったら。

 想像しても何の意味も無いことだが、その想像は脳裏を掻きむしって目頭が燃えるように熱を孕んだ。もしそうであれば、ユフィは死ななかったかもしれない。

 そう思った瞬間に頬を引っぱたかれた。女の腕力とは思えない威力だった。フルスイングしたフライパンでぶん殴られたような衝撃が頭蓋骨全体を揺さぶり脳の血管が数本千切れる音を聞いた。

 倒れないよう足を踏ん張って少し低い位置にあるカレンの顔を見下ろす。燃える瞳は命の危険を感じさせる程の怒気に塗れていた。しかし同時にはっとする程に美しかった。

 そうか。カレンは自分自身の中にいるのだから、自分が何を考えているのかもカレンには分かってしまうのか。

 

「あんたはそうやっていつ迄、もしああだったら、こうだったらって考えんのよ!いい加減ちゃんと現実見なさいよ!もう終わっちゃったことなの!そして今はあんたが全世界の代表なの!あんたが私達、集合無意識の一番前に立ってんのよ!ルルーシュでもシュナイゼルでもユーフェミアでもなく、あんたが!!」

「……無理だよ。僕は人を不幸にしかできない」

「無理とかどうとかじゃないのよ、スザク。あなたにしか出来ないの。ギアスに対抗できるのはギアスキャンセラーかコード、もしくは他のギアスだけなのだから」

「スザク君しかいないの。今地球にいるみんながスザク君なんだから。ユーフェミア様も、カレンも、ロイドさんも、ミレイ会長も、リヴァルも、あたし達もみーんな、スザク君っていう大きな船に乗ってるの。スザク君が舵取りをしてあたしたちを連れて行ってくれないと、あたしたちはみんな迷子になっちゃうのよ」

「あんたが行く方向にあたし達は行くしかないのよ!それだけでも滅茶苦茶気に食わないっていうのに、あんたがそんなにうじうじしてたらバキバキになるまでぶん殴ってやりたくなるわ!!」

 

 勝手なことを言う。

 精確な状況さえ理解していないというのに、彼女たちはみんなスザクに全てを押し付けてくる。

 

 ユフィは集合無意識がスザクだと言った。確かに自分の中には無数の意識が蠢ている感触がある。その全ての意識の中で一つ浮いた、主人格とも呼ぶべき存在が自分であるということも、何となく分かる。

 しかしだからと言って何をすればいいんだ。どこに行くべきなのか。

 今はどこにいるのか、それすらも分からないのに。

 頭を抱えて蹲る。肩から背中を撫でる指は優しいけれども背中を押す力強さに満ちていた。

 

「どうして僕なんだ……」

「偶然よ。運命と言われたいならそう言ってもいいけど、でも言葉を変えただけで別に何も変わんないわよ」

「ねえ、スザクは自分が不運だと思うの?」

「こんな目に遭ったら不運だと思いたくもなるよ」

「そうね。何かを選ぶって、誰かを背負って歩くのって大変なことだから」

 でもね。ユフィはスザクを抱きしめた。癖のある髪へ愛おしそうに唇を落とした。

 酷く温かかった。ずっとこのままここにいたいと思った。細い胴体を抱きしめて首筋に顔を埋めた。

 母親が赤ん坊にそうするようにユフィは縋りつくスザクの頭をゆっくりと撫でた。

「沢山の道の中から一つを選ぶのは大変な事だけれど、不幸なことじゃないのよ。それが生きるっていうことなんだから。強がって、傷ついて、空回りしながら、それでも選ばなくちゃならないの。

 スザクだけじゃないのよ。私たちは皆、そうやって戦っていくの。それは不幸なことだと、私は思わない」

「僕は……どうすればいいの?教えてよユフィ」

 すっとユフィはスザクの背後を指さした。

 指先に吸い寄せられるように視線を向ける。指示された先には急斜面の氷の壁が聳え立っているだけだったが、ふとその中心が光っていることに気付いた。

 あれは何だろうと思うと、それは突如として大きくなり、スザクの眼前にその全貌を現した。

 

 それはランスロットだった。青い両眼のレンズは強く、脆弱な所有者を非難するかのように煌めいていた。

 

「それはスザクが考えないといけないことなのよ」

 はっと振り返ると、さっきまで自分を抱きしめていた筈のユフィがもう手の届かない場所へと遠ざかっている。

 ユフィだけでなく、カレンも、シャーリーも、スザクを見据えたまま氷の大地と共にスザクを置いて行こうとしていた。

 ランスロットだけをその場に置いてスザクの周囲全ての光景が、打ち寄せた波が引いて行くように過ぎ去って行く。

「どうしてスザクが全ての主導権を握っているこの世界で、あたし達がこんなに厳しい事をスザクに言っているのか分かる?」

「待って、待ってユフィ!行かないで!ずっと、ずっと一緒に居てよ!ユフィ!!」

「スザクがね、そう望んでいるからなのよ。このままここに居ちゃダメだって、スザクはもう気付いているの」

「だからスザク君は思い出すだけでいいの」

「訳が分からないよ!ここはどこなんだ!僕は一体何になってしまったんだ!どこへ行けばいいんだ、どうしてユフィは僕を置いて行くんだよ………っ」

「思い出して、スザク」

 

「どうしてスザクは戦おうとしたの?どうして今も戦っているの?スザクは、どこに行きたいの?」

 

「待って、待ってよ、待ってよ!!」

 伸ばした指先は何も捉えることは無かった。3人の姿は消え去り、周囲は全て只管に薄暗いだけの空間になった。

 耳が痛いほどの静寂が満ちていた。自身の息遣いだけが妙に大きく聞こえた。

「みんな、みんな……どうして僕を……僕だけが、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたのぉスザク君?」

 背後から聞こえた声に驚いて振り向くとロイドが立っていた。

「ろ、ロイドさ、」

「ランスロットの調整は上手く行ってる?初陣だからってあんまり緊張しちゃあだめだよぉ」

 周囲を見ると、そこはKMFの格納庫だった。

 

 ブリタニアのペンドラゴンに備えられてる巨大な格納庫ではない。E.U.の駐屯地に据えられている、カビ臭くてみすぼらしい場所だった。そこらに錆びついた部品が投げ捨てられていて、磨き上げられた芸術品のような美しさを持つランスロットが異様に浮いて見えた。

 スザクはランスロットのコックピットに座り込んで慣れない手つきで体を座席に固定している最中のようだった。ランスロット・アルビオンのものよりもっと単純で粗雑な印象を受ける造りは、ランスロット・エアキャヴァルリー……いや、その前のフロートシステムさえ導入されていないランスロットの初期型のものだった。懐かしい。初期型ランスロットの造形は確かに美しいが、ランスロット・アルビオンを知った今を思えば洗練されているとは言い難かった。

 

 スライド式のコックピットに体を固定しているスザクをロイドがにまにまと眺めている。

 覚えがある。これは自分の初陣の光景だ。もう2年近くの前のことだ。

 埃臭い空気に眉を顰めながらスザクは初陣への武者震いを抑えようと歯を噛みしめた。

「いえ、はい。緊張はしていません」

「それはいいねえ。良いデータが取れそうだよぉ」

『長官、早く司令部に戻ってください』

「はいはーい!すぐ戻るよセシル君。じゃあねスザク君。健闘を祈ってるからね」

「ありがとうございます」

 ロイドが離れると同時に座席がランスロットの体内へと滑り込んでゆく。

 ガシャンと座席がコックピットに固定された途端に計器類が発光して、メインカメラに映る画像が目の前に広がった。

 予め受けた説明通りに操縦桿を握って、機体状態を確かめる。

 エンジンOK、エネルギーオールグリーン。メインカメラは数か月前まで住宅街だった、今は廃墟と化したE.U.の街並みを映している。

『スザク君、準備は良い?』

「はい、セシルさん。問題ありません」

『冷静でいいねえ。本部との通信状態も問題なし。じゃあ発艦準備行くよ~、時間もあんまり無いからね』

 着慣れないパイロットスーツを体に染み込ませるように身を捩り、操縦桿を拳に慣らすように握り締める。

 そうだ。初めてKMFに搭乗した時は心臓がうるさくてしょうがなかった。絶対に手柄を上げて、出世して、日本を取り戻すんだという思いがぐるぐると胸の中で渦巻いて痛いほどだったのだ。ちょうど今みたいに。

『エネルギーブースト、オールグリーン』

『チョークアウト!ランスロット、発艦!!』

「ランスロット、発艦!!」

 両足をすさまじい速度で押し出されて大地に吹き飛ばされる。

 その勢いのままに全速力でランスロットを走らせる。瓦礫という障害物を反射で避けて、足場にして、廃墟になったE.U.の街並みを一本の矢のように白いKMFが駆け抜ける。

 初陣はブリタニアへのテロ行為を繰り返しているテロリストの殲滅が任務だった。

 

 スザクはそのままテロリストの本部まで駆けて行って無茶苦茶に暴れまくった。碌にKMFも揃えられない弱小のグループだったため、10分とかからず殲滅した。

 ブリタニア司令部からロイドが大量に集まったデータを前に楽しそうな声を上げているのが聞こえて苦笑を零す。新しい上司は子供のような人だとここで知った。

 本部が潰れて散り散りになったテロリスト達を、今度は虫を追い立てているかのように市街地を駆け回る。ランスロットの姿を見るなり悲鳴を上げて重火器を乱射するテロリストを、おもちゃを壊すように次々に倒していった。

 そうだ。あの時は倒しているんだと思った。人を殺すために銃を撃つ悪い奴らを、正義のヒーローみたいにばったばったとなぎ倒してるんだって。

 

 でも実際は殺していたんだ。

 殺さないように手加減はしていた。でも初陣で、ランスロットの細かな操縦まではできなかった。そもそもKMFと人がまともに戦うことが不可能なのだ。少し力を込めただけで頭蓋骨は割れて脳は潰れてしまう。そっと押しただけでも肋骨が折れて肺に突き刺さってしまう

 死屍累々が重なる瓦礫の中で、セシルから撤退指示を受けてスザクはランスロットの進行方向を司令部へと向けた。だが背後から風船が破裂するような銃声が聞こえて、反射的にランスロットの拳で背後を薙ぎ払った。

 

 軽い衝撃がランスロットの拳を震わせた。あまりに軽い感触にまさかとメインカメラを向けると、ライフルを構えたままの酷く痩せた子供が地べたに横たわっていた。瓦礫に全身を叩きつけられたらしく、ぽつぽつと血痕が瓦礫から地面を濡らしていた。

 こんな子供が自分の意思でテロに参加している訳が無い。きっと脅されて無理やりに銃を持たされたんだ。

 慌てて駆け寄り、無事を確かめようとカメラをひしゃげたヘルメットの下に合わせる。

 どくどくと額から血を噴き出している少女はどう見ても即死だった。脳はヘルメットごと潰れて脳漿を垂れ流していた。

 

 しかし少女は眼球の形が分かる程に目を見開いてスザクを睨みつけていた。頭蓋骨の形が分かるくらいに痩せた頬から黒く汚れた歯を剥きだしにしてランスロットに向けて唾を吐いた。

「よくもお父さんとお母さんを殺したな。よくもあたしまで殺したな。許さない。許さないからな。死んでも絶対に、絶対に許さないからな」

 

 言葉を失い、全身を打ち震わせる。

 あの時殺した少女は、今、スザクの中にいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲の光景がうねって姿を変えた。

 今度はパイロットスーツではなく、スザクはただの一般兵の服を着ていた。すぐに、これはまだ自分が騎士ではなかった時のことだと分かった。

 アフリカで勃発した戦線の後方部隊に派遣された時の光景が目の前に広がっていた。何年前のことだろう。3年前か、そこらだろうか。

 乾燥した大地で細々と暮らす集落から徴収した木造の小さな建物の中で、スザクは怪我人を数えていた。丸太のように目の前には軍服に身を包んだ兵士たちがごろごろと横たわっている。水、水、という呻き声が合唱になって地震のように建物を揺さぶっていた。

 この時この地方は乾季の真っただ中にあり、尚且つ気温はブリタニア人からしてみれば信じられない程に高かった。なのに補給線が半分以上潰されたせいで供給される水が少なく、派遣されていたブリタニア兵はみんな苦しい思いをした。

 

 特に名誉ブリタニア人のスザクは死なないギリギリの水分しか補給されず、喉が乾燥し過ぎていつも痛みを感じていた。

 早く仕事を済ませようと粗末なシーツの上に横たえられている兵士の数と容体を紙にメモして行く。ふと背後から視線を感じて振り返ると、扉には黒い肌をした10歳前後の子供たちが眼を輝かせてスザクを見ていた。

 この地域では黄色人種は珍しいのだろう。手を振ると、にぱっと子供たちは笑って手を振り返してくれた。

 

 凡そをメモし終えて上官に報告しようと外に出ると、先ほど手を振ってくれた子供の一人が薄汚れた土器をスザクに差し出した。器には並々と水が注がれていた。

「水?僕に?」

「Kunywa maji!」

「え?」

「Unaonekana umechoka.」

「Nitakuwa nzuri baada ya maji ya kunywa!」

「………とりあえず、くれるってことでいいのかな?」

 押し付けるように渡してくる器を、水が零れないように慎重に受け取って中身を飲み干す。

 水には小さな泥が浮いていたが、そんなものが気にならない程に喉が渇いていた。水が乾ききっていた口の中を潤した。ぬるくて泥臭い水だったが、とてつもなく美味しかった。生まれてきてこんなにおいしい水を飲んだのは初めてだとさえ思った。

 飲み終えてぷはあと息をついて、スザクは器を子供たちに返した。

「ありがとう、すごく美味しかったよ」

「Wewe ni baridi. Hebu niolewe!」

「Nitawapa maji tena kama kiu chako.」

 何を言っているのかは分からないが子供たちは満面の笑みだった。ブリタニアや日本ではあまり見かけない、太陽を写し取ったような笑顔は目が潰れそうな程に輝かしかった。見ているとこちらも自然と笑顔になるような、圧倒的なエネルギーを全身から放射しているようだった。

 ばいばいと手を振る子供たちに手を振り返して、スザクは幾分か取り戻した気力と共に上官の下へと向かった。

 

 

 

 その夜、スザクは他の名誉ブリタニア人と共に粗末な宿舎で雑魚寝をしていた。

 寝苦しい夜で、何度も寝返りを打ったが眠れそうにない。妙に目が覚めていた。

 眠らなければ明日が辛いと分かっているため、なんとか寝ようと目を瞑る。しかし夜中に響き渡った悲鳴に思わずスザクは眼を見開いて肩を揺らした。

 甲高い金管楽器のような声はただ事ではないと周囲に知らせる響きを持っていたが、戦場では珍しくも無い音であったために一緒に枕を並べていた誰もが気にしなかった。

 

 この国はブリタニアの敵国であり、この集落は既にブリタニアの占領下にある。

 占領下にある民衆への略奪行為は重罪だが、咎める者がいなければそれは無かったことになる。軍隊はそうやって持ちつ持たれつで回っているのだ。

 スザクだって占領した村人から食料を奪ったことがある。そうしなければ碌に食料が補給されない名誉ブリタニア人の兵士は死んでしまうからだ。だから常の事ならば、スザクはその悲鳴を無視しただろう。

 しかしその声は明らかに年端も行かない子供の声だった。飢えた軍人が食料や水を奪うにしても子供を襲うだろうか。嫌な予感がした。

 スザクは薄い毛布をそっと捲って宿舎から抜け出した。小用だと思ったのだろう、誰も止めなかった。悲鳴の尾を掴んで外へと足を向ける。

 

 

 数分もしない内に悲鳴を発した少女の下へとスザクは辿り着いた。昼間、水をスザクに手渡した子供の首が千切れて地面に赤黒い模様を描いていた。

 模様を辿ると痩せた浅黒い肌の幼い四肢を貪るようにスザクの直属の上官がのしかかっていた。

 首から先を無くした遺体の足を肩に担ぎ上げて、上官はズボンの前だけをはだけて、死後硬直の未だ始まっていない膣内に挿入しているらしかった。

 軍人らしい大男の律動に合わせて少女の細い踝がぶらぶらと揺れる。それは縁側に吊られた風鈴が風に煽られてゆらゆらと揺れている様に似ていた。

 

 茫然と立ってるスザクに気付いた上官が振り向いた。少尉の階級を持つ上官は、報告書を持って行った時は疲れた中年男といった顔をしていたが、今はあの時よりずっと若々しく満ち足りた顔をしている。

 立ち尽くすイレブンに何を思ったのか、吸っていたタバコを地面に擦り付けた上官はにぱりと人好きのしそうな優しい笑みを浮かべた。

「おう、お前もやるか。名誉ブリタニア人は配給が少ねえから疲れるだろ。使い古しで悪いが、まだ温けえから楽しめるぞ」

「い、いえ、僕は」

「遠慮すんなって。ああ、それとも生きてる女じゃねえとダメか………まあそれが普通だけどよ。でもずっと戦場にいると段々狂ってきちまうんだよなぁ」

 あはは、と笑う上官は、名誉ブリタニア人でも差別しない人道的な人だと評判だった。

 

 スザクも軍人になってから暴力的だったり差別思考が酷かったりする上官に散々な目に遭わされてきた身だ。目の前で少女を貪る今の上官は、これまで経験した上官の中で一番優しくて気配りの上手い人だった。

 

 首を振って後ずさる。

 スザクにその気がないと悟った上官はさっさと寝ろよと告げて行為を再開した。

 

 ぶらぶらと揺れる少女の滑らかな足首に、このあまりに惨い行為を止めるべきだということは分かっていた。しかし止める訳にもいかなかった。

 暗黙の了解として、占領下の民衆への暴行は見逃されている。

 この上官は良い人だから、スザクが止めたら止めてくれるかもしれない。だが軍隊では足並みを崩す輩を嫌う。名誉ブリタニア人を差別しない珍しい上官を非難してしまうと、名誉ブリタニア人にさえ疎外される立場に立つことになるかもしれない。

 それにいくら止めたとしてもそれは今日限りのことで、明日にはスザクに見つからないようこの上官はまた他の少女を殺して遺体を強姦するだろう。

 そうと分かっていても、しかしスザクには死体になっても辱められる少女を見捨てて逃げることもできなかった。

 

 その場に縫い付けられたように身動きのしないスザクへ、そういえばこの兵士はまだ戦場に慣れない15か16歳程度の少年だったと思い出した上官は腰を止めた。

 戦場の習いとはいっても世慣れぬ雰囲気の少年が眼にするには酷すぎる光景だろう。増してやスザクはアジア人らしく童顔で、ブリタニア人の上官から見ると戦場にいることさえ違和感を覚える程に幼く見えた。

 途端に胸中で膨らんだ罪悪感のために汗を滲ませながら上官は乾いた少女の膣から自身を抜こうと身を動かした。

 ぬちゃりという音と共に欲が少女から抜かれると同時に、パァンと銃声が鳴った。上官の左肩からパッと血が散った。

「ぐぁっ」

「Nini cha kufanya kwa dada yangu!!!!」

 銃声の元に目を向けると、物陰から少女とあまり歳の変わらない少年が眼に涙を溜めて飛び出した。

 洪水のような星の輝きが少年の手に持つ拳銃に反射して鈍く光っていた。 

「Mimi nitakuua!!Nitakuua!!!」

 目に殺意を灯している少年にスザクは咄嗟に飛び掛かり、手首を地面に縫い付けた。

 痩せた体躯には見合わない筋力でばたばたと暴れる力強さに動揺しながらも、スザクは押さえつける手を緩めずに少年の動きを封じた。うーうーという呻き声と零れる涙に喉奥が焼け付くような痛みが走った。しかし痛みを飲み込んで、スザクは左肩を抑える上官へ目を向けた。

「少尉、ご無事ですか!?」

「っ、ああ、肩を掠っただけだ、糞、ふざけやがって」

 少尉は腰に装着していた拳銃を取り出して銃口を少年の頭に向けた。指は引き金にかかっていた。

 

 思わずスザクはぱっと少年の手を離してしまった。このままでは少年が殺されると思ったのだ。

 逃げろと言う前に、少年は素晴らしい速さで手に持った拳銃で上官の額を撃ちぬいた。

 

 上官が地面に崩れ落ちる。

 軍人らしい大きな体格をした男が重力に引き崩されて、どさりと音がするとほぼ同時に、少年はパパパパパと乾いた連続音と共に全身から血を噴き出して死んだ。

 軍靴が地面を蹴り飛ばす音が数人分聞こえてきたが、スザクはその場から立ち上がれなかった。3つの死体に囲まれてスザクはただ項垂れていた。少女の遺体のすぐ傍に割れた器が落ちているのが見えた。

 

「銃声が聞こえたんだが何があったんだ!」

「おい、あれ、少尉じゃ……?」

「少尉、少尉!!」

「枢木、何があったんだ。説明を――――」

 

 騒々しい声は段々と遠ざかる。

 地面に落ちた3つの死体の、首だけが捻じ曲がって真っすぐにスザクに視線を向けた。何れも非難の色をした瞳だった。

 

「どうして私を凌辱するのを止めてくれなかったの?」

「どうして少年から手を離したんだ。俺はそのせいで死んでしまった」

「どうして僕が復讐するのを止めたんだ。殺してからすぐに逃げていれば僕は死なずに済んだかもしれないのに」

 

「っ、それは、違う、違う、僕は、」

 

 涙がはらはらと零れた。

 どうして自分はあの時、あんな行動を取ってしまったのだろう。

 違う行動を取っていればもしかしたら一人は助けられたかもしれないのに。

 

 いや、この時だけじゃない。ずっとそうだった。

 誰かを助けられる瞬間に、自分はいつだって、誰かを助けたいと思いながら、誰も助けられない選択肢を選んできた。

 人生は選択することだとユフィは言った。もしそうなのだとしたら、人生は酷い。

 間違えたら二度と戻れない。後悔しても何も変わらない。死者は生き返らない。

 前になんて進みたくない。ずっとここにいたい。

 明日なんて来なければ良い。あの楽園に帰りたい。

 スザクは両の拳を握り締めてアッシュフォードのあの穏やかな生活に戻りたいと一心に願った。

 今は自分が集合無意識()なのだとシャーリーとカレン、ユフィが言った。だったらあの平和な日々に戻りたいと願えば、戻れる筈じゃないか。

 心からそう願いさえすれば。

 

 荒涼とした風景がぐるぐると回転する。降ってくるような星空から本当に星が降ってきて、きらきらと発光しながらスザクの周囲でゴムボールのように飛び跳ねた。全部の星が落ちてしまったせいで真っ暗闇になった空が全てを覆い隠す。

 行き先はアッシュフォード学園、いや、ブリタニアでも、どこでもいい。

 

 ユフィも父さんも、誰も死んでいない、誰も自分のせいで死んでいない世界であれば――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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